紡がれる因縁 第5章《ゼメキス伯爵》
偶然にも程があるだろう?
まだ運命の糸が残っていたなんて
個体は全体であり
全体は個体である
世の中はそうやって成り立っているのさ

 第5章 ゼメキス伯爵

 紅い服の男を目にしてしまったジェイクは大きく目を見開かされた。
「あっ……ゼ…ゼロ!!」
「えぇっ!!」
クィンの顔はそう言ったままで凍り付いてしまい、ただ一心に紅い服の男に目を奪われ放すことができなくなっていた。
 ゼロはマントの裾をきびし二人に歩み寄りジェイクの顔をわが子を見る父親のような眼差しで見た。
「ひさしぶりだな、ジェイク」
「なんで、ここにゼロがいるんだよ」
「ゼメキスに用がある、ただそれだけだ」
完結に述べるゼロに少しムッとしてしまったジェイクはそれ以降口を出そうとはしなかった。
 そんな不機嫌そうなジェイクの顔を見てすぐさまクィンはスマイルを炸裂させる。
「はじめましてゼロさん。クィンと申します。ゼロさんもこの霧の事でここにいらしゃったんですか?」
「それとは別件なのだが」
言葉の途中でゼロの表情は険しいものに変わった。
「……フッ、この霧をどうにかしない事には俺も外に出れん」
「じゃあ、ゼロさんも一緒に戦ってくれるんですね」
「向かってくる敵は倒す。だが、自分の身は自分で守れ」
冷たく言い放ったゼロに対して、ジェイクは喰って掛かる。
「そんな事言われなくったってわかってるよ!」
「口は達者になったようだが、戦闘の技量は上がってないな」
「なんだよ、見てもないくせに!」
今にも飛び掛りそうなジェイクの身体をクィンは後ろから押せえなだめた。
「ジェイク、落ち着いてください」
押さえつけられているジェイクは餓える獣のようであったが、そんな彼を冷たい眼差しで見るゼロは猛獣より勝る恐ろしさを内に秘めていた。
「こんな薔薇に苦戦を強いられているようでは、技量はたかが知れている」
 長剣を鞘から抜き出しながら、
「……フッ、まあ見ていろ」
そう言うと剣を抜き目にも留まらぬ速さで、あっという間に薔薇を切り裂いてしまった。薔薇の花びらが宙を舞い、そして紅いじゅうたんを作り上げた。
 薔薇のじゅうたんはゼロのためにあるかのように優美な足取りで踏みしめられる。
「行くぞ」
 あまりの出来事に言葉を失っていた時間はゼロが剣を鞘に戻す音で再び時間[トキ]を刻み始めた。
「すごい! すご過ぎます!!」
クィンの腕から放されたジェイクはうつむき呟いた。
「わかってる、そんな事……」
「どうしたんですか?」
「ゼロは俺の知ってる中で1番のハンターだ。ゼロの壁すら、俺には見えない……」
ジェイクにとってゼロとは憧れであり、目標である。しかし、彼にはゼロという壁すら見ることができない。そんな自分が情けなくて、どうしようもなくて、だからゼロに反発を抱き、対抗心を燃やし、何かと突っかかることが多くなってしまうのだ。
 三人は屋敷の中に入ろうと門の前まで来た。
 そのときだった、門が内側から開けられ中から何者かが三人の目の前に姿を現した。
 白い甲冑に身を包んだ女性。この女性こそゼメキス伯爵に仕える四騎士のひとり美氷の白騎士ルシアンであった。
「おひさしぶりです、ゼロさん」
白騎士の神々しいまでのアルカイックスマイルがゼロに向けられるが、彼無言で白騎士を見つめすぐに視線を外した。
 ゼロは目の前に現われた白騎士に関心を持っていないようだが、ジェイクは違った。
「あんた誰だよ」
「これは失礼、私[ワタクシ]は白騎士と申します者で、この敷の主、ゼメキス様に仕える騎士でございます」
クィンは白騎士の言葉を聞いてすぐにジェイクへと視線を移動させた。
「この人が村長さんが言っていた四騎士でしょうか?」
クィンの言葉を聞いた白騎士は苦笑を浮かべた。
「四騎士ですか……今はもう二人になってしまいました」
「どーゆー事だよ」
「そこにいるゼロさんとハーディックさんに殺され、天に召されてしまいました。そういえば、今日はハーディックさんはご一緒ではないのですか?」
「親父は、今日はいねーよ」
「親父……?」
白騎士は首を傾げジェイクを見つめる。
「ハーディックさんのご子息の方ですか?」
「黒騎士はどうした?」
ゼロが突然口をはさんできた。彼は周りの会話などお構いなしといった感じだ。
「黒騎士はある所で敵と交戦しております」
そして、白騎士も戦いを始めるべく剣を抜いた。
「ゼロさん、あなた方を屋敷の中へと入れる訳にはいきません。ここはひとつ、お引取り願えませんか?」
「断る」
「いやに決まってんだろ」
「ここまで来たら、前に進むまでです」
自信に満ちたクィンの一言を聞いてジェイクは細い目をしてクィンを見た。
「って、お前魔法使えないんだろ」
「う゛っ……」
痛いところを突かれたクィンは痛恨の一撃を受けた!
