第7話_それはあくまでキノコです
 虹色の空は美しいというよりも不気味だった。
 天の色がそうならば、地も同じような色をしていた。
 緋色の瞳を持つ幼児は、それがなんであるかわからなかったが、そのカラフルで毒々しいものに近付いてはならないと本能的に悟っていた。
 煮えたぎる酸と硫黄。
 岩肌に塩を吹き付けたようだが、その色は鮮やかな青や黄色。白く泡だった池の水はすべて酸だ。
 こんな場所にも生物がいた。
 まるでフジツボのような見た目。温水の吹き出る小さな間歇泉に群がっている。
 どこからか聞こえてくる甲高い鳴き声。
 幼児は空を見上げた。
 空を飛んでいたのは恐竜のような生物だった。
 こんな世界で幼児は怯えるどころか、目を輝かせていた。
「すげー!」
 幼児は探検気分でこの世界を歩き出した。
 2メートルも3メールもありそうな巨大なキノコ。
「腹空いたなぁ、食えるかなぁ」
 きっとお腹いっぱい食べても食べきらない。
「でも母ちゃんに知らないもんは食うなって言われてるしなぁ」
 ぐぅ~。
 お腹が鳴いた。
「腹空いたなぁ。キノコじゃなくて肉食いたいなぁ」
 すると向こうから肉がやって来た。でも、ちょっとデカイ。
 その怪獣はティラノサウルスに似ていた。
「すげー、うまそー」
 のんきに幼児が眺めていると、地響きを立てながら怪獣が駆け寄ってきた。
「でけー!」
 まだのんきにしていた幼児だったが、怪獣はドンドン近付いてくる。
 ギャォォォォォン!
 怪獣が咆えた。
「かっけー!」
 キラキラ目を輝かせる幼児はまったく動じない。
 幼児の頭にバケツを逆さにしたみたいなヨダレが落ちた。
 次の瞬間、怪獣は巨大な口を開けて幼児を丸呑みにしようとした。
 怪獣の息が幼児に吹き掛かった次の瞬間、赤い風が吹き抜けた。
 赤いマントをなびかせて、老人は幼い孫を抱きかかえていた。
「危ないとこじゃったなヒイロ」
「じっちゃん!?」
 幼児は驚かずにはいられなかった。
 なぜならいつも寝たきりの祖父がこんなにも元気そうにしている。
 それと、はじめて名前を呼ばれた気がしたからだ。
 ずっとこれまで祖父は父の名である雅人と幼児のことを呼んでいた。
 家族からもボケ老人として扱われ、ホラ吹きとまで言われていた祖父が、元気そうな姿をしてヒイロの名を呼んだのだ。
 怪獣は獲物を捕られ激怒した。
 激しく咆えながら祖父とヒイロに襲い掛かってきた。
 祖父は不敵な笑みを浮かべた。
「ヒイロ、しっかりわしに捕まっとるんじゃぞ!」
 生気に満ちあふれた祖父の顔。
 見た目は骨と皮の老人だというのに、覇気が尋常じゃない。
 さらに驚くべきことに、なんと祖父は飛んだのだ。
 ジャンプというレベルじゃない。
 まさに飛翔!
 赤いマントをなびかせながら、祖父とヒイロは遥か上空30メートル以上まで舞い上がった。
 祖父の体に力が漲る。
「行くぞヒイロ!」
 ヒイロがなにが『行く』のかわからなかった。
 でも次の瞬間にはそれは起きていた。
 急降下!
 怪獣の頭頂部目掛けて祖父の蹴りが炸裂する。
「雷神グキーック!」
 グギャゴッ!
 蹴りを喰らった怪獣の頭がガクンの曲がった。確実の折れちゃってる感じだ。
 体長10メートル以上の巨体を揺らし、轟音を立てながら怪獣が地面に沈んだ。
 無事に着地した祖父は胸に抱いたヒイロに笑いかけた。
 ビームが出るんじゃないかってほど目をキラキラに輝かせるヒイロ。
「すげーよじっちゃん!」
「伊達に若いころは大魔王を目指しておらんわ、ははははっ!」
「おれも大魔王になる!」
「おまえならなれる。おまえは特別だからな、ヒイロ」
 祖父の黒瞳はヒイロの緋の眼を見つめていた。
 緋色の瞳はなにを意味するのか?
