第3話_エクストリーム・ザ・脱出!

《1》

 生徒会室――と言っても茶の間で開かれる臨時会議。
 ベルは胸の谷間から取り出した一本のタバコを口に咥えた(どこにタバコ入れてんだよ!)。火を点けた動作もしていないのに、煙がいつの間にか出るのはベル仕様だ。
「この部屋灰皿ないのぉん? 灰皿くらい常備しときなさいよ」
 と、言って近くにあった紙コップを自分の元に引き寄せて、それを灰皿代わりにポトンと灰を落とす。
「……それ、あたしの(まだ飲みかけだったのに)」
 小声で夏希がボソッと。聞えていないのかベルは気にも留めない。
 いつもは舞桜が仕切る生徒会だが、今日はどうやら顧問らしいベルペースだ。
「生徒会って何人だったかしらぁん? ワン、トゥ、スリー、フォー……あらぁん、一人足らなくなぁい?」
 すぐに雪弥が説明してくれた。
「ゴリ子さんは家庭の事情とかで野生に帰りましたよ」
 ここは深く追求するべき?
 それともサラッと流すべき?
 夏希は聞かずにはいられなかった。
「家庭の事情って?」
「うん、なんでも地元でいい人が見つかったら結婚するとか。だから生徒会も辞任すると言っていたよ」
 言っていたよって雪弥君、あんたゴリラの言葉がわかるんですか?
 とにかく短い間だったけどお疲れ様でしたゴリ子さん。結婚して幸せになってね!
 そんなわけで話を戻そう。
 ベルは胸の谷間から一升瓶を出して、ラッパ飲みして『ぷはぁ〜』。あんたの胸は四次元ポケットか。
「エブリバディをここに集めたのは他でもないわ。ナウ、ワールドは未曾有のクライシスに直面しているのよぉん!」
 はい?
 話の内容も意味不明だが、そんなことより夏希は常々思っていることがあった。
「会話の中に英語が混ざってわかりづらいんですけど……ワザとですか?」
「ハーフって設定を忠実に演じているだけよぉん」
「設定……本当はハーフじゃないんですか?」
「それは、ヒ・ミ・ツ♪」
 ヒミツってなんだよ、気になるじゃないかっ!
 日本人離れしたベルの顔立ちとナイスバディは外国産の気がするが、どこまでホントでウソなのか、その判断は難しい。だって本人が設定#ュ言を今したばかっりだし。
 というか、何人とかそんなこと以前に、生徒の前でタバコは吸うわ酒は飲むわ(しかも一升瓶のラッパ飲み)、教員としてあきらかに不適合者だ。
 だが、すぐ近くにいる学園長こと舞桜はなにも言わない。気にも留めてない感じだ。
 まさか舞桜はベルに弱みを握られているのか!?
 だから強く言えないし、解雇することもできないのかッ!
 きっと[自主規制]とか[自主規制]みたいな弱みを握られ、ネットでバラまかれたくなかったらとか言って、現金まで脅し取られちゃったしているに違いない!(妄想)
「酒なんて飲んでいないで早く話を進めろベル」
 という舞桜の命令口調。
 あれ? 想定(妄想)していた関係じゃないのか?
 今の場面を見ると、主従関係は舞桜のほうが上に見て取れた。
 ベルは酒とタバコをやめることなく、
「うっさいわねぇ〜。酒くらい自由に飲ませなさいよぉ〜」
 この悪態の付き方は、どうやら舞桜のほうが上というわけでもなさそうだ。
 こんなやり取りに業を煮やした菊乃が立ち上がった。
 何も言わず部屋を出て行こうとする菊乃の背中に夏希が声をかける。
「魅神さん、どこ行くの?」
「帰るに決まっているでしょう。飲んだくれのババアに付き合っているほどわたしは暇ではないの」
 これに聞き捨てならないのがもちろんベル。
「ワンスモアプリーズ! アタクシの聞き違いじゃなかったらババアって言ったわよね、このメス豚!」
「豚は貴女のほうでしょう、糞ババア」
 さらなる菊乃の挑発についにベルが爆乳を揺らして立ち上がった。手に持つ一升瓶はどう見ても鈍器です。
「クソって何よ、アタクシが便秘だからってバカにしてんのアナタ?」
 誰も便秘なんて言ってません。
「貴女には糞がお似合いよ。それに年寄りにババアと言って何がいけないのかしら?」
「アタクシのどこがババアだって言うのよ、このナイスバディを見なさぁい!」
「若作りしているだけでしょう。わたし、貴女の本当の姿知っているのよ?」
「えっ!?」
 予想もしていなかった言葉だったのか、なぜかベルが固まった。
 険悪な二人に間に救世主雪弥が割って入った。
「まあまあ二人とも、ケンカはよくないよ。ね、魅神?」
 見つめられた菊乃はすぐに顔を伏せ、こう呟いた。
「……みんな嫌い」
 そして、そのまま部屋を出て行ってしまったのだ。
 部屋にびみょーな空気が漂う。
 ――と思ったのは夏希だけだったようだ。
 目の前で起きたことを見ていなかったように、舞桜は淡々と話を進めようとしていた。
「では、話をしてくれないかベル?」
「そじゃあ、耳の穴をかっぽじってリスニングしなさぁ〜い!」
 すっかりベルもいつもの調子。
