第16話_激震する咆吼
 曇天の空から大粒の雨が降ってきた。
 戦闘の爪痕に残されていた超巨大ナメクジ。その身体に大粒の雨は落ちた。
 やがて雨は土砂降りとなり、まるでバケツをひっくり返したような天気になった。
 超巨大ナメクジの干からびていた皮膚に、雨が呑み込まれるように吸い込まれていく。
 波打つ身体。
 体内を水が流動しながら満たしていく。
 黄泉返る。
 柔らかい身体が揺れ動きながら起き上がる。
 超巨大ナメクジが暴れ回る。
 Bファラオの制御を失い、超巨大ナメクジは目的なく住宅街を躍進しはじめたのだ。
 その知らせはヒイロたちにも届いた。
 干からびたBファラオを柩の中に閉じ込め、どこかに捨てようと話し合っているところだった。けれど超巨大ナメクジ復活の知らせを受けて、それも一時中止された。
 学校の会議室に残っているヒイロ、華那汰、ミサの3人。
 ミサは首を横に振ってうつむいた。
「同じ方法でナメクジの動きを封じるには雨が止むのを待つしかないわ」
 いつ止むとも知れない梅雨の長雨の間は吸水材が使えない。
 その間にも被害は拡大する。
 魔王軍の攻撃でも倒せない相手。
 捕獲するにも巨大すぎる。
 華那汰がこんな提案をする。
「変態包帯男に頼むっていうのは?」
 ヒイロとミサが無言のまま華那汰を見つめた。
 ちょっと戸惑う華那汰。
「あたしなんか変なこと言った?」
「いいえ、よい考えかもしれないわ」
 深くうなずいたミサはさっそく部屋に置きっぱなしになっていた柩に近付いた。
 開かれる柩の扉。
 華那汰は眼を背けた。
 干からびて骨と皮になったBファラオの姿。
 ヒイロは柩の中を覗き込んで、恐れもせずその干物を指先でツンツンした。
「(なんかメザシの干物みてーだな)死んでるヤツにどうやって頼むんだよ?」
 その言葉を見越したようにミサは妖しく微笑んだ。
「いいえ、さっき確かめたのだけれど、ちゃんと生きていたわ」
「ウソだろ!?」
「嘘だと思うのなら、口元の耳を近づけてごらんなさい」
「いきなり飛び上がって耳をガブりなんてことないだろうな……」
 ビビリのヒイロは恐ろ恐るBファラオの口元に耳を近づけてみた。
 すきま風のような音が聞こえる。
 ビックリしたヒイロは飛び上がった。
「うおっ! こいつなんかしゃべってやがる!!」
 言葉にならないかすれた音では、なにを言っているのかまではわからないが、たしかにBファラオは生きているようだった。
 ミサが嗤う。
「ふふふ、きっと覇道君に呪詛を吐いているのでしょうね」
「じゅそ?」
「そう、呪いの言葉よ」
 ミサの淡々として冷ややかな言葉に、ヒイロはゾクゾクっと背筋を振るわせた。
 しかし、生きていることがわかっても、こんな状態では頼み事なんて論外だ。
 華那汰は横目でチラッと干物を見た。
「とりあえず元に戻さないとダメですよね?(でもどうやるんだろ)」
「ええ、この状態ではナメクジを操ることもできないでしょう。現に私たちはナメクジに襲われていないですもの」
 そして、ミサはすぐに拘束具と水を用意させた。
 まずはBファラオが元に戻ったとき、逃げたり襲って来たりさせないために、手錠や足枷で身体を拘束しておく。さらに手錠などから鎖を伸ばして、別の場所にも固定した。
 次に水飲み場からバケツで運んできた水を、柩の中一杯にBファラオの躯[カラダ]が完全に浸るくらい流し込んだ。
 まだ変化はなにもない。
 眼に見えない程度に水が干からびた皮膚に、染みこんでいるかもしれないがわからない。
「なんにも起きねーぞ?」
 ヒイロにケチをつけられたミサだったが、なにも言葉を返さず淡々と作業を続けていた。
 枯れてかぎ爪のようになったBファラオの手を優しく握ったミサ。
「私の魔力をだいぶ分け与えることになるわ。しばらく私も動けなくなるかもしれないから、あとのことは頼んだわよ、覇道君と華ちゃん」
 ミサの髪の毛がふわりと風もないのに浮いた。おそらく魔力が起こした特殊な風。
 口元をきつく縛ったミサからBファラオに魔力が流れる。
 枯れたBファラオを復活させる魔力は膨大だった。
 ヒイロたちの眼からも、ミサの頬が少しやつれていくのが見て取れた。
 それと反対にBファラオの肉が膨れはじめる。
 柩を満たしていた水が急激に減っていく。
 カッとBファラオが眼を見開き、水しぶきを上げて飛び起きた。
「ぶはーっ!」
 同時にミサの体が倒れそうになったのをヒイロが抱きかかえた。
「ミサ先輩!」
 ヒイロの胸の中でミサは気を失っていた。
