砂の海に沈みし都

《1》

 夕刻まで走り続け、リリスの記憶を頼りに集落までやって来た。
 だが、そこは無人の集落だった。
 もはや集落とは呼べない廃墟だ。
 リリスは沈んだ地面を眺めていた。
「昔はここに小さなオアシスがあったんじゃが、枯れてしもうたようじゃ。水がなかれば生きて行けんからな、集落を捨てて移住したんじゃろう」
 水はないが建物はそのまま残っている。石造りの頑丈そうな民家などだ。
 今晩はここで夜を明かすことになる。
 水と食料は車に積んである。固形燃料もあるが、燃やす物がなく、暖を取るのが難しそうだ。あまり寒いようであれば、車の中で寝るのがいいだろう。
 トッシュは独りで空き家に入り、そこでノートパソコンを操作していた。
「このフォルダだな」
 微かな物音。
「アレンだな?」
「なんでわかったんだよ?」
「跡をつけられていたことぐらい承知だ」
「チッ」
「いっしょに見るなら手伝えよ?」
 第三の声。
「見て損はないと思うよ」
 リリスだった。
「勧められると見たくなくなる」
 そう言って帰ろうとするアレンの首根っこをリリスが掴んだ。
「見ておゆき。情報は〝失われし科学技術〟のことだよ。それもこの世界に大きな変化をもたらす物のね」
「わかったよ、見りゃいいんだろ」
 ノートパソコンの前に三人が集まった。
 読み込まれる情報。
 それは機密文書だった。
 シュラ帝國による水資源の独占。
 枯れた大地に水が豊富にあっては困る帝國が、隠し続けている〝失われし科学技術〟について。
「これはすごい!」
 誰かが声をあげた。パソコンの前にいる三人の後ろにもう一人。
 トッシュの銃口が向けられた先にいたのはワーズワースだった。
「殺るしかないな」
 本気のトッシュは引き金を引こうとした。
 ワーズワースは慌てた。
「やっぱり見ちゃ不味かったですか? 大丈夫です、僕は人畜無害なただの吟遊新人ですから。吟遊詩人っていうのは、伝承や伝説、噂話なんかを詩にして多くの人に広めるだけの存在ですから」
 まったくフォローになっていなかった。むしろ口を開いたのは逆効果だ。
 そこにセレンが飛び込んできた。
「みなさん探しましたよ。独りにしないでくださいよ、もぉ」
 これによってトッシュは銃をしまった。そして、小さく小さく囁いた。
「命が延びたな。あとできっちりと話はつけるからな」
「…………」
 ワーズワースは小さく頷いた。
 ノートパソコンを閉じたトッシュはアレンの腕を掴んだ。
「リリス殿はそこの二人と、とくにこの若造のお守りを。お前は俺様といっしょに来い、場所を変えるぞ」
 トッシュはアレンを引きずって別の民家へ移動した。
 二人っきりになったところで、再びノートパソコンを開いた。
 灼熱の砂漠の真ん中に聳え立つ鉄の要塞こそが、皇帝ルオのいるシュラ帝國のアスラ城だ。
 水が枯渇しているシュラ帝國は、各地から水を調達して成り立っている。
 記載されていた〝失われし科学技術〟は、水を生み出す装置についてだった。
 それを使えばシュラ帝國は自国で水をまかなえる筈だ。
 しかし帝國はそれをしない。
 その謎についての記載はなかった。
 機密情報が記載されているが、これは資料ではなく、メモのようであった。抜粋された内容しか書かれていないのだ。
 トッシュはほくそ笑んでいた。
「水が豊富にあれば、価値観が大きく変動するな。現在、水を取り仕切っているのは金持ちどもだ。その資産価値が失われたら、奴らの泣きっ面が見える」
 装置を起動するために必要な、二つのオーパーツの記載があった。
 遺跡を動かすために必要な、鍵の役割を果たす〈ヴォータン〉と呼ばれる槍。
 装置自体の起動に必要な、〈スイシュ〉と呼ばれる宝玉。
 二つのオーパーツは別々の場所に保存されている。
 アレンは嫌そうな顔をした。
「マジかよ、こっちのやつアスラ城にあんの?」
 〈ヴォータン〉はアスラ城のどこかにあるとだけ書かれていた。
 難攻不落のアスラ城に忍び込むなど、気が狂れたと思われる行為だ。まさに死に行くようなもの。
 しかし、この場に生きて帰った者がいた。
 〝暗黒街の一匹狼〟の懸賞金を跳ね上げた大事件。
 アスラ城に忍び込み、皇太后の寝込みを襲ったという事件だ。
「昔、俺様はあそこに忍び込んだことがある」
「マジかよ?」
「お前世間知らずだな、有名な話だと思っていたんだがな。だが二度目は無理だ」
「なんでだよ?」
「あれは酒に酔った勢いだ。酒場で飲んでてある男と賭をしたんだ」
「だったら酒飲んで、俺と賭したら行けるんじゃね?」
 それを聞いたトッシュはあきれ顔をした。
「お前がやれ」
「やだよ、俺酒飲まねえもん」
「……口が達者な奴だ。まあ、こっちのオーパーツはあとに回そう」
 もう一つはシュラ帝國とは別の場所に保管されているらしい。
 古代遺跡に〈スイシュ〉はある。
 詳しい場所や遺跡の詳細は書かれていなかった。
 その遺跡の名は――。
「俺……この場所……知ってるような気がする」
 ノア。
 アレンの記憶の奥底で何かが蘇ろうとしている。
「……やっぱ知らない。知ってるかもしれないけど、思い出せないんだ」
「思い出せ、重要なことだぞ。どこで聞いた、旅先か、書物か、どこで仕入れた情報だ?」
「だから思い出せないって言ってんだろ、せかすなよ」
「シュラ帝国に忍び込むのも骨だが、そっちは場所がわかっているんだ。いいから思い出せ」
