第1話_ローゼンクロイツのお使い
 何の変哲もない森。
 しかし、ローゼンクロイツの瞳に映る五芒星[ペンタグラム]は知っていた。
 たとえ魔術により、この森全体の空間が歪曲していようと、ローゼンクロイツのエメラルドグリーンの瞳は、正しい森の姿を映し出す。
 ローゼンクロイツは知っている。自分に見えないものがないことを――。
 日傘を差しながら小道を正確な歩調で歩いていたローゼンクロイツの瞳に生物が映った。
 生物と言ってもたんぱく質などの有機物で構成されたナマモノではなく、鉄やプラスチックなどの無機物で構成された生物だ。
 ローゼンクロイツは知っている。これが魔法生物と言われる存在であることを――。
 魔法生物が口を聞く。
「人間がシモンの里になんの用テポ」
 カスタネットの上に真ん丸の目玉を二つ付けたような生物が、口らしきものをパクパクさせながらしゃべっている。
 なにを思ったのかローゼンクロイツは、一瞬だけ口を歪ませてあざ笑ったような表情をし、すぐに無表情に戻して誰に言うでもなく呟いた。
「こんな変てこな生物を作るなんて、キミに創造主は変てこだね(ふにふに)」
「マスターに向かって変てことは、許さないテポ!」
 口をパクパクさせるカスタネットオバケは、その口を大きく開けてローゼンクロイツに噛み付こうとした。その口に挟まれたら、ローゼンクロイツの頭なんて丸呑みされてしまう。それほど大きなガマ口だった。
 けれど、ローゼンクロイツは知っている。
「……ガマ口(ふっ)」
 その一言だけだった。ローゼンクロイツは相手の痛いところをピンポイント攻撃したのだ。
 カスタネットオバケ的ショック!
 一番言われたくなかったことを言われてショック!
 立ち直れないくらい大ショック!!
 ローゼンクロイツの精神的攻撃を受けたカスタネットオバケは、地に沈んで行きそうな勢いでブルーな気分になってしまった。
「な、なんで、それを知ってるテポ(仲間に言われて一番ショックだった言葉テポ)」
「……なんとなく(ふあふあ)」
 カスタネットオバケ返す言葉なし!
 灰になって燃え尽きたぜって感じのカスタネットオバケをよそに、ローゼンクロイツは歩みを進めた。
 森は深く、けれど嫌な感じはせず、木漏れ日が温かい。
 ――シモンの隠れ里。
 そこは七英雄のひとり傀儡師シモンの隠れ里。
 ローゼンクロイツが里に入ったとたん、里に住む魔法生物たちが騒ぎ出した。
 楽器や玩具やポットみたいな日常品まで、シモンによって命を吹き込まれた魔法生物たちに取り囲まれ、ローゼンクロイツは足を止めた。
「人間がこの里になんのようだっちゃ」
 魔法生物の一匹が言った。
「人間なんて嫌いテポ」
 魔法生物の一匹が言った。
「人間はみんな嘘つきだに」
 魔法生物の一匹が言った。
 3匹が言い終えたところで、ローゼンクロイツが呟いた。
「キミたちのマスターも人間だろ(ふにふに)」
 クリティカルヒット!
 魔法生物たち返す言葉ナッシング!
