第4話_エクストリーム強盗!

《1》

 目の下にクマさんを飼ってる夏希はどよ〜んとしていた。
「完全に寝不足だ(まさか本当に学校で一晩過ごすことになるなんて)」
 舞桜学園はじまって以来の大事件エクストリーム停電。家に帰れたのは早朝を少し過ぎたくらいだった。それまでの間、酔っぱらい教師に付き合わされるという悲劇。
 つまり一睡もできなかった。
 しかも、やっと家に帰ってシャワーを浴びて、さてとこれから寝ようかなぁと思ったら、自宅マンションまでリムジンのお出迎え――舞桜だった。
 すっかり忘れていたのだが、細菌兵器が撲滅運動がどーとか、NEET撲滅運動がどーとか、とにかくどーとかこーとか。
 そんなわけでリムジンに乗り込んだのだが、いきなり舞桜に抱きつかれてノックダウン。逃げる気力もなかった。
「(どうしてこの人、こんなに元気いっぱいなんだろう)」
 理由はちゃんと寝たから。
 あの一件で邪気に当った舞桜は、保健室にある集中治療室で朝までぐっすりだったのだ。
 リムジンに乗って三〇秒。隣のマンションに着いた。
 ツッコミどころ満載の出来事だが、もはや思考を停止させたいくらい夏希はゾンビー状態だった。
 リムジンを降りると、白い悪夢がそこに立っていた。
 爆乳と白衣。
「グッモーニング! 夏希ちゃん元気ないけどどうしたのかしらぁん?」
「誰のせいですか誰の……。てゆか先生なんでそんなにムダに元気なんですか?」
「ベリーヤングだからに決まってるじゃなぁ〜い♪」
「あー頭に来る……じゃなくって、先生の声が頭に響くぅ〜、意識がもーろーとするるー」
 だんだんと生死の境が近くなってきたぞ。
 ベルが何やら舞桜に耳打ちしている。
 聞き終えた舞桜が『ふむ』と納得した。
 で、次の瞬間。
 舞桜は夏希の体を抱き寄せて熱烈なキッス!
 モーニングキッス!
 お早うの接吻!
 目覚めの一発!
 ちゅ〜っ♪
 夏希はお目々ぱっちり。
「ちょ、朝からやめてよ!」
「朝だからするのだろう?」
 なるほど。
 さてと、すっかり夏希ちゃんも目も覚めたところで、突撃オタク訪問と行ってみましょー!
 ベルがベルを鳴らす――ピンポーン!
 返事がない。
 ベルがベルをまた鳴らす――ピンポーン!
 やっぱり返事がない。
 ベルがドアの前に立って――。
「出てこないとぶっコロスわよぉん、いるのわかってんだからね!」
 ドアに殴る蹴るの暴行を加えた。
 絶対に返事がない。
 普通、あんな脅され方したら、出て行けるものも出たくない。
「NEETウイルスの合併症、居留守ね。仕方がないわぁん」
 ベルは白衣のポケットからアイテムを取り出した。
 ちゃちゃちゃちゃ〜ん、合い鍵♪
 って、最初から使えよ。少なくともドアを蹴る前にカギだろ。
 ドアを開けてベルと舞桜が雪崩のように乗り込んだ。
 舞桜が片っ端のドアをノックする。
「早く出てきたほうが身のためだぞ!」
 ベルが片っ端のドアを殴る蹴る。
「さっさと出てこないとドアにバズーカ撃ち込むわよぉん♪」
 そして、夏希は丁重に玄関でクツを揃えてから上がった。
「おじゃましま〜す」
 カギの掛ったドアの前に舞桜が立った。
「おそらく感染者はこの中だ。ドアを斬るぞ!」
 なんていうかやり過ぎです。
 刀の軌跡は幾重にも趨り、瞬く間にドアは細切りにされてしまった。
 一気に中に乗り込む舞桜とベル。遅れて気まずそうに夏希が入る。
 ベッドの上で掛け布団を被って身を守る少年。
「な、なんだよお前ら!」
 明らかに怯えた声だ。
 舞桜は刀の切っ先を少年の眼前に向けた。
「風タロウだな?」
「そ、そうだけど……」
「私は舞桜学園の学園長兼生徒会長の天道舞桜、お前のクラスメートでもある。そして、彼女は担任の鈴鳴ベル、後ろにいるのが生徒会副会長でお前のクラスメートでもある岸夏希だ」
 夏希はペコリと頭を下げる。
「あ、はじめまして」
 頭を上げる前にベルが夏希を押し込んで前へ出た。
「アナタはNEETウイルスに感染しているわ。すでに引きこもりの症状が出ているから、確実に将来NEETになるわよぉん!」
 続いて舞桜がしゃべる。
「NEETウイルスとは国家の転覆を狙うテロリスト集団が開発した細菌兵器なのだ。その感染力は凄まじく、電波によって感染する。特にネットによる感染例が多く報告されている」
「ほっといてくれよ」
 タロウは掛け布団の中に引きこもった。
 舞桜が驚愕の表情を浮かべる。
「立てこもり事件発生だ! 感染者が自分の殻に立てこもってしまった。人質として自分を盾にするとは卑怯な!」
 部屋のガサ入れをしていたベルがあるものを発見した。
「これをルックしなさい舞桜!」
 ベルが手に持っていたのはテレビゲームのパッケージ。
「そ、それじゃ勇者育成ゲーム! またの名をRPGではないか!? クソっ、こんなところにまで光の勇者の魔の手が伸びていたとは……」
 この展開に置いてけぼりを食って独りポカーンとしてしまっている夏希。
「(やっぱりあたしこの人たちのノリについていけない)」
 仕方がないので夏希は独り寂しく電源の入っていたパソコンを操作してみる。
 どうやらブログをやっているらしく、記事を執筆中だったらしい。