 トッシュはアレンの頭を掴んで振った。
「お~も~い~だ~せ~」
「やめろよ、糞野郎、それ以上やったら!」
 二人に忍び寄る影。
「〈ノアの方舟〉」
 そう男はつぶやいた。
 二つの銃口を向けられたワーズワースは苦笑いを浮かべた。
「すみません、気になって気になって……あはは」
 トッシュはワーズワースに迫り、銃口を眉間に押しつけた。
「命を捨てる覚悟で来たんだろうな?」
「命は惜しいですけど、吟遊詩人としてロマンを追い求める義務もありまして……。伝説とか、伝承とか、うわさ話とか……〝失われし科学技術〟と聞くと躰がウズウズしてしまうんですよね」
「その気持ちは俺様にもわかる。トレジャーハンターとして、財宝や〝失われし科学技術〟にはロマンを感じるが、命までは捨てないぞ」
 目と鼻の先で引き金が引かれようとしている。
 ワーズワースは後退るが、銃口もいっしょについてくる。
「ちょっと待ってください! 吟遊詩人としてお役に立てる情報があるかもしれませんよ、ここで僕のこと殺しちゃっていいんですか、たぶん後悔しますよ?」
「ここでお前をやらないで後悔するよりはマシだ」
「そんな酷いですよトッシュ様。ノアですよね、ノアと言えば〈ノアの方舟〉が有名です。遥か神話の時代の伝承なので、ここで僕を殺しちゃったら、調べるの大変だと思うなぁ」
「詳しいのか?」
「まあ吟遊詩人ですから」
「うさんくさい職業だ」
「トレジャーハンターほどじゃありませんが」
 やはり引き金を引こうとトッシュがしたとき、アレンがめんどくさそうに割って入ってきた。
「殺すなら情報を聞いてからでもいいだろ?」
 やっぱり殺すのか。
 トッシュは銃を下ろした。多少は寿命が延びたらしい。
 冷や汗を拭ったワーズワースは一つ咳払いをした。
「え~っ、昔あるところにノアというオッサンがおりまして、〈ノアの方舟〉をつくって助かりました。おしまい」
「…………」
 無言でトッシュは銃口をワーズワースの口に突っ込んだ。
「あわわ……ご、ごえんなさえ……」
 必死で謝るワーズワース。
 トッシュは銃を抜いた。
「次はないぞ?」
「わかってます、今のは冗談です、次はしっかり話します」
 そして、ワーズワースは語り出した。
「遥かいにしえの時代、世界を洗い流す大洪水が起きました。その生き残りのひとりがノアという男です。〈ノアの方舟〉とは、保管計画のためにつくられた船艦の名で、洗い流された新たな世界で再び繁栄するために、生物のサンプルが乗せられたりしたらしいです。
 というのが神話の時代の嘘かホントかわからない伝承です。
 おそらく重要なのは、実在するアララトという名の古代魔導都市遺跡でしょう。そこはノアのゆかりの地らしく、方舟も近くにあるのではないかと言われています。あると言っても、伝承が嘘ではなかった場合の話ですが。そもそもアララトは伝承の時代よりも遥かに新しい都市ですから、あやかって名を付けただけというのが、研修者たちの大方の見方です」
 トッシュは頷いた。
「アララトなら聞いたことがある。過去に帝國が大規模な発掘作業をしたが、結局なにも見つからなかったらしいな」
 シュラ帝國がなにも見つけられなかった場所になにかあるというのか?
 それとも本当はなにかを発見していたが、それを隠しているとも考えられる。
「あとはリリス殿に聞けばわかるかもしれんな」
 そう言ってトッシュは銃口をワーズワースに向けた。
「ちょっとそれはないですよ。ちゃんと話じゃないですか、報酬として命くらい助けてくれても……」
 苦笑いで乗り切ろうとワーズワースはしたが、急に真面目な顔をして辺りを見回した。
「きゃーーーっ!」
 悲鳴が外から聞こえた。セレンだ。
 いち早くトッシュが民家を飛び出した。ハッとしたアレンも遅れて飛び出した。
 五メートルを超える巨大な人影。
「トッシュ、トッシュ出てこい、早くしねぇとこの尼殺すぞ!」
 土鬼の姿。
 そして、足を硬い土で固められて動けないセレンの姿。
「また……捕まっちゃいました。いつもいつもごめんなさぁ~い」
 セレンは大粒の涙を流していた。
 土鬼には銃弾などが聞かない。砂と化して物理攻撃を無効化してしまう。
 銃を抜けないトッシュ。小さな声でアレンに呼びかける。
「おい、お前の銃なら前みたいにどうにかなるんじゃないのか?」
「セレンが近すぎる。電撃があっちまで飛ぶ可能性があるから無理」
「なら俺様がどうにかしてシスターを助ける。とりあえず奴の気を引いとけ」
「気を引くならあんただろ。あの野郎はあんたにご執心なんだからな」
「わかった、俺様が気を引いてシスターから遠ざけるから、すぐに撃て」
「オッケー」
 作戦は決まった。
 トッシュが全速力で走る。
「どこへ逃げるだ?」
 やはり土鬼はトッシュを追ってきた。
 それを見計らってからアレンがセレンの元へ走る。
 セレンの目の前まで来たアレンは言われたとおり、すぐに撃った。
「トッシュ逃げろ!」
「早すぎだ、俺様まで殺す気かっ!」
 構わずアレンは〈グングニール〉を放った。
 稲妻が叫び声をあげながら宙を翔ける。
 咄嗟にトッシュは地面に伏せた。
 しかし、その行為は逆に身を危険に晒す結果になった。
 巨大な土塊の手が振り下ろされる。
「おらを昔のおらだと思うな!」
 電撃が効いていないのか!?
