■ サイトトップ > ノベル > シャドービハンド > 第5章 夜のおわり(1) | ノベルトップ |
Scene1 ケモノの血再び |
リサは額の汗を拭うフリをした。 「ふぅ、やっとカイトを見つけられたー」 コンクリの壁で密閉された巨大な部屋。その真ん中に寂しく椅子が置かれていた。全身を拘束され座っているのは戒十だ。 項垂れている戒十。意識を失っているのかもしれない。 辺りを見回したシンが床にあるモノを発見した。 「血痕だな」 詳しく調べるまでもなく、臭いででわかる。 掃除はされているが、それでも引き伸ばしたような朱い汚れが残っている。 リサたちはまだその血痕が、カオルコのものであることを知らない。 シンは戒十の拘束を解こうとした。ここまでの道のりは長かった。 数時間前のこと、約束の場所にカオルコは姿を見せなかった。 その場所にいたのは大勢の敵。戦いの中で、リサはその連絡を三野瀬から受けた。戒十が攫われたと――。 すぐにリサとシンは敵を殲滅させ、マンションに戻り事の次第を訊いたあと、三野瀬に純を預け、カオルコが残したメモに書かれた場所に向かった。 そこがここだった。 郊外にある邸宅。門構えも立派で、敷地に進入してから本宅までの距離が。とても恐ろしく長く、敵も大勢待ち構えていた。 敵の包囲網を潜り抜け、やっとここにたどり着いた。 リサもシンもある疑問を思っていた。敵は本気だった。全精力をあげて二人を阻止しようとしていたように思える。では、なぜカオルコがまだ姿を現さないのか? 現すとしたら、この場所だと思っていた。 いや、戒十を救ったあと、脱出の間際に姿を見せるというのか? ドラマチックな演出であるが、現実的な戦法とは言いがたい。 脱出の間際に待ち構える場合は、不意の進入に侵入者の捕捉が難しく、確実な場所で捕まえるために、出口となる場所で待ち構える。このようなケースが妥当と言えよう。 今回のケースはメモで誘っている点から、侵入者が来ることは未然にわかっている。出口で待ち構える必要などない。人質を奪われたら手間になるだけだ。 敵の意図はどこにあるのか? リサが不信に思っていると、シンが戒十の拘束をすべて外し終えていた。 それはあまりに不意だった。 戒十がシンに襲い掛かったのだ。 咄嗟に躱したシンだったが、その胸元は服が破られてしまった。あと少し遅ければ肉を抉られていたところだ。 虚ろな戒十の瞳。殺気も感じられない。それでいて目の前の獲物を殺す。まるで感情を持たぬ殺人マシーンだ。 静観しながらシンは静かに呟く。 「厄介だな」 救出するべき者と戦う破目のなるとは――。 リサも不味そうな顔をしている。 「催眠術か、投薬か、洗脳ってとこかなー」 心を失っている戒十は容赦なく襲い掛かってくる。それに対するシンは手出しすることができない。 戒十の動きは恐ろしく早い。おそらくシンを超えているだろう。ここ数日で、戒十の身体能力は飛躍的に伸びた。 だが、シンはすべての攻撃を紙一重で躱している。それを成せる業は経験によるところが大きいが、戒十の攻撃が荒く我武者羅であるところも大きい。 シンと戒十の間にリサが割って入った。 「シン交代!」 すると、戒十は近いリサを狙って攻撃してきた。その動きは機械的。もっとも近い敵を狙うようにプログラムされているようだ。 リサは間一髪のところで攻撃を躱している。シンよりもさらにギリギリだ。だが、その動きに危なげなところはない。むしろ余裕だ。 「はい、シンくんに質問です。洗脳とマインドコントロールの違いはなぁに?」 「洗脳は価値観や記憶の改竄、マインドコントロールは誘導だ」 「じゃ、その方向で攻めるってことで」 なにか良い作戦でも思いついたのか? 逃げの一手に徹していたリサが拳を繰り出した。いや、違う。殴ろうしたのではなく、戒十の腕を掴んだのだ。 リサは流すような動きで戒十を拘束した。そして、心の底からこう叫んだ。 「目を覚ましてカイト!」 さらにリサは続けようとしたが、抵抗した戒十は拘束を逃れ、前にも増して攻撃の手を強めてきた。 