Scene3 「汝」の果て
 戒十はどうにか純がいるマンションまで帰ってくることができた。
 はじめに戒十を出迎えたのは三野瀬だった。何時間もここに留まり純の看病をしていたらしい。
 戒十はシンの姿を探した。どこにもいない。そして、戒十は三野瀬の言葉に驚愕させられた。
「シンなら帰って来ていないが?」
「そんな……」
 言葉が消え入った。
 シンはカオルコの血を持って、ここに帰って来ているものだと思っていた。
 いや、別の可能性もある。
 ここに戻らず血を持って薬を作りに別の場所に向かったのかもしれない。
 戒十は深呼吸をして心を落ち着かせた。
 今は信じて待つしかない。その間にリサのことをどうにかしなければならない。
 戒十はクイーンの話を伏せ、ただリサが怪物になってしまったことだけを三野瀬に伝えた。
 話を聴き終えた三野瀬は首を横に振った。
「どうしようもないな」
「どうしようもないって、なにかあるだろ!」
「キャットピープルが怪物になるなんて、お前の話を聞いてつい先日知った症例だ。今でも私は信じていない」
 信じないほうが普通だ。
 戒十は三野瀬を頼りにすることをやめた。
 困り果てた戒十は無意識のうちに純が休む部屋に入っていた。
 純は静かに寝ていた。
 起こさないように戒十は傍らの椅子に腰掛ける。
「ごめん、まだ純を救うことができない」
 カオルコの血を持ったシンは行方不明。リサは双頭の魔獣になってしまった。
 あの屋敷に戻るしかないのか?
 しかし、双頭の魔獣を前にしてなにができる?
「僕はなにもできないのか……」
 目の前にいる純も救えない。
 なにかしなくていけない焦りに襲われるが、何をしていいのかすらわからない。
 時間だけが過ぎた。
 時計の音が腹立たしい。
 1時間が経ち、三野瀬は純を戒十に任せて帰ってしまった。
 それから、さらに1時間、2時間……戒十はずっと純の傍らにいた。
 純の瞼が微かに動いた。
 静かに瞼をあげる純。
「……三倉くん」
 純が最初に見たものは戒十の瞳だった。
「おはよう」
 優しく戒十は言った。
 そしてすぐに頭を下げた。
「ごめん、まだ純のことを助けられないんだ。でも絶対に助けるから、絶対に……」
「大丈夫だよ、わたしなら平気だから。それよりも三倉くん、疲れた顔してるよ」
「うん、僕の大丈夫だから」
「無理しないでね」
 純に気を使われていることが、とても辛く悲しかった。
 なにもできない自分への苛立ち。このまま戒十は純の前にいることができなかった。
「そのままゆっくり休んでて」
 戒十は純の顔を見ないように部屋を後にした。
 扉を閉め、戒十はすぐその場で立ち止まり、歯を食いしばった。涙が出そうだった。けど、その涙は堪えた。この涙は堪えなくてはいけなかった。
 戒十はあの場所に行こうと決意した。なにもできないかもしれないが、リサの元に行かなければ、なにもはじまらない。ここでじっとしていてもなにもできない。
 気替えを済ませて戒十は玄関に向かった。
 そして、ドアノブに手をかけようとしたとき、向こう側で何者かがドアを開けた。
 思わず戒十は身構えた。それまで気配などしなかったからだ。
 ドアを開けて外から入って来たのは、男の姿をしたリサだった。サイズの合わない男物の服を着ていた。
「ただいま……」
 おぼつかない足取りのリサは、そのまま力を失って戒十に抱きついた。
「にゃはは、ヤバかった」
「大丈夫リサ!」
「ダメ、ムリ、死にそう」
 どうやら多少の余裕はありそうだ。
 戒十はリサを抱きかかえ、リビングのソファに寝かせた。
 髪の毛を掻き上げながらリサはぐったりとしている。
「久しぶりだったもんだから……ホントはね、ちゃんと理性を失わないハズだったんだけど、あー……ホント久しぶりだったから、なんか理性が飛んじゃったみたいで……なんかさ、気づいたら屍体の山の上で寝てた……みたいな?」
 リサは笑って誤魔化した。
 戒十はリサへの心配が吹っ飛び、なんだか呆れてしまった。
「……バカだろ。もっとちゃんと考えて行動しろよ、僕まで喰おうとしたんだぞ」
「だからさぁ、ちゃんと逃げてって言ったじゃ~ん」
 リサは頭を重たそうに持ち上げ、ちゃんと椅子に座りなおし戒十に尋ねる。
