Level Ⅵ 輝ける悪魔
 存在しない人間の痕跡を辿るのは容易ではない。
 生まれたときから影である存在。戸籍上は存在しているが、戸籍を辿っても本人には行き着かない。
 手がかりだった医者は死に、ケータイも持ち去られてしまった。
 しかし、まだ手がないわけではない。
 かつて帝都を賑わせた伝説のハッカーと聞いて、少しでもその手の話に興味がある者ならば、フェアリーテールというハンドルネームを上げるだろう。一時期、捕まったという報道がされたが、その真意は定かではなく、死亡説やツインタワーの情報屋がそいつだという噂もある。
 だが、マニアの間や裏社会の通じた者ならば、別の名を挙げるだろう。ルシフェル――それは実在するかもわからない、ハッカーのハンドルネーム。その名を知っていても、存在を信じる者と噂話だと笑う者がいる、まさにこちらこそ伝説に相応しい存在だ。
 フェアリーテールが派手な活動をしていた時期、その陰に潜みハッキング活動をしていたというルシフェル。フェアリーテールがハッキングの証拠をワザと残し、自分の存在を誇示していたのとは対照的に、ルシフェルはその存在を世に決して出さない。そのため、どんなハッキングをしたのか、それはすべて推測の域を出ず、ルシフェルの存在自体が疑われている要因となっている。
 謎の存在だったルシフェルの名が世に出てしまったのは、とある掲示板にフェアリーテールと名乗る者が書き込んだ内容。その書き込みよると、彼はネットワーク上でたまたまルシフェルと遭ったのだという。だが、その書き込みの真意は今もわからない。
 瑠流斗は一等地に立つ高級マンションに来ていた。
 訪れた部屋は1階の角部屋。ネームプレートは出ていない。
 ドアの鍵はカードキーだった。それは瑠流斗に好都合である。挿して回す鍵のほうが、よっぽど偽造が大変だ。
 鍵を開けて瑠流斗は一気に踏み込んだ。
 部屋の中は暗い、そしてテレビの音がした。
 真っ暗な部屋で消し忘れたテレビ。いや、消し忘れたのではなく、見ている者がいるのだ。
 何者かの声が闇に響く。
「どうしてここがわかった?」
 それは雄蔵の声だった。
「時間帯を絞って李医師の通話記録を調べたんだよ。この部屋から掛けるなんて不注意にもほどがある。それと近くの住人の話も少し聴いた。この部屋の住人は幽霊じゃないかって噂話があるのを知っていたかい?」
 瑠流斗の眼は部屋に配られていた。
 実はこの場所にある気配は、瑠流斗を抜かしても複数あった。
 ブレーカーが落ちた。テレビの明かりすらも消えた。
 瑠流斗の眼に映ったのは2人。別の部屋から気配を消しながら出てきた者が3人。雄蔵を含めると、敵の数はおそらく6人。
 暗視ゴーグルをつけた男が、ナイフを振りかざして襲ってきた。
 瑠流斗はそれを腕で受けた。正確には腕に付けられた筒状の金属部だ。
 負傷していた瑠流斗の腕には大きな筒がはめられていた。そして、それにはストローがついている。つまり、この筒に溜まった血液を定期的に飲んで、排出しろということなのである。アナログで滑稽な器具だが、バケツとどちらがマシなのかは、個人の判断に委ねられる。
 瑠流斗のリバルバーが火を噴いた。狙いはすべて頭。
 男たちが一瞬の呻きを発して次々と倒れていく。
 5発目の弾丸が的外れた。当たったのは男の胸だ。けれど、負傷した様子はない。防弾チョッキを着ているのだ。
 ナイフが瑠流斗の腹を抉った。それは男の最期の攻撃となった。この近距離で銃弾を躱す術はない。
 6発目の銃弾が部屋に鳴り響いた。
 気配は全て消えた。
「影山雄蔵?」
 瑠流斗は名を呼んだ。
 反応も気配もしなかった。
