ランバード落城
 パリンという音とともに王妃セリスの愛用に鏡が割れた――。
「不吉だわ……鏡が自然に割れるなんて」
バタンというドアの開く音がしたと思って振り向いた瞬間、そのドアから赤い鎧を着た騎士風の若い男性が凄い勢いと血相で王妃の部屋に入って来た。
「王妃様大変です、敵襲です!!」
「何ですって!?」
それを聞いた王妃は急いで窓に駆け寄り外を見た。
 すると遠く離れた城の城下町が燃えているではないか、それも今まで見たことのない凄まじい邪気を放つ黒い炎で……。
「……はっ!?」
悲惨な光景を目の当たりにした王妃は思わず口を押さえた。
「バロン、どういうことなのこれは!?」
「詳しくはわかりませんが、もう既に東地区は全焼、中央地区は半分が火の海に包まれて……くっ」
バロンはくやしさのあまり口を噛み締め下を向いた。
「国民はどうなの、みんな無事なの?」
「わかりません、城下町との通信が途絶えてしまって……。城に残っているほとんどの兵士は皆、町に出兵しましたが……やはり連絡が」
「こんなときにあの人がいてくれたら……」
王妃は未だ帰らぬ夫(ひと)のことを思った。
 「モンスターだ、モンスターが城の中に攻めて来たぞ!」
廊下の向こうから男の大声が聞こえた。
「王妃様、早く逃げましょう」
「駄目です。私だけ逃げるなど」
「私に与えられた使命は王妃様をお守りすることです」
「でも……」
「さぁ、早く!」
「私はここに残ります」
セリス王妃はゆりかごに寝かせてあるエノクを抱きかかえるとバロンに差し出した。
「この子を連れて逃げて下さい」
「しかし……」
「この子は英雄アベルの血を引く、大事な子です」
その時突然、
「ぎゃーーーっ!!」
と、すぐ外の廊下から男の奇声が部屋まで鳴り響いた。
「部屋の見張りがやられたか?」
バロンは剣をぎゅっと握り締め、王妃はエノクをゆりかごに戻しすぐさま隠した。
 「はいはい、この部屋からは誰も出させませんよ」
こう言いながら一人の男が王妃の部屋に入って来た。
「誰だキサマは!」
「ボクですか、ボクは魅惑の悪魔ジャッジメントですよ」
この男の容貌は中性的な美しい顔立ちに薄い青っぽい髪の毛、ここまではいいとして。黒いスーツに黒いズボン、中に着ているワイシャツも黒く締めているネクタイは赤色で少し緩めてあり、白い手袋をした左手には大鎌を持っていた。この場には不釣り合いな格好としか言いようがない。
「悪魔が何のようだ?」
「鍵を探しているんですが……知りませんか?」
こう言って悪魔ジャッジメントはセリス王妃に微笑みかけた。その微笑からは一見無邪気さ感じられるが……セリスにはそれが逆にとても恐ろしい微笑みに見えた。
 バロンは剣をいつでも抜けるように構え、相手に敵意を見せ付けた。
「鍵などこの国にはいっぱいあるのでな、わからんなあ」
「ふ〜ん、そっちのお美しい方はご存知かな?」
「知りません」
セリスはそう言いながら決して悪魔とは目を合わせないようにしていた。それが悪魔の不信感を仰いだ。
「ほんとうですかぁ〜? じゃあ調べて見ましょう」
ジャッジメントの姿が消えたと思った刹那、彼は王妃の腕を掴み彼女を捕らえベッドの上に軽く腰をかけていた。しかも王妃の首元には大鎌が今か今かと首を切る準備をしている。
「王妃様!!」
バロンは剣をジャッジメントに向け王妃を助けようとして叫んだが、ジャッジメントの持つ大鎌はしっかりと王妃の首元を捕らえている。これでは手が出せない。
「あぁすいませんねぇ〜、今日は久しぶりに運動したもので疲れたのでちょっと座らせて頂きました」
「放して下さい!」
王妃は逃げようと掴まれた手を振り払おうとするが、ジャッジメントは鎌をより一層首に近づけ決して逃がそうとはしなかった。
「王妃様を解放しろ!!」
「ちょっと、待ってくれるかな」
そう言ってジャッジメントは王妃の腕を放し、自分のスーツの内ポケットから分厚い本を取り出した。
「ジャ〜ン、審判の本! はい、ここに手を乗せて」
膝に置かれた本の表紙に王妃は無理やり手を乗せられた。
「はい、これでボクの質問が終わるまで身体は動かないよ」
セリスは身体を動かそうとしたがジャッジメントの言うとおり動かない。
「私に何をしたの!?」
「今から質問をしま〜す。では一つ目、鍵は何処ですか?」
「知りませ……か、鍵はエノクの下に……ゆりかごの中」
セリスの意思に反して口が勝手に喋りだした。
「王妃様!!」
バロンは王妃が人質に捕られている以上手も足も出せない。
「それでは二つ目、エノクって何?」
「私の……こども」