 雪弥も何事もなかったような顔をしてベルの話を聞いている。
 この中で夏希は疎外感を抱いていた。
「(なんでみんなこんなに……冷たいんだろう)えっと、ちょっとトイレ行ってくるね。話進めてていいよ」
 夏希は立ち上がって部屋を飛び出した。

《2》

「(追いつけるかなぁ)」
 夏希は菊乃を探していた。
 トイレに行くというのは嘘八百で、会議をすっぽかしたのだ。あくまで会議が嫌だったのではなく、あくまで菊乃を探すためだ。
 すぐに廊下の先を歩いている菊乃を見つけられた。
 舞桜が足を速めると、菊乃も速めた。
「待って魅神さん!」
「…………」
 華麗にシカト。
「待ってってば!」
「…………」
「菊りん待って!」
 ピタッと菊乃は足を止めて、嫌そ〜な顔をしながら振り返った。
「菊りんってなに?」
「気に入らなかった? じゃあ(菊ぴょんとか、シンプルに菊ちゃん?)」
「どれも嫌よ、気安く呼ばないで頂戴」
「(あ、心読まれた)でもでも、だってあたし魅神さんと仲良くしたいから」
「嘘ばっかり」
 吐き捨てる菊乃を見つめる夏希の瞳は澄んでいた。
「ウソじゃないよ。だって魅神さんあたしの心が読めるんでしょ? だったらあたしがウソついてないってわかるじゃん!」
「…………わたしだって全てが聞こえるわけではないの。もう構わないで」
 立ち去ろうとする菊乃の腕を掴もうと夏希はした。
「待って!」
「触れないで!」
 声を荒げて菊乃は夏希の手を強烈に叩き落とした。
 ヒリヒリと痛む手を押さえながら夏希はとても悲しい顔をしていた。
「ごめんなさい(怒らせるつもりはなかったのに……)」
「次に触ったらその手を切り落とすわよ」
 そう言って背を向けて歩き出した菊乃。
 影が少しずつ遠ざかっていく。
 三メートルほど離れたところで夏希が囁いた。
「どうしてそんなに人を遠ざけるの?」
 菊乃は背を向けたまま答えた。
「貴女に何がわかると言うの?」
「わからないから聞いたのに……(だって魅神さんのこと知りたいから、もっと仲良くなりたいから)」
「わたしは普通じゃないの。耳を塞いでも人の声が聞こえてくる。偽善者ばかり、この世は悪意に満ちているわ。貴女も偽善差よ」
「あたしは違う!」
「うふふふっ、口で言うのは簡単よ。貴女にそれが証明できて? 貴女はほかの人間どもよりも単純でお馬鹿ちゃんだから、手に取るように心の声が聞こえるわ。貴女がわたしに少しでも悪意を抱けば、すぐにわかってしまうのよ。こんな気持ちの悪いわたしと一緒にいたいと思う?」
「思う!(勘違いしないでね気持ち悪いっていうところじゃなくて、仲良くしたいって意味だから、本当に勘違いしないでね?)」
「……馬鹿な子」
 菊乃の影が去っていく。もう足を止めることは決してなかった。
 その場に立ち尽くす夏希は、悲しさで胸がいっぱいだった。
 動けずにいる夏希の肩を誰かが叩いた。
「大丈夫、岸?」
「えっ?」
 振り向くと雪弥が立っていた。
「こんなところでぼーっとして、トイレじゃなかったのかい?」
「え、あ、うん、もう大丈夫。でもあの、鷹山くんがどうして?」
「僕もトイレ……っていうのは嘘で、岸の様子が変だったから。トイレじゃなかったんだろ?」
「あたしを追いかけてきたの?」
「まあね」
「うん、ありがと(魅神さんじゃないんだ)」
 なぜか夏希の心は痛んだ。
 菊乃と雪弥の関係。
「(あたしじゃなくて鷹山くんが魅神さんを追いかけてきてたら……)ねえ、鷹山くんって魅神さんのことどう思ってるの?」
「変った子だよね」
「それだけ?」
「どうしたの急に?」
「ううん、忘れて何でもないから(鷹山くんは何も思ってないんだ)」
 また夏希の心は痛くなった。
 雪弥がニッコリと笑う。
「戻ろうか?」
「うん」
 夏希は元気なく小さく答えて頷いた。

《3》

 しゃべるだけで爆乳が揺れるベル。
「そんなわけだから、アナタたち明日は休日返上で細菌テロと戦うのよぉん!」
 というところで部屋に帰ってきた夏希と雪弥。
 最後のベルのセリフだけ聞いてもなんのこっちゃわからない。
 たぶん最初から最後まで聞いてもわからないような気がすると思う。
 しかし、順応性の高い雪弥はすかさず答えた。
「明日はどうしても外せない用事がありますので、申し訳ありませんが参加できません」
「うむ、用事があるのならば仕方あるまい」
 と、すぐに舞桜が承諾。
 夏希も変なことに巻き込まれるのが嫌だったので、早めに断ろうと思ったのだが舞桜のほうが早い。
「では仕方ない。私と夏希で任務に当ろう、良いな夏希?」
「ちょ、あたしも用事が……(ないけど)」
 だって舞桜にベッタリされてるせいでまだ友達が……。
「夏希のスケジュールはすべて把握している。明日は誰とも約束がない筈だが?」
「一人で買い物ぉ〜(も行かないけど)」
 だって買い物行くほど仲のイイ友達いないもんね!
