■ サイトトップ > ノベル > シャドービハンド > 第2章 夜の侵蝕(4) | ノベルトップ |
Scene4 雨の別れ |
キャットピープルになって鋭くなった感覚のひとつ。自分と相手との各の違いを計る感覚。動物界では重要なことである。 目の前で繰り広げられるリサとカオルコの闘いに、戒十は唖然とせずにはいられなかった。 背筋の走る寒気、到底及ばないレベルの闘いが繰り広げられているのだ。 どの程度、目で追えているかすらわからない。 繰り出される拳や蹴りの残像が幾重にも見える。 風を切る音、風にぶつかる音、そして肉がぶつかる音。 鳴いていた風が熄み、リサとカオルコが対峙した。 笑いかけるリサ。 「けっこうやるジャン」 嗤い返すカオルコ。 「昔の私と思わないで欲しいわ」 「だとしても、アナタがアタシの娘である限り、力の差は絶対だかんね」 カオルコはリサを姉と呼び、リサはカオルコを娘と呼んだ。 シンは悟った。 「なるほどな、リサがあの女をキャットピープルにしたのか」 キャットピープルとしての血の繋がり。 通説として、血を与えた者より、与えられた者のほうが、キャットピープルの能力が劣ると言われている。ただし、何世代もの格差があれば別だが、〝親〟と〝子〟の関係くらいでは能力に大きな差は出ない。 リサの自信――それは親子の力の差よりも、経験による差が大きいのだろう。 キャットピープルは歳を重ねるごとにその力を増す。 〝親〟と〝子〟に力の差が現れるのは、本質的性能の問題よりも、積み重ねられた年齢の差によることが大きい。 カオルコの年齢は不明だが、リサはカオルコよりも、江戸時代の武士だったというシンよりも長く生きている。この点からも〝親子〟の力に差が出るのだ。 すべてカオルコも承知のはず。 だが、カオルコは余裕の笑みを崩さなかった。なにか策でもあるというのか? 「昔の私と思わないでと言ったでしょう?」 戒十はもちろん、シンもそのスピードについていけなかった。 一瞬のうちにカオルコはリサの懐に入っていた。 鋭く伸びたカオルコの爪がリサに刺さろうとしていた。 だが、眼を剥いたのはカオルコだった。 絶対に外さないハズの攻撃が空を切った。 「どこ?」 視線を泳がすカオルコの耳に届くリサの大声。 「ここだよ~ん!」 振り向きざまにカオルコはリサのビンタを食らって地面に転がった。 頬を押さえながら片膝を地面に付き、鋭い眼つきでカオルコはリサを睨んだ。 「どうしてっ!?」 「昔よりか強くなったの認める。けど、それでどーしてアタシに勝てると思ったわけ?」 「……くっ」 唇を噛むカオルコ。悔しさはさらに強くなった。 リサの瞳は冷たくカオルコを見下していた。 「今まで1度だってアタシは、アンタの前で最大限の実力を見せたことないよ?」 「絶対に……絶対にお姉さまを超えて見せる……」 「そのために何度、何十回、何百回、禁忌を犯す気なの?」 カオルコの眉が少し上がった。 「……やはりお見通しなのね。そうよ、力を手に入れるために、私は同属を喰らったわ!」 この発言に衝撃を受けたのはシン。傍らにいる戒十はよく理解できなかった。 喰らうというのは決して比喩ではない。 種族が増えるにつれて血が薄まり能力が落ちるならば、血を濃くするためにはどうすればいいのか? リサは重たい口調で語りはじめた。 「キャットピープルの間では、ただの迷信とされている――ううん、迷信だと信じ込ませなければならないこと。でなければ絶対に力を欲する者は、その禁忌を犯すもん。キャットピープルは同属を喰らうことによって、力を増すことができるの」 迷信であること以前に、その話がタブーであることから、話そのものが多く広まらない。けれど、長く生きれば生きるほど、その話が耳に入ってきてしまうこともあるだろう。 シンも話は知っていたが、ただの迷信だと思っていた。 その手の話は、神話や伝承、迷信としてはいくらでもある類だ。倫理観のある者であれば、同じ仲間を喰らうなど発想しない。 しかし、カオルコは喰らった。 戒十はリサの話を理解したとき、瞬時にそこに考えが及んだ。 「僕を喰う気だったのか?」 問いに答えることなく、カオルコはただ妖しく嗤った。 その嗤いが答えなのだろうか? 少なくともリサ側についたのは、マシな判断だったかもしれない。 「喰われるなんてまっぴらごめんだね」 戒十は明らかな嫌悪感を込めて吐き捨てた。 傍らでシンが静かに話す。 「だがな、俺たちは同属を喰らわぬまでも、人の生き血を吸って生きている」 「僕はまだ普通の食事だよ」 その戒十の言葉にシンはなにか言いたげだったが、なにも言わずに口を閉ざした。 ゆっくりと立ち上がるカオルコ。その眼はリサを捕らえて放さない。 「私のことをどうしたいの?」 それはすでに負けを認めた発言だった。実力ではまだリサに敵わないと判断した。だが、まだ心は折れておらず、眼はケモノのようの鋭い光を放っている。 「禁忌を犯したことは眼ぇ瞑る。同属の争いや、人間に戦争を仕掛けるようなマネはよして欲しいだけ」 それはリサの願い。 カオルコは首を横に振った。 「嫌よ、私たちは人間よりも優れているのに、なぜ闇に潜まなければならないの!」 リサは哀しい眼をしてカオルコを見つめる。 「やっぱりアナタは昔と変わらない。やっぱり生かすべきじゃなかった」 「だったら、今ここで、私のことを殺す?」 「…………」 「できないのでしょう? 〝成れの果て〟を殺す非情さはあるのに、私のことは殺せないのよね……何百年生きようと、貴方の心は強くならない」 二人の過去に何があったのか? さらにカオルコは怒鳴るように話した。 「お姉さまほどの力があれば、多くのキャットピープルを束ねることができるのに、貴女は争いを恐れて人の上に立とうしない。私にないモノを持っているのに、どうしてそれを使おうとしないのよ!!」 黙って聞いていたリサの表情には、悲しみと怒りが同居していた。 「……アナタに何がわかるの、たかが100年くらいしか生きていない小娘に何がわるかるの、争いなんてホントくだらないんだから!」 さらに小さく「ばっかじゃないの」とリサは付け加えて口を結んだ。 カオルコは悪戯に笑っていた。 「怒った顔のお姉さまは好きよ。私にはわかるの、その顔が本性なのだと」 「うっさい!」 「私の躰にもちゃんと流れているのよ、お姉さまの邪悪な血が」 「…………」 リサはなにも言えないようだった。 そんなリサをあざ笑うカオルコは去ろうとしていた。 「今は身を引くけれど、近いうちに会いましょうね……お姉さま」 その背中をリサは目で追うことしかできない。足は地面に張り付いたままだった。 深い闇の中にカオルコは消えた。 すぐにシンが後を追おうとするが、その服を掴んで止めるリサ。 「シンじゃ勝てないよ」 「だが、しかし!」 「まだ悪あがきする時期じゃないよ」 シンの身体から鬼気が抜けた。 君主のためならば、犬死とわかっていても闘わねばならぬときがある。時期を見誤ってはいけないことをシンも心得ていた。 リサは今まで見せたことがないほど、哀しい顔をして地面を見ていた。戒十はその表情を見ながら、なぜか自分の心に胸を当てた。 もう来ないと思っていた。 退屈な授業風景。 戒十はいつも通り学校に登校していた。 教室の窓から見える外の景色。 重たい雲が空を隠し、今にも雨降ってきそうな天気だった。 陰鬱な表情をしていた戒十は、自分が見られている気配を感じ、静かに視線を滑らせた。 純と目が合った。すぐに視線を反らず純。しばらく戒十が見ていると、再び純は戒十と目を合わせ、すぐに目を伏せてしまった。 戒十は深く深呼吸をして、再び憂鬱な外の景色を見つめた。 授業の終わりを告げる鐘が鳴る。 気づけばもう昼休みだ。学校に来てから一度も席を立っていなかった。 ついに戒十は重い腰を上げた。 教室を出て歩き出した戒十が向かったのは下駄箱。戒十は帰る気だった。 靴を履き替えていると、駆け足の音が近づいてきた。振り返ると純が立っていた。 「大丈夫……三倉くん?」 「大丈夫って……?」 「今日の三倉くん、ちょっと様子が変だから」 「そう……か」 いつも自分を見ていた人がいたことに気づいた。 