Scene2 罠
 前を歩くのは壁みたいな大男だ。さっきまで乗っていたのは、高級車のロールスロイス。連れてこられた場所は裏路地。不安にならない
ほうが可笑しい。
 しかも、男は特徴的な歩き方をしていた。
 そう、足音をまったくさせない歩き方は――キャットピープルだ。
 戒十にとって裏路地というのは、あれ以来あまりいい場所ではない。
 闇の向こうに立つ男が見えた。どうやらドアの前に立って、人の出入りを見張っているようだ。
 前を歩く大男が顔パスなのか、それともリサが顔パスなのか、見張り番の男は無言で戒十たちを通した。
 細い廊下の向こう側から、微かに音楽が聞こえてくる。人の話し声も聞こえてくる。大勢の人が向こう側にいるようだ。
 世界が急に明るくなったような気がした。
 照明は薄暗いが、そこには人の活気があった。
 酒の匂い。女の匂い。男の臭い。その世界に子供の姿も混ざっていた。
 バーかクラブ、そんなようなところだろうか?
 カウンター席やボックス席を囲み、人々が酒を飲んでいる。そこまではよく見る光景だ。ただ、ひとつ違和感を覚えるのは、やはり子供
が混ざっていることだろうか。
 リサが何気なく戒十に告げる。
「ここにいるのは客から従業員、み~んなキャットピープル」
 それを聞いて戒十は難しい顔をした。
 この光景を見ていると、世界人口の2分の1、いや……もっと多くのキャットピープルがいるのではないかと疑う。それを否定する材料
は、世界をキャットピープルが支配してないことだ。
 いつの間にか、戒十たちを案内してきた大男は姿を消していた。
 リサは誰を探しているように辺りを見渡している。
 急にリサが笑顔でボックス席に駆け寄った。その先にいるのは美女に囲まれた――子供。
 小学生くらいの男子が大人の女性をはべらせているようだ。そうとしか見えない。
 見た目は子供だが、キャットピープルに違いない。
 子供は酒を飲みながら、楽しそうに美女とおしゃべりしていた。
 そこへ現れたリサに子供は大きく手を振って合図をした。
「よぉリサ、おまえもこっち来て飲めよ」
 リサは戒十の腕を引っ張り、美女たちの間を割って子供の横に座った。
 自然と酒が運ばれ、リサはそれを躊躇なく飲み干し、戒十は目の前に置かれた酒を一瞥しただけで口を付けることはなかった。
 この酒の臭い。そして、女たちの臭い。それが混ざった臭いは、まるで母親と同じ。戒十は母を思い出すとともに、嫌悪感を抱かずにい
られなかった。
 子供と戒十の間にリサが座り、戒十の横には女が座っている。女は戒十に触ってこようとするが、戒十はそれを無言で拒否し続けた。
 間に入っているリサが二人を紹介する。
「この子が戒十、そしてこのガキんちょが〈バイオレットドラゴン〉のリーダーのキッカ。趣味は酒と女と博打」
 戒十が尋ねる。
「〈バイオレットドラゴン〉?」
 あれ、言ってなかったっけ? みたいなリサは顔をして、答えたのはキッカだった。
「おい、リサ……なにも教えてないのかよ? つまりアレだ、〈バイオレットドラゴン〉ってのは、ギルドつーか、簡単に言うとキャット
ピープル同士で助け合って、がんばって生きて行こうぜってグループだな」
「ちなみにアタシはここ所属、シンもね」
 と、リサが付け加えた。
 キャットピープルが独りで生きていくのは難しい。
 ここに連れてこられた意味を戒十は理解した。
「僕も入れってことだろ」
「そゆこと」
 リサは簡単に答えた。
 戒十が入る・入らないを答える前に、その話は完結しているらしく、リサもキッカも別の話をしはじめていた。内容はたわいもない世間
話だ。
 戒十は不機嫌な顔をしながら、ずっと黙ってグラスに付いた水滴を見つめていた。
 時間が増すごとに戒十の機嫌は悪くなる。それを知ってか知らずか、お構いなしで話を続ける二人。
 ついに戒十が席を立ち上がった。
「先に帰るから」
「行っちゃうのぉ?」
 と、甘えた声を出したのは、リサではなくて戒十の横に座っていた美女だった。
 戒十を無視して歩き去ろうとした。その足が止まった。理由はシンの姿を見えたからだ。
 シンが現れると座っていた美女たちが一斉に姿を消した。
 残ったキッカは不満そうな顔をしていた。
「おまえが来たから、みんなどっか行っちゃっただろ」
「悪かったな」
 無愛想に言ってシンは席に着いた。