 祖父はヒイロの頭をなでると、その体を肩に乗せた。
「そろそろ帰るぞ」
「やだよ、まだここで遊びたいよ」
「こんな場所に人間が長く居ちゃいかん。この世界は人間の住むようにはできておらんからな」
「え~っ!」
 だだをこねるヒイロに祖父は笑いかけた。
「強くなれ、強くなればこの世界でも十分やっていける。おまえが十分強くなったらまた来るといい。この世界はいつもおまえの隣にあるだろう。でも気をつけるんじゃぞ、力のないうちに迷い込めば命の保証はないぞ」
「じっちゃんといっしょなら怖くないぜ!」
「わしもいつもヒイロの傍にいられるわけじゃない。強く生きろ、なにがあろうと力強く生きるんじゃぞ」
「おう!」
 力強く返事をした孫に祖父は満足したようだ。輝く笑みを浮かべた。
「では帰るぞ」
「え~っ!」
 さっきは聞き分けが良かったのに、ダダをこねるヒイロに祖父は苦笑いを浮かべたのだった。

 ヒイロは頭をかいて辺りを見回した。
「おいおい、どこだよここ」
 不気味な景色。
 虹色に輝く空と大地。
 硫黄の臭いが鼻にツンとくる。
「くっせーなぁ」
 よくわからない場所に迷い込んでしまったヒイロは頭をまたかいた。
「(学校を飛び出してから……どうしたんだっけか?)」
 記憶が抜け落ちていた。
「(なんか見覚えあるんだよなぁ、夢かなんかで見たのか?)」
 辺りの景色を見ながら言った。
 間欠泉が噴き出し、ヒイロはそれにビビって腰を引く。
「なんだよ、ビビらせんなよ。ただの噴水かよ」
 声に出して自分を落ち着かせた。
 次に聞こえてきたのは甲高い鳴き声だった。
 またもやビビるヒイロ。
 空を見上げると鳥のような影が見えた。
「なんだよ鳥かよ(焼き鳥食いてー)」
 が、次の瞬間、ヒイロ目掛けて急降下してきたのは、鳥ではなくプテラノドンそっくりの怪獣だった。
 ギャース!
 怪獣はヤル気満々の声をあげてヒイロに喰らう付こうとする。
 ヒイロは猛ダッシュで逃げた。
「なんだよ、俺様なんか喰ってもうまくないぞ!」
 すぐ真後ろから歯を鳴らす音が聞こえてくる。
 それもなんだか一匹じゃなくて、どんどん仲間を呼んで増えてる気がする。
 振り向くこともできずヒイロは必死に逃げた。気配が背中にビシバシ刺さってくる。ちょっとでも気を抜いたら絶対に殺られる。
 足下は悪い。岩場が続いている。なのに相手は空を飛んでヒイロに襲い掛かってくる。
「うわっ!」
 ヒイロの足が岩に引っかかってしまった。
 転んだ拍子に手を付き、岩肌が刺さってしまった。
「いってー、マジいてぇよ」
 すぐに立ち上がって手のひらを返してみると、そこは血だらけになっていた。
「くっそ~、俺様の血が……もったいない!」
 しかしとっさに手を付いていなければ、今ごろ顔面血だらけになっていたところだ。絶対鼻とか歯とかボッキボキだ。
 ヒイロが転んだそのスキを怪獣が見逃すハズがなかった。
 上空から急降下してくる怪獣。開いた口はヒイロの頭を収穫しそうだ。
 だが、そのときだった!
 ギャォォォォォン!
 怪獣の咆吼。
 ヒイロを襲おうとしていた怪獣が一目散に空へ散っていく。
 この場に現れた新たな怪獣。
 ティラノサウルに似たその怪獣は地響きを立てながらヒイロに突進してくる。
「マジかよ?」
 マジだった。
 怪獣はヒイロを獲物として見ていた。
 ギラつく眼。巨大な口を鋭い歯。体長は10メートルを超えている。
 ヒイロは必死で逃げるが、相手の方が歩幅も大きく勝ち目はない。
 追い着かれるのは時間の問題。ヒイロは慌てて辺りを見回した。なにか使える物はないか?
