第2話_悪霊の棲む古城
 国王クラウスはアステア国境近くの辺境で15歳の誕生日を迎えた。
 この辺りで紛争が起きたのは十数年前。奴隷として扱われていた種族たちが叛乱を起こしたのだ。
 戦いでは多く死者を出し、奴隷達が自由を獲得して戦いは終戦を迎えた。しかし、争いの代償は、綺麗な野原を焼け野原に変え、隣国との貿易が盛んで栄えていた街は廃墟と化して、賑やかさから一変して死の町と化してしまった。
 人の住まなくなった町や周辺の土地には怪物たちが跋扈するようになり、アステア王国からも忘れられた土地となっていた。
 クラウスはこの土地を再建するために視察に来たのだ。
「……静かだな(聴こえるのは雨の音のみか)」
 人のいない町を高台から見下ろしたクラウスは呟いた。
 雨が町の情景をよりいっそう寂しいものにしていた。
 屋根や壁は剥げ落ち、所々砲撃か魔導で穿たれた壁や地面の穴。あのような建物では雨風すら凌げまい。
「多額の復興費用と大勢の人手が要りそうだな」
 漏らすように言うクラウスの傍らで、白銀の軽鎧を着たブロンドの女が立っていた。クラウスがもっとも信頼を置くエルザだ。
「元老院にまた反対されるのは目に見えております」
「この場所に金をかけるくらいなら、ガイア聖教に寄付をしろと言い出すだろうな。だが、この場所は必ず貿易経済の拠点となる。長い目で見れば良い投資になることは間違い(彼らは自分が生きている間の保身しか考えないんだ)」
「復興までに十年以上、貿易が軌道に乗るまでにはそれ以上の年月が掛かるやもしれません」
「僕が玉座に座っている間にはなんとかなるさ」
 若い王に仕えるエルザはクラウスよりも4歳年上だ。
 エルザは名門クラウス魔導学院を首席で卒業し、高級官僚に必要な試験もストレートでパスして、王宮に務めるようになった。それからも出世の道を進み、クラウス王国が外国に派遣した部隊に所属していたエルザは、そこで大きな功績を残したことによって魔剣一個中隊の中隊長に任命された。
 戦争がないときは、エルザはクラウスの護衛役を務め、どこに行くにも共に行動をする。そのためエルザには悪い噂が付きまとう。クラウスの女だからスピード出世するのだと。
 嫉まれることも多いが、エルザはそんなことなど気にもかけていない。それに彼女にはそれ相応の実力があるのだ。
 今回の視察はエルザを加えて少ない人数で来た。他の者達を近くの町の宿で待機させ、この場所にはエルザと二人できた。
 危険の多い場所だが、エルザの実力を知るものなら、安心して君主を任せられる。
 クラウスは見下ろしていた町から目を離し、来た道を戻り緩やかな崖を下りはじめた。
「風邪を引く前に宿に戻ろう」
 王についてすぐ後ろ歩くエルザがふと足を止めて辺りを見回す。
「人の声が聴こえます」
「ん?」
 クラウスも耳を澄ませ辺りに目を配った。
 女の叫び声がする。
 崖の下にある町からだ。
 すぐにクラウスとエルザは崖の下に目を向けた。
 襤褸を纏った三体のアンデッドが女性を襲おうとしている。
 エルザよりも先に行動に出たのはクラウスだった。
 クラウスは剣の柄に手をかけながら、急な斜面を滑り降りた。
 そのあとを慌ててエルザが追う。
「クラウス様!(クソッ!)」
 声をあげたときにはクラウスは崖を降りて剣を抜いていた。
 王家に伝わる名も無き長剣。
