ダブル(2)帰還
 翌日、僕は学校でさっそく事件についての聞き込みをすることにした。
 僕は人脈がある方ではないし、それに加えてみんな事件について話したがらなかった。けれど、僕は粘り強くアスカの友達に話を聞いているうちに、あの名前が出てきた。
 ――〈クラブ・ダブルB〉。
 事件のことを聞いて回っているうちに、消えた生徒たちが何らかの悩みを抱えていて〈クラブ・ダブルB〉について詳しく知りたがっていたことがわかった。
 放課後にどこかの教室に集まって活動しているらしい学校非公認のクラブ。
 〈クラブ・ダブルB〉の正式会員は〈ミラーズ〉と呼ばれ、その人たちが生徒にクラブのことを普及させたり勧誘したりしているらしい。という噂しかわからなかった。
 〈クラブ・ダブルB〉については噂の範囲を出ず、友達に聞いたとか、友達の友達に聞いたとか、〈クラブ・ダブルB〉と関わっている人に行き当たることは結局なかった。
 僕の中にある〈クラブ・ダブルB〉の有力な情報はアスカ本人が集会に出ていたということ。
 いろいろと調べていくうちに、消えた生徒たちと〈クラブ・ダブルB〉が無関係じゃないような気がしてきた。そして、〈クラブ・ダブルB〉を重点的に調べていくうちに、僕と同じように事件について調べている二人組みの女子生徒がいることがわかった。
 一人目の名前は椎凪渚[シイナギナギサ]という一年生の女の子らしい。もうひとりは話を聞いたのが一年生だったためだと思う、『あの、綺麗でクールそうな先輩』としかわからなかった。
 放課後になり、僕はすぐに椎凪渚という子のクラスに行くことにした。
 教えてもらったクラスは103教室で、僕は廊下を走って向かった。急いで来た甲斐もあって、103教室の中では生徒たちが座って先生の話を聞いている。これなら先に帰られてしまう心配もない。
 廊下の壁に寄りかかりながら待っていると、103教室から生徒たちが流れ出て来た。
 僕は生徒の流れに逆らって、狭い隙間を掻い潜りながら教室に入り、少し大きめの声で言った。
「椎凪渚さんは居ますか?」
 すると、数人の女子生徒たちが僕の顔を見てざわめき出した。
 今まで席に座って友達と話していた女子生徒のひとりが急に立ち上がり、少し顔を紅くして僕の側に駆け寄って来た。
 違和感のない茶髪をツインテールにして、楕円形のレンズの下側だけに銀色のフレームの付いた眼鏡をかけた小柄な女子生徒。その子は僕の前まで来ると、僕の制服についている校章の色を確かめながら言った。
「先輩ですよね……あたしに何か用ですか?」
 うちの学校では校章の色で学年が分けられている。だから彼女は僕の校章を見て、僕が先輩であることを確認したんだと思う。
 彼女の友達らしい人から野次が飛んで来た。
「渚、その人あんたの彼氏?」
「ち、違うってば!」
 この学校では普通、生徒たちは他学年の教室に行くことはあまりない。だから、たまに行くと注目を浴びてしまうし、それが異性の呼び出しだった場合は今みたいにからかわれてしまうことが多い。
 椎凪渚は僕の腕を掴んで走り出した。こういう行動をすると余計に疑われるような気もしたけど、僕は何の抵抗もせずに、彼女に引っ張られるままにどこかに連れて行かれようとしている。
 そんな僕らの光景を見て、生徒たちが何かを言っている。聞き取れなかったけど内容は察しがつく。
 椎凪渚に引きずられるままに、僕は普段生徒たちにあまり使われることのない、学校の隅にある階段まで連れてこられた。
 少し息を切らしている椎凪渚が階段に座るのを見て、僕も何気なく彼女の横に腰を下ろした。
 しばらく僕が椎凪渚の顔を見ていると、彼女は息を整えて首を傾げながら口を開いた。
「え~と、まず先輩の名前と用件、それからぁ~、好きなタイプの女性は?」
「えっ!? 好きなタイプ?」
 戸惑いの表情を浮かべた僕を見て椎凪渚は少し吹き出して笑った。
「ジョーダンですよ、先輩カッコよかったから、ちょっとからかっただけです。それからあたしのことは渚って呼んで下さい」
「ああ、うん、僕の名前は春日涼、消えた恋人を探してる。君が〝事件〟のことを調べてるって聞いたから……」
 事件と聞いて渚はすぐに察しがついたらしく、消えそうな声で呟いた。
「あたしは友達が消えちゃって……」
 何だから雰囲気が一気に暗くなって、沈黙がまるで黒い布のように僕らを包み込んでしまった。
 渚をはじめて見て明るそうな子だなと思ったけど、今は二人で沈んでしまって交わす言葉もない。