「あれは?」
 ヒイロの眼に飛び込んできたのは巨大なキノコ。2、3メートルはありそうだ。
「あれに登れば!」
 果物狩りで身につけた木登りで、ヒイロはサルのようにキノコをよじ登った。
 登るのはカサの下までで精一杯だ。
 ぜんぜん高さが足りなかった!
 怪獣は余裕でヒイロに噛み付こうと首を伸ばした。
 おそらくカサの上まで登っていても低かっただろう。
 登り損!
 怪獣に噛み付かれる瞬間、ヒイロは地面に飛び降りた。
 ゴキッ。
 着地に失敗した。
 足首をひねったヒイロが身悶える。
「いって、マジいてー、ありえねーよ!」
 足は負傷したが噛み殺されずには済んだ。と言っても、攻撃を一回かわしただけだ。
 再び巨大な牙がヒイロの眼前まで!
 胞子が舞い落ちた。
 倒れる巨大キノコがなんと怪獣の頭に直撃した。
 バランスを崩した怪獣。
 今がチャンスとばかりヒイロは必死に逃げた。
 さきほど1度目の攻撃のとき、怪獣はヒイロに逃げられ誤ってキノコの茎に食らいついていたのだった。それが今になって倒れてきたのだ。
 振り返らずに走るヒイロだったが、その背中と足に揺れと轟音を感じた。
 恐ろ恐る振り返ると怪獣が倒れていた。それも白目を剥いて泡を吐いている。ついでに体まで痙攣させているではないか。
「まさか……毒キノコかっ!(食わなくて良かった)」
 一瞬でも食おうと考えてたのかヒイロ?
 ヒイロは慌てて服や髪を払った。
「マジやべー、胞子とか大丈夫かよ!」
 自分の肩を見たヒイロが顔面蒼白になった。
 そこにはエノキのようなひょろっとしたキノコが何本も生えていたのだ。
「繁殖力強すぎだろ!」
 急いですべて抜き捨てた。
 が、反対側の肩にもキノコがひょろっと。
「いい加減にしろよ!」
 そっちのキノコも全部抜いて、怒りを込めて地面に叩き捨てた。
 どうにか一段落。
 溜息を吐いて下を見た瞬間、ヒイロの眼に飛び込んできた巨大なキノコ。
 股間に生えとるーっ!
 肩のキノコに気を取られている間に育ってしまったマツタケサイズ。
 こうしている間にもキノコはグングン育っていく。
 バナーナ、バナーナ、バ、ナーナ!
 あまりの衝撃でヒイロはキノコを抜くこともできない。てゆか、なんか抜くのがためらわれる。
「うおーっ、どんどんデカくなってる!」
 ついにキノコはバットサイズにまで成長してしまった。
 しかもこのサイズに成長したキノコはなんだか胞子をまき散らしはじめた。
「また増える気か!」
 焦ったヒイロはついに股間からキノコを引き抜こうと握った。
 両手で握って力を込めるが――抜けない!
「俺様のち○こは一本でいいんだよ!」
 それはキノコだ。
「うぉぉぉりゃぁぁぁぁっ!」
 まるでトイレで唸っているような力んだ声。
 スポン!
 抜けたーっ!
 やっとキノコが股間から抜けた。
 どーにかこーにかひと息ついて休むもうとしたのだが、今度は手に生えとるーっ!
 慌てて手からキノコを引き抜き、ゼーハー肩で息を切りながら休もうとすると、股間から生えとるーっ!