【執筆中の記事】
タイトル:そういうやつらっているよな〜

話題になってないときに散々バカにしてたクセにさ、
なんか話題になったらファンみたいにしゃべりだすやつウザイな。

【数日前の記事】
タイトル:オッパピー

そんなの関係ねぇ!
そんなの関係ねぇ!

【もっと数日前の記事】

[自主規制]って誰?
なんかみんな記事にしてるから気になったんだけど?

【さらにその記事のコメント】

[本人]
んで、そいつがどうしたのさ
そこまで騒ぐくらいなら 何 か あ る ん だ ろ う ね ?

[HN自主規制]
最近[自主規制]って番組に出てて売れてるらしいですよ。

[本人]
そんなゴミ番組見ない。

 記事を流し読みした夏希の感想、
「(この人イタイ)」
 ベルも近づいてきてほかの日の記事を読みはじめた。
「なんだかヘアワックスのトークが多いわね。この部屋の住人が?」
 言われて夏希も部屋を見回した。
 ファッションに気を使うような住人の部屋とは思えない。マンガやフィギュアにアニメのポスターが点在している。ほかに置いてある家具や小物は地味な物ばかり。
 さらに驚いたのがなぜか置いてある香水。
 ベルがツッコミを入れる。
「ヒッキーなのに?」
 ヘアワックスもそうだが、いったいどこにつけていくのだろうか……引きこもりなのに。
 さらに別の日の記事では精神論を語ってみたり、哲学を語ってみたり、宇宙のことを語ってみたり、思想家ぶってる印象も受けた。
 ベルは深く頷いた。
「この患者は中二病にも感染しているわね」
 中二病とはジャパンの中学生二年生くらいの青少年によく見られる症状で、子供と大人の狭間で揺れ動く心情が隔たったり歪んだ形で現れるものである。
 例えば、幼稚なことを否定して大人ぶるも、汚い大人や政治や社会を批判してみたり、生死観や宇宙について、自分と他人の哲学的思想、身近な物体の存在を問うてみたりすることが多いらしいが、しっかりした大人から見ると幼稚で滑稽に見えてしまう。
 現在では実際に思春期まっただ中にいる青少年を示すと言うより、定義は曖昧でそういった人々を包括する言葉になっている。
 舞桜は掛け布団を引っ張り剥がした。
「いつまでもこの生活が続けられると思うなよ。君は将来どうするつもりなのだ!」
「フリーターになるからほっといてくれよ」
「な、なんだとフリーターだと!? ジョブシステムを活用してすっぴん≠ノなるつもりだな! 最初はどうしょうもないプーだが、最終的には最強のジョブというか無職なのにラスボスを倒してしまうというアレかっ!(くっ、光の勇者たちの思想が着々と世界を浸食している)」
 妄想しすぎ。
 ベルは白衣のポケットから拘束具を取り出した――SMの。
「荒療治が必用なようだわねぇん。学園に監禁するしかないわ、そうすれば少なくとも登校拒否は改善されるわよぉん!」
 そういう問題なのか?
 不適な笑みを浮かべたベルがタロウに飛びかかった。
「覚悟なさぁい!」
「ぎゃぁぁぁっ!」
 その後、[あぁン♪]な恐怖がタロウくんを襲うこととなったのだった。

