■ サイトトップ > ノベル > シャドービハンド > 第3章 夜の産声(1) | ノベルトップ |
Scene1 新たな夜 |
あれから数週間、梅雨は明けた。 しかし、戒十の夜は明けることを知らなかった。 陽の下を歩けなくても、さほど支障はないと考えていたが、出来ないとなると恋しくなるものだ。 キャットピープルが単独で生きることは難しい。正体を隠し、事件沙汰は起こしてはいけない。その上、大量の血液を手に入れ、糧としなくてはならない。 今の世の中、人を攫えばすぐに足が付き、殺せばさらに足が付き、証拠を残さないなんて不可能に近い。 現代社会を行き抜く上で、コミュニティーを作ることは必要不可欠だった。 地方よりも首都圏に人間が集まるのと同様、キャットピープルのコミュニティーも首都圏に集まる。 戒十が今いるアパートは、住人の100パーセントがキャットピープルだった。そんな環境にいると、まるで町中キャットピープルで溢れ返っている錯覚に陥る。 1日中、不思議と眠くない戒十は暇な時間を過ごす。 冷房の効いた部屋で、日中はテレビを見ているだけだった。 まだ戒十はキャットピープルとして覚醒していない。 陽の下に出なくとも、日中は酷い倦怠感でなにもする気が起きない。外の光を少し見ようとしたことがあったが、眼の奥を抉られるような痛みが走り、すぐに床でのたうち回るハメになった。 太陽の光を浴びれない吸血鬼のようだ。 蛍光灯の光や蝋燭の火などを見ても痛みは伴わない。ただ、少し明るいと感じるため、今の部屋は暗いまま、テレビだけが煌々と光を放っている。 テレビがCMに入り、戒十は席を立った。 冷蔵庫を開けて、中から赤いパックを出す。血液パックだ。 パックを開けてコップに注ぐ。ちょうどコップ1杯が200ミリリットル。半分ほど注いでこれを一気に飲み干す。 はじめて人間の血液を飲みはじめたのは、この生活がはじまった直後だった。最初は少量を数日置きに飲んでいたが、量を少しずつ増やして今は毎日100ミリリットル、日課となっていた。 道徳的な感情から、やはりはじめは戸惑いを覚えた。最初の一口はリサに無理やり飲まされた。だが、飲んでみるとどうってことはなかった。おそらく人間であれば不快であっただろうが、もう戒十は人間ではなかったということだ。 使ったコップをすぐに洗い流す。 薄く染まった紅い水が下水に吸い込まれていく。 「……退屈だな」 心底から戒十は呟いた。 これならまだ昔の生活のほうがマシだった。まだ昔のほうが自由があった。今はまるで軟禁状態だ。 血を飲むと、しばらくして倦怠感が消える。それも長くは続かず、血を飲む前よりも酷くなる。そ症状が和らぐのは日が落ちたあとからだ。 夕方ごろになると、学校を終えたリサが帰ってくる。 「ただいまぁ!」 元気なリサに戒十はつまらなそうに答える。 「お帰り」 本当はなによりもリサが帰ってくることを心待ちにしている。陰気で退屈な時間が、リサによって払拭される。自分でも嬉しいと感じていることを知りながら、戒十はその感情を殺して何気なく、むしろ少し冷たい対応をする。 リサと目を合わさずにテレビを見続ける戒十。リサは少し不満そうな顔をしている。 「毎日毎日、ヒマでダルイのもわかるけどさぁ。休日のダメ夫みたいな生活してると、本当にダメ人間になっちゃよー」 「しょうがないじゃないか、やる事がないんだから」 「だからちゃんと求人カタログ渡したじゃん」 数日前、リサが戒十に渡した求人カタログ。キャットピープルになっても、生きていくためには金が必要だ。キャットピープルのコミュニティーから多少は支給されるが、それでも十分な金額には及ばない。やはり働かなければ生きていけない。 リサからもらったカタログは部屋の隅で放置されたままだ。中にある求人は在宅モノや、夜間の仕事、雇用主がキャットピープルのモノなどなど、意外と多岐に渡っている。 なにかをしなくていないという強迫観念はあるが、それよりも倦怠感やめまいに苛まれ、中途半端なキャットピープルである戒十はなにもできる状態じゃなかった。 「リサだって僕が辛いのわかるだろ!」 感情まで不安定ですぐに怒鳴ってしまう。 「じゃあさ、今夜は気晴らしにどっか行こうか」 「どうせまた補導されそうになるんだからいいよ」 戒十が外出できるのは夜だけ。大昔と違って、街は夜も眠らない。娯楽はいくらでもある。 しかし、リサも戒十も見た目が未成年なのだ。 何度か夜二人で出かけたことがあったが、その都度補導されそうになって逃げた。リサは慣れているらしいが、戒十にしてみれば面倒臭いことこの上ない。 