第7話_度忘れの達人
 この国の宗教比率を多く占めているのがガイア聖教である。
 中央広場を見下ろすように建てられた大聖堂はガイア聖教のもので、ガイア聖教から派遣された大司教がこの都市のガイア聖教を統括している。
 ルーファスが向かったのは、住宅地に建てられたこじんまりした教会だ。
 教会の中は静寂に包まれ、朝の礼拝式はすでに終ったようで、人の姿はたったひとつしか残っていなかった。
「ルーファス、今ごろきても遅いよ(ふぅ)。今日はボクが説法を説いてあげたのに(ふあふあ)」
 ステンドグラスから差し込む陽を浴びて、教壇に凛と立っていたのは、司祭服を着たローゼンクロイツだった。今日は空色のドレスではないが、白と空色を貴重にした荘厳な司祭服だ。なぜかローゼンクロイツが着ると、法皇かなにか位が高く高貴な存在に見えるのが不思議だ。
 この世界で数少ない知り合いにあったハルカは嬉しそうに挨拶をする。
「こんにちわローゼンクロイツ」
「……誰だっけ?(ふにゅ?)」
「えっ?」
「覚えてない(ふあふあ)」
「カフェでパフェ食べたでしょ、アタシの服を買うのも付き合ってくれたのに?」
「さっぱりだね(ふあふあ)」
 二人の間にルーファスが割って入った。
「ローゼンクロイツは物忘れが激しいんだ。そのうち突発的に思い出すから平気」
「そうなんだぁ(物忘れが激しいって、ここまで来るとボケ老人)。ところで、ローゼンクロイツってここのエライ人なの?」
「最近になってこの教会の司祭を任されたんだ(ふあふあ)。普段は助祭にここのことを任せているけど、今日はたまたまボクがいたんだよ、そのくらい雰囲気で察してくれよ(ふぅ)」
 雰囲気で察するとはぜんぜん関係ない問題だ。
 学生で、弁護士で、司祭。ウンウンと頷くハルカはルーファスに顔を向けた。
「ところでルーファスは?」
「えっ?」
「ルーファスは学生しかしてないの? バイトとかは?」
「えーっと」
 焦って一歩足を引くルーファスに、ローゼンクロイツが言葉で刺す。
「ルーファスは親の脛をかじって生きてるからね(ふあふあ)」
「うっ」
 痛いところを衝かれたルーファスが胸を押さえてうずくまる。
 そこにローゼンクロイツが雪崩のような追い討ちをかける。
「まだ将来なにをするかすら決めてないんだろう(ふあふあ)。クラウス魔導学院を卒業できればエリートコースだけど、将来やりたいことがなければなんの意味もないよ(ふあふあ)。歳を取ればどこも雇ってくれなくなるし、就職が難しくなる(ふっ)。それにルーファス、キミはバイト経験すらもないだろう、このままだとニート決定だねニート(ふにふに)。最近増えているらしいよ、そういうの(ふぅ)。父上には見切りをつけられ、生活費は母上からの仕送りを頼っているんだろ?(ふにふに)」
 長台詞は全てルーファスの腹や心臓を抉り、ローゼンクロイツの攻撃にルーファス完全に落ち込んでしまった。
「生まれてきてごめんなさい。母さん迷惑かけてごめんなさい。自殺するときは他人に迷惑がかからないように最善を尽くします……ふっふふふ(苦しまずに死ぬのがいいなぁ)」
「あーあ、また落ち込んでるしー」
 ハルカはため息をついて、体育座りをするルーファスを見下した。励ます気にはなれない。
「ふふふっ、僕は世の中のゴミでカスで有害物質なのさ!(首吊りって苦しいのかなぁ)」
 ここまでルーファスを落としておいて、ローゼンクロイツはなんのフォローもしない。
「ルーファスの母上は甘いよ、キミをこんな風に育てしまって(ふにふに)。でもね、そんな甘く優しいところがルーファスの母上のよいいところだよ(ふあふあ)」
 そして、ローゼンクロイツは何気にボソッとつけ加えた。
「そんな母がいて羨ましい(ふぅ)」
 それはローゼンクロイツの本音だったかもしれない。
 落ち込んでいたルーファスであったが、ローゼンクロイツのひと言を聞いて、別の感情が沸きあがってきた。