 氷のように固まってしまった魔法生物を無視して、ローゼンクロイツは歩みを進めた。
 その先に見える影。
 ローブを着た長身の青年が立っていた。
 微笑を湛えてはいるが、眼鏡に奥に光る眼光がただの青年でないことを物語っている。
 ――傀儡師シモン。
「こんにちは、若者よ」
 春風のような声がローゼンクロイツの耳をくすぐった。
「こんにちは、傀儡師シモン(ふあふあ)」
 こちらは空に漂う雲のような声だった。
「なんの用かな、探求者よ?」
「マスタードラゴンの鱗を獲りに来たんだ(ふあふあ)」
「ふむ、この森に住むマスタードラゴンが、マスター・オブ・ザ・マスタードラゴンであることをご存知ですか?」
「知ってるよ、世界に100匹といないマスタードラゴンの中でも、その頂点に立つ7匹のドラゴン(ふにふに)。この森に住むドラゴンは精霊エントの守護を受けたエントドラゴン(ふあふあ)」
「そこまでわかっているのなら、お帰りなさい」
「……拒否(ふっ)」
 ドラゴンの中でも、長い時を生きた智慧と力を持った老竜をマスタードラゴンと云う。マスタードラゴンは魔導にも精通し、その知識を求める魔導師も少なくない。そのマスタードラゴンの中でも、絶大な力を有するドラゴンこそがマスター・オブ・ザ・マスタードラゴンである。
 マスター・オブ・ザ・マスタードラゴンは世界に5体存在し、別名〈精霊竜〉とも呼ばれ、身体に宿す精霊の力によって呼び名が異なる。
 この森に隠れ棲む〈精霊竜〉は、身体に精霊エントの力を宿したエントドラゴンだ。
 短く『拒否』と言い切ったローゼンクロイツは、古の時代に英雄とまで呼ばれたシモンを苦笑させ、さっさと歩き去ろうとした。
「……じゃ(ふあふあ)」
「少し待ちたまえ、ローゼンクロイツ君(世界でも数少ない聖眼の使い手、人間よりも僕たちに近い存在だ)」
 〝名前〟を呼ばれローゼンクロイツの耳が微かに動くが、それでも彼は歩みを止めようとせず、シモンの隠れ里を抜けエントドラゴンの元へ行こうとした。
 しかし、春風駘蕩とした傀儡師シモンの口から、ローゼンクロイツへの攻撃が炸裂した。
「本名で呼び止めましょうか?」
 この言葉を聞いた瞬間、ローゼンクロイツの足はピタッと静止し、歩兵が回れ右をするみたいに中心軸をまったく動かさずにシモンの方を振り返った。
「……それは嫌(ふにゃ~)」
 あからさまに嫌な顔をするローゼンクロイツ。ワザとらしいまでに眉をひそめるその仕草は演技っぽさを感じるが、足を止めて振り返ったということは本当に嫌なのかもしれない。
 空色のドレスを着た変人は、クリスチャン・ローゼンクロイツという名で通っている。その名についているクリスチャンとは、つまり聖職者を意味し、ローゼンクロイツとは本名ではなく洗礼名のことである。
 世界に数ある宗教の中でも、大きな規模を持つ〈ガイア聖教〉の信者。それがクリスチャン・ローゼンクロイツだった。
 嫌な顔から無表情に戻したローゼンクロイツは、人差し指を立てて軽く唇に当てた。
「本名は捨てたよ(ふあふあ)。言ったら屠るからね(ふーっ!)」
 屠る――つまり、里に住む全員を皆殺しにするという殺戮宣言だ。これを感情のこもってない声で淡々と、無表情で言うもんだから、怖いったらありゃしない。聖職者というのは嘘で、異端児なのかもしれない。かもというより、絶対異端児だと思う。
 ローゼンクロイツを知る者であれば、これ以上はローゼンクロイツに手出しはしない。少なくともルーファスは、絶対にローゼンクロイツに喧嘩を売って命を粗末にする真似はしない。だが、相手は今となっては伝説として語られ歴史の隅に追いやられた英雄であっても、その実力たるは世界を変えることのできる存在だ。
「エントドラゴンに会わせるわけにはいきません。お引き取りなさい(と言っても、簡単に聞き分けてはくれないでしょうけどね)」
「……拒否(ふっ)」
 またもやローゼンクロイツは相手の言葉を簡単に跳ね除けた。相手が英雄であろうが、彼にとってはみな同じなのかもしれない。
「拒否といわれても、こちらとしてはドラグナーとしての立場もありますゆえ、そう易々とエントドラゴンに会わせるわけにもいきません」
「それは困る(ふにゃ~)。鱗を一枚もらえないと困る(ふにゃ~)」
「どうしてマスタードラゴンの鱗が必要なのですか?」
「出席日数が足らなくて進級できないらしい(ふ~っ)。知り合いのへっぽこクンは5年生に上がれたのに、ボクは4年生のまま……ちょっと自分に苦笑(ふ~っ)」
「それでマスタードラゴンの鱗がどんな関係が?(世俗に囚われない物腰をしている青年なのに、なんとも世俗的な話なのだろうか)」
「教師たちはボクにもう一度4年生をやれと言ったけど、それは嫌(ふ~っ)。だから進級するためにマスタードラゴンの鱗で手を打ってもらうことにしたんだ(ふにふに)」
 ――事は1週間ほど前に遡る。
