ダブル(3)死
 翌日の朝、僕はアスカを迎えに彼女の住むマンションに向かった。
 アスカは僕のことをマンションの入り口で待っていてくれた。そして、僕が彼女に近づくと、うれしそうな顔をして駆け寄って来た。
「おはよ、涼」
「おはよ」
 アスカが僕の顔を下から覗き込む。
「どうしたの涼? 目の下くまできてるよ」
「ちょっと寝不足で」
 実はちょっとどころじゃなかった。
 全部ファントム・ローズのせいだ。あいつが変なことを言うから、僕はあの言葉とあの不適な笑みが頭から離れなくてほとんど一睡もできなかった。
「大丈夫、涼?」
「あ、うん」
「本当に?」
「本当だよ」
 嘘だった。僕はアスカに嘘付いた。はっきり言って平気じゃない。心身ともにどっと疲れていて、本当は学校なんか行きたくなかった。
 それでも僕はアスカと一緒に学校に向かった。
 たわいのない話をしてたら何時の間にか僕らは学校に着いていて、気付いたときには教室にいた。前を同じ日常が戻ってきたような気がした。
 教室に入った途端、アスカは女友達に連れて行かれてしまった。
 僕は自分の席に付いてアスカたちの話に聞き耳を立てた。
 みんなアスカのことを心配して『どうしたの?』とか、『だいじょぶだった』とか、『心配したんだから』とか口々に言っている。みんなアスカのことを本気で心配していたようだった。でも、もう心配することはない、アスカは帰ってきたのだから。
 僕がアスカたちの話に聞き耳を立てていると、僕の前に鳴海愛が現れた。
「椎名帰って来たんだな」
「あぁ」
「私たちが探してた相手も帰って来た」
「良かったじゃん」
 鳴海愛は腕組みをして少し沈黙を置いたあと言った。
「私と渚はまだ事件について調べるが、春日はどうする?」
「僕はもういいよ、アスカが帰って来たし」
 鳴海愛はいつも以上に不機嫌な顔をした。
「帰って来た生徒たちが、その後どうなったか知ってるだろ」
 この言葉を聞いた僕はすごく腹が立って嫌な顔をして鳴海を睨みつけた。
「あれ見ろよ、そんなことあるわけないだろ!」
 僕はアスカのことを指差した。しかし、鳴海愛は僕のことを鋭い目つきで睨みつけた。
「確かにみんな最初は普通だった、でも……」
 『でも、みんな死んだ』って言いたいんだと思う。でも、鳴海愛はそれ以上何も言わないで自分の席に戻って行った。その姿は重たい影を背負っているように見えた。
 僕もわかってる。でも、そんなこと考えたくもない。そんなことあるわけないじゃないか。
 やがて授業がはじまったが、僕は授業どころじゃない。あのファントム・ローズも鳴海愛も僕が考えないようにしていることを言ってくる。
 不安で堪らない。また、アスカがいなくなってしまうなんて考えたくもない。けど、どうしても考えてしまう。
 悶々と考え事をしているうちに学校はいつの間にか終わってしまった。
 僕は一目散にアスカの手を引いて帰宅した。もう、絶対離さない。
 帰り道、アスカは僕のことを心配そうな顔をして見つめていた。けれど、僕は口を開かなかった。
 もう、何がなんだかわからない。
 本当は僕がアスカのことを心配しなきゃいけないのに心配されてしまっている。けれど、アスカのことを心配するってことは、まるでアスカに何かが起こるようじゃないか。
 悪いことは考えちゃいけない。アスカはすぐそこにいる。アスカはずっと僕の側にいるんだから、心配することなんてないじゃないか。
 僕は僕に言い聞かせようとするが、どうしても不安が消えない。
 次第に腹が立ってきて、怒鳴り散らしたい気分になってきた。
 過ぎ去って行く風景。時間が進んでしまうのが怖い。今ここで時間が止まってしまえば、永遠にアスカと一緒にいられるのに……。
「涼っ!」
 少し大きな声で呼ばれて僕ははっとした。
 僕の腕は後ろに引かれ、その先ではアスカが少し怒った表情を浮かべていた。
「もぉ、家に着いちゃったよ」
「えっ!?」
 気がつくと、もうそこはアスカのマンションの前だった。
 顔を紅くしていたアスカの表情が和らぎ、彼女は元気よく僕に手を振った。
「じゃあね、涼、また明日!」
「じゃあ」
 僕は軽く右手を上げた。
 アスカが僕に眩しい笑顔を見せてくれた。そして、だんだんと姿が小さくなって行く。

 次の日、僕は学校を寝坊で遅刻した。今まで溜まっていたモノが一気に来たんだと思う。
 二時間目の英語の時間が終わる頃、僕は教室の後ろのドアから静かに入った。
 みんなの視線が僕に集まった。僕は遅刻なんて滅多にしないのでちょっと恥ずかしかった。
 ネイティブアメリカンの英語教師に席に早く着くようにと言われて席に着き、授業の準備をしながら何気に後ろの方の席を見た。
 僕は『あれっ?』と思った。
 アスカの姿がない。学校を休んだんだろうか?
