第4話_恥ずかしげな林檎

《1》

 学生でもないのに、何気ない顔をしてクラウス魔導学院の廊下を歩くセツ。
「侵入するのは意外に楽でしたけれど(ルーファス様はいずこ?)」
 楽と言いつつも、すでに放課後。朝からルーファスの追っかけをしたにもかかわらず。
 放課後になってしまったことで、教室にいた生徒たちが溢れ出してくる。この中でルーファスが探すのは難しいだろう。見つける前に帰宅されてしまう可能性もある。
 セツが目を配りながら歩いていると、ピンクのツインテールをスキップしながら近づいてきた。
 鉢合わせする前に――と、セツが隠れる前に見つかってしまった。
「あーっ、セツ!」
「セツですが何か?」
「なにかじゃないよ、なんでガッコーの中にいるの!?」
「いちゃ悪いですか?」
「悪いに決まってるよぉ。そーゆーのふほーしんにゅーってゆーんだよ」
「では、そういうことで」
 冷たい態度でサラッと回れ右。セツは足早にこの場を立ち去ろうとした。
 が、その目に飛び込んできたルーファス。
 慌ててセツは物陰に隠れた。なぜかビビを引っ張って。
「なんであたしまで隠れなきゃならないの?」
「少し黙っていてください」
「もぉ(自分勝手なんだから)」
 ぷいっとそっぽを向いたビビだが、すぐに気になってセツと同じ方向を見た。
 ルーファスだけなら、隠れたり、気になったりはせず、さっさと本人の前に顔を出していただろう。
 なんと!
 ルーファスが女の子といっしょなのだ!!
 あっ……違った。オカマといっしょだった。
 ルーファスとユーリがなにやら話をしている。
 内容までは聞こえてこないが、怒ってるユーリにルーファスがビビっているのはわかる。
 急にユーリが笑顔になった。
 ルーファスがユーリになんかを渡した瞬間だ。
 いったいなにを渡したのだろうか?
 気になるセツ。
「今の見ましたか? ルーファス様が女の子にプレゼントを渡しましたよ、わたくし以外の女の子に」
「ルーちゃん最近あの娘[こ]と仲いいみたい」
 二人ともユーリが男子だということを知らない。ちなみにルーファスも知らない。
 ユーリとルーファスが別れた。
 何も言わずセツはユーリを追った。ルーファスではなく、ユーリのあとを追ったのだ。
 ふと、セツが横を見るとビビがいた。
「なぜついてくるのですか?」
「あたしの勝手じゃん」
「ふん」
 プイッとセツはそっぽを向き、ビビもプイッとそっぽを向いた。
 中庭までやって来た。
 噴水の見えるベンチに座ってメモを見ているユーリの姿。
「ウソかよっ!」
 突然、ユーリが大声を出して、ハッとした顔をして慌てて周りを見回した。
 びっくりドッキリしたセツとビビは、噴水の周りにある彫刻のフリをして硬直した。
 気を取り直した様子のユーリが再びメモを読み出したようだ。
 メモにはいったい何か書かれているのか?
 さらにセツとビビはユーリに接近。
 気づかれないように、気づかれないように、噴水の音よりも静かに気配を消して、そ~っと近づく。
 急にユーリが立ち上がった!
 慌てたセツとビビは地面に伏せた。ユーリとの距離はすぐそこ。二人はユーリがいるベンチの真後ろに伏せていた。
「ビビちゃんと仲直りしなくちゃ!」
「んっ!?」
 驚いて声を出そうとしたビビの口をセツが手で押さえた。
 ユーリには気づかれなかったようだ。
 瞳を丸くしたビビはセツと顔を見合わせた。
「(どういうこと?)」
「(こっち見られてもわかりませんよ)」
「(仲直りって、なんかあったっけ?)」
「(ビビとこの子は仲が悪い。ということは敵の敵は味方と言いたいところだけれど、この子とルーファス様の関係も気になる。う~ん)」
「(思い出せないぃ~っ)」
「(悩ましいぃ~っ)」
 顔を見合わせながら、二人はう○こしてるような苦しそうな表情をした。
 それを掻き消すように漂ってきた香水の匂い。
 気配ゼロで空色ドレスの麗人がユーリの前に立っていた。
 ユーリが瞳をキラキラさせる。
「あ、ローゼンクロイツ様」
「そうだよ、ボクはローゼンクロイツだよ(ふにふに)」
「そういう意味でお名前を呼んだのではなく……まあいいです。ところで、メルティラブでの一件のあと、ローゼンクロイツ様はどうなされたのですか?」
「なにそれ?(ふにゅ)」
 がーん!
