第5話_きっとみんな変態なんです
 どーにかこーにか、意識朦朧のルーファスを引きずりながら、ハルカは戦闘地帯を逃げ出していた。
「どうしてアタシが変なことに巻き込まれなきゃイケナイの!」
「ごめん、全部僕のせいだ……僕が、僕が……うわぁ~ん」
 泣き出すルーファス。
 拳を握るハルカ。
「泣き止まないと殴るからね!」
「うわぁ~ん!」
 余計に泣いた。
「泣くな!」
 ルーファスを殴ろうとしたハルカの手がピタリと止まった。
 ――誰かに見られている。
 夜の静寂のような気配。その中に潜む闇の気配。そして、闇に浮かぶ星の気配。
 廊下の先に幼児を抱いたボンテージ姿の女が立っていた。
 泣き止んだルーファスの目を限界まで見開かれた。
「クロウリー学院長!」
「誰が? あの女の人?」
 羽を生やした女を指さすハルカの手を、グイグイとルーファスは動かして、抱かれている幼児の方に向けた。
「抱かれている方だよ」
「マジで、あのガキが!?」
 稲妻のごとく影が走り、鋭い爪がハルカの首に突きつけられた。
「我が君をガキ呼ばわりするなど言語道断、万死に値するぞ!」
 殺気立つ女を否めたのは抱かれていクロウリーだった。
「許してあげたまえエセルドレーダ」
「御意」
 しつけされた犬のように、エセルドレーダはすぐに身を引いた。クロウリーの命令は絶対なのだ。
 クラウス魔導学院、学院長アレイスター・クロウリー。学院長をいう職に就きながらも、生徒の前に姿を現すことは稀で、魔導研究や海外視察などで学院を空けていることが多い。その実力は世界でも五本の指に入ると云われるほどで、アステア王国では揺ぎなく一位の座を誇っていた。
 幼児にしては大人びた表情。絵師が渾身の筆で描いたような眉、彫刻家が魂を込めた鼻梁、誰をも魅了する瑞々しく紅い唇、深い黒瞳はこの世の全て見据えているようだ。
 が、口に加えたおしゃぶりがシュールで仕方ない。ハルカが装着している〝クチビル〟といい勝負だ。
 クロウリーは地面に足を付け、一歩一歩ハルカに近づいた。他を圧倒する威圧感が、具現化して風となり吹き荒れた。
「この世界の者ではないな?」
 言葉そのものに魔力がこもっている――魅言葉。
 ハルカは聴かれたことに頷いて返すことはできたが、声を発することはできなかった。そうさせない威圧感が、クロウリーからは放たれていた。
 目の前の威圧感で隠されてしまっているが、傍らのエセルドレーダも色香とともに威圧感を放っている。
 ハルカが少し視線をエセルドレーダに向けると、緋色の瞳が睨むようにハルカを見ていた。
 身体を小さくさせながら、ハルカは一歩下がって後ろを振り返った。
 ルーファスの姿がない!?
 あった!
 中庭の植え込みに身を潜めている。ハルカに見られていることに気づくと、ルーファスは頭をかいて笑いながら出てきた。
「こ、こんにちはクロウリー学院長先生(や、やっぱりこの人苦手だ)」
「ルーファス君、久しぶりだね。私の愛するローゼンクロイツとは仲良くしてくれているかね?」
「は、はい」
「そこの娘はルーファス君の連れかね?」
「は、はい」
 クロウリーの深い黒瞳に緋色が差し、その眼に五芒星が浮かんだ。
 命令を受けずともエセルドレーダは、どこからか古びた表紙の本を取り出し、それをクロウリーに手渡した。
 手に持たれた本は自動的に表紙を開き、風でも吹いたようにページがパラパラと捲られた。
 そして、とあるページで止まった。
 クロウリーは口元を艶っぽく歪ませ、ハルカを射抜くほどに見つめた。
「君の名は?」
「あ~っと、ハルカ」
「どの世界から来た?」
「それは……アースから?」
 クロウリーは自分の持っていた本のページをなぞる。そこは白紙でなにも書かれていなかったページだが、クロウリーが指でなぞった瞬間、記号が浮かび上がり輝きだした。
「イーマの月にアースから来たれり者、世界に――」
 続きは言わなかった。
 クロウリーは途中で言葉を止め、本を閉じてエセルドレーダに渡した。
「今の古い預言書だ。宇宙の真理に比べれば他愛もない戯言が羅列されている。真に戯言なれば興味はない。言葉は力を持って意味を成す。死とは復活だ。救世主とは善にも悪にもなる。わかるかね?」
 意味不明だった。クロウリーは電波に違いない。どっからか電波を受信しているに間違いない。きっと頭の可笑しな人なんだ!