 休み時間になり、僕は友達にアスカのことを聞くと、やっぱり学校を休んでいるらしい。しかも学校に無断で欠席をしているらしく、先生がアスカが何で学校を休んでいるのかを生徒にしつこく尋ねたらしい。あの事件の後だから先生たちも気が気じゃないんだと思う。
 僕は不安な気持ちになった。そして、すぐにアスカのケータイに電話をかけてみたが繋がらない。メールも送ってみたが返事は返ってこなかった。
 僕の不安は大きくなっていく。もしかしたら、アスカに何かあったのかもしれない。
 恐れていたことが現実になったかもしれない。
 今日もアスカに会えることを信じていた。けれど、それは見事に打ち砕かれた。
 その後、僕は全く授業に集中できなかった。そして、時間がどんどん過ぎていき、四時間目の終わりのチャイムが鳴り、昼休みになった。
 僕はどうにかして早退できないかと、ずっと考えていた。
 保健室に行って、病気のフリをしようと考えたりしたが、僕は結局無断で早退することにした。
 僕は荷持つを教室に置きっ放しにして、何食わぬ顔をして、下駄箱まで行き靴を取った。
 昼休みは外に無断で食事に行く生徒が多いため、たまに校門で先生が目を光らせて立っていることがある。まさにここ数日はそれだった。
 僕がどうしようかと下駄箱で悩んでいると、後ろから突然声をかけられた。
「私も行く」
 僕は心臓を直接握られたくらいドキっとしてしまった。だけど、後ろに居たのが先生じゃなくて鳴海愛だったことを確認した僕はほっと胸を撫で下ろした。
「どうして鳴海さんがここに?」
「椎名の家に行くんだろ、だったら私もいっしょに行く」
「別にいいけど、学校サボって平気なの?」
 僕はこの質問をした後にそれが愚問だったことを後悔した。
 鳴海愛は成績こそ良いものの、学校での生活態度は悪い。無断欠席・無断早退はよくするし、一度だけ彼女が先生と激しい言い争いをしているのを僕は見たことがある。
 でも、鳴海愛の成績は学年でトップだし、テストはいつも満点を取っていた。
 うちの学校ではテストが終わるたびに成績の良い上位一〇名の名前が廊下に張り出される。だから学年のみんなは鳴海愛が頭がいいことを知っていたし、先生ならもちろん知らないハズがない。それに彼女は授業はよく欠席するけどギリギリ進級できるよう考えて欠席してるようだった。だから、結局先生たちはあまり強く出ることができないみたいだった。
 鳴海愛が自分の下駄箱から靴を取り出している所に僕は声をかけた。
「先生たちが見張ってるけど、どうやって外に出る?」
「この学校に熱血教師なんていないから大丈夫だ」
「はぁ? どういうこと?」
「あいつらはどうせ校門に立ってるだけで、他の所なんて見回りもしない。柵を越えて外に出ているよみんな」
 そう言って歩きだした鳴海愛のあとを僕は付いて行った。
 僕らは適当な所から、校舎の外に出て、そして柵を登った。
 鳴海は意とも簡単に柵を登って外に出た。それを見た僕は慣れているんだな、と思った。
 今になって鳴海愛への興味が湧いてくる。他の生徒たちを逸脱する彼女は僕らとは根本的に違う。彼女が何をしてようと僕は驚かないと思う。
 学校の外に出た僕らは迷うことなく一直線にアスカの家に向かった。
 アスカの住むマンションは学校から歩いて数分の距離にある九階建てのマンションで、アスカの部屋は角部屋の901号室だった。
 アスカの家の前まで来た僕はインターフォンを押した。――しかし、少し待っても何の反応もない。それが僕の不安を駆り立てる。
 そして、鳴海がインターフォンを押した。でも、やっぱり反応がない。
 鳴海はもう一度インターフォンを押した。すると今度はすぐにインターフォンから声が返って来た。
《どちら様でしょうか?》
 アスカの母親の声だった。だけど、その声はすごく疲れているというか、何かに怯えているように聴こえた。
「アスカさんと同じクラスの鳴海と申します。アスカさんはご在宅でしょうか?」
 玄関のドアが開きアスカの母親が現われた。
「アスカに何の用でしょうか?」