リサの意図を掴んだシンも加わり、戒十の近くに駆け寄って、それを行った。 「戒十、純を助けるのではないのか!」 戒十の瞳は虚ろのまま。 効果が見えないことにリサはボソッと呟く。 「……投薬だったら、言葉すら届かないから無意味なわけど」 洗脳とは無理やり〝別人に仕立てる〟行為であり、そこには過去と現在の自分にギャップが生まれる。 マインドコントロールは誘導であり、自らの意思で行動しているために、過去の自分と意識的に決別していることになる。 つまり、洗脳には過去の自分を取り戻させる方法が有効だが、マインドコントロールは過去の自分を見せることで逆に反発をする。 シンが叫ぶ。 「戒十思い出せ、純をキャットピープルにしていいのか!」 決定的なキーワードがない。 なにか、なにか戒十の心を揺るがすキーワードがあるはずだ。 短い期間であるが、リサとシンは戒十の人生に多大な影響を与えた。けれど、深い関係であったか、どの程度二人は戒十のことを理解しているのか? けろっとリサはした。 「作戦変更しよっか?」 シンは深く頷いた。 「止むを得ない、骨を折ってでも動きを封じろ!」 「担いで逃げるのシンだからね!」 まだ戒十の状況を正確に掴めていない。わかるのは正気ではないということ。それを直す前の段階として、完全な拘束を実行することにしたのだ。 ついにシンは刀を抜いた。だが、刃を返し、逆刃に握り直した。 シンの一太刀が戒十に打撃を加える。すかさずリサは戒十の顎を蹴り上げた。 地面から足を浮かせた戒十は、そのまま背中から倒れた。 立ち上がろうとする戒十の顔面にリサがさらに一発、拳が入った。 馬乗りになったリサは戒十の首を腕で固定し、小さく小さく耳元で囁く。 「夜、満月、黒猫、血……汝の血を妾に……」 「ぐわぁぁぁぁぁぁっ!」 戒十が叫んだ。心に何らかの動揺が奔ったのは明らかだ。 暴れ出した戒十によってリサの躰が大きく後方に飛ばされた。 リサの囁きをシンは聞き取っていた。だが、理解ができなかった。 「リサ、何をした!」 「何って、別に何もー」 起き上がりながらリサは苦笑いを浮かべた。 床でのた打ち回る戒十。その躰に異変が起きはじめていた。 膨れ上がる躰、伸びる髪の毛、服が破れ全身を覆いはじめた黒い毛並み。 なにが起ころうとしているのか、わからぬはずはない。 巨大な黒い猛獣――あの〝ケモノ〟が再びリサたちの前に姿を現した。 無機質な部屋は広い。出入り口はただひとつ、2枚が開閉する両開きのドアだ。 「どうするリサ?」 訊きながらシンは刀の刃を返していた。 「作戦変更、自分の身は自分で守るってことで、撤退!」 素早くリサはドアまで移動して、外に出ようとしたのだが――。 「まあね、そりゃそーだよね」 ドアはびくとも開かなかった。 〝ケモノ〟は部屋中に響き渡る巨大な咆哮をあげ、シンに鋭い牙を剥いて喰らいつこうとする。 反撃しなければ確実に殺られる。 シンの刀が血を吸う。 〝ケモノ〟の黒い毛が、血を浴びてどす黒く染まる。 だが、傷はない。 刀で傷を負わせても、すぐに再生してしまうのだ。 リサも戦闘に加わって、〝ケモノ〟の注意をひきつけ、攻撃はシンに任せた。 「シン、足を狙って!」 「やっている」 「違くて、切断して!」 「それは……」 「死ななければそれでいい!」 もはや〝ケモノ〟を止めるのには、それほどまでの方法を取らなくてならなかった。 小蝿のようなうざったい動きで、リサは〝ケモノ〟の視線を奪う。 その隙を突いてシンが〝ケモノ〟の前脚を狙った。 神速の輝線[キセン]が趨る。 迸る血の雨。 空気を振るわせる〝ケモノ〟の咆哮。 両前脚を失ってもなお、襲い掛かってこようとする〝ケモノ〟。 後ろ脚で蛙のように跳ね、巨大な口を開けて、牙から涎を滴らせる。 リサは高く飛び、〝ケモノ〟の頭部を踏み潰すように蹴る。 打撃音を立てながら〝ケモノ〟は顎から床に激突した。 血の海に沈んだ〝ケモノ〟の動きが止まった。 前脚を失った割りには出血量が少ない。すでに脚の傷は塞がっていた。それどころか――。 「逃げてシン!」 反射的にシンは後ろに飛び退いた。 