 シンは小さなメモ用紙をキッカに手渡した。
「ここだ」
「すぐに準備して乗り込むかな」
 口ぶりは穏やかだが、その裏に隠された内容は、とても穏やかには感じられない。
 乗り込むという言葉が物々しい。
 自ら戒十は首を突っ込もうとしなかったが、リサから振られてしまった。
「戒十も来る?」
「何をしに?」
「まあ、簡単に言うと暴力沙汰」
「遠慮しとくよ」
 リサも無理強いするつもりはないらしく、それ以上、なにも言わなかった。
 しかし、戒十の考えはシンの一言によって変わることになった。
「カオルコに関係のある話だ」
 戒十の目つきが変わる。
「どうして教えてくれないんだよ?」
 と、戒十の目が向けられたのはリサ。
「だってー、聞かれなかったから」
 言い訳の常套句だ。
 戒十の気持ちは変わっていた。
「僕も行く」
 子供の笑い声が聞こえた。笑っていたのはキッカだった。
「半熟なCPの来るところじゃないぜ」
「僕にも関係がある。止めても行くからな」
「好きにしろ。けどな、自分の命は自分で守れよ」
 それは言葉のままだろう。命の危険がある。
 リサは酒を飲み干すと、グラスをテーブルに置き歩きはじめた。
「行くよ」
 その後をついていくキッカ。
 残された戒十にシンはなにを手渡した。
「持って置け」
 シンが去ったあと、戒十はそれを見つめて立ち尽くした。
 戒十が握らされているのはボーナイフだった。

「ねぇ、賭けしない?」
 リサはキッカに持ちかけた。
「1日付き合えよ」
「土日ね。こっちが勝ったらいつもと同じ1本ね」
「ボスを殺ったら3点な」
「オッケー」
 こんな会話をしながらワゴンは夜の街を走った。
 リサとキッカ以外の搭乗者は5人。車には7人が乗っていた。その中には戒十とシンも含まれている。
 どこに行くのか、何をするのか、細かいことはわからないが、死傷者が出るようなことが起こることはわかる。
 それで賭けをするなんて、どうかしてると戒十は思った。
「キャットピープルはみんな血を見るのが好きなんだな」
 皮肉を込めた。
 それは本人の資質の問題なのか、それとも血がそうさせるのか、いずれにしても戒十はキャットピープルの戦う姿ばかり見てきた。
 リサは戒十の言葉を認める。
「キャットピープルってゆのは、本能的に戦う種族なんだろね。超絶的な身体能力がそうだって言ってるジャン?」
 進化というのは必要だから起こるのだ。例外として突然変異や科学の手が加わることはあるが……。
 運転手の大男が前方を確認しながら吐き捨てた。
「検問だ」
 短い車の列が出来ている。Uターンするにも道幅が狭すぎる。
 キッカがぼやく。
「ついてないな。どう見てもオレら怪しいぜ?」
 車に乗っている取り合わせが、バリエーションに富んでいる。しかも、武器まで携帯していた。
 銃をすぐに隠したが、シンの刀がどうにも隠せない。
 またキッカがぼやく。
「だから刀なんて時代遅れだからやめろって、いつも言ってんだよ」
「時代遅れで悪かったな。だが、刀のほうが銃弾よりも、確実に息の根を止められる」
 そう言い残してシンの姿が車内から消えていた。もちろん刀もない。車から降りて身を隠してしまったのだ。
 刻々と検問の順番が回ってくる。車の中で不安を覚えているのは戒十だけだった。他はみな呑気な会話をしている。度胸の次元が違うの
だ。
 そして、ついに検問の順番が来た。
 制服を着た警官が運転席の窓を開けるようにノックする。
 窓を開けた瞬間、風を切る音が聴こえ、運転手の男が倒れた。続けざまに助手席の男が倒れ、頭から血を流していた。
 事態を察して戒十を残した全員が動こうとしたが、すでに車は囲まれていた。
 大勢の男たちが車を囲み、バックミラーを確認すると、後ろにいた車からも銃を持った男たちが降りてくる。
 リサがため息を吐いた。
「はぁ、なんかみんなグルな感じ?」
 そこら中、敵だらけだった。
 数え切れない銃口が戒十たちを乗せた車を標的にいた。
 一斉に打ち込まれる銃弾。まるで雨のように降ってくる。
 だが、銃弾が車体を突き貫けることはなかった。
 キッカは開いている窓を見ながらぼやいた。
「防弾仕様だが、あの窓が問題だな」
 あの窓とは、運転席の窓だ。そこから流れ弾が車内に飛び込んでくる。
 リサは防弾とわかっているので、景色でも眺めるように窓の外を見ている。