 そう言うアスカの母親の顔は蒼ざめているように見えた。
 鳴海は玄関に足を一歩踏み入れてから返事を返した。
「今日から、一週間の間学校の授業が午前中で終わるという連絡と、アスカさんが学校を〝無断〟で欠席したので担任の先生に様子を見てくるように頼まれまして」
 今の鳴海は完璧な〝優等生さん〟だった。嘘が嘘と全く感じられない。
「二人ともわざわざありがとうね。アスカ、昨日の夜から高熱を出しちゃって、ずっと看病していて学校に連絡するの忘れてたわ」
 鋭い眼差しをアスカの母親に向けた鳴海が突然とんでもないことを口走った。
「本当ですか?」
 その言葉にアスカの母親は突然恐怖の形相をして鳴海のことをドアの外に押し出そうとした。だが、鳴海は逆にアスカの母親を押し倒して部屋の中に入った。
「アスカの部屋はどこだ?」
「そっちだ!」
 僕はアスカの部屋を教えつつ鳴海の後を追った。
 鳴海が部屋のドアの前で足を止めた。そして、ドアを力いっぱい激しく開けた。
 部屋の奥にいたアスカがカーペットにへたり込みながら、僕らを指差して嗤っている。その光景を見た僕は背筋が凍った。僕はアスカに人間の狂気を見てしまった。
「りょうちゃん、まなちゃん、こんにちわぁ~」
 アスカは幼児のようなしゃべり方をして、手を伸ばしながら床に平伏すように頭を下げて、勢いよく髪の毛を振り乱しながら頭を上げたあとに壊れた嗤いを発した。
 この場にアスカの母親が目から涙をぼろぼろと落としながら、取り乱したようすで現われた
「今日の朝からずっとこうで、お父さんは明日にはやっと帰って来れるって言ってたけど、私どうしたらいいかわからなくて」
 そう言ってアスカの母親は床にへたり込んだ。
 僕はアスカに駆け寄って、肩を思いっきり掴み揺さぶった。
「アスカ、どうしたんだ!?」
 アスカは僕と目を合わせようとしない。いや、違う僕のことなんてお構いなしで頭を揺らしながら天上を仰いでいた。
 そして、アスカは僕の瞳を愛くるしい瞳で見つめ、突然僕を押し倒して身体を覆い被せ、僕の唇と自分の唇を重ね合わせて舌を口にねじ込んで来た。
 僕は突然のことに驚き、アスカの身体を突き飛ばした。
 アスカは僕のことを哀しそうな眼で見た。
「りょうちゃんはアスカのこと、きらいなの?」
 そう言って、アスカはどこからか取り出したカッターナイフで自分の手首を切った。
 その光景を見たアスカの母親は叫び、僕は言葉を失った。
 この場で唯一冷静でいたのは鳴海愛だった。
「大丈夫だ、人間は普通に手首を切ったくらいじゃ死ねない」
 鳴海は続けてアスカの母親に向かって言った。
「警察と病院に連絡します」
 鳴海はアスカの母親の返事を聞かずにすぐに自分のケータイを取り出し、警察と病院に迅速に電話をかけた。
 そして、呆然としている僕を邪魔だと言わんばかりに押し退けて、アスカの腕の怪我の応急手当をしようとしたのだが、アスカは鳴海の身体を思いっきり押し倒した。
 鳴海が予想だにしなかった攻撃を受けて床に尻もちを付いた隙を狙ってアスカは開いていた窓から身を乗り出し、大声を出して嗤いながら、空に羽ばたいた――。
 羽ばたく寸前、アスカは僕のことをちらっと見て哀しそうな笑みを浮かべていた。
 時間が止まり、僕の耳から音が消えた。
 衝撃のあまり声すら出せなかった、現実かどうかすら認識できない、幻の中で起きたことのようだ。
 鳴海はすぐに窓の外を見下げて、厳しい表情をするとこうはっきり言った。
「助かる見込みは〝絶対にない〟」
 その言葉は僕の耳には届かなかった。

 ――数分後、ものすごいサイレンの音を立てながら警察と救急隊員が駆けつけて、事故現場は立ち入り禁止となり、事故と関わった僕ら三人は警察の取り調べを受けた。
 僕とアスカの母親は何かを話せる状態じゃなかった。だから鳴海が警察と話をして、僕はただ頷いているだけだった。そのため、ちゃんとした取り調べは後日改めて行われることとなった。
 しばらくして僕の母親が僕の身柄を引き取りに来た。鳴海の両親は二人とも海外にいて、彼女は一人暮らしをしているために引き取りに来る人がいないらしい。