《2》

 とにかく一件落着?
 ベルに後処理を任せて舞桜と夏希は部屋の外に出た。
 すると、マンションの廊下がなにやら騒がしい。
 夏希はすぐに慌ててるオバサンに声をかけた。
「あの、なにかあったんですか?」
「屋上から飛び降りようしてる人がいるのよ!」
「ええっ!」
 舞桜は深く頷いた。
「うむ、連続引きこもり殺人事件だな」
「は?」
 と思わず夏希は声を漏らしてしまった。
 意味不明なのはいつものことだが、聞かずにはいられない。
「どういう意味?」
「屋上に引きこもって自分を殺そうとしているのだろう? 立派な殺人事件ではないか?」
 じゃあ『連続』って言葉はどこから来たの?
 なんて訊く前に舞桜は屋上に向かって走り出してた。慌てて夏希が追う。
 屋上に続く階段の近くには人だかりができていた。その先の様子はわからない。どうやら何らかの方法で扉が固定され、誰も屋上に入れない状況らしいことはわかった。
 舞桜が刀を抜いた。
 一斉に人々が怯えながら道を開けた。
「下がっていろ、扉をぶった斬る!」
 格子状の扉が輪切りにされた。
 刀を鞘に収めて舞桜は屋上に急いだ。
 強風の吹く屋上。
 男がフェンスを乗り越えて、屋上の縁に立っていた。あと一歩踏み出せば落下と引力の法則を体感できる。
 男は舞桜に気付いたらしい。
「おい来るな、飛ぶぞ!」
「飛ぶのではない。落ちるのだよ」
「どっちでもいいだろそんなこと!」
 結果が同じならどっちでもいい話だ。
 遅れて夏希もやってきた。
「死ぬのはよくないと思います!」
「お前らになにがわかんだよ!」
「だからお話だけ聞きますから飛ぶのちょっと待ってください!」
 舞桜がボソッと。
「だから飛ぶのではなく、落ちるのだ」
 こだわる舞桜様。
 夏希はゆっくりゆっくり男に近づこうとする。
「ねっ、落ち着いて話し合いましょう?」
「ふむ、ならば茶と菓子を用意させよう」
 そうだね、長期戦になるならあったほうがいいよね、って何言ってんの舞桜様!
 この状況下で夏希は舞桜のことスルー。
「どうして死のうと思ったんですか?」
「将来に希望が持てなくなったんだよ、だから死ぬしかないと思った」
 その言葉をいつの間にか用意されたちゃぶ台でお茶を飲みながら聞いた舞桜。
「私が見たところ君はまだ二〇代だろう。将来を悲観するには早いと思うが?」
「俺には将来の夢があったんだ。でも一向に芽が出ないし、このまま夢を追っていてもお金もないし、今は親に頼って生活してるけど、いつかは自立しなきゃいけないし、そろそろ将来のことも考えて就職しなきゃいけないと思うけど、やっぱり夢が捨てられなかった。もしも、これからもずっと芽が出なくて、仕方なく別の道に進もうと思って遅いんだ。俺は夢に人生を賭けてたんだ、努力も時間も無駄になって、俺よりも早く就職したやつらはどんどん出世していく。就職だってなかなか決まらないだろう、バイトだってしたことがない俺が生きていけるわけないじゃないか!」
 彼の追っていた夢とはなんだろう。
 夏希は尋ねる。
「バンドマンですか?(それにしては冴えないけど)」
「小説家志望だよ!」
 そっちか!
 男の感じから漫画か小説だと思ったんだよね。
 舞桜がビシッと男を指さした。
「この世を動かす力は希望にほかならない。君に足らない物は勇気だ。起ってもいない未来に悩み、君は今を無駄にしている。将来の失敗を恐れることは大変に馬鹿げたことだとは思わんかね? なぜならまだそれは起きてもいない出来事なのだよ。もしも本当に勇気のある人間ならば、どんな苦境にありながらも、やるべき行動を取ることができる」