 重々しい時間は長く感じられ、沈黙を破ってくれたのは渚のケータイの着信音だった。着信音の曲は今は流行のバンドの新曲だ。
 渚はケータイのディスプレー画面を見てから電話に出た。
「――今ですか……物理室近くの階段です……はい、わかりました」
 ケータイを切った渚は笑顔を取り戻していて、僕の顔を見て元気な口調で話しかけてきた。
「あたしと一緒に事件を調べてくれてる先輩が今からここに来るそうです」
「ああ、うん」
 渚と一緒に事件を調べている先輩。確か一年生が『あの、綺麗でクールそうな先輩』と言っていたから、僕と同じ、もしくは上の学年ということになる。
 その〝先輩〟という人物が現れるまで、僕らはたわいのない会話でその場を繋いだ。
「春日先輩ってどこに住んでるんですか?」
「学校から徒歩一〇分くらいかな」
「結構近いんですね、あたしんちはバスと徒歩で三〇分くらいかかるんですよねぇ。あ、そうだ、今度学校帰りに先輩んち遊びに行っていいですか?」
「えっ、うち?」
「えぇ~っ、だめですかぁ? だったらカラオケ行きましょうよ、あたし歌には自信アリですよ」
「僕はあんまり得意じゃないかな……」
 なんだか彼女に押され気味の会話だけど、沈黙するよりはよっぽどいいし、明るい口調で話しかけられると、僕の顔にも自然と笑みが零れていた。
 しばらく話していると、階段を足音がして、すぐに僕らの前にある人物が姿を現した。
 凛とした態度で腕組みをしながら立っている女子生徒。僕はこいつのことを知っていた。僕と同じクラスの鳴海愛[ナルミマナ]だ。
 長身のスレンダーな身体の彼女は長い漆黒の髪と瞳を持ち、窓際でいつもひとりで本を読んでいた。頭はだいぶいいらしく顔は美人系だが、口調は男性口調でいつも不機嫌そうな顔をしている。
 僕はクラスで鳴海愛の隣席だったけど、口を聞いたことは一度もなく、彼女は人を寄せ付けない雰囲気を持っていて、クラスでも孤立した存在だった。
 その彼女の方から僕に話しかけてきた。
「春日涼だったか?」
「そうだよ」
 相手の態度が無愛想だったせいか、僕も悪い態度で返事を返してしまった。これでは喧嘩でもするみたいじゃないか。
 鳴海愛は僕のことを不審の眼差しで上から見下ろしている。僕は鳴海愛となるべく視線を合わさないように下を向き、ふと横に座っている渚を見てある疑問が頭を過ぎった。
「二人ってどういう関係?」
 この二人というか――鳴海愛にこの質問をしてみたかった。なぜなら、この二人が友達とは到底思えないからだ。いや、そもそも鳴海愛の友達がこの学校にいるなんてことが僕には考えられなかった。
 僕は鳴海愛の顔を見た。――答えたくないのか、めんどくさいのかわからないけど、彼女は口を開こうとはしなかった。
 すると、僕の横で声がした。
「あたしたち、家が隣同士で昔から仲いいんですよ、ねぇ愛ちゃん」
「鳴海さんが〝ちゃん〟付けで……ぷっ」
 こいつが〝ちゃん〟付けで呼ばれてるの聞いて僕は思わず吹き出してしまった。
 鳴海愛に視線を向けると、彼女はどうでもいいって感じの表情をしていた。それを見た渚も思わず笑ってしまいながらこう言った。
「愛ちゃんあんな表情してるけど、実はチョー恥ずかしいんだよ、きっと……ぷっ」
 渚は笑いがこみ上げて来るのを必死に口を押えてこらえた。
 鳴海愛がこんなに弄ばれるのをはじめて見た。椎凪渚と鳴海愛は本当に親しい間柄なんだなと思った。
 鳴海愛は少し顔を赤らめながらも、いつも通りの機嫌が悪そうな表情で話を変えようとした。
「事件について君はどのくらい知ってるんだ?」
 こう聞かれた僕は今まで調べたことなどを話して、渚たちが知らべたことなどを僕が聞いた。
 〈クラブ・ダブルB〉が一種のオカルト集団らしいことが次第にわかってきた。神を信仰して儀式を執り行い、願いを叶えてもらう。
 〈クラブ・ダブルB〉の正式会員である〈ミラーズ〉は神の使者で、悩み事を持っている人や願いを叶えて欲しい人の前に突然現れ、この学校のどこかにある教室に連れて行ってくれるらしい。そこで連れてこられた人は洗礼とかいうのを受けて〈ミラーズ〉になるらしい。そうすれば願いが叶い、悩み事など綺麗さっぱり忘れてしまうらしい。
 学校内でそんなことが行われているなんてとても信じられなかった。やっぱり噂は噂なのかもしれない。
 それに〈ミラーズ〉って名前を知っていても、直接姿を見たっていう人は誰もいなかった。でも、アスカは……?