 などと思っても、ハルカとルーファスは口には出さなかった。
 影のように寄り添うエセルドレーダをクロウリーは見上げ言う。
「知っているかね。悪魔界などの異界からきたものは申請書を出さなくてはならない。ここにいるエセルドレーダも悪魔であり申請書を役所に提出してある。だが、アースからきたとなれば認められないだろう。――アースからきた者は災いをもたらす」
 それが言葉の続きだった。
 ――イーマの月にアースから来たれり者、世界に災いをもたらすであろう。
 そうクロウリーの持つ預言書には書かれていたのだ。
 この伝承は古くからあるもので、ガイア聖教のみならず、他宗教でも多く云われていることだった。
 ふわっと宙に浮いたクロウリーは、同じ目線に立ったハルカの頬をそっと撫でた。
「アースからきたということが真実ならば処刑もありえる」
「マジで?」
 ハルカが驚いて視線を泳がすと、なぜかエセルドレーダに睨まれていた。なんか知らない内に嫌われたらしい。
 自然と足が後ろに動いてしまったハルカは、そのままルーファスの傍らに立ち、彼の魔法衣の袖をぎゅっと掴んだ。
 そんなハルカの姿を見てルーファスは萌えた。
 自発的に声を出せなかったルーファスは勇気一〇〇倍。
「ク、クラウス国王は聡明な方です。御伽噺を鵜呑みにして、ハルカを処刑になんてするはずがないですよ(声を出すために息をしただけで咳しそう)」
 妖しげにクロウリーが笑った。
「ルーファス君はクラウス国王とも古い付き合いだそうだね。若くして王になった者には敵が多い。その御伽噺を信じる保守的な宗教家も多く存在する。この国にいる大司教も異質なモノを嫌う保守派だと聞いたぞ」
 アステア王国で多く割合を占めている宗教はガイア聖教だ。ガイア聖教の保守派と進歩派の争いは、血を流すほどに激しく根深いものである。
 王都アステアにも多くの保守派がいる。
 その意味を理解したハルカは暴力的な恐怖を感じた。
「アタシはこの世界の敵かもしれない……だったらやってやろうじゃないのよ! だってアタシのこと大魔……うぐッ!」
 ルーファスはハルカの口を押さえた。大魔王の召喚を試みて失敗しなんて言えやしない。
「大丈夫、大丈夫、この国の王は進歩的だから平気だよ。ハルカがどんな子かってわかってもらえば、絶対そんなことないから」
 ルーファスは苦笑いで場を凌いだ。
 なにか想いクロウリーは呟く。
「たしかに……」
 クロウリーの指先が、自分でも気づかないうちに流れたハルカの涙を拭った。
「そのとおりだ。ルーファス君の言うとおり。現に悪魔であるエセルドレーダにもビザが発行され、職業につく権利も与えられている。悪魔とておぞましいものだけではない。美しい悪魔はいくらでもいる、ここにいるエセルドレーダのように」
 エセルドレーダは雇い主と秘書という関係よりも、絶対的な忠誠心によってクロウリーに仕えているように思える。
 ここでクロウリーがハルカにある提案を持ちかけた。
「私がこの子を匿おう。安全で不自由な暮らしを保障しよう」
 答えはハルカではなく、ルーファスが出した。
「いいえ、ハルカは私が責任を持ちます」
 ボランティアや援助活動や社会福祉など、社会への貢献も多くしているクロウリーだが、魔導に関しては黒い噂が多々ある。それに実際に会ってみればわかる。傍にいるだけでクロウリーの発する鬼気に当てられ、気分が悪くなって咽返りそうになる。
 魔導力が強すぎて、他者が影響を受けてしまうのだ。それは有害物質を大気に垂れ流しているのと、なんら変わりない。
 歩く公害だ!
