蒼風石
 エムの持つロンギヌスの槍が、蒼風石を安置する透明の筒を貫くその瞬間、煌きとともに甲高い音が部屋中に響き渡った。
「妾に牙を向けるか」
 ロンギヌスの一撃を受け止めたのはファティマの持つ槍であった。その槍は燦然と太陽のように輝き、切っ先は五本に分かれていた。
「私はこの世界が好きだ。この世界を書に綴り、旅をしているうちにその想いは強くなった。私は貴女に牙を向けているわけではない、〈大きな神〉にだ!」
 そう声をあげたファティマは槍に力を込めて、エムの身体を相手の槍ごと突き放した。
 後ろに突き飛ばされたエムが止まることなく、地面を蹴り上げてファティマに飛び掛かる。それに合わせてファティマも軽やかに地面を蹴り上げ、エムの攻撃を迎え撃つ!
 ファティマとエムの激しい攻防戦が繰り広げられる中、クラウディアが静かに呪文の詠唱をはじめていた。
「風よ火よ、爆炎を巻き起こし障壁を破壊せよ――ファイアーボール!」
 紅蓮の炎が渦を巻きながらエムに向かって飛んでいく。
 エムはファティマとの戦いに集中しながらも、他に気を配ることも忘れてはいなかった。炎を見取ったエムはファティマの一撃を弾き返し、片手を槍から離して人の使えない術を放った。
「水よ唸れ呑み込め!」
 エムの手から放たれた水は渦巻く蛇と化し、巨大な口を開けて炎をひと呑みにして、地面に落ちて水飛沫を上げた。
 一瞬の隙を突き、ファティマがエムに槍を突きたてた。エムはそれを振り払おうと槍を振り上げたが、ファティマの一撃の方が早かった。
「妾を……」
 五本に分かれていた切っ先がエムの身体を貫いていた。血は出ない。そのかわりに光り輝く粉が宙を舞っていた。
 エムが月のような静かな笑みを浮かべた瞬間だった。槍で身体を射抜かれてもなお、片時も離さなかったロンギヌスの槍が離されたのだ。
 投げられたロンギヌスの槍が風を切り透明の筒を破った。筒が硝子のように弾け飛び破片が舞い、ロンギヌスの槍は蒼風石を貫いていた。
 轟々と風が唸り、蒼風石が砕け飛んだ。
 さらに強い風が巻き起こり、すでに身体を構成する物質が煌く粉となっていたエムが風に煽られ消えた。
 この場にいた者はすでに立つことさえ困難な状況に追いやられ、その中でウィンディが声を荒げた。
「みんなこの部屋を早く出るんだ!」
 破壊された蒼風石があった場所には闇色の穴が口を空け、その闇は全てを吸い込もうとしていた。出口に向かおうにも闇色の穴に引きずられて、地面にへばり付いているのがやっとだった。
 爆風の中でファティマが声をあげた。
「私が一時的に〈混沌〉を封じるから、その隙に出口に走れ!」
 蒼風石が破壊されて現れた穴は〈混沌〉と呼ばれるものであった。
 ファティマの持つ槍の穂先が激しく輝きはじめる。そして、その穂先に大人が手を広げても抱きかかえられないほどの大きさの光の玉が現れた。
 槍でバッドのスイングでもするようにファティマが光の玉を飛ばした。
「今だ走れ!」
 ファティマの合図で全員がいっせいに出口に向かい、光の玉は空間に開いた〈混沌〉の入り口を塞いだ。しかし、それも一瞬で、光の玉はズブズブと音を立てながら〈混沌〉に吸い込まれていく。
 四人までが部屋を抜け出したところで、光の玉を呑み込んだ〈混沌〉は再び辺りの空気を吸い込みはじめる。
 五人目のファティマが部屋の出口まで辿り着く前に身体が宙に浮いてしまい、ファティマは慌てて槍を前に突き出した。その槍の柄をセイが掴み、セイの身体をウィンディが、ウィンディをクラウディア、クラウディアをナディールが、と続いた。
 〈混沌〉が辺りのものを吸い込む力は次第に強くなっていた。ファティマの足を浮かせて、宙に真横に浮かびながら身体を激しく揺らす。揺れれば揺れるほど、その手を掴むセイの手は引きちぎられそうな痛みが走った。セイはファティマの身体を引き上げる力はなく、ファティマの手をやっとの思いで掴んでいた。
 セイの後の三人が力を込めて、セイの身体を後ろに引く。
 ゆっくりとゆっくりとファティマの身体は部屋の出口へと引き寄せられ、やっとの思いでファティマは部屋の外まで引っ張られ、そこでファティマは瞬時に部屋の扉を閉めた。
「これで安心だ。あの部屋に張られている結界で〈混沌〉も外に出れまい」
 〈混沌〉に対しての不安はなくなったとファティマは語るが、別の不安についてナディールが語った。
「ですが、蒼風石は壊され、ラピュータはやがて地に堕ちます」
「俺が思うにだな。蒼風石から送られていたエネルギーの貯蓄が尽きるのは、ざっと一時間から二時間ってところだな」
 ウィンディがそう説明すると、残りの者たちは沈黙して頭を抱えた。
 ラピュータの落下は緩やかなものではなく、急落下だ。ラピュータを宙に浮かせていた蒼風石のエネルギーはある程度の貯蓄がある。そのため、すぐに落下ということはないのだが、貯蓄されていたエネルギーが尽きた時、ラピュータは急落下をはじめる。
 しばらくしてナディールが口を開いた。
