第5話_曇りのち雨の予感
 ナメクジ騒動の翌日、何事もなかったように学校再開。
 なんだか前よりも学校全体がピッカピカになっているような気がする。
 華那汰はイスの座り心地の違和感を覚えていた。
「(イスが変わったような気が……あれ、机の傷もなくなってる?)」
 まさかの全取っ替えに華那汰は気づいてしまった。
「(まさか月詠先輩の差し金……学校にそんなお金あるわけないもんね)」
 しかも取り替えられたのは机やイスだけではなかった。
 教室に入ってきた明星の姿。
「おはようございます」
 挨拶をしながら教壇の前に立ち、こう言い放ったのだ。
「はじめまして、新任の明星ヒカルです」
 一部の生徒がポカーンとした。
 事情を知らない生徒たちにとっては、『はじめまして』と言われても、こいつボケてるんじゃないかと思われたのだ。
 しかも明星はその理由を見事スルーした。
「それでみなさんの顔と名前を覚えたいので、ひとりずつ名前を呼んで出席を取ります」
 さらに見事なリピート!
 本格的にボケてるんじゃないかと生徒に動揺が走った。
 ツッコミを入れて良いものなのかどーなのか、生徒たちが迷っている間にも出席が取られていく。
 そして、ここでもリピートが起きてしまった。
 順調に進んでいた出席確認だったが、ある名前のところで止まってしまったのだ。
「覇道ヒイロ君は欠席ですか?」
 クラスを見回す明星だったが、そう、覇道ヒイロがいない!
 きのうだったらここでヒイロが包帯グルグル巻きで駆け込んできたのだが、今日はそんなこと起きずに過ぎてしまった。
「覇道君は欠席ですね」
 サラッと明星は出席名簿に欠席マークをつけた。
 華那汰は隣の席を見つめていた。
「(きのうもあれからいなくなっちゃったけど、どうしたんだろ?)」
 華那汰がヒイロの姿を最後に見たのは教室だ。そのあとの事件のことを華那汰は知らなかった。
「(いなければいないで気になるなぁ)」
 車にひかれても登校してくるヒイロだ。そんなヒイロが学校に来ないとなれば、気になるといったら気になるが……。
 ぼーっとする華那汰の名前をだれかが呼んでいる。
 ハッとした華那汰は自分の名前を呼んでいるのが明星だということに気づいた。
「はい!(あれ……出席ならさっき回ってきたけど?)」
「大丈夫ですか、ぼうっとしている様子でしたが?」
「はい……なんでもありません」
「そうですか。ところで今の話を聞いていましたか?」
「なにをですか?」
「覇道ヒイロ君がなぜ欠席なのか知りませんか?」
「えっ!?」
 まさか自分に振られるなんて思ってもみなかった。
「……なんであたしに?」
「皆さんが覇道君と仲がよいのはあなただと言うものですから尋ねたのですが?」
「えーーーッ!? あたしがなんであんなヤツのこと知ってるんですか、ただのクラスメートで、ちょっと席がとなりってだけじゃないですかッ!」
 猛反発。
 これが逆にクラスに変な空気をもたらした。
 ざわつくクラスメート。
 コソコソ話が辺りを飛び交った。
「やっぱりあいつ覇道のこと……」
 それは華那汰の耳にも届いていた。
「だれ今変なこと言ったの!」
 シーン。
 アウェイ状態だった。
 しかもこのタイミングでまさかのヒイロ入場。
 遅刻してきたヒイロがこの場の空気も知らずに、元気よく駆け込んできた。
「おう、みんなおはよー!」
 クラスがざわめいた。
 ヒイロと華那汰の今後に目が離せない!
 そんなクラスの目なんて知らないヒイロは、いつものように自分の席についた。が、ここでみんなの視線が自分の注目していることに気づいたようだ。
「どうしたんだよみんな? 俺様が貧乏だからってそんな蔑[サゲス]んだ眼で見るなよ!」
 ヒイロは横にいる華那汰にも顔を向けたのだが、こっちはかなり怖い形相でヒイロを睨んでいた。
 まったく心当たりのないヒイロはポカンとしている。
「なんだよ華まで?」
 相手の愛称で呼び捨てする仲!?