「うるさいな! 俺はもう駄目なんだよ!」
「失敗の苦痛を恐れるあまり、失敗する前から苦痛を味わう。無用の苦痛を味わい、無用の浪費ばかり増すのならば、早々の立ち向かえばよいものを。それでは巡って来たチャンスも掴めぬというもの」
「俺にチャンスなんかもうないんだよ!」
「チャンスとはいつ巡ってくるともわからない。だからこそ、常日頃からの精進が必用なのだ。失敗することばかり考えて、君はなぜ成功することを考えないのか私には理解できんね。どちらもまだ起きてない未来なのだから、同じことだろうに」
「お前だって言ってんじゃないか、チャンスはいつ巡ってくるかわかんないって! 俺はもう耐えられないんだよ、そういうのに。どうせ努力なんて無駄なんだよ、芽が出るかどうかなんて運で決まるんだよどうせ」
「うむ、たしかにその手の職種でデビューできるかどうかは、運が七割、努力が六割と言ったところだろう。運は偶然に巡ってくる奇跡の要素が強いだろう。しかし、運というのは自分でも引き寄せることができるのだよ?」
 ついに舞桜がちゃぶ台から立ち上がった。
 澄み渡る青空の下で両手をいっぱいに広げ、ゆっくりと体を回転しはじめた。
「世界は今日も廻っている。私を中心に、夏希を中心に、そして君を中心に。世界は一人一人の心を映す鏡だ。見る者によって、心の持ちようによって、世界はいくらでも変貌する。しかし、世界は一人のために存在するものではない。人々は個であり全であり、見えない糸で結ばれている。自分が他人にしたことはいつか巡り巡って戻ってくるもの。運も同じ、運とは廻るもの、人から人へ廻すもの。すなわち、運を引き寄せる要素とは徳、中でも人徳が大事なのだよ!」
 発言がまるで中二病患者のようだ。
 話を聞き終えた男は急に肩を落とした。
「やっぱ死のう」
 うわっなんか舞桜の話逆効果!
 ふわっと落ちそうな男を見て、夏希は慌てて駆け寄ってフェンス越しに相手の腕を掴んだ。
「ダメ死んじゃ!」
「放してくれ、俺はもう死ぬしかないんだ……」
「どうして!」
「俺に人徳なんてあるわけないだろ。学生時代はうつ病で、暗くてキモくて友達もいない俺にとっての黒歴史なんだ。そりゃ少しくらい友達もいたけど、学校卒業したら疎遠になるし、友達なんかと遊ぶより俺は小説を書くことでいっぱいだったんだ。青春時代の楽しいことを我慢して、とにかく小説を書くことに一所懸命で、人との関わりをどんどん切っていったんだ。そんな俺に人徳なんてあるわけないだろ」
 バイトもせず、友達とも遊ばす、家に引きこもって小説ばかり書いている。たしかに人徳なんて微塵も感じられないね♪
 しかし、代九一代内閣総理大臣のフフン康夫は学生時代友達いなかったらしいけど、日本のトップになったぞ?
 まあ、フフン康夫は親も総理だし、元サラリーマンと言えエリートだったからな!
 男はさらに肩を落とした。
「俺には人徳もない。才能もない。金もない。もうダメなんだ……」
 舞桜はため息を吐いた。
「わからん奴だな。死ぬ覚悟があるなら死ぬまで夢を追っても同じ事だろう。君はどうせ死ぬ気がないのだ。本当に死にたいならこっそり死ねば済むこと、止めて欲しかったのだろう。君の人生にはまだ甘えがあるのだよ」
「俺の何がわかるっていうんだよ!」
「少なくとも君をもっとも苦しめ傷つけているのは君自身だということはわかるさ。君は自分の生死に関わることが起きたときにも目移りするのかい? 本当に死ぬ覚悟があるなら、常に生死が関わっていると思い行動したまえ」
「おうおう飛べばいんだろ飛んでやるよ!」
 もうヤケクソですね。
 屋上に冷たい風が吹き込んだ。
「死にたいのなら勝手に死ねばいいわ。ただし、死んだからと言って楽になれると思わない事ね」
 夏希はその黒い影を見て歓喜の声をあげる。
「菊乃ちゃん、来てくれたんだ!」
「気安くちゃん付けで呼ばないで頂戴。生徒会の仕事だから仕方なく来たのよ」
「(昨日の今日なのにもういつもの菊乃ちゃんに戻ってる、ちょっと悲しいけど、来てくれたのは嬉しい!)」
 が、冷静に考えてみると邪悪な菊乃が来たら状況が悪化するんじゃ?
 黒い風を纏いながら菊乃が男に近づく。
「早く飛びなさい。なんならわたしが手伝ってあげましょうか?」
 やっぱり自殺推奨してるし!
 男のほうも意地になる。
「飛ぶよ! 飛ぶから邪魔すんなよ!」
「ええ、邪魔なんてしないわ。ただ、少し助言をしてあげる」
 無機質な狐面に影が差し、嗤っているように見えた。
 狐面は言葉を続けた。
「決して自殺者に冥福なんて訪れないのよ。死んだ人間は時間が止る。死んだそのときの感情、恐怖、苦しみ、憎しみをそのままに魂となるのよ。わたしに言っている意味が理解できて?」
「死後の世界なんて信じてねぇーよ!」
「信じる信じないの問題ではないのよ。少しだけ見せてあげましょうか、うふふふ……」
 ゾッとした。
 晴天だった空が急にどんよりと曇りはじめた。
 湿気を含んだ風が吹く。
 急に怖くなった夏希は男の腕を爪が食い込むくらい握った。男のほうも脂汗を掻いてフェンスを強く握っている。
 遠くの空に雷鳴が響いた。
 次いで耳を澄ますと女の悲鳴が聞こえた。
 男の怒鳴り声、子供が泣く声、老人が不気味に嗤う声。
 耳を塞いでも頭の中で響き渡り木霊する。
「まだまだ序の口よ」
 低音で囁かれた菊乃の声を聞いて夏希は限界だった。
「ごめんなさいあたしが悪かったです、もうやめて、それ以上は無理です、ごめんなさぃ〜……」
 何も悪いことしてないが、ついつい謝ってしまう。
 突然、舞桜が叫んだ。
「わっ!」
 驚いた夏希は男から手を放し、男も驚いて足を踏み外しそうになってフェンスに抱きついた。
「死んだらどうすんだよ!」
 叫んだ男。
 舞桜は頷いた。
「うむ、やはり死にたくないのではないか。ならばこんなことで時間を費やしている暇は君にはない筈だ。人がもっとも無駄に浪費してしまうモノは時間だ。そして、もっとも大事なモノも時間だ。挫折は決して不名誉なことではない。そこで立ち上がろうとしないことが不名誉なのだよ。心に素直になり、君は君の道を歩めばいい」
 夏希も笑顔で男にエールを送った。
「そうですよ、頑張ってください!」
 菊乃がボソッと。
「その頑張れという言葉が彼の重圧となるのだけれどね……うふふ」
 男はうつむいたまま無言だった。
 きっと今、彼の中でいろいろな想いが巡っているのだろう。
 と、そのとき、誰かのケータイの着信が鳴った。
 男のケータイだった。
「……おおっ、俺のケータイか。鳴ったの久しぶりだったからわからなかった――あ、もしもし?」
 だって友達いないだもんね!
 あんまり寂しいなら出会い系とか登録するといいよ、サクラメールいっぱい来るから♪
 男は驚いた表情をした。そして、見る見るうちに明るくなっていく。
「えっ、本当ですか!? デビューできるんですか? あ、それは気が早いですか、賞もらったわけじゃないですもんね。でもこれから頑張ればデビューできるんですよね、本当にありがとうございます、やったーっ!」
 と、男が飛び跳ねた瞬間。
「……あっ」
 足を踏み外した。
 屋上から消えた男の影。
 ひゅ〜ん、ドン!
 あ、落ちた。

《3》

「さて、次の感染者のところに行くとするか」
 何事もなかったような舞桜の発言。
 驚く夏希。
「えっ、だって今落ちたんだよ? もう遅い……って言っちゃけなかった、ほら救急車呼ばなきゃ!」
「彼に対する私の興味は尽きた」
「舞桜ちゃんそれでも血の通った人間?」
「生物学的に見ても私は歴とした人間だが?」
「人が死んだんだよ! ねえ、菊乃ちゃんも何か言ってあげてよ!」
 と、話を振ってから失敗したと思った。
「別に誰が死のうと私には関係ないわ」
 アウェイだ。
 ちょっと倫理的に可笑しいのが二人いる。民主主義に則って多数決したら夏希のほうが可笑しいことになってしまう。
 夏希は悲しそうな顔をして舞桜を見つめた。
「舞桜ちゃんってたまに思うことだったけど、どうして人の気持ちがわからないの?」
「残念ながら霊視能力は持ち合わせていない」
「そういうことを言ってるんじゃなくて、気持ちの問題を言ってるの!」
「気持ち?」
「人の気持ちを考えて行動したりしないの?」
「人の意見に左右されて行動することはよくないことだ」
「意見じゃなくて気持ち!」
 夏希はいつの間にか涙目になっていた。
 困った顔をする舞桜。
「どうしたのだ、なぜ涙を流している?」
「それもわからないの?」
「涙を流す理由はいくか考えられる。あくびをしたとき、悲しいとき、嬉しいとき、悔しいとき、花粉症のとき……」
「もういい!」
 感情が抑えきれず、居たたまれなくなった夏希はこの場を飛び出した。
 風に靡いた小さな雫。
 ぽつ、ぽつ……と地面を濡らす染み。
 空を見上げると、灰色の空から急に大粒の雨が降りはじめた。
「ふむ、夏希に傘を届けねばならんな」
 その動機で夏希を追いかけるため走り出した舞桜。
 階段を下りて廊下を眺めたが夏希の姿はない。
 さらに急いで舞桜はマンションの外に出た。そこにも夏希の姿はなかった。
 少し辺りが騒がしい気がした。
 近くにあるコンビニの前に人が集まっている。
 気になった舞桜はコンビニの前にいた通行人Aに話を聞いた。
「なにがあったのだ?」
「強盗犯が人質を取って立てこもっているらしいよ」
「ふむ、連続引きこもり事件か(住人の誘致を大々的にやっているせいか、この都市の治安も悪くなってきたな)」
 和傘を差した菊乃が遅れてやってきた(傘とかいつの間に用意してたの?)。
「人質になっているのあなたの婚約者よ。助けてって叫んでいるもの」
「なにっ夏希が!?」
 次の瞬間には舞桜は人混みを掻き分けてコンビニの中に飛び込もうとした。
 だが、入り口からすぐ入ったところで犯人は夏希を人質にしていた。
「近づくんじゃねぇ!」
 犯人の男は目を血走らせ、夏希の首に包丁を突き付けている。
「助けて舞桜ちゃん!」
 涙目で叫んだ夏希。
 雷がどこかに落ちた。
 大雨の中で全身を濡らしながら舞桜は犯人を睨み付ける。
「彼女を放せ。ほかに要求はしない」
 犯人は怒ったようすで包丁を振り回した。
「要求だと? なんでてめぇが俺に要求してるんだよ!」
「ならば貴様の要求も聞こう。これならば不服あるまい?」
「お前なんかに話して何になるんだよ、早く話のわかる奴連れて来い!」
 犯人は舞桜のことを知らないと見える。もしくは気付いていないのだろうか?
 舞桜は雨に濡れた前髪を掻き上げた。
「話ならばこの私で十分だ」
「なにぃ、小娘の分際で俺のことバカにしてんのかッ!?」
「話ならばこの天道舞桜が聞いてやると言っているのだ」
「……なっ(天道って……まさか)」
 顔は知らなくても名前は知っていたらしい。
 雨に濡れた桜色の髪。その髪は一目見れば忘れない。見たことのない者でも、その得意な髪のことは聞いたことがあるだろう。
 舞桜の正体を理解した犯人は大声をあげる。
「こ、この都市を造ったっつー天道舞桜か!」
「そうだ、だからこそこの都市で起きた事件は見過ごせぬ。私の婚約者が人質となっていれば尚のこと許せぬ」
「婚約者だと!?」
 犯人は度肝を抜かれた。
 けど、夏希はボソッと、
「向こうが勝手に言ってるだけですから(女の子同士なのに)」
 一方的な舞桜の求婚であっても、舞桜の大事な人ということには変わりないだろう。
 犯人は思う。
「(よりによって……でも待てよ、逆にツイてるんじゃないか。人質を上手く使えばここから上手く逃げることが……大金も手に入れられるんじゃ?)」
 雨だというのに、コンビニの周りには次々と人が集まってくる。そして、ようやく巡回中だった市営警官のパトカーが到着した。
 二人一組の警官の一方が現場の立ち入れ規制をして、もう一方は犯人の様子を窺おうとして舞桜に気付いた。
「うおっ天道!」
 驚きのあまり思わず呼び捨て。
 慌てて警官は取り直した。
「天道さん、危ないですから犯人から離れてあとは我々に任せてください!」
「断る!」
 即答。
 舞桜の性格から考えて想定内の解答だ。
 これから警官が続々と集まってくるだろうが、舞桜には関係のないことだ。今は目の前にいる犯人と夏希以外のことは無いに等しい。
 舞桜は改めて尋ねる。
「要求はなんだ?」
 犯人はツバを飲み込んだ。
「……金を用意しろ」
「いくらでもくれてやる」
「じゃあ一〇〇万用意しろ!」
「たったの一〇〇万ドルでいいのか?」
「ドルじゃねえよ円だよ!」
 舞桜ショック!
 あまりの驚きに舞桜はやっと思いで声を絞り出す。
「ま、まさか一束でいいとは信じられん。夏希の命は金には換えられんが、その額は安すぎて交渉にもならんな!」
「は?」&「は?」
 加害者と被害者が同時に『は?』っとなった。
 思わず夏希も素に戻ってしまった。
「安すぎるとかそういう問題じゃなくて、助けてもらえるならあたし別に構わないんだけどぉ?」
「夏希はそれでいいのか? 安く買いたたかれて不満ではないのか! 安い女だと思われていいのかっ!」
「安い女って意味が違うと思うんだけど」
「とにかくその額では交渉もはじめられん」
 なんだか犯人と舞桜の立場が逆転。
 犯人は慌てて金額の提示をする。
「一〇〇万ドルっていくらだよ……一億くらいか、じゃあ一億でどうだ!」
「先ほどよりはマシだが、それでも決して多いとは言えん。お前の思う大金とはその程度か?」
「じゃあ一兆!(なんて出せるわけないだろうな)」
「仕方あるまい、貴様の基準がその程度ならば、最低取引価格は一兆からはじめなければならんな」
「へ?(まさか出せるとは思わなかった)」
 世界的大グループの孫娘を少し見くびっていたようだ。
 さらに舞桜は、
「ではさっそく商談の準備をはじめよう。場所は近くの料亭で良いな?」
 なんか別の交渉をする雰囲気なんですが?
 すっかり犯人は舞桜のペースに呑み込まれそうになっていたが、ここでハッとして我に返った。
「俺のことおちょくってんのか! 料亭ってなんだバカか!」
「ならばホテルにするか?」
「そーゆー問題じゃねぇよバカ女! 俺は犯人なんだぞ、人質を取ってんだぞ?」
「だから金は出すと言っているだろう。ほかにも要求があるのか?」
「俺は犯人なんだから警察の手が届かない場所に逃亡したいんだよ、料亭なんか言ってどうすんだよ!」
「ふむ、ならば乗り物を用意しよう」
「そうだ、なんか用意しろよ」
「戦闘ヘリなどオススメだぞ、追ってくる者は撃破できる。そうだな、逃亡先は国外にある無人島を提供しよう」
「…………」
 ここまで来ると唖然としてしまって犯人は何も言えなくなってしまった。
 言葉の詰まる犯人を放置プレイして、舞桜は勝手に話を進めようとしていた。
「交渉するにしても何にしても、そこに引きこもっていては困る。ここは庶民感覚に合わせてファミレスで話し合おうではないか?」
「引きこもりじゃねえよ、立てこもってんだよ! 犯人がのんきにファミレスなんて行くかバカ!」
「引きこもりも立てこもりもどちらも同じだろう。人の話もロク聞かず、塞ぎ込んでいるのだから」
「違げぇーよ!」
 このときすでに人質であるハズの夏希は蚊帳の外。
「(なんか舞桜ちゃんすごい……ここまで話が噛み合わないなんて天才的)」
 犯人は髪の毛を掻き乱した。
「チクショー、こうなったら人質と一緒に死んでやる。付いてくるなよ!」
 違った意味で追い詰められた犯人は夏希を連れて店の奥へと引きこもってしまった。
 舞桜は声を荒げる。
「しまった、連続引きこもり殺人事件に発展してしまった!」
 すぐに舞桜は店内に乗り込んだ。
 犯人は夏希を人質に取ったまま後ろ歩きでじりじりと後退していく。
「近づくなよ、人質を殺すぞ!」
 舞桜は冷静に、
「本当に人質を殺してしまっては逃げられんぞ? 貴様が人質を殺す可能性があるのが、逃げられないと思って自暴自棄になったときだろう。したがって、ここは殺すではなく、人質の爪を剥ぐぞくらいにしておくべきだと提案する」
 すかさず夏希が、
「ヤダし! なに提案とか言ってるの! あたしのこと助ける気があるの!?」
「あるに決まっているだろう。死人と結婚する気など毛頭ないぞ?」
「もうわけわかんない!」
 わけわかんないのは犯人も同じだ。
「てめぇら黙れよ! ちょっとでいいから俺に考える時間をくれよ!」
「三分やろう」
 完全に主導権は舞桜様。
 コンビニ周りにはすでに何台ものパトカーが到着し、カラーテープによって立ち入り制限がされていた。現場よりも大変なのは署にある対策本部だろう。だって外から見たら舞桜も人質のようなものだ。
 そんなことなどつゆ知らず。知っていてもお構いなしだろうが、舞桜は三分が経ったことを告げる。
「時間だ、交渉を再開しよう」
「もうお前となんか交渉しねぇーよ、俺の要求はほかの奴と交渉することだよ!」
「それはできん」
「お前に断る権利なんかねぇーんだよ。こっちには人質がいるんだぞ!」
「だが断る」
 休憩タイム入れても結局同じ。
 夏希はため息を吐いた。
「もういいよ、誰でもいいからあたしのこと助けてよ。お腹空いたし、疲れたし、眠いし(あ、そう言えばピンクさんどうしたんだろ。今もいるのかな、ケガとか平気だったのかな?)」
 いろいろ考えているうちに夏希はあることを思い立った。
「(なんか自力で逃げられるような気がしてきた。犯人さんも舞桜ちゃんにばっかり気を取られてるみたいだし。せーっので行こう、せーっの!)」
 ガブッ!
 夏希は自分の首に回されていた犯人の腕を噛んだ。
「イタッ!」
 犯人がひるんだところで一気に逃げ出した!
 が、すぐに犯人の手が伸びる!
「待て殺すぞ!」
 テンパっている犯人は包丁を持っている手を夏希に伸ばした。
「うっ!」
 犯人の小さなうめき声。
 包丁が音とを立てて床に落ちた。
 犯人は腹を押さえて少しよろめいたかと思うと、泡を口から吐いて気絶してしまった。
 舞桜の一言。
「ふむ、食中毒だな」
 それにしては突然過ぎるし気を失うなんて?
 夏希はわかっていた。
「(たぶんピンクさんが助けてくれたんだ)ありがとうございます」
 とても小さな声で夏希は囁いた。
 夏希の耳元で微かな声が聞こえるような気がする。
「舞桜様は人の心を理解しようとしていないわけではない。人の心ができない不自由な人なのだ。それをわかってあげて欲しい」
 少し夏希は瞳を丸くした。
「(いつも傍にいるから全部見られてるんだ。あたしのほうから舞桜ちゃんと仲直りしてあげてってことかな)」
 深呼吸をして夏希が気を休めた瞬間、お腹が『ぐぅ』と鳴いた。
「あ、お腹空いたかも」
「ではなにか食べに行こう」
「ポテト食べたい」
「ではさっそく北海道からジャガイモを空輸して――」
 舞桜の言葉を遮る夏希。
「じゃなくて、○ック行きたい」
「夏希の好きなところならどこでも行くぞ。すぐに貸し切りの手配を――」
「しなくていいから! これからもっと舞桜ちゃんと仲良くなりたいから、あたし舞桜ちゃんの生活にも合わせる努力するから、舞桜ちゃんもあたしの生活に合わせてよね?」
「つまりそれは結婚生活におけるルール作りの話だな?」
「……もういいや(あたしが頑張ろう)」
 夏希はため息を吐きながら歩き出した。
 気付くと舞桜が横を歩いている。
 また夏希のお腹が『ぐぅ』と鳴いた。
「あ、やっぱりドーナツ食べたいかもしれない。そう言えばこの町にミ○ドってないよね?」
「○スドとはなんだ?」
「ドーナツを売ってるチェーン店」
「ふむ、では今週中には誘致しよう」
 夏希は『別にそんなことしなくてもいいから』とも思ったが、
「ま、別にそれはいっか、ねっ?」
 笑顔を投げかける夏希を見て舞桜は不思議そうな顔をしたが、すぐに笑顔を返したのだった。


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