「買い物ならば私が手配して誰かに行かせよう」
「ショッピングって見るのも楽しいんだけど」
「その感覚は私にはわからんな」
「……わかりました、行きます、頑張ります、好きにしてください!」
 大丈夫、これまでだってたくさんの困難を乗り越えてきたんだもん。
 会議はこれで終わりのようなので、このあとすぐに雪弥が帰宅したの路についた。
 夏希は途中の説明を聞いていなかったので居残り。てゆか、まともに説明聞いたのは三人でも途中退席したせいで、舞桜しか聞いていなかったりする。
 新しいタバコを口に咥えながらベルはめんどくさそ〜にした。
「じゃ、はじめから説明するわよ」
「お、お願いします(もしかして怒ってるのかな?)」
 ちょっと気まずい夏希ちゃん。
「国家の転覆を狙う細菌兵器の名をアナタは知っているかしら?」
「知りませんけど」
「アナタも一度くらい耳にしたことがあるはずよ。その名も――NEETウイルスよぉん!」
「は?(NEETってウイルスとかぜんぜん関係ない気が)」
 ごく一般的に言われているNEETの解釈は、親のスネをかじって生きているプーのことだ。漫画家だろうと小説家を目指してようと、それは職業訓練じゃないからプーなのだ!
 そのNEETとは違うの?
 舞桜は神妙な顔をした。
「夏希、私たちと同じクラスにいるタローくんを知っているか?」
「誰タローくんって?(下の名前とかでだと余計にわからないんだけど)」
「夏希が知らないのも無理がない。なぜなら彼はNEETウイルスに感染して、まだ一度も学校に登校していないのだ!」
「それって単なる登校拒否じゃ?」
 もしくはヒッキー。
 そして、突然思わぬ事態が三人の身に降りかかるのだった!
 ――停電。
 暗闇で誰かが叫ぶ。
「ついに来たか光の勇者ども!」
 あえてノータッチ。
 部屋の中には窓がなかったために、電気が消えてしまうと完全にまっくらだ。
「夏希大丈夫か!」
「きゃっ、騒ぎに便乗して抱きつかないで、あっ、そこは[あぁン♪]」
「私は触っていないぞ?」
「えっ……また[あぁン♪]触らないでってば!」
「もっと幼児体型かと思ったけど、なかなかイイ体してるのねぇん♪」
 って、お前か触っとんたんは!
 暗闇の中での出来事はご想像にお任せします。
 部屋に淡いロウソクの火が灯った。
 テーブル上に乗った赤いロウソクを中心に、かろうじて部屋の中が見渡せるようになった。
 ただこのロウソクって……。
「SM道具をいつも持ち歩いていて助かったわぁん」
 ベルの私物だった。
 舞桜は腕組みをして思案したあと、深く頷いて見せた。
「これはテロだな。光の勇者がついに我がアトランティス要塞に攻めてきたに違いない」
 二度目もスルーしたほうがいいのだろうか?
 構わずベルはスルーした。
「プロブレムは停電の範囲だわね。アトランティス全域なのか、それとも学園だけなのか、何より問題なのは補助電源にチェンジしてくれないことだわ(こんなことなら、サボらないでさっさと魔導システムを完成させておけばよかったわぁん)」
 もしも停電がしばらく直りそうもないなら、こんな場所でじっとしていても仕方がない。
 夏希は席を立った。
「あのぉ〜、あたし家に帰ります」
「ムリ。インポッシブル――不可能よぉん♪」
 と明るくベル断言。
 なぜかと言うと、今からベルが説明してくれます。
「停電になると学園のドアというドアはロックされちゃうのよね。さらにこの生徒会室は学園の本丸、最後の砦、パニックルーム、とにかくこの中にさえいれば外敵からの攻撃をパーフェクトにディフェンスすることができるわ……停電になっちゃうとアタクシたちも外にも出られないけれどぉ♪」
 外からも入れない。
 中からも出られない。
 ……終わった。
 でも大丈夫、この生徒会室は万が一の事態を想定して食料が備蓄してある。お菓子だって盛りだくさんだぞ!
 ただ問題は明かりがいつまで持つかと言うことだ。
 こんな状況だが、不安そうにしているのは夏希だけ。
「夕飯までには帰れるかな?」
「ムリね」
 ベル即答。
「日付が変るくらいまでには?」
「さぁ?」
「今晩、ここに泊まりってことないですよね?」
「生徒会室ってシャワー完備じゃなかったかしらぁん? お湯でないけど」
 ベルはこんな調子だし、なんだかいつも気の張っている舞桜だが、今はとても安らかな表情をしていた。
「まあ良いではないか、たまにはゆっくりと骨を休めるのも」
「そうそう、今日はパーッと飲んで盛り上がりましょう!」
 胸の谷間から取り出された一升瓶。すでに空の瓶が畳の上に転がっている。いったいアンタ何本胸に挟んでるんだよ。
 そんなわけではじまったお泊まりパーティ。
 時間は楽しく過ぎていき、執拗なまでの[あぁン♪]トークや[自主規制]トークでベルが夏希を責める。
 そして、ついに夏希がキレた。
「あたし帰ります!」
 どうやら楽しかったのは酔っぱらいのベルだけだったらしい。
 夏希はドアをこじ開けようとするがビクともしない。
 蹴る蹴る蹴る!
 足が痛くなっただけだった。
「だからインポッシブルって言ってるじゃなぁ〜い♪」
「あたし絶対に帰りますから!」
 意地になる夏希。
 でも開かないドア。
 瞑想していた舞桜がすっと立ち上がって刀を抜いた。
「夏希がそこまで出たいというのなら仕方がない。斬るから下がっていてくれ」
 一刀が輝線を描いた。
 刹那、斜め十文字に入った線からドアが崩れ落ちたのだった。
 驚いたのはベルだ。
「絶対斬れないと思ったのに(やっぱり侮れないわね、魔王ちゃん)」
「我が刀に斬れぬ物なし……こんにゃく以外は」
 諸事情によりスルーします。
 ベルは白衣から筒状の何かを取り出して、夏希に向かって軽く投げた。
「受け取りなさい、懐中電灯よぉん」
 ロウソクのほかにもまともなアイテム持ってたのか……。
「あ、ありがとうございます(あの人なんでも持ってるんだなぁ)」
 こうしてやっと生徒会室を脱出できたのだが、本当の難問はこのあとに待ち受けていた。
 廊下が暗い。
 すでに時間も夜だから、外が暗いのは当然だろう。窓から見える景色も月明かり……窓がねぇ!
 舞桜は一人で納得。
「事態は思いのほか悪かったらしい」
「どういうこと?」
「停電の拍子に防御システムが誤作動して、窓がすべて塞がれてしまったらしい。もちろん野外に出ることができる扉もすべてだ」
 つまり早い話が閉じこめられたって話ですね。
 さっきまでと状況変らねぇ!!
「外に出る方法ないの?」
 尋ねる夏希に、
「知らん」
 即答。
 舞桜は言葉を続ける。
「この城の主は私だが、設計したのはベルだ」
「じゃあ鈴鳴先生に聞けばわかるってこと?」
「少なくとも、なんらかの情報は持っているだろう」
 そんなわけで部屋に戻った二人。
 ――ぐぅがぁ〜ッ!
 化け物の唸り声かッ!
 いや、ベルのいびきだった。
 下着丸出しの半裸状態で寝ているベル。どう見ても爆睡。
 夏希は畳に膝を付いてベルの体を揺さぶった。爆乳が揺れるのは仕様だ。
「起きてください!」
「……っさい……がぁ〜ぐぅ〜!」
「この酔っぱらい!」
「ぐがぁ〜ッ!」
 怪獣のようないびきを掻いて起きる様子なし。揺さぶっても胸が揺れるだけである。
 どっと肩を落とした夏希。
「……ダメだ、起きない」
「彼女も疲れているのだ、寝かせてやるが良い」
「でもぉ〜(なにこのダメ教師)」
 起きないものは仕方がない。あきらめて夏希は立ち上がった。
 舞桜が夏希の手を握った。
「ではゆくぞ夏希!」
「……は〜い」
 こうしてついにエクストリーム・脱出が幕を開けたのだった!