「これが最後の質問で〜す、その子は何処にいるの?」
「バロンの後ろ……」
最後の質問を言い終えた後にすぐセリスの身体は自由になった。
 ジャッジメントは王妃を解放して、ベットから立ち上がるとバロンに近づいた。
「バロンって君でしょ、ちょっとどいてくれるかなぁ」
悪魔が鎌を構えてにっこりと微笑んだ。
「エノク様は私の命に変えても守りぬく」
「ボクに勝てると思っているの? 一様これでも大魔王カオス様に使える四天王のひとりベルフェゴール様の副官なんですけどねぇ」
「今何と言った? 大魔王カオスだと」
「ええ、言いましたけど」
「カオスは時空の彼方に飛ばされた筈じゃないのか?」
「無事戻って来られました。それも今日」
「何!?」
「いやぁ〜長かったですよ、ボクらカオス様に仕えていた者たちはカオス様が帰って来られるまでひっそりと千年以上も待ちましたからね」
 赤い騎士バロンは剣をすばやく構え悪魔の腹に突き刺した。
「不意打ちは卑怯ですよぉ」
剣は確かにジャッジメントの身体を貫いている。しかしこの悪魔は平気な顔をして笑っている。しかも剣を片手で掴むと自ら引き抜き投げ飛ばした。剣をしっかりと握りしめていたバロンは剣とともに飛ばされ壁に叩きつけられた。
「バロン!」
セリスの声はバロンの耳に届くことはなかった。
「まったく、マナーがなってないなぁ」
ジャッジメントは自分の手についた自らの血をペロリと舐めると、エノクに向かって歩き出した。
「やめて、そのエノクに近づかないで!」
セリスはジャッジメントに後ろから抱きつき彼を止めようとしたがあえなく壁に叩きつけられた。
「お願い……」
セリスは声を絞り出すがジャッジメントの耳には届かない。
「その子から離れろ!」
部屋に突然男の声が響いた。
「誰だい君は?」
「私はランバード王だ」
「あなた……」
「ランバード国王……まさか、カオス様に殺されたはずじゃ……」
「回復魔法ぐらい使える、キサマの君主は読みが甘いな」
「回復魔法ねぇ、じゃあその身体はどうして治さないのかなぁ」
ジャッジメントの指摘は正しかった、ランバードの身体はおびただしい傷がついており、その傷口からは大量の血が流れ出していた。
「ここに来るまでにだいぶ苦戦してな、もう魔法は使えない」
「やっぱりねぇ……何っ!?」
ジャッチメントの顔が歪んだ。
「ランバード様、王妃様、早くエノク様を連れて逃げて下さい!」
バロンはジャッジメントの不意をついて見事後ろから捕まえたのだ。
「すまん、バロンここは任せた。セリス行くぞ」
「はい!」
セリスはエノクの入ったゆりかごを抱きかかえランバードとともに部屋から駆け出した。
 二人はある場所を目指して走った。その間いくどもなく魔物の襲撃に遭い、ランバードの身体には傷がひとつ、またひとつと刻まれていった。そして、二人の前に強敵が現れた。
「ついに見つけたぞ、アベルの末裔」
「くっ……新手か」
二人の前に現れたのはサムライのような姿をした長身の男性だった。しかし普通のサムライの姿ではなかった、仮面を付けていたのだった。
「私はヤクシャ」
「ヤクシャ!? ……まさかあなたは」
「四天王ヤクシャとは私のこと」
「……!?」
ランバードとセリスは言葉を失った。なぜなら、ヤクシャは伝承では英雄アベルによって倒された筈だからだ。
「驚きの表情を隠せないようだな」
「なぜだ、キサマはアベルに殺されたはず!」
「アベルの血を絶やすため私は何度でも蘇る」
「では、何度でも殺してやろう、セリス下がっていろ」
ランバードは大剣を構えヤクシャの顔の前に突き出した。ヤクシャはすばやく刀を抜きランバードの大剣を弾いた。キンという金属音が決闘の合図となり二人の激しい攻防が始まった。
 ランバードは渾身の力を込め剣を振るうが全てヤクシャに軽々と振り払われる。
「アベルの血はそんなものか!!」
仕方が無い、ランバードはこいつと戦うまでに数多くの死闘を繰り広げて来て、身体はもうボロボロなのだから。
「……くっ、回復呪文さえ使えれば」
ランバードの体力はもうほとんど残っていない、肩が大きく上下に揺れ息が上がり意識が薄れていく。しかし彼はこのときセリスを逃がす為自分の命を投げ出した。
「死ねぇーーーっ!」
ランバードは死を覚悟でヤクシャに一直線に斬り込んだ。
「血迷ったか、我が剣技を知らぬのではなかろう」
ヤクシャのいう剣技とは暗黒剣のことで、暗黒剣とは剣の技の名前であり、その使い手に斬られた傷は治癒不可能と言われている。
