第11話_ペットだワンダフル
 月の輝く晩に聞こえる獣の咆吼。
「わぉ~ん!」
 庭先で咆えていた白銀の仔狗に変化が起きる。
 見る見るうちに体が膨れ上がり、ヒトの形へと変貌していく。
 白銀の毛に包まれた肉付きのよい四肢。溢れそうな豊満な乳房。獣人アルドラがここに復活――。
「ううっ!」
 犬用の首輪が首を絞める。
 見る見るうちに美獣の姿が仔狗に戻ってく。
「わぅーん(うかつだったわ。せっかくヒト型に変身できるまで魔力が戻ったのに、憎き首輪が……首輪が……)」
 美獣は瞳をウルルンさせた。
「(ヒト型でいられるのはわずかだわ。その間にミサからペンダントを奪おうとしたのに)」
 ペンダントとはガイアストーンと同じマナの結晶体で魔力の塊。
「(こうしてアタクシがペットなんかに身を落として甘んじているのは、あのペンダントを奪
うため、あれさえあれば魔力が戻るはずだわ!)」
 魔力を失って仔狗になってしまった美獣は、あれさえ手に入れれば力を取り戻せると考えたのだ。
 が、その前に立ちふさがった問題。
「(この首輪ったら頑丈にできてるし、GPS機能のせいでどこに逃げても金に物を言わせて特殊部隊が追ってくるし。術をかけたカーシャをどうにかしなきゃいけないわね)」
 まずは首輪を外す、そのあとにペンダントを奪う、そして魔力を取り戻す。
 美獣は庭からこっそりと屋敷の中へ忍び込んだ。
 広大な庭や屋敷の見取り図は頭の中に入っている。さらにこの時間にどこで誰がなにをしているのか、それもだいたい記憶していた。
 近頃カーシャは先日発売されたばかりのテレビゲームで毎晩遊んでいる。
 100V型のワイドテレビの前でコントローラーをブンブンしながらカーシャが遊んでいる。横幅はカーシャの身長よりあり、縦幅もなかなかのテレビだが、ずいぶんと昔は映画のスクリーンでゲームをやっていた。でもぶっちゃけ画面が大きすぎるとやりにくいらしく、結局今の大きさで妥協している。
 コントローラーを振って敵をぶった斬る!
 カーシャのニヤニヤが止まらない。
 そんな部屋にこっそり侵入した美獣。
「(カーシャが死ねば術が解けるかもしれないわ。噛み殺してやる!)」
 カーシャはゲームに熱中して周りが見えていない。殺るなら今だ!
 床を全速力で駆けた美獣がカーシャの首目掛けて飛んだ。
 ゲームの敵を斬ろうとコントローラーを振り上げたカーシャ!
 ガン!!
 コントローラーを握ったカーシャの拳が美獣の顔面に会心の一撃!
 痛恨の一撃を受けた美獣がただっ広い部屋の壁までぶっ飛んだ。
 だが、そんなことになどカーシャはまったく気づいていないようだ。
「ふふっ、ザコめ」
 これはもちろん美獣にではなくゲームの敵へだ。
 だが、美獣はまるで自分が言われた言葉のように感じた。
 今まで募りに募った恨みが沸々と煮えたぎる。
 仔狗になってからというもの、そりゃもうカーシャに散々な目に遭わされてきたのだ。
 犬小屋に閉じ込められ(でも人間の家くらいの大きさがあった)、食事はいつも残飯(でも並のレストランよりぜんぜん美味かった)。
「(イヤな上司もしないし、良い生活させてもらってるわ……その女さえいなければ!)」
 美獣はミサや使用人たちには優しくしてもらっていた。が、そのでのんきにゲームなんかやっちゃってる女だけは違うのだ。
「(そこにいる女は鬼より鬼、悪魔より悪魔だ!)」
 思い出すのも恐ろしいカーシャの仕打ち。
 ヒマつぶしだと言って美獣の毛を一本ずつ抜くカーシャ。
 火の輪くぐりを美獣にやらせるカーシャ。
 発情期の雄犬の群れの中に美獣を投げ込んだカーシャ。
 的にした美獣に攻撃魔法を撃つ練習をするカーシャ。
 エサの中に下痢を起こす薬を混ぜたカーシャ。
 仔狗である美獣の乳首に洗濯バサミを挟んで遊ぶカーシャ。
 しっぽをつかんでブンブン美獣を振り回したカーシャ。
 ついでにそのまま美獣をバット代わりにホームランを打ったカーシャ。
 さらに打ったボールを美獣に取りに行かせたカーシャ。
 それをしないと首輪につけた爆弾を起爆させると美獣におどしをかけたカーシャ。
 動物虐待だ。
 ほかにも数え切れない嫌がらせを美獣は受けてきた。
 そして、これまで幾度となくカーシャに仕返しを仕様と挑んだ。
 が、全部失敗。
 ことごとくカーシャに返り討ちされ、美獣が仕掛ければ仕掛けるほど、カーシャの仕返しもグレードアップしていった。
 まだまだゲームに夢中なカーシャにこっそ~り近付く美獣。
「(今度こそ仕留めてやるわ!)」
 さっきはたまたまカーシャの運がよかっただけ。きっとそうに違いない。
 美獣がかわいい牙を剥いてカーシャに飛び掛かった。
 またしてもコントローラーを大きく振り上げたカーシャ!
