第2話_真昼の決闘!
 ボロイ借家を叩きつける雨風。それだけで、この木造平屋建ての大きく揺れ、今にも壊れてしまうのではないかと思われた。
「母ちゃん、母ちゃん」
 まん丸で緋色の瞳を持つ幼児が、内職仕事をする母の袖口を引っ張った。
「母ちゃん、近所のまーくんが新しいオモチャ買ってもらったんだって。ぼくもオモチャ欲しいよぉ」
「うちにはそんなお金ないのわかってるでしょ!」
 母に怒鳴られションボリとする幼児だが、それでも畳を見つめながら母に頼んだ。
「超合金ニャンダバーZ買ってよぉ」
「うちは代々貧乏で、そんなオモチャを買うお金はないの。お父さんは過労で緊急入院するし、お祖父様のボケは年々ひどくなるし。こないだだって借金が返せなくて、怖いおじさんたちに酷いことをされて、夜に鬼ごっことかくれんぼしたばかりでしょ?」
 借金が返せず、毎日のように続く取立て屋の脅迫と暴力。つい先日も夜逃げしたばかりで、その辛さは幼心にはとても恐ろしく、全ては貧乏のためなのもわかっていた。
 それでも幼児は幼さゆえか、貧乏の裏返しか、母にいつものように物を強請るのだった。
「母ちゃん、ニャンダバーZ買ってよぉ」
「そんなに欲しいのなら、外で材料拾ってきて自分で作りなさい!」
「……わかった(母ちゃんのばか)」
 外で降る雨は天井を雨漏りさせ、天井ばかりか幼児の瞳と心まで濡らした。
 いじける幼児が部屋の片隅に移動しようとすると、襖越しに奥の部屋から老人の声が聞こえた。
「真知子さん、ご飯まだかのぉ?」
 それは幼児の祖父の声だった。
「さっき食べたばかりでしょ(最近はあれしか言わないんだから)」
 母はため息を付きながら、玩具をカプセルにつめる内職を続けていた。
 ちゃぶ台の上にばら撒かれた小さなプラスチック人形の山。あんなに近くにオモチャがありながら、幼児はそれで遊ぶことを許されなかった。たったひとつでもくすねたら、母にこっ酷く叱られる。
 幼児はちゃぶ台の上のオモチャを見ないようにして、祖父が横になっている部屋の襖をゆっくりと開けた。
 祖父は数日前の夜逃げの疲れからか、それ以来寝たきりだ。
 薄暗い部屋にそっと幼児が忍び込むと、年老いた祖父はゆっくりと眼を開けて、幼児に顔を向けた。
「雅人か、こっちにおいで」
 その名は幼児の父親の名前だ。それでも幼児はいつものことなので気にせず、祖父の枕元に歩み寄った。
 祖父は枯れ木のような手を伸ばす。
 昔は冒険家で世界各地を飛び回っていたらしい祖父。枯れ木の手からは、そんな片鱗はまったく感じられない。
「祖父ちゃん、またあの話してよ」
 幼児は強請ると、祖父は満面の笑みを浮かべた。
「うちの遠いご先祖様はヨーロッパの領主をしておってな」
「うんうん」
 幼児は眼を輝かせながら祖父の話に聞き入っている。遊び道具もなく、友達といえる友達もいない幼児にとって、祖父が聞かせてくれる話が楽しみの一つなのだ。
「王都から遠く離れた場所の領主だったが、それでも鉄鉱が採掘できる鉱山のおかげで裕福な暮らしをしとったそうじゃ」
「そこはいいからマオーの話してよ」
「そうそう、ご先祖様は鋼の魔王と呼ばれておってな。魔術などにも長けていたらしい」
「強かったんでしょ?」
「だからご先祖様は数々の冒険をし、いつしか世界征服をしようと考えたのじゃ。じゃがな、世界征服はそう簡単にできるもんじゃない。ヨーロッパを追われ、中東を追われ、インド中国とご先祖様は代を重ねながら旅をしたそうじゃよ。世界征服の意思は親から子へと受け継がれ、わしもその意思を継いで世界征服をしようとした。だからお前にもわしの意思を継いで欲しいのじゃ」
 だが、幼児の父――雅人はその意思に叛き平凡な会社員になろうとした。
 しかし、歴代の先祖が夢を追うために積み重ねた借金は、平凡な暮らしを蝕んだのだ。安定した職に付くことができず、借金取りに終われる日々。
 その生活は今も変わっていない。
 祖父が先祖の話を続けようとすると、内職に精を出していた母が部屋に飛び込んできた。
「またそんなホラ話して、子供に変なこと吹き込まないでください!」
 幼児は母の笑った顔を一度も見たことがなかった。

 誰かに怒鳴られたような気がして、ヒイロは緋色の瞳を見開いてベッドから飛び起きた。
 鼻を突く消毒薬の臭い。
 辺りを見回して、そこが保健室だということがすぐにわかった。
「頭いてぇ(たしか白い物体が頭に当たって、気絶したような)」
 頭を押さえながらヒイロは、覚醒しきってない頭で壁に掛けてあった時計を見る。
 長針と短針はともに十二時を通り越していた。
「しまった、もう昼休みだ!(こんなところで寝てる場合じゃない)」
 ベッドのスプリングを利用して華麗なるジャンプをしようとしたのだが――。
 ゴキッ!