 夜目の利く瑠流斗だが、同じ色をしたモノは見分けが付かない。今、この部屋に雄蔵がいてもわからない。
 瑠流斗はブレーカーを上げて、部屋中の電気を点けて回った。
 やはりどこにも怪しい影はいない。瑠流斗が男どもの相手をしている最中に逃げたのだ。今から追いかけてもムダだろう。
 瑠流斗は部屋を調べることにした。
 家具などは必要最低限しかなく、衣服はなにひとつなかった。だが、クローゼットにはモノが入っていた。小さな鉄の金庫だ。
 ダイヤル式の金庫を前にして、瑠流斗は唸り声をあげてしまった。
「困った……アナログだ」
 ダイヤルを回すアナログ式の金庫。瑠流斗の専門外だった。
 瑠流斗はストローをチュウチュウしながら、次の作戦を考えることにした。

 金庫をホウジュ区でその道のプロに開けてもらい、瑠流斗は中身を持って再び源三郎の大邸宅を訪ねていた。
「これですね?」
 と、瑠流斗は言いながら木箱を源三郎に差し出した。
「おお、これじゃ。よく取り戻してくれた」
「別料金はいただきません。その代わり……」
「傷を治せというのじゃな?」
「はい」
 金庫の中身は源三郎の元から盗まれた手術道具だった。
 すぐに手術は行なわれることになった。
 手術の場所は座敷。患者はもちろん瑠流斗。そして、手術をするのは源三郎だ。
 手術中も部屋は闇だった。
 そこに立って傷を負った腕を上げろと命令された。それで影の手術をするのだと言う。
 しかし、ここは闇だ。
 光が当たれなければ影はできないはず。
 そんな常識は源三郎の前では通用しなかった。瑠流斗の影はたしかに治療され、本体が負っていた傷は跡形もなく消えていた。
 光がなくとも影は存在する。それを証明しているのは源三郎本人だ。彼は闇に包まれた部屋にも存在している。
 瑠流斗は治った傷を見ながら神妙な顔つきをした。
「影とは物体が光を遮ったときにできるものだと思っていましたが、どうやら違うようですね」
「物体が光を遮り生じるものではなく、はじめから存在していたものが見えるようになったに過ぎん」
「光ありきの存在ではなく、はじめから存在していた。相対するものは、はじめから存在する、そこに真の優劣はないという真理か……」
 ならばやはり……。
 瑠流斗は脳裏にある疑問が浮かんだ。
「源三郎氏、貴方は影であらせられる。なら、肉体はどこです?」
「わしは生まれたときから影じゃ」
「本当にそうでしょうか?」
「なぜ疑う?」
「光ありきの闇は間違っています。ですが、光ありきの闇、闇ありきの光、これが正しい答えでしょう。対義語として一般に認識されているものだけでなく、すべての存在は相対するモノを持っている。ヒトに相対するものは、そのヒトの影です」
「ただの思想と推測に過ぎぬ」
「そうですか……」
 ならばここにもう用はない。瑠流斗は源三郎に別れを告げ、大邸宅を離れた。

 夜になっても雨は降り続いていた。
 すでに雄蔵の居場所はつかめている。いつ、どうやって、その問いは瑠流斗がマンションの部屋に踏み込む前だ。
 あのマンションには駐車場があった。駐車場を借りている場合、普通は車を止める場所が決まっている。雄蔵がどこに車を止めているかを調べ、車にあらかじめ発信機をつけて置いた。それだけのことだ。
 発信機を辿ってやって来たのは、カミハラ区の東――ホウジュ区よりの場所にある駅前。駅から少し離れた裏通りにある小さなビルの前に来た。
 ビルの1階は駐車場。階段は下と上。影はどちらに好むかを考え、瑠流斗は地下に下りた。
 瑠流斗の前に立ちはだかる金属の扉。まるで金庫のような頑丈そうな扉だ。
 鍵はカードキーと暗証番号。下準備なしでは開きそうもない。