 クラスにその衝撃が走った。
 実際は特に意識するわけでもなく、前々からヒイロは華那汰を『華』と呼んだりしている。てゆか、名字で呼んだり、さん付けをしたことはない。
 顔を真っ赤にした華那汰が机を両手で叩いて立ち上がった。
「馴れ馴れしく呼ばないで!」
 思っているのは見て明らかだったが、ヒイロには理由がまったくわからなかった。
「はぁ?(なんだよこいついきなり怒りやがって)」
「ウザイからその顔もこっち向けないで!」
 華那汰は自分の机をヒイロの席からズズズズーっと引きずって離した。
 ヒイロの性格からして、こんなことされたら食ってかかるのだが、なぜかヒイロはショックを受けて涙目になってしまった。
 べつのヒイロの性格が発動したのだ。
「俺様が貧乏だからって、まるでバイキン扱いするんじゃねーよ、ばーかばーか!」
 そのままヒイロは教室を飛び出して行ってしまった。きっとトラウマかなんかがよみがえったのだろう。たとえば小学校のころ、イジメで自分の席が隔離されちゃったりする、ほろ苦い思ひ出なんかを。
 号泣しながら出て行ったヒイロの背中を見ながら、華那汰は苦しそうな表情をしていたが、周りが自分のことを見ていることに気づいて、ツンとした表情をして見せた。
「あー清々した!」
 わざとらしく言って華那汰は机に顔を埋めた。
 静まり返る教室。
 すすり泣く声がどこかから聞こえた。

 放課後になってもヒイロは帰ってこなかった。
 一人で机に座ったままの華那汰に友達が声をかけて、『いっしょに帰ろう』と誘ったが、華那汰は首を横に振って席を立ち上がった。
 廊下を独り歩き出した華那汰は、学校の奥へ奥へと進んでいた。
 蛍光灯が物悲しくチカチカと点滅している。
 静かにノックして華那汰はドアを開いた。
「月詠先輩いますか?」
「いるわよ……後ろに」
「ッ!?」
 振り返った目と鼻の先に見えた真っ黒なサングラス。華那汰はビックリして眼を丸くしたまま硬直してしまった。
「私になにか用?」
 それが暗示を解く呪文のように、華那汰の体が硬直の呪縛から解かれた。
「いえ、その……覇道くん来てませんよね?」
「ええ、私のところには来ていないわ。部室の中にもいないようよ」
「そうですか……(やっぱり、いないのか)」
「ところで華ちゃん?」
「……(どこ言っちゃったんだろ)」
「華ちゃん?」
「はい!?」
 うつむいていた華那汰は慌てて顔を上げた。
「大丈夫、華ちゃん?」
「はい、ぜんぜんへーきです。いつもどおり絶好調です。ところでなんですか?」
「鍵を開けたのは華ちゃん?」
「へ? いえ……開いてましたけど?」
「……そう」
 ミサはつぶやいた次の瞬間、華那汰の背筋に冷たいモノが走った。
 まさか!?
 いや、聞いてはいけない。
 世の中には聞かない方が身のためのことがいっぱいなのだ。
 が、ミサがボソッと。
「また彼らが中から開けたのね」
 いや~~~っ!
 それ以上言わないで~~~っ!
 華那汰は耳を塞いで早々に立ち去ろうと足を引いた。
「それじゃ、さようなら月詠先輩!」
 猛ダッシュ!
 が、ちょっとダッシュしたところで、華那汰の足をサワっと冷たいモノが触れた。
「きゃーーーっ!?」
 見事にパンチラしながら転倒した華那汰。今日は薄いピンクだ。
 思わぬ出来事というか、思ってたけど起きて欲しくなかった出来事で、華那汰は動揺して心臓バクバク。怖くて立ち上がれないし周りも見れない。
 後ろから近付いてくる足音。
 華那汰は廊下を這って逃げようとした。
 足音はどんどん近付いてくる。
 トカゲのような動きで華那汰は廊下を駆けた。この動きの方が怖い。
 カサカサ、カサカサ、一歩間違えるとGの動きにも見えなくもないような気が……。
 やがて足音が遠ざかり、聞こえなくなった。
 ほっと胸をなで下ろした華那汰は、立ち上がろうとして上を向いたのだが――。
「どうしました加護さん?」
 上から華那汰を見下ろしていた明星の姿!
「え!? いえっ、なんでもありません!」
 ビシッとバシッと華那汰は立ち上がり、制服をパンパンと叩いてホコリを落とした。顔は真っ赤で、滝汗状態だ。
 まさか変な移動方法をしているところで人に出くわすなんて、しかもクラス担任。しかもイケメン。
 普通フェイスに恥ずかしい姿を見られるよりも、イケメンに見られた方が恥ずかしい法則。べつに相手に気がなくても、そういう心理が働いてしまったりする。気がないと言っても、どこかに多少ばかりの気があるから、そういう気持ちが沸き起こってしまうわけだが。
 心配そうな顔つきで明星が尋ねる。
「大丈夫ですか?」
 床を這う女子生徒を姿見たら、ちょっと頭おかしいんじゃないかと思うのが普通だろう。えっ、明星が聞いてるのはそこじゃない?
「私の授業中や帰りのホームルームでも落ち込んでいる様子でしたが?」
「あ、そんな……落ち込んでるなんて……ちょっと風邪気味で……それで……」
「なにかあるなら相談に乗りますよ?」
 新任教師の点数稼ぎか!