「うっ(足ひねった)」
 ヒイロは片足を引きずりながら裏庭に向かった。
 裏庭にはニワトリが二羽飼われている飼育小屋や、校長が趣味で育てている花壇などがある。
 そこには、まだ華那汰の姿はなかった。
 前方から選手入場!
 頭に鉄鍋を被り、手には鍋蓋とおたまを装備したファイターが姿を見せた。――華那汰だった。
「な、なんだあの格好?(この学校で流行ってるのか?)」
 頭にクエスチョンマークがぶっ飛ぶヒイロの前に立ちはだかる華那汰。
「さあ、どこからでも掛かってきなさい!」
「はあ?(なに言ってんだこいつ?)」
「伝説の兜と伝説の盾、そして伝説のロッドを装備したあたしに勝てる者はいない!(伝説のフライパンじゃないが残念だけど)」
 へっぽこ装備をした華那汰はヤル気満々だった。裏庭に呼び出された華那汰は、相手がケンカのために呼び出したのだと妄想しているのだ。
「ちょっと待て、俺様はお前と戦う気なんてないぞ」
「じゃあ、どうして裏庭に呼び出したわけ?」
「話すからちょっとこっちに来い」
 不穏な動きでなにかを飛び越える動作をしたヒイロを確認した次の瞬間、膝カックンされたみたいに華那汰がバランスを崩した。
「なにっ!?」
 ズボッ!
 なにが起こったのわからぬまま、華那汰の身体は地中に落ちていた。落とし穴にはめられたのだ。
 穴に落ちて逃げ場のない華那汰を、太陽を背に勝ち誇った表情のヒイロが見下ろす。
「はーははははっ、掛かったな凡人!」
「なんなのこの穴!?」
「落とし穴に決まってるだろ」
 落とし穴に落ちるなんて経験、人生に一度あるかないかの貴重な体験だ。落とし穴なんかを掘るのも人生に一度あるかないかだろう。
 いつから準備していたのか、穴は三メートル以上の深さで、水平ジャンプじゃとてもじゃないけど登れない。――普通の人なら。
 スコップ片手に準備万端のヒイロがさっそく脅迫をはじめた。
「さて、俺様の言うことを聞いてもらおうか」
「聞かなかったら?(乙女にあたしにあ~んなことやこ~んなことをするんじゃ!)」
 不安な眼差しで上を見る華那汰にヒイロはニヤリと笑って返した。これは悪いことを考えてる顔だ。
「俺様の言うことを聞かなかったら、土を被せて生き埋めにしてやる!」
「な~んだ、てっきりあたしはドジョウやカエルを流し込まれるんだと思っちゃった(焦って損した)」
 穴の中で華那汰は一回屈伸すると、次の瞬間、華那汰の身体はヒイロの頭上よりも高い位置をジャンプしていた。パンツ丸見えだ!
 逆光で眼が眩むヒイロに白と水色のストライプが襲い掛かる!
 ゴン!
 華那汰が被っていた鉄鍋でヒイロの頭を殴打した。本日三回目の脳天クラッシュだ!