 ユーリだけでなく、ビビもショック!
 現場で散々な目に遭わされたビビショック!
 という詳細は『マ界少年ユーリ・第2話ドリームin夢フフ』を読んでね!
 魔導士ルーファスの15話ともリンクしてるよ!
 慌ててユーリが話し出す。
「ええっと、あのお店で一緒にスイーツを食べながら、アタシとビビちゃんとお話したのは覚えていらっしゃいますよね?」
「……忘れた(ふあふあ)」
 ユーリちゃんショック!
「あはは、そ……そうですか。え、でも、〈猫還り〉をしてお店を破壊したのは知っていますよね?」
「……らしいね(ふぅ)」
 〈猫還り〉したローゼンクロイツは、その間の記憶がぷっつり途切れる。酒飲んで、暴れて、覚えてないパターンと同じだ。
「キミたちが外に出されたあと、ヤツの秘書が現れて事態を収拾したらしいよ。お店もヤツがお金を出して立て直すらしい……ヤツに借りを作るなんて苦笑(ふっ)」
 本当に嫌そうな顔をしてローゼンクロイツは口元を歪めた。
 慌ててユーリは話を逸らそうとする。
「ところで、こんなところでなにをなさっていたのですか? まさか、アタシを見つけてわざわざ声を掛けに来てくださったとか?」
「……迷った(ふあふあ)」
「はい?」
「家に帰りたいのに学院から出られない(ふぅ)」
「……あはは、迷子になられていたのですね。だったら、アタシが送りましょうか?」
「別にいいよ、明日も授業あるから(ふあふあ)」
「……あはは、そうですよね。明日も授業ありますもんね!」
 ローゼンクロイツはふあふあ歩き出した。
 そんな後ろ姿を見ながらユーリは誓う。
「もうアタシは止めません。貴方は貴方の信じる我が道を突き進んでください」
 そして、ユーリもこの場から駆け出していった。
 ひらり♪
 メモが地面に落ちた。ユーリの落とし物だ。
 緊張を解いたセツは息を吐いてメモを拾い上げた。
「いつ見つかるのか冷や冷やしました」
 同じくドッと息を吐いたビビ。
「ふぅ。でもローゼンには見つかってた気がするけど(チラ見された気がするし)」
「ところで、あのローゼンクロイツとかいうひとは、本当に男なのですよね?」
「うん、ルーちゃんの幼なじみの男の子」
「あんな格好をしているということは、恋愛対象はやはり殿方……なのでは」
「う~ん、ローゼンって恋愛とかそういうのないと思うけど。ひとを好きになるってあるのかぁ(でも……ローゼンも人並みに恋とかしたら)」
 このとき、ビビとセツの頭の中には同じカップリングが浮かんでいた。
 ビビが髪の毛をかき乱す。
「うわぁ~っ、ないな~い!」
「わたくしはアリかと。ローゼンクロイツさんに恋愛感情がなければの話ですが」
「BL好きなの?」
「女装っ娘[こ]との絡みはBLなのでしょうか?」
「あたしに聞かないでよ!」
 ビビは顔を真っ赤に染めた。
 そして、話を変えようとした。
「さっきのメモは、メモ! あのメモなんだったの?」
「そうでした(まさかラブレター、なんてことはわたくしのルーファス様に限ってないと思いますが)」
 セツはメモを開いた。
 ビビが首を伸ばして覗き込む。
 ――カーシャちゃんドキドキわくわく媚薬の使い方講座♪
 どうやらカーシャの手書きメモらしい。というか、イマドキこんな丸文字使うひといないぞ。しかもいい歳なのに。
 セツは難しい顔をして眉を眉間に寄せた。
「媚薬って惚れ薬ということですが」
 ――この媚薬の使い方は居たって簡単、注射器で相手のケツにブチ込め!
