Scene4 終焉
 鍵は見つからなかった。
「あーあ、手がベットベト」
 リサは嫌そう顔をした。
 〈夜の王〉の残骸の中から鍵を見つけ出すことはできなかった。
 戒十は難しい顔をしていた。
「カオルコの持っていた鍵は、〈夜の王〉に喰われたときに捨てられたのかな。〈夜の王〉の鍵はどこかに隠してあるのか……」
「〈夜の王〉の部屋を探そっか、それとも金庫ごと別の場所に運んで壊す方法を考えるとか?」
「あの研究者に会いに行こう。まだなにか知ってるかもしれないし」
「だったらここまで引っ張ってくればよかった」
 すぐに二人は研究室まで引き返した。
 研究室の扉を開けた瞬間、血の臭いが鼻を突いた。
 内臓を引っ張りだされ死んでいる男。間違いなくあの男の屍体だった。
「いったい誰が?」
 悩む戒十をよそにリサは金庫を見て声をあげる。
「開いてるし、中身ないし!」
「まさか……誰が開けたの?」
「知ってたら霊能力者になれる」
 金庫に無理やり開けた様子はない。生存者がいるのか、それとも別の誰かなのか、どちらにしても鍵はどこで手に入れたのか?
 鍵は探さなくてよくなったが、今度は薬を探さなくてはいけなくなった。シンも探さなくてはいけない。そのシンがカオルコの血を持っている可能性もある。純を救うことも考えなくてはいけない。
 リサは髪の毛をくしゃくしゃにした。
「う~んっと、二手に分かれたいところだけど、なんか嫌な予感がする」
「嫌な予感って具体的に?」
「それはわかんないけど、長生きしてるとこういう感てよく当たるんだよねー。とりえずシンと薬を平行して探す方向でオッケーね?」
「うん、わかった」
 二人は屋敷の中を隈なく探すことにした。
 相変わらず物音ひとつ聴こえない。
 薬もシンもすでに外に出てしまった可能性もあるが、あくまで可能性の域を出ず、屋敷の中を探すの先だった。
 リサは床に転がる屍体を注意深く観察していた。
 負傷の仕方、もしくは喰われ方が違う。
 双頭の魔獣に殺られたのか、〝成れの果て〟に喰われたのか?
 リサは首を傾げていた。
「可笑しいなぁ、これとか絶対可笑しいなぁ」
 そう言いながら、リサは喰われている屍体を辿りながら歩いていた。
「なにが可笑しいの?」
「あのね、〈夜の王〉の残骸を見たときもそう思ったんだけど、食べ方が綺麗なんだよね。シンを発見したときは、〈夜の王〉もシンが喰らったんだと思ったんだけどぉ、なんかねぇ」
 屍体を辿りながら歩いていると足跡を発見した。血の上を歩いた痕跡が残っている。
 人間のような歩き方ではない。かなり歩幅が広く、飛び跳ねながら走ったようである。キャットピープルが高速移動したに違いないとリサは判断した。
 リサは微かに残っている足跡と勘を頼りに走った。
 階段を駆け上がり、開かれた屋上のドアから夜風が吹き込んでいた。
 そのときにはすでに、リサも戒十も気配と音を感じていた。
 引き千切り、噛み砕き、啜り、呑む。
 その影は満月の光を浴びて、血で濡れた艶かしい唇を手の甲で拭き、リサに向かって怖ろしいほど美しい笑みを浮かべた。
「今宵の月は美しいわね、お姉さま」
 そこにいたのはなんとカオルコだった。
 生まれたままの姿で肉を喰らっていたカオルコ。全身は血で艶かしく染まっている。その姿は狂ったように美しかった。
 リサは信じられなかった。
「どうして……?」
 戒十もまた信じられなかった。目の前で喰われたのを見た。あれは偽者だったのか、それともここにいるモノが偽者なのか?
「〈夜の王〉に喰われたのにどうして生きてるんだ!?」
 カオルコは満月を背にして艶笑した。
「私は死んでなんかないわ。〈夜の王〉に喰われたけれど、私の〝血〟は奴に吸収されることなく、内部から奴を喰らってやったの。そして、腹を喰い破り外に出たというわけよ」
 カオルコは持っていた腕を後ろに投げ捨て、ゆっくりとリサに近づいて歩き出した。
「断片的であるけれど、〈夜の王〉の記憶も受け継ぐことができたわ。実に面白いわね、奴がどうやって世界を征服する気だったのか……でも、なんだか興味がなくなってしまったわ。それよりも、私がクイーンの血を継いでいたのね、驚きだったわお姉さまがクイーンに寄生されていただなんて」
 カオルコはリサの目の前に立ち、血の付いた指先でリサの頬を撫でた。
 リサは動じず、ただカオルコの瞳を見つめ続けた。
「今度はなにが目的?」
「んぅン、そうね、まだ決めていないわ。今は月光浴を楽しもうかしら」
 どこか前のカオルコとは違う。なにか吹っ切れたというか、世俗から解放されたというか――そう、なにかから解放されたような感じだ。
 カオルコは大の字になって床に寝転び、全身で月の光を浴びた。
 以前のカオルコは底知れぬ狂気と恐ろしさを秘めていた。
 今のカオルコは底知れぬ不気味さの奥になにかが隠れている。
 戒十は床に置かれている取っ手の付いたケースを見つけた。
「そこのケースに入ってるのは〝成れの果て〟を抑制する薬だろ?」
 カオルコは答えずに月を見つめていた。まるで心此処に在らずといった雰囲気だ。
 戒十はケースを奪おうと走った。ケースを拾い上げる瞬間、消えた?
 ケースを持っているカオルコが嗤った。
「人の物を勝手に取っては駄目よ」
 手の甲で放たれたビンタを戒十はもろに顔面に喰らい、信じられないほど地面に転がって飛ばされた。
 カオルコは再びケースを床に置いた。
「そうだわ、私にはこの薬が必要……それにはクイーンの血が必要……私がクイーンになればいくらでも血を採取することができるわね……いいえ、私がクイーンになれば薬も必要ではなくなるのかしら?」
 ぼんやりと口にするカオルコ。
 そうかと思うとカオルコは刹那の間にリサの服を引き千切っていた。
 露になるリサの上半身。そこには目を瞑る女の顔があった。
「これがクイーンね」
 笑いかけるカオルコを見つめるリサの瞳孔は開ききっていた。逃げることすらできなかった。すでにカオルコはリサを超えていた。カオルコを喰った〈夜の王〉ですら超えているに違いない。
 リサは硬い唾を嚥下した。
 まともに殺りあって勝てる気がしない。
 ならばまた獣に成り果てるか?
 リサは今のまま戦うことを選んだ。
 刃物のように鋭いリサの爪が宙を掻く。カオルコに躱された。
 宙を掻き伸ばされたままのリサの腕をカオルコが掴み、強い力で骨を粉々に砕いた。
 苦痛を浮かべるリサだが、痛みで行動を忘れることなく、すぐにカオルコから離れた。
 砕かれた腕を軽く振るリサ。すでに腕は再生しているようだ。
「満月の晩は普段より治るの早くて良かったぁ……ケド」
 リサは夜空で輝く満月を見上げた。
 カオルコがリサに気を取られている間に、気配を殺して戒十はケースを奪おうとしていた。
 そして、ついにケースを手にした戒十だったが、カオルコはすでにケースを持つ戒十の手首を握っていた。
 万力で挟まれたように、戒十の手首は締め上げられ、骨が悲鳴をあげた。
 戒十はケースを渡さまいと腕を振った。
 そこにリサも加わって、カオルコに飛び掛った。
 戒十の手首が砕けた。その瞬間、持っていたケースが手を離れ、宙を回転して飛んだ。
 ケースは屋上を飛び越えようとしていた。このままでは地面に落ちてしまう。
 リサはケースに飛びつこうとしたのだが、急に足首を掴まれ、そのまま地面に叩きつけられてしまった。
 カオルコはリサを地面に叩きつけながら、ケースが緩やかに落ちて行くのを嗤って見ていた。
「嗚呼、堕ちて行くわ」
 もう薬には興味がないのか?
 ケースが地面に落下して壊れる音が耳に届いた。
 一瞬だけ戒十は迷った。ケースをすぐさま取りに行くか――だが、戒十はリサの足首を掴んだままのカオルコに飛び掛った。
 戒十の手に握られた光るナイフ。それは戒十がシンから貰った物だった。
 ナイフの刃は空を斬った。
 嘲り笑うカオルコ。
 だが、戒十は背中手にもう1本隠し持っていた。シンのコートに入っていた脇差だ。
 脇差の刃先はカオルコの心臓を狙っていた。
 その刃先は肉を突く寸前で止められた。
 素手で刃を握ったカオルコの手から鮮やかな血が滲む。
「惜しかったわね」
 嗤いながらカオルコは膝蹴りを戒十の腹に入れ、さらに弱った戒十の腕を捻り上げて骨を砕いた。
 そして、あの惨劇を再現した。
 カオルコは戒十の腕を肩からもぎ取り、その腕で後ろから迫っていたリサの顔面を殴打したのだ。
 戒十は悶絶しながら床の上を這った。
 さらにカオルコは床でもがく戒十の膝を踏み付け砕いた。
 戒十は奇声としか思えない叫び声であげて意識が飛びそうになった。
 躰の底が煮えたぎるように熱いことに戒十は気づいた。
 戒十は感情を抑え付けた。ここで感情を暴走させたら、また自分は〝ケモノ〟になってしまう。それでカオルコに対抗できるかもしれない。けれど、理性を失えばリサまで傷つけてしまう。
 カオルコは戒十に止めを刺そうとしていた。
 リサは無我夢中でカオルコに飛び掛り躰に抱き、鋭い牙を剥いてカオルコの首を噛み切った。
 真っ赤な血がリサの顔を穢す。
 狂気がカオルコの瞳を彩った瞬間、リサは腹を裂かれていた。
 カオルコの腕がリサの躰を貫通している。
 それは資材置き場の闘いで、リサがカオルコの腹を貫いたときと逆の構図。
 腕を抜かれたリサは背中から床に倒れた。
 すぐにカオルコはリサに馬乗りになって艶笑した。
「はじめてお姉さまに勝ったわ。でも、思ったよりも嬉しくないものね」
 長く伸びた爪を振りかざし、カオルコは最期の一撃を――。
「っ!?」
 カオルコは眼を見開いた。自分の首を掻っ切った何者かの牙。
 戒十はまだ動けずに苦しみもがいている。
 では誰だ?
 カオルコはその者の首をへし折って振り払った。
 床に音を立てて落ちたのは〝成れの果て〟であった。
 首を折られた〝成れの果て〟は声にならない空気を吐きながら、ただ天を見つめていた。そして、床に転がっている刀。
 戒十はなんとかして立ち上がろうとした。いや、這ってでもカオルコを止めようとした。
 しかし、遅かった。
 カオルコの手には抉られた顔が握られていた。
「これを食べればいいのかしら?」
 血を滴らせる顔はまるで熟れた果実のようだった。それを貪り食うカオルコ。
 口だけでなく、顔中を真っ赤に染めながら、カオルコはそれを喰らった。
 腹に穴を開けられ、片胸を抉られたリサは倒れたまま動かない。
 戒十に黒い絶望が圧し掛かる。
 もはやカオルコを止めるモノはなにもない。
「きゃははははは、とても素晴らしいわ。これは〈夜の王〉を喰らったときよりも、さらに甘美で豊潤。躰が壊れてしまいそうなほど力が漲っギィギギギギィィ」
 様子が可笑しい。
 毒薬でも飲まされたかのように踊り狂うカオルコ。
 カオルコの躰が大きく跳ねた。
 その一部始終を戒十は見ていた。
 カオルコがカオルコでなくなろうとしている。その躰は別の女の躰に変わっていく。
 ショートボブだった髪の毛が地面についてもさらに伸び続け、色を失った髪の毛は月光を吸収したかのように白銀に染まっていく。
 リサは血を吐きながらこう漏らした。
「……クイーン」
 そこにはもうカオルコはいなかった。いたのは白銀の髪を持つ夜の女王。
 クイーンは至福の笑みを浮かべて世界を見渡した。
「嗚呼、幾星霜の刻を過ごし、この瞬間を待ちわびたことか。嗚呼、なんと夜の美しいことか!」
 いったい何が起こったというのだ?
 クイーンは床に倒れるリサを見下した。
「よくも妾を閉じ込めてくれていたな。礼はたっぷりとさせてもらうぞ、うふふふふっ」
 もうリサは言葉を発する力も残っていないのか、遠い眼差しでクイーンを見つめているだけだった。
「妾が復活したからには、この世にもう朝は来ぬ。さて、手始めにうぬに復讐でもするかの」
 クイーンはリサに向けていた目を戒十にやった。
「あれを屠るか。うぬを即座に殺してしまうより、仲間を目の前で殺されるほうが辛かろう」
 クイーンの躰に変化が起きる。躰が膨れ上がるその様は、それ以外にない。
 白い毛がクイーンの全身を覆い、四足で立ったその姿は白銀の魔獣。
 魔獣となってもクイーンは理性を失わなかった。それどころか人語を話した。
「さて、小僧の四肢を引き千切ってやろう」
 しなやかな足取りでクイーンは戒十に近づいた。
 膝を砕かれている戒十は、片腕の力だけで床を這った。その背後に、ゆっくりとした足取りで、相手が怯えることを楽しむかのように、徐々に徐々にクイーンが近づいてくる。
「逃げよ、逃げよ、思う存分逃げるが良い」
 戒十は段差のある端まで追い詰められた。
 奇跡など起きはしない。それを確信して戒十はゆっくりと眼を瞑った。
 死は戒十のすぐそこまで迫っていた。
「ギャァッ!」
 悲鳴があがった。
 戒十の足元に堕ちた血の雫。
 その先には刀の先端が伸びていた。
 クイーンの心臓を背から貫いた刀――それを握っていたのはリサ。
 リサは巨大な魔獣の背に乗り、最後の力を振り絞って刀を握っていた。
「妾を滅するというのか!!」
 叫びながらクイーンは暴れ、背中のリサを振り下ろそうとした。
 しかし、暴れれば暴れるほど、研ぎ澄まされた刀は肉を斬る。
 白銀の毛が黒く染まっていく。
 心臓を掻き混ざられるように斬られ、悶絶しながらクイーンは屋上から落ちた。
 リサは刀をしっかりと握ったまま、死んだように身動きひとつせず、クイーンと共に奈落の底へ。
 地響きと断末魔が天まで昇った。
 嗚呼、宙[ソラ]には変わらず満月が輝いている。
 戒十は眼を瞑ったまま動かなかった。
 瞼の裏に広がる世界は闇。


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