 トッシュは逃げる間もなく巨大な手に潰されようとしていた。
 突然、アレンが耳を塞いだ。
 トッシュやセレンはその音を聴くことができなかった。
 巨大な手が分解されトッシュに降り注ぐ大量の砂。
「うががが……合体が……おらに躰に……なにが起きた!?」
 土鬼自身も自分の身に起きたことを理解できていない。
 セレンを捕らえていた足の土塊も砂と化していた。
 この状況の手がかりはアレンだけが知っていた。
「音だ……頭の中がキーンとしやがった」
 アレンだけが感知できた音。
 砂に埋もれていたトッシュが這い出してきた。
「どうやら助かったようだな。やはり電撃が効いたのか」
 それにアレンはなにも言わなかった。
 しばらくしてワーズワースが物陰から出てきた。
「いやぁ、怖かったですね。なんですかあれ、見たこともない怖ろしい化け物でしたね」
 アレンはワーズワースに顔を向けた。
「まだ死んだわけじゃないぜ」
「え?」
 目を丸くするワーズワース。
 そう、まだ土鬼は死んだわけではない。
「おれの躰が……躰が……動かねぇ……うぉぉぉぉん!」
 あたりの地面に同化してしまって、どこにいるかわからないが、声だけが聞こえてくる。
 トッシュは服についた砂を払いながら辺りを見回した。
「うるさいが、止めの差し方がわからん以上は放置だな」
「覚えてろトッシュ……おれが必ずぶっ殺してやる……」
 トッシュは背中でその声を聞いていた。
 敵の襲撃を受けた以上、この場所はもう危ない。
 まだ敵が潜んでいる可能性もあり、そうでないとしても、土鬼から連絡がなければいつかは不審に思われるだろう。
「徹夜で走るぞ、みんな車に乗れ」
 トッシュは車に向かった。
 辺りを見回しながらセレンが気がついた。
「あれっ、リリスさんは?」
 探し回ったがリリスは見つからず、仕方がなく車で待つことにしたのだが――。
「呑気な婆さんだな、寝てやがる」
 トッシュは呆れた。
 運転席で寝ていたリリス。
 ドアはロックされ、リリスが起きなくては車に乗れない。運転もリリスでなければできない。
 アレンがドアを叩いた。
「起きろよ、勝手に寝てんじゃねえ!」
 返事はなかった。
 ワーズワースがボソッと。
「お年寄りは早寝早起きですから」
「年寄りで悪かったね」
 そう言ってリリスがドアを開けた。
「ぼ、僕は自然の摂理を言っただけです」
 ワーズワースはセレンの後ろに隠れた。
 トッシュはさっそく助手席に乗り込もうとした。
「リリス殿、悪いができるだけ遠くまで車を走らせて欲しい。今さっき敵に襲撃されたばかりで、ここも危ない」
「行き先がなきゃ自動運転はできないよ。まさか夜通し年寄りのわしに運転させる気じゃないだろうね?」
「なら安全そうな町まで行ってシスターを下ろす。それから次の目的地は言おう」
 降りるのは自分だけ――とセレンは驚いた。
「わたしひとりですか? ひとりにされたら、そんな無理ですよ。あのワーズワースさんは?」
 答えるのはワーズワースではなくトッシュ。
「こいつは俺様たちといっしょに行く。いいよな、若造?」
 プレッシャーを放ちながらに笑ったトッシュ。脅しだった。
「ぼ、僕はご一緒したく……」
 言いかけたが、腹になにか硬い物を突き付けられて、言葉を開けた。
「ご一緒させていただきます。吟遊詩人はロマンを求めてどこまでも」
 みんなと別かれることになってしまうと知ったセレンは慌てた。
「わたしも行きます!」
 ひとりでいるほうが危険だ。
 何度も何度も人質に取られ痛感した。人質に取られ周りに迷惑をかけているが、ひとりでいたらもっと人質に取られてしまう。セレンは戦う術を知らないのだから。
 トッシュは真剣な眼差しでセレンを見つめた。
「本当にいいんだな?」
「はい、なるべくご迷惑かけないようにがんばります」
「なら出発だ。リリス殿、アララトをご存じか? そこに行こうと思っている」
 そう聞いてリリスはタッチパネルを操作し出した。
「その場所なら自動運転で行けるよ」
 こうして全員車に乗り込み、新たな目的地を目指し車は走り出した。

《2》

 その都市は半分以上が砂に埋もれていた。
 古代魔導都市アララト。
 クレーターのように地面が大きくくぼんだ場所、つまり掘り起こされた場所にアララトはある。長い年月の間に砂に埋もれてしまった都市を、帝國が掘り起こしたのだ。それからまた月日が経ち、もう半分以上が砂に埋まってしまったようだ。
 セレンはそのアララトを眺めながら感嘆していた。
 そう、まるでその都市は――。
「巻き貝みたいですね」
 いくつもの巻き貝のような建物があり、都市の中心にある巨大な巻き貝は塔のように聳え立ち、その高さは六〇メートルはありそうだ。
 セレンの横ではワーズワースも瞳を輝かせていた。
「この光景を見ると、あの伝説は本当なのかもしれませんね。この都市はかつて海の上にあったそうです」
 辺りは砂漠しかないこの大地に海があったなど、だれが信じるだろうか。
 しかし、リリスは知っていた。
「そう、かつてこの都市は海の上に存在した。海上都市アララトと言えば、別名〝煌めきの
都〟と呼ばれるほど美しい場所じゃった。今は見る影も無い廃墟じゃがな」
 建物の下部分は砂に埋もれており、入り口が塞がれてしまっている。入れそうな場所は窓だが、建物の中まで砂に侵食されていないことを祈るばかりだ。
 この場に来て、アレンはまるで魂が抜けたように呆然としていた。心配になったセレンが声をかける。
「大丈夫ですかアレンさん?」
「…………」
「聞こえてますかぁ?」
「俺……あの天辺の部分、見たことあるような気がする」
 アレンが指差したのは都市の中心にある巻き貝の塔。
 ここまでやって来たが、なにか手がかりがあるわけではない。とにかく何かを探すしかない状況で、手始めに五人はその塔に向かうことにした。
 クレーターのようにくぼんでいる砂の丘は、一度滑り降りたら登るのが大変そうだ。まるで砂地獄のようである。しかし、この斜面を降りなければ、都市に行くことはできない。
 トッシュが皆の顔を見回した。
「降りるのはいいが、登ることはできないな。ロープもなにもない。こんな長いロープを調達するのも一苦労だ」
 ワーズワースが手を挙げた。
「はい、ええっと、あの浮いてる車なら大丈夫じゃないでしょうか。浮いているから斜面なんて関係ないような気がしますけど?」
「駄目じゃな」
 と否定してリリスは言葉を続ける。
「斜面が急すぎる。宙を浮いて走行していても、完全に引力を無視しておる訳ではないからの」
 なにかよい手はないのか?