 続きを読んで二人とも唖然。
 ケツにぶち込める状況ってどんな状況だよ。かなりの強攻策じゃないか。
 ――というのはウソで。
「「ウソかよっ!」」
 ビビとセツは仲良くハモってしまった。同じセリフをユーリも言ってた気がする。
 メモには裏面があった。
 ――この惚れ薬はまだ完成していない。完成させるためにはお前の体液が必要だ。この薬とお前の体液を混ぜ、それを相手に飲ませることにより効果が発生する。ちなみに混ぜる体液によって効果の度合いが変わってくるので注意しろ。妾のおすすめの体液はピーとかピーとか、ピーだな。
 怪しむような顔をするセツ。
「ピーってなんですか、ピーって。伏せ字にすると卑猥ですし、ここが重要な点ではないのですか?」
「体液って3つもあったっけ?」
「汗、唾液……ってなにを言わすんですか!」
 セツはなぜか顔を真っ赤に染めて、頭のてっぺんから蒸気を噴き出した。
 瞳を丸くしたビビは首を傾げてきょとんとした。
「3つ目ってなに?」
「そんなこと自分で考えればいいでしょう」
「教えてよぉ~、イジワルぅ」
 腕に抱きついてきたビビを振り払おうとセツが腕を振る。
「ちょっと離れなさい。馴れ馴れしくしないでください」
「いいじゃん、あたしたちトモダチでしょ~」
「いつから友達になったんですか、わたくしには覚えがありませんが」
「え? 違ったの?」
 ビビの表情は真顔だった。
 そんな顔を見てセツも真顔で少し驚いた顔をした。
「え?(そんな目で見られても)」
「あたしはトモダチだと思ってたのになぁ(ちょっぴりショックだなぁ)」
「本気で言っているのですか?」
「一度会ったらみんなトモダチだよっ」
「あ、あぁ、そうなのですか……(本気なのかわからない)」
 心の声が聞こえればいいが、疑心を持った者は考えれば考えるほど、疑いの心は強くなる。
 セツにとってルーファス様に近づくの女は、ぜ~んぶ変な虫。そういう目で見ている限り、セツは相手の心がよく見えないかもしれない。
 セツが持っていたメモをビビに奪われた。
「なにを!」
「カーシャのとこにレッツゴー!」
 駆け出すビビ。
 髪の毛をかき上げながら溜息を吐いたセツは、ふと笑ってビビを追いかけた。

 カーシャは学院内にある自室にいた。
 ドアを開けて元気よくビビが飛び込んできた。
「カーシャさん遊びに来たよぉ~♪」
「勝手に遊んでろ、妾は忙しい」
 赤ペンを持ったカーシャは答案の採点をしているらしい。
 ビビがボソッと。
「教師っぽい」
 カーシャっぽくない!
 セツは感心したようにうまずいていた。
「この方、本当に教師だったのですね」
 なんかカーシャが真面目に教師やってると、地震雷火事親父でも来るんじゃないかと思う。
 激しい地鳴り。
 稲妻のように部屋に飛び込んできた謎の影。
 息を切らせ頭から湯気が出ている姿は、まるで家事のようだ。
「カーシャせんせーッ!」
 ハゲオヤジが叫んだ。
 うんざりした感じでカーシャは採点の手を止めた。
「今度はだれだ……ん、マッスルか(相変わらず油臭い。こやつが出て行ったらファブらなければ)」
 ハゲオヤジこと魔武闘教師マックス。ハゲ頭の下はブーメランパンツ一丁のマッチョボディ。いつもなぜかテカっている。特に頭が。
「カーシャ先生大変です!」
「大声出さんでも聞こえてるわ。で、なにが大変なのだ?」
「部外者が学院のセキュリティを破って侵入したそうですよ! 連絡の電話入れたのに、カーシャ先生まったく出ないから、私に探して来いって言われて来たもんで!」
「部外者……か(こいつだな)」
 と、カーシャはセツに顔を向けた。
 冷や汗を流しながらセツはササッとビビの後ろに隠れる。
「(困りましたわ。このままでは突き出されて、これ以上この国で問題を起こすことは避けなければ。しかし、どうやって?)」
 困り考えを巡らせているセツに、カーシャは意地悪そうに笑いかけた。
 そして、マックスに向き直す。
「用件はそれだけか? わかったらもう帰れ、部外者を見つけたら報告してやる」