 以下リピート。
 そんな感じで小一時間、ヒイロはキノコと格闘するハメになったのだった。
 ――生気を吸われたように瀕死のヒイロ。
「ゼーハーゼーハー(終わった……か?)」
 まだちょっと半信半疑だ。
 でもキノコが生えてくるようすはない。
 つまらないことで時間を潰してしまった。
 ここで改めてヒイロは状況把握しようとした。
「(学校から飛び出して……今に至る)」
 あいだが抜け過ぎだった。
「つーか(こんな景色見たことあるんだよなぁ)」
 思い出せない。
「思い出せ~思い出せ~思い出せ~」
 呪文のように唱えた。
 そのときのことを思い出せば、ここからの帰り方も思い出せるかも知れない。
「……いつ……どこで……だれ……と?」
 自問自答するヒイロが閃いた。
「そうだ、じっちゃんだ!」
 明るい表情をしたヒイロだったが、見る見るうちに不安が顔を染めた。
「待てよ(寝たきりのじっちゃんと来るわけないよな。でも記憶が……それとも夢だったのか……じいちゃんが恐竜を倒すなんてありえないよな)」
 あいまい過ぎる記憶。さらにそれが自分が知っている現実とかけ離れていたら、夢との区別がつかなくなってしまう。
 でも、今のヒイロにはほかの手がかりがなかった。
 記憶の糸をたぐり寄せる。
「(恐竜を倒してすぐに帰ろうってことになったんだよな)」
 ヒイロは歩き出した。
 散歩をすると脳の働きが良くなる……らしい。
「(帰るために俺様の力が必要だとかってことになって、でも結局俺様にはどうしようもなくて、なにか別の方法を探そうってじっちゃんと……)」
 ヒイロはハッとして顔を上げた。
 それは運命なのか、無作為に歩いていたハズなのに、目の前には見覚えのある洞穴。
「ここだ。あのときもここに来た」
 盛り上がった岩石に開いた穴は地下へと伸びている。
 その先にいったいなにがあるのか?
「思い出せねー!」
 ここまで来たら行くしかないだろう。
 ヒイロは意を決して洞穴に足を踏み入れた。
 薄暗くゴツゴツとした地面に足を取られそうになる。
 奥に進むにつれ、入り口からの光も届かなくなり、全身が暗闇に呑み込まれてしまう。
「(前が見えなくなってきた)」
 これ以上進むのは無理そうだ。
「(明かりがあればな)」
 引き返そうとヒイロがしたとき――ガサガサ、ガサガサ、壁を這う音が洞穴に響き渡った。
 そして、ポトっと落ちた。
「ぎゃぁぁぁぁっ!」
 ヒイロの背中に入ってきた謎の物体。
 ガサガサガサっと背中を這い回るなにか。
「うおっ、ひぎゃ、うぉぉぉぉぉっす!」
 パニック状態のヒイロは闇に向かって全力疾走。洞穴の奥へ奥へと進んでしまった。
 まさに闇雲を走り続け、やがて巨大な空洞に出た。
 そこが空洞だとわかったのは光があったからだ。
 気づけば背中の違和感も消えていた。
 ヒイロは空洞の中心に目を遣る。そこで何かが輝いている。
 洞穴は自然にできたように思えるが、この場所は人の手が加わっているらしい。
 空洞は綺麗なドーム状になっていたからだ。
 ヒイロは空洞の中心に近付く。
 光に眼が慣れてきた。
 そこにあったのは壺だった。取っ手の付いていないシンプルな丸い壺。色は白く輝き、それが部屋を明るくしているようだ。
 こんな場所になぜ壺があるのか?
 ヒイロは魅了されたように自然と壺に手を伸ばしていた。
 バチッ!
 壺の近くで手に電流が走った感覚がした。
 思わずヒイロは手を引っ込めたのだが、次の瞬間には手が吸い込まれていた。
「うぉぉぉっ!?」
 なにが起きたのかわからない。
 掃除機なんて比べものにならない吸引力。
 手が壺の中に吸い込まれる。
 しかも、壺の色が変わっているではないか!?
 白く輝いていた壺はいつの間にか黒くなっていた。明らかに壺に変化が起きた。その切っ掛けはわからないが、壺は今まさにヒイロを吸い込もうとしているのだ。
 壺の大きさはヒイロの頭より少し大きいくらいだ。壺の口もそれほど大きくない。それなのにヒイロは肩まですでに吸い込まれていた。
 このままでは丸ごと呑み込まれる!
「クソ、足が……浮く!」
 片足が浮いた刹那、瞬く間にヒイロが壺の中へ吸い込まれていく。
 頭を呑まれ、胴を呑まれ、最後に残った片足が呑まれた。
 静まり返る空洞。
 ヒイロの声が響いた。
「クソッ!」
 壺の内側からヒイロの手が伸び、縁をつかんだが――これが最後の抵抗だった。
 手も闇色の壺の中へ。

 つづく


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