 瑠流斗は階段を上りはじめた。それとは逆に下りてくる足音が聴こえた。
 リボルバーを構えた瑠流斗は相手を確認せずに撃った――2発。階段を転げ落ちた男の2人だ。
 死んだ男たちはサイレンサー付きの銃を持っていた。相手もこちらを殺す気だったらしい。
 ビルに入ってすぐに、防犯カメラがあったことに瑠流斗は気付いていた。
 3人目以降が来る前に瑠流斗は2階の事務所に踏み込もうとした。
 ドアの鍵に弾丸を2、3発撃ち込んで壊し、足の裏でドアを蹴破った。
 待ち伏せしていた男たちが一斉に銃を撃った。
 銃弾を躰で受けながら、瑠流斗は1人ずつ確実に殺していく。最後に残った1人が事務所の奥に逃げる。
 瑠流斗は逃げる男の足を撃ち抜いた。ドアにもたれながら倒れる男。瑠流斗はゆっくりとその男に近づいた。
 落ちた銃を拾おうと伸ばした男の手を瑠流斗の足が踏んだ。骨の折れる音が響いた。複雑骨折だろう。
「地下室のドアを開けて欲しい」
「俺には無理だ……ギャッ!」
 踏み潰されている手に足の裏がねじ込まれた。
「〝開けて欲しい〟が、〝開けろ〟に変わる前に開けるんだ」
「外の鍵は開けられる……けど内鍵は開けられねぇよ」
「ふむ、用心深いことだ。なら外だけでいい、開けて欲しい」
 男に銃を突きつけながら歩かせ、カードキーと暗証番号を聞きだした。
 早速、瑠流斗は地下室に下りてドアの鍵を開けた。だが、問題はこれからだ。
「おそらく核シェルター並だろうね」
 つまり、雄蔵にとってここは最後の砦なのだ。
 問題は持久戦となったとき、雄蔵はどのくらいの月日を中で過せるか?
 1ヶ月か、1年か、それとも10年か?
 中にはそれなりの通信設備が整っているだろう。そうなると、中から外に指示を出すことは可能だ。だが、この砦は壊せなくとも、回線程度ならどうとでもなる。完全に雄蔵を孤立させることなど、容易いことだ。
 最終的な手段を取れば、入り口を溶接して固めてしまえばいい。
 しかし、あくまで瑠流斗の受けた依頼内容は〝殺し〟だ。中に入る方法を探すか、もしくは日本神話の天岩戸のエピソードのように、どうにかして外に出せる方法を探せなくてはならない。瑠流斗はプロだ。
 この帝都ならば、いくらでも方法はある。
 以前、強盗団のニュースが連日世間を賑わせていたことがあった。そのグループが数々の犯行を成功させた裏には、ある男の存在があったからだと後々わかった。その男とは物体透過能力を持っていたのだ。
 現在、特別な能力を持つ者の多くは、帝都の監視下にある。物体透過能力など、野放しにできる能力ではない。だが、それでも人の多く集まる帝都には、監視下を免れている能力者がいることも事実。
 瑠流斗はケータイをポケットから出し、どこかに電話を掛けた。
「もしもし、仕事を頼みたい」
 ある能力者をここに呼ぶ気なのだ。
 瑠流斗は2箇所に電話を掛け、数十分で来ると連絡を受けた。それまでの間、扉の前で片時も離れず待機することにした。
 だが、敵はそれを許してくれなかった。
 身を潜めているのだろう。だが、殺気を孕んだ空気が漂っている。何者かが階段の折り返したすぐそこにいる。
 壁の向こうに隠れていた男が姿を現し、いきなり発砲してきた。
 連射銃弾の多くは瑠流斗から外れ、男はすぐにまた壁の向こうに隠れた。
 瑠流斗はリボルバーを構えた。
 また男が姿を見せた。その一瞬を瑠流斗は逃さない。
 瑠流斗の撃った弾丸は男の腕を撃ち抜いた。だが、致命傷にはならずまた男は姿を隠す。
 これでは埒が明かないと瑠流斗が歩き出す。
 そのとき、壁の向こうから手だけが出た。握っているのは――手榴弾だ!
