仕組まれた罠
 円形ドーム型の部屋の中心に長方形の黒石がひとつ立っていた。ナディールの腰ほどの高さのその石の表面には文字や図形が映し出されていた。
「まだ蒼風石は奪われていないみたいね」
 ほっと胸を撫で下ろしたナディールが引き返そうとすると、兵士が剣を素早く抜いてナディールの首元に突きつけた。
「王族しか蒼風石を取り出すことができないと聞いた。早く錠を解除してもらおう」
「敵の者でしたか、迂闊(うかつ)でした。しかし、わたくしひとりでは錠を解除することはできません。錠を解除を解除するには王族の血を引く者が二人必要なのですよ」
 部屋にドタバタと足音が響き、小柄な影が宙に浮いた。
「ファティマキック!」
 スカートを激しく揺らしながらファティマの飛び蹴りが兵士の後頭部に炸裂した。兵士はそのまま前方に倒れて気を失い動かなくなった。
「皇女様、平気?」
 ファティマがクリクリした大きな瞳で聞くとナディールは優しく微笑んだ。
「ありがとう御座いました。あなたはわたくしの命の恩人です。あとで褒美をとらせましょう」
「わぁ〜い、ご褒美ご褒美」
「では、早く逃げましょう。王族がこの場にいなければ、ラピュータが敵に侵略されようと、蒼風石は敵の手には落ちません」
 ファティマの手を引いてこの場を立ち去ろうとしたナディールの前にひとりの少女が立ちはだかった。左右色の違う瞳を持つ銀髪の少女――エムだ。
「蒼風石を頂き参った。蒼風石に掛けられている錠を解除するには王族の血を引く者が必要と聞いた。妾に協力して錠を解除してもらいたいのじゃが?」
「あなたも知らないようですが、わたくしひとりでは錠の解除はできません。錠の解除には王族の血を引く二人の人間が必要なのです」
「ならば、力ずくで錠を解除するまでじゃ」
「できるものならやってみなさい」
 ナディールは冷ややかに笑い、エムも微笑を浮かべてどこからか槍を取り出すと、天高く舞い上がった。
「魔導の波動――その下じゃな!」
 部屋の中心にある黒石に槍の穂先を向けてエムが落下する。
 巻き起こる閃光。黒石を中心にしてドーム状の半透明に輝く壁が現れ、エムの一撃を受け止めた。
 宙に浮いたまま壁に槍を突き刺し力を込めていたエムの身体が、凄まじい勢いで後方に吹き飛ばされた。
 しなやかに空中で上体を捻って地面に着地したエムは月のような笑みを浮かべていた。
「おもしろい、妾のロンギヌスの槍が通じぬとは」
「あなたには蒼風石を手に入れることは不可能。早々にこの場から立ち去りなさい」
 凛と言い放つナディールに臆することなくエムは静かに静かに微笑んだ。
「王族の者が二人必要と申したな……そちと同じ血の香りがする者がこの場に近づいてくるぞよ」
「わたくしと同じ……!?」
 ナディールはファティマを見つめて部屋の扉を見つめた。ファティマがこの場にやって来たということは、あの者も来てしまうかもしれない。
 部屋の扉が開けられ、三人が部屋の中に飛び込んで来た。セイとウィンディとクラウディア。クラウディアを確認したナディールは心に焦り覚え、エムがクラウディアを見て微笑んだのを見て、クラウディアの焦りは頂点に達した。このエムという者はラピュータの葬られた歴史を知っている。
 エムの顔を見たセイは驚かずにいられなかった。
「な、なんで君が!?」
「セイの知り合いなのか?」
 ウィンディがそう聞くとセイは小さく頷いた。
「でも、友達なんかじゃないんだ。あの人は僕の敵なんだ、きっと」
 エムがセイに敵だと名乗ったことはない。しかし、今までのエムの行動を見てきたセイにとって、エムは敵としか考えられなかった。
 左右色の違う瞳。それを見たクラウディアが言う。
「この子も魔導書の精霊ね……でも、こんなところにどうして?」
「妾は蒼風石を奪いに頂に来たのじゃ。地を這うセイレーンどもを煽(あお)ってラピュータに戦争を嗾(けしか)けさせたのも妾じゃ」
 銀髪の少女は妖艶(ようえん)な笑みを浮かべた。子供の顔がこんな笑みを浮かべることができるのだろうか。その笑みは美しくも、内に残酷さを秘めた笑みだった。
 ウィンディが怒りで顔を赤くして怒鳴り声をあげた。
「おまえが戦争を嗾けただと……セイレーンでもないおまえがなんでだ! おまえの目的はなんだ!」
「妾たちの目的は蒼風石を破壊することじゃ。セイレーンたちを使ったのは事を運びやすくするため。……それに地上に残っている者が少ない方が、計画が運びやすいのでな」
 ――計画?