《4》

 エクストリーム脱出・イン・舞桜学園!
 ルールは簡単、とにかく外に出ろ。途中で同じように閉じこめられた生徒がいるかもしれません。協力するかどうかはあなた次第、そこが戦略の分かれ目です!
 窓も塞がれてしまっているので月明かりすら入ってこない。明かりがなければ本当に真っ暗な状況だ。
 廊下を歩きながら夏希は思いっきり舞桜の手を握っていた。
「舞桜ちゃん怖くないの?」
「恐怖とは計り知れないからこそ恐ろしい。敵を知れば恐れることは何もない。まずは勇気を持って立ち向かうことが大切なのだよ」
「でも幽霊とか出たら怖いよね?」
「幽霊は歴とした存在だ。夏希は猫や犬を恐れるのかい?」
「恐れないけど(話がなんか違うんじゃ?)」
「幽霊も知ることによって恐れの対象ではなくなる。それにまだこの学園は新設されたばかり、怪談の一つもまだ聞いたことがない。実に寂しいことだ」
 学校で起る怪奇現象とか期待しちゃってるんですか?
 懐中電灯を握りしめていた夏希がピタッと止った。
「聞こえた?」
「なにがだ?」
「聞こえなかったなら別にい――ッ!?」
 ウォーン!
 今度はたしかに聞こえた。犬の遠吠えだ。
 舞桜は夏希の首を握って懐中電灯の明かりを廊下の先に誘導させた。
「ふむ、奴だな」
 明かりに照らされた動物の影。
 四つ足の獣。
 首の数は三つ、チワワが混ざっている……ケルちゃんだ!
 冷静に舞桜は言う。
「犬小屋を逃げ出したらしいな」
 『生徒会長天道舞桜VS地獄の番犬ケルベロス〜召喚成功しちゃったよ』事件のあと、学園で飼われることになったケルちゃん。急ピッチで犬小屋が建設され、そこにぶち込まれたらしいのだが、目の前にいるって現実を見るに逃亡したらしい。
 とりあえず出会い頭から脳天まで血が昇っちゃってるケルちゃん。いつもは可愛いチワワの頭も今は恐ろしいくらいの怪物フェイス。
 しかも暗闇だと怖さ倍増!
 飛びかかってくるケルちゃん。狙いは懐中電灯=夏希。
「来ないで!」
 レッツ逃走!
 逃げる夏希、追うケルちゃん、独り残された舞桜。
「……明かりがなければ何も見えん(まだまだ私の修行が足りんな)」
 舞桜を置き去りにしたことにも気付かず夏希は逃げる逃げるとりあえず逃げる。
 そしてまた逃げる!
 ケルちゃんは明かりを頼りに追っかけてくる。
 ここで一か八か懐中電灯を消した。
 息を潜めてそーっとそーっと。
 ブふぉっ!
 強烈な鼻息が夏希の顔に掛って髪を靡かせた。
 恐る恐る明かりを点けると――いきなり大きな口!
「きゃ〜ッ!」
 夏希ダッシュ!
 牙が噛み合わされる音が廊下に木霊した。
 明かりを消したくらいじゃ嗅覚や聴覚でバレるっぽい。
「助けて舞桜ちゃんって……いないし!」
 今気付いたらしい。
 突然、夏希はグイッと腕を引っ張られて教室の中に引きずり込まれた。
「えっ!?」
 何が起きたのかわからない。
 素早く閉められたドアに突進するケルちゃん。
 世界が揺れたような衝撃が走った。
 そっと誰かが夏希を抱き寄せた。
「大丈夫、中には入ってこられないから」
「あっ……雪弥くん、何で?」
 とっくに帰ったと思われた雪弥がそこにはいた。
 閉められたドアに突進を続けるケルちゃん。だが、ビクともしない。
 学園の教室のドアにはカギがあり、頑丈なドアは外からの侵入を防ぎ、立てこもれる仕様になっていた。はじめから舞桜は何かと戦うためにこの学園を設計させたのは明らかだった。
 廊下からは唸り声が聞こえる。
 やがてその声も聞こえなくなった。
「もう出て大丈夫かな?」
 夏希が尋ねると雪弥は首を横に振った。
「まだすぐそこにいるよ」
「どうしてわかるの?」
「僕には〈視〉えるからだよ」
 雪弥は静かに微笑んだ。
「(暗闇でもよく目が見える人なんだ)」
 程度にしか夏希は考えなかった。
 外にはまだしつこくケルちゃんがいるのだろうか?