「国中の人々にラピュータから脱出するように、宮殿内にある管理室から呼びかけましょう」
 その意見に一同は頷いて、隠し通路の中を走り出した。
 しばらく走っていると前方から剣を構えた男たちが狭い廊下の中を走って来た。それを見たナディールが声をあげる。
「我が国の兵士ではありません」
 となると民間人か敵かということになるが、向かってくる男たちは明らかな殺気を示していた。
 クラウディアが呪文の詠唱をする。
「風よ、見えない鎖となりて敵を捕らえよ――エアチェーン!」
 敵の男たちの身体を見えない鎖が拘束し、身動きのできなった男たちは地面に倒れこんだ。その上をウィンディが踏んで走り、あとに続いた者たちは男たちの隙間を縫いながら足を運ばせて通過した。
 振り返って倒れた男たちを見たウィンディが呟く。
「そう言やあ、宮殿内には敵がいるんだったな」
 ウィンディの言葉を受けてナディールが頷く。
「そうですね、敵もどうにかしないといけませんね。宮殿内だけでなく、町でも戦いは続いていると思います」
 戦いを終わらせ、蒼風石が破壊されたことも告げ、ラピュータを堕ちることも告げなければならない。一分一秒も無駄にできない状態だった。
 五人は足を速め隠し通路の中を駆け抜け、曲がり道が現れると先頭を走るウィンディに、後ろを走るナディールから道順の指示が飛ぶ。
 前方に扉が見えてきた。そこでナディールがウィンディに指示を出す。
「扉を出たら廊下に出ます。すぐに右に曲がって突き当たりにまで走ってください。そこに管理室があります」
 隠し通路を抜け出し、ウィンディはすぐに右に向かって走り出した。その後をあとの者が追うのだが、セイはすでに体力の限界であった。
「僕もう駄目です、みなさん先に行ってください」
 その場に止まったセイに合わせて他の者も足を止めた。
 ファティマが槍を廊下の向こうに指し示す。
「セイのことは案ずるな。私がここに残るから、皆は先を急ぐがよい」
「では、わたくしたちは先を急ぎます」
 そう言ってナディールが頭を下げて走り出し、次にウィンディ、クラウディアと続いた。
「じゃあなセイ、後で会おうな!」
「ファティマはあたしの研究対象だからね」
 そう言ってウィンディとクラウディアはナディールの後を追って行った。
 残されたセイは膝に手を置いて肩で息をしていた。
「こっちの世界に来てだいぶ体力ついたけど、まだまだ駄目だな」
「少し休んだらすぐに後を追おう」
 今更ながらファティマの口調を聞いて、セイはまじまじとファティマの顔を見つめた。その顔つきはいつものファティマとは違う、大人びた表情だった。
「ファティマってファティマだよね。でも、いつものファティマとは違うよね、君って誰なの?」
「ふふ、私はファティマだよ。でも、君が最初に出逢ったファティマとは違う存在だ」
「意味がよくわからないんだけど?」
「私は人から〈砂漠の魔女〉と呼ばれていた魔導師だった。けれども今はこの世にはいない」
「はあ?」
 まだ理解しきれていないセイが首を傾げると、ファティマは優しく微笑んで語りはじめた。
「魔導師ファティマが私の名。そして、私が書いた魔導書〈ファティマの書〉に宿る精霊の名もファティマと言う。私は死ぬ前に自分の精神を魔導書に書き記して置いたのだよ。つまり、今ここにいる私は精霊ファティマの身体を借りて語っている亡霊のようなものということになるかな」
「精霊の方のファティマはどうなったんですか? 死んじゃったんですか?」
「いいや、死んではいない。今は私の方が外に出ているだけで、この身体の奥で眠りについているようなものだ。彼女が目覚めれば私が眠りについて、彼女が外に出ることになる。その正確な時期はわからないが、そのうち彼女は目覚めるから心配しなくても平気だよ」
「もうひとつ質問いいですか?」
「なんだね?」
「なんで魔導書に自分のことを書いたんですか?」
「それは……彼女が目覚めそうだ。すまない、この話は今度聞かせてあげよう、では――」
「あっ」
 目をつぶったファティマの身体から力がスーッと抜けていき、手に持っていた槍が消えてパッと大きな瞳を見開いた。
「あれ、ボクいつの間にこんな廊下来たんだっけ……寝ながら歩いてきたのかな?」
 どうやら魔導師ファティマが外に出ていた時の記憶はないらしい。ということは二人のファティマは記憶を共有していないのかもしれない。それにしては魔導師ファティマの方は、セイのことをよく知っていたような雰囲気だった。魔導師ファティマは精霊ファティマの記憶を共有していて、精霊ファティマの方だけが記憶を共有していないのかもしれない。
 少し休憩も取ったことだし、セイは大きく深呼吸してみんなの後を追うことにした。
「ファティマ行くよ」
「行くってどこに?」
「とにかく、廊下の向こうの部屋に行くの」
「うん、なんとなく了解!」
 二人は管理室に向かって走り出した。


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