戒十はまだ過去の生活を捨てたばかりで、ヘマをすれば親に通告されてしまう。 今頃、両親は自分のことを心配しているだろうか? そんなことを戒十は思ったりもするが、もしかして未だに家を出たことすら知らないのではないかと、失笑してしまう。 父親は単身赴任、母は若い男と遊び家に帰らず、戒十は二人の両親と長いこと顔を合わせていない。 家を出るとき、母親への不満を書きなぐり、学校もやめて自立するから家出すると書置きを残してきた。普通の親であれば、捜索願を出せれそうだが、あの親はそんなことしないと戒十は踏んでいた。 家を出るときに持ってきた持ち物は少ない。財布と自分の預金通帳、気替えとヘアワックスなどの生活必需品、それにケータイと充電器くらいだ。 ケータイはほとんどのメモリを消去した。過去の生活は捨てるつもりだったからだ。けれど、自宅と母のケータイだけは残しておいた。母親のことが嫌いなのに、なぜか消すことができなかった。 リサは戒十の腕を引っ張る。 「ねぇ夜になったら遊びに行こうよぉ。あんまり遅くならなきゃ補導されないしさー」 「いつも遅くならないようにしてるのに、なるんだろ?」 「だってぇ、楽しいんだもん」 戒十はため息を吐いた。 補導される要因は戒十よりもリサにある。リサに見た目は幼すぎるのだ。 外に出ることを戒十だって本気で嫌なわけではない。むしろ、こんな場所に閉じ込められて、外に出たいという欲求は強い。それなのに嫌そうなそぶりをリサに見せてしまう。 リサが上目遣いで戒十を落とそうとする。 「お願~い、一緒に遊びに行こうよぉ」 リサの大きく丸い瞳には、困った顔をする戒十が映りこんでいる。 「しょうがないな」 まるでリサに押されたからと言わんばかりの口ぶり。けれど、戒十の口元は少し微笑んでいた。 夏の日没は遅い。 18時を過ぎても空は明るく、二人が出かけたのは19時を過ぎてから。 二人の見た目はリアを贔屓目に見ても高校生。ゲーセンの入り口には18歳未満(高校生不可)の22時以降の立ち入りを禁止いた張り紙がある。 ゲーセンでの時間はあっという間に過ぎ去り、その頃になると他の店の出入りも制限される。 街には中高生がまだ見かけられる。中には大人びた小学生も混ざっているかもしてない。リサも大人びた小学生に見えないこともない。 戒十はつまらなそうな顔をしていた。 「子供じゃできないことが多すぎる」 「ま、そうだけどさ、アタシはけっこう楽しくやってるよー?」 にこやかに笑うリサを見て戒十はさらに不安になった。 いったいリサはどのくらいの時を生きているのか――その姿で? 「リサっていくつなの?」 「にゃはは、いくつに見えるぅ?」 見た目から実年齢がわからないから聞いているのに、あからさまにはぐらかされてしまった。 堪らず戒十は言ってやった。 「小学生にしか見えない」 「それって褒め言葉じゃなくて、ガキっぽいっていう皮肉ぅ?」 「さぁ?」 「さぁって言い方が肯定してるじゃん」 不満そうな口ぶりだが、リサの顔は笑顔だった。 長い年月を重ねて、そんな笑顔ができるのだろうかと戒十は考えた。自分だったらできない。長い人生に疲れ、自分だったらどんどん歓喜を忘れ、皮肉っぽい頑固者になるような気がした。 心は歳を取るのに、本当に躰はこのままなのか? その問いは戒十の大きな不安だった。 「リサは、ずっとその姿のままなの?」 「う~ん、たぶん変わってないんじゃない?」 「子供の姿じゃ困ることが多いじゃないか」 「キャットピープルの組合が支援してくれるから、普通に暮らしてる分には困んないけど、公の場所で運転できないのはヤダなぁ」 「運転なんかより、もっといろいろあるだろ……」 いろいろ悩むタイプはキャットピープルに向いていないのかもしれない。 戒十は深い息を吐いた。 「本当に見た目は成長しないの?」 愚問だとわかっていても、それでも戒十は重ねて尋ねてしまった。 「しないことはないけど」 「しないことはない?」 「前にも言わなかったっけー? 急速な老化現象は死の宣告だって?」 そんな話題になったことがあった。突然、3倍のスピードで老化現象が起こったら、それは死の宣告なのだと。おそらく死の宣告がはじまってから、2、30年生きられそうだ。 人間は必ず死ぬ。寿命は長くて90年くらいだろうか? キャットピープルはその特性から、死の意識が低くなるような気がする。あたかも自分が不老不死であるような錯覚を覚えるかもしれない。それが死の宣告によって、〝死〟を実感することになる。 人間の30年は長い。定年後の第2の青春と言ったところか。死ぬことがあらかじめわかっている人間の残り30年と、死なないと錯覚していた者の残り30年はあきらかに違う。 