 白騎士は蜃気楼のように揺らめき動き、剣を構え目の前の敵たちを青眼の目つきで見て口の端を少し上げた。
「仕方ありません……不本意ですが実力行使をさせていただきます」
ゼロが剣を抜き前に出た。
「ジェイク、クィンさがっていろ」
「俺だって戦える!」
「さがっていろ!」
ゼロの言葉は低く、冷たく、刃のように胸を貫いた。まるで時が止まったかのように辺りは静まり返った。
 紅い瞳で見つめられたジェイクは何も言わず目を伏せ下を向いた。そして小さく呟いた。
「……わかった」
ゼロの持つ剣の切っ先が日の光を浴び煌いた。
「一対一で戦うのは相手への敬意だ」
「ありがとうございます」
二人は地面を蹴り風を切った。剣の交わる音が辺りに響いたかと思うと互いに飛び退き再び剣を振るう。
 しかし、ゼロが突然切っ先を地面に下ろした。そして、白騎士の振るう剣の刃先がゼロの顔ギリギリ、3cmほどのところで止められた。なぜゼロは剣を下ろしたのか? そして、白騎士はゼロを仕留めることができたのにもかかわらずなぜ剣を止めたのか?
「どうしたのですかゼロさん、戦いの最中ですよ?」
「それはこっちのセリフだ」
二人は互いに剣を鞘に戻した。戦いは思わぬ形で終わってしまった。
「殺気も何も感じられなかった」
「貴方のその目は何もかも見通してしまうのですね。ゼメキス様がお待ちです、お急ぎください」
二人の会話に首を傾げるクィン。
「どういう事ですか?」
「行けば解ります」
白騎士はそれ以上何も言おうとしなかった。
 無言のままゼロは屋敷の中へと入って行ってしまった。
 ジェイクとクィンはゼロの後を追ったが、何かふに落ちない気持ちだった。状況がさっぱり飲み込めない。
 クィンが屋敷に入る前にふと後ろを振り向くと、白騎士がにこやな顔をしてこちらに向かって手を振っていた。この白騎士の行為がクィンの頭を疑問と不安でいっぱいにした。
 ジェイクとクィンが屋敷の中に入ると、ゼロは遥か遠くを前を歩いていた。2人はゼロの後を急いで追った。
 ゼロは一度も足を止めることなく屋敷の中をある場所に向かって歩いている。彼はこの屋敷の内部を熟知しているのだ。
 そんなゼロを二人の若者はただ付いて行くだけだった。
 屋敷の内部は絢爛豪華である華やかな中世ヨーロッパ様式になっている。妖魔の世界ではごく一般的な趣味と言える。
 妖魔の中には機械に囲まれた生活をしている者もいると思えば、暗い洞窟の中でひっそりと身を潜めて暮らしている者もいる。しかし、やはり妖魔の多くの住まいとして用いられるのは中世ヨーロッパ様式の絢爛豪華な屋敷である、だがそんな屋敷に住んでいるのは妖魔貴族に限られている。
 屋敷の中を歩き続けて数分経ったが、今まで屋敷の住人とただひとりたりとも出会うことはなかった。
 3人が屋敷の中に入ったことは、白騎士が3人を出迎えたことからすでに知れているものと思われる。3人の行く手を阻む者が現われないのは不思議だ。そう言えば白騎士の態度も変であった、『ゼメキス様がお待ちです、お急ぎください』、あの言葉の意味は?
 この屋敷に入って初めてゼロの足が止まった。
「――この先にゼメキスがいる」
この言葉を聞くまでもなかった。扉の向こう側からは凄まじいまでの鬼気が発せられている。扉の前に立っているだけ普通の人間は足がすくみ立っていることもできないだろう。
 クィン額からは大粒の汗が流れ落ちた。身体の正直な反応は不安を隠すことはできなかった。
「もの凄い妖気ですね、まるで目の前にいるような……」
焦りの色を浮かべるクィンを横目で見たジェイクは、
「帰った方がいいんじゃないかな、クィン”ちゃん”?」
と冗談ぽく言い、それに続いてゼロまでが、
「自分の身を自分で守れぬようであれば帰れ」
と言われてしまった。
 クィンは右手首にはめた瑠璃色のブレスレッドを握り絞め扉の先へと目線を向けた。
「大丈夫です。自分の身は自分で守れます……いざとなれば奥の手もありますから」
不適な笑みを浮かべたクィン。彼の言う奥の手とはいったい何なのか?
