第6話_丸く治まってくれません
 柄の長い箒に跨りカーシャが飛空する。
「ファウスト負けを認めろ!(くそっ、あのときルーファスの邪魔が入れねば早々に決着がついたものを)」
「貴女が一〇〇〇ラウルを返せば全て丸く治まるのですよ。(空中戦に持ち込まれたのは不利だ。どうにか広い地上に)」
 腕輪から漆黒の翼を生やし、その力により空を飛ぶファウスト。その手の自由が利かずに、残った腕だけの戦いを強いられていた。今使っている魔導は場所から場所への移動用であり、戦闘向きの術ではなかったのだ。
 飛行速度に関してもカーシャの方が早かった。
 旋回しファウストの背後を取ったカーシャが仕掛ける。
「アイスニードル!」
 鋭く尖った氷柱がファウストの背後から心臓を射抜こうとする。
「甘いですよカーシャ、イージスの盾!」
 巨大な魔法盾が出現し氷の氷柱を跳ね返した。その後ろに隠れていたファウストがすぐに呪文を唱える。
「シャドーボルト!」
 魔法盾が消えてすぐに、後ろから暗黒の稲妻が空を横に奔る。
 的に向かいながらも変則的に折り曲がって進む稲妻に、カーシャは急旋回するも避けきれず自ら箒から飛び降りた。
 地面に落下するカーシャの元に箒がすぐさま追いつき、箒の柄にぶら下がったカーシャはそのままファウストに速攻を決める。
「喰らえファウスト!」
「それはこちらのセリフですよ!」
 二人が決着をつけようとしたとき、赤黒い羽根で覆われた六枚の翼を背中に生やした巨大な影が、地上から空中の二人めがけて飛翔してきた。
 至近距離で攻撃を仕掛ける寸前だったカーシャとファウスト。その間に割って入ったクロウリーが魔導力を開放した。
「覇ッ!」
 魔導力を帯びた爆風がカーシャとファウストの身体を大きく吹き飛ばした。
 生唾を喉で鳴らし呑み込んだ音が二ヵ所から聴こえた。
 今の自分たちとは魔導力に差がありすぎる。
 普段、汗など絶対にかかぬカーシャの握られた手に汗が滲む。
「邪魔をするなクロウリー!(息苦しいまでのプレッシャーだ。手に汗を握るなど何百年ぶりか……というのは言いすぎか、ふふっ)」
「邪魔はしない。しかし、これ以上の破壊はやめてもらいたい」
 地上を見下ろすクロウリーの視線の先では、煙が立ち巨大な穴が開いた魔導学院の建物が見えた。 「これ以上、我が君の城を侵すのでれば、アタクシが今すぐ貴女を殺すわ」
 背後に淫靡な女性の声と殺意を感じたカーシャはすぐさま振り返った。そこには、なんと翼を大きく広げ羽ばたくエセルドレーダの姿がった。
「いつの間に妾の背後に!?(……ふふ、忍者かこやつ)」
「我が君にばかり気を取られているからよ」
 なんて説明など聞かず、エセルドレーダの隙を突いてカーシャは動かずにいるファウストに速攻を決めた、
「(今なら勝負がつく!)ブリザード!」
 ちょっぴり卑怯だが、これがカーシャのやり方だ。
 だが、突如として放射されたブリザードとカーシャの前にクロウリーが立ちはだかる。
「覇ッ!」
 クロウリーが気合を入れただけで、ブリザードは一瞬にして蒸気になり消えてしまった。それでもめげずにカーシャは次の行動に移ろうとしたが、身体が動かない!
「なぜだ!」
 カーシャは見た。クロウリーの瞳が黒から緋色に変わり、その中に五芒星が浮かんでいるのを――。
「貴様、魔眼の使い手だったのか!」
「ご名答だカーシャ君」
 運命の子として生まれた者が授かるという魔眼。後天的に目覚める者もいれば、生まれたときから持つ者もいる。それは魔の象徴とされ、この瞳を持つものは強大な魔力を持つと云われている。
 魔眼に魅つめられ、身体が動かせないカーシャ。それでも無理やり動かし、どうにか片腕が動いた。けれど、そのためには魔眼に打ち勝つ膨大な魔導力と、鉛ようになった腕を動かすような物理的な力、それに刺すような痛みが全身を襲う。
「たかが魔眼ごときに妾の自由は奪えぬ(……威勢は張ってみたが、腕を少し動かすのが限界だ……ふふっ、笑えん)」
 必死に動こうとするカーシャを、冷笑で見守るクロウリーの妖しい口元が、小さく動かされて小声でなにかカーシャに話しかけた。
「さすがは古の支配者〈氷の魔女王〉。神の娘だけのことはある」
「なにっ!? なぜそれを知っている、ルーファスがバラしたのか!」
「ルーファス君とカーシャ君の関係も少しは見抜いている。私を甘く見ないでもらいたい」
「妾の素性を知るのなら、妾のことも甘く見るな若造が!」
 魔導力を解放しようとしたカーシャの髪が黒から白に変わる途中、それは起きた。
 木材が折れるような音が宙に木霊し、カーシャの顔が激しい苦痛に歪む。
「くっ!」
 魔法を唱えようとクロウリーに向けられていた腕が、背後から忍び寄っていたエセルドレーダによってへし折られたのだ。