 上着の学ランを脱いだヒイロは、それを床に敷いてそこにミサを寝かせた。
 復活を遂げたBファラオ。その体は痩せ細り骨が浮き出て、体中に影を作っていた。完全復活とまではいかなかったらしい。
「この手錠と足のやつを……外して……もたいたいね」
 声はしゃがれ、生気が抜けているようだった。
 弱っているBファラオにヒイロがつかみかかった。
「でっけーナメクジが復活したんだ、どうにかしろよ!」
 いつも以上に無駄に強気だ。きっと相手が弱っているせいだろう。
「にゃは……どうにか……町を壊せ……ってことかな?」
「なんだと!」
「復活させて……もらったんだ……そのくらいのお礼は……するさ」
「ナメクジを片付けろって言ってんだよ!」
 ヒイロはBファラオの体を揺さぶった。今にも細い骨が折れてしまいそうだ。
 慌てて華那汰が止めに入る。
「覇道くん、かわいそうでしょ!」
「なにがかわいそうだよ。こいつにはみんなヒドイ目に遭わされたんだからな!」
「そうかもしれないけど……(弱い者イジメみたいで)」
「今だってたくさんの家が壊されて、みんな住む場所を失ってんだ」
 住む場所を失う。それはヒイロにとっては重い意味を持つ言葉だった。
 今回の件に関しては国や月詠グループから支援があるかもしれない。それでも住み慣れた家、思い出の詰まった家、それが為す術もなく壊される想い。
「覇道くん……」
 華那汰はつぶやいた。そして、それ以上止めようとしなかった。
 再びヒイロはBファラオに詰め寄った。
「早くナメクジを消せよ、お前ならできんだろ!」
「……ああ……できるさ……まずはこの拘束を解いてよ……話はそれからだ」
「ダメに決まってんだろ」
「それこそ……だめだよ……魔物を使役するには……準備が必要……だからね」
 拘束を解いた瞬間、Bファラオがなにをするかわからない。この弱っているようすだって演技かもしれない。ナメクジを操って報復されるかもしれない。
 ミサの考えどおり少なくとも今はナメクジを操ることはできないらしい。できるならとっくにヒイロたちを攻撃させているだろう。裏を読めばきりがなく、それすらも演技かもしれないが。
 リスクは冒せない。けれどこのままナメクジを野放しにはできない。
 ガラガラっと会議室のドアが開いた。
「ふふふっ、妾の出番のようだな!」
 扉を開けて入ってきたのはカーシャだった。
 驚くヒイロ。
「ナメクジに潰されて死んだんじゃねーのかよ!?」
「妾があの程度でくたばると思っとったのか。人類が絶滅しようと、ゴキブリが絶滅しようと、この惑星が消滅しようが妾は生き残る自信があるぞ!」
 すげー自信だ。
 華那汰が尋ねる。
「なにしに来たんですかカーシャさん?」
「超巨大ナメクジを妾がどうにかしてやろうと言っておるのだ!」
「ホントですか!?(この自信ありすぎなとこが怖いけど)」
「まあ、見ておれ。ズドーンと一発かましてやるわ!」
 そんなわけでBファラオとの交渉は一時中断して、カーシャの作戦を実行することになったのだった。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ~~~!!」
 空中でブラ~ンブラ~ンと揺れている豆粒みたいな人影。
 上空から吊り下げられていたヒイロだった。
 またヘリから吊されてしまったヒイロ。
 超巨大ナメクジを釣るために再びヒイロの捨て身が必要になったのだ。
 すでにBファラオの制御下にないのだから、ヒイロをエサに使える確証はなかったが、物は試しというわけで実験台にされた。
 それが功を奏して超巨大ナメクジはヒイロを追いかけはじめた。
 超巨大なナメクジを誘導する今度は近くにあった小学校の校庭近くまでだ。
 小学校の校庭ではカーシャが着々と準備を進めていた。
 特設テントから華那汰は外を見上げながらカーシャに尋ねる。
「これなんですか?」
「ふふふっ、超特大魔導砲だ。妾がいた世界で過去の大戦において使われた最強の兵器と言えよう」
 二人が見上げている場所には巨大な主砲があった。
 主砲の筒口の直径は約3メートル。筒の長さはその10倍はあった。
 この場に連れて来られていたBファラオはその兵器を見てあざ笑った。
「こんなものが動くはず……ないじゃないか(なにが魔導砲だ、こんな物を動かす動力源なんてないはず)」
 カーシャはあざ笑いを返した。
「たしかに誰でも使えるような代物ではないが、妾とあるモノの力を使えばそれが可能となる。そのため量産とまではいかないのが今後の課題だな」
 あるモノ?