「なんか情報でも漏れてたのかなぁ。〈バイオレットドラゴン〉のリーダーを殺せるチャンスだと思って、なんか警察沙汰になってもいい
感じで撃ってきてない?」
「狙われてんのオレかよ。大穴でリサかもしんねぇだろ」
 戒十は不機嫌そうな顔をしている。
「どっちでもいいだろ、この状況をどうするか考えろよ!」
 どうするもなにも身動きが取れない。車を動かすにも運転席に近づけない。たとえ、車が動いても、すでに回りは車のバリケードで囲ま
れていた。
 絶体絶命の言葉にふさわしい状況だった。
 銃声に混ざって男の悲鳴が聞こえた。
 ひとつ、ふたつ、みっつ……。
 その様子を伺うと、男たちが次々と血を拭いて倒れる様子が見れた。
 銃を撃つ男たちに乱れが生じた。
 チャンスと見たリサがドアを開けて車外に飛び出した。
 それを追って残り二人の仲間と、キッカまでもが銃弾の雨に飛び込んでいった。
 戒十はとてもじゃないが、尋常な精神の持ち主だった。
 震える脚とすくむ躰。ただ戒十は防弾ガラス越しの世界を、見守ることしかできなかった。
 闇の中で煌きが趨[ハシ]っていた。シンの刀が次々と男たちを割っていく。
 あれがシン本来の戦い方なのだと、戒十は目の当たりにした。折れた刀の代わりに脇差で戦っているシンしか見たことがなかった。今や
新しい刀を手に入れたシンは、その刀を躰の一部のように自在に趨らせる。
 銃弾の殺傷能力は、対キャットピープルでは減退する。
 キャットピープルと言えど、首を刎ねられ、胴体を割られれば死を免れない。シンの刀は次々と敵を殺していった。
 それに負けじとリサはスピードを活かして、確実に敵の懐に忍び込み抹殺を図る。
 キッカのリボルバーが火を噴く。狙っているのは脳と心臓だけだ。そこ以外は致命傷になりえないことを知っているからだ。
 動いている的を狙うことは容易ではない。自らも動いていればなお更、対キャットピープス戦では、通常の銃は不向きだった。それを補
うのはキッカの射撃能力。確実に的を狙って敵を倒していく。
 残る二人の仲間も懸命な戦いを続け、敵を確実に仕留めている。二人もまた、精鋭であった。
 銃弾の雨はついに止んだ。
 敵は残り僅かになり、銃弾での戦いをやめ、接近戦を挑んできた。1発や2発ではなく、雨のような銃弾であったから、対キャットピープルになりえるのだ。
 しかし、もはや銃を捨てたところで、敵に勝ち目などなかった。
 すぐに戦いは終結した。
 キッカは銃を閉まって悔しそうな顔をした。
「この勝負はシンの勝ちだな」
「俺は最初から賭けなどしていない」
 シンは刀の血を拭いながら言った。
 すぐにリサがはしゃぐ。
「ならアタシが繰上げで勝ちだね!」
 大勢の屍体の山を目の前にしながら、仲間2人が殺されたというのに、なんてヤツらだと戒十は恐ろしさを覚えた。
 キッカはすぐにケータイで誰かに電話をかけていた。
 いつの間にかリサは戒十の横に座って、外の景色を他人事のように眺めている。
「隠蔽するの大変そ」
 戒十はリサに尋ねた。
「隠蔽なんかできるの?」
「今キッカが電話してるっしょ。仲間を集めて事態の収拾、あと警察のお偉いさんとか政界のお偉いさんにコネがある上のヒトに、ごめん
なさい報告してるんだと思うよ」
「ごめんなさい報告?」
「なんか大きな問題が起こったときは、キャットピープルのお偉いさんに連絡いれるのが、ギルドマスター、略してギルマスの義務なの。
そーゆールールを守んないと、人間にキャットピープルの存在がすぐにバレちゃうでしょ。てゆか、車通りの少ない道でホントよかったけ
ど、この道で車の列ができる時点で怪しいと思うべきだった」
 敵も人間や車の通りが少ない道で網を張っていたのだろう。向こうも自分たちの存在が人間にバレるのは好ましくない。
 車の通りが少ない道で、車の列などできるハズがなかったのだ。
 突然、うめき声が外で聴こえた。
 ハッとした戒十とリサが窓の外を除く。
 仲間がひとり、心臓に穴を開けて地面に倒れていた。
 敵がまだいる?
 リサは車の外に飛び出した。
 突風が地面の上を走った。
 静まり返った夜。
 闇の中に妖艶な美女が立っていた。


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