「頼みましたよー、カーシャ先生はいつもテキトーなんですからー」
「わかった、わかった。シッシ」
 虫でも払うようにカーシャはマックスをあしらった。
 不安そうな顔をしてマックスが出て行ってすぐ、カーシャはセツに顔を向けた。
「妾の命令を1つ聞くか、それとも金を出すか、交渉に応じようではないか」
「条件によっては学院に侵入したことを黙っていてくれると?」
 セツは真顔で尋ねた。
「だれが黙ってやると言った?」
「はい?」
 悪意を込めてセツは聞き返した。
「黙ってやるのではない。正式な手続きを踏んで、お前をこの学院で自由に行動させてやってもいいと言っているのだ。なんなら入学手続きをしてやってもいいぞ?」
「この学院の教師と言えど、教師は教師。他国にも知れ渡る魔導の名門クラウス魔導学院に容易く入学などできるわけないではありませんか。わたくしをバカにしているのですか?」
 と、横で聞いていたビビが、
「実は~、ちょっとした特別なはからいであたし留学生扱いで編入して来たんだけど、あっさりと(のちのち知ったんだけど、やっぱり実家の力が働いてたみたいだけど)」
 マジマジとセツはビビを見つめた。
「たしかに、魔族は元々魔力が強いとはいえ、あなたがこの学院に入学できるとはとても思えませんものね」
「うっ(言い返したいけど、言い返せない)」
 ビビちゃんちょっぴりショック。
 髪の毛をかき上げながらカーシャはウサギのマグカップを手に取った。
「ビビの編入は妾が通したわけではないが、最近ではユーリという小童[こわっぱ]を妾の力で編入させたやったぞ。ふふっ、これでもなんども屋カーシャ先生と呼ばれ、生徒たちが困ったときに最後に訪れるのは妾のもとなのだ」
「ですが、カーシャさんから個人的に条件が出されると言うことは、正式な手続きではないということですよね?」
「書類は正式だ」
 裏口入学!
 セツは少し考え込み、口を開いた。
「わたくしにはわたくしの学業がありますから、編入の必用ありませんが、学院を自由に歩けるようにしてもらいたいのですが?」
「キャッシュで2000ラウル。等価値であれば、他国の金でよいぞ。それとも別の条件にするか?」
 条件を出されてセツはすぐにサイフから1000ラウル紙幣を2枚出した。
「これでよろしいですか?」
「うむ、ならばこれを事務局に持って行け」
 カーシャは机の引き出しから書類を出し、そこに指先を走らせ、魔法のサインを書いた。魔力によって書かれた文字や図形は、筆跡鑑定、そして魔力がDNAのように個人特定できるため、有効な署名となる。
 飛び込んできた事態の解決に目処を付けると、セツは本題に入ることにした。
「もう1つ用件があるのですが」
「金さえ出せばなんでも聞いてやるぞ」
「これについてお聞きしたのですが?」
 セツはカーシャの目の前にメモを突き出した。

《2》

 その場所はいつしか〈失われた楽園〉と呼ばれていた。
 広がる不毛の大地。砂埃が空に舞い上がる。遠く先の景色は霧に覆われていた。
「なぜあなたも付いてきたのですか?」
 セツはイヤそ~な顔をしてビビを細目で見た。
「おもしろいことはみんなで共有したほうがいいじゃん」
「……惚れ薬なんて手に入れて、〝好きな殿方〟なんていらっしゃるのですか?」
「べべべ、べつに、好きな男の子はいないけど、楽しそうだから付いてきただけだから!」
「なら、わたくしの邪魔だけはなさらないように」
 セツはビビを置いて足早に歩き出した。
 踏みしめる大地は固く、植物など育ちそうもない環境だ。
 しかし、セツたちはここに林檎を取りに来たのだ。
 惚れ薬としてカーシャが提示した材料。その中に〝ロロアの林檎〟という果実があった。
 春麗らかな4月を守護する女神の名はロロア。彼女は愛の女神であり、絵画では林檎を持ったポーズで描かれることが多い。その女神の名が冠された〝ロロアの林檎〟。
 愛にはいろいろな形があるとはいえ、この荒れ果てた不毛の地にロロアの名がつく林檎などあるのだろうか?
