第3話_アイーダ海の白い悪魔

《1》

 南アトラス大陸に隣接する南ノース洋は、今や武装船団ヴィーングの縄張りと化していた。
 ヴィーングとはイースランドを起源とする民族の総称で、主に今の時代はヴィーング民族の〝海賊〟を指す言葉として用いられている。
 聖歴8世紀――時代は第1次大海賊時代だったりする。
 この時代有数の港町アディアは今日も賑わっていた。
 商船や漁船の乗組員、ランバード海軍が酒場で昼間から酒を飲んでいた。
 ランバードとは聖戦で活躍した七英雄の末裔が治める国であり、南アトラスの三強に数えられる国である。つまり、なんかスッゴイ国なのだ。
 ランバード、ヴィーング、メミスが三強に数えられる。
 この中で国なのがランバードとメミス。
 ヴィーングたちは武装船団の総称であり、団結性があるわけではない。
 メミスは中立を保っているため、残りの三戦力が大陸で絶えず戦乱を繰り広げ、交易港であるアディアはその縮図だ。
 酒場に熊のような図体をした男たちが入ってきた。酒を飲んでいた海軍たちの目つきがかわる。
 巨大な斧などの武器を携帯し、毛皮の服を着た野蛮な香りのする男たち。身体が臭い。
 海軍の隊員たちが立ち上がって、野蛮な男たちの前に立ちふさがった。
「おまえらのような者が来るような場所じゃない(風貌からしてヴィーングかもしれないな。てゆか、臭いな)」
 海軍の隊員のひとりが言った。
 野蛮な男たちは顔を見合わせて、黄色い歯を見せながら笑いあった。
 そして、巨大な拳を高く振り上げて、隊員の顔面をパーンチ!
 殴り飛ばされた隊員はドーン!
 それを合図にドンチャン騒ぎがはじまってしまった。
 酒瓶が宙を飛び交い、鈍器に使われる木のイス、青ざめる店主の顔。
 店内が荒れる中、ただひとり静かに酒を飲み続け客がいた。
 白いフード付きのローブを頭から被り、傍らの席にはこの客の私物なのか、アイパッチをしたピンクのウサギのぬいぐるみが置かれている。
 ただのぬいぐるみだと思っていたウサギが口を開いた。
「海軍がヴィーングに押されてるにゃー(海軍も人手不足で弱っちいのしかいないにゃ)」
 ウサギなのに『にゃー』なのは制作者の仕様だ。
 かまわず白いフードの人物は酒を飲み続けていた。
 が、しかし、どこからともなく飛んできたワインの瓶が……白いフードにクリティカルヒット!
 ガツン!
 と、一発側頭部を殴られ、フードの下のこめかみに青筋が浮いた。
 真横にいたウサギがフードの中を覗いて青ざめた。
「お、怒っちゃ……ここで暴れたらダメだにゃー!」
 白影がすーっと席を立った。
 北風が店内に吹き、床に白い霜が走った。
 うつむくフードの奥から低い女の声が響く。
「……てめぇら」
 騒がしい店内だったが、その声はなぜかこの場にいた全員の耳に響いた。
 白いフードが取られ、長く美しい金髪が現れた。そして、金髪よりも輝いている白く美しい女の顔。
 金髪女に向かってウサギが叫んだ。
「この町に出入りできなくなるにゃ、やめるにゃカーシャ!」
 だが、その言葉も金髪女の耳には届かず、金髪女ことカーシャは怒号を飛ばした。
「アタイに瓶を当てた奴はどのボケじゃ! 名乗りでないならこの場にいる全員連帯責任で血祭りにあげたるわ!」
 乱暴な言葉遣いに驚いたというより、その満ちあふれる殺気で辺りは凍り付いた。
 精神的な寒さではなく、明らかな気温低下。
 カーシャの切れ長の瞳が次々と男たちが見て回った。
 逆境と多くの戦乱を生き延びてきたヴィーングたちは、相手が若い娘だと知って鼻で笑った。
「小娘がっ、俺らにケンカを売ってただで済むと思ってんのか?(なかなかいい女だ、可愛がってやるとするか)」
 これにたいしてピンクのウサギがボソッと呟く。
「カーシャはただの若作りだにゃ(何千年生きてるのかわからないババアだにゃ)」
 ギロっとカーシャはウサギを睨み、そのままウサギの首を握って放り投げた。
 投げられたウサギはヴィーングに叩かれ、床に激突。痙攣したまま動かなくなった。
 さよならウサギさん!
