第8話_飽食街
 ミサ邸から平凡な我が家に帰ってきた華那汰は、玄関で靴を脱ぎ捨てると、二階にある自分の部屋まで駆け上がろうとした。けれど、一歩上がった足は一歩下げられ、そのまま茶の間の前まで歩いてしまった。
 開いた襖から華那汰が顔を覗かせると、そこにはなんとさっき会ったばかりのカーシャが寛いでいるではないか!?
「また会ったな華(ふふ……私のほうが一足早かったようだな)」
 どういう原理が働いたのか知らないが、とにかくカーシャのほうが早く家に着いたのだ。
 まるで自分の家の茶の間のように、テレビを独占し、台所で勝手に淹れてきたお茶を飲み、隠してあったお茶菓子まで食べている。
 そんなカーシャの横では、黒猫が脚を崩して丸くなっている。
 黒猫の耳はピクピクと揺れ、持ち上げられた黒猫の視線が華那汰を見つめた。
「お帰り華那汰」
 黒猫が女の子の声でしゃべった。超高性能ペットロボでも、中に小さな小人さんが入っているのでもない。黒猫自身が人語を発生したのだ。
「お姉ちゃんただいま」
 華那汰は黒猫に向かってそういった。そう、この黒猫こそが世間では大魔王と呼ばれている華那汰の姉――ハルカだった。
 姿かたちはどこからどう見ようと普通の猫と変わらない。人語をしゃべらなければ誰も気づかないだろう。
 ハルカは鼻をクンクンして台所から漂ってくる匂いを感じ取ると、カーシャに向かって尋ねる。
「今日もうちで食べてくんですかぁ?」
「夕飯はシチューらしいぞ(この家庭のシチューは牛の代わりに鳥が入っている……ふふ)」
 もう用はないと、華那汰は考えごとをしながら自分の部屋に戻ろうとした。
「(なんであたしよりうちの夕飯に詳しいわけ)」
 そんなことを考えて背を向けたときだった。
「受け取れ華」
「えっ?」
 振り返ると、カーシャの手から紐の伸びた物体が投げられた。それは蒼白く淡い光を放ちながら残像を残し、華那汰の手の中に受け止められた。
「これって、月詠先輩の?」
「うむ、うっかり持ってきてしまった。明日学校に行ったときにでも返しておいてくれ」
「自分で返せばいいじゃないですか」
「しばらく自宅に帰れんのでな(帰ったとしてもミサには会えん)」
 壱百萬円を踏み倒すために、カーシャはミサのもとからとんずらして来たのだ。
 再び自分の部屋に華那汰は戻ろうとしたが、また後ろを振り向いてカーシャに尋ねた。
「カーシャさん、ガイアストーンの話を聞かせてもらったじゃないですか?」
「うむ」
「ガイアストーンってどこにあるんですか?」
「お前が今手にもっておろう(ふふ……冗談)」
「そうじゃなくって、もっと大きくてみんなに影響を与えちゃうような」
「正確な位置は知らんが、検討なら付いておる」
「どこですか?」
 華那汰が尋ねると、カーシャは人差し指を立てて見せた。
「これでどうだ?」
「指一本……缶ジュース一本ですか?(違うか)」
「壱百萬だ」
「払えるわけないじゃないですか!」
「わかっている(言ってみただけだ)。だがな、払えぬなら教えてやらん」
「もういいです、さよなら(ひとんちに半居候してんだから、そのくらい教えてくれてもいいじゃん)」
 怒った華那汰は階段を駆け上り、自分の部屋に飛び込もうとドアノブに手を開けた。
 鈴の音が鳴る。
 階段を駆け上ってくる鈴の音。それは音もさせず近づいてくる黒猫のハルカだった。
「ちょっと待ってよぉ、華那汰!」
「ん、なに?」
「ハルカ知ってるよ。たぶんだけどガイアストーンの場所」
「マジで?」
「たぶんね。こないだハルカが遠くまで散歩してて変な街に迷い込んじゃったんだけど、そこにあるような気がするよ」
 数日前のこと、散歩の途中でハルカが迷い込んでしまった不思議な街。本物の猫であれば行動範囲が決まっているので、そんな場所に迷い込むこともなかっただろう。しかし、ハルカは元人間だ。
 好奇心旺盛なハルカは散歩のたびにいろいろば場所を見て回る。
 高校に席を置いたままになってはいるが、猫のままでは通うこともできず、大魔王ハルカと自分の関係も必要以上にバレないようにそれなりに気を使っている。
 猫のままではできることも少なく、時間をもてあましてしまうことも多い。そのため、自然と趣味が散歩になった。