「ローゼンクロイツ……君は孤児だったからね。僕の母も君のことを心配して、いつも僕と一緒に君のことも気にかけていた」
「そうだね、キミの母上には本物の愛情をもらったよ……どっかの誰かみたいな歪んだものじゃなくてね(ふっ)」
 ローゼンクロイツは鼻で嘲笑した。
 孤児だったと聞いて、ハルカはそこには触れないようにもしたかったが、二人だけが共通の話題を進めているのが嫌で、思わずローゼンクロイツに尋ねてしまった。
「孤児だったの?(あーあ聞いちゃった)」
「うん、そうだよ(ふにふに)。本当の両親の顔も知らない、赤ん坊のときに聖カッサンドラ修道院の前に捨ててあったのを拾われたらしい(ふにふに)。偶然にも当時シスターだったルーファスの母上にね(ふあふあ)」
 裕福な階層が多い王都クラウスでは、捨てられる子供など滅多におらず、経済的な理由ではなく他に仔細があったのだろうと修道院の中で噂になった。ローゼンクロイツはそのまま幼少期を修道院で育ち、敬虔なガイア聖教の信者として教育された。
「ボクは修道院で育ったんだけど、その頃からあいつはボクに経済的な支援をしてくれたんだ……すごく迷惑な話だね(ふっ)」
「あいつって誰?」
 ハルカが尋ねるとルーファスが小さな声で教えてくれた。
「クラウス魔導学院の学院長だよ。アレイスター・クロウリー学院長」
「……あの人か(いろんな意味で怖い感じしたけど、悪い人とは違うし)」
 いろいろな場所に寄付金をばら撒くクロウリーであったが、ローゼンクロイツへの思い入れは異常なまでで、資金面から進路の手配からなにまで支援されていた。けれど魔導に関しては、ローゼンクロイツがクロウリーに教えをもらったことはない。生活への圧力はあったが、魔導に関しては自由の中で学んだ。
 ローゼンクロイツは少し疲れたように、近くにあった長椅子に腰を掛けた。
「感謝はしていないわけじゃないよ(ふあふあ)。資金を援助してくれたおかげでボクは魔導を学び、幼稚園からずっとルーファスと同じ道を歩めたからね(ふにふに)」
 幼稚園から、きっともっと昔からルーファスとローゼンクロイツは、一緒に過ごしてきたのだろう。ハルカは大きな疎外感を胸に抱き、二人の間に割って入れないことを知った。
「ふたりは昔から仲いいんだ(なんか悔しい)」
「そういうわけじゃないさ(ふあふあ)。ルーファスは昔からドジでマヌケで救いようがなくてね、ボクがどれだけキミの尻拭いをしてあげたことか、召喚が不得意なのも昔からの十八番さ(ふあふあ)」
 少し喧嘩を吹っ掛ける態度のローゼンクロイツ。いつもほとんど無表情なのがとくにそれを煽る。
「なんだよ尻拭いをしてたのは僕だろ。ローゼンクロイツは昔から頭脳明晰で魔導の才能もあったけどさぁ、トラブルメーカーで問題ばかり起こしてたのを僕が庇ってじゃないか!」
「トラブルメーカーなのはキミだろルーファス(ふにふに)。キミに巻き込まれてボクが無実の罪でどれだけ叱られたことか(ふぅ)」
「その言葉、そっくり返すよ(問題の規模が違うよ。ローゼンクロイツの問題は建物の損壊がついてくる)」
「でもね、ルーファス(ふあふあ)。キミといる時間は楽しい、退屈はしないさ(ふあふあ)。だからボクはキミのこと好きだよ(ふあふあ)」
 ローゼンクロイツがはにかんだように一瞬笑い、一秒もしないうちに無表情に戻った。その笑顔を見逃さなかったハルカは、胸に歯痒いものを感じてしまった。
「(ルーファスのこと……ルーファスはローゼンクロイツのことどう思ってるんだろ。ルーファスのタイプなのかな。でもこの人、自分のことボクとか言ってる変わった女の子だし……全体的に)」
 ぼーっと考え事をしていたハルカは、大きな物音でビクッしてしまった。
 教会の正面門が左右に開き、外からメガネっ娘が飛び込んできた。
 その娘の注目すべき点は猫耳だ!