 勇敢にもカーシャはヴィーングに向かって歩き、途中なんか汚れたぬいぐるみを踏んづけたような気がするが、気にしな~い♪
 長く伸びたヒゲの囲まれた口を舐め、ヴィーングはカーシャの胸元を舐めるように見ていた。
「牛みてえな乳してやがるな。なんなら俺がミルクを吸い出してやろうか?」
 と、言ってヴィーングたちは一斉に笑い出した。
 そして、ローブの下からでもわかるカーシャの爆乳に男が触れようとした瞬間、骨を砕く音がして男は手首を捻りあげられていた。
「アタイに気安く触ろうとするんじゃないよ!」
 カーシャは相手の手首を砕きながら、止めと言わんばかりに膝蹴りを放った。
 膝は男の大事なところを抉るように潰し、男は口からカニのみたいに泡を吐いて失神した。
 ぎょっと眼を剥いたのはヴィーングたちだけではない。店内にいた男たち全員が辛そうな顔をしながら股間を押さえていた。
 カーシャは冷笑を浮かべて男たちを眺めた。
「次はどいつのタマを潰してやろうか?」
 挑発的な態度にヴィーングたちの血が煮えたぎり、野獣と化したヴィーングたちが束になってカーシャに襲いかかってきた。
 北風が吹いた。
 カーシャに襲いかかろうとしていたヴィーングたちが吹っ飛んだ。何が起きたのか、それを理解するのに数秒を要した。
 ホウキを構えるカーシャの姿。その姿はカーシャであって、先ほどのカーシャではなかった。
 白銀の長い髪をなびかせ、魔導を帯びた蒼い瞳。白い肌はより白く輝いていた。
 そのカーシャの姿を見て、誰かが畏怖を込めながら呟く。
「〝アイーダ海の白い悪魔〟」
 その通り名を近海の町々で知らぬ者はいない。
 海賊の船を次々と沈める白い悪魔の伝説。
 カーシャは冷笑を浮かべた。
「みんな凍ってしまえばいいわ」
 それが男たちの耳にした最期の言葉だった。

 アディアの酒場にいた客が、全員凍りづけにされて見つかってから数十分後、カーシャはアイーダ海の上空をホウキに乗って飛行していた。
「店丸ごと凍らすことなかったにゃー(手加減を知らないにゃ)」
 その声はカーシャの首の後ろ辺りからした。フードまるでポケットのようにして、その中にあのウサギが入っていた。
「使い魔のクセして、アタイに意見する気?」
「滅相もないにゃ、おいらはカーシャの従順な下僕だにゃ」
 このウサギの正体はカーシャの作り出した人工魔導生物であり、名前はマーブル・チヨコ・レイト3世という。ちなみに1世と2世はいない。
 カーシャは銀色の髪をなびかせ、なにかを探すように上空を旋回していた。
「いないわね」
「広い海で特定の船を見つけるなんて難しいにゃ」
「うっさい、連帯責任を負わせるまで地獄の果てまで追撃したるわ」
 実は酒場からただひとり凍りづけにされずに逃亡したヴィーングがいたのだ。そいつを追ってカーシャは海に出た。
 ここまでカーシャが追撃に執念を燃やす理由は、金髪女の正体が〝アイーダ海の白い悪魔〟だと世間に広まると、金髪の姿で町を出入りできなくなる理由があるからだ。
 という理由より、ぶっちゃけ個人的な恨みだと思う。
 カーシャの蒼眼がキラリーンと輝いた。その瞳に映ったのはガレー船の帆だった。帆に描かれた図柄は、酒場にいたヴィーングが腕に入れていた刺青と同じ。
「間違いないわ」
 船のサイズはこの時代にしては平均的、十数人乗りの小型船で、カヌーを大きくしたような形をしている。
 ホウキを急降下させて、カーシャは船の真横に併走した。
 銀髪のカーシャを見たヴィーングたちが凍り付く。ひと目で〝アイーダ海の白い悪魔
だと知れたのだ。
 すぐにヴィーングたちは武器を構えた。だが、まだ仕掛けてこない。
 しばらくして、ぐぅんと人相の悪い船長が顔をひとつ前に出した。
「〝アイーダ海の白い悪魔〟だな? おまえさんがこの船になんのようだ?」
「そこに隠れてる男をまずアタイに渡しな」
 酒場から逃げた男は人影に隠れていたが、すぐにカーシャと目が合ってしまった。
 船長はうんとは言わなかった。
「おれたちゃ、同士を売るようなマネは絶対にしねぇ」
「あっそ、なら連帯責任は免れないわよ……覚悟はいい?」
 カーシャの周りに集まり出す蒼いマナフレア。魔導の力が発動されようとしていた。
 航海を続けていた船が突然止まった。
 強い北風に煽られ帆はなびいているにも関わらず、なぜか船が止まってしまったのだ。
 ヴィーングのひとりが身を乗り出して船の底を見ると、なんと海が凍り付いてしまっていた。
 殺らなきゃ殺られる。そんな空気が張り詰め、血走った眼でヴィーングたちがカーシャに矢を放った。
 一瞬にして凍り付く船板。ヴィーングたちの足が止まった。いや、止められた。
 凍り付いたのは船板だけではない。ヴィーングたちの足までもが凍り付き、船板に張り付いてしまったのだ。
 カーシャは冷笑を浮かべる。
「何日くらいで死ねるかしら?」
 足を凍らされ、その場から動くことも逃げることもできない。広い海の上、ただ死が訪れるの待つのみ。
 自由に動く上半身を動かして、ヴィーングは斧を投げつけてきた。
 カーシャのその斧を取るでもなく、躱すでもなく、ただ手のひらを突き出した。
 すると、斧はカーシャに当たる寸前、蒼く凍り付いて粉々に砕け散ってしまった。