 首輪を付けて、どこにでもいそうな飼い猫として散歩に出る。
 その日は人の多いビル街まで足を運ばせた。
 雑踏を抜け、人の寄り付かないような細い裏路地を抜け、ハルカはなにかに導かれるように進んでいった。
 立ち入り禁止の立て札と結界が貼ってあったが、結界が貼り忘れてあった隙間を通ってハルカは中に入った。
 廃墟と化した街。
 放置されてまだ間もないビル郡の間に、ハルカは人影を見た。それはそこに住む者たちだった。
 スラム街と化したこの地域に住む者たちは、ビルの中に勝手に住み込み、その日暮しをしている者が多い。
 ハルカは狭い路地で遊んでいる子供たちの姿を見た。
 ひとりの子供が階段を上るように空を飛んだ。その横では動物や昆虫の形をしたシャボン玉を口から吐き出す子供がいた。
 遥か頭上では、ビルの側面をトカゲのように這って歩く人がいた。
 そう、ここはニュータイプたちが棲む街なのだ。
 ハルカはこの先に、大きな力を感じながらこの場をあとにしたのだった。
「あとでカーシャさんに聞いた話なんだけど、その場所ってハルカの名前を使って立ち入り禁止にした区域なんだって」
 ハルカの名前を使ってとは、つまり現在のこの国の主権を握っている最高責任者の名において、立ち入りを禁止した特別区域ということになる。
「でもでもお姉ちゃん、ガイアストーンを見たわけじゃないんでしょ?」
「うん、見てないよ。でもね、あるような気がするよ」
「そっか、教えてくれてありがとね♪(お姉ちゃんがあるような気がするんだから、あるのかな?)」
 ガイアストーンのありかの手がかりを掴んだ華那汰だが、これをヒイロに教えるかどうかは、今晩一晩かけてじっくりと考えることになるのだった。

 スズメの合唱団はどこかに消え、商店やデパートが店を開けはじめる頃。
「遅刻遅刻ぅ~っ!」
 今日は休日だと言うのに爆走する少女――華那汰。
 なんだかんだで、今日は駅前で待ち合わせ。まさかデートか!?
 待ち合わせの場所で男が華那汰に向かって手を振っている。
「遅いぞ、時は金なりって言葉知らないのかよ」
 待ち合わせの場所にいたのはヒイロだった。まさか、ヒイロとデートか!?
 だが、ヒイロの後ろからひょこっと影が顔を出した。
「一〇分の遅刻ね、うふふ」
 今日も外出時はサングラスのミサだった。
 ミサの姿は全身黒ずくめのロングスカートで、手には黒い手袋までしている。影が濃すぎて逆に人々の目を引いてしまう。夜でもきっと影が濃すぎて目立つような気がする。街灯やビル明かり、夜空の明かりに照らされた町のほうがよっぽど影が薄い。
 もっと近くを往来している人々の目を引いているのはヒイロだった。
 休日だというのに、今日もあの白い学ランなのだ。
 これにツッコミを入れるのは礼儀だろう。礼儀というか、華那汰はツッコミを入れたくて、身体がうずうずしていた。
「覇道くん私服は?(なんで、今日もこの格好なの???)」
「これが俺様の戦闘服だ!」
 なんだかよくわかんなけど、そーゆーことらしい。つまり、制服に袖を通した瞬間から、その職業に気持ちを切り替えるのと同じような、同じじゃないような感じだろう。
 ジップ付きのパーカとミニスカを合わせた、可もなく不可もない普通の格好をして華那汰が浮いている。
 この三人が集まったのは、もちろん遊びに行くのではなく、ガイアストーン捜索のためだ。
 昨日、学校で華那汰がヒイロにガイアストーンの情報を話したところ、さっそく休日の今日に捜索をすることに決まったのだ。ちなみにミサはジュース一本で華那汰に雇われた。
 戦闘を切って歩いているのは、情報を持ってきた華那汰ではなくミサだった。
「華ちゃん、帝国令第三号立ち入り禁止区域でいいのよね?(あの場所に行くのなら、重装備で来ればよかったかもしれないわ)」
「はい、そうです。ちゃんとお姉ちゃんに聞いてきましたから♪(実はお姉ちゃん方向音痴だけど)」
 遠足気分の華那汰とは裏腹に、ミサはなにか不安を覚えていた。
「うわっ!?」
 ヒイロが声をあげ、すってんころりん。コケた。
「いてててっ、なんでこんなところにバナナの皮があるんだよ(俺様が子供の頃はバナナなんて誕生日と正月しか食えなかったんだぞ)」
 ヒイロがズッコケたことによって、すでにミサの不安は的中なのか?
