第6話_妖狐
 元はただの狐であった。それがいつしか大妖怪琥珀と言われるまでになったのだ。
 遥か昔、琥珀がまだ普通の狐であった頃。琥珀は普通の狐ではあったが、その毛の色は周りの者がいわゆる狐色なのに対して、琥珀は白銀であった。
 白銀の琥珀は周りの狐たちから仲間外れにされることもあったが、琥珀の母だけは他の兄弟たちと変わらぬように琥珀を育てた。
 ある日、琥珀は空腹に耐えかねて人里に下りたことがあった。
 人里には恐い人間が住んでいるので決していってはいけないと母狐に言われたことがあった。しかし、今はその母狐も猟師に弓矢で射抜かれ死んでしまい、どこかに連れていかれてしまった。その光景を木々の間から隠れて見ていた琥珀は決して人間と関わっていけないと思った。
 人里に下りて帰って来た仲間もたくさんいる。その仲間はご馳走を持ち帰って来た。しかし、大半の仲間は重症を負わされて命からがら逃げて来たり、一生帰って来ないことがほとんどだった。
 それでも琥珀は食料を求め山を下りて人里に向かった。
 里に住む者たちは貧しい農民ばかりだ。
 都では豪華な屋敷に住む貴族たちがいるが、地方の小さな里に住んでいる人々の家は現代では家と呼べない物がほとんどだった。
 家の形は円錐で、その基礎は木でできているが、その表面は泥や草などでできている。原始時代のような家だが、下層の人々の家はこれが当たり前だった。
 文化の伝達が遅いので都と地方では格差が大きくできてしまうのだ。
 里に着いた琥珀はびくびくしながら、人間に見つからないように散策を始めた。
 里に来たのは今回が初めてのことだったので、どこに行ったいいのか、どこに何があるのかわからない。
 物陰や草むらに隠れながら移動するが、食糧となるものは何も見つからなかった。この里も食糧不足に悩んでいたのだ。
 琥珀はさっと草むらに隠れた。人間の足音が聴こえたのだ。
 人間は琥珀に気づかず、すぐ横を通り過ぎていってしまった。きっと見つかっていたら毛皮を剥がされ肉を食われていたに違いない。
 安堵感で琥珀はほっと肩を撫で下ろした。こんなにも近くで人間を見たのは初めてのことだった。
 山でも猟師は見たことはあったが、それは遠くからだ。近づいたら殺されてしまう。
 琥珀は再び里の中を歩き始めた。そして、ついに目当ての食料を見つけた。
 細い枝や木で作られた囲いの中に鶏が何匹もいる。うまそうな鶏を見て琥珀は思わず舌なめずりをした。
 あの鶏を一匹でも盗めば空腹で死ぬこともなくなるだろう。しかし、どうやってあの鶏を盗み出したらいいものか?
 囲いは鶏が逃げ出さぬように高くなっている。人間にしてみればそれほど高くない高さだが、狐の琥珀や鶏に取ってはとても高い物に感じられ、飛び越えて出入りするなど夢物語である。
 琥珀は考え、穴を掘って下から潜り込めないかと考えた。しかし、それには時間がかかる。そこで琥珀は人間が寝静まる夜まで待つことにした。
 この時代にはまだ電気などはないし、動物の脂を固めて作った蝋燭はあったが貴重品なので普段は絶対使わない。なので、人々は日が沈むとすぐに眠りにつく。
 日が沈み、完全に人間が寝静まった頃を見計らって琥珀は穴を掘り始めた。
 土が柔らかかったせいもあり、琥珀が通れるくらいの穴をすぐに掘ることができた。
 その穴を通って鶏小屋に入った琥珀はうれしさのあまり楽園に来てしまったのでないかと思った。
 目の前にはうまそうな鶏がいる。腹いっぱいに食っても食い尽くさないほどの数だ。
 しかし、琥珀には誤算があった。
 鶏たちが急に騒ぎ出したのだ。
 琥珀を見た鶏たちは怯えて羽をばたつかせたり、大声で鳴いたりした。
 慌てて琥珀は一羽の鶏を噛み殺すと急いで逃げた。
 一匹しか盗み出せなかったが、それでも大収穫だ。それにあのままあそこにいたら、きっと人間に見つかっていた。そう思うと琥珀は身震いをしてしまった。
 山に帰った琥珀は里で盗んで来た鶏を仲間に自慢し、自分で食べきれない分を仲間に振る舞ってやった。
 数日が過ぎ、琥珀はまた腹を空かせていた。
 里にいってまた食料を盗んで来るか迷った。今度は失敗して人間に殺されるかもしれない。
 迷っているうちに日が過ぎていき、空腹に耐えられなくなった琥珀は再び里に下りることにした。
 今度は策の周りの地面に石が混ぜられていて掘ることができなかったが、少し離れたところから掘り進めて簡単に中に入った。
 鶏がまた騒ぎ出すが、慌てず琥珀は一羽の鶏を噛み殺して持ち帰り逃げた。
 それからというもの琥珀はたびたび里に下りては鶏や他の食料を盗み出した。
 食料がなくなるという被害を受けた里の人々はあの手この手で策を講じたが、盗みに慣れてきた琥珀はなんなく罠などを掻い潜り盗みを働いた。
 長い間このようなことが続くうちに里の者は恐怖心を抱くようになった。それは里の者は誰も盗みを働いている獣、つまり琥珀の姿を見た者が誰もいなかったからだ。そのため人々はもしかしたら食料を盗んでいるのは獣ではなく妖怪の仕業ではないかと考えるようになっていった。
 人々に妖怪と思われるようになった琥珀はそんなことなど知る由もなく盗みを続けていった。
 里から食料が減ると琥珀は別の里で盗みを働くようになり、盗みの範囲は徐々に広がっていった。そのため食料を盗み家畜を食い荒らす妖怪の噂も広がることになった。
 ある日のこと、琥珀はいつものように盗みをしようとしていた。
 深夜になり琥珀は民家の中に入っていった。盗みを重ねるうちに琥珀の犯行は大胆になっていったのだ。
 物色をしていた琥珀の耳がピンと立った。寝ていたはずの住民が目を覚ましたのだ。しかもそれは生まれて間もない赤子だった。
 琥珀は焦った。きっとこの赤子は大きな声で泣くに違いない。そう思った。
 泣かれて親に起きられるとまずいと思った琥珀は赤子の首に飛びかかった。
 殺してしまえ。浅はかな考えではあるがそうすれば泣かれずに済むと思ったのだ。
 首を噛み切り殺そうとしたが、すぐには死なず赤子は大きな声で泣いた。両親が飛び起きた。
 琥珀はどうしていいかわからなかった。赤子はどうにか殺すことができたが、人間に初めて見つかってしまった。
 血だらけになった自分の子供と、口の周りを真っ赤に染めた狐を見た人間は叫んだ。
 琥珀は逃げた。一心不乱に逃げた。しかし、後ろからは赤子の両親と騒ぎを聞きつけた者たちが執拗に追いかけてくる。
 暗闇の中を琥珀は山の中へ逃げ込んだ。途中で多くの者が琥珀を追いかけるのを止めた。暗闇の中を追うのは危険だと判断したためだろう。だが、赤子の両親はどこまでも追って来る。
 山の中を琥珀が逃げている途中、後ろの方から人間の叫び声が聴こえてきた。赤子の父親が足を滑らせ崖から落ちて死んだのだ。
 その後からは誰も琥珀を追って来なかった。
 赤子を殺され夫まで失った女は里に帰ると、子供は狐に食われ、夫はその狐に殺されたと里中の者に訴えた。こうして琥珀は妖狐と呼ばれることになった。
 琥珀の毛の色は他の狐と違い白銀だったためにその噂は瞬く間に広がり、誰もが琥珀のことを妖狐だと思い込んだ。
 人間に追われるという恐怖を味わった琥珀は二度と里に下りないことを誓った。だが、人間たちは琥珀を捕まえようと考えていたのだ。
 白銀の毛を持つ妖狐を捕まえようと里の者たちは立ち上がった。家畜を襲われ、人まで死んだ。このまま妖狐を野放しにして置くわけにもいかないと考えた。
 あくる日から人間たちによる妖狐狩りが大々的に始まった。
 山で静かに暮らしていた琥珀は、最近は山に入ってくる人間が増えたなぁ、と他人事のように考えていたが、それがまさか自分を狩りに来ているなんて夢にも思っていなかった。
 山に多くの人間が訪れるようになり、山での生活が琥珀に取って困難なものになってきていた。
 いつも人間から身を隠し、ビクビクしてなくてはいけない。
 こんな生活にはもう嫌だと思った琥珀は遠く別の山に移ることにした。そんな矢先だった。
 山で食料を探していた琥珀は獲物の野うさぎに気を取られて、人間が近づいてくるのに気が付かなかった。そして、人間に見つかってしまった。
 琥珀を見つけた狩人は弓を構えて琥珀目掛けて矢を放った。見事に矢は琥珀の後ろ足に突き刺さった。
 琥珀は痛みに耐えかね大声で吼えた。そして、矢を口に咥えて抜くと血を垂らしながら懸命に逃げた。
 逃げても逃げても人間は追ってくる。しかも人間の数は徐々に増えていた。
 琥珀はどうしても生き延びたかった。やさしかった母を殺した人間に殺されるなど絶対に嫌だ。そう思いながら琥珀は足を引きずりながら逃げた。
 人間たちとの距離は徐々に開らけていき、これなら逃げ切れると思った矢先だった。琥珀は怪我をしていなかった前足に鋭い爪が突き刺さるような痛みを覚えた。
 罠に掛かってしまった。まさかこんなところに罠が仕掛けてあったなんて思いもしなかった。
 いつもなら罠に掛かるはずが無い。しかし、人間に追われ、足まで怪我をしていて焦っていたのだ。
 後ろからは大勢の人間の足音が聞こえてくる。
 逃げたいという気持ちで罠を外そうとするが、罠は外れず傷が広がり激痛に襲われるだけだった。
 人間の姿が目の前に見えた。それでも琥珀は諦めずに罠を外そうとした。けれども外すことは最後まで叶わなかった。
 人間に捕らえられた琥珀は生け捕りにされて里まで連れていかれた。
 里に着いた琥珀は木でできた檻の中に入れられた。そして、檻に入れられてもなお琥珀は逃げようした。
 まず琥珀は地面を掘って逃げようとした。
 地面にはなぜか枯れ草が敷き詰められていて、それを退かすと石が見えた。他の場所も調べたが全て石が敷き詰められていた。これでは逃げることができない。
 人間たちは前もって琥珀を捕らえたときのために檻を作っておいたのだ。
 その檻の下には穴を掘って逃げられないように石を敷き詰め、檻自体もとても頑丈な木で作られていた。
 琥珀は諦めずに檻の壁に何度も何度も突進した。しかし、びくともしない。それで余計に身体を痛めてしまった。
 今逃げ出すのは無理だが、いつか機会が廻って来るだろうと思い、琥珀はその時に備えて身体を休ませることにした。
 しばらくすると檻の外に大勢の人間たちが集まってきた。里中の者が集まって来たに違いない。しかし、なぜ?
 これから何かが始まろうとでも言うのか――?
 突然檻の中に枯れ草が大量に投げ込まれた。枯れ草でも食えというのか? それにしても量が多い。
 人間たちが歓声をあげている。これは公開処刑だった。
 檻の中に松明が大量に投げ込まれた。さっきの枯れ草はこのためだったのだ。
 火は枯れ草に燃え移り勢いよく燃え出した。
 琥珀は鳴き叫ぶがどうにもならない。火は広がり自分をも呑み込もうとしている。そんな琥珀を見る人間たちの顔は琥珀にとっては鬼のように見えた。
 火はついに琥珀の身体に燃え移った。業火に身を焼かれ悶え苦しむが火は消えない。
 なぜ自分はこんな目に遭わなくてはいけないのか、自分はただ生きようとしていただけだ。それなのに人間はなぜ自分をこんなにも苦しめるのか?
 この時の琥珀には人間の気持ちなど全くわからず、ただ憎しみ怨むだけだった。
 檻の中で狐の形をした炎が暴れまわっている。そして、その炎の塊は檻に激しくぶつかった。
 炎によって脆くなっていた檻は簡単に壊れた。琥珀は檻から逃げ出せたのだ。しかし、依然琥珀の全身は炎に包まれ焼かれている。
 檻から出た琥珀は生きようとした。逃げようとした。
 炎に包まれた狐が暴れ回るのを見て人間たちは逃げ惑った。
 熱さに悶える琥珀は人にぶつかり火を点けていった。火を点けられた人間も琥珀のように燃え上がり悶え苦しむ。
 やがて、弓を構えた人間たちに琥珀は囲まれ、合図と共に幾本もの矢を身体に刺された。それでも逃げようとする琥珀であったが、ついに地面に倒れ身体が動かなくなってしまった。
 人間たちが動かなくなった狐に近づいたその時だった。燃え上がる狐に触れもしないのに近づいた全員の身体が真っ赤に燃え上がったのだ。
 全身を火に焼かれ地面に転がり苦しむ人間に囲まれて、炎を身に纏った妖狐≒赳゚が立ち上がった。
 全ての怨念が琥珀を本当の妖怪へと変えたのだ。
 この後、琥珀は里を焼き払い、大勢の人間を焼き殺した。どうにか命の助かった里のものは炎を纏う狐をこう呼んだ琥珀≠ニ――。
 炎に包まれ、その奥に見える狐を琥珀に見立ててその名がついたのだ。
 妖狐になった琥珀は多くの里を襲い、大勢の人間を焼き殺して復讐をしていった。そのことにより人間は琥珀に強い恐怖心を覚え、琥珀の力は人間に想われることにより、増していくことになった。
 琥珀に敵う人間など現れなかった。幾人もの武士が琥珀の命狙ったが皆焼き殺してやった。
 各地を廻るうちに力を蓄えていった琥珀はいろいろな妖術も覚え、人間に化ける術も会得した。このことにより琥珀は、人間に化けて人間たちをたぶらかすことも覚えた。
 ある時、琥珀は都に美男の姿で訪れた。そこで多くの女性をたぶらかし、屋敷に火を点けるという毎日を送っていた。だが、少々長居をし過ぎたようだ。
 ある日のこと、いつものように美男の姿を取った琥珀は、言葉巧みに女性の家に泊めてもらい、その日の晩に屋敷に火を点けようとしていた。
 夜になり屋敷に火を点けようとした時、琥珀は大勢の人間に囲まれてしまった。全て罠だったのだ。
 琥珀を捕まえようとしていた都は女性を使って琥珀を誘い出し、召し取ってやろうと考えていたのだ。琥珀はその罠にまんまとはまってしまったのだ。
 大勢の人間に囲まれた琥珀は慌てることもなく、銀色の美しい毛を持つ妖狐の姿に変身した。
 鎧を着た武士が襲いかかってくるが、琥珀は全身に炎を纏い、その炎を武士目掛けて飛ばした。
 鎧を着ていても炎に包まれては意味がない。
 今の琥珀には恐れるものなど何もなかった。今の今までは――。
 琥珀に一枚の紙切れが投げつけられた。そんな紙切れなど燃やしてしまえと火を投げつけたのだが紙切れは燃えず、紙はそのまま琥珀の後ろ足に貼り付いた。
 この時、琥珀は悟った。都には陰陽寮という役所があり、そこに勤める陰陽師とやらは大変術に長けており、妖怪を倒す専門家なのだという。もしや、その陰陽師か!?
 案の定、紙切れを貼られた琥珀の後ろ足は、金縛りに遭ったように動かなくなってしまっていた。
 武士とは違う着物姿の男が前に出た。琥珀はその男から只ならぬ物を感じ後退った。この男が陰陽師だ。
 陰陽師は指で印を組むと何やら呪文を唱え始めた。するとどうだろう、子鬼がどこからともなく現れた。これは式神というやつだ。
 琥珀は自らの力で強引に足に貼られたお札を取るが、陰陽師は式神を操り琥珀に攻撃を仕掛けてきた。
 二匹の子鬼は琥珀の放つ炎を掻い潜りながら襲いかかってくる。
 琥珀は自らの鋭い爪で子鬼の胸を切り裂いてやった。それでも子鬼は襲いかかって来るので火で全身を焼き、首に噛みついてやった。
 その間、琥珀も子鬼たちや武士たちに攻撃を受けて傷ついた。身体は刀で切られ、子鬼たちには殴られた。
 ボロボロになりながらも琥珀は屋敷中に炎を放ってやった。燃え上がる屋敷から武士たちが退却していく、しかし、子鬼たちは遠く離れて非難している陰陽師に操られて執拗に攻撃を仕掛けてくる。
 重傷を負った琥珀は自分の存在が消滅してしまうことを恐れて逃げ出した。
 山を越え野を越え、三日三晩寝ずに逃げ続けた。しかし、その間も子鬼たちの攻撃は続き、傷ついていく琥珀は己の存在がこの世界から消えるのを覚悟した。だが、琥珀は四日目の朝についに子鬼たちから逃げることができたのだ。
 どうにか逃げきることはできたが、もう力は残っていない。知らない土地で自分は消えるのだと思い地面で倒れていると、そこに一人の美しい女性が現れた。この女性が椛だったのだ。
 椛はこの辺りの土地を守る土地神であるが、彼女もまた狐の化身であった。
 琥珀が同属であることを感じ取った椛は、琥珀のことを何も知らぬまま自らの神社に連れ帰った。
 この頃の小春神社はこの地域で最も有名で大きな敷地を持っていた。
 連れ帰った琥珀は重症で、生死を彷徨うそんな彼を椛は寝ずに十日もの間看病を続け、自らの力を琥珀の身体に注ぎ込んだ。
 やがて傷が癒えた琥珀は力を回復した。しかし、以前の琥珀とは一つ違う点があった。それは身体の中に椛のエネルギーを貰い受けることにより、神格としての善の心が注ぎ込まれたこということだ。
 命を救われたことに琥珀は感謝し、今までの行いを少しずつだが悔いるようになっていた。
 琥珀は椛と共に暮らすことになり、椛が人間たちを救うのを見るうちに、全ての人間が残虐非道な者たちでないことを知った。
 人々は椛を頼りとして、敬い感謝する。琥珀は自分もそういう存在になりたいと思った。そして、琥珀は椛と共に神となり人間に罪滅ぼしをすることにしたのだった。
 月日は流れ数百年の時経ち、椛を信仰するものは次第に減り、それによって神社の規模は縮小されていった。
 人々に必要とされなくなった椛の力は年々衰えて、ついには幼児化してしまった。そして、琥珀もまた存在の危機にあった。
 ある日の晩、若者のグループが神社にやって来た。
 若者たちは持ってきた石油を楓の御神木にかけて火を放った。なぜ、そんなことをしたか、それは実にくだらない理由だった。
 酒に酔った若者たちの度胸試しと、それに加えてグループの中の一人が、だいぶ前に小春神社で受験祈願をしたのに合格できなかったことへの腹いせ、――それでだけの理由だった。いや、理由などなかったのかもしれなし、どうでもよかったのかもしれない。ただ何となく魔が差しただけだったのかもしれない。
 長い年月ここに立っていた楓の御神木は短い時間で燃え上がった。
 異変に気づいた椛と琥珀は紅葉したように燃え上がる楓の木に駆け寄った。逃げる若者たちの後ろ姿は見られたが、すぐに闇の中へと消えていってしまった。
 椛は燃え上がる楓をただ呆然と見ることしかできなかった。その傍らでは琥珀は怒りに打ち震えていた。
「許さぬぞ……人間どもが……」
 この時、琥珀の中の何かが呼び覚まされた。まさに炎が琥珀の心に火を点けたのだ。
「炎で焼かれる苦しみを味わせてくれる……」
 琥珀は炎で焼かれる苦しみを誰よりも知り、炎の恐ろしさを誰よりも知っていた。
 椛によって注がれた清い力に押されていた琥珀が本来持つ憎しみの力が爆発した。
「この楓に火をつけた奴らを探し出し、炎で炙ってやろうではないか!」
 琥珀の姿が白銀の狐へと変化し、紅蓮の炎を身に纏い深夜の町に出て行こうとしたのだが、それを椛が止めた。
「いけません琥珀。人間に復讐するなどいけません」
「うるさい!」
 我を失っている琥珀の身体から大きな炎が辺りに飛び散った。その炎の塊は椛の身体を掠り火傷をさせた。
 装束の腕の部分が焼け焦げ、椛の腕までも痛々しく焼け焦げていた。それを見た琥珀は何も言わず外へと飛び出して行ってしまった。
「琥珀!」
 椛は叫ぶが、それが琥珀に届くことはなかった――。


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