 トッシュはお手上げだった。
「仕方ない、砂に埋まってるなんて予想してなかったからな。出直して準備を整えよう」
 その矢先だった。
 ふらふらとした足取りでアレンに足を踏み出し、そのまま転げ落ちていったのだ。
「あの馬鹿野郎!」
 トッシュはそう叫んでから、三人の顔を見た。
「おまえらはここで待機だ。トランシーバーで連絡する。二人はリリス殿に守ってもらえ、じゃあな!」
 トッシュも斜面を滑り降りアレンを追った。
 すぐにアレンに追いつくことができた。
「おい、勝手な行動するな!」
「…………」
 アレンは遠めをして歩き続けた。まるでトッシュの声が届いていないようだ。
「おいっ!」
「……待ってる……」
「は?」
「……楽園……俺はあの場所で……」
「頭大丈夫か?」
 アレンの足は確実に巻き貝の塔に向かっている。
 いったいアレンになにが起きているのと言うのだ?
 気配がした。
 地中からの気配にトッシュは気づいてアレンの腕を掴んだ。
 砂を舞い上げ、地中から飛び出してきた完全防備の兵士たち。防具の紋章はシュラ帝國の物だった。
 いくつもの銃口に狙われている。トッシュは銃を抜くことすらできなかった。ここで少しでもおかしな真似をすれば、躰が蜂の巣になるだろう。
 さらにこの場に現れようとしている巨人。
 砂の中から這い出して来た土鬼。
「トッシュ、トッシュ、トッシュ、トッシュ!」
「はいはいはいはい、俺様ならここにいるよ砂怪人。本当にしつこいぞおまえ」
「殺してやるーッ!」
 土鬼は両手をドリルに変形させトッシュに殴りかかってきた。
 戦う術がないトッシュは逃げることしかできなかった。
 右往左往逃げ回るトッシュに向かって、ドリルアームがロケット弾のように飛んできた。
 急いで伏せたトッシュの真上をドリルアームが掠め、兵士の躰を串刺しにした。
 混乱する兵士たち。
 危機が一転してチャンスになった。
「莫迦鬼が暴れてくれたおかげで助かったな」
 トッシュは〈レッドドラゴン〉を撃った。
 兵士の防弾ヘルメットを砕き飛ばした銃弾は、勢いを失わずに頭蓋骨を貫いた。
 兵士たちの躰はプロテクターによって守られている。ヘルメットの目元部分だけが、防弾プラスチックであり、ほかに比べれば弱い。
 しかし、そこを狙ったのはただのクセだ。
 再び〈レッドドラゴン〉が咆吼をあげ、今度は胸のプロテクターを撃ち抜いた。
 兵士たちは驚き慌てふためく。
 たかが銃弾が帝國の最新鋭のプロテクターを貫ける筈がなかった。
 〈レッドドラゴン〉が普通の銃弾を放つ銃ではなかっただけの話だ。
 この銃は〝失われし科学技術〟によるもので、トッシュが古代遺跡で見つけた物だ。銃弾は拳銃弾ではなく、先の尖ったライフル弾を使用。このライフル弾も特別製で、八〇口径という気の狂れた仕様であり、一度の装填できる球数は四発。現在の技術であれば、もっと銃を大きくしなければ銃が衝撃に耐えられないだろうし、撃った本人も腕の骨が砕けるだろう。
 ただ〝失われし科学技術〟を使っているらしいとは言え、魔導的な処理が施されているわけではないらしく、金属の製錬に〝失われし科学技術〟が使われ、ある程度の反動を抑え、銃の破損を防いでいる。そのためにはっきり言ってこれは不良品である。
 抑えきれない反動が大きすぎて、常人が撃てば骨を折るか肩が外れるか、それとも指を持って行かれるか。片手で撃つなどとんでもない。
 もしかしたら元々は、反動を抑える魔導処理が施されていたのかも知れない。それが長い年月によって消えてしまったとも考えられる。もしくは、人間用ではないのかもしれない。
 そんな化け物をトッシュは片手で使いこなしていた。
 トッシュの腕は鋼のように鍛えられているが、それだけでは化け物を手なずけることはできない。
 秘密は服の下にある。
 〈レッドドラゴン〉を握る手には、この銃と同じく遺跡で見つけたグラブがはめられ、グラブ、アーム、上半身のプロテクターとが繋がっており、衝撃を吸収すると共に筋力を増強して怪力を生み出す。
 四発の銃弾で四人の兵士を仕留めた。
 この場で待ち伏せしていた兵士の数が五人。一人は土鬼が仕留めてくれた。これで残るは土鬼のみだ。
 しかし、化け物である〈レッドドラゴン〉を持ってしても、粒子である砂にはダメージを与えられない。
 戦闘がはじまったというのにアレンは惚けている。
 頼みの綱はアレンの〈グングニール〉だと――トッシュは思っている。
「馬鹿野郎! 銃を撃てアレン!!」
 駄目だトッシュの声に反応しない。
 こうなったら仕方がない!
 アレンの懐から、トッシュは〈グングニール〉を奪おうと思い立ったとき、巨大な土塊の足が落ちてきた。
 トッシュはアレンに激突するように抱きかかえて、大きく前へ跳んだ。
 足は狙いを外れ地面を大きく揺らした。
 舞い上がる砂煙。
 アレンを庇ったままでは戦えない――と判断したトッシュは、アレンをその場に残して走り出した。
「殺せるもんなから殺してみろ!」
 挑発しながらアレンから離れるトッシュ。案の定、土鬼はトッシュを追いかけてきた。猪突猛進の相手で助かった。
 しかし、危機は遅れてやって来た。
 アレンの足下が崩れだした。おそらく先ほどの振動で、何らかの変動が起きたのだ。
 砂と共に地面に呑み込まれるアレン。
 トッシュはアレンを救うどころではなかった。
「糞ッ、こいつをどうにかしないことには……」
 アレンを助けられない。

 砂はクッションの役割を果たし、アレンを優しく受け止めた。
 地上から落ちた衝撃で、アレンは正気に戻っていた。
「どこだよここ……?」
 天井から差し込む光、砂が崩れながら滝のようにまだ落ちてきている。
 穴から見える感じだと、どうやら部屋二つの天井を破って落ちてきたらしい。ただ、ここが一階なのか、二階なにか、それとも三階なのか、建物の元の高さがわからなので検討もつかない。
 登る術がないので、あの天井の穴からは地上に出られそうもない。
「おーい!」
 大声は地下に響いただけ。助けは来ない。
「ったく、みんなどこ行っちまったんだよ」
 周りを見回すと、そこは民家の一室のようだった。
 テーブルやソファや何かの機械が置かれている。
 アレンは部屋の灯りを探した。
 それらしき壁のボタンを押してみたが、なにも起こらない。間違ったボタンを押した可能性もあるが、動力自体が失われているのだろう。
 先に進むとしても灯りは必要だ。穴まで登るとしても道具が必要だ。
 アレンは部屋を物色しはじめた。
 戸棚などを開けていく。
 この時代では見たこともない物も多いが、形は少し違えど今も残っている物も多い。
「懐中電灯みっけ」
 それは今の時代の物より小型で、少し見た目も違っていたが、電球の代わりであろうパーツと、その周りの銀色のフィルムなどの形状で判断できた。
 角の取れた長方形の本体と、腕に巻くであろうベルトで構成されている。ベルト腕に巻いて、本体のスイッチを押すと、光が腕の向いた方向を照らした。
「もしかしたらレーザーとか出るんじゃないかって、ちょっと期待してたんだけどな」
 そういう形に見えなくもない。
 光を手に入れ、さっそくアレンは先に進むことにした。
 廊下に出て、先に進み、ドアの前に立った。
 ドアにはノブはなく、大きなボタンがついていた。
 ボタンを押すが反応がない。ここも動力がなかればどうにもならないらしい。
「自動化ってこういうとき困るんだよな」
 いざというときの手動開閉装置がないか探した。
 壁に亀裂を見つけ、そこに小さなふたを見つけた。開けると中には、片手で回すハンドルが入っていた。
 アレンはオールを漕ぐようにハンドルを回す。
 すると徐々にドアがスライドして開いて、その隙間から砂が流れ込んできた。
「ヤバっ!」
 慌てて閉めようとするが砂に押されて閉まらない。
 砂はどんどん流れ込んでくる。幸い少しの隙間だったので、川の激流のように流れてくることはなかったが、それでもいつかは部屋の中まで埋まってしまいそうだ。まるで砂時計の中に閉じ込められたようだ。
 本当にこの場所がすべて埋まったとしたら、落ちてきた穴を登ることも可能だろう。だが、多くの砂が部屋に流れ込んでくると共に、それが今度は防壁の役割も果たして徐々に流れは遅くなる。そう考えてペースを予想すると、アレンの腹が持ちそうにない。
「腹減った」
 すでに空腹状態だ。
 ただの空腹だといいが、人間は水をまったく摂取しない状態で一週間前後、水さえあれば一ヶ月以上は生きられると云われている。そのころにはさすがに、砂は天井まで達していそうだ。
「腹減ったなぁ。携帯食料じゃ腹の足しにならねえっつーの」
 車での走行中、アレンは何度も人の住んでいる場所に立ち寄ろうと言ったが、全員に反対されてちょっとばかりの携帯食料で我慢していたのだ。
 アレンは元の部屋に戻って穴を見上げた。
 本来なら、この程度の高さなどアレンはジャンプで届く。だが、この部屋と同じく今のアレンには動力がなかった。
「腹が減って力が出ねえ」
 よろよろよしながらアレンはテーブルやイスを運んだ。それを積み重ねて上の階に登るつもりだった。
 瓦礫の塔を完成させて、どうにか上の部屋まではよじ登ることができた。
 問題はここから先だった。
 次の穴を抜ければ天井なのだが、穴の真下に足場はないため塔を組めないのだ。床の穴ギリギリに塔を設置した場合、それでは天井まで行けたとしても、そこから砂の高さと滑りやすさがあり、手で掴む場所もなく登れない。
 下のフロアから塔を増設しても、バランスが悪くてこれ以上は崩れそうだ。
 アレンが為す術もなく穴を眺めていると、逆光を浴びた人の顔が覗いてきた。
「お助けして、あげんしょうか?」
 紅を差した唇が艶やかに笑っていた。

《3》

 銃声がここまで響いてきた。
 この場で待つように言われていたセレンは居ても立っても居られない。
「今の銃声ですよね?」
 顔を見られたワーズワースとリリスは冷静だった。
「銃声なら敵と遭遇したってことだよね。だとするとここも危ないんじゃないかな」
「そうじゃな、他人の心配より自分の心配をしたほうがいいよお嬢ちゃん」
 二人とも雑談のような落ち着いた口ぶりだった。
 慌てているのはセレンだけ。
「ええっと、そうだ、トランシーバーで連絡します!」
 セレンはトランシーバーを使おうとしたが――。
「これどうやって使うんですか?」
 使い方がわからなかった。一昨日トッシュに教えてもらったばかりなのに。
 ワーズワースがトランシーバーを優しく奪った。
「僕がやるよ」
 周波数などはすでに設定してあるので、ボタンを押しながらしゃべるだけだった。
「こちらシスターとゆかいな仲間たちです、どうぞ」
 ザ、ザザザザザ……。
《こっちは取り込み中だ! あとにしろ!!》
 トッシュの怒鳴り声はトランシーバーの外に大きく漏れてきた。
 構わずワーズワースはしゃべる。
「敵と交戦中っぽいけど、どのだれとやり合ってるの?」
《帝國だ、帝國に待ち伏せされてた!》
「帝國に追われてるって話は僕聞いてないんですけど。まさか昨日の怪物も帝國の差し金だったりして?」
《そうだ、その昨日の奴と殺り合ってる最中だ!》
「げっ。やっぱりこっちも危ない感じだねぇ。こうなったら登ることはあとで考えるとして、そっちと合流しっちゃったほうがいいんじゃないかな?」
《もう黙ってろ!》
「まだ話の途中なんですけどー?」
 返事がない。
 最悪、やられた可能性もあるが、きっとシカトしているだけだろう。
 ワーズワースは二人と顔を見合わせた。
「どうしますお嬢さん方?」
 尋ねられても困るという表情をしたセレン。
 一方、リリスは遠くを眺めていた。
「ヘリがこちらに向かっておるな」
 まだ豆粒くらいだったそれが、だんだんとヘリコプターの全容を模っていく。
 シュラ帝國の軍事ヘリだ。どうやら戦闘用ではなく、輸送用らしい。とは言っても最低限の装備はついている。
 すでにリリスは車に乗り込もうとしていた。
「一先ず逃げるぞ。早う乗れ」
 エンジンが掛かった。
 立ち尽くしているセレンの腕をワーズワースが引いた。
「行くよセレンちゃん」
「あ、はい!」
 二人も車に乗り込み、アクセルが底の抜けるほど踏まれた。
 逃げる先は斜面の下――アララトへ!
「お婆ちゃんそっちじゃないよね!?」
 ワーズワースが叫んだ。
 それを無視して車は斜面を滑り落ちた。
 降りてきたのはいいが、アレンやトッシュの居場所がわからなかった。
 セレンはトランシーバーを手に取った。使い方はさっき見た。
「トッシュさん聞こえますか! 帝國の支援部隊が来たので、車ごと下に降りて来ちゃいました」
 応答はない。
 セレンの心配が募る。
「トッシュさん……大丈夫でしょうか?」
《大丈夫に決まってるだろう!》
 ボタンを押したままで通信が繋がっていたらしい。
 向う側からトッシュの荒い息づかいが聞こえる。まだ交戦中らしい。
《砂野郎、逃げても逃げても追って来やがる。物理攻撃は効かんし、どうしようもならん。おっ、今車が隣の道通りすぎるの見えたぞ!》
「本当ですか!? 今の道戻ってくださいリリスさん」
 セレンが運転席のリリスに指示を出した。
 すぐに車は急激なU字カーブをして、車内がGによって引っ張られる。
「きゃっ」
 後部座席のセレンは短く悲鳴を上げて、ワーズワースに抱きついてしまった。
「きゃっ」
 また悲鳴をあげてすぐにセレンはワーズワーズから離れた。
 少し頬を紅くするセレン。
 ワーズワースはにっこり笑っていた。そんな顔をされると余計に恥ずかしい。
 車の前方に人影が見えてきた。
 リリスは助手席まで躰を伸ばしてなにかをしようとしている。
 驚くワーズワース。
「お婆ちゃんなにしてるですか、ちゃんと運転してください!」
「なぁに、ちゃんと走っておるよ」
 リリスは呑気に言いながら、助手席のドアを開けていた。
 車はトッシュの真横を駆け抜けようとしていた。
 まさか!?
 外に伸ばされたリリスの手。
「さあ、掴みな」
 その手を掴んだトッシュが車に飛び込んだ。
 老婆とは思えない怪力でトッシュが車内に引き上げられる。
「うおっ!」
 トッシュは思わず声をあげた。
 砂がトッシュの足首に巻き付いた。
 土鬼の執念がトッシュの足首を捕らえたのだ。
 綱引きの縄のようにトッシュは両方から引っ張られた。
「ぐあっ、躰が千切れる!」
 足首に巻き付いている土縄は地面にしっかりと根を下ろしている。一方リリスの支えは片手で握っているハンドルのみ。リリスごと外に放り出されるのも時間の問題に見えた。
 車内が魔気に満ちた。
 トッシュの手を握る枯れた手が潤いに満ちていく。
 その姿を見たワーズワースは己の目を疑った。
「美しい」
 枯れ木のような老婆が美しい華に変化したのだ。
 そして、セレンもまたその姿をはじめて見て言葉を失った。
 妖女リリス。
 次の瞬間、土縄が限界までピンの張られ、急停止させられた車が激しく揺れた。
「くっ」
 歯を食いしばるトッシュ。肩が抜けたのだ。
 その衝撃を受けてもリリスは艶やかに微笑み、ハンドルも破損せずに耐えた。
 だが、驚くべきことが起きた。
 急停止したのは一瞬で、車ごと振り子のように振られたのだ。
 宙を飛ぶ車がさらに宙を飛んだ。
 まるでそれはハンマー投げだ。
 しかし、車は投げられることなく渦巻き貝の建物に叩きつけられたのだ!
 爆発した民家が破片を飛び散らせる!
 車は! 四人は無事なのか!
 崩れた民家に沈むように刺さっている車。
 そこにトッシュとリリスの姿はない。彼らは未だ土縄に繋がれ宙を振り回されていた。
 顔を傷だらけにしたトッシュ。
「今ので何本か骨が逝った……にも関わらず、リリス殿は……」
 顔にひとつも傷がない。傷などある筈がないのだ。こんな美しい顔に傷などある筈がない。すべての衝撃が物理法則を無視して、妖女リリスを避けたのだ。
 目の前でリリスを見つめてしまったトッシュは、今にも気を失いそうだった。
 人間ハンマーはまたも建物に叩きつけられようとしていた。
 リリスはトッシュの躰をよじ登った。
 密着する男と女の躰。
 魔気に当てられたトッシュはここが限界だった。意識が途切れた。
 リリスは構わず大柄な体躯を昇り、足首に巻き付いた土縄を掴んだ。
 土縄が溶ける。
「「ぐあああぁぁぁっ!」」
 至る所から土鬼の叫びが木霊した。
 土縄が途切れると同時に、解放されたトッシュの躰が天空に放り出された。
 魔鳥の翼のようにリリスの長い黒髪が靡いた。
 トッシュを胸の前で抱きかかえたリリスは舞い降りてくる。
 そして、羽毛のように地に降り立った。砂一つ舞い上がらない。
 リリスはトッシュを地面に寝かせ、広大な砂地に向かって微笑んだ。
「さあ、どこからでも掛かってお出で……坊や」
 マシンガンのように土弾が連射させた。
 リリスは避けようともしない。その必要がないのだ。
 土弾はリリスに触れることも敵わず、見えない壁に当たって溶けて消える。
「うぉぉぉっ、おらの攻撃が、なぜ効かねえ!」
「所詮、汝はアーティファクトに過ぎぬと言うことじゃ。一見して砂粒に見えるが、実際はその一つ一つが高性能のナノマシン。厄介と言えば厄介じゃが……」
 四方から現れた砂のカーテンがリリスを包み込んだ。
 土で固めて窒素させる気だ!
 それも触れることができたらの話。
 土のカーテンが溶けて流れる。
 何事もなかったようにリリスは微笑んでいた。
「ナノマシンが失われるたびに、汝の力は減退していく」
 リリスの視線の先で土鬼が人型を模った。以前は五メートルはあった身長も、今では一メートルほどしかない。広がる砂の大地は無限に思えても、土鬼の本体は限られているのだ。
「ぶっ殺してやる! おらは強い、負けねえ!」
「そう……己の能力をもっと匠に使いこなせたら、強くなれたじゃろうな。それでも妾には勝てんが」
 土鬼は致命的なミスを犯していた。
 妖しく輝くリリスの瞳は〝すべての土鬼〟を捉えている。
 今、土鬼は一箇所に集まっていた――人型として。
「お眠り……そして、決して覚めない悪夢の中で生き続けるがよい」
 リリスの躰から墨汁のような色をした何が噴出した。それがなにかはわからない。まるで生き物のように、例えるなら蛸のように、すべての触手を使って土鬼を丸呑みした。
「グギャアアアアァァァァッ!!」
 躰が溶かされる絶叫。
 創造主は土鬼に感覚の一つとして痛みを与えた。それがなければ、こんなにも苦しまずに済んだものを――。
 茶色い塊が地面に広がった。
 土鬼は滅びたのか?
 いや、リリスは悪夢を与えると言ったのだ。
 一粒のナノマシンが風に吹かれて砂と共に舞い上がった。

 火鬼は着物の帯を解き、それを穴の下に垂らした。
「ほうれ、これに捕まるでありんす」
「断る!」
 アレンは力強く言い放った。
 相手は敵だ。どんな企みがあるかわからない。
 拒否された火鬼は嫌な顔一つせず、逆に躰を火照らせて艶笑を浮かべた。
「嗚呼っん、つれないおひと」
 刹那、帯が生き物ようにしてアレンの胴に巻き付いた。
「やめろっ!」
「もう……放さないよ糞餓鬼!」
 口調が急に変わった火鬼は夜叉の表情をして帯を手繰った。
 アレンの躰が宙に浮く。
 そのまま穴を抜けて空高く引き上げられ、急に帯がほどけた。
 天高く放り出されたアレン!
 どこかで〈歯車〉の音がしたような気がした。
 空中でバランスを整えたアレンが地面に足から激突した。
 舞い上がる砂煙。
「てめえなにしやがる!」
 地面に片手をついているアレンは火鬼を睨みつけた。
「おほほほほほっ、愉快愉快。まるで小猿の曲芸のようでありんす。さあさあ、もっと遊んでくんなまし」
 敵を目の前にして火鬼は軽やかに舞い踊った。隙を見せているように見えるが、その舞いに隙はない。この舞いは武芸の一つであり、攻防の型なのだ。
 アレンは片手を地に付けたまま動けない。
「腹減ったぁ」
 このままではろくに戦えない。
 火鬼は鉄扇を構えた。
「そちらから来ないのなら、こちらから行くでありんす」
 鉄扇が風を切ったと同時に炎が起きた。
 炎舞だ。
 舞うと同時に炎の帯がアレンに襲い来る。
 アレンには避ける体力も残されていなかった。
 だが、炎はアレンを掠め飛んでいく。
 次々と放たれる炎はすべてアレンを掠めて後方に飛んでいくのだ。
「ほうれ、ほうれ、炎が怖くて一歩も動けないでありんすか?」
「いや……腹が減って動けない」
「おほほほほっ、おつな冗談を。けれど逃げ惑ってくりんせんと、つまらないでありんす」
「無理……腹が減ってて逃げるとか無理。もういいよ、早く殺せよ」
「依頼主から生け捕りにせよと言われてるでありんす」
 それは良いことを聞いたとアレンは笑った。
「わかった。なら抵抗しないから早く捕まえろよ。で、捕虜に飯喰わせろ」
「はい?」
「だから早く捕まえてくれって言ってんの」
「なら……死なない程度に痛めつけて捕まえてやるよ!」
 狂気を浮かべた火鬼が鉄扇を振るおうとしたとき、その場に帝國のジープが乗り付けた。
「はい、そこまでよ!」
 ジープから降りてきたライザはアレンと火鬼の間に割って入った。
 ライザは愛しい恋人にするように、繊手でアレンの頬を撫でた。
「どうしたの坊や、今日は元気がないわね」
「腹減ってんだよ。なんか喰わしてくれんなら大人しく捕虜になるけど?」
「ならまず銃を渡してくれるかしら?」
 アレンは懐から〈グングニール〉を素早く抜き、銃口をライザの眉間に突き付けた。
 驚きもせず、怯えることもなく、ライザは微笑んでいた。
「どちらが早いかしら?」
 ライザもまた、〈ピナカ〉をアレンの腹に押し当てていた。
 もしアレンのほうが早く引き金を引いたとしても、周りにいる火鬼や兵士たちが黙ってはいないだろう。
 一矢を報いるつもりなどアレンにはなかった。
「じゃあ、これ飯代ってことで」
 アレンは銃を指先で回して、グリップをライザに向けた。
 〈グングニール〉を受け取ったライザはアレンに背を向けて歩き出した。
「食事はヘリの中でしましょう。アタクシといっしょに」
 アレンが兵士に拘束され連行させる。
 その姿を見ながら書きは不満そうな顔をしていた。
「せっかくここまで出向いたってのに、嗚呼つまらないつまらない」
 その声を聴いたのか、ライザが振り返った。
「アナタの仕事はまだあるわよ。トッシュたちがまだどこかにいるわ」
「それなら土鬼がどうにかしてるでありんす」
 このとき、すでに土鬼はリリスにやられたあとだった。まだその事実を火鬼たちは知らなかった。

《4》

 呆れた顔でライザは目の前のアレンを見つめていた。
「本当によく食べるわね。胃の許容量を完全に超えていると思うのだけれど?」
 もともと日数をかける作戦ではなかったため、食料はあまり積んでこなかったが、そのすべてがこの小柄な〝少年〟に食い尽くされそうだ。
 兵士がそっとライザに耳打ちする。
「もう非常食量までなくなりそうなのですが……?」
「いいわ、全部出しちゃいなさいよ。今日中には城へ帰れるように、さっさと仕事を片付けましょう」
 そして、ついにアレンはすべての食料を腹に収めた。
「喰った喰った……次は昼寝でもするか」
「させないわよ」
 間髪入れずライザは言った。
 二人が向かい合って座るテーブルの上が片付けられる。
 アレンには常に銃口が向けられている。まるで尋問室だ。
 頬杖を突いたライザが身を乗り出してきた。
「では話を聞かせてもらいましょうか?」
「べつに話すことなんてないけど?」
「そちらから話さなくても、質問に答えてくれればいいわ」
「嫌だと言ったら?」
 アレンの頭に左右からライフルの銃口が突き付けられた。それがライザからの答えだ。
 動じないアレンを見るライザは楽しそうだった。
「銃を離しなさい。この子に脅しは無意味よ」
 頭から銃が離されたが、銃口は狙いを放さず指は引き金に掛かったまま。
 ライザは椅子に深く腰掛けた。
「まずアナタたちの目的から伺おうかしら」
「なんか俺もよくわかんないんだよね。トッシュに聞けば?」
「彼は捜索中、そのうち見つかるんじゃないかしら。それまでの間は、アタクシとアナタでお話ししましょう」
「ならそっちが話しなよ」
「そう、なら話そうかしらね」
 一息ついてライザは仕切り直し、話をはじめることにした。
「古代都市アララトの発掘調査を帝國が行ったのは、先代の皇帝の時代、アタクシがやってくる前の話よ。調査では数々の〝失われし科学技術〟が見つかったけれど、多くはすでにその場から持ち去られていたらしく、これと言った発見はなかったらしいわ。それでもずいぶんと帝國の役にはたったみたいだけれど。だからここには何も残っていない筈……なのにどうしてアナタはやって来たのかしらねぇ?」
「なにかあるから来たんじゃねえの?」
「人事みたいに言うのね。アタクシはアタクシなりに過去の資料を調べてみたのよ、それで見つけたわ〈スイシュ〉というオーパーツを」
「知ってるなら聞くなよ」
 ライザは微笑んだ。相手に目的を認めさせたのだ。
 さらにライザは話を続ける。
「帝國は結局〈スイシュ〉を見つけられなかったわ。もしかしたらここにないのかもしれないわね。アタクシはこの手で〈スイシュ〉を研究してみたいわ。手がかりがあるなら教えて頂戴。教えてくれなくても良いわ、アナタたちが見つけて来てくれれば」
「俺らが先に見つけてあんたに渡すと思ってんの?」
「それは力尽くで奪えばいいわ」
「言うねぇ~」
 たとえライザは科学者としての興味であっても、帝國の手に渡ることには変わりない。帝國は水を生み出す装置をなにに使うだろうか?
 ライザは席を立った。
「食後の散歩なんてどうかしら?」
「めんどくさい」
「そう言わないで、少し付き合ってくれないかしら?」
「はいはい、わかりました」
 アレンは銃で小突かれ、仕方なく席を立った。
 数人の兵士を引き連れてヘリの外に出る。そこからジープに乗り変えて都市の中心――巻き貝の塔へ。
 色褪せた塔の内部。
 外観と同様、装飾の数々は海を思わせ、かつての美しさの片鱗が感じられる。
 そこからさらに奥へと入っていくと、一変して金属的な作りになっていく。
「エレベーターは動かないから非常階段から降りましょう」
 先頭を切って歩くエルザが非常階段を降りはじめた。
 長い長い螺旋階段だ。
 途中にフロアへ出る扉などはなく、渦巻きがずっと底まで続いている。
 五分ほどかけて階段を下り、やって来た部屋はコンピュータールームだった。
 巨大なスクリーンや機器類は部品が外され、分解されて持ち去られてしまったのだろう。動力があったとしても、もうここは使い物にはならない。
 部屋の中心でライザが立ち止まった。
「ここから先がわからないのよね。調査によると、この下まで建物が続いているのだけれど、入り口がないのよ。構造上、あるとしたらこの部屋なのだけれど、それらしい物はない。どう、アナタなら探し出せるかしら?」
 顔を向けられたアレン。
「なんで俺なんだよ?」
「アナタならもしかしてって思っただけよ」
「俺にできるわけねえじゃん。こんなとこ来たこともねえし」
「それならそれでもいいわ。なにか手がかりがないか、アナタも探してくれないかしら?」
 アレンはその場を一歩も動かない。なにかを探す動作もしない。決して銃を突き付けられているからではない。動けない理由があるのだ。
 それをライザは言い当てた。
「嘘が下手なようね。アナタは入り口を探すことができない。だって探すフリになってしまうのだものね」
「はぁ? なに言ってんのアンタ?」
「惚けるのも下手ね。さあ、入り口を開けて頂戴。アナタは知っているはずよ」
「あんたの言ってること意味わかんねえよ」
 アレンはライザから目を背けた。
 この遺跡に来たときからアレンの様子は変だった。
 ――俺……あの天辺の部分、見たことあるような気がする。
 それはいつ、どのような状況で見た光景だったのか?
 本、写真、映像、幻、夢の中……それとも実際にその目で見た光景だったのか。
 ライザはなにを知っている?
「〈ノアの方舟〉」
 と、ライザは囁いた。
 アレンは顔色一つ変えなかった。
 さらにライザは付け加えた。
「〈ノアの方舟〉と呼ばれる施設がこの地下には存在している。なにか思い出したかしら?」
「いや、ぜんぜん」
「あらん、最後までアタクシに言わせる気かしら。人払いをして置こうかしらね、さっ、アナタたちこの部屋から出てってくれるかしら」
 ライザを兵士たちを下がらせた。
 二人っきりなり、アレンが逃げるのも今がチャンスかもしれない。
 〈ピナカ〉の銃口はアレンを狙っている。
 一発目さえ防げれば、あとはアレンの駆動力で乗り切れるかもしれない。
 しかし、アレンは何も事を起こさなかった。
「最後までって言ってたