第5話_忍び寄る影
 朝が来て、月曜日になり、いつも通り学校が始まった。
 授業はいつもとなんら変わりなく進み、時間が過ぎていく。しかし、輝と悠樹にはその時間がとても長いものに感じた。
 二人がそう感じるもの無理はない。椛を独り家に残して来てしまったのだから……。
 当初は二人とも家に残ろうとして、これから日ごとに交代で一人が家に残ることにしようとしたが、この生活がいつまで続くかわからないので、椛に独りで留守番をしてもらわないと今後困るだろうという判断をして仕方なく二人で家を出て来た。
 今まで仮面の被って学校生活を送って来た悠樹だったが、この日ばかりは気が気ではない。人に声をかけられても気づくのに遅れるし、問題を当てられても間違いを連発してしまった。そんな悠樹を見て、悠樹ファンはレアなものが見れたと喜ぶのだが――。
 輝は輝で、いつもは騒ぎまくっているクセして、今日に限っては無口で物思いに耽る恋の悩みを持った青年みたいな顔をして、大勢の友達から心配され、春に大雪が降るとまで言われた。
 ようやく昼休みになり、輝はいつも通り悠樹の近くの席まで行った。しかし、二人とも重々しい表情で無言だった。
 すぐさま武が心配そうな顔をしてやってきた。
「どうしたのさ二人とも? 朝も声かけたのに反応してくれなかったしさぁ」
 だいぶ遅れてから悠樹が言葉を返した。
「…………いや、すまん」
「遅いよ反応。二人揃って変だよ、変!」
 いつもならここで何らかの反応が返って来るのだが今日はない。
 武は顔を赤らめ膨らませた。何かあるなら自分に話して欲しいに二人は心ここにあらずと言った感じで、武はなんだか仲間外れにされた気分だった。
 輝が突然席を立った。
「オレ、早退するわ」
「えっ?」
 武が驚くのに間入れず悠樹も、
「輝が早退するなら俺も早退する」
「ええっ!?」
 武は驚くことしかできなかった。なんで二人が早退しなければならいないのか見当もつかない。
「オレが早退するから悠樹は残れ」
「俺だって椛のことをほって置けると思うか?」
 この時武はピンと来た。
「椛って、あの椛ちゃん? あの子がどうしたのさ?」
「あの娘がどうかしたのか?」
 会話の中に女性の声が入って来た。
 三人が振り向いた先にいたのは月夜霊尊だった。彼女は何時の間にか三人の近くに立っていた。
 武はまた驚いた。尊が輝と悠樹に関係があったなんて初めて知ったからだ。いつの間に友達になったのか、そんな疑問が湧く。
「あのさ、二人ともいつ月夜霊さんと友達になったの?」
「藍澄、今は黙っていてくれないか。それよりも椛がどうしたんだ?」
 武は尊の言葉にショックを受けた。また仲間外れにされた感じだ。
 武は仲間外れにされることを大変嫌う。特に輝と悠樹に仲間外れにされるなんて、ものすごい恐怖を感じてしまう。なのに輝と悠樹は武に隠し事をしていた。
 尊の質問に促されて輝が答えた。
「椛を家に独り残してきたのが心配でさ」
 ――無言のまま数秒時間が経過した。そして、尊は思わず笑ってしまった。
「ふふ、そんなことか。てっきり私は椛が怪我か病気でもしたのかと思ったよ」
「笑いごとじゃねぇーよ。あんな小さい子に留守番させるなんて」
「大丈夫だよ、あの子はしっかりしてそうな子だから」
 尊は笑いながらそう言った。
 武はなんとなくだが話が見えてきた。
「あのさ、つまり、こないだボクの会った椛ちゃんが輝んちで独り留守番してるってこと?」
「そういうことだ」
 悠樹にそう言われて武は納得したが、肝心な秘密は何も知らない。でも武は疎外感から解放された。
「な〜んだ、そういうことか。でも、二人とも心配し過ぎだよ」
 とりあえず椛の話が一区切りついた所で輝が尊に聞いた。
「そうだ、星川さんは?」
「未空なら今日は休みだ」
 ここで武は再び驚きと同時に仲間外れにされた気分になった。輝から未空の名が出るとは思いもしなかったのだ。
「あ、あのさ。輝と悠樹はいつ月夜霊さんと星川と友達になったの?」
 輝と悠樹は少し困った。成り行きを話すわけにはいかないので、どうやって武に説明したらよいのか?
 二人が黙っていると尊が口を開いた。
「私と悠樹は同じクラス委員で、未空と真堂も委員が一緒だろ? そして、私と未空はもともと仲が良かったし、悠樹と真堂も仲が良かったので、それで四人で仲良くなったんだ」
 理由としては無理がないが、悠樹と尊は友達になったとしても、輝と未空が友達になったなんて武としては少し信じられなかった。しかし、月夜霊さんは嘘をつくキャラには思えないし、別に嘘をつく理由もないだろうと思い、信じることにした。
 武はすっかり忘れていたお弁当のフタを開けた。
「そうだった、お昼食べなきゃ」
 そんな武を見て輝は、今は昼休みなんだと思い、あることを思い出した。
「そうだ。図書委員来なくてもいいって言われたけど、昼って本当は仕事の時間だからいってみるか」
 席を立ち上がり図書室にいこうとした輝を尊が止めた。
「今日は管理の人が休みで図書室は開いていないぞ」
「えっ? そうなの?」
 せっかくヤル気を見せようとしたのだが、図書室が閉まっているのでは仕方ない。
 輝は再び席について武の昼食に付き合うことにした。

 学校を休んだ未空はある場所に向かっていた。
 輝と悠樹が学校にいる今しか椛を襲うチャンスは無い。だから急いで輝のマンションに向かわなくては……。そう未空は考えた。
 マンションに着いた未空は急いで階段を駆け上がり、輝の部屋の前まで行くと、まずドアノブに手をかけた。――開いている!? 
 未空はゆっくりとドアを開けて、静かに部屋の中に忍び込んだ。
 ダイニングのドアを開けて入って来た未空は不敵な笑みを浮かべた。
「間に合ってよかったわ。でも、やっぱりあたしが思った通り、今がチャンスと考えていたのね、あなたは……」
 ダイニングの中ではすでに椛と琥珀が対峙していたのだ。未空は琥珀の計画を阻止しに来たのだ。
 未空は琥珀から目を離さないように移動して椛の前に立ち、椛は未空の背中に隠れる形となった。
「僕は椛に用があるんだ、そこを退いてくれないか?」
「駄目よ、この子は渡せない。この子を渡すととんでもないことが起こりそうな気がするから……」
「とんでもないことか……さすがここまで来たことはあるな娘。だが、理由はそれだけじゃないんだ椛。僕は椛を敵に回したくない、できれば僕らの仲間になって欲しいんだ」
 椛は未空を後ろに押し退け前に一歩踏み出した。
「それは私にはできないわ、琥珀」
 まるで別人のような椛。その声質は幼児のままだが、口調と表情は妙に大人びていた。――記憶が戻ったのだ、それもだいぶ前に戻っていた。
「なぜだ!? なぜ僕らの仲間になれないんだ?」
「琥珀、貴方と私は長い時を一緒に過ごし、多くの部分を分かち合うことができました。しかし、私と貴方は根本の存在理由が違ったのです。人々の想った我々のイメージは違うものだったのです」
「人間は僕らのことを忘れようとしている。だから僕らは人間を支配することによって、存在を維持しようとしているんだ。この世界に残るためには仕方ない選択なんだ」
「琥珀、それは間違っているわ。この世界は神が創ったものではなく、神や妖怪などそう言った存在は、それを求める人間によって想像され存在しているもの。人間を支配するなど間違っていることだわ」
 この世界にいる全ての神々及び妖怪や妖精などは、人間によって想像され創り出された存在だったのだ。
 人間が救いを求めることにより多くの神が生まれ、人間が何かに恐怖することによって妖怪などが生まれたのだ。しかし、今現在では多くの存在たちが人間たちから忘れれようとしていた。
「僕は消えるのは嫌だ。椛だって人々から忘れられ、神社は廃れ、御神木を焼かれて人間を恨んでいないのか?」