「我が君に危害を加える者は許さないわよ(我が君が止めなければ殺せたのに)」
 エセルドレーダを魅つめるクロウリーの瞳が、カーシャ抹殺を寸前で止めていたのだ。
「すまないなカーシャ君。私の番犬はしつけがなっていなくて、すぐに人を傷つけてしまう。しかしだ、次に私に歯向かうようであれば、エセルドレーダではなく私が君を殺す」
「妾を殺すだと、下賎な人間風情が!」
「私を甘く見るなと言っただろう。神はまだ殺したことはないが、マスタードラゴンなら殺して喰らったことがある」
 長い時を生きたドラゴンの中でも、智慧と知識と力を持つものをマスタードラゴンと云い。そのマスタードラゴンをも凌ぎ、身体に精霊を宿したマスタードラゴンの中のマスタードラゴンを〈精霊龍〉と云う。その存在は半ば伝説と化し、この世界でもっとも神に近い存在とされている。
〈精霊龍〉には及ばないものの、マスタードラゴンを喰らうことは、人を遥かに超えている。
 他の者が云えば誰もが嘘というだろう。
「私の言葉を信じぬかね?」
「妾には興味のないことだ(まさかと思うが、ありえないことではないと思わせる力が、こやつの内からは感じられる。まだまだ内に力を隠しているな……逃げるが勝ち、ふふっ)」
 カーシャは重い腕を必死に上げ、クロウリーの後ろを指して叫んだ。
「ローゼンクロイツが裸踊りをしているぞ!」
「!?」
 そんな馬鹿なと誰も思うが、クロウリーは思わず後ろを振り返ってしまった。唯一の弱点がここかもしれない。ローゼンクロイツ溺愛病。
 魔眼の魅了から逃れたカーシャは箒を反転させ、一目散で空の彼方の星になった。
 空の様子を地上で見ていたローゼンクロイツが横を向き言う。
「ボクたちも早く逃げよう(ふにふに)。あいつが地上に降りてくるとイヤだ(ふぅ)」
 あいつとはもちろんクロウリーのことだ。
 ルーファスとハルカの背中を押してローゼンクロイツは先を急ぐ。上空ではクロウリーが叫んでいた。
「待っておくれ愛しのローゼンクロイツ」
「イヤだ(ふっ)」
 ローゼンクロイツは二人を校門の外へ押していた。もう、今日の授業スケジュールはグダグダだろう。
「さっき学校に来る途中にオープンしたばかりのカフェを見つけたんだ(ふあふあ)」
 学校サボる気満々。
 そんなこんなでハルカの魔導学院での一日が……。
「ちょ、待ってよ!」
 ハルカの待ったコールだぁっ!
「アタシを元の世界に帰してよ!」
 話を昨日まで巻き戻すと、たしか魔導学院に行こうと言い出したのはカーシャだった。
 クラウス魔導学院には優秀な人材も多く、ここにならばハルカを元の世界に返す手立てがあるかもしれない。
 けど、今日はもうムリっぽい。
 これからのこと、胸の奥でハルカは不安を覚えずにいられなかった。
 それを知ってか知らずか、ルーファスは優しい顔を向けた。
「私が絶対にハルカを帰してあげるから」
 真剣な顔になってつけ加える。
「約束するよ、絶対に」
「当たり前でしょ!」
 強がって見せるハルカ。
 この世界で頼れるのはルーファスだけ。頼りないところも多いが、今のハルカにはルーファスがとても頼もしく見えた。
 見詰め合うルーファスとハルカの間にローゼンクロイツが割って入る。
「ルーファス、キミの彼女かい?(ふあふあ)」
「ちゃちゃちゃ、違うよ! あ、あとでゆっくり話すか……ぐわっ!」
 石畳の隙間に足を取られてルーファス顔面からダイブ。
 その姿を見て、呆れたようにハルカが呟く。
「ダサッ」
 ハルカは元の世界に帰れそうもない。

 今日も平和な青空のもと、ルーファス宅の煙突から煙が上がっていた。いつもならルーファスがドジをしたからなのだが、今日は違った。
 寝室をハルカに譲った――どちらかというと取られたルーファスは、安物のソファの上で眠っていた。
 どこからか漂ってくる小麦の焼けたような香ばしい匂いが、ルーファスの鼻の中で遊ぶ。
「う、ううん?」
 寝ぼけまなこで眼を擦るルーファスは、ソファから身を乗り出し鼻先をクンクンと動かす。
 どうやら匂いの出所は普段は湯沸しでしか使わないキッチンからだ。
「やっと起きたのぉルーファス」
 膨れっ面でハルカがルーファスの前に現れた。その手の上にはお皿に乗せられたベーグル。チキンとレタスとタマゴが挿んである。
 ハルカの衣服はすでにこちら側のカジュアルな物を着こなしている。フリースにスカート姿で、ハルカのいた世界でも充分通用する服装だ。頭にはネコミミ型翻訳機が乗せられているが、クチビルは必要になるまで付けない。
 まだまだ眠いルーファスは足元にあった魔導書を蹴っ飛ばしながら、大きなあくびと背伸びをした。足元にある魔導書以外の場所は、綺麗さっぱり片付けられていた。全てハルカ一人で片付けてしまったのだ。