 ゴン!
 顔面を強打された美獣が鼻血ブー。
 やっぱりカーシャは気づかない。
「(もういや……)」
 鼻血をとぽとぽ垂らしながら美獣はこの部屋をあとにすることにした。
 もうこんな屋敷にはいられない。
「(あんな女と一緒に暮らすなんてまっぴらごめんよ!)」
 美獣は逃げた。
 犬小屋と残飯の生活から逃げた。
 ちょっと後ろ髪引かれながら逃げた。
 何度目かの逃亡であった。
 広い広い庭を越え、仔狗になって元は獣人、塀を軽々と跳び越えて外の世界へ羽ばたいた。
 GPS機能付きの首輪だが、24時間体制で監視がついているわけではなく、ミサもしくはカーシャの命令で特殊部隊が動き出す。
 だいたいいつも美獣がいなくなったことに気づかれるのはエサの時間だ。深夜から朝のエサの時間まで、だいぶ時間があることから、この時間が勝負だ!
 GPSをいかに欺くか。
 つまり電波の届かないところに逃げる必要がある。それができたからと言って安心してはいけない。金に物を言わせてありとあらゆる手段を敵は取ってくる。
 まずは電波の届かないところに逃げる。その場所までのログは残されているため、次にその場所からひたすら離れる。離れるだけなら楽だが、途中で電波の圏内に入ってしまったらゼロからのスタートだ。
 と、ここまでは歴戦でクリア済みだ。
 問題は電波圏外を逃げ続け、最終的にどこに向かうか、それが最大の問題だった。
 一度でも圏内に出てしまえば、振り出しに戻ってしまうが、食料はどうするのか、この先の生活はどうするかなどを考えると、圏内に出ないでいるのは難しい。
「(せめて首輪が外せれば!)」
 GPSの包囲網からも解放され、さらに少しの間なら元の姿にも戻れる。
 首輪を外すためにはカーシャを倒す必要がある。
 でもカーシャを倒せないから尻尾を巻いて逃げる。
 しかし逃げるためにはGPSがあると不利。
 だから首輪を外すためにカーシャを倒す必要が……。
 堂堂巡だった。
「(アタクシひとりじゃ太刀打ちできない。だからと言って仲間もいないし)」
 とりあえずノープランで住宅街を疾走する美獣。
「(あんな失態を犯してしまってはデネブ・オカブ様もお怒りで帰るに帰れないわ。それ以前にデネブ・オカブ様とも連絡取れないわ)」
 前回のヒイロたちとの戦いに敗北した美獣。
 ガイアストーンを奪い、異世界とのゲートを拡張しようとしたのだが、ヒイロの活躍(?)によって野望は砕かれた。
 そんな失敗をしてしまっては仲間のところに帰るに帰れない。
 というか、仔狗なった美獣を助けに来てくれないところを見ると、見捨てられている可能性も大だ。
「わん(やっぱり帰ろう)」
 つぶやいて走るのを止めた。
 トボトボと歩き出した美獣の前方から酔っぱらいのオヤジがやってくる。
 足下はおぼつかず、右へ行ったり左へ行ったり、後ろへ下がったり、泥酔状態なのは見て明らかだ。
 しかし!
 オヤジは美獣の横を通り過ぎるとき、いきなりシャキッと背筋を伸ばしたのだ。
「その醜態はなんだ、アルドラよ」
 しゃがれた声。酒とタバコのやりすぎか?