 ヤクシャは容赦なくランバードに斬りかかる、ランバードは全てを防御しきれず、その身体は紅く染まっていく。そして、ランバードの剣がヤクシャをついに捕らえた。しかし、ヤクシャの頭上に剣が振り下ろされる、その瞬間剣の動きが止まった。
「ぐはっ……」
ランバードの口から紅い雫が零れ出す。
「さらばだ、アベルの末裔」
ヤクシャの刀はランバードの身体を貫通していた。
「まだだ!!」
ランバードは刀を身体に突き刺したまま、ヤクシャにしがみ付いた。その際、刀がよりいっそうランバードの身体に深く突き刺さったが死を覚悟していた彼には関係のないことだった。
「きさま何を!」
ヤクシャはランバードの不可解な行動に動揺した。それを見たランバードの顔は不敵な笑みを浮かべた。
「セリス逃げろ!」
セリスはランバードの決意を感じ何も言わず走り出した。
「そうはさせるか!!」
ヤクシャはセリスを追おうとするが、ランバードがそれを許さない。
「放せ、死に損ないが!」
ランバードは決してヤクシャを放そうとはしなかった。
「ヤクシャ、キサマの負けだ」
「何!?」
ランバードの身体が赤く燃えるような光を発したと思った瞬間、辺りは一瞬にしてまばゆい光に包まれた。

 セリスはエノクの入ったゆりかごを大事に抱えながら、走っていると不意に後ろで爆発音が!!
「何!?」
セリスが後ろを振り返ると来た道が跡形もなく吹き飛んでいた。セリスは何が起きたのかをすぐに察した。彼女はわかっていたランバードが『逃げろ!』と言ったあの時から、彼が今から何をしようとしていたのかが――。彼はきっと禁断の呪文を使ったに違いない、命と引き換えに莫大なエネルギーを放出する呪文を……。
 セリスはそれ以降決して後ろを振り向かず、走り続けた、あの人の死を無駄にしない為にも……。そして、ついに彼女はある場所にたどり着くことができた。
「はぁ…はぁ…」
セリスの体力はとうの昔に尽きていて、彼女をここまで来させたのは精神力だった。
「ここまで来れば……」
セリスのいる場所は城の地下にある隠し部屋で、この部屋には古の時代に使われた瞬間移動装置があった。この装置を使えば城の外に脱出することができる。
 装置は青く輝く水のようなものが張られた小さな池のようなモノで液体のようなモノが小さく渦巻いている。その中に飛び込むことによって決まった出口に瞬間的に移動することができる。
 セリスはゆりかごをぎゅっと強く抱きしめ装置の中に飛び込もうとしたその時、男の声によって呼び止められてしまった。
「やっと見つけましたよ王妃さま」
セリスの振り向いた先にいたのは悪魔ジャッジメントだった。
「……あなたがここにいるということは」
「バロンでしたっけ、剣の腕はなかなかでしたけど、弱っちいことには変わりないね。さぁゆりかごを渡して」
ジャッジメントはセリスの方に手を差し出した。
「あなたの言うことは聞けません」
そう言うと彼女はエノクをゆりかごごと装置の渦の中に放り込んだ。
「……っ悪あがきを」
ジャッジメントはゆりかごを追おうと装置に向かって走り出した。しかし、それを王妃セリスは両手を広げ阻止しようとした。
「邪魔ですよ」
ジャッジメントは笑みを浮かべ大鎌を振り下ろした。振り下ろされた鎌はセリスの胸を切り裂き鮮血が噴出し、純白のドレスがみるみるうちに赤へと染まっていった。
 ジャッジメントはセリスを突き飛ばすと装置の中に飛び込もうとした……がそのとき、彼の身体を大きく揺れた。
「何だ!?」
建物が揺れている!? それだけではない、今飛び込もうとした瞬間移動装置の光が失われている。装置が動きを止めた。
「ちょうどいいところに突き飛ばしてくれて感謝します」
「何!?」
ジャッジメントは声がした方を振り向いた、そこにはレバーらしき物を握った王妃セリスの姿が!?
「何をした!」
「装置は停止しました……そしてもうすぐここも」
建物がまた大きく揺れ天井が大きな音とともに地面に崩れ落ちて来た。そして、隠し部屋は轟音を立てて崩壊した。
 この時、ランバードは歴史の中に名を残すのみとなった過去の王国となった。

 エノクは新緑の森の中にいた。
「おぎゃーおぎゃー」
今まで深い眠りについていたエノクが目を覚ます。
 その赤ん坊の声に気づいた、人形タイプの魔法生物の一人がエノクに近づいて来た。
「何でこんなところに赤ん坊が……ん? まぁ大変、装置が止まってる!!」
魔法生物はゆりかごを抱えてシモンの隠れ里へと走り出していった――。


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