 はぐれてしまった舞桜も心配だ。だって懐中電灯持ってるの夏希だし。
 ほかにも心配はいくつもある。
「ねえ、どうして鷹山くん学校にいるの、もう帰ったと思ってたのに?」
「大事なモノを忘れちゃって取りに来たんだけど、見ての通り閉じこめられちゃって、あはは」
「ほかにも閉じこめられた人いるのかな?」
「ほかのみんなは体育館に非難したよ。僕はほかに誰かいないか見回りしてたんだ」
「そうなんだ」
 急に雪弥の目つきが鋭くなった。
「――いた!」
 『何が?』とは聞けなかった。今まで見たことのなかった雪弥の表情に、胸を鷲づかみにされる恐怖を抱いたからだ。
 しばらくして廊下に轟々という風が吹き荒れた――窓は閉じられているのに。
 グギャギィィィィゲッ!
 何とも形容しがたい生々しい音が聞こえた。
 自分の体を抱きしめて恐怖する夏希を置いて雪弥が廊下に飛び出した。
 雪弥は自分の持っていた懐中電灯をそれ≠ノ当てた。
 赤黒い海に沈む毛の生えた黒い残骸。肉が千切れ骨まで見ている箇所がある。痙攣をしているようだった。
「まだ微かに生きがあるか……(一瞬でこの有様とは、まさに悪魔の仕業だな)」
 恐る恐る教室を出てこようとした夏希の視線を雪弥は自らの手で隠した。
「見ない方がいいよ。手を引いてあげるから行こう」
「……うん」
 なるべく見ないようにした。
 しかし、血生臭さは夏希の鼻を犯した。
 足早にその場をあとにして、それからしばらく歩き続けていると、雪弥がある物を発見してライトで照らした。
「なんだろう?」
「あれは……(ピンクさんの頭)」
 首チョンパではない。着ぐるみの頭部だけがそこに転がっていたのだ。
 夏希は嫌な予感がした。
「(舞桜ちゃんとピンクさんに何かあったんじゃ!?)」
 そう考えるのが普通だろう。
 ピンクシャドウは常に舞桜のことを守るために近くにいると考えられる。そのピンクシャドウに何かがあったということは、舞桜を守るために行動したと考えるのが妥当だろう。しかも、頭を置いていくとはよほどのことがあったに違いない。
 夏希はうさぎの頭を拾ってワキに抱えた。
「舞桜ちゃんが危ない、早く見つけなきゃ!」
「彼女が危ない?(おそらくアレ≠ノ出遭ったのだろう)その被り物は?」
 答えようとしたが夏希はあることを思い出した。
「(どうしよう、前に他言無用って言われたような)。とにかく舞桜ちゃんが危ないの一緒に探して!」
「大丈夫、心配しないで。彼女の居場所はわかっているから」
「なんで?」
「僕を信じて」
 走り出した雪弥に夏希は信じて着いていくことにした。
 向かったのは階段。そこから階段を駆け上がった。
 途中の踊り場で人影が壁にもたれかかって座っているのを発見した。
 ライトを当てようとする夏希に、
「顔に光を当てるな!」
 大きなきぐるみの手でその人物は自らの顔を隠していた。
 間違いない。
「ピンクさん!」
 声をあげた夏希の横では雪弥が怪訝そうな顔をしていた。
「(なぜだ……なぜ〈視〉えない? こいつはそこに存在しているのに、なぜ俺の〈千里眼〉では〈視〉ることができない?)怪我をなさっているようですが大丈夫できか?」
 近づこうとした雪弥をピンクシャドウは制止させた。
「近づくと殺すぞ。たしかに私は重傷でここを動けないが、貴様を殺すくらいのことはできる。私のことよりも舞桜様を助けて欲しい、お願いだ。舞桜様は怪物と共に屋上にいるはずだ」
 重傷と聞いて夏希が放っておけるはずがなかった。
「でも、ピンクさんが……(動けないほどの重傷なんて、死んじゃうかも)」
「私のことなら案ずるな。ここでは絶対に死なない。しかし、舞桜様の命は危険に晒され一刻の猶予もない、早く行ってくれ!」
 夏希は口を真一文字に結んで、うさぎの被り物をここに置いてから、階段を駆け上がり出した。すぐに雪弥も夏希のあとを追う。
 屋上と目と鼻の先。防護シャッターが下りていたが、何十センチもある金属製のそれには、まるで突き破ったような穴が開いていた。人の力では決してありえない何か=B
 先に穴に飛び込もうとした雪弥が何かの力によって弾き飛ばされた。
「くっ!(バリアか……それにしてはエネルギーを感じない。何が俺の邪魔をする?)」
 夏希は雪弥が飛ばされたその部分に手を触れた。
 目には見えない何かが押し戻そうとする。まるで拒否されているかのように。
《来ないで!》
 夏希の頭に声が響いた。
「(なに今の声?)」
 再び夏希は見えない壁に手を触れた。
《来たら殺すわよ!》
 また声が響いた。
「誰なの!?」
 夏希の問いに雪弥は眉を寄せた。
「何かを感じるのかい?」
「声が聞こえたの」
「声?(俺には聞こえないのか)」
 もう一度、夏希は見えない壁に触れた。
《来ないでって言ってるでしょ!》
「魅神さん!?」
 それは菊乃の声だった。
 なぜ菊乃の声が聞こえるのか?