 抜くと同時にアンデッドの胴を真っ二つに断ち、襲い掛かってきた二体目の脳天から股まで剣を振り下ろし、三体目は押し飛ばすように突き刺した。
 アンデッドは通常、斬られたくらいでは倒せず、身体を真っ二つにさせれても動くことができる。
 しかし、クラウスの剣で斬られたアンデッドは傷口から光を発し、塵となって消滅してしまったのだ。
 アステア王国に伝わるこの剣は聖の属性を持っており、アンデッドなどの怪物を浄化させる力を持っているのだ。
 クラウスに一歩遅れて崖を降りてきたエルザが、気を失って倒れている女性を抱きかかえた。女性は痩せこけた中年女性だった。
「どういたしますか?(クラウス様ならば放っておくはずないが)」
「訊くまでもないだろう。宿に連れて行こう」
「承知したしました(やはり、クラウス様だ)」
 背中に女性を背負ったエルザとクラウスは足早に宿に向かって足を運んだ。

 宿に戻り女性の看病をすると、女性は空ろげな瞳を開けて意識を取り戻した。
「……ここは?」
 はっとしたように女性は瞳に光を戻して辺りを見回した。
 大きな一室に6人の男女がいた。
 クラウスと連れの者達だ。
 ベッドに寝かされていた女性の近くには、魔導衣を着たおしとやかそうな女性が立っていた。
「お加減はいかがですか?」
 尋ねられた女性はこの状況を把握するのに時間を要した。頭の中が整理できず、なにが現実かも判断がつかない。とても恐ろしいことが起きた。それだけが頭の中で駆け巡っていた。
 怯える女性の手を取って、魔導衣を着た女性――魔法医エリーナは優しく微笑んだ。
「わたしたちは旅の冒険者です。あなたがアンデッドに襲われているところを、そこにいるお二方が助けたのですよ」
 二人とはもちろんクラウスとエルザのことだ。
 自分を助けてくれた二人を見つめ、女性はアンデッドに襲われたことを思い出して叫んだ。
「夫と子供達を助けてください!」
 取り乱す女性を落ち着かせ、聞き出した話はこうだった。
 クライストン一家は隣国の紛争を免れるためにアステア王国に移住する最中だったらしい。すでに先にアステア領内に入っていた靴職人の夫を追って、クライストン夫人は3人の子供を連れて旅の途中、あの廃墟の町に迷い込んでしまったらしい。
 雨が降りしきる中、凶暴で知能もあるキラーウルフの群に囲まれ、逃げ込んだのが町の高台にある小さな居城だった。そこに逃げ込んだのが間違いだった。
 古城は廃墟と化しており、そこはアンデッドたちの棲み処と化していたのだ。
 アンデッドに襲われたクライストン夫人は子供を連れて逃げることを断念し、仕方なく子供たちを各々の場所に隠して自分は助けを求めに行き途中だったのだという。
 話を聞き終えて最初に口を開いたのは軽騎士のオルガスだった。
「ひどい話だな、子供を見殺しにするなんて」
 そう取られても仕方ない話だった。子供をアンデッドの巣窟に残してくるなど、とてもではないが得策とは言えない。
 オルガスの言葉を聞いたクライストン夫人は泣き崩れてしまった。
 庇うようにエリーナが夫人の肩を抱き、オルガスを睨みつけた。
「子供を生まないあなたになにがわかるのですか?」
 愛する我が子を置いて行くことが、どれほど辛いだろうか?
 両親、そして兄弟と離れ離れになってしまった子供もまた、どれほど辛い思いをしているのだろうか?