「老化現象がはじまると、自暴自棄になっちゃうヒトが多くてさぁ。〝成れの果て〟に身を落としちゃうヒトも少なくないんだよねー」 少し哀しそうな表情でリサはそう語った。おそらく、リサは多くの事例を見てきたハズだ。多くの仲間が〝成れの果て〟になるのを見ているかもしれない。 急にリサは嬉しそうな顔で話しはじめた。 「でもね、死の宣告を受けてから、人生で一番楽しい時間を過ごしてるんじゃないかってヒトもいるんだよ。外的年齢が変わって、今までできなかったことをいっぱいしてさ、幸せそうなヒトもいるの」 「僕は無理だな。そんな生き方できないよ」 「そんなのわかんないって、ウチらに与えられた時間は長いんだし」 「そうだといいけどね……」 与えられた時間が長ければ長いほど、変わるなんてできずに頭も心も頑なる。多くの大人を見てきて戒十はそう思っている。そう、嫌な大人たちを見て。 二人は暗い夜道を帰路に着く。 リサはたわいのない話を続け、戒十は適当な相槌を打ち続けた。 そんな中、リサが「あっ」と言いながら何かを思い出したようだった。 「そうだ、外的年齢を取る方法があるよ?」 「死の宣告意外に?」 「うん!」 「なんでそれを早く言わないんだよ」 「だってね、まだ実用化されてないから」 「なんだ……」 期待させただけだった。でも、実用化されてないと言っても、方法があるということには違いない。戒十は興味が沸いた。 「どんな方法なの?」 「どんな方法って言われても……アタシはよくわかんないんだけど、医療的な感じ?」 戒十も投薬かなにかだろうと考えていたし、医療的なんていわれても、まったく答えになっていない。 キャットピープルは現実離れした存在であることは間違いない。そんなキャットピープルになっても、戒十の思考回路は現実的の域を出ない。何事も現実的な側面から考え、成長促進の方法は医学的なことだろうと真っ先に思った。 悪魔の儀式なんて方法を出せれたほうが、よっぽど話に食いついたかもしれない。戒十はそういう皮肉っぽい考えが、リサの大雑把な答えを聞いて浮かんでしまった。 聞くだけ損だったかもしれない。 子供のままでは不便なことが多い。戒十がそう思ったのだから、これまでどれくらいのキャットピープルが思ったことか? キャットピープルの中には、その長い寿命を生かして研究者もいることだろう。人間が自分たちの研究をするように、キャットピープルもその例にたがわないハズだ。 実用化されていないけれど研究はしている。そんなものなど山ほどあるはずだ。少しでも期待した自分がバカだったと戒十はため息をついた。 子供の姿のままで過ごさなくてはいけない。それはゆっくりと諦めをつけていくしかなさそうだ。 ただ、これだけは早くどうにかなって欲しい。 「いつになったら僕はリサみたいに陽の下で行動できるようになる?」 「さぁ? 個体差があるからなんとも言えないなぁ」 「ぜんぜん当てにならないな……リサは」 「他のヒトに聞いたって同じような答えが返ってくると思うけどなぁ」 「じゃあ、眩暈とか倦怠感とか、感情が抑えられなくなるとか、躰が熱くなって咽喉が渇くとか、あの一連の表情を緩和する方法はないの? そのくらいは研究されてて薬くらいあるだろ?」 「あるよ」 「…………」 あまりにリサがアッサリ答えたために、戒十は口を少し開けたまま言葉を失ってしまった。 戒十は毎日続く苦しみを思い出し、それに怒りを覚えずにはいられなかった。 「無駄じゃないか! 僕はしなくてもいい苦しみをしたんじゃないか!」 「まぁまぁ、怒らないの。やっぱり最初から楽な方法を出しちゃうのは教育上よくないかなぁって」 「そういう問題じゃないだろ、リサはただのサディストだろ!」 「にゃはは、ドSなのは認めるかもぉ」 「僕が苦しんでるの見て、そんなに楽しいか!」 「だ~か~ら~、怒らないでってば。明日はちゃんと三野瀬のとこ連れてってあげるからぁ」 三野瀬……あの見るからに怪しい男か。自宅には医療器具のようなものがあったが、どう見ても医師免許すら持っていない藪に思える。 まあ、キャットピープルがまともな医者に掛かれるわけがない。 歩きながら戒十は気づいていたが、今になって尋ねてみた。 「こっち家じゃないよね?」 「うん、今日は行くとこあるの」 「どこに?」 「にゃははん、ヒミツ♪」 そう言ってリサは戒十を連れ、待ち合わせていたらしい車に乗り込み、二人は夜の街を駆け抜けた。 シャドービハンド専用掲示板【別窓】 |
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