 この先に何がいる……怪物?
 夏希は見えない壁に手を押し込めた。反発される。それでも負けずと手を入れ、ねじ込むように体を入れた。
 見えない壁を抜けた途端、余った力の反動で夏希は床に倒れたしまった。
「いった〜い」
 床に両手を付いて立ち上がろうとした瞬間、
「イタッ!」
 激痛が足首に走った。
「右足ひねちゃった」
 それでも夏希はどうにか立ち上がって、片足を引きずり歩いた。
 屋上に続くドアを抜けた途端、凍える強風とむせ返るような異臭に襲われた。
《来たら本当に殺すわよ!》
「どこなの魅神さん?」
《お願いだから……来ないで……》
 震える声。まるでそれは泣いているようだった。
 学園の屋上は敷地面積が非常に広い。運動スペースや緑化スペースなど、さまざまなスペースが設けられている。まるでそこが屋上であることを忘れてしまいそうな場所だ。
《来ないで……来ないで……見られたくない……》
 夏希の頭に響く声。言葉の意味とは裏腹に、まるでそれは助けを求めるかの声だった。だからこそ夏希は探さなければ行けないと思った。
 菊乃がこの屋上にいる。そして、おそらく舞桜も――。
 異臭を強くなる。まるで物が腐ったような臭い。肌を刺す風も強くなっていた。
 夏希は足下に目をやった。何か落ちている。
 拾い上げたそれは狐面だった。
 菊乃がいつもつけていたそれ。触れられることさえ拒み、決して外そうとしなかった面。顔を隠し続けた偽物の顔。
 しかも、その面は真っ二つに割れていた。
 公園スペースにたどり着いた。
 この異臭のせいか、眼まで開けられなくなってきた。
 それでも夏希が眼を開き辺りを見回すと、噴水がなんと汚泥を噴き上げていた。
 よく見ると足下の芝も黒く溶けているようだった。
「舞桜ちゃん!」
 夏希は目に飛び込んで舞桜に駆け寄った。
 芝生の上で横たわり、意識があるのかないのか、苦しそうな表情で眼を瞑っていた。よく見ると、皮膚にいくつもの黒い斑点が浮き上がっている。
「舞桜ちゃんだいじょぶ!」
「……ううっ……うぅ……」
 うなされながら苦しい声をあげているだけ、おそらく夏希の声も届いていない。
 夏希は辺りを見回した。
「魅神さん近くにいるの?」
《その女を早く連れて逃げるのよ。ここにいるだけで死ぬわよ!》
「魅神さんを置いていけない!」
《偽善者めッ! 行かないのならわたしが殺すわよ!》
「どうしてそんなこと言うの!(あたしはただ……なんでもいいからできることをしたい。友達になりたいと思ってるから、あたしのできることをしてあげたい!)」
《わたしのことを想うなら来ないで!》
「できないよ……だって魅神さんの声、苦しくて、悲しそうなんだもん。今行くから!」
 叫び声にも似た音を鳴らしながら突風が吹き狂った。
 思わずバランスを崩した夏希は腕で顔を覆う。
《来ないでって……言ったのに……殺してやる!》
 木の陰から巨大な何かが飛び出してきた。
 まるでそれは蜘蛛に似ていた。皮と骨だけの赤黒い躰から伸びる異様に長い手足。四つん這いで歩き、異臭を放ちながら夏希に向かって近づいてくる。
「(気持ち悪い)」
 夏希は心の中で呟いてしまった。
《そう、わたしは気持ち悪いの》
 半分以上飛び出した眼球をギョロッとさせながらその物の怪は夏希を睨んだ。
《気持ち悪いでしょう、恐ろしいでしょう、吐き気がするでしょう? これがわたしなのよ》
 夏希は深呼吸をしてからその物の怪を見据えた。決して眼を背けることなく、その物の怪の顔を見続けた。
「ごめんね、気持ち悪いと思ったのは本当。でも、それは見た目の問題で、中身は菊乃ちゃんは菊乃ちゃんだから、だからあたし本当に仲良くしたくて……」
《でも気持ちが悪いのでしょう? 気持ち悪いわたしの傍に近づけるの? わたしの躰に触れることができるの?》
「できる!」
 夏希は臆することなく物の怪に近づこうとした。
 しかし、それを拒んだのは菊乃だった。
《来ないで! どうして来るの!?》
「だって本当は傍にいて欲しいってあたしには聞こえるから。大丈夫だよ、傍にいてあげるから」
《来ないで!》