 クライストン夫人の決断は身を切る思いだったに違いない。
 決して好き好んで子供を置いてきたわけではないのだ。
 椅子に腰掛けていたクラウスが立ち上がった。
「今すぐに子供たちを救出に向かう」
 嫌な顔をする者は誰ひとりとしていない。事情を聞いたときから、誰もが子供を救出しに行くことを決意していたのだ。
 夫人の肩を抱いているエリーナが尋ねる。
「お子さんはどこにいるのですか?」
「長男のトーマは食糧貯蔵庫の中に、次男のケルビンは見張り塔に、長女のアリッサは礼拝堂……」
 急にクライストン夫人の身体から力が抜け、意識を失って倒れてしまった。
 心労が祟ってしまったのだろう。
 子供たちの詳しい位置まで聞き出すことができなかった。だいだいの位置は聞き出せたので、あとは人力を尽くすしかない。
 一刻も早く子供たちを救出しなくては、アンデッドたちの餌食になってしまう。
 エルザはここにいる全員に命じる。
「オルガスとエリーナは食糧貯蔵庫を探して長男を救出、バンガードは見張り塔で次男を、私とクラウス様で長女の救出にあたる、いいな?」
 皆は深く頷いた。

 怖く心細い思いをしている子供達を一刻も早く助け出したい。そんな気持ちが2人の冒険者達の足を速めていた。
 探し出す子供の数は3人。
 そのためにクラウスたちは3チームに分かれる作戦を実行した。
 魔法医エリーナと軽騎士オルガスは暗い廊下を進み、地下貯蔵庫を探して城内を探索していた。
 太陽神アウロの守護があるこの時期の雨は恵みの雨とされるが、今日のこの雨は歓迎できるものではなかった。
 城内は湿気で満たされ、じめじめした空気をアンデッドたちがとても好みそうだ。
 幸いなことにまだアンデッドたちには遭遇していない。
「なかなか見つからないな。子供じゃなくてアンデッドのことな」
 アンデッド狩りを楽しみにしているオルガスをエリーナがたしなめる。
「目的はアンデッド討伐ではありません。子供たちを救出することが最優先です」
「まだ生きてるといいけどな(アンデッドは生者の肉を好むらしいからな)」
「なんてことを!」
「しっ、大きな声を出すとアンデッドたちが起きてくるぞ。オレには好都合だけどな」
 貯蔵庫といえば、涼しくて日の当たらない場所にあるだろう。二人は城の北側を中心に貯蔵庫を探し続けた。
 やがてかまどなどのある厨房にたどり着いた。
 薄暗いこの場所でエリーナはランタンに火を点けた。
「少し肌寒いですね」
「おい、こっちに螺旋階段があるぞ」
「下ってみましょう」
 二人は厨房奥の螺旋階段を下ることにした。
 手を付いた階段の石壁には苔がむし、冷たい風に乗って腐臭が鼻を衝く。嫌な予感がする。
 貯蔵庫で泣き声や微かな物音に気を払うが、どこにいるかわからない。
 近くになにかの気配がするが、それが子供のものかアンデッドのものか判断がつかない。
 オルガスは鞘からフルーレを抜いて、大きな声をあげた。
「誰かいるのか!」
 反応は石蓋の閉められた棺のような箱から返ってきた。中から苦しそうな呻き声が聴こえてきたのだ。
 すぐにオルガスが重い蓋を開けると、なんと中からアンデッドが飛び出したのだ。
 驚きながらも注意をしていたオルガスは迅速に対処し、フルーレでアンデッドの目玉を突いて、相手が怯んだ隙に石蓋を再び閉めてしまった。
「危なかったな(……しぶとい奴だぜ)」
 石蓋に挟まれて切断されたアンデッドの手が床で微かに動いている。
 それを蹴り飛ばして冷や汗を拭いたオルガスが振り返った。
「残りの箱も開けてみるか?」
「お願いします」
 他の箱にオルガスが手をかけようとしたとき、二人はなにか嫌な気配を感じて緊張した。螺旋階段を上がったすぐそこになにかが迫っている。