「おはよぉーハルクァー」
 ルーファスの声はあくびなんだが、言葉なんだかわからないような感じだ。
 頭をポリポリ掻いたルーファスは再びストンとソファに座り、床に落ちたリモコンを足で押してテレビをつけた。
《昨日……から……〈ライラの写本〉が……》
 ニュースなんかまったく耳に入らない様子で、ルーファスは頭をふらふらさせている。
「遅くまで調べ物してたら、なんか寝過ごしちゃったよ(あんな遅くまで魔導書と睨めっこするのはテスト前くらいだよ)」
「アタシのために?」
「まあね。ごめんね早く帰してあげれるように努力はするから。ごめんね、ごめんね、ごめんね!」
 ネガティブモード発動で、床に頭を叩きつける寸前のルーファスを、ハルカはあるものを差し出して止めた。
「ほら見てっ、美味しそうでしょ」
「美味しそうだね、ハルカ料理できるんだスゴイねー」
 ジュルと口を拭うルーファスを見てハルカが笑う。
「別に料理ってほどでもないけど、なんか褒められると……」
 モジモジしながらハルカは顔を赤らめていた。褒められると弱いらしい。
 しかし、ほとんど挿んだだけで料理とは言えない。
 それでもハルカは大満足。
「上手にできたでしょ。あんな綺麗なキッチンがあるんだもん、使わなきゃ損だよっ」
「あーそれは私が料理が苦手だからで、ごめんね料理すらできない駄目人間で!(デリバリーの方が僕の料理より断然美味しいさ、ふっ)」
「そんなことより、早く食べてみて、ねっ?」
「じゃあ、いただきまーす」
 ベーグルに伸ばす手が二本。一本の手がルーファスの手を引っぱたき、先にベーグルをひと噛みした。
「……マズイな」
 ベーグルを横取りしたのは、どっからか現れたカーシャだった。
 しかも、マズイと言われてハルカ素でショック。
 ほとんど挿んだけの料理で、どうやったらマズくなるのか、クリティカルなショックだった。
 無言でゴミ箱にベーグルを棄てに行くハルカ。なんてお構いなしで、カーシャは自分が尋ねてきた理由を、言いたくて仕方がなかった。
 ちなみにカーシャはルーファス宅に不法進入だが、誰もそこにはツッコミをいれない。
「今日はこれをハルカに渡すためにきてやったのだ(見て驚くがよい……なんてな、ふふっ)」
 カーシャ胸元からかマジックアイテムを取り出した。四次元ポケットかっ!
 それはなんとリップスティックだった。
 誰もまだ聞いてもいないのに、さっさとマジックアイテムの説明をはじめる。
「これはだな、口に塗るだけで共通語がしゃべれるようになるという、画期的なアイテムだ」
 スゴイ画期的だ!
 あのマヌケなクチビルを装着せずに済むのだ。
「そういうのがあるなら早く貸してよね」
 という、ハルカの言葉はカーシャには通じてない。
 しかし、このリップを塗ればなんと!
「これでいいの?」
「うむ、妾にも言葉が通じるようになったぞ」
 カーシャは深く頷いた。
 これでハルカは言語の壁という障害をクリアできた。なんてことを吹っ飛ばすくらいにルーファスが叫ぶ。
「ぐわーっ、教会に行かなきゃ!」
 その場で足踏みをするルーファス。おしっこが漏れちゃう寸前みたいな動きだ。ジタバタするなよっ♪
 慌てるルーファスをハルカのまん丸な瞳が覗き込む。
「教会?」
「そうだよ、ガイア曜日の今日は教会に行くのが慣わしなんだよ!」
「ガイア曜日?」
「一週間くらい知ってるでしょ。ガイア、ノーム、アンダイン、シルフ、エント、サラマンダー、ハリュク。世界の常識だろ!」
「アタシそんなの知らないもん」
「ごめん、そうだった」
 ガイア聖教の信者のみならず他宗教の信者の多くも、一般的に休日のガイアの日に教会に行くのが慣わしなのだ。
 慌てて出かける支度をはじめたルーファスにたいしてカーシャがボソッと。
「学校が休みなのだから、今日がガイアなのは当たり前だろう。お前みたいなタイプはヒッキーになると曜日がわからなくなるタイプだな」
「すでに夏休みとか引きこもりで悪かったよ!(就職できなかったら本当にヒッキーになりそう)」
「自分でわかっているのならばよいのだ(ヒッキーというかニートになりそうだな)」
 玄関に向かって走るルーファスが途中で止まって振り向いた。
「ハルカも来る?」
「ウンウン、行きたい!」
「カーシャは来ないよね?」
「知っていて聞くな。妾は無宗教だ……それよりも、ルーファス茶だ!」
「は、はい!」
 出かける間際にもカーシャにこき使われるルーファスであった。

 つづく


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