「まだアタイに牙を向けるなんて良い度胸してるじゃない?」
 微笑を浮かべたカーシャは船に降り、持っていたホウキを風車のように回した。
 強い北風が吹き、空気の中の水分が氷結する。
 ヴィーングたちは氷の中に閉じこめられ、恐怖に歪める顔を冷凍保存することにしなってしまった。
 満足そうにうなずくカーシャは、積んであった積み荷を物色することにした。
 木箱がいくつか並べられ、ひとつ開けてみるとワインが詰め込まれていた。
 他の木箱にはチーズなどの食品の他、レッドハーブ、ブルーハーブ、薬草などの類もあった。
「あまり金目の物はなさそうだから、薬草を少しもらっておこうかしらね。マーちゃん、使えそうな薬草を袋に詰めておいて」
「人使いが荒いにゃ」
「アンタ人じゃないでしょ」
「言葉のあやだにゃ」
 マーブルは小さな身体を一生懸命動かしながら、大きな木箱を開けて中の薬草を集めはじめた。
 カーシャは最後に残っていた木箱を開けることにした。これには頑丈な南京錠がかけられていた。
 白いカーシャの手が南京錠に触れると、一瞬して南京錠は凍り砕け散った。
 木箱のフタを開けたカーシャは眼を丸くして、凍ったように身動きを止めてしまった。
 なんと木箱の中には子供がいたのだ。それも手足を縛られ、口にも布をかまされている。身なりの良いドレスを着たブロンドの少女だった。
 鋭い目つきで少女はカーシャを睨んでいる。
 数秒カーシャは動きを止めた後、見なかったことにした。
 子供をめんどくさいから好きじゃない。
 バタンと木箱のフタを閉めてマーブルを見る。
「そろそろ行くわよ」
「その箱の中身はなんだったにゃ?」
「別になにも入ってなかったわよ」
 と、カーシャがウソをついた瞬間、木箱がガタガタと大きく揺れた。
 なまぬる~い眼でマーブルはカーシャを見ている。
「本当はなにが入ってるにゃ?」
「なにも入ってないわよ」
 サラッと白々しいウソ。
 当然、マーブルはそんなウソを信じるハズがなかった。
 マーブルは自ら木箱を開けた中身を見た。やっぱり中には縛られた少女が入っていた。
「にゃ、子供が入ってるにゃ!」
 驚くマーブルにたいしてカーシャは惚けとおす。
「子供? なにそれ、どこにいるの?」
「ついに老眼が……ぐえっ!」
 マーブルの身体が鋭く蹴り飛ばされた。もちろん蹴っ飛ばしたのはカーシャ。
 帆に激突して、そのまま床にも激突したマーブルは、そのまま身動きひとつしなくなった。
 さよならマーブル!
 そして、すぐに蘇るマーブル!
 やっぱりカーシャの下僕だけあって、いろいろと打たれ強いのだ。
 マーブルはヨロヨロしながら、再び身を乗り出して木箱の中を覗いた。やっぱり少女は入ったままだ。
「やっぱり子供は入ってるにゃ……にゃっ!?」
 奇声をあげるマーブル。
 何者かに背中を押されて木箱に押し込まれ、フタをバタンと閉められた。何者って回りくどい言い方をしているが、もちろんカーシャだ。
 フタの閉まった木箱がガタゴト揺れて、中では壮絶な何かが繰り上げられているようだ。そして、聞こえてくるマーブルの声。
「人質に取られたにゃ、助けてにゃーっ!」
 どうやらマーブルは人質に取られたらしい。
 しかし、カーシャはサラッと。
「そんなホコリ臭い人形ならくれてやるわ。さよならお嬢ちゃん」
「ヒドイにゃ、おいらがどうなってもいいのかにゃ!」
「アンタに命を吹き込んであげたのはアタイよ。その命、どう使おうとアタイの勝手でしょ」
「ペットは責任を持って飼わなきゃいけないにゃ!!」
 激しく木箱が揺れた。
「俺を自由にしてくれたら宝石でも何でもくれてやる!」
 その声はマーブルでもカーシャでもなかった。
 となると……?
 なにか心変わりでもあったのか、カーシャは木箱のフタを開けた。
 口を縛っていた布が外れ、少女の瞳はまっすぐカーシャを見据えていた。
「早く俺を自由にしてくれ!」
 綺麗な顔をした少女が俺――オカマかっ!
 カーシャは不適に微笑んだ。
「アンタに興味がわいたわ」
 タマがあるかないか!?
 そこではなかった。
「アンタ何者なの?」
「言いたくない」
 少女はそっぽを向いて口を閉ざしてしまった。
 そっちがその手ならカーシャはこっちの手を使うまでだ。
「あっそ、さよならお嬢ちゃん」
 背を向けたカーシャを見て少女は焦る。
「待て、縄をほどいてくれたら教える!」
「イヤよ、そっちが身元を明かすのが先よ」
「……縄を解くのが先だ」
「そうだ、この船のヴィーングどもはみんな動けないから。運良く他の船に発見されたら幸運だわね」
 そう言って再び背を向けたカーシャを見て少女が折れた。
「……皇女だ」
「はっ?」
「ランバード王国の第一皇女フェリシア・ランバードだ」
「……おもしろそうな話になって来たじゃない?」
 眼をキラキラに輝かせるカーシャ。
 南アトラス大陸の大国ランバードの第一皇女が、なんとヴィーングの武装船の中で拘束されていたのだ。
 大きな事件の臭いがプンプンだった。

《2》

 二人乗り――正確には2人と1体を乗せたホウキはアイーダ海を南東に進んでいた。
「で、なんでランバードの皇女様がヴィーングの船になんて乗ってたわけ?」