 螺旋階段を下りてくるアンデッドの影を見取ったエリーナが手に魔導を集中させる。
「アンデッドはわたしが引き受けます。あなたは子供の捜索を続けてください」
 貯蔵庫にアンデッドを近づけないために、エリーナは自ら囮になることを決意して、螺旋階段に向かって走る。
 エリーナの手を淡い光を放った。
「キュアライト」
 回復系魔法アイラに属する回復呪文キュアライト。その効果は仲間の傷を癒し、精神的な落ち着きも与える魔導だ。
 普通は回復のために使用する魔導だが、アンデッドに対しては違う。アンデッドには回復呪文が攻撃呪文へと効果を変えるのだ。
 キュアライトの光を浴びたアンデッドたちが塵と化して崩れ落ちる。
 螺旋階段の先からは次々とアンデッドが降りてくる。
 エリーナは螺旋階段を駆け上がっていった。
 仲間の作ってくれた隙に、オルガスは残る箱を開けて調べた。
 そして、なんと長男のトーマを発見したのだ。
 8歳の少年は石の箱の中で身を縮ませ振るえていた。
「おまえを助けに来た。もう心配ない、すぐに母親のもとに連れて行ってやる」
 怯えてすすり泣くトーマの視線は泳いでしまっている。恐怖からの放心状態でこうなってしまったのだろう。こんな子供を3人も連れてアンデッドの魔の手から逃げることは難しかっただろう。
 オルガスはクライストン夫人の取った方法に批判的であったが、その考えを少し改めることにした。
 ようやくアンデッドたちを追い払ったエリーザがこの場に戻ってきた。
「よかった、発見できたのですね」
 エリーナは魔導衣の上から羽織っていた薄手のマントをトーマに羽織らせ、隠し持っていた飴玉をトーマの手に握らせた。
「よく頑張りましたね。私からのご褒美です」
 飴玉をもらったトーマに小さな笑みが差した。暗い闇に閉じ込められていた少年に光が戻ったのだ。
 オルガスがトーマを背負い貯蔵庫を出ようとしたとき、腐臭が風に乗って漂い螺旋階段からアンデッドたちが姿を見せたのだ。
 追い払ったと思ったが、またすぐに集まって来てしまったのだ。
 アンデッドに目をやったオルガスはエリーナに悪態をついた。
「おまえが連れてきたんだろ」
「そんなヒドイ!」
「オレはこの子を背負ってるから、あいつらはおまえに任せたぞ」
「言われなくてもわかっています」
 逃げ場がない。危機的な状況だ。
 しかし、強行突破はできる。
 手に魔導を溜めるエリーナを確認し、オルガスは背負っているトーマに向かって言う。
「しっかり掴まってろ、走るぞ」
 トーマが頷く前にエリーナの魔導が発動し、オルガスは俊足を生かして駆けていた。
 眩い光が当たりに散乱し、塵に還り浄化していくアンデッドたちを乗り越え、二人とひとりの少年は螺旋階段を全力で上った。

 降りしきる雨の中、重騎士バンガードは見張り塔に向かっていた。
 城の敷地内に建てられた見張り塔は居館に隣接した位置に建てられていた。
 塔の入り口は金属製の扉で硬く閉ざされ、上を見合せば窓があるが、下からはここしか入り口がない。
 ドアを強く叩くが、中からの反応はなかった。
 アンデッドに用心しているに違いない。
「助けに来た」
 野太い無愛想な声だ。これでは中にいる次男のケルビンも怖がって出て来られないだろう。
 バンガードは扉のすぐ向こうから気配を感じていた。
 いつ向かいが来てもよいように、扉のすぐ傍にケルビンがいるのだろう。しかし、用心しているのか、反応を押し殺したように静かだ。
 もう一度バンガードは扉を叩いた。
「クライストン夫人に頼まれて助けに来た」
 夫人の名前を出したためか、今度は中から反応が返ってきた。
「で、出たくない……」
 短い言葉の中に震えと怯えが入り混じっている。やはりアンデットに怯えているのかもしれない。
