吹き荒れる風たち
 天から軽やかに舞い降りてきたゼークはわざわざ腰を曲げて、魔導書を持ったセイの顔を下から覗き込んだ。
「アンタがアタシのこと召喚したわけぇ? アタシ、ちょー忙しいんだケド?」
 ……セイが思っていた神のイメージとはだいぶ違う存在だった。近くいたクロウディアも口をあんぐり開けている。クロウディアもまさかゼークこんな少女だとは思ってみなかったのだろう。
「僕が召喚しました。それで、あの……」
「アタシ嫌よ。召喚されちゃったからなんとなく来てみたケド、こんなガキにだって知ってたら来なかったわよ」
 なんてワガママでいい加減な感じのする神様なんだろうと、セイは心の中で思った。しかし、この神に頭を下げてでも頼まなくてはいけないことがある。
「あの、蒼風石が破壊されちゃって、直して欲しいんです。お願いします!」
 頭を下げたセイの目の前にいるゼークは驚きを隠せないようすだった。
「マジでーっ!? 蒼風石が壊せれちゃったの、どこの誰に?」
 どこの誰にとゼークが三人に顔を向けると、クラウディアが答えた。
「〈大きな神〉の書き綴りし〈光天の書〉に宿る精霊エムでよかったかしら?」
 その名を聞いたゼークはため息をつきながら、オーバーリアクションでおでこに手を当てた。
「あ〜っ、あの〈大きな神〉の僕――メシア・エムか。〈大きな神〉の計画にはアタシら〈小さな神〉も反対で、〈大きな神〉を探し出してぶっ潰してやろうと思ってるんだケド、あのエムってガキが世界を滅ぼす方が早そうで困ってるんだよねぇ」
 セイはゼークがなにを言っているのかよくわからなかった。けれど、〈大きな神〉が〈小さな神〉の敵であることがわかった。〈大きな神〉とは善の象徴ではないのかもしれない。そして、〈大きな神〉とはもしかしたら自分の敵なのかもしれないとセイは考えた。
 大きなあくびをして背伸びをしたゼークが急に凛とした表情になった。
「蒼風石があった場所に案内しなさい。おそらくあれは今、〈混沌〉になっているんでしょ」
 ゼークは蒼風石を直してくれることを約束してくれたのだ。
 ファティマがガッツポーズをしてセイに抱きつく。
「やったねご主人様、ゼークはやっぱりいい人だね!」
「だからさ、僕に抱きつかないでくれるかな、ちょっと恥ずかしいから」
 近くにいたクラウディアもツッコミを入れる。
「時間がないんだから、イチャつくなら全部終わってからにしなさい」
 セイは顔を赤くしてファティマの身体を無理やり離した。
 はしゃいでいるファティマの顔を見ていたゼークが呟いた。
「アンタどっかで会ったような気がするのよねぇ、名前は?」
「ボクの名前はファティマ。偉大なる大魔導師ファティマによって書き綴られた魔導書に宿る精霊だよ!」
「アンタがあの時の魔導書!? しかも、あの人が書いたとは思えない精霊が生まれちゃったのね」
 呆れ顔で笑ったゼーク。しかし、すぐに真剣な顔に戻り、ファティマを指差して指先をくるりと回した。それを残りの二人にもすると、ゼークになにかをされた三人の身体が宙から少しだけ浮いた。ゼークは三人に宙を浮く魔法を施したのだ。
「そっちの方が移動速度が速くて便利でしょ。そっちの方に行きたいなって思えば勝手にと飛ぶから、スピードの出しすぎには気をつけてね。じゃ、蒼風石があった場所まで案内して」
 クラウディアが最初に飛び出した。それはまるで風のようなスピードだった。すぐに残りの三人も宙を舞って先を急ぐ。
 廊下を飛び抜け、隠し通路を使って蒼風石が安置されて居場所まで向かう。そして、風のようにあっという間に扉の前まで来てしまった。この扉の向こうに〈混沌〉は今も渦巻いている。
 なんの躊躇(ためら)いもなくゼークは扉を開けた。