 しなやかでいてそれでいて力強い手が装飾の美しい扉へと押し当てられた。
「行くぞ」
閉ざされていた扉がゆっくりと開かれた。刹那、中から背筋を凍らす鬼気が3人を包み込んだ。
 部屋の奥には黒いマントで身体を包み込んだ銀髪紅眼の男が立っていた。この男こそが人々から大貴族として恐れられるゼメキス・ヴィリジィア伯爵である。
「御機嫌ようゼロ」
 ゼメキス伯爵の挨拶を無視して無言のままゼロは相手に近づき、その後を二人の若者は付いて行く。
 ゼメキスの身体は蜃気楼のように揺らめきながら、消えては現われを繰り返しゼロの目の前まで移動した。
「今日はハーディックは一緒ではないのかい?」
「つい最近、この屋敷に人間の娘が連れてこられた筈だが?」
相手の言葉を無視して話をするゼロと同じようにゼメキスも相手の答えなどどうでもいいといった感じで話を続ける。
「ハーディックの気配がしたと思ったのだが……?」
ゼメキス伯爵の紅い瞳がジェイクを見据えた。
「そこの君からハーディックと同じ匂いがする。もしかしてハーディックの親類かい?」
この言葉にクィンはジェイクの顔を見つめてこう言い放った。
「ジェイク昨日お風呂入らないで寝たからあんなこと言われるんですよ」
「おまえなぁ〜、ケンカ売ってんのか?」
「さっきの仕返しです」
クィンは扉の前でジェイクにからかわれたことを根に持っていた。クィンは恨みなどを絶対に忘れず、いつか仕返しをしようと心がけている、そんな爽やか笑顔青年であった。
 ここにいる全ての者を無視してゼロの話は続いていた。
「娘の名前はミネア」
この男も周りの会話を無視していた。
「俺の名前はジェイク、ハーディックは俺の親父だ」
どうやらここにいる者たちは全員人の話を聞かないタイプらしい。
「私は忙しい、用件があるのならば早く言いたまえ」
ゼロはすでに用件を言っている。しかし、ゼメキス伯爵は聞いていなかったらしい。
 クィンは改めて自分たちがここに来た理由を話した。
「貴方は協定を破りました。今日はそのことでお伺いした次第です」
「ああ、あの娘か。あの娘ならばもうここにはいない」
貴族というのは変わり者が多いというが、この男の自己中ぶりは貴族にしても酷い。この酷さは貴族以前の問題だ。
「娘はどこにいる」
「家に返した。あの娘がここに来たのは偶然が重なった手違いなのでな」
「そうか……偶然か……」
偶然――この言葉がゼロの頭に引っかかった。
 全ては偶然にしては出来過ぎている。何か因縁めいたものをゼロははじめから感じていた。
 伯爵は漆黒のマントをきびし反し訪問者たちに背を向けた。
「協定の事は人間たちには悪い事をしたと思っている」
「それでは早く霧をどうにかして頂けませんか?」
「それはできない」
「どーゆーことだよ!?」
ゼメキス伯爵はマントの裾を手で持ち大きくはためかせながら振り向いた。
「それはできない」
「私の寵姫が一人さらわれてしまった……こちらにも色々と事情があってな……」
「そんなこった俺たちの知ったこっちゃねぇよ」
「そうとも言えないと思うが」
ゼメキス伯爵は口の端を吊り上げ前にいる者たちを紅き瞳で見据えた。
「私の屋敷からさらわれた姫の名は薔薇姫、彼女は厄介な能力の持ち主でな。私は生憎この屋敷を離れることができない。君たちが薔薇姫を連れ戻してくれれば話は丸く収まるのだが?」
「詳しい話をお聞かせ頂けませんか?」
「めんどくさいが仕方ない。――霧の結界を張ったのは人間たちの為でもある」
霧の結界を張ったのが人間たちの為? 果たしてゼメキス伯爵は敵か味方か、話は混迷を深めてきた。
「私の領域内に私に牙を向ける者が現れてな、前々から気になっていて安全の為に屋敷の周りの森に結界を張っておいたのだが……敵の力は私の想像以上であった。そこで仕方なく霧の結界を私の全領土に張ったわけだが……」
「だからそれのどこが人間のためなんだよ」
「村に現れたモンスターの事は知っているな」
ジェイクとクィンはこの言葉に不意打ちを喰らったようにきょとんとした表情を浮かべてしまった。
「どういうことですか?」
「あれは私に牙を向ける者の仕業だ。私が霧の結界を張る事により奴らの力を抑える事できる、下等なモンスターが村を襲うことはもうないだろう。だが私の狙いはそれよりも敵を私から逃げられぬよう私の領土に閉じ込めることだ。私に牙を向ける者を生かしておけぬ」
長い間沈黙していたゼロが口を開いた。この話に興味でもそそられたのであろうか。
「敵とは誰の事だ?」
「私も詳しくも知らんが、わかることは奴らは薔薇姫の力を狙っていることと、厄介者である私の命を狙っているということ」
「薔薇姫は何故さらわれた?」
「それは言えん。まあとにかく私を倒しても霧は消えるが問題の根本的な解決にはならん。君たちの選択肢は薔薇姫を連れ戻すか、この私、ゼメキス・ヴィリジィアを倒すかだ」
ゼメキスの問いに対してゼロは剣を抜き答えを出した。
「そうか、それが君の答えか……ならば仕方あるまい、掛かって来たまえ」
静かであるがその声は背筋の凍るような威圧感が含まれていた。
 二人が戦いを始めようとしたそう瞬間、この場にいる全員が頭に痛みを感じ吐き気を催し床に倒れこんでしまった。いったい何が起こったというのか?


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