 いや、違った。
 教会に飛び込んできた娘の注目すべき点は他にある。猫耳も充分、注目すべき点だが、猫耳ならすぐ近くでハルカもしている。ハルカがしているから注目しないというわけではなく、なんと娘は肩から血を流していたのだ。
 血の滲む肩を押さえ飛び込んできた娘に、ローゼンクロイツは声もかけずに無言のまま、教壇の下にあった隠し階段へと導いた。
 ルーファスは目を丸くしながら、ローゼンクロイツと顔を見合わせた。
「今のアインだよね?」
 ローゼンクロイツのファンクラブの会長アイン。追っかけが講じて、魔導の才能ゼロだったにも関わらず、名門クラウス魔導学院に入学したつわものとして、ちょっとは知れた有名人だ。
 アインの姿が聖堂から消えると、後を追うように大柄な男が飛び込んできた。
「不審な女を見かけなかったか?」
 ハルカやルーファスよりも早く、ローゼンクロイツが首を横に振った。
「見かけてないよ、ずっとボクたちは三人で話していたよ(ふあふあ)」
「俺は公安課の治安官だが、秘密結社〈薔薇十字〉の団員を追ってきた。この辺りに逃げ込んだと踏んだんだが、本当に知らないか?」
「知らないね、この教会の上に飾ってある聖セーフィエル様に誓ってもいい(ふあふあ)。しつこくするなら勝つ裁判するよ(ふにふに)」
 そう前置きをしてローゼンクロイツが取り出したのは、バッチ付きの弁護士手帳だった。しかもこのとき、前に一歩足を出したローゼンクロイツは血痕を足で隠していた。
 弁護士手帳に付属した身分証を確認して頷いた治安官だが、その目はハルカへ移動されていた。
「だがな、そこにいる娘の姿が気になる」
 駆け込んできたアインと同じ猫耳。治安官の目はそこにズームアップされていた。
 すぐさまルーファスがフォローに入る。
「この子、遠い国からきた子でして、この頭に着けているのはですね、翻訳機なんですよ」
 ローゼンクロイツも続いた。
「〈薔薇十字〉の団員がつけているのはカチューシャだと聞いたよ(ふにふに)。この子が付け入るのには、ヘッドホンが付属されているだろう?(ふあふあ)」
 治安官はハルカに近づき、足の先から顔まで毛穴を覗くように顔を近づけて見た。
「それにしても怪しい娘だ。遠い国ってどこの国からきた?」
「ぁーっ(どうしよう、言わないほうがいいのかな)」
 ハルカは本当のことを言うべきか否か迷った。
「どうした、言えないのか?(まずます怪しいな)」
「そっ!(にゃ!?)」
 なにかを言うおうとしたハルカの口をルーファスが塞いだ。
「翻訳機で言葉は理解できるんでけど、話すことはできなんですよ(アースからきたってことは黙っていたほうがよさそうだ)」
「それなら、なぜ口を塞いだ。なにかやましいことでもあるんじゃないか?(なにを隠してるんだ)」
「違いますよ、やだなぁ(マズイ、ローゼンクロイツ助けてよ)」
 必死なヘルプの視線をローゼンクロイツに贈った。すると、ローゼンクロイツが思い立ったように眼を大きく見開いた。
「あっ、思い出した(ふにふに)。ルーファスに間違って召喚されたんだったね、たしかアースからきたんだよね(ふにふに)」
 今になってローゼンクロイツの物忘れが解消されたのだ。バッドタイミングだった。
 治安官は少し考え込み、今朝、署で目を通した被害届けを思い出した。
「そうだ、思い出したぞ。アースからきたという娘が、魔導学院の一部を損壊させ、院内に安置されていた国宝の〈ライラの写本〉を盗み出して逃走。逃げた犯人の外的特徴と告示するぞ!」
「そうなの、そんな凶悪犯罪者だったのかい!?」
 驚いたのはローゼンクロイツだった。普段無表情のローゼンクロイツはわざわざ驚いた表情をした。けれど、それはあっという間に消え、普段の無表情にすぐ戻る。
 自分に全ての疑いが掛けられていると知ったハルカが叫ぶ。
「アタシそんなことしてない、国宝なんて知らないし!」
 しゃべれないはずのハルカがしゃべってしまった。