 物の怪の長い腕がなぎ払われ、鋭い爪が夏希の腕を抉り、破れた裾から真っ赤な血が滲んだ。
「痛いけど大丈夫……だって菊乃ちゃんのほうが苦しそうなんだもん」
《やめて同情なんて、この偽善者!》
 物の怪は怯えるように後ずさりをした。
 ゆっくりと一歩一歩、地面を踏みしめながら夏希は近づいた。
《来ないで……来ないでよ……わたしに触ると毒に犯されて死ぬわよ!》
「大丈夫だから」
 大きく両手を広げた夏希は包み込むように物の怪の長い手にしがみついた。
「ね、だいじょぶだったでしょ?」
 汚泥に手を突っ込んでいるような触感。
 鼻を麻痺させ頭痛と眩暈を引き起こす異臭。
 毒なのだろうか、皮膚が燃えるように熱く、痺れるような痛み全身に走る。
 しかし、それらは徐々に薄まって逝こうとしていた。
《あなたは言葉も態度も心も、馬鹿みたいに嘘のつけない人。貴女の心はとても聞こえやすかった。だから気付いていたのに、信じることができなかった……だって人は裏切るものだから、ごめんない》
「うん」
《これはわたしの身に降りかかった呪いなの。わたしは生まれて間もなく物の怪に躰を奪われた。お父様とお母様はわたしを助けようとしてくれた……そんなことしなくてよかったのに。物の怪は死んだわ、けれど引き替えにお父様も死に、お母様は未だに臓腑に重い後遺症が残っているの。そして、わたしはと言うと、物の怪の意識は死んでも怨念だけが残ってしまった。故に満月の晩や霊力や魔力の類を多く孕んだ場所にいると、こんな醜くて気持ちの悪い物の怪になってしまう》
 空には満月が浮かび、優しい月明かりは二人の少女を照らしていた。
 夏希の膝の上で眠る菊乃の姿。
 気高く上品で華やかな少女の素顔。それを見て夏希は息を呑んだ。
「(ちょー美人)」
「嘘付かないで」
「ウソじゃないよ、なんでこんな美人なのに顔隠すの!」
「美人じゃないわよ、わたしは不細工なの」
「顔じゃなくて性格がブスなんでしょ!」
「……っ」
 思わず瞳を丸くして言葉を詰まらせる菊乃。
 互いに見つめ合い。
 急に可笑しくなって夏希が笑った。
「あははは、なんかわかんなけどおかしいー!」
 釣られて菊乃も口から空気を漏らした。
「ふふ、あはは……」
「あーっ菊乃ちゃんが笑った! いつもみたいのじゃなくて、菊乃ちゃんのその笑顔スゴイ素敵!」
「うるさい」
 ブスッとした表情をしても、口元だけは微笑みを浮かべていた。
 夏希はずっと放さず持っていた狐面を菊乃に返した。
「はい、大事な物なんだよね?」
「……早く返して頂戴(ありがとう、岸さん)」
 菊乃は狐面を奪い取って顔に被せた。割れてしまっているため、常に手で押さえていなければならない。
 面を被った途端、なんだかいつもの菊乃に戻ったような気がして、ちょっぴり夏希は残念な気分だった。
「被らないほうが素敵なのに」
「でも被らないわけにはいかないの」
「どうして?」
「わたし人と顔を合わせるのが死ぬほど嫌いだから。そして、もっと重要なのは、この面がわたしの霊力を押させ、さらに人の声をある程度遮断してくれているのよ。だからわたしを守ってくれるこの面は絶対に外せない」
 ゆっくりと自分の膝から立ち上がる菊乃を見て夏希がハッとした。
「菊乃ちゃん裸!」
「そうね、変身したときに服は破れてしまったわ。仕方のない事よ」
「って、冷静すぎだから! 早く着替えなきゃ、とりあえずあたしの制服着て!」
 そして、夏希は自分の制服を脱いで菊乃に着せたのだが……。
「あーっ、あたしが下着になっちゃった!」
「……やっぱり馬鹿ね貴女」
「水着だって恥ずかしくないもん……きゃーっ!」
 夏希が叫んだ。
「ごめん岸!」
 この場に駆けつけた雪弥は慌てて手で顔を覆った。
「すぐに着替え持ってくるから」
 そう言って慌てて雪弥はこの場を去って行ってしまった。
 思わず夏希は笑ってしまった。
「今の見たー? ちょっとおかしかったよね?」
「そうね」
 その狐面は少し微笑んでいるように見えた。


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