 だが、ヒイロは耐えた。二回目までは失神してしまったが、今度は気を失わずに耐えたのだ。
 ヒイロはよろめきながら地面に膝を付き、そのまま手も付きおでこも付き、土下座した。
「すまん、俺様が悪かった、許してくれ!(謝るが勝ち、祖父ちゃんの教えだ)」
 いきなり土下座され、華那汰は困惑してしまった。こんな情けなくて、必死こいてる男にこれ以上は手を出せない。そこら辺は華那汰のポリシーに反する。弱いものいじめするべからず。
「まっ、許してあげてもいいけど、なんであたしのこと襲ったのか教えて(転校生に因縁つけられる覚えな……もしかしてあれ?)」
 華那汰の顔に冷や汗たらり。見ず知らずの人にいきなり因縁つけられる覚えがあるようだ。
「俺様の目的は大魔王ハルカの妹を探し出すことだ」
「あーっ……(やっぱし)」
「ところでお前、大魔王ハルカの妹だろ?」
「違う」
 きっぱり、あっさり、さっぱり、即答だった。
「そんなハズない。だってお前の名前、加護華那汰だろ?(こんな名前滅多にいないぞ)」
「あたしの名前は山田花子(しまった、とっさに思いついた名前がこれだった)」
「顔を引きつってるぞ、嘘ついてるだろ(もっとマシな名前思いつかなかったのかよ)」
「わかった、わかったから、一〇〇〇歩譲ってあたしが加護華那汰だと仮定するでしょ。でもね、聞いて、大魔王ハルカって猫じゃん!」
「だから?」
「猫の妹が人間なわけないじゃん!」
「そうか!(今まで気づかなかった、盲点だ!)」
 盲点なのか?
 すっかり華那汰ペースで形成逆転、ヒイロは華那汰の話を鵜呑みしてしまった。
 あと一球ストライクを打てば華那汰の勝利だ。
「ねっ、ねっ、猫と人間が姉妹なわけないでしょ?」
「それもそうだけど(なんか引っかかる)」
「それにあたしに姉がいたのは認めるけど、姉はあたしが中学生のときに行方不明になってそのままなの。だから、誰がなんと言おうと、あんな猫あたしの姉じゃないからね!」
 ある日、異世界から突然やってきた大魔王ハルカは、恐ろしい魔法の力を使い、自衛隊や米軍とあーでもないこーでもないと戦いを繰り広げ、あっという間に日本国の主権をぶん取ってしまったのだ。と云われている。
 次に大魔王ハルカは向かってる来る敵をコテンパンにしたり、悪質な脅しをしたりなんかしちゃったりしつつ、在日米軍を強制里帰りさせちゃって、関東周辺を巨大結界で覆ってしまったのだった。と云われている。
 そして、異世界の力の影響なのか、各地で特殊能力に覚醒る者たちが現れたのだ。その者たちはニュータイプと呼ばれ、超人的な運動能力を得てしまった華那汰もそのひとりだった。
 華那汰の力押しの説得に納得したのか、ヒイロは深くうなずいた。
「わかった、お前が大魔王ハルカの妹じゃないことを今のところ信じよう(なんか腑に落ちないが)」
「ありがとう、これであたしに用ないでしょ。サヨナラ、サヨナラ♪(さっさと逃げなきゃ)」
 猛ダッシュしようと振り上げた華那汰の手が強く捕まれた。
「ちょっと待て」
「なぁに? あたしはもう用ないんだけどー(変な電波出てる人たちと関わるとロクなことないの、うちの姉とか!)」
 ギコチナイ笑みで振り返る華那汰の顔を覗き込むヒイロは真剣そのものだった。真剣な表情をしているとヒイロはなかなかカッコイイ。土下座してるときはカッコ悪い。
「まだ話がある。俺様の子分にならないか?」
「はっ?(子分ってなに?)」
「俺様の夢は世界征服をすることだ。世界征服の暁にはお前を俺様の一番目の妻にしてやってもいいぞ!」
 一番目ってことは二番三番がいるのか!?
 日本国は一夫多妻制じゃないぞ!
 世界征服したら法律なんてどーでもいいけど。
 真剣な顔をしたヒイロとは対照的に、華那汰の眼差しは生暖かく、痛い人を見る目つきだった。
「世界征服だなんて、ばっかじゃないの(あーやだ、こんなの関わりたくない)」
 もう十分関わってしまっている。
「俺様に向かってバカとはなんだ、近い未来地球の王になる男だぞ!(クソーこうなったら俺様の超必殺技を見せてやる!)」
「世界征服なんて子供の夢じゃあるまいし、無理に決まってるじゃん」
「大魔王ハルカだって世界征服を狙ってるんだろ。現にあいつは日本征服をしただろ。人にできることは俺様にもできる!(じっちゃんの名にかけて!)」
「大魔王ハルカは、すっごい力持ってるからできるんで、あんたなんかできるの?(態度だけであんま強そうに見えないけど)」
 待ってましたとヒイロが笑う。
 一日に三回も脳天クラッシュを喰らう、あんま強そうじゃないヒイロだが、そんな彼にぴったりの超能力を持っていたのだ。
 ヒイロが手に力を込めてカンフーみたいな構えをした。それを見た華那汰の感想は。
「な……なんて隙だらけなの!(普通に立ってもこんな隙できないのに、ある意味天才)」

 つづく


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