 だけど、噂話が存在するということは、どこの誰が何の目的で噂を流したのだろうか?
 話の最後まで僕の前で腕組みをして立っていた鳴海愛は窓から差し込む光を見た。
「すぐに暗くなる、もう帰ろう」
 外はもう夕暮れに色に染まり、学校内にあまり生徒が残っていないことを確認した僕らは家に帰ることにした。
 校門を出て、僕とは違う方向に歩き出す二人を見送ったあと、僕はひとりで家路に着いた。
 日に日に沈む時間が早くなる太陽に背を向けて、僕はいつもの道を歩いていたつもりだった。けれど、気がつくと知らない場所だった。
 いつの間にか辺りは静寂に包まれ、生き物の気配がすぅーっと消えたような気がした。
 そして、またあの匂いがした。
 薔薇の芳しい香り。この香りを嗅ぐと少し変な気分になる。
 しばらくして、あいつがまた僕の前に突然現れた。
 僕は声を出そうとしたが出なかった。いや、出したいと思わなかったから出なかった。
 黒衣を纏う仮面の人物――ファントム・ローズ。
 仮面の奥から声が聞こえた。
「椎名アスカが帰って来た」
 それだけを言ってファントム・ローズは消えようとした。
「待て、話がある!」
 急いでファントム・ローズを呼び止めようとした。けれど、ファントム・ローズ消える。
 ファントム・ローズは空間にゆっくりと染み込むように消えながら呟いた。
「人間というには目に頼り過ぎている。君は目で見えないモノを〝視る〟ことはできるか?」
 最後まで消えずに残っていた白い〝仮面〟が不適な笑みを浮かべたような気がした。そして、ファントム・ローズは消失した。
 薔薇の香りが辺りに微かに残る。
 ふと我に返った僕の頭であの言葉が再生される。『椎名アスカが帰って来た』――その言葉は忘れていない。だけど、ファントム・ローズの声は今聞いたばかりだというのに漠然としか覚えていない。男か女の声かすら思い出せなかった。
 それにこんな不可思議な現象を普通のこととして受け止めてしまっていた自分に気付いた。なぜだろうか?