 この場所はカーシャに教わった場所だ。つまりカーシャがウソをついていなければ、ユーリも同じ場所に来ているはず。そして、ユーリは〝ロロアの林檎〟を手に入れ、放れ薬を調合してもらった。
 地面に倒れている立て札をビビは見つけた。
「左に進むと温泉だって!」
「温泉に行きたいわけではありません」
「水着持ってくればよかったなぁ」
「温泉に水着は必用ありません。それに倒れている立て札に、もはや道しるべとしての機能はありません」
 セツは立て札に目を向ける。
 左は温泉。
 右は文字がくすんで読めない。
 前に進むと、かすかに『の林檎』という文字が読める。
「よ~し、左に進もーっ!」
 ビビは温泉に行く気満々。
 ムッとするセツ。
「ひとの話を聞いていましたか?」
「温泉っ温泉っ♪」
 スキップをしながらビビはさっさと進んでしまった。
 セツは辺りを見回す。
 立て札は倒れているため、示す方向が正しいとは限らない。そのため、ビビが進んだ方向に温泉があるとも限らない。これから進むべき方向すらもわからない。
 セツはビビのあとを追うことにした。
 やがて前方に見えてきた水柱。
「見て見て、噴水だよ!」
 ビビがはしゃいだ。
 呆れたようにセツは溜息とつく。
「あれは噴水ではなく間欠泉です」
「カンケツセン?」
「熱によって地面から噴き上げられる温泉です(あの看板が示す方向が正しかったということは、看板のところまで戻る必用がありそうだわ)」
「ねぇねぇ、あっちに湯船があるよ!」
 ビビが走って行ってしまった。
 残されたセツはビビを追わずに、来た道を引き返す。
「きゃーっ!」
 若い女の悲鳴。
 セツは厳しいかをして振り返った。
「ビビ?」
 今の悲鳴はビビの声に似ていた。姿は見えないが、その可能性は高い。
 セツはビビが向かった方向に走った。
 硫黄の臭いが鼻を突く。
 白い湯煙が視界を妨げる。
 セツは瞳を丸くした。
「……サル!?」
 しかし、それはサルよりも巨大だ。かと言ってゴリラらオラウータンではない。薄茶色の長い毛に覆われた巨大サル。巨漢のプロレスラーほどの体長がありそうだ。
「助けて!」
 サルに抱きつかれて捕まっているビビの姿。その周りにもサルどもが群がっている。
 視線を配ってセツはサルを数える。
「(1、2、3、4、5匹。ビビを拘束しているサルを加えて6匹)」
 セツは鉄扇を構える。
 ――が、サルどもは戦わずして走り出した。
 ビビが叫ぶ。
「やだっ、離してーっ!」
 そして、セツは呆然とした。
 バッシャーン!!
 水飛沫を上げながらビビを抱えたサルが温泉にダイビング。
 全身びしょ濡れ。
 服を着たまま温泉に強制入浴させられたビビは、この場から逃げようとしたが、サルによって両肩を下に押されて、湯船から出してもらえない。
「うわぁ~ん、パンツの中までびしょびしょだよぉ」
 意図が見えてこないサルどもの行動に、セツはただ唖然として見つめることしかできなかった。
「急いで助ける必用はなさそうですが……はっ!?」
 殺気を感じたセツが身構えた。
 しかし、遅い!
 巨大なサルの影がセツの眼前を覆う。
「きゃっ!」
 サルに抱きかかえられたセツ。
 逃れる間もなく、セツも温泉にダーイブ!
 バッシャーン!!
 全身ずぶ濡れ、着物姿のセツにはそーとー答えた。
 髪から水を勢いよく飛び散らせながらセツが怒りを露わにした。
「いったいなんのつもりですか!」
「ウッキー、ウッキーッ!」
 サルには言葉が通じないようです。
 言葉が通じない相手には態度で示すしかない。
「この芭蕉扇でおまえたちを温泉ごと吹き飛ばしてあげましょう。湯の一滴も残しませんから、覚悟なさい!」
 セツが鉄扇を振るおうとしたとき、その手首がひやりとするものに押さえられた。
「たかがサルに目くじらを立てるでない」
 威厳を含んだ女の声。
「ウッキーッ!」
 サルがお湯を若そうな女にぶっかけた。
「サルの分際で我に喧嘩売っとるのかっ!」
 女は湯船に手を付け、水を操り渦巻く巨大水鉄砲で巨大サルを吹き飛ばした。
 セツが呆気にとられる。
「言ってることとやってることが違うのでは?」
「しょせん猿は猿。我らのような高等な種族ではない」
 女に見つめられたセツは身を強ばらせた。女の眼は人間の眼ではなかった。まるでそれは蛇の眼だ。
 そして、女は眼だけではなく、その体の一部も鱗で覆われていた。
「温泉で他人の裸体を無遠慮に見つめ続けるのは失礼だぞ、人間の娘よ。そして、そこにおるのは魔族の娘か」
 女の視線の先でビビはすっかりのぼせ上がっていた。
 この女はいったい何者か?
 女は肩まで湯船に浸かって安らかな表情をした。
 服を着たセツは膝まで湯に浸かって立ったまま。女が気になって視線が外せない。
 目をつぶっていた女は、まだ向けられている視線に気づいて、視線を返した。
「服を脱いでお前たちも体を休めるがよい。ほれ、そこにある平らな岩は高温を発しておる。服を広げておけばすぐに乾くだろう」
 温泉に入りに来たわけではないが、疲れを感じていたセツはここで休むことにした。
 とりあえずのぼせたビビを外に放り出す。女が睨みを効かせてくれたお陰で、サルに邪魔されずに済んだ。
 それからセツは服を脱いで湯船に浸かることにした。
 湯は乳白色で、少し甘い香りがする。
「先ほどまで、こんな匂いは……」
 セツが呟くと女が微笑んだ。
「我の汗が滲み出てしまったようじゃ」
「……汗?」
「そう嫌な顔をするな。汗と言えど、我の汗は妙薬にもなる特殊な汗じゃ」
「何者なのですか、あなたは?」
「ただの林檎の管理者じゃよ、名はスラターン」
「林檎!」
 声を上げたセツ。
 蛇の眼でスラターンがセツを睨みつけた。
「お前たちも盗人か? ならば万死」
「ちょっと待ってください!」
「問答無用。〝智慧の林檎〟は何人にも渡さぬ!」
「(〝智慧の林檎〟?)違います、わたくしは〝ロロアの林檎〟を採りに!」
 セツは息を呑んで喉を鳴らした。
 牙を剥いたスラターンの顔が目の前で制止していた。
 あと刹那遅ければ、喉を噛み千切られていた。
「そうならそうと早う言え」
「(早くも何も、いきなり襲ってきて何を)薬の調合に〝ロロアの林檎〟が必要なのです」
「惚れ薬か?」
「えっ」
 まさか言い当てられようとは、セツは気まずい顔をして固まった。
「つい先日来た魔族の娘も惚れ薬をつくるとかで、〝ロロアの林檎〟を買って帰ったぞ」
「……買って?」
「〝ロロアの林檎〟なら売店に売っておる」
「……売店?」
「加工品も数多く取り揃えておるぞ。中でもリンゴパイは定番のおみやげじゃ」
「観光地!?」
 周りの殺風景な不毛の大地を見ると、寂れきった温泉街ということころか。
 スラターンは遠い目をした。
「ここが真にロロアの楽園であったころは、それは賑わいを見せる観光地じゃった」
「そんな昔から観光地なのですね」
「今では年間来園者は100人にも届かぬ。〝智慧の林檎〟を求め我に挑む猛者も少なくなり、実に退屈な日々じゃ。今ではサルを相手にしている日のほうが多い」
「はぁ、そうなのですか(だから?)」
 本音では、そんな話を聞かされてもどしようもないと思ってる。
 それに、湯の温度が熱いために、もう少しのぼせてきた。
 セツは湯を出ようと立ち上がろうとした。
「では、わたくしは先を急ぎますので」
「まあよいではないか、服もまだ乾いておらんだろう。猿は話相手にはならんのでな、こうやって話ができる相手がいることが嬉しいのじゃ。して、惚れ薬をつくるということは、思い人がおるのか?」
「おります」
 セツは柔らかな笑顔で答えた。
 それをビビは足湯をしながらつまらなそうに聞いていた。足を揺らして水を蹴る。飛び散る飛沫。
「ねぇ、温泉にも入ったしもう帰ろうよぉ」
「なにをおっしゃってるのですか、わたくしは〝ロロアの林檎〟を手に入れるためにここに来たのです。あなたは勝手に付いてきたのだから、勝手になさいませ」
 セツは冷たくビビに返した。
 顔を赤くしてビビは頬を膨らませた。
「まだ帰らないもん」
「勝手になさい」
 再びセツは冷たくあしらった。
「あーっ!」
 と、ビビが叫び声をあげ、セツはうんざりした顔をした。
「今度はなんですか?」
 ……サル。
 セツの瞳に飛び込んできたのは、サルがセツの服を持って逃走するシーン。
「…………」
 状況把握に時間を要するセツ。
 そして、状況を理解した!
「わたくしの服!!」
 叫んだセツは勢いよく温泉を飛び出し、駆け出そうとしたが、目の前に両手を広げて立ちはだかるビビ。
「だめっ!」
「わたくしの邪魔をする気ですか!」
「……その格好で行くの?」
「……あっ」
 セツは自分の姿を見て、顔を赤くすると温泉に再び浸かった。
 すっぽんぽんで大地を駆けるわけにはいかない。野生児か、公然わいせつだ。
 ビビが上着を脱ぎはじめた。
「あたしの貸してあげるよ。まだ湿ってるけど」
「(……ビビ)ありがとうございます」
 ビビに服を借りてセツは着替えた。
 そして、ビビが『よーいドン』の構えをした。
「よ~し、がんばってサルを捕まえよーっ!」
「って、その格好で行くんですか、あなたも?」
「だってスカート貸しちゃったし」
 パンツ丸だしのビビ!
 そして、ノーパン、ノーブラのセツ!
 ちなみにビビのパンツはピンクのストライプだ。
 パンツ丸出しのビビも恥ずかしい格好だが、スカートのセツは危険だ。
「上着とスカートだけでなく、全部貸していただいたほうが……」
「でも1人より2人のほうがいいよっ!」
 自信満々でビビは言い放った。
 そうだっ!
 セツはあることをひらめいた。
「スラターンさん、服をしばらく貸していただけませんか!」
「服などない、我は常に全裸だ」
 野生児!
 セツは今の課程をなかったことにした。
「それではサルを追いましょう!」
 スカートを揺らしながらセツが駆け出した。
 すぐにビビもあとを追う。
 見晴らしのよい不毛の大地だが、サルどもの姿はすでにない。
 手がかりは?
 ビビは遠くを指差す。
「あっちになにかいるよ?」
 その方向をセツも見たが、視覚でも気配でもなにも知覚できない。
「本当ですか?」
「うん、生き物なら500メートルくらい先まで感知できるよ。それがどんな生き物かまではわからないけど」
「(魔族の超感覚)今はあなたを信じるしかなさそうですね」
 ビビの示した方向へ進む。
 やがて見えてきたのは岩山だ。
 人影?
 いや、サルだ。
 岩山の影からサルがわき出てくる。
「ウッキー!」
「キーキーッ!」
「ウッキッキー!」
 威嚇するようにサルが鳴いた。
 猿山の頂上にひときわデカイ影が見えた。
 ボスザルだ!
 周りのサルも巨大だが、ボスザルはさらにデカイ。全長4メティート(4.8メートル)はありそうだ。
 セツは声をあげる。
「あれは!」
 ボスザルの周りにいる巨乳のメスザルが、なんと服を着ている。そう、セツの服だ。しかも鉄扇まで取られている。
 セツはビビを見ずに話しかける。
「魔法は使えますか?」
「初歩的なのならぁ~、使えるかなぁー、あはっ」
「わたくしも同じですが、肉弾戦ならあなたより強い自信ありますよ」
「あたしだって!」
 ビビは自分専用の異空間倉庫から大鎌を召喚した。今日のビビちゃんはマジだ。その証拠に瞳が紅く色づいている。
 サルどもが岩山を飛び降りてくる。数はおよそ10以上。
 迎え撃たずにセツは攻め込んだ。
「サルは縦社会です。雑魚に構わずボス猿を狙います!」
 しかし、そう簡単にボスザルには近づけない。
 ボスザルがいるのは岩山の頂上だ。そこまでには何匹ものサルが襲い掛かってくる。
「なら雑魚はあたしに任せて♪」
 ビビが大鎌をサルに振り下ろした。
 この大鎌は肉を断つことはない。
 まるで空気を斬るように、大鎌はサルの体を擦り抜けた。
 そして、ビビの手に握られているゆらめく炎のようなモノ。
「あとでこの魂は返してあげるね♪(美味しそうじゃないし)」
 カワイイ顔をしてても悪魔は悪魔だ。
 セツはサルを岩山から蹴落としながら頂上を目指していた。
 下からビビの声がする。
「気をつけて!」
「こんなサルにやられるわたくしでは――」
「スカートの中見えちゃうよ!」
「そういう大事なことは早く言ってください!」
 スカートを押さえて攻撃力、機動力が格段に下がった。
 セツにサルが飛び掛かってきた。
 臆することなくセツは相手の懐に入り、アゴに向けて掌底を放った。
 さらに後ろから来たサルには、踏み込みからの肘鉄。
 そして、また後ろから迫ってきたサルには、回し蹴り――を踏みとどまって、体を回転させながら裏拳を放った。
 3発の攻撃を3匹のサルに食らわすに要した時間は約1秒。流れるような攻撃だった。
 セツは頂上を見上げた。あと一歩でボスザルだ。メスザル以外はもう立ちはだかるサルはいない。
 ボスザルが動いた!
 四つ足で岩肌を蹴り上げ、セツの目の前まで来ると右フックを放ってきた。
 セツは右フックを飛び退いてかわすと、すぐに踏み込もうとしたが、ボスサルはフックを放ってすぐに身を引いて距離を取っていた。
「狙うはボスザルですが……」
 ちらりと服を着たメスザルを横目で確認したセツ。
 再びボスザルが右フックを放ってきた。
「ファイア!」
 セツの手から炎が放たれた。
 怯んだボスザル。これでいい。魔法が得意でないセツは、これでボスザルを倒すつもりはなかった。
 すぐさまセツが向かっていたのは服を着たメスザルの元だ!
 セツはメスザルから自分の鉄扇を素早く奪い返し、すぐに突風を巻き起こした。
 風はボスザルを呑み込み、その巨体を大きく吹き飛ばした。
 もう岩山の頂上にボスザルの姿はない。
 そこに立っているのはセツ。
「弱肉強食です。さて、服を返してくれますね?」
 笑顔でセツはメスザルに話しかけた。
 が、メスザルは服を着たまま逃亡!
 笑顔から一変してセツがゴリラの形相で怒る。
「なに逃げとんのじゃコラッ!」
 ボスが倒されたサルの社会に戦国時代が幕を開けた。
 このときを逃すまいと、ボスザルの座を巡ってサルどもがセツに襲い掛かってきた。
 が、今のセツに挑むなど……。
「おんどりゃー、道を開けんかボケカスッ!」
 鉄扇が巻き起こす嵐。
 逃げ出すサルども。
 逃げ出すビビちゃん。
 みんな涙目。
 逃げ出したサルどもの前に壁が立ちはだかった。そんな壁、さっきまではなかったはずだ。
 ビビは顔を上げた。そのまん丸な瞳に映るシュルシュルと舌を鳴らす大蛇の顔。
「猿どもよ、悪戯はそこまでにしておくのじゃ」
 低く大地に響く声。
 サルどもは一網打尽にされた。大蛇がすべてのサルを囲い込んでしまったのだ。
 セツはすでに服を奪い返して着替えを素早く済ませていた。
「どこのどなたか存じませんが、ありがとうございました。これはあなたにお返しします」
 大蛇に頭を下げてから、セツは服をビビに貸した。
 機械的に服を受け取ったビビは、ハッとして我に返った。
「てゆか、もっと驚こうよ! 大蛇だよ、ものすっごい大きい大蛇だよ! あたしたち食べられちゃうかもしれないんだよ焦ろうよ!」
 この大蛇にかかれば、ビビたちなど丸呑みだ。
 だが、大蛇にその気は毛頭なかった。
「裸の付き合いをした者は取って食ったりはせぬ。我がだれだかわからぬか?」
 ここまで言われれば、わからないはずがない。
「スラターンさん!」&「スララーン!」
 同時に声をあげた二人。ビビのほうは聞き流すことにしよう。
 スラターンは姿も違い、声はその巨大な体のせいだろう、太く響く声だ。すぐにわからなかったのも無理もない。
「我に乗るがよい。〝ロロアの林檎〟を売っておる売店まで案内しよう」
 と、申し出くれたスラターンにセツは、
「では、出口までお願います」
 スラターンは不思議そうな顔をした。
 そんな顔をしたのはビビもだ。
「リンゴは?」
「もう疲れてしまってそんな気分ではありません。わたくしは帰りますが、欲しいのなら勝手にひとりでお残りになれば?」
「セったんが帰るならあたしも帰るぅー。もう十分遊んだし」
 すでにセツはビビに背を向けて、スラターンの頭に乗せてもらっていた。
 そして、誰にも聞こえないようにセツがつぶやく。
「……セったん(なんて、はじめて言われた)」
 一息ついたセツは、頭によじ登ってくるビビに手伸ばして貸した。
 伸ばされた手をしっかりとつかむビビ。
「ありがと♪」
 ビビは満面の笑みだった。
 顔を背けたセツは少し恥ずかしそうに顔を赤くしていた。

 おしまい


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