 なんて思っても、本人を前にしては口が避けて言えないし言わない。
 ルーファスは一度うつむき、ゆっくりと顔を上げてクロウリーの眼を見つめ……ようとしたが、相手の眼力が強すぎて、眼は泳ぐし、舌がうまく回らない。
「実はハルカを召喚してしまったのは私でして、失敗から召喚してしまったわけでして、自分のせいだから自分で責任を取らなくてはいけないというか、私が責任を持って帰してあげると約束したから」
 自分でも言葉が整理できないルーファス。感情だけが先走り、言葉がうまく出せない。ハルカを自分の世界に帰してあげたい気持ちは本物だった。
 悔しそうに下を向いてしまったルーファスの耳元で、男とも女ともつかない声が突然した。
「なるほどねルーファス(ふにふに)。また魔導で失敗したんだね(ふっ)。しかも、前にも召喚術で悪魔に取り憑かれたことがあったよね(ふにふに)」
 驚いたルーファスが声を上げた。
「ローゼンクロイツ、なんでここに!?」
 この場にいた全員の視線が、空色ドレスを着た可愛らしい顔に注目された。
 日傘を差し直射日光を避けるその人物は、白色と空色を基調にしたふわりとしたドレスに身を包み、耳が隠れるくらいの空色をしたショートカットの襟足を指でクルクル弄んでいた。
 どこか中性的な顔立ちの不思議な魅力を持つ人物。それがルーファスの幼馴染のローゼンクロイツだった。
「ボクがなぜ、ここにいるか(ふにふに)。それは人間の真理の追究に他ならないよ(ふあふあ)」
 質問とは大きく的を外した――人はなぜ存在するのか。なんてことをローゼンクロイツが長々と語りだすのを前にルーファスが止めた。
「ごめん、私の質問が悪かった。今日も遅刻だね」
「うん、流れる雲と一緒に歩いていたら遅刻した(ふあふあ)」
「ウソでしょ?」
「そうだよ(ふあふあ)」
 一瞬だけ人を小ばかにしたような表情をしたローゼンクロイツ。その表情もすぐに無表情に戻る。無表情が標準表情なのだ。
 ハルカの率直な感想。
「(ネジ外れてると思ったけど、実は腹黒い?)」
 ローゼンクロイツの姿を確認したクロウリーは、横にいたルーファスを跳ね除けてローゼンクロイツに飛びついた。その顔は無邪気な子供だった。
「嗚呼、愛しの愛しのローゼンクロイツ。最近はなかなか私に顔を見せてくれないので心配していたよ」
 発言は子供っぽくなかった。
「理由は簡単だよ(ふにふに)。何度も言ってるケド、ボク、キミのことキライ(ふっ)」
 顔に一切感情を浮かべず、ローゼンクロイツはそう切り捨てた。
 だが、それを承知でクロウリーはローゼンクロイツの身体を強く抱きしめたまま、この上ない至極の笑みを浮かべている。
「いいのだよ、たとえ君がなんと言うおうと構わない。私が君を愛することには変わりないのだから、愛しているよぉぉぉっローゼンクロイツ!」
 食べてしまいたいくらい好き。そんな雰囲気をクロウリーは醸し出していた。
 そんな二人の姿を見るエセルドレーダの視線は、ローゼンクロイツに明らかな敵意を示していた。
「我が君、ローゼンクロイツ様とは、いつでもお会いになることができます(こんな偶然でなければ、アタシが絶対に近づけないのに)。それよりも今は騒ぎの収拾をしなくてなりません」
 騒ぎとは?
 どっかから響いてくる爆発音。どっかの誰かさんたちが、どっかでまだケンカをしていようだった。
「それは違うぞエセルドレーダ。ローゼンクロイツは私を避けているからね、偶然でもない限り逢えないのだよ。なあローゼンクロイツよ?」
 眼前でクロウリーに微笑を贈られ、背筋に蟲が走ったローゼンクロイツは彼の身体を投球した。
「キライ(ふっ)」
投げられたクロウリーは小さな身体を器用にひねって着地した。
「愛とは障壁があるほどに燃えるのだよ!」
 アブナイ人なクロウリーは再びローゼンクロイツに抱きつこうとした。
 が、ローゼンクロイツはバッチ付き手帳を突きつけて静止させた。
「勝つ裁判するよ(ふにふに)」
 ローゼンクロイツが提示したのは、アステア王国で発行される弁護士手帳だった。
「それ以上近づいたらセクハラで訴えるよ(ふにふに)」
 この発言にエセルドレーダが黙っていなかった。
「我が君を訴えるなど、アタクシが許さんぞ!」
「キミは公然わいせつ罪で訴えるよ(ふっ)」
 真昼間っからボンテージ姿のムチムチボディを露にするエセルドレーダ。
 ふとローゼンクロイツは上空を見上げた。
「加えて彼らは器物破損(ふあふあ)」
 上空では激化した戦いが繰り広げられている。カーシャとファウストだ。
 箒に乗り宙を飛ぶカーシャ、方や腕から漆黒の翼を生やし舞うファウスト。戦いは空中戦へと持ち越されていたのだ。
 クロウリーは自分の身体よりも大きい赤黒いマントを翻した。
「愛しいローゼンクロイツに怪我あってはいけぬ。ここは我が城、ここで起きた問題は私に解決する義務がある。騒ぎの鎮静には私は赴こう――覇ッ!」

 つづく


大魔王ハルカ総合掲示板【別窓】
■ サイトトップ > ノベル > 大魔王ハルカ(改) > 第5話_きっとみんな変態なんです ▲ページトップ