 夕日を背にして僕は急いでアスカの住むマンションに向かった。

 エレベーターで九階まで登り、アスカの家に着いた僕はインターフォンを意味もなく力強く押してしまった。
 インターフォンから女性の声が聞こえた。アスカの母親の声だ。
《どちら様でしょうか?》
「あの、春日ですけど、アスカさんが帰って来たって本当ですか?」
《…………》
 何かすごく長い間があり、僕は玄関の前で心臓が弾けてしまいそうだった。
 ゆっくりと玄関のドアが開かれる。そのドアを開けたのは他でもない、アスカ本人だった。
 本当はこの時、もうアスカがどこにも行かないように強く強く抱きしめて放したくないと思った。でも、恥ずかしさが勝って結局僕はアスカのことを抱きしめられなかった。
 アスカの部屋へと通された僕はカーペットの上に適当に腰を下ろした。腰を下ろしたというよりは安堵感で腰が抜けたという感じだったかもしれない。
 部屋のドアを閉めた終えたアスカが目に涙を浮かべて僕を強く抱きしめた。
 僕は突然のことに驚き、間抜けな顔をしてアスカの顔を凝視してしまった。
 アスカは涙を流しながらも柔らかい笑顔を浮かべていた。僕はこの笑顔を心に消えないように強く焼き付けて大切にしようと誓った。
 アスカの唇が静かに動いた。
「涼に会いたかった」
 その言葉を聞いた僕はとにかくアスカのことを強く抱きしめた。アスカが消えないように……。もう二度と離さない。
 それから僕らはしばらくそのままの格好のままでいた。
 どれくらいの時間が経ったか覚えていないけど、いつの間にか僕らは離して会話をしていた。
「アスカが帰って来てくれてよかった」
 他の失踪した生徒たちは少なくても三日は帰ってこなかった。アスカはそれに比べて早く帰ってきた。そう考えると、多発している失踪事件とアスカは関わりないのではないかと、安堵感が湧いてくる。
 しかし、アスカの表情は暗かった。
「覚えていないの、学校からの帰りに涼と別れてから記憶があやふやなの」
 僕の気分は酷く重くなった。これでは今までの例と同じじゃないか。
 恐る恐る僕は事件のことをアスカに尋ねた。
「アスカは自分でどこかに行ったの? それとも誰かにさらわれたとか?」
 アスカは何とも言えない表情をした。
「わからないの、涼と別れてから……家に帰ろうと思ったんだけど、何かを思い出して学校に戻ったような気がするんだけど……」
 僕はアスカの口から出る言葉一つ一つを熱心に暗記していくように聞き入った。
 アスカの表情は明らかに曇っていた。何かを思い出したくても思い出せないような感じだ。
「それで、気付いたら家の前にいて……それで、家のドアを開けて中に入ったらお母さんがすごい顔して飛び出して来て、どこに行ってたのかとか聞かれて、そこでわたしが二日近くも自分が家に帰ってなかったことを知ったの」
「二日間のこと、本当に何も覚えてないの?」
 アスカは僕の瞳を見つめたまま軽く頷いた。
「何も……、さっきまで警察の人が来ていろいろ聞かれたんだけど、わたし何も答えられなくて……」
 悲しそうで苦しそうで、どんどん表情が暗くなっていくアスカを見ていたら、僕は何だかアスカに対してすごく酷いことをしてるんじゃないかって気になっていて、気付くと僕はアスカに意味もなく謝ってしまっていた。
「ごめん、何かごめん」
「何で涼が謝るの?」
「何か謝んなきゃいけないと思った」
 アスカは不思議そうな顔をして僕を見つめて笑った。
「涼のそういうとこ好きだよ」
 その言葉を聞いた僕の体温は一気に急上昇した。
 その場に居るのが恥ずかしくなって、時計を見ると時間もだいぶ遅くなっていたので、その勢いで家に帰ることにした。
「帰るよ、何かずっとここにいるの悪いような気がするから」
「うん、じゃあね」
「明日迎えに来るから一緒に学校行こう」
 アスカは小さく頷いた。その顔は少し悲しそうというか寂しそうだった。
 僕は一瞬ためらったが部屋の外に出た。
 アスカの父親は今海外に出張中なので、僕はアスカの母親だけに軽くあいさつをするとアスカの家を後にした。
 早歩きでマンションを出ると辺りは薄暗かった。
 風が少し冷たく、空には星が瞬きはじめている。
 道路を照らす蛍光灯が突然チカチカと点滅しはじめて、あいつが薔薇の香りとともに再び現れた。
 僕には〝仮面〟が少し不満そうな表情をしているように見えた。仮面がそんな表情をするはずもないのだけれど、僕はそれを見て腹が立って、意味もなくこいつを怒鳴りつけてしまった。
「今度は何の用だよ!」
 ファントム・ローズは仮面を付けているせいか全く動じる様子が見えない。
「君はまだ事件について調べる気はあるのか?」
「アスカが帰って来たからもういいよ」
「それは要するに自分はもう無関係ということか?」
「そうだよ」
 僕は確かに見た〝仮面〟が不適な笑みを浮かべたのを――。
「この物語は終わっていない。君は好きな道を選ぶといい。しかし、自分の人生の選択権は自分にないことが多い。それを覚えて起きたまえ」
 そう言ってファントム・ローズはまたも消えた。
 ファントム・ローズいた場所には薔薇の香と花びらが残っていた。


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