 僕は母親に付き添われながら、幻の中を歩いているようだった。
 でも、マンションを出た途端に僕は現実の世界に還った。そして、母親の静止を振り切って無我夢中で走り出した。
 とにかく、全てから逃げたかった。
 恐ろしいことが起きた。
 周りに建物がどんどん後ろに流れて行き、自分がどこにいるのかもわからない。
 アスカは自分の前で死んだというのに僕は何もできなくて……。
 ただ、見てることしかできなくて、悔しくて、哀しくて、どうしようもなくて……僕は大切なものを失った。
 胸が苦しくて、吐き気がする。嗚咽が止まらない。
 頭がクラクラして、薔薇の香が風に乗ってやって来た。
 辺りには誰もいない。そして、あいつはまた僕の目の前に現れた。
 僕の気持ちがそうさせているのかもしれないけど、ファントム・ローズの〝仮面〟は哀しそうな顔をしているように見える。
 ファントム・ローズの声は静かに言った。
「過ぎたことならばいつでも考えることができる。しかし、人間は未来を生きる者だ。未来は過ぎてしまっては未来ではない、今考えるべき未来のことを考えたまえ。そうしなくてはまた過去に悩ませれる」
 今の僕には何かを考える気力なんて少しもない。過ぎ去った過去のことに押し潰されそうだ。
 これから僕に何をしろっていうんだ。自分が無力なことを思い知らされた。僕には何もできない。
 ファントム・ローズの言った次の言葉に僕は自分の耳を疑った。
「還って来れるかはわからないが、椎名アスカはまだ生きていると思われる」
「アスカが生きてる!? 莫迦言うなアスカは僕の目の前で飛び降りたんだ!!」
「真実を知りたいのなら自分で調べるといい。自分の真実は自分にしか見つけられない、それは最終的に判断を下すのは自分自信だからだ」
 そう言ったファントム・ローズの身体がその形を維持したまま全て薔薇の花びらに入れ替わり、上空に渦を巻きながら飛翔して行った。
 ものすごい薔薇の香が辺りに立ち込めた。
 僕は少し落ち着きを取り戻し、そして、改めて決意した。事件の謎と真実は僕の目で見極めると。
 なぜだかわからないけど、ファントム・ローズの言うと通りアスカが生きているような気がする。そう願いたいだけかもしれないけど、少しでも希望があるならそれにすがりたい。
 このまま家に帰るべきか迷った。けれど、これ以上両親に心配させるのもよくないと思った。
 学校を無断で欠席して、結果的にあんなことになってしまった。明日から僕も先生に目を付けられてしまうだろう。
 明日学校に行くべきだろうか?
 学校に行って鳴海に会わなきゃいけない。彼女なら僕の力になってくれるに違いない。そういえば、彼女のケータイ番号聞いてなかった、失敗したな。
 ゆっくり、歩きながら僕は事件を一から整理してみたけど、結局どれも確証がない。
 そもそも消えた生徒たちは全員無関係で自発的に姿を消したのかもしれないし、全部ただの偶然だったのかもしれない。
 でも、僕にはそうとは考えられない。〝消えた人たち〟・〈クラブ・ダブルB〉・〈ミラーズ〉、そして、ファントム・ローズ。全ては繋がっていると僕は思う。そう考えてしまうのが普通だと思う。
 そんなことを考えていたら、知ってる道に辿り着いた。家はもうすぐだ。
 自宅の前には母親が立っていた。母親は心配が張り裂けてしまったような顔をして、僕を出迎えた。
 両親は僕に何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。
 家族に会話はなかった。無言で夕食を取り、誰もしゃべろうとはしなかった。そして、時間だけが過ぎていった。
 夜の深さが増し僕はベッドに入り、目を閉じた――。
 暗闇が僕の心と身体を蝕んで行くような感じに囚われながら、僕は深い闇の中へ堕ちて行った……。


ファントム・ローズ専用掲示板【別窓】
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