 三人が向かっている帝国令第三号立ち入り禁止区域は、通称〈飽食街〉と呼ばれている。その名の由来は飲食街が並んでいるから、なんて生易しいものではない。
 裏路地を抜け、ビルとビルの合間にできた細い道を通り抜けると、そこには立ち入り禁止の札と結界用のロープが張られていた。
 ハルカに教えられたとおり、少し奥まった場所にある破れたフェンスから〈飽食街〉の中に入った。
 フェンスを潜るときから外に吹き出る異質な空気を感じたが、中に入るとそれがいっそう濃くなる。
 中に入るとミサはすぐに辺りを見回して声を潜めた。
「なるべく人に会わないようにいたしましょう、でないと――」
 三人に群がるように人が集まってきた。それは小さな子供たちであった。いつの間にか三人は子供に取り囲まれていたのだ。
 物欲しそうに華那汰の服を引っ張る少年。なにを言うでもなく、目だけでなにかを訴えている。
「月詠先輩、どうしま……えっ!?(センパイ!?)」
 華那汰が振り向くと、華那汰以上にミサは子供たちに取り囲まれていた。その一方でヒイロのところには、ひとっ子ひとりいない。
「なんで俺様のところには来ないんだよ(子供には好かれるほうなんだぞ)」
 答えは簡単だった。
 ミサが一番でヒイロが最下位のことな~んだ?
 飴玉をポケットから取り出したミサは、それを遠くの方へと放り投げた。
 ヨーイドンでもしたかのように、子供たちが一斉に飴玉にたかるように走っていく。
「二人とも早く逃げるわよ!」
 ミサが子供から逃げるように走り出し、ヒイロと華那汰がそのあとを追った。
 走りながらヒイロが尋ねる。
「なんで俺様のとこには来なかったんだよ?」
「私が飴玉を持っていたからよ」
「なるほどな、食べ物をいくらでも欲しがるから〈飽食街〉なのか!(俺様って天才)」
 だが、華那汰はどうやら腑に落ちないようだ。不思議そうな顔をしてミサを覗き込んでいる。
「(あたし食べ物持ってなかったけど)」
 そう、実は食べ物を持っているかいないかなど関係ないのだ。〈飽食街〉の〝飽食〟とは本物を食物を示しているのではなく、比喩なのだ。
 華那汰に顔を覗かれ、ミサは妖しく笑った。
「ヒイロくんさすがね」
「だろだろ、俺様ってスゲエだろ」
「(ヒイロくんが納得すればいいのよ。本当は、彼らは貧富の差を見分ける能力を本能的に持っているからなのだけれど)」
 この秘密はミサの心のそっとしまわれたのだった。
 奥へと進むにつつれて、〈飽食街〉を包む不思議な空気は濃さを増し、時折り人影も見えた。
 社会と隔離された地域に住む人々だが、その格好はそこらの街にいる人々と変わらない。中には外よりも豪勢な身なりをした者もいる。
 高級ブランド物の時計やバッグを持ち、身体中を宝石類で着飾る人々。そんな人々が多く出入りしている店があった。
 昼間だというのにネオンが喧しく騒ぎ、元はパチンコ店だったらしい店を改装したカジノ。
 顔を見合わせるヒイロと華那汰を他所に、ミサはその店へと平然として入っていくではないか!?
「ちょちょちょ、ミサ先輩待てよ!」
 ミサの肩に手をかけてヒイロは止めたが、ミサはその手を軽く振り払った。
「この街のことだったら、この街の首領に会うのが一番なのだけれど、やめる?」
 サングラスの奥の瞳がヒイロを見据えている。その瞳に見つめられたら、ノーとはいえない。そんな魔力のこもった瞳だった。
 見つめられたヒイロがイエスと言ってしまいそうになったとき、見つめられてない華那汰がノーと言った。
「こんなところ子供が入っちゃいけないんじゃないですか?(たしかパチンコ店は十八歳未満お断りだっけ?)」
「いいのよ、無許可のお店なのだから(私たちが賭博行為をしなければ関係ないわ)」
 スタスタと店の中に入っていくミサ。
 店の前にはタキシード姿の男が二人立っていたが、ミサのことには目もくれなかった。他の場所では立ち入りをストップされるだろうが、この街ではそんなことなどどうでもいいのだろう。まるでゲーセン感覚だ。
 ミサのあとに華那汰が続き、最後にヒイロが店内に入ろうとしたとき、タキシードの男たちが微かに動いた。
「うわっ離せ!(なんで俺様だけ!?)」
 ヒイロは見事に男たちに捕まった。きっとヒイロの醸し出していたオーラが原因だったに違いない。隠しても隠し切れない貧乏オーラ。
 男たちに捕らえられ、足を空中でバタつかせるヒイロを華那汰はシカトして、代わりにミサが救いの手を差し伸べた。
「その人、私の連れなの。離してくださる?」
 男たちは機械的にサッとヒイロを開放した。きっとミサの醸し出しているオーラがわかるのだ。隠して隠し切れない金持ちオーラ。
 金持ちには絶対服従。わかりやすい社会のルールだ。

 つづく


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