 無理やり小屋に入ろうにもドアに鍵が掛かっている。
「俺がおまえを守る」
 芯の通った信頼のおける声だった。それが子供にも伝わったのか、内鍵の開く音がした。
 小さな隙間から上目遣いでこちらを見つめる幼子の顔は憔悴しきっていた。幼い子供がここでどんな恐怖を味わっていたのかを考えると胸が痛む。
 怯えながらも外に出ようとするケルビンをバンガードの大きな手が止めた。
「俺が良いと言うまで、鍵を閉めて中に入っていろ」
 ケルビンの大きな瞳は、自分の背の高さほどの四つ足の獣を映し出していた。
 凄まじい殺気の凝結。
 四つ足の獣が群を成し、こちらを金色に光る眼で睨んでいる。
 キラーウルフの群だ。
 群を成して行動するキラーウルフは知能が高く、頭脳プレイを用いて獲物を狩る。
 息を合わせてキラーウルフが3匹の同時に襲い掛かってきた。
 バンガードが背負っていた大斧を振り回す。
 当たれば大ダメージを与える大斧だが、敏速なキラーウルフはそれを易々と躱し、装甲に覆われてないバンガードの頭部に飛び掛ってくる。
 バンガードは瞬時に地面を転がりながら敵の攻撃を避けた。その身のこなしは重い鎧を着ているとは思えないが、全身装甲の重い鎧は重さが均等に分割されているために、熟練した者ならば素早い身のこなしで動くことできるのだ。
 敵の数は一匹ではない。避けた場所にキラーウルフが襲い掛かる。
 大斧が襲い掛かってきたキラーウルフの腹を殴るように切断した。
 断末魔をあげるキラーウルフはすぐに事切れ、仲間のキラーウルフが大斧を持つ手首に噛み付いてきた。
 キラーウルフを振り落とそうと腕を振っている最中に、残った一匹のキラーウルフが鋭い犬歯を覗かせバンガードの画面に襲い掛かってきた。
 バンガードはすぐさま大斧を捨て、キラーウルフに噛まれていない腕を出して、顔面に襲い掛かってきたキラーウルフに噛ませた。
 両腕をキラーウルフに噛みつかれ、武器をも失ったバンガードに、近くに潜んでいた4匹目のキラーウルフが飛び掛ってきたのだ。
 絶体絶命のピンチにバンガードは力押しで切り抜けようとした。
 両腕に噛み付くキラーウルフを2匹同時に振り回し、飛び掛ってきたキラーウルフを挟むようにぶつけたのだ。
 仲間同士でぶつけられたキラーウルフたちは脳震盪を起こし、気絶をして地面の上で動かなくなった。
 戦いを終えたバンガードは見張り塔の扉に近づいた。
 閉めろと命じた扉は少し開いており、そこからケルビンはこちら側を覗いていた。
「もう心配ない。母親の元に行くぞ」
 ケルビンは頷き扉を開けて外に出てこようとした。だが、その足が急に止まった。
 背後に殺気を感じたバンガードが大斧を振るう。
 ビュンと風を切った大斧は風と共に、四つ足の獣に傷を負わせた。
 そこには筋骨隆々の黒犬いた。
 野生――いや、この辺りで飼われていた猟犬に違いない。この国で起きた争いの際、飼い主に見捨てられ野生化してしまったのだ。争いの被害者は人間だけでなく、動物達の中にも生まれるのだ。
 弱った動かなくなった黒犬に止めを刺そうとバンガードが大斧を振り上げる。
 大斧を振り下ろそうとしたとき、その前に幼いケルビンが立ちはだかったのだ。
「殺さないで!」
 舌足らずの幼子の訴えにバンガードは躊躇し、大斧の先端を地面に降ろしてしまった。
 地面から立ち上がった黒犬が背を向けて逃げていく。
 笑みを浮かべたケルビンにバンガードは抱きつかれ、少し照れ臭そうにそっぽを向いた。ぶっきらぼうな態度も、子供の瞳にはお見通しなのだ。
 大柄なバンガードは小柄なケルビンを肩に乗せて帰路を急いだ。
 母と兄弟たちの再会は近い。
 残るは長女のアリッサだけだ。