 前を見ながらカーシャが訪ねると、フェリシアはめんどくさそうに答えた。
「あの状況を見ればわかるだろ、さらわれたに決まってるだろ」
 まるで男みたいな口の利き方だ。顔を見なければ少し声の高い少年みたいだ。
 たしかに着ているドレスは一級品で、イヤリングやネックレスなどの装飾品も高価そうではある。
 だが、やっぱり信じ切れない部分があるのも事実。
「マジでランバードの皇女なわけ?」
「本当なんだからしょうがないだろ」
 フェリシアはそっぽを向いて遠くの海を眺めた。
 地平線に続く青い海を見るフェリシアの目に入るピンクの物体。気になってフェリシアは訊いた。
「アレ、あのままでいいのか?」
「アレってなによ?」
「吊されてるお前の使い魔だよ」
「別に死にはしないからいいのよ、別に」
 ホウキから伸びたヒモに縛り付けられたマーブルの姿。風に煽られてブンブン振られていた。そんじゃそこらの絶叫マシンより怖い。
 けど平気、だってもう気を失ってるもん♪
 カーシャは話を戻す。
「さらわれたって言ったけど、なんでさらわれちゃったわけ?」
「身代金目当てか政治目的だろ」
「そじゃなくて、アンタ皇女様なんでしょ。なんで簡単にさらわれたのよ?」
「……周りに護衛がいなかったから」
 少し回りくどい言い方だった。
「護衛がいなかったってどうしてよ?」
「俺ひとりだったから」
「だからなんでひとりだったのよ?」
「それは……式典を抜け出したから」
「自業自得ね」
 言葉遣いや式典を抜け出す行動。だいぶやんちゃな皇女様らしい。
 徐々に近づいてくる陸地を見ながらカーシャが言う。
「ランバード領はまでは送ってあげるわ。ちゃんと城についたらお礼しなさいよ」
「どんな礼が欲しいんだ?」
「金とか宝石はいらないわね。ただアンタの親父に言っといて、〝アイーダ海の白い悪魔〟はそんな噂ほどのワルじゃないって」
「そうだな、お前が本当に〝アイーダ海の白い悪魔〟なら、そんな悪い奴じゃないかもしれない」
 最初は見て見ぬフリをしたが、結局は縄を解いて送り届けてくれようとしている。
 カーシャはどっとため息を漏らした。
「噂なんてものはあることないこと言われるもんなのよ。たしかに、たしかにね、ちょっと町で暴れたこともあるし、間違って商船やランバード海軍の船を沈めちゃったことは認める。でも、あれって事故だし、アタイ基本的にヴィーングの船しか狙わないし。なのに最近じゃいろんな奴らに目の敵にされて、ランバード海軍も追ってくるし、サイテーよね」
 人智を超える力を持つカーシャ。ちょっぴり頭に血が昇りやすく、ちょっぴり暴れただけで甚大な被害が出る。あくまで不可抗力ですよ――というカーシャの言い訳。
 なんとなーくホウキを運転していたら、なんとなーく港町アディアまで来てしまった。ちょっと前にこの町で騒ぎを起こしたばかりだ。
 来てしまったものは仕方ないし、さっさと皇女様をどうにかしたい気持ちもあったので、カーシャはしかたな~くアディアの港に降り立った。
「じゃ、ここでお別れね、はいサヨナラ」
 希薄に手を振るカーシャ。
 フェリシアは不満そうだった。
「ここで分かれてまた俺がさらわれたらどうするんだ?」
「……めんどくさいガキ」
 めんどくさいと愚痴を吐きながらも、結局カーシャはフェリシアをテキトーなところまで連れて行くことにした。
 ちなみにマーブルは未だに気絶中で、ヒモでズルズル引きずられている。
 しばらくして軽鎧を着たランバード兵の姿を発見した。
 向こうもコッチに気づいたようだ。
「姫様がいたぞ!」
「〝アイーダ海の白い悪魔〟と一緒だ!」
「姫様を救え!」
 次々と声が上がり、カーシャは『しまった!』という表情をした。
「……銀髪のままだった」
 フェリシアのことですっかり〝覚醒モード〟を解くのを忘れていたのだ。
 兵士たちが剣や槍を構え駆け寄ってきた。
 誤解を解くためにここはフェリシアに間に入ってもらうしか……。
「やっぱり帰りたくない」
 なんて抜かしやがったフェリシア。
 しかもフェリシア逆走!
 すぐに追いかけるカーシャ。
 この構図を端から見ると、逃げる姫君を悪魔カーシャが追う構図。
 実際は家に帰りたくない不良少女が兵士から脱げようとしているのだが、なんかもう誤解されていた。
「姫様が白い悪魔に、早く助けろ!」
 こうなったら奥の手を使うしかない。
 カーシャはホウキにまたがって逃走!!
 逃げるが勝ち。
 困ったときはとにかく逃げろ!
 空に浮いたホウキの柄をフェリシアが掴んだ。
「俺も連れて行け!」
「あふぉか、そんなことされたまた誤解されるじゃないのよ!」
 宙ぶらりんのフェリシアを蹴落とそうとするカーシャ。その姿を見ている兵士たち。ここでフェリシアを蹴落としたら、絶対に悪役にされる。カーシャは自制した。
「いいわ、さっさと乗りなさい!」
 カーシャが伸ばした手をフェリシアが掴み、そのまま持ち上げられるようにホウキに乗せられた。
 地上では兵士たちが喚いている。
「皇女がさらわれた!」
 という勘違いをされていた。
 カーシャは重たい頭を支えるように、おでこにペタンと手のひらを置いた。
「やってらんないわ」
 すっかり皇女誘拐の実行犯にされてしまったカーシャの運命はいかに!