 それともイケメンの点数稼ぎか!
 顔が良い上に優しい男なんて、ブサイクはどう立ち向かったらいいというのだッ!
 でも、華那汰はなびかなかった。
「大丈夫です、なにもありませんから。さよなら先生」
 早くその場から立ち去ろうとした華那汰の背中に投げかけられる言葉。
「覇道君のことですか?」
 ドキッとした。
 言葉が胸に突き刺さり、華那汰は足を止めてしまった。
 華那汰はなにも言わず立ちすくむ。
 そっち明星が近付いた。
「新任早々あんなことがあって私も驚いているんです。あれから覇道君が気になって少し探してみたのですが、学校にはいなかったようで。おうちにも電話をかけたのですが書類に書かれていた電話番号が間違っていたらしく違う家に掛かってしまって」
 本当に間違っていただけなのかちょっと勘ぐってしまう。わざと違う電話番号を書いて……。
 華那汰は悲しそうにうなずいた。
「そうですか」
「もしよかったら一緒に覇道君のおうちに行きませんか?」
「え?(覇道君の家……行けないよ。でも場所くらい知ってたほうがいいかも)」
「行きますか?」
「はい……でも、家の前まで」
「ではさっそく行きましょう」
 華那汰の『家の前まで』という言葉を追求せず、明星は優しく微笑んだ。
 その微笑み、ちょっとドキッとするくらい魅惑的な笑みだった。
 二人は学校を出てヒイロの家に向かう――もちろんあの赤いランボルギーニ・ディアボロで。
 車に乗ることにちょっとためらった華那汰だったが、こんなところで拒否っても逆に恥ずかしいだけだ。
 男と二人で乗るのも勇気がいるけど!
 付き合ってるならまだしも、相手は教師!
 そう、禁断の教師と生徒の……。
「(ないない)」
 助手席に乗りながら華那汰は首を横に振った。
 住宅街を疾走する高級スポーツカー。まったく景色にそぐわない。
 華那汰はちょっとドキドキしちゃっていた。
「(男の人の車の助手席に乗るなんて……。どうしよ、なんでこんなにあたし手汗かいてるんだろ)」
 こういうときは意識すればするほどツボにハマる。でも考えないようにすればするほど、結果として考えちゃってることになるので逆効果。
「(先生若そうだし……ダメそんなこと考えちゃ。デートみたいだよコレ。なに考えてるんだろ、だいじょぶ、だいじょぶ、先生は生徒に手なんて出したりしない!)」
 ひとりでテンパりすぎ。
 横を見ると明星は爽やかな顔をして運転をしていた。そんな横が顔ですら華那汰を精神的に攻撃してくる。
「(男の人が運転してる横顔とかちょっと……イイかも)」
 ついになびきはじめちゃった華那汰。
 でも、すぐに首を振って思いを掻き消した。
「(危ない危ない、空気に毒されるとこだった。冷静になってあたし。べつに先生のこと好きになる要素なんてないし)。あ、ちょっと窓開けていいですか?」
 頭を冷やす作戦だ。
「どうぞ」
「ありがとうざいます」
 窓を開けたのが、入ってきた空気はどよ~んとしていた。梅雨特有のジメジメな空気。湿度80パーセント越えしてそうだ。
 それでも外を見ていれば気が逸れそうなので、ぼーっと華那汰は景色を眺めていた。
 が、華那汰の眼に飛び込んできた人影!?
「先生前から人が!」
 脇道から人影が飛び出してきた。
「どこですか?」
 淡々と尋ねながら、なぜかアクセルは床が抜けるほど踏まれていた。
 華那汰のシートベルトがガクンとなって、加速するランボルギーニ・ディアボロ。
 包帯グルグル巻きの人影が『へ?』という表情をした。
 ドーン!
 はねたーッ!
 包帯が新体操のリボンみたいにシュルルーっとなりながら、人影が民家の庭へと飛んで消えた。
 顔を引きつらせる華那汰。
「今……ひきましたよね?(しかもなんだか見覚えがあるような)」
「なにをですか?」
「人ですよ人、人間ですよーっ!!」
 大声で訴える華那汰を不思議そうな顔で明星は見つめた。
「人間なんて轢いてませんが、気のせいではないですか?」
「そんな!(でも先生がそう言うなら……なんてわけないし。本当に気づいてない?)」
「夢でも見ていたのでは?」
「(夢……まさか心霊現象……ハッ……あの部室から連れてきちゃったとか!?)」
 だんだん華那汰はそんな気がしてきた。
 華那汰が見たのは包帯グルグルの人影だった。心霊にはピッタリの衣装だ。
 ニコやかに華那汰はうなずいた。
「うん、なにもなかったですよねー。あたしの勘違いみたいでした、あはは」
 現実逃避。
 こうして車は何事もなく住宅街を走り続けたのだった。

 つづく


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