「おまえが犯人だな!」
「知らないしアタシ!」
「嘘をつくな、署に連行する。そこの二人も事情聴取だ!」
 そこの一人は呆気に取られ呆然と立ち尽くし、もう一人は無表情のまま治弁護士手帳を提示した。
「任意同行なら拒否するよ(ふあふあ)。それにボクはこの子に今日ここではじめて会ったんだよ(ふにふに)」
 これは忘れているのではなく、白々しく嘘をついているのだ。
 取り押さえられるハルカを見て、やっと再起動したルーファスが治安官の腕につかみかかる。
「ハルカが犯罪者なんて嘘だ。クロウリー学院長もハルカのことを知っているから、本人に聞いてみてくれないか!」
「そのクロウリー学院長が被害届けを出している」
「まさか!?(なんでクロウリー学院長が?)」
 クロウリーは騒ぎを全て知っているはずだ。学院内の建物を破壊されたのは、カーシャとファウストの争いが原因で、ましてや国宝の〈ライラの写本〉なんてまったく知らない。
 表情を崩さないローゼンクロイツが治安官に尋ねる。
「具体的な被害届けの内容を教えてくれると嬉しい(ふあふあ)。この子の一人の犯行なのかい?」
「被害届けにはアースからきた者ひとりの犯行だと書いてあった。共犯者はいないとクロウリーも証言している」
「学院長本人が?(ふにゃ)」
「そうだ。だが、おまえらにも聞きたいことがあるから一緒に来い!」
「……イヤ(ふっ)」
「なんだと!?」
「事件はこの子ひとりの犯行だろ(ふにふに)。ボクらはたまたまここで、この子に会って話をしていただけさ、任意の事情聴取なら拒否する権利があるよ(ふにふに)」
 ローゼンクロイツは再び弁護士手帳を治安官の鼻先に突きつけた。
「……くそっ(胸糞悪いガキだ)」
 治安官はローゼンクロイツを睨み、ハルカの腕と自分の腕を手錠で繋いだ。
「アタシ無実だし、アタシも拒否します拒否。逮捕状持ってきてよ、任意なら拒否するってば!」
「うるさい黙れ!」
「黙れってアタシなにもしてないってば!」
 暴れたハルカは思わず治安官の顔面にグーパンチ!
 鼻を押さえる治安官を見てルーファスは頭を抱えた。
「あちゃ~(殴っちゃった)」
 殴られた治安官が怒りを露にして叫ぶ。
「現行犯で逮捕だーッ!」
 ローゼンクロイツがボソッと。
「暴行罪確定(ふっ)」
 強引に引きずられて行くハルカがルーファスに手を伸ばす。
「助けろバカ!」
 ローゼンクロイツは信用ならない。この世界で頼れるのはルーファスだけだった。
「ハルカ!」
 追いかけようとしたルーファスの背中にローゼンクロイツが言葉を浴びせる。
「ルーファス待て!(ふーっ)」
 エメラルドグリーンの瞳に浮かぶ六芒星。ローゼンクロイツの瞳に魅入られたルーファスは身体が動かなくなってしまった。
「ルーファス助けろバカ、シネ、助けないと殴るよ、怨むよ、コロスよ!(なんできてくれないの!)」
 ハルカの怒りと悲しみの混ざった叫び声だけが、静かな聖堂に木霊した。
 扉が固く閉まり、二人だけが残された。その瞬間、ルーファスの術が解けた。
 すぐにルーファスはローゼンクロイツに掴みかかった。
「どうして止めた!」
「今の状況では仕方ないことだよ(ふにふに)」
「それにアインが〈薔薇十字〉ってどういうことだよ!」
「今は言えないよルーファス(ふぅ)。ボクには守らなくてはいけないものがあるんだ(ふにふに)」
「僕だってハルカを……ハルカを……」
 ルーファスは項垂れたまま両膝を付いた。
「ハルカのことはボクがどうにかするよ、安心して(ふにふに)
「どうにかするってどうやって!」
 ルーファスが見上げたその先で、ローゼンクロイツは自信に満ちた笑みを浮かべていた。
「無実は法廷で晴らそうよ、ボクが弁護人を引き受ける(ふにふに)」
 そして、舞台は法廷へと移されたのだった。

 つづく


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