戒十は小さく小さく呟いた。 「気づくのが遅かったな……」 もう後戻りは出来ない。 今の生活と別れなければいけない。 戒十は純に別れを告げず歩き出した。 息が詰まったような表情で戒十の背中を見つめる純。 外に出ると、小さな雨粒が地面を濡らしていた。 傘なんて持ってきてなかった。天気予報を見れば、わかっていたことなのに、そんなこともしなかった。 地面を濡らす雨粒が大きくなったと思った瞬間、急な土砂降りが曇天から落ちてきた。 雨に打たれた戒十は突然、胸を鷲づかみにして地面に膝を付いてしまった。 酷い倦怠感と動悸に襲われた戒十。 手足が痺れ、視界が点滅する。 耳に届く微かな声。 「大丈夫……三倉……くん?」 戒十の身体を支えているのは、すぐさま駆け寄ってきた純だった。 二人は刺すような雨を浴び、純は心配そうな瞳で戒十の顔を覗き込んでいる。 純の動揺が戒十に伝わる。 それは血が脈打つ音だった。 純の身体に流れる血の音を、土砂降りの雨の中で聞き分けた。 戒十の視線は白い首に注がれた。 雨で濡れる純の首筋。血の流れが手に取るように分かる。 戒十の躰は言うことを聞かないのに、感覚だけは鋭く研ぎ澄まされていた。 朦朧としながら戒十は唾を呑み込んだ。 嗚呼、ついに来たかと戒十は思った。 血の渇欲。 キャットピープルが血を糧とすることは、すでに知っていることだった。 しかし、まだ完全にキャットピープルと化していない戒十は、人間の血を必要としなくても生きていられたのだ。 今まで感じたことのない渇き。 咽喉が焼けるように熱い。 想像以上の苦しみに戒十は歯を強く噛み締めた。考えが甘かった。人間が子腹を空かせる程度にしか思ってなかった。 〝成れの果て〟が生まれる理由を理解できた。成りたくてあんな怪物になるハズがない。血への渇欲を押さえきれずに、貪り尽くしてしまうのだ。 理性の糸が切れる前に、戒十は純の身体を押し飛ばした。 「僕に構うな!」 飛ばされた純は泥に尻と手を付いた。 その姿を見ながらも「ごめん」の一言が、今の戒十には言うことができなかった。 逃げるように走り去ろうとする戒十だったが、思うように足が動かずにもつれ、濡れた地面に倒れてしまった。 口に入った泥を唾と一緒に吐き出し、戒十は全身の力で立ち上がろうとした。なのに身体がマヒして動かない。 「三倉くん! 三倉くん!」 純の叫び声が木霊する。 今にも泣きそうな顔で純は戒十を抱き起こそうとする。 純の肌の温もりが戒十に伝わる。 ケモノの血が抑えられない。 戒十は自分を起こそうとする純を押し倒し、馬乗りになって首筋に噛み付こうとした。 だが、寸前で戒十は顔を逸らし、血が出るほど握った拳を純の顔面の真横に振り下ろした。 地面を殴りつけた戒十はよろめきながら立ち上がり、下駄箱を指差して叫ぶ。 「行け、僕に構うな!」 純は泥に尻をつけたまま立ち上がろうとしない。その顔は恐怖に歪み、目頭から涙が滲んでいた。 再び戒十が叫ぶ。 「行け、早く行け! 僕の前から消えろ!」 そして、純はゆっくりと立ち上がり、涙を流しながら戒十に背を向けて走り出した。 ふと、純の足が止まった。振り向こうとしたようだったが、それをやめて再び走り出した。 純の背中を見送り、戒十はゆっくりと歩き出す。 学校との決別。 そして、純との別れ。 吹きぬく風のように消えるはずが、こんな別れをするハメになるなんて……戒十は苦笑した。 校門を出た戒十は力尽きて倒れそうになった。 その身体を支えたのはリサだった。 「ったく、学校行くなら行って言ってよね。いろんな場所探しちゃったジャン。シンもちょっと怒ってるよ……って」 すでに戒十の意識はなかった。 土砂降りの雨の中、後味の悪い別れ。 次に戒十が目を覚ましたとき、彼を待ち受けている運命は? キャットピープルの覚醒に苦しむ戒十。 そして、戒十を狙う敵の影。 真夜はまだこれから訪れるのだ。 シャドービハンド専用掲示板【別窓】 |
■ サイトトップ > ノベル > シャドービハンド > 第2章 夜の侵蝕(4) | ▲ページトップ |