 そんな感じの展開で、カーシャは再び海に出た。
 船があっても陸地に比べて追ってが来づらい。
「どーすんのよ?」
 低い声でカーシャが尋ねた。
「だって帰りたくなかったんだ、仕方ないだろ」
 すねたガキの表情を見せるフェリシア。
 カーシャは唇を噛んだ。
「やっぱアンタなんか助けるんじゃなかった(でも、なかなかおもしろい展開よね、うふっ)」
 言葉とは裏腹にカーシャは含み笑いをしていた。後悔しつつも、この展開に心を躍らせていたりもするのだ。
 カーシャは気持ちを切り替えることにした。
「ならいいわ、帰んなきゃいいんじゃない?」
「本当に帰らなくてもいいのか?」
 フェリシアは目を輝かせた。
「別にアンタの自由でしょ。ただ、これからどーすんのよ」
「まずはこの服を着替えたい。こんなヒラヒラしたスカートなんか穿いてられるか(股がスースーして気持ち悪い)」
「ランバード王家はアンタにどんな教育してんだか」
「父上の背中ばっかり見て育ったからな。物心つく前から父上のようになりたいと思ってた」
 もとより身体の弱かったフェリシアの母は、難産でフェリシアを生み、そのまま命を落としたという。
 母を知らぬフェリシアの肉親は父だけだった。教育係はいたが、それでも父の影響を強く受けたフェリシアは、まるで男児のように育った。
「にゃーっ!(ここどこだにゃ!?)」
 突然、マーブルが悲鳴をあげた。
 マーブルはまだホウキから伸びたヒモに縛られたままだった。
「早くおいらを助けてくれにゃ!」
 悲痛な訴えにカーシャはシカト。
 フェリシアがヒモを引き上げてあげようとしたのだが、その手は途中で止まってひゅるひゅるぅっと指の間をヒモが抜けてしまった。
「うっ!」
 ヒモがガクンと伸びきった瞬間にマーブルはダメージを受けた。
 そんなマーブルは放置でフェリシアは海上に浮かぶ小型のガレー船を見ていた。
「どこの船だろう?」
 その声に反応してカーシャもその船を見た。
「ヴィーングたちね。あいつらの服をもらう?(臭そうだけど)」
「臭そうだからイヤだ」
 キッパリ断った。
 するとカーシャが手にマナを溜めはじめた。
「なにをする気?」
 フェリシアが訊くとカーシャはニヤリと笑った。
「こうするのよ」
 ホウキのスピードが急速に上がり、振り落とされないようにフェリシアはカーシャの腰に腕を絡めた。
 そして、ガレー船とホウキとの距離が10メティート(約12メートル)を切ったとき、カーシャの手から氷の塊が放たれた。
 高速で飛ぶ凍氷の塊はその大きさを拡大していき、船の目と鼻の先に到達したときには、その大きさを3メティート(3・6メートル)ほどになっていた。
 氷の塊の直撃を受けた船は折れるようにVの字に曲がり、大きな水しぶきを上げながら海に沈んだ。
「よっしゃー!」
 満足そうにガッツポーズをするカーシャ。
 真後ろにいるフェリシアは目を剥いていた。
「呪文も唱えないであんな魔導を使えるなんて……(悪魔の所業だ)」
 魔導の基礎となったのがライラと呼ばれる別名〝神の詩〟である。その名の通り、詩を詠むことによって力を発動するタイプの魔導であり、詠めば詠むほど強くなると言う特性を持つ。
 しかし、呪文の詠唱に時間がかかるなどの理由から、簡略化されたレイラとアイラが主流となり、ライラは古代魔導としてその使い手の数が減少している。
 レイラの発動には呪文を唱えることが必要であり、つまり呪文の名前を言霊に乗せることにより発動する。
 そして、レイラの時代から存在し、今でも一般的に使われている魔導の中には、言葉を一言も発せずに使えるものが存在する。ランプに火を付けるなどの作業などに向いているが、威力はとても小さなもので戦いには不向きとされている。
 ゲームのノリで船を沈めたカーシャは、とっくに船のことを忘れてホウキを走らせた。
 ちなみにマーブルは自力でヒモを登って、フェリシアの背中を掴んでちょこんとホウキに座っている。
 ホウキはどこに行くでもなく走り、沿岸の崖を大きく曲がった。
 カーシャが嬉しそうに微笑む。
「巨大な船はっけーん♪」
 崖を陰にして隠れていた巨大な船。戦争に使われるような巨大なガレー船で、おそらく乗員は200名以上。
 フェリシアが尋ねる。
「なぜあんな場所に隠れているんだ?」
 隠れる理由がある。隠れる必要がある。隠れるということは、敵対するモノがいるということだ。
 カーシャの瞳がなにかを発見した。
「魔弾砲を積んでるわね。これで商船じゃないってことははっきりしたわね」
 戦争において主戦力となる魔導士。古くから魔導士を駒にした戦いは、遠距離戦が主流で、その戦力を魔導の使えぬ者も使うことができないか、その研究の中で開発されたのが魔弾砲である。