 いや、違う。
 その声は元々だ。
 美獣はその声の持ち主を知っていた。
「まさか……デネブ・オカブ様!?(あれっ、声が……デネブ・オカブ様の魔力の影響?)」
 驚きの声を美獣があげた。
 深夜の住宅街の一角を靄が包み込み、歪んだように世界がゆらゆらと揺れる。
 体を痙攣させたオヤジの口から小さな老人の顔が姿を見せた。
「今まで連絡もせずになにをしておったのだ?」
「いえ……その……ちょっとしたトラブルが……(ぷぷっ、デネブ・オカブ様の頭にタコの足が乗ってるわ。きっとおでんだったのね……ぷぷぷっ)」
 必死に笑いを堪えながら美獣は反省の色を見せるフリをした。
 デネブ・オカブの鉤鼻[カギバナ]が美獣の顔にヌッと近付く。
「まさか我々を裏切る気ではあるまいな?」
「そんな滅相もありませんわ。この世界の情勢を調べたり(美味しい食べ物を食べたり)、目的の子供に悟られぬように調査をしていたり(というのも忘れて1日中昼寝したり)、とにかくアタクシは内々に事を進めていました(ということにしておこう)」
「ほう、それで成果は?」
「(せ、成果!?)そ、それは……特には……」
「馬鹿もん!!」
 怒号と共にタコの足が飛んだ。
 耳を折り曲げて美獣はブルブルと震えた。
「申しわけ御座いません!」
「失態を繰り返すような足手まといはわし自ら八つ裂きにしてくれる。猶予をくれてやる、それまでに成果が残せぬようなら……わかっておるな?」
「はい、心得ております。それで……その、猶予とはいかほど?」
「次にわしがこの世界に来られるのは、おそらくこの世界で30日は先になるだろう。長くとも二度の満月を拝むことはないだろう」
「わかりました、それまでに朗報をご用意してお待ちしておりますわ(と言っても今の体のままではなにもできないわ)」
 仔狗では本来の力を発揮できない。
 さらに首輪についたGPSのせいで自由な動きもできない。
 申し訳なさそうに美獣は上目遣いで訴える。
「あの……デネブ・カオブ様?」
「なんだ?」
「その……この首輪を取っていただけないでしょうか?」
「ん……首輪だと?」
 デネブ・カオブは眼前で首輪を確認した。
 そして見る見るうちに驚愕へと顔が変わるのだった。
「いったいなんだこれは……!?」
「居場所などを衛星から捕らえることができるGPSという物が組み込まれていて」
「そんなことはどうでもいい!」
「(ワタクシには死活問題なのに)」
「こんな魔法形態は見たことがない。それでもこれが凄まじい魔法技術によって封印されていることはわかる!」
 異世界からやって来たカーシャならではという代物ということだ。
 デネブ・カオブ怖い顔をして美獣に詰め寄った。
「これはどうしたのだ!」
「(本当もこと言ったらまた責められるわ)たまたま遭遇した〝黒猫〟の配下と交戦したときに、窮地に追いやられた敵がアタクシにこんな物を……そのせいで敵には逃げられてしまい……でもあと一歩と言うところまでは追い詰めたのですわよ!」
 大嘘をついた。
 どうにかその嘘でデネブ・カオブは納得してくれたようだ。
「ふむ、〝黒猫〟の配下……やはり謎が多い。今はまだこちらの体勢が整わんゆえ泳がしておるが、いつかは排除せねばならん」
「それで首輪のほうは外していただけるのでしょうか?」
「無理だ」
 キッパリ!
「デネブ・カオブ様それはちょっと……これを外していただかないと元の体にも戻れず任務の方にも支障を絶対にきたすのですが?」
「仮初の姿では無理だ。そうでなくてとも呪術形態を調べるのに時間が掛かるだろう。無理矢理壊すためには、わしよりも魔力を持った者でなくては無理かもしれん」
「そんなデネブ・カオブ様でも無理だなんて(いい加減で意地悪で遊んでばかりの女ではなかったのね)」
 傀儡師[カイライシ]としてカーシャは世界征服を目論み、日本の一部を制圧した大魔王を影から操っているだけのことはある。彼女自身も強大な力を持った実力者なのだ。
 美獣は迷っていた。
「(カーシャのことちゃんと報告した方がいいかしら。でもカーシャにペットとして飼われてるなんて知られたら、絶対に八つ裂きにされるわ!)」
 なので言わないことにした。
 デネブ・オカブが憑依していたオヤジの足下がぐらついた。
「もう時間がないようだ。〝黒猫〟と戦うためにも我々には〈アッピンの赤い本〉が必要なのだ。お前の使命は〈アッピンの赤い本〉の行方を探すことだ。あの子供が〈アッピンの赤い本〉を所有しておらんとしても、我々の計画を邪魔する者は生かしてはおけぬ。あの子供が目的の子なら捕らえよ、違うならば殺してしまえ!」
「御意!」
「ではゆ――」
 オヤジの首がガクッと折れ、そのまま足下から崩れ落ちた。
「ワンワン(ではゆ?)」
 どうやら言葉の途中で魔力が途切れてしまったらしい。
 ただの屍体となったオヤジはピクリとも動かない。
「(とにかくクソジジイも帰ってくれて、首の皮も一枚で繋がったわ。問題はこれからどうするか……って、狗のままじゃなんにもできないわよ!!)ワゥーン!!」
 デネブ・オカブがいなくなった途端、言葉もしゃべれなくなってしまった。
「(もうカーシャ側に寝返っちゃおうかしら)」
 本気で美獣はそう思った。
 頭に浮かぶの悠々自適な月詠家での豪華な生活――カーシャさえいなければ。
 そんなカーシャと和解してしまえば言うことなしだ。
「(とりあえず家に帰って寝て、美味しい朝食を食べてから今後のこと考えましょう)」
 とか考えてると、ズルズル本来の目的が先延ばしされそうだった。

 つづく


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