その場で立ち尽くすリサとシン。 〝ケモノ〟の傷が、亡くしていた片腕が、今切られた脚が、細胞分裂を繰り返しながら再生していく。その治癒力は単細胞生物に優るかもしれない。 驚いたふうもなくリサはその現実を受け入れた。 「やっぱりね……」 まだ〝ケモノ〟の脚は完全に再生していない。 リサはシンから刀を奪い、天井高く舞い上がった。 そして、切っ先は〝ケモノ〟の背中から、一突きに心臓を貫いた。 シンは唖然とした。 「なにを……」 それ以上の言葉はでなかった。 抜かれた刀にべっとりと滴る血。 そして、驚くべきことに〝ケモノ〟に変化が起こっていた。 見る見るうちに縮まる躰。 〝ケモノ〟から戒十への急激な変化。 「シンは元から口が軽いほうじゃないけど、これは他言無用ね」 さらに驚くべき事態が起ころうとしていた。なんとリサが刀で自らの手首を切ったのだ。 手首から滴る血は戒十の背中の傷へ。 染み込んだ血は穴の開いた心臓へ。 生きた血は死んだ血管を駆け巡り、廻り廻って全身へ。 そして、止まっていた再生がはじまった。 戒十の両腕が再生を続け、ついには完全に指先まで生え変わった。 そして、シンは戒十の心臓が鼓動を打ったのを聴いた。 心臓を貫かれ生きていた例をシンは知らない。もしくは生き返った例を知らない。今、目の前でそれが起こった。 ゆっくりと起き上がる戒十にシンは自らのコートを脱いで掛けた。 頭を重たそうしておでこを支える戒十。 「……僕は……」 毛だらけの躰を見て戒十は事情をぼんやりと把握した。 「また……」 断片的な記憶。 激しい痛みで目覚めた。いや、闇に堕ちたというべきか。そして、今に至る。 戒十は床を覆う血の海を遠い目で眺めた。 脳裏を過ぎる輝き。それはぎらつく眼だった。 恐ろしい老人の顔。 そうだ、それは〈夜の王〉だ。 自分を見つめる眼は〈夜の王〉のものだった。 記憶が遡る。 カッと開かれた戒十の瞳。それが急に力なく閉じられた。 「……カオルコが死んだ」 思い出してしまった。 肉を千切る音、骨を砕く音、そして血を啜る音。 そして、野獣の咆哮。 「ありえない!」 リサは絶叫するように否定した。 その感情はいったい何なのか? リサはカオルコの死に何を思ったのか? 戒十はカオルコの死に絶望した。 カオルコに対する悲しみや憐れみではない。純を救えなかったという絶望感。 「僕は……純を救えなかった」 本当に手立てはないのか? 戒十はコートを翻し立ち上がった。 「まだだ、まだ時間はあるんだ……僕はあきらめない」 それは希望、これは未練。 「本当にカオルコが死んだの?」 沈痛な面持ちでリサは尋ねた。 「僕の目の前で〈夜の王〉に殺され……喰われた」 あの床に残っていた血の痕が死と繋がった。 それでもリサは認めなかった。 「カオルコは死んでいない。死ぬはずがない」 なぜそこまでして認めないのか? シンはリサに質問を投げかける。 「なぜそこまでカオルコに固執する?」 「カオルコは特別だから」 それは自分が血を分けたからか? それとも別の感情かなにかか? リサは床を見つめながら話しはじめた。 「これは可能性が低いことだけど、〈夜の王〉がカオルコを喰ったというのなら、その血を使えば……」 「そんな話は聴いたことがないぞ?」 すぐにリサの発言をシンが否定した。 しかし、戒十はリサを信じるほかなかった。 「僕は可能性があるなら、それに賭けたいと思う」 シンも頷いた。 「そうだな、まだ時間はある」 シンはリサを横目で見た。 多くの疑問。 それをシンはあえて問うことはしなかった。 急にリサが笑顔を作った。 「よっし、まずはここを脱出しよう!」 2人はそれに同意して頷き、3人はこの部屋を後にしようとした。 それを止める謎の声。 「儂ならここにおるぞ」 部屋中に反響したその声。 唯一の出入り口から入ってくる車椅子の老人。 彼は言った。 「久しぶりだな、サリサ」 シャドービハンド専用掲示板【別窓】 |
■ サイトトップ > ノベル > シャドービハンド > 第5章 夜のおわり(1) | ▲ページトップ |