 部屋いっぱいに広がっていた〈混沌〉は一歩一歩部屋を歩くゼークに押されていた。そのゼークは小声でなにかを呟いている。
「アタシはアタシ、アンタは蒼風石。〈混沌〉なんてやってないで、さっさと蒼風石になりなさいよ」
 それは〈混沌〉と自分を明確にわける。
 それは〈混沌〉に命令をする。
 それは〈混沌〉を変える。
 ゼークに押されている〈混沌〉は徐々に部屋の中心に集まり、その形を変化させていった。〈混沌〉に形が与えられる瞬間だ。
 目の前の光景を見てクラウディアが声を漏らす。
「小娘だと思ったけど、やっぱり神だわ……」
 そして、〈混沌〉は蒼風石に変わった。しかし、全員はあるものを見て驚愕した。
「妾を見て驚いているのかえ?」
 静かな月のような笑みを浮かべる少女。蒼風石のすぐ横にはエムが立っていたのだ。
 エムの姿を見たゼークが騒ぎ出す。
「マジで、なんであんなのまで生まれんのよ。〈混沌〉にあんなのが混じってるなら、先に言えよ、ばーか、ばーか、ばーか!」
 すでにゼークとクラウディアは戦闘態勢に入っていた。そして、エムも――。
 ロンギヌスの槍を片手に持ち、エムは残った手を四人に向けていた。
「火よ唸れ燃やせ!」
 エムの手から放たれた火炎が渦を巻き襲い掛かってくる。
 すぐさまゼークが前に飛び出した。
「風よ我らを守りなさい!」
 ゼークたちを守るように風が巻き起こり炎を防ぐ。そして、ゼークが再び声をあげる。
「風よ運びなさい!」
 炎が風に運ばれエムに向かっていく。だが、エムは余裕の笑みを浮かべている。
「水よ唸れ呑み込め!」
 エムの手から放たれた水は渦巻く蛇と化し、巨大な口を開けて炎をひと呑みにして、地面に落ちて水飛沫を上げた。
 ゼークとエムが戦う中、セイとファティマは壁に寄って身を潜めていた。
「ご主人様、ここが男の見せ所だよ。魔導書を開いて呪文を唱えて」
「え、あ、うん、でも……」
 以前に一度だけ使った魔導書の力はセイの想像を超えたものであった。あんな力をこの部屋の中で使ったら、どんなことになるか考えただけでも恐ろしい。
「ご主人様、魔導書を開いてよ」
「そう、大丈夫。あの子の動きを止める魔法を選べば大丈夫」
 セイは魔導書のページを開き、ここだと思うところを選んだ。そのページに書かれた文字がセイの脳に流れ込む。
「風よ、見えない鎖となりて敵を捕らえよ――エアチェーン!」
 セイが持つ魔導書から放たれた風がエム向かって飛んでいく。
 ゼークとの戦いに集中していたエムは向かってくる風に身体も向けず、槍を使って簡単に風をなぎ払い消してしまった。セイの放った魔法など眼中にないのだ。
「ご主人様、もっと強力な魔法でやっちゃってよ!」
「駄目だよ、僕にはできない。お願いだから、もう一人のファティマ出てきてよ」
 ファティマはきょとんとした表情をした。ファティマにはセイの言う、もうひとりのファティマの意味がわからないのだ。
 戦いの情勢は五分と五分だった。風を操るゼークを槍と魔法でエムが応戦する。この状況で戦いは五分と五分だった。
 クラウディアは離れた場所で呪文の詠唱をしていたのだ。
「――ダークネメシス!」
 クラウディアの黒い翼が大きくなったように見えた。それは巨大な黒い鎌だった。クラウディアの背後に巨大な鎌が幾つも幾つも現れ、その鎌は全てを切り裂く勢いでエムに向かって飛んでいく。
 ゼークの放ったサイクロンが渦を巻きながらエムに襲い掛かり、その背後からは闇の鎌が迫っていた。エムは逃げ場を失い、地面を蹴り上げ舞い上がった。しかし、エムの顔が歪む。
 舞い上がったエムのその上にファティマはいた。そう、もうひとり≠フファティマが――。
「油断したなエム!」
 ファティマの言葉とともにエムの身体は槍によって射抜かれていた。
 宙に浮きながらファティマは槍を抜き取りエムから素早く離れた。