「そうね。私は人々の信仰によって存在していたものだから、信仰されなくなった今現在は力も衰え存在が消えかけ、ついには幼児化までしてしまったわね。そして、御神木の楓の木まで焼かれてしまって完全に消えかけてしまった――でも、それも運命。人々が私のことを必要としない時代が来たことのだけ、それならば消えるのも運命として受け止めます。でも、今は……」
 小春神社の神として存在していた椛は消滅の危機まで一度陥った。しかし、今は記憶も取り戻し、力も取り戻しつつある。それは輝や悠樹たちのお陰だった。
 椛の存在を身近に感じ、椛が存在していることを実感する。その想いが強ければ強いほど椛は存在していられる。
 それと同じ方法を琥珀は行ったのだ。人間の世界に溶け込むことによって自分の存在を維持する。そして、今、琥珀はそれを大規模にやろうとしていたのだ。
「僕らはこの小春市に僕らのように消えかけている存在を呼び、人間の世界に溶け込ませる。そして、いつしか人間を支配する存在へとなるんだ。そのための大規模な術を行うためには椛の力も借りなくていけないんだ。椛、ここに僕らの楽園を創ろう!」
 沈黙して話を聞いていた未空が口を開いた。
「小春市全体に張り巡らせれていた術はそのためだったのね。術を張ることによって、戸籍も、なにも自分を証明する物のない存在たちを人間の世界に溶け込ませるための人間への目くらまし……」
 未空は休日の二日間、小春市全体に張り巡らされている術を不信思い、独りで調査をしていたのだ。
 琥珀の手が高く上げられた。
「人間にしては高い霊力を持った娘だ。この場で始末せねば僕らの脅威となることは間違いないな」
 上げられていた琥珀の手が獣の手へと変化し、鋭く振り下ろされ空を裂いた。すると、風の刃が巻き起こり未空に襲いかかった。
 未空はそれを間一髪で避けると、椛の手を掴みこの場から逃げようとした。しかし、風の刃が再び繰り出された。
 風の刃を避けそこなった未空は腕を切られてしまった。掠っただけであったが、服は二〇センチほど切り裂かれ、そこから血が滲み出していた。
 腕を切られたことなど構わずに未空は椛の手を引いて走り続けたが、不意に身体を後ろに引き戻されてしまった。
 未空が後ろを振り向くと、椛の片方の腕が琥珀に掴まれているではないか。椛は二人に腕を引っ張れて身動きのできない状態になっていた。
「琥珀放して!」
「娘! 椛を渡してもらおう」
 未空はポケットに入れていつも持ち歩いている儀式用に使うナイフを鞘から抜いて琥珀に飛びかかった。
 ナイフは琥珀の腹に刺さり、真っ赤な血が服に染みて滲み出て来た。
「よかったわ、黒魔術のナイフを持ち歩いていて……」
 普通はそんなナイフを持ち歩く人間などいないが、そのことが今回は役に立った。
 腹を刺された琥珀は椛の腕を放してよろめいた。
「くっ……小癪な!」
 琥珀はナイフを抜き取り床に投げつけると、未空の首を片手で掴むと力を込めた。
「……く、苦しい……ううん……」
 未空は首にかけられた手を必死に取ろうとしたが、その最中に全身の力が抜け動かなくなってしまった。
 琥珀が首から手を放した瞬間、未空の身体はバタンと床に崩れ落ちた。
 すぐに琥珀は椛を捕まえようとしたが、すでに姿が無い。
「……逃げられたか」
 琥珀は腹を押さえて出血を止めながら、玄関からゆっくりと出ていった。
 ――それからだいぶ時間が経過して、悠樹が自宅に帰って来た。
 悠樹はマンションの部屋に行く途中、不信な血痕を見つけた。それは自分の部屋まで続いている。
 そして、血痕は本当に自分の部屋の前まで続いていた。
 慌ててドアに鍵を挿し込み鍵を開け、ドアノブを引くがドアが開かない。まさかと思い、鍵をもう一度開けるとドアが開いた。
 ドアを開けるとすぐそこの廊下に未空が倒れているではないか!
 悠樹はすぐに未空に駆け寄り、脈があるか確かめ、息をしているか確かめた。大丈夫だ、どちらも正常だった。しかし、首に絞められたような痕がある。
 ここでいったい何があったのか、悠樹には見当もつかなかった。
 悠樹はまずは未空の身体を軽く叩き起こそうとした。
「星川さん、大丈夫ですか?」
「……ううん……葵城クン?」
 未空がすぐに気がつき、悠樹は安堵の表情を浮かべた。
「よかった、気がついてくれて。でも、どうしたんですか、何があったんですか?」
「椛ちゃんが琥珀という人物に襲われそうになって、あたしはそれを阻止しに来たのだけど、気絶させられてしまって……その後はどうなったのか……」
 ゆっくりと上体を起こした未空の腕を見て悠樹は驚愕した。
「腕から血が出ているじゃないですか!」
「大丈夫。もう血は止まっているから」
「……もしかして、玄関の外の血も星川さんの!?」
「それはきっと琥珀の血よ。ナイフで刺してやったから」
 悠樹は未空が人を刺したということにびっくりし、なぜナイフなんかを持ち歩いているんだと思ったが、そのことには触れないで別の話をした。
「それで、椛はどうしたんですか?」
「わからないわ。でも、きっと逃げてくれたはずよ」
 ふらつきながら未空は立ち上がると玄関から出ていこうとした。椛と琥珀を探しにいく気なのだ。
「どこに行くんですか!?」
「早くいかないと」
「待ってください、僕には話が全然わかりません。まずは星川さんの腕の手当てをしながら、詳しく話を聞かせてください」
 ダイニングで未空の手当てをしながら悠樹が聞いた話は、高等向けで悠樹が信じられる内容ではなかった。だが、未空が傷を負っていることは事実だし、椛の姿も消えてしまっている。
「僕は椛を探しにいきますが、星川さんはここで待っていてください」
「駄目よ、あたしも行くわ」
「駄目ですよ、星川さんは怪我をしているんですよ」
 未空の腕には包帯が巻かれ、首にも絞め痕を隠すために包帯が巻かれている。だが、未空の決意は固く、その瞳は真剣だった。
「あたしも行く」
「……わかりました」
 悠樹はそれ以外の言葉は言えなかった。
 二人は急いで椛を探しにいった。ある場所に向かって――。

 悠樹と未空が家を出て比較的すぐに輝が帰って来た。
 家まで続いていた血痕に驚かせられたが、家の中に入った輝はもっとびっくりした。
「なんじゃこりゃ〜!? なんで家の中が荒らされてるんだ?」
 それは琥珀が暴れたためだが輝は知る由も無い。
「椛ちゃ〜ん!」
 返事が無い。
「椛ちゃ〜ん!」
 やはり返事が無い。ここに椛はいないのだが、輝は知る由も無い。
「……何があったんだ!?」
 輝は全ての部屋中を隈なく探したが、誰もいない。
 物置もベランダもトイレの便器の中まで探したがいない。
「神隠しか!? じゃなくって誘拐か!?」
 ここで輝の思考は一時停止。――そして、復帰。
「悠樹は知ってるのか……連絡……ってあいつケータイ持って無いじゃん」
 悠樹は今時珍しい、携帯電話を持っていない高校生だった。その理由は携帯電話を持っていると、何時も束縛されているような気がするかららしい。
「そうだ、綾乃は帰って来てるのか!? えっと、あいつの力を借りるのか? 誰が俺が!?」
 輝はだいぶ取り乱している。そのまま、玄関を出て隣の綾乃の部屋に行った。
 ドアノブに手をかけると鍵が開いていた。
 綾乃だって自分の家に無断で入って来るのでお相子だ。ということで輝は家の中に飛び込んだ。
「…………」
 勢いのよかった輝の動きが停止し、身体が氷のように固まってしまった。
 輝の視線の先には、同じく固まってしまっている綾乃の姿が……しかも、風呂上りでバスタオルを身体に巻いただけの状態!?
 綾乃の肌から立ち上る湯気を遠い目をしながら見て輝は呟いた。
「おじゃましました」
「きゃ〜〜〜っ!」
 ってことになるのは当然の展開だった。
 次の瞬間、綾乃が自分の方に近づいて来たのまでは覚えているのだが、そこで頬に強烈な痛みを覚えて記憶がプツリと停止した。
 輝が目を覚ますと、女性の顔が自分を覗き込んでいた。
「だいじょぶ輝?」
 綾乃だった。もうすでに髪の毛を乾かして服を着替えていた。
「……殴っただろ?」
「だってぇ〜、しょうがないじゃない」
「別に裸見たわけじゃないんだし、殴ることないだろ」
「あんたが行き成り入って来るからいけないんじゃない!」
「こんな時間に風呂なんか入ってるからいけないんだろ」
「だって六時間目の体育で汗いっぱいかいちゃって気持ち悪かったんだもん。輝がチャイムも鳴らさないで入って来るのがいけないよ!」
「おまえだってたまにウチに勝手に入って来るだろ!」
 お相子だった。この話の決着はいつまで経っても平行線を辿ることだろう。だが、今はそれよりも椛のことだった。そのことで輝は来たのだ。
「勝手に上がったのは悪かったけど、それよりも、椛がいないんだよ。しかも部屋が荒らされてるし……」
「もう一度言って!?」
「だから、椛がいなくて部屋が荒らされてるんだよ」
「身代金目当ての誘拐!?」
「わかんねぇよそんなこと。とにかく綾乃も椛探すの手伝え」
「あったり前じゃない」
「じゃあ急いで行くぞ」
 走り出そうとした輝の腕を綾乃が掴んだ。
「ちょっと待って、どこを探すのよ?」
「知るかそんなの!」
「まずは輝んちで手がかりとか探した方がいいんじゃないの?」
 こう綾乃に言われて、二人はまずは輝の家で何かないか探すことにした。
 輝の家で手がかりを探し始めてすぐに、綾乃はダイニングの上にであるものを見つけた。「バッカじゃないの輝」
「はぁ? オレのどこがバカなんだよ!」
「これ見なさいよ」
 綾乃は片手を腰に当て、もう片方の手でテーブルの上にある紙を指差した。
「あっ、こんなのあったんだ」
 呟きながら輝はその紙を手に取り、書かれている文字を読み上げた。
「椛が琥珀という人物に襲われて行方がわからなくなった。俺と星川さんで探しにいく――悠樹。……はぁ? 意味わかんねぇよ、もっと詳しく書けよ。ってか琥珀ってもしかして……あの琥珀か!?」
 輝の表情が驚愕に変わった。
「琥珀って誰よ?」
「長い銀髪の若い男で、この前学校の図書管理人になったばっかの人だよ」
「だから、なんでその人と椛ちゃんが関係あるのよ」
「いや、待てよ。違う琥珀かもしれない……けど、あの琥珀は確かに変な感じがした……そうだよ、椛ちゃんと同じような感じがしたような気がする」
「それってまさか!?」
「琥珀も人間じゃないかもしれない!」
「もしかしてだけど、椛ちゃんの探してたお兄ちゃんって、その琥珀のことなんじゃないの?」
「ナイスだ綾乃! オレも冴えてるけど、おまえも冴えてるな。でも、わかんねぇことばかりだ。くそーっ、とにかくどこでもいいから椛を探しにいくぞ!」
 輝はわき目も振らず急いでいってしまった。
「待ってよ輝!」
 綾乃のも輝の後を追って玄関を出た。

 椛は逃げていた。
 記憶は戻ったが、力の方がまだ全くと言ってほど回復していない。
 椛の力は神格として人々に信仰されていた想いのエネルギーが根本だ。しかし、今の椛は神としての信仰を失っている。今ここにいるのは、ただの少女でしかなかった。
 一度消滅しかけた椛だったが、輝や悠樹たちが自分の存在を強く感じてくれたことにより、どうにか消えずに済んだ。だが、彼らは神としての椛を信じていたのではなく、少女椛という存在を信じてくれたに過ぎない、それでは元の力は取り戻せなかった。
 ただひたすらに何処に向かうでもなく逃げ続ける椛。自分はいったいどこに逃げようとしているのか? なぜ自分は逃げなくてはいけないのか? 私は琥珀を探していたのではないのか?
 椛の頭の中でいろいろな考えが、浮かんでは解決されないまま蓄積され、頭は痛いほどに混乱していた。
 椛は琥珀を探していた。御神木であった楓が炎に包まれた晩――琥珀は怒りに燃えて火をつけた人間たちを追って出ていった。
 出ていく琥珀を椛は止めようとしたが、逆上している琥珀は昔のように悪に心を支配され不本意ではあったが椛に傷を負わせて出ていってしまった。
 椛は傷を治すことはできたが、最後の砦であった御神木も焼けてしまい存在の危機に陥った。
 椛は琥珀の帰りを待った。しかし、琥珀が戻ってくることはなく、椛は琥珀を探すために外の世界へ出たのだ。
「琥珀に会わなくては……」
 琥珀をどうにかして説得する。それには力ずくでもかまわない。しかし、今大きな力を無理して使えば自分の存在が消えてしまうかもしれない。
 椛は哀しさを感じた。琥珀には消えるのも運命なのだと言ったが、今は自分が消えてしまうのが哀しかった。
 輝や悠樹たちとの出逢い。それが椛には心残りだった。今消えてしまうのは嫌だと思った。
 遥か昔は人間と椛は近い存在だった。人々は椛を信仰して、誰もがその存在を信じ、椛もまた人々の前に姿を現すことがあった。しかし、現代では椛のような存在が人の前に姿を現すことが叶わぬ時代となってしまった。
 椛はとても哀しかった。久しぶりに人々と接し会えたというのに、なぜ消えなくてはいけないのか?
 昔はあんなにも多くの人々に慕われ敬われていたというのに……。
 人々の想いを聞き届け、川の氾濫を食い止めたこともあった。しかし、今は川は高い壁に囲まれ大きな氾濫を起こすことはなくなった。
 人々の想いを聞き届け、飢饉に悩む人々を救ったこともあった。しかし、今の日本では食料に困ることなどない。多くの人が餓えて死ぬことなどない。
 全ては昔と変わってしまったのだと椛は哀しんだ。必要とされなくなった自分は消えてしまう存在なのだと時代の流れに運命を任せた。
 椛は自分でどこをどう歩いたか覚えていなかったが、気がつくと小春神社の前に立っていた。
「御神木は焼けてしまったけれど、私の場所はここにあるのね……」
 ゆっくりと小春神社に入っていった椛。そして、彼女は焼けた木の下までいった。
 そっと焼けてしまった木の表面に手を触れ、椛は目を閉じた。
 大きな命の息吹が椛の小さな手を伝わり感じられた。表面は焼けてしまっているが、木はまだ生きていたのだ。
「あなたは強いわ。でもこのままでは切り倒されてしまうでしょう。だから、私の力を分けてあげます」
 椛は両手で木を抱きかかえるようにして手を回した。大きな木には手が回りきらないが、それは関係ない。椛が楓の木をやさしく包み込むことが大切なのだ。
 椛は自分の力を焼けてしまった大木に流し込んだ。こうすることによって、元通りの立派な楓の木に還してあげようとしているのだ。
 焼けた大木は椛の力を流し込まれ、見る見るうちに表皮が蘇り、枝は伸び、ついには葉を付け季節外れの紅葉に華咲いた。
 綺麗な紅葉の下で椛は涙した。
「何年ぶりの紅葉かしら……」
 長い年月の間、紅葉することのなかった御神木が今再び紅葉し綺麗に色づいたのだ。
 しかし、突然、紅葉した葉が急速に枯れ落ちて、枝も木も枯れて全てが朽ち果てようとした。
「どうして? どうしてそんなことをするの!」
 ――違った。楓の木はただ朽ち果てようとしているのではなかった。だから椛は叫んだのだ。
 楓の木の力が全て椛の身体の中に強引に流し込まれていく。命の息吹が椛の身体の中に止まることなく流し込まれていく。
「どうしてそんなことをするの? このままではあなたは枯れてしまうわ!」
 椛の呼びかけを無視して、楓の木は持てるエネルギーを全て椛の中に流し込もうとしている。
 椛は拒否しようとしたが、それでも止まらなかった。
 楓は枯れ果てて、背をどんどんと縮ませ、最期には枝一本の太さまでになって、消えてしまった。
 椛は泣き崩れてしまった。楓の木は自分を生かすために力を全て自分に注ぎ込んでくれたのだ。
 椛は楓の木に力を与え、その後、琥珀を力ずくでも説得をして消えるつもりだった。それなのに自分は消えてはいけないようだ。
 ――椛は全ての力を取り戻した。これならば琥珀とも同等以上に渡り合える自信がある。自分の力で琥珀と話をつけなくてはいけない。
「……ここで待つわ」
 きっとここで待っていれば琥珀が現れる。そんな気がした。

 輝の家を出てすぐに琥珀は椛を追おうとしたが見つからなかった。
 浅手ではあったがナイフで刺された傷を癒やすのにだいぶ力を使ってしまった。琥珀にとってそれは誤算だった。まさか、あの場所で未空のような特別な人間に出くわすとは思いもよらなかったのだ。
 傷は完全に癒え、出血も止まったが、それに使った力は重傷を負った時と同じくらいだ。あのナイフには未空によって特別な術が架けてあったのだ。
 琥珀は椛のことを町中探すが見つからない。
 特別な力を持った者同士は気配で相手の場所を特定することができるが、範囲が広過ぎるとそれもできない。手がかりがない以上は闇雲に探すしかなかった。
 椛はいったいどこに行ってしまったのか? 計画は進み椛をなんとしても探さなくてはいけないというのに……。
 琥珀たちの計画にはどうしても椛の力が必要だった。
 小春市がまだ小春市と呼ばれていなかった遥か昔、この地域で最も力を持った神は椛だった。この地域を治めていた神でなくては最後の術は架けられないのだ。
 しかし、琥珀が椛を自分たちの仲間に引き入れたい理由はそれだけではなかった……。彼は椛に対して深い感情を抱いているのだ。
 琥珀はあることに気づいた。
「そうだ、あそこならば椛がいるかもしれない」
 二人が長い時を共に過ごしたあの場所。小春神社に椛はいるのではないか。そう思い琥珀は運命に引き寄せられ小春神社に向かった。
 運命は嘘をつかなかった。琥珀は小春神社の前に来て、椛がこの中にいることを確信した。
 小春神社には人の目や感覚ではわからないが結界が張られている。しかし、それは琥珀を阻むものではなかった。関係ない人間に危害を加えないように椛が人間を入れないように張ったものだ。
 琥珀は結果に触れて腕を突き刺した。その感覚は琥珀にとってはゼリーに触れたような感覚だが、人間が触れると鋼鉄の壁のようである。
 琥珀が結界を通り抜け境内に入ると、やはりそこには椛が立っていた。
「待っていましたよ琥珀」
 椛の姿は巫女装束に着替えられていた。本来は自らの衣装は自らの力によって変えられる力を持っているのだ。それは姿にも応用される。
 少女であった椛が光に包まれたかと思いきや、次の瞬間には、椛が立っていた場所には巫女装束を着た大人の美女が立っていた。――これが椛の元の姿だったのだ。
「力を取り戻したのか椛?」
「ええ、神の時の力とは別の力が私の身体の中には宿っていますが、その力の大きさは昔と変わりません」
「そうか、よかった。椛が元の姿に戻って本当に僕はうれしいよ。その力があれば大きな術を使うことができ、僕らの計画に大変役立つことだろう。椛、僕らの計画に協力してくれないか?」
 椛は首を横に振った。
「それはできないわ。けれども、あなたの言ってる術とは何なの?」
「僕らはこの大地を使って世界中にいる同志たちと交信し、この小春市に呼び集めたい。そのためには土地神である椛の力が必要なんだ。土地の全てのエネルギーを直接使えるのは椛、君しかいない。僕らでは少しくらいの土地のエネルギーを借りたり使ったりすることはできても、大量のエネルギーを一度に操ることができるのは土地と密接な関係にある椛しかいないんだ」
「そうね、私がこの土地に呼びかければ大きなエネルギーが操れるでしょうね。そうすれば、世界中に交信することもできるし、エネルギーを集中させれば都市一つくらいなんて簡単に吹き飛ばせるでしょう」
「そうだよ。そのエネルギーを使ってこの小春市を完全に外の世界と隔離する計画なんだ。外からの侵入者を一切拒み、中にいる人間たちは幻の世界で生きてもらう」
 椛はすごく哀しそうな瞳で琥珀のことを見つめた。
「やはり貴方と私は全く違うのね」
「仕方ないよ。僕は人間の恐怖心から生まれた存在なのだから……」
 こう言った琥珀の瞳もとても哀しそうで、遥か遠くの何かを見つめていた。


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