セイレーン文明
「おい、やっと来てくれたか!」
 ソファーで横たわるウィンディに出迎えられた女性は不機嫌そうな顔をしていた。
「あなたのために来たんじゃないわよ、この坊やの頼みで来たのよ」
「誰の頼みでもいいから、取り敢えず俺にかかった術を解いてくれよ」
「ほんと都合のいい男ね、あなたってひとは……」
 ため息をつきながらも女性は静かに呪文を唱えた。
「闇よ、力を奪い去れ――スワロウ!」
 ウィンディの身体を一瞬闇が包み込んだかと思うとすぐに消え、ウィンディは身体の自由を取り戻した。
「おう、ありがとなクラウディア」
「この恩高くつくわよ」
「そのうち返してやるよ」
 そう言ったウィンディは笑い、クラウディアも軽く笑った。それを見ていたセイは二人の仲を少し考え直した。
 セイとクラウディアはウィンディに椅子に座るように促されて座った。そして、ウィンディがセイたちと出会った経緯を話して、ファティマが連れて行かれたところまでをクラウディアに説明した。
「そんなわけでセイの恋人のファティマが王宮お抱え魔導師の爺さんに連れて行かれたってわけだ」
「だから僕とファティマは恋人同士じゃありません」
 ウィンディの説明中にセイはこれと同じセリフを五回ほど言ったが直らなかった。
 セイの発言は今は無視されてクラウディアが話しはじめる。
「えっと、それで、ファティマって子は魔導書の精霊ってなんだけど、その魔導書本体はどこにあるのよ?」
「僕が持ってます」
 セイがバッグの中から魔導書を取り出すと、その魔導書にクラウディアが手を掛けて開けようとした。しかし、開かない。
「わたしには開けないってことかしら、生意気な魔導書ね。どうやらこの魔導書は本物らしいわね、ということはファティマって子も本物の精霊ってことになるかしらね」
 魔導書の持ち主がすまなそうに小さな声でクラウディアに質問する。
「あのすみません、魔導書の精霊について詳しく説明してくれませんか?」
「あなた魔導書とその精霊の主なのに、それについて知らないの?」
「はい、魔導書はたまたま手に入れた物ですし、ファティマ本人が自分のことをよくわかっていないみたいで」
「精霊本人が自分のことを?」
「はい、僕が思うに記憶喪失かなって」
「精霊が記憶喪失だなんて話はじめて聞いたわ。まあ、ないとも言い切れないけど」
 セイとクラウディアが二人だけで話している横で、ウィンディが体調の悪そうな顔をしていて、それに気が付いたセイが声がかけた。
「どうしたんですか、顔色が悪いですけど?」
「いやな、俺は魔導学の類が苦手で、どうもその手の話を聞いてると頭が痛くなってくる」
 天空都市ラピュータは世界一の科学力を誇る島として有名であった。その島には下界では見ることのできない機械仕掛けのからくりがあると云う。そして、この都市には魔導師の数が極めて少なく、その極めて少ない魔導師のひとりがクラウディアであった。
 クラウディアはウィンディのことなど労わるようすも見せず魔導学に関する話を続ける。
「魔導書の中にはとても力の強いものがあって、稀(まれ)に魔導書自身が意思を持つ場合があるのよ。その意思が具現化されたものが魔導書の精霊ってわけよ。つまり、魔導書とその精霊は同じ存在ってことになるわね。もしも本当に魔導書の精霊が記憶喪失になったとしたら、魔導書本体になんらかの問題が起きたと考えるのが自然でしょうね。例えばページが抜け落ちてるとか」
 ページが抜け落ちていると聞いてセイは魔導書のページを捲(めく)ってみたが、破れたりして破損していそうな部分は見つからず、ページが抜け落ちているかどうかも文字を読めないセイには確認できなかった。そこで、魔導書の中味をクラウディアに見せると、クラウディアはこんなことを言った。
「真っ白よ。わたしには真っ白にしか見えない。随分と厳重なセキュリティーのされている魔導書ね。所有者本人しか文字を見ることができないのね」
 クラウディアの話を聞いて大分気分の悪くなったウィンディは、床に手をつきながら這って移動し、四角い箱についたボタンを押した。
「科学の香りを……」
 そのまま力尽きて手を伸ばしたウィンディのその先にある四角い箱に映像が映し出された。それを見たセイは目を丸くして声を漏らした。
「テレビ?」
 セイが発した言葉を聞いて、ウィンディが水を得た魚のように生き返って、飛び上がって話しはじめた。
「下の人間がテレビを知っているのか、驚きだな」
 ラピュータに住む人々は地面の上で暮らす人々と自分たちを大きく区別して、上や下という表現をよく使う。
 セイはテレビという単語が通じたことに驚いたが、自分の持っている魔導書が適当な単語を選んで翻訳されたのだろうと思った。
 映し出されていたテレビにはドラマらしきものが放送されていた。だが、すぐに映像が変わり、難しい顔をした女の人が臨時ニュースを読みはじめた。
《護送中の凶悪犯が治安官たちを負傷させ街に逃亡しました》
 セイはこのニュースを聞いて嫌な予感がした。そして、予感は当たる。
《逃げた犯人は猫人の少女で――》
 頭を抱えたセイはテーブルに突っ伏した。
「ファティマです、絶対ファティマに決まってます」
 自分が悪いことをしたみたいに落ち込むセイの横で、う〜んと唸ったクラウディアが何かを思い出そうと宙を仰ぎ見た。
「言い伝えは本当だったのかしらね」
「言い伝えってなんですか?」
 顔を起こしてセイが尋ねると、ウィンディもクラウディアの話に注目した。
「わたしが小さい頃に養父母から聞いた話なんだけど、左右色の違う瞳を持った少女がこのラピュータに現れる時、災いが起き、ラピュータが地に堕ちる……。左右色の違う瞳は魔導書に宿る精霊の象徴だから、ファティマが連れて行かれたんでしょうね、年よりはそういう迷信が好きだから」
「俺もその言い伝えを祖父さんに聞いたような、聞かなかったような。だが、そんな莫迦らしい話あるわけねえよな」
「わたしもそう思うわ。ラピュータを堕ちるなんてあるわけなじゃない。でも、ファティマが凶悪犯扱いされてることは確かで、逃げたのも確か、追われてるもの確かで、ニュースによると治安官も負傷させたらしいわね、最低」
 災いとまではまだいっていないかもしれないが、このままファティマを放っておけば本当に災いの元凶になる可能性がある。そのことを思ったセイが慌て出す。
「早くファティマを探しに行かないと! ウィンディさん急ぎましょう」
「おう! クラウディアはどうする?」
「愚問ね。ファティマは仮にも犯罪者、ごたごたに巻き込まれるのはごめんよ。と言いたいところだけど、魔導書の精霊にも興味があるわ……ふふ、研究対象を見す見す政府には渡さないわ」
 不吉な陰を纏うクライディアは不敵に笑い、それを見たセイは不安を覚えた。
 三人が家の外に出ようとした時、部屋の窓から猫耳の少女が飛び込んで来た。見間違えようもなく、それはファティマだった。
「お主人様助けて! よくわかんないんだけど大勢の人に追いかけられちゃって、ボクのファンなのかな?」
 それは絶対違うとセイは心の中で否定した。なぜなら、重装備をした男たちが窓から流れ込んできたからだ。銃火器を持ったその男たちはどう見てもファティマのファンには見えない。
 男たち――治安官がいっせいに銃火器を構えた。
「手を上げろ!」
 ファティマを含まない三人は困った顔をしながら手を上げた。
 そして、ウィンディが叫んだ。
「逃げろ!」
 声をあげたウィンディが手に持っていた何かを床に投げつけると、大量の煙が辺りを包み込んで治安官たちの目を眩ませた。その隙にウィンディがセイとファティマの腕を引いて玄関に走る。しかし、玄関が打ち破られて治安官たちが流れ込んできた。狭い廊下の左右から挟み撃ちにされてしまったのだ。
 すでにクラウディアも治安官に取り押さえられ、三人はゆっくりと手を上げた。


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