 瑠流斗のいる場所は2平方メートルほどあるが、とても手榴弾の爆発を避けられるスペースなどない。
 手榴弾は地面に付く前に爆発した。
 大量の煙幕が狭い空間を一気に制圧して、視界から何もかも奪った。
 あんな近距離の爆発に巻き込まれては、さすがの瑠流斗でもただでは済まない。普通の人間でも四肢が吹き飛び、躰はバラバラになるだろう。
 爆発の後はとても静かだった。
 やがて煙が徐々に治まり、ハンカチを口に当てた男が、瑠流斗の様子を見に来た。
 男の足元まで浸る浅瀬のような黒い血。もげた腕が無残にも床に転がり、両腕を失い片足がもげかかった瑠流斗が、ぴくりともせずうつ伏せに倒れていた。
 煙の中ではあまり良く見えず、男は静かな足取り瑠流斗に近づこうとした。
 しかし、その足が急に動かなくなった。
 物理的に動きを封じられたのではなく、それは恐怖だった。本能的に感じた恐ろしい恐怖。
 瑠流斗のもげかかっていた脚が再生する。
 そして、嗤い声が響いた。
「クククッ……」
 瑠流斗の両腕が一瞬にして生えた。
 そして、顔面に紅黒い血化粧した瑠流斗が立ち上がる。
 全身から血を滴らせ、白銀の美しい髪も、紅黒く染まっている。まるで瑠流斗ではないようだ。そこに別人が立っているようだった。
 眼にも留まらぬ速さで瑠流斗が動いた。
 動けない男の咽元を瑠流斗の爪が抉った。そのまま瑠流斗は男の頚動脈を噛み切った。
 首から噴き出る血を浴びながら、瑠流斗は死んだ男の上着を剥ぎ取り、腹に手を突き刺し内臓を引っ張り出して喰いはじめた。
 まさに狂気の沙汰。
 餓えた肉食獣のように、獲物の内臓から喰らった。
 戻らぬ男のことが心配になった別の男が様子を見に来た。だが、その悲惨な光景を目の当たりにするや、背中を見せて逃げようとした。
 逃げる男の背中に瑠流斗が飛び掛った。そのまま首を一気にへし折り、首を一回転させてもいだ。
 生首を持ちながら、瑠流斗は1階の駐車場に上がった。
 生臭い臭いが辺りに立ち込めた。
 瑠流斗を見た男たちが生唾を飲んで凍りついた。そして、1人の男の足元に放り投げられた生首。
 男たちは狂乱した。
 持っていた銃を乱射する。
 銃弾を受けながら瑠流斗は1人の男に襲い掛かり、首を抉って一気に仕留める。
 瑠流斗は次々と男たちを惨殺していく。
 肉を抉られた屍体から流れる血を嗅ぎ、瑠流斗は狂気の嗤いを浮かべた。
「……まだ血と肉が足りない」
 逃げようとしていた男の髪を瑠流斗は鷲掴みにして、顔を上に向かせるとそのまま眼に指を突き刺した。
 眼を潰された男は絶叫しながら走り出し、コンクリの壁に頭を激突させて死んだ。
 辺りから物音が消えた。
 瑠流斗の耳か微かに動く。
「……あとひとり、子羊がいるな」
 ぴちゃぴちゃと血の上を歩きながら、瑠流斗はゆっくりと獲物に近づいた。
 最後の男は車の影にしゃがんでいた。
 瑠流斗が現れても、男は焦点の合わない目で床を見つめるばかり。完全に正気を失っていた。
 男の前に肩膝をついた瑠流斗は、恋人にするように優しく男の顎を手に乗せ、自分の顔に相手の顔を向けて微笑んだ。
「君は綺麗な眼をしている」
 男は震えたまま逃げようともしなかった。
 瑠流斗の長い指が男の瞼を触れた。男は声にならない悲鳴をあげた。そして、そのまま瑠流斗の指はずぶずぶとめり込み、男の瞳を抉り出したのだ。
 男は残された瞳を見開き見てしまった。
 瑠流斗はなんと男の眼の前で眼球を口に含み、舌で転がしたあと呑み込んだのだ。
 そして、再び瑠流斗の指は男の眼を抉り出したのだった。

 つづく


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