 事前に細かいい場所を尋ねようにも、心労でクライストン夫人は倒れてしまった。一刻も早く母と兄弟を引き合わせなくてはならない。
 礼拝堂は居館のほぼ中心部にあった。
 すぐに礼拝堂を見つけることはできたが、長女アリッサの姿は見当たらない。
 アンデッドに見つかってしまっては元も子もない。すぐに見つからない場所にいることは承知の上だ。
 なかなか見つからない長女の姿に、エルザは次第に不安を覚えていた。
「クラウス様、ここにアリッサが本当にいるのでしょうか(もしかしたらすでにアンデッドに殺されてしまったのでは?)」
「クライストン夫人は礼拝堂だと確かに言い残した。礼拝堂と他の場所を間違えることはないだろう」
 しかし、いくら経ってもアリッサを見つけることはできなかった。
 積もる不安は拭えない。
 ステンドグラスから差し込む七色の陽が、神像を荘厳に輝かせていたのも昔の事、外で振り続ける雨のため七色に光は失われ、今は廃墟と化して壁には大きな穴も穿たれていた。
 エルザは聖アルティエルの偶像を見上げ祈りを捧げた。
「(どうかアリッサが無事でいて、一刻も早く見つかるように)」
 幸運なことにアンデッドの魔の手はまだ伸びていない。
 廃墟とはいえ、聖なる礼拝堂はアンデッドと寄せ付けない力があるのかもしれない。
 教壇やパイプオルガンの陰、戸棚や椅子の陰にもアリッサの姿はなく、泣き声も聴こえてこない。もしかしたら、ここにいないのではないかという不安が積もっていくばかりだ。
 クラウスの瞳にも曇りが浮かびはじめた。
「探してない場所は本当にないのか……?」
「他の場所に探索に参りますか?」
「いや、もう少しここで探索を続けよう」
 今日はクラウスの17歳の誕生日だった。本来ならば国で催されているはずの式典に出席しているはずだったのだが、替え玉を用意して式典に出席せずにこの地に赴いた。
 まだクラウス魔導学院に席を置くクラウスは学業と国務を両立させ、国務をおろそかにしていると文句を言われぬよう、全身全霊で一線に立って活躍を見せている。
 そんなクラウスが弱音を吐いたり、疲れた姿をエルザは見たことがない。
「今日はクラウス様のお誕生日だと言うのに、とんだことに巻き込まれてしまいましたね(今日くらいは心落ち着く時間を過ごして欲しかった)」
「とんだことなどではない。クライトン夫人を助けられたのは幸運だった」
 確かに自分たちによってクライトン夫人の命は救われた。しかし、エルザは日ごろからクラウスの考え方に危機感を覚えていた。
「クラウス様は自分の身を危険にされしても人を救おうといたします。わたくしはそれが心配でなりません」
「わかっているさ。僕が死ねば国にどのような影響を及ぼすかくらいは。けれど僕は自分の命と他の命を同等と考えている」
「(そんなことは奇麗事だ)」
 それをエルザは口に出すことはなかった。
 動きを止めてしまっているエルザにクラウスが促す。
「アリッサの捜索を続けよう」
 深く頷いたエルザはパイプオルガンの影を探した。
 この礼拝動が使われていたころは美しい賛美歌を奏でていたに違いない。しかし、今は鍵盤が抜け落ち音もなりそうもない。
 鍵盤に触れてみたのは、ほんの気まぐれだったかもしれない。
 壊れていると思っていたパイプオルガンが短く音色を響かせたのだ。
 そして、奇跡は起きた。
 音色に驚いたのか、赤ん坊の泣き声がどこからか聴こえた。
 泣き声のする床板に手を掛けるとすぐに外れた。なんと、そこには頑丈な作りの宝箱。そして、中から現れたのは幼い赤ん坊だった。
 ついにアリッサを発見できたのだ。
 見つけ出したアリッサをクラウスが抱きかかえると、防波堤を壊したように大泣きされてしまった。慌ててエルザにアリッサを任せると、アリッサはエルザに抱かれて静かになった。