 魔弾砲には天然のマナ結晶が埋め込まれ、充填したマナエネルギーを放出する。人間が意識的に操っているのではないため、エネルギーの充填は自然に任せなければならない。そのため、いざというときに撃てないというデメリットも抱えている。
 さらにカーシャは巨大船の観察を続けた。
「どうやらヴィーングのようね」
「よく見えるな」
 フェリシアは目を細めるが、乗組員は米粒のようにしか見えない。
 相手に気づかれないようにかなり遠くの空から監視している。向こうからこちらは空を飛ぶ鳥程度にしか見えないはずだ。
 巨大な船、魔弾砲、ヴィーング。その点が線で結ばれた先にあるもの。
「あの船でどこに攻める気かしら?」
 大きな戦乱を予感してカーシャの血が騒ぐ。
 ヴィーングと敵対するのはランバード。
 フェリシアは少女とは思えない大人びた重い表情をした。
「ランバード領に攻める気なら、どうにか食い止めなきゃいけない」
「食い止めるってアンタになにができるの?」
「この事態を父上に知らせるのが先決だ」
「どうやって?」
「どうやってって……」
「アタイはイヤよ。アンタを送り届ける気はまったくないから。さっきだってなんか勘違いされたんだから」
 こんな場所で独りにされてもフェリシアには何もできない。頼みの綱はカーシャだけだった。
「頼む、送り届けてくれるだけでいいんだ。もしも戦いがはじまってしまったら、また多くの人が傷つくことになるんだ」
「別に他人がどうなろうとアタイには関係ないわ」
「……わかった」
 フェリシアはうつむき、言葉を続けた。
「あの船に降ろしてくれるだけでいい、俺ひとりで戦う」
「あはは、イイ根性してるわね(そーゆーの好きよ)。でも、武器も持たないでどうやって戦う気?」
「武器は奴らから奪えばいい」
 澄んだ瞳でフェリシアはカーシャを見つめていた。心の強さが瞳の奥に見える。
 マーブルが口を挟む。
「助けてあげればいいにゃー。カーシャだって本当は戦いたくて仕方ないにゃ?」
 カーシャはニヤリと笑った。
「誰が戦わないって言った? 送り届けるのはイヤだと言っただけよ。ヴィーング狩りはアタイのライフワークだもの」
 その言葉を聞いてフェリシアは目を輝かせた。
「ありがとう、心から礼を言う」
「別に誰かのために戦うわけじゃないわ。ただの趣味よ、趣味」
 しかし、2人だけで巨大な船と立ち向かえるのか?
「おいらもがんばるにゃー!」
 2人と1匹だった。

《3》

 巨大船の前に回り込み、相手側もカーシャたちの姿に気づいて甲板に出てきた。
 ヴィーングたちを前にしてカーシャは言葉を風に乗せた。その言葉はまるで拡声器を使ったように響く。
「今からその船はアタイのもんよ、さっさと武器を捨てて降伏なさい!」
 いきなりの宣戦布告だった。
 ヴィーングたちがざわめきたち、声がいくつも上がった。
「〝アイーダ海の白い魔女〟だ!」
 その声を合図にヴィーングたちは戦闘体制を整えた。
 積まれていた全ての魔弾砲の照準がカーシャたちに向けられる。到底避けきれる数ではなかった。
 だが、その程度のことで臆していては〝悪魔〟などと呼ばれるハズもない。
「魔弾砲ごときでアタイに敵うと思ってるの?」
 その吐息だけで船を沈めるとまで云われる〝アイーダ海の白い悪魔〟。
 生きた伝説をフェリシアは目の当たりにすることになった。
 魔弾砲から高エネルギーは発射され、一直線にカーシャたちに向かってきた。
 突き出されたカーシャの手のひらに蒼いマナフレアが集まる。
 巨大なエネルギーがカーシャたちを呑み込もうとしていた。
 猛烈な風が吹き、銀髪がなびき、氷の結晶が大気に舞う。
 魔弾砲を吸収するカーシャの手のひら、次の瞬間!
「アイシングミスト!」
 ダイアモンドダスト状の氷の結晶が、烈風に乗って巨大な船を呑み込んだ。
 吸収した魔弾砲のエネルギーを増幅させて撃ち放ったのだ。
 アイシングミストは甲板にいたヴィーングたちを全員凍りづけにしてしまった。
 その威力を目の当たりにしてフェリシアは息を呑んだ。
「(この力があればたった独りで国を滅ぼすことも……)〝アイーダ海の白い悪魔〟……貴女はいったい何者なんだ?」
 その問いにカーシャは不気味に微笑むだけで答えなかった。
 代わりに答えたのはマーブルだった。
「何千年も生きてる婆さんだにゃ」
 その言葉を聞いてカーシャの目がキラーン!
「あぁン、なんつった? アタイがババアだって? くたばりやがれ欠陥魔導生物がっ!」
 カーシャはマーブルの首根っこを掴んで、そのまま全力で投球!
 この日、マーブルは夜空のお星様になったのでした。
 さよならマーブル!