 華那汰はすぐにそれを察した。だが、安易に口に出すことは避けた。
「(お姉ちゃんの力だ……それしかない!)あたしは反対です、危険が出るかもしれない!」
「ふふっ、兵器など危険が付きものだ。住宅街も巻き添えにするが、もうこれだけ壊れていれば、どれだけ壊れても同じ事だろう」
「あたしが言ってるのはそういうことではなくて!」
「わかっておる……本人は協力的だ」
 カーシャはすでに華那汰の言いたいことを察していた。
 それでも華那汰は認められなかった。
「協力的なんてウソ、絶対カーシャさんが強要したんでしょ!」
「妹のクセになにも知らんのだな」
「なにがですか!!」
「おまえなんぞ比べものにならないほど、ハルカは芯が強いぞ。そして、犠牲のなんたるかを知っている。たとえ記憶が薄れ逝こうと、魂に刻まれた想いは変わらない。ハルカは大切なものたちを守るために戦うのだ」
 カーシャは華那汰に背を向けて歩きはじめた。もう華那汰と話し合うことはない。
 時間がない。
 超巨大なナメクジはエサ(ヒイロ)で誘導されながら、小学校のすぐ近くまで来ている。
 カーシャは魔導砲のコックピットに搭乗した。
「待たせたなハルカ」
「ううん、ぼーっとしてた」
「……そうか」
 後部座席に座ったカーシャ。前の席には半球状のケースに入れられたハルカの姿があった。
 この魔導砲のエネルギー源はは華那汰が察していたとおりハルカ。
 カーシャはサブのエネルギー源と、すべてのエネルギーをコントロールする媒体となる。
 ハンドルを握ったカーシャの手からエネルギーが吸われる。
 前方のスクリーンに映し出された画面が拡大する。
 壊された住宅街がズームされ、超巨大ナメクジが大きく映し出された。
 自動照準システムが超巨大ナメクジを捉えた。
 エネルギーはすでに充填済みだ。
 カーシャが通信機に向かって叫ぶ。
「ヘリを離脱させろ!」
 画面に映し出されたエサを吊り下げたヘリが急速に現場を離れていく。
 超巨大ナメクジがエサを追おうと激しく体を回転させた。
 カーシャがハンドルを強く握り締める。
「行くぞハルカ!」
「うん!」
 魔導砲発射!!
 コックピットが激しく揺れ、主砲から光の柱が放たれた。
 世界を震わせる振動。
 この世界の魔力バンスが崩れ、大地と空が唸り声をあげた。
 大地を抉り住宅街を消し飛ばしながら超巨大ナメクジを光が呑み込もうとしていた。
 スクリーンは真っ白でなにも映らない。
 通信機に入るノイズ。
 特設本部からの通信もよく聞き取れない。
 なにやら叫んでいる。
「どうやらナメクジが倒されて喜んでおるようだ」
 笑みを浮かべたカーシャだったが、次の瞬間、驚愕を耳にする。
《発射された攻撃がロスト!》
「なにっ!?」
 本部から入った通信。
 スクリーンが晴れてくる。
 そこに映し出された超巨大ナメクジは無傷。
「そんな……莫迦な、機器の故障じゃないのか!!」
 カーシャは認められなかった。機器の故障ではないことはカーシャもわかっている。魔導砲が発射されたところまでは確認している。
 本部からの通信が聞こえる。
《それが……突然魔導の光が標的の前で跡形もなく消えたのです!》
「変態包帯男を通信に出せ、話がある!!」
 すぐにBファラオが通信を変わった。
《すごいこけおどしだったね……にゃはは!》
「貴様、なにをしたのだ!」
《ぼくが……とんでもない……ぼくはなにもしてないよ……ぼくが仕える神に誓ってもね》
「そんなはずがあるのか!(おのれ、もう一度発射するか……いや)」
 カーシャはハルカの様子を確認した。
 目に見えて弱っている。
 それにエネルギーの充填には時間がかかる。
 超巨大ナメクジはすぐそこ、今もこちらに向かって激進している。
 なにが起こったのかわからないまま、時間が過ぎていく。
 頭をめぐらせるカーシャあスクリーンを見て、ある異変に気づいた。
 空が動いている。
 雨を降らせていた曇天が生き物のように激しく動き、巨大な積乱雲を乱そうとしていた。自然の働きとは考えずらい。
「(魔力のバランスが崩れたせいか?)」
 それはわからない。
 しかし、なにかが起ころうとしているのは確か。
 突然、目が潰れそうになるほどの閃光がスクリーンに映った。
 大地を震え上がらせる稲妻が超巨大ナメクジに落ちた。
 いや、落とされたのはそれだけではなかった。
 この世界に悪魔が堕とされた。
 世界に轟く超巨大ナメクジの声。
「魔力が漲ってくるぞ!」
 しゃがれた老人のような声だった。
「わしをこの世界に呼び、我が力となった魔力をくれた人間どもに感謝をしよう」
 そして、その者は名乗ったのだ。
「我が名はデネブ・オカブ、此の世に災いをもたらす凶星!」
 あのカーシャの自信が最悪の結果をもたらした瞬間だった。

 つづく


大魔王ハルカ総合掲示板【別窓】
■ サイトトップ > ノベル > 大魔王遣いヒイロ! > 第16話_激震する咆吼 ▲ページトップ