 困惑しているクラウスにエルザは微笑みかけた。
「クラウス様はいつも眉間に皺を寄せています。そんな顔をしていたら子供に泣かれるのは当然でしょう」
「そんなに僕はいつも眉間に皺を寄せているかい?(そんなつもりはないんだが)」
「ええ、クラウス様が眉間に皺を寄せていないのはルーファスと一緒にいるときくらいです」
「そうか」
 もっと難しい顔をしてクラウスは黙り込んでしまった。
 エルザが持参していたミルクをアリッサに与えると、アリッサは無邪気に笑顔を浮かべてくれた。その笑顔を見た二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「クラウス様、この子を連れて早く宿に戻りましょう」
「そうだな、母親の喜ぶ顔を早く見たい」
 アリッサをエルザに任せ、クラウスは果敢にも先陣を切って礼拝堂に外に出る。途端に襲って来たアンデッドどもをなぎ払った。
「やはり外で待ち構えていたのか」
 聖なる力が働いてアンデッドたちは礼拝堂に近づけず、礼拝堂の外でクラウスたちが出てくるのを、息を潜めて狙っていたのだろう。
 エルザもアリッサを抱きかかえながら剣を抜いた。
 アンデッドを切り裂くエルザの剣技。しかし、胴を切り落とされても、アンデッドは妄執に取り付かれ、なおもエルザたちに襲い掛かってくる。
 アンデットをそこまで駆り立てるものは何なのか?
 そんなアンデッドたちの姿を見て、クラウスは居た堪れない気持ちになる。
「(この者たちも元は人間。戦乱の中で死してアンデッドと化したのだろう)」
 死の呪いのよって、成仏できぬまま彷徨い続けるアンデッドたち。
 しかし、もうこの者達は生者ではない。
 無限の可能性を秘めた未来を持っている者は、エルザの胸に抱かれた幼いアリッサだ。
 クラウスの剣がアンデッドを斬る。
 輝き塵と化すアンデッドたちは成仏できるのだろうか?
 せめて最期の時は苦しまずに……。
 願いを込めてクラウスは剣を振るった。
 そして、クラウスは見たのだ。
 アンデッドが塵と化す刹那のとき、安らかな表情を浮かべていたのを――。
 気がつくと、辺りからアンデッドたちの気配は消えていた。
 鞘に剣を収めたクラウスはまた眉間に皺を寄せて難しい表情をしていた。

 子供たちを全員救出し、宿で合流したクラウスたち。
 クライストン夫人は嬉し涙を流しながら、何度何度もクラウスたちにお礼を言って立ち去った。
 仕事を終えた後の一杯の酒を喉に流すオルガス。
「くぅ、今日の酒は極上だな」
 隣ではバンガードが寡黙に酒を飲んでいる。
 なんとも言えない充実感に浸る者たちの中、クラウスだけは難しい顔をしていた。
 そんなクラウスにほろ酔いのエリーナが酒を勧める。
「クラウス様も難しい顔してないで一杯やりましょう」
「僕はまだ酒の飲める年じゃない」
 酒を断るクラウスにエリーナは強引に酒をついで渡した。
「お忘れですか? 今日はクラウス様の15歳の誕生日なのですよ」
 ハッとしたようにクラウスは口を小さくあけた。
「そうか……忘れていた。15歳か、酒の飲める年だな」
 アステア王国では15歳以上に飲酒が認められている。
 地ビールを注がれたグラスを受け取ったクラウスは、それを一気に喉に流し込んだ。
 そして、難しい顔で眉間に皺を寄せたのだった。
 それを見た周りの者達がどっと笑い出す。
 クラウスもそれに釣られて静かにはにかんだ。
 君主がいつも笑顔でいられるように、エルザは忠誠を再確認して胸に誓ったのだった。

 おしまい


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