「でさ、シンはどこ?」
 その言葉で戒十の不安が再燃した。
「それが……まだ戻って来てないんだ?」
「まっさか~ん。ううんっと、やっぱりそうかも」
「なにが?」
「〈夜の王〉にしては話が美味いと思ったんだよね。シンは〈夜の王〉の部下に捕まったのかも」
「そんな……じゃあ、カオルコの血は?」
「とりあえずあの邸宅に戻るしかなさそう」
 すぐに二人は準備をして、あの場所に戻ることにした。
 その前に、リサは三野瀬に電話をして、また純を「宜しくお願~い」と猫撫で声で頼んだ。凄く嫌そうな声だったが、三野瀬はリサの頼みを聞き入れた。
 そして、三野瀬が再びマンションに来てすぐ、戒十とリサは入れ替わりで出かけた。

 すでに陽は落ちてしまった。
 恐ろしいまでに静まり返っている広い庭。
 生き物の気配がまったくしない。
 地面に転がる屍体には胴体がなかった。
 屋敷に入ってからリサは頻りに辺りを見回している。
「この建物さぁ、対キャットピープル対策なのか、別の部屋の音が聴こえないんだよね、まったく。しかも、ここで音を立ててもすぐに吸収されるみたいだしー」
「……気づかなかった」
「なんか気配がするよな気がすんだよね」
「生存者くらいいるだろ?」
「まぁね」
 だが、誰とも出くわすことはなかった。
 そして、辿り着いたのはあの部屋。コンクリートに囲まれた無機質な部屋。血の香りが床から漂ってくる。
 リサは血溜まりの中にある物を発見した。
「服だねぇ、〈夜の王〉が着てた服だよねぇー」
 ズタズタに裂かれた服と骨が残っていた。
 リサは自分がやったのかとも考えたが、それにしては可笑しい点がある。
 双頭の魔獣であれば、こんな綺麗な食べ方はしない。服も骨も、すべて呑み込んでしまいそうなものだ。少なくとも、こんなに細かく服を切り裂くことはないだろう。
 この部屋にはこれ以上なにもなさそうだ。
 二人は別の場所へ移動した。
 屋敷の中は広い。その広い屋敷の中に散らばる肉の塊。躰の一部が無造作に放置されている。
「聴こえる」
 と、リサは静かに呟いた。
 すぐさまリサは走り出した。あとを戒十が必死に追う。
 リサは廊下を角曲がって急に立ち止まった。
「そんな……」
 視線の先で黒い影が屍体を貪り喰っていた。
 ヒトのような姿をしながらも、それは巨大な猫のような姿をしていた。
 長く変形した耳と尻から生えた長い尾。
 そしては金色の眼でリサを睨んだ。
 まさにそれは〝成れの果て〟に他ならなかった。
 戒十はその〝成れの果て〟の顔を見て、言葉を失った。残る面影と、棒切れのように持っている刀。
 残酷な運命にリサは沈痛な顔で叫んだ。
「シン!」
 そう、目の前にしたモノはシンの〝成れの果て〟。
 リサは嗚咽を漏らしながら口を振るわせた。
 どうしてシンが〝成れの果て〟に?
 瀕死の重症を負ったり、過剰に血を呑むことによって、キャットピープルは〝成れの果て〟に身を落とす。
 シンに限ってそんなことはないとリサは心で叫んだ。
 しかし、こうなってしまってはもう遅い。
 リサは感情を抑えてシンを殺そうと走った。
 〝成れの果て〟は狂ったように刀を振り回してリサに襲い掛かる。
「駄目だリサ!」
 戒十が叫んだ。
 だが、すでにリサは〝成れの果て〟から刀を奪い、その刀で止めを刺そうとしていた。
「せめてこの刀でシンの命を……」
「やめろ!」
 刀が〝成れの果て〟の心臓を貫く瞬間、戒十はリサを押し飛ばした。
 リサの手を離れた刀が宙を舞い、回転しながら〝成れの果て〟の腕を落として床に転がった。
 腕から血を噴きながら〝成れの果て〟が奇声をあげた。
 リサは戒十を振り切って〝成れの果て〟を殺そうとしたが、叫び声をあげながら〝成れの果て〟は尻尾を巻いて逃げてしまった。
 強引にリサは追おうとしたが、戒十は絶対にそれをさせなかった。
「待ってリサ!」
「約束なの、自分が〝成れの果て〟になったらアタシの手で殺してくれって!」
 キャットピープルは寿命をまっとうせず、〝成れの果て〟となって死を迎える者も多かった。だからシンはリサに命を託す約束をしていたのだ。
 リサは歯を噛み締めた。
「シンに限って〝成れの果て〟になんかならないよって、あたしは笑って言ったのに……。シンは〝成れの果て〟になるような弱い精神の持ち主じゃなかったのに、どうして!」
「落ち着けよ、まだ元に戻れるかもしれないじゃないか!」
「〝成れの果て〟が元に戻れたことなんてない!」
「カオルコが言ってただろ、〝成れの果て〟を抑制する薬があるって。それを使えばなんとかなるかもしれないじゃないか!」
「それは〝成れの果て〟になる前の薬でしょ、もう遅いんだよ!」
 これほどまでリサが取り乱すなんて、こんなリサを戒十は想像すらできなかった。それほどまでにシンの存在は大きかったということだ。
 リサは髪の毛を掻き毟って叫んだ。
「もうイヤなの! みんなアタシを置いて死んで逝く、大事な仲間を何度も守れなかったか、なんど仲間が〝成れの果て〟になって、それをアタシがこの手でなんど殺めてきたのか……アタシもう死にたい……なのにクイーンがそれをさせてくれない……死にたいのに……」
 号泣するリサの頬を戒十が叩いた。
「しっかりしろよ!」
「…………」
「僕だって巻き込まれたくて巻き込まれたわけじゃない。純だってそうだよ、もし純がキャットピープルになって、万が一〝成れの果て〟になったらどう責任取るんだよ!」
「…………」
 リサは無言のまま膝を抱えて座った。
 すすり泣く声が戒十の耳に届いた。
 深く息を吐きながらリサが立ち上がって、真っ赤に腫れた目で戒十を見つめた。
「……な~んちゃって。よし、とりあえずシンを捕まえて牢屋にでもぶち込もうか」
 笑顔でリサは歩き出した。もう気は晴れたようだ。それを見て戒十も微笑んだ。
 二人はシンを探して屋敷を探し回った。
 途中、研究室らしき部屋を見つけ中に入った。
 リサは部屋に入った途端、大きな声でこう言った。
「隠れてるんでしょ?」
 白衣を着た男が物陰から怯えた顔を出した。
「殺さないでくさい」
 これが第一声だ。
 戒十が尋ねる。
「どうしてここに隠れてる?」
「化け物が外で暴れていて、ここなら安全かと思って……」
 リサは呆れたように首を振った。
「安全かと思ってねぇ~、って逃げ込むんだったらちゃんとドアの鍵しめなよ」
 この研究室のドアは鍵が掛かっていなかった。
 男は目を白黒させた。
「気が動転してしまって、とにかく隠れることで頭がいっぱいになってしまって……。あの、怪物はどうなりましたか?」
 何気なくリサは惚けた。
「もういないみたいだよ。外は屍体の山でスゴイことになってるケドー」
 自分がやったにも関わらず、まるで他人事のようだ。
 男はほっと胸を撫で下ろした。
「よかった……助かった……」
 安堵している男の首にリサはあっという間に爪を立てていた。
「助かったと思うのはちょっと早いかなぁ」
「さっき殺さないって言ったじゃないか!」
 男は取り乱しながら叫んだ。顔からは汗が滝のように流れている。
「アタシの言うことを聞いてくれたら殺さないであげてもいいかなぁ」
「なんでも聞きますから殺さないで!」
「んじゃさ、〝成れの果て〟を抑制する薬を出してくれないかなぁ?」
「そんなことしたら〈夜の王〉様に殺されます!」
「ふ~ん、じゃここで死んでもらおうかなぁって言いたいところだけど、〈夜の王〉ならとっくに死んだよ」
 驚きのあまり男は言葉を失って口をあんぐり開けた。
 そして、肩を落として金庫を指差した。
「あの金庫に入っています」
 すぐに戒十が金庫を確かめようとしたが、鍵が掛かっていて開きそうもない。壊すことも無理そうだ。
 戒十は首を横に振ってリサに合図を送った。
 リサは男の首を軽く指でなぞった。男は全身を使って震え上がり、涙目でリサを見つめた。
「あ、あの金庫を開けることができるのは、〈夜の王〉様とカオルコ様だけです。お二人が鍵を持っています」
 どちらもこの世にいない。
 おそらく大事な鍵だ、肌身離さず持っていた可能性は高い。となると――。
 リサは男を押し飛ばして部屋をあとにしようとした。
「戒十行くよ、〈夜の王〉の屍体を漁ってみる」
 二人は三度あの部屋に行くことになった。


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