 ファティマの身体がガタンと揺れて前のめりなり、ゆっくりと顔を上げたファティマの表情はファティマであって、ファティマとは別の者の表情だった。無邪気で可愛らしい表情ではなく、大人びた気高い表情。そして、ファティマの口から発せられた声も、別の女性の声だった。
「〈大きな神〉の書き綴りし〈光天の書〉に宿る精霊エム。〈大きな神〉を何度世界を創造し破壊し、幾つもの種族を創り殺し、いつになれば〈大きな神〉が満足する世界が創造されるのだ?」
 この女性の声を聞いたエムが少し目を丸くして微笑んだ。
「ほう、大魔導師ファティマの残留思念か。〈偉大なる人〉に隠れてファティマが取っていた不審な行動はそれであったのじゃな。ファティマは〈ファティマの書〉に自らを書き写した。じゃが完全とは言えず、妾たちの計画は誰にも邪魔はさせぬぞよ」
 目にも止まらぬ速さで地面を駆けたエムはセイの首元に槍の穂先を突きつけ微笑んだ。
 セイを人質に捕ったエムはクラウディアに顔を向けた。
「この国の真の第一皇女クラウディアよ、ナディールとともに蒼風石に掛けられておる錠を解除のじゃ!」
 この言葉に誰もが驚きを隠せなかった。中でも一番驚いたのはウィンディであった。
「クラウディアが皇女だって!? 莫迦な、そんなことがあるわけないだろ、俺はこいつのことガキの頃から知ってんだぜ?」
 ウィンディに見つめられたクラウディアはうんざりした感じで鼻で笑った。
「本当らしいわ。小さい頃に王宮から大臣が隠密に訪ねて来て聞かされたのよ。この国の第一皇女として生まれたわたしは捨てられたのよ」
 クラウディアの話を継いでナディールが話はじめた。
「小さい頃わたくしは姉は流産したものだと教えられて育ちました。ここまでは国民全員が知らされていた公式のラピュータ史です。ですが真実は違います。わたくしは母に姉が生きていることを知らせれ、なぜ国民に姉が流産したと嘘をつかなければならなかったのか聞かされたのです。それは生まれた子の翼が黒かったからです」
 この話を聞いたウィンディは理解した。
 この国では黒い翼を持って生まれた子は災いをもたらすと云われ、過去には黒い翼を持った子は生まれてすぐに殺されるか、国の外に捨てられることがあった。しかし、現在ではそのようなことなくなったが、昔の迷信は今でも語り継がれ、黒い翼を持ったセイレーンは迫害を受けることが多い。ウィンディの知るクラウディアもそうであった。クラウディアは小さい頃から虐めに遭い、今でも他人との交流を多く持たず生活をしていた。
 セイに突きつけていた槍をエムが近づけた。
「早う蒼風石に掛けられておる錠を解除のじゃ!」
 だが、クラウディアもナディールも首を横に振った。そして、クラウディアとナディールが順に話をした。
「蒼風石を奪い、守るための戦争に多くの命が失われた」
「もし、ここで蒼風石が奪われれば、ラピュータは地に堕ちるでしょう。その子には悪いですが、わたくしはこの国の民を優先して守る義務があるのです」
「でもね、わたしは思ったことがあるのよ。蒼風石なんてなければいいのにってね」
 クラウディアは部屋の中央にある黒石の上に手を置いた。すると、どこからか人の合成音を聞こえた。
《ロックを解除するには、もう一人の認証が必要です》
 全員の視線がナディールに向けられた。
「わたくしは手をお貸しできません。その子を殺すなら殺しなさい」
 その言葉を受けてエムが槍を素早く動かした。
「止めて!」
 叫んだのはナディールであった。
 槍を離されたセイの首筋には紅い線が走っていた。
 すでに気高い皇族の表情を取り戻しているナディールがクロウディアの横に立った。そして、長い静寂を置いて、手をゆっくりと黒石の上に乗せた。
《王族二人を認証しました。ロックを解除します、この場から速やかにお下がりください》
 部屋中から歯車の動く音が聞こえ、クロウディアとナディールが黒石から離れると、床が動きはじめた。
 部屋全体が輝きだし、黒石を中心にして辺りの床に円形の線が走り、線の走った床が底からゆっくりとゆっくりと上がる。そして、半径二メートルほどの透明な筒状の入れ物が現れた。その中が淡く蒼く輝く巨石――これが蒼風石だ。
 部屋中に巻き起こる風がドーム状の部屋を休むことなく回り続ける。その風は立っているのもやっとのほどで、セイは地面に手を突いてしまうほどだった。
 エムは蒼風石を目の当たりにして笑みを浮かべた。
「まだ完全に封を切られてもいないのに、なんたる力じゃ。〈偉大なる人〉の脅威になることがよくわかる」
 槍を構えたエムが蒼風石の入れられた筒に向かって駆け出す。
 そして、槍は筒を貫かんとする風を切る。


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