 新年度がはじまっても学院に顔を出さないローゼンクロイツに、至急学院に来いとの連絡があった。
 学院に呼び出されたローゼンクロイツは、そこで進級できていないことを告げられたのだ。ちなみに、そんなことを告げられてもローゼンクロイツは、いつもどおり無表情だったことは言うまでもない。
 裏の手口を知っているローゼンクロイツは、進級できないと告げられても焦ることもなく、さっそくその足で魔導学院の教師カーシャのもとへ向かった。
 学院内でもカーシャの地位は、決して生徒から慕われるものではないが、通常ではどうにもならないようなトラブルを解決してくれることから、生徒たちにとってはなくてはならない教師なのだ。もちろん、トラブル解決には、それなりの代償を支払わなければならい。
 ――今回は特別出血大サービスで、マスタードラゴンの鱗で勘弁してやろう。
 これがカーシャの提示した代償だった。
 そして、ローゼンクロイツはマスタードラゴンの鱗を取ってくることを承諾したのだった。
 ローゼンクロイツがマスタードラゴンの鱗を欲している理由を聞いたシモンは、一息ついて時間を空けたあと、笑みを湛えながら口を開いた。
「いいでしょう、エントドラゴンに会わせましょう。ただしエントドラゴンは人間がとても嫌いです」
「知ってるよ(ふあふあ)。木の精霊エントの力を宿すエントドラゴンは、自然を蝕む人間が大っ嫌いなのは有名な話だね(ふにふに)」
「せめてガイアではなく、エントに来ていただければよかったのですがね」
 今日は世界的に休日のガイアという曜日に当たる。エントは精霊の名であると共に、1週間の第5日目を守護し、その日の名称にもなっている。
 今までずっとローゼンクロイツとシモンの会話を見守っていた魔法生物が、あわてた感じで口をパクパクさせながら二人の間に割り込んできた。
「ダメだテポ、人間をエントドラゴン様に会わせちゃダメだテポ」
「うるさいよ、ガマ口(ふっ)」
 ローゼンクロイツの精神攻撃がまた決まった!
 こうしてまたカスタネットオバケは地面沈んで再起不能にされたのだった。

 コンコンというノックが聞こえ、カーシャはそのノックをした人物が誰かすぐにわかった。
「クリスちゃんだな、鍵は開いている、入って来い」
 ガチャっとドアノブが音を立て、いつもと変わらぬ空色ドレスのローゼンクロイツがカーシャの研究室に入ってきた。
「獲って来たよ(ふあふあ)」
 その手には、ローゼンクロイツの顔よりも大きな木の葉が持たれていた。
「なんだ、その枯葉は?(焼き芋のシーズンはまだ先だぞ)」
「魔女が取って来いってボクに言ったの、忘れたのかい?(ふにふに)」
「枯葉を取って来いなど、妾は言った覚えなどないが?」
「よく見ればわかるよ(ふあふあ)」
 ローゼンクロイツに木の葉を渡せれ、カーシャは眉をひそめたが、すぐにその表情は驚愕へと変わった。
「ま、まさかエントドラゴンの鱗か!?」
「そうだよ(ふあふあ)。だって魔女がボクにマスタードラゴンの鱗を取って来いって言ったんじゃないか?(ふにふに)」
「戯け者かお前は……(たしかにマスタードラゴンの鱗を取って来いとは言ったが、まさかマスター・オブ・ザ・マスタードラゴンの鱗を取ってくるとはな……ふふ)」
 エントドラゴンの姿はまるで木の葉の山のようであると伝えられている。木の精霊エントの力を身体に宿したエントドラゴンは、その身体の一部を植物と化し、鱗は全て木の葉でできているのだ。
 マスタードラゴンの鱗を約束どおりカーシャに渡したローゼンクロイツの姿は、すでにドアの近くにあり、カーシャに背を向けていた。
「じゃ、進級の件よろしく(ふあふあ)」
「進級ではなく、飛び級をさせてやってもいいが?(エントドラゴンの鱗ならば、進級以上の価値はある)」
「5年生でいいよ(ふあふあ)。5年生にはボクのライバルがいるからね(ふにふに)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。そして、もう一度笑った。その笑みはいつものあざ笑いではなく、青空に浮かぶ太陽のような微笑みだった。しかし、その表情は背中越しだったためにカーシャは見ることはできなかった。もし、その表情を見ていたら、今夜のカーシャは眠れぬ夜を過ごしたに違いない。
「ところでクリスちゃん、どうやってこの鱗を手に入れたのだ?」
「……企業秘密(ふっ)」
「……なっ?(企業秘密だと!?)」
「じゃ(ふあふあ)」
 ローゼンクロイツは部屋を出て行き、残されたカーシャはローゼンクロイツがどうやってエントドラゴンの鱗を手に入れたのか、結局、眠れぬ夜を過ごすことになるのだった。

 おしまい


魔導士ルーファスアナザー偏専用掲示板【別窓】
■ サイトトップ > ノベル > 魔導士ルーファスアナザー偏 > 第1話_ローゼンクロイツのお使い ▲ページトップ