 マーブルがぶっ飛び、換わりに魔弾砲がぶっ飛んできた。
 ついに全勢力仕掛けてきたヴィーング。
 すべての魔弾砲がいっせいにカーシャに向けて撃たれた。
 カーシャはホウキを走らせた。
 魔弾の雨を躱しつつ、カーシャはそのマナエネルギーを吸収していた。
 魔導を放つために必要なマナを供給する方法は、自らのエネルギーを使うか、自然などの他からエネルギーを借りるか、カーシャは強大な魔弾砲のエネルギーを我がものにしていた。
 カーシャは船の先端に降り立った。この場所に立っていれば魔弾砲を使うこともできない。
「この船は壊さないであげる。だってアタイのもんだから」
 ホウキを構えるカーシャ。
 船底から次々から出てきたヴィーングたちが武器を構える。
 カーシャたちの背中には海が広がっている。目の前には大勢のヴィーングども。まるで追い詰められたようだ。
 しかし、カーシャの顔に恐れも焦りもない。
 巨大な船を沈めることなどカーシャにとって造作もないことだった。けれど、目的は船の制圧。
 カーシャは肉弾戦を仕掛けた。
 大剣や大斧で向かってくる敵にカーシャはホウキ一本で受けて立つ。
 重く鋭い刃が振り下ろされる。それを受け止めたのは見た目にはただの木の棒だった。
 剣を受け止められたヴィーングは驚きを隠せない。たがか細い木の棒で剣を受け止められるハズがない。
 カーシャは笑う。
「ただのホウキじゃないのよ。この世でもっとも硬度が高く、魔導にも優れたウーラティアに生える樹齢1万年以上の大木から作ったものなの」
 カーシャが力を込めると、剣が折れて刃が宙に飛んだ。
 ホウキを武器にして次々とヴィーングたちを倒していくカーシャ。その戦闘力は魔導だけでなく、肉弾戦にも優れていたのだ。
 気絶させられて海に投げ込まれるヴィーングたち。
 ヴィーングの束を相手にするカーシャの目に映るフェリシアの姿。ヴィーングたちがフェリシアに襲いかかろうとしていた。
「逃げろフェリシア!」
 カーシャの心配は無用だった。
 少女とは思えない俊敏な動きでフェリシアは敵の攻撃を躱し、殴り倒した男から剣を奪って構えた。
 剣を持ったフェリシアは実に生き生きしていた。
 華麗な剣の舞で次々と大の男を倒していく。
 カーシャはそのフェリシアの姿を見ながら思い出していた。
「(ランバードは剣術が優れていたんだったわ)」
 聖戦で七英雄のひとりとして戦ったフェリシアの先祖は、聖剣を振るい大魔王と戦った。それ以来、ランバードは剣術を主戦力に置いて技術を磨き、魔導隊にも劣らない騎士団を保有する剣術の国として知られるようになった。
 いつの間にかフェリシアは独りでヴィーングの相手をしていた。
 もう手を貸すこともないと、カーシャは船の縁に寄りかかってワインを瓶のまま飲んでいた。
「女にしておくにはもったいない剣の腕。さすがは七英雄の末裔ってとこね」
 一気に飲み干した空き瓶をカーシャは勢いよく投げた。
 飛んでいった瓶はフェリシアの背後に迫っていた男の頭部にヒットして、そのまま男は気を失って倒れてしまった。
 礼を言うようにフェリシアはカーシャに向かって微笑んだ。
 微笑まれたカーシャは『そんなんじゃないわよ』って感じでそっぽを向いた。
 カーシャのアイシングミストで倒した敵と、船に降りてから倒した敵、もうほとんどのヴィーングがたった二人によって倒されていた。
 そして、ついにヴィーングの親玉が姿を見せた。
 フェリシアの3倍はありそうな巨大な影。超巨大な斧を持って襲いかかってきた。
 そんな光景を他人事のように観戦するカーシャ。2本目のワインを開けていた。
 カーシャは横にいたずぶ濡れの人形に訊いた。
「アタイはフェリシアが勝つ方に金貨十枚賭けるけど、アンタいくら賭ける?」
「賭なんかしてないで助けてあげるにゃー」
 そこに立っていたのは海の底から生還したマーブルだった。海水吸って塩味になっている。
 カーシャは3本目のワインを開けた。
「大丈夫よ、あの子強いもの」
 フェリシアの実力は山積みにされたヴィーングを見ればわかる。
 超巨大な斧の攻撃を剣で受けることは難しいだろう。優れた剣術を持っていても、少女のフェリシアには筋力の限界がある。フェリシアの武器は軽やかな瞬発力。
 床板を蹴り上げフェリシアは剣を振り上げた。
 斧の刃がフェリシアの胸をかすめた。
 だが、フェリシアのほうが早い。
 刃が振り下ろされ、巨大な胸板が血を噴いた。
 攻撃の手を休めずにフェリシアは切っ先を敵の心臓に突き刺した。
 巨大な身体が音を立てて倒れた。
 フェリシアの持つ剣は肉から引き抜かれ、鮮血を滴らせていた。
 カーシャの蒼眼は立ちつくしているフェリシアだけを映していた。
「……少女が血みどろの戦いをするなんてイヤな時代だわ」
 それが〝アイーダ海の白い悪魔〟の発した言葉なのか?
 カーシャは多くの歴史を見てきた。時代は流れ、世界の中心は変わっても、争いのない時代はなかった。いつの世も血を血で洗い流す戦いが繰り広げられている。
 4本目の空き瓶をカーシャは投げつけた。それに当たって倒れるヴィーング。親玉を倒してもまだヴィーングは沸いて出る。
 ヴィーングは船にいるだけではなかった。近くのアジトから、続々とヴィーングが船に乗り込んでくる。
 フェリシアだけに任せていたら日が暮れる。再びカーシャが戦闘態勢に入ろうと動いたとき、頭上から矢が降ってきた。
 すぐにカーシャは崖を見上げた。
 降り注ぐ矢の雨。それはカーシャたちを狙ったものではなかった。
 ヴィーングたちが次々と矢に倒れていく。
「新手?」
 呟くカーシャ。
 崖の上から大きな声が聞こえる。
「その船は俺たちカーラック武装船団が貰う!」
 新手のヴィーングたちだった。
 どこに隠れていたのか、新手のヴィーングたちが次々と現れ、そこら中で戦いがはじまってしまった。
 カーシャはヴィーングをホウキで殴り飛ばしながら、フェリシアのもとに駆け寄った。
「なんかめんどくさいことになったわね」
「敵の数が増えただけだ」
 フェリシアは淡々と言った。
 情勢はカーラック武装船団が優勢。制圧は時間の問題だろう。
 カーラック武装船団のヴィーングは船の上にまで攻め込んできていた。
 立派な角の生えた兜かかぶったヴィーングがカーシャたちの前に立った。その目はカーシャよりもフェリシアを見ている。
「まさかこんなところでランバードの皇女に会えるとは!」
「俺がランバードの皇女だってよくわかったな」
「お前を誘拐する計画があったんだが、どうやら失敗したらしくってな。ここで会えたのは幸運だったぜ」
「まさか……あいつらの仲間か?
 フェリシアは自分を誘拐したヴィーングたちのことを思い出していた。
 話を聞いていたカーシャは笑っていた。
「……連帯責任じゃボケども」
 その言葉を理解できたのはマーブルだけだった。ちなみにマーブルはカーシャのフードに隠れている。
「まだ根に持っていたのかにゃ」
 はじまりはワインの空き瓶だった。それがいつの間にかこんな展開になっていたのだ。
 蒼いマナフレアがカーシャの周りを飛び交う。
 危険を感じたマーブルが叫ぶ。
「フェリシアちゃん伏せるにゃ!」
 なんで伏せなきゃいけないかは肌が感じていた。危険な空気が辺りに立ちこめている。
 カーシャは円を描くようにホウキを振り回した。
 極寒の北風が吹き荒れた。
 凍える空気、止まる刻、死せる心臓の鼓動。
 ヴィーングたちが一瞬にして凍りづけにされ、ヒビが入って砕け散った。
 カーシャはホウキにまたがり、フェリシアの腕を掴んで強引にホウキに乗せた。
「作戦変更よ。もうこんな船なんかいらないわ」
 フェリシアを乗せてカーシャのホウキが上空高く舞い上がった。
 崖の上から放たれる矢の雨。
 カーシャは冷たい吐息を吐いた。
 飛んできた矢が凍り付いて砕け散る。吐息で船を沈めたというのは、あながちウソではないかもしれない。
 さらに吐息は崖に上にいた弓使いを凍りづけにした。
 巨大な船の上ではヴィーングたちが争いを続けている。
 その戦いにカーシャは終止符を打とうとしていた。
「神々の母にして我が母ウラクァよ、その冷徹なる心に吹雪く極寒の風……」
 それは古代魔導ライラの詠唱だった。
 〝アイーダ海の白い悪魔〟のライラ――その威力の壮絶さは見なくとも予想できた。
 しかし、そのことよりもフェリシアの心に抱かれたのは……。
「(我が母……まさか〝アイーダ海の白い悪魔〟は女神の……)」
 神々の母にして、氷の女神ウラクァ。
 長い詩を読み終えたカーシャが高らかに唱える。
「ウーラティカアイス!」
 巨大な氷の塊が隕石のように次々と降り注ぐ。
 氷塊は船を壊すだけでなく、海面に落ちて上がった飛沫をも凍らせ、辺りを一瞬にして銀世界へと変貌させた。
 破壊された巨大船は沈むことなく、凍った海に閉じこめられた。
 涼しい顔しているカーシャ。これで実力を出し切ったとは思えない。
 フェリシアは〝悪魔〟の意味を知った。
「(国を滅ぼすどころじゃない。この力があれば世界だって滅ぼすことができる。これじゃまるで破壊神だ)」
 地上から生が消えた。まるでそこは死の大地と呼ばれるウーラティア大陸のようだ。
 カーシャは崖の上に降り立った。
 降ろされたフェリシアは強ばった表情で地面にあぐらをかいた。
 そんなフェリシアにワインを勧めるカーシャ。5本目を隠し持っていたのだ。いったいどこに?
「戦いのあとにはワインに限るわよね。アンタも飲むでしょ?」
「未成年にアルコールを勧めちゃダメだにゃ」
 すかさずマーブルのツッコミ。
「別にいいじゃない、誰も見てないし」
 ここにいるのは3人と1匹、それと凍りづけにされている弓使いたちだけのハズだった。
 その気配に気づいたときには、カーシャの首に短剣が突きつけられていた。
「動くな〝アイーダ海の白い悪魔〟」
 静かで淡々とした声。
 辺りは黒装束の部隊によっていつの間にか囲まれていた。
 フェリシアが声をあげた。
「ランバードの忍者部隊かっ!」
 黒装束の男がフェリシアの前に膝をついた。
「ご無事でなによりですフェリシア皇女。皇女を誘拐したあの女は我が部隊の手中です」
 それを首に短剣を突きつけられたカーシャのことをだった。
「違う、彼女は俺を……」
 誤解を解こうとフェリシアがしゃべろうとするが、途中でカーシャが口を挟んで最後まで言わせなかった。
「まっ、世の中こんなもんよね」
 疾風のような素早さでカーシャは自分の真後ろにした男の脇腹に肘を入れ、首から短剣が離された隙をついて崖から飛び降りた。
 フェリシアが声をあげる。
「あっ!」
 次の瞬間、ホウキに跨ったカーシャが崖の下から現れた。
「さよなら皇女様、今日は楽しかったわ」
 軽やかに手を振ってカーシャは広い海の向こうに消えた。
 こうして〝アイーダ海の白い悪魔〟の悪行のひとつに、ランバード皇女誘拐が付け加えられたのだった。
 歴史は真実を語るものではない。
 ちなみにマーブルは崖の上に残され、忍者部隊に囲まれながら人形フリでやり過ごしたのだった。

 おしまい


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