 ゼークの放っていたサイクロンが地面に落ちる途中だったエムを巻き込み、クラウディアの放った闇の鎌がエムの身体を切り裂く。鎌はサイクロンによって渦巻き、その中心にいるエムの身体は跡形もないまでに切り裂かれていった。
 サイクロンの中で煌く粉が舞った。それはエムの破片であった。
 やがてサイクロンは治まり、その場には何も残っていなかった。
「やったの?」
 クラウディアがそう呟いてサイクロンがあった場所に走り寄った。それを見てファティマが叫んだ。
「まだだ! その場を離れろ!」
「えっ……!?」
 クラウディアが目を見開き、セイは顔を手で覆い隠した。
「妾はまだ生きておるわ」
 槍を伝って紅い雫がエムの手を鮮やかに染め上げた。
 息を呑むクラウディア。その身体はロンギヌスの槍によって射抜かれていた。深く深く射抜かれていた――深く。
 槍を抜かれたクラウディアが地面に堕ちる。セイの目に映ったその光景は音もなくスローモーションに見えた。――信じられない。
 セイが手に持った魔導書のページが激しく捲り上がる。そして、燦然たる輝きがセイの身体を包み込み、魔力のこもった風が当たりに吹き荒れる。力が解放されようとしている。
 エムは淡く輝く月のように微笑んでいた。
 ゼークは恐怖に身震いした。
 そして、ファティマの目が見開かれる。
 魔導書と精神を共有するファティマは、なにが起ころうとしているのかを悟ったのだ。
「セイ、その呪文は唱えていけない!」
 ファティマの声はセイに届かない。セイの精神はすでにこの場になかった。今の彼は無意識の中に動いていた。
 セイの口元が微かに動いた刹那、世界は輝きに包まれた。
「セ――」
 誰かが叫んだ。しかし、眩い光に全ては呑み込まれていた。音すら呑まれた。
 そして、全ては白になった。

 闇の中から目を覚ました。
 セイが目を開けると、そこはふかふかのベッドの上だった。
「僕は……?」
 ふと横を見ると、椅子の上に一冊の魔導書が置かれていた。下半分が焼け焦げ消失してしまっている魔導書。それは〈ファティマの書〉だった。
 セイは慌てて魔導書を手に取った。
「どうして……?」
 わからなかった。なぜ、魔導書が焼け焦げてしまっているのか。そう、ファティマは?
 部屋に誰かが入って来たのを感じてセイが叫ぶ。
「ファティマ!」
 ――違った。
「俺だ、すまんなファティマじゃなくて」
 部屋に入って来たのはウィンディだった。そして、その後ろにはクラウディアもいた。
 クラウディアの顔を見てセイはほっと胸を撫で下ろした。
「よかった、生きてたんだ」
「わたしのこと勝手に殺さないでよ。まあ、ゼークがいなかったら死んでたけど。彼女のお陰で一命を取り止めたのよ」
「あの、ファティマは?」
 セイが尋ねるとクラウディアとウィンディは顔を見合わせて黙り込んだ。その沈黙はセイの心に不安と重圧感を与えた。
「ファティマはどうしたんですか!?」
 ウィンディはセイと視線を合わさず、クラウディアが静かな口調で答えた。
「いなかったの。辺りが突然光に包まれて、世界に色が戻ったと思ったら、エムもファティマもいなかったのよ」
「いないってどういうことですか? 魔導書はここにあるのにファティマがなんでいないんですか!?」
 焼け焦げた魔導書を見てセイははっとした。表紙に手をかけて開こうとしても開かない。セイは愕然(がくぜん)とした。
 クラウディアが言葉をセイに乗せた。
「その魔導書の力は明らかに弱まっているわ。精霊の宿る魔導書は強大な力を持っているのよ。その魔導書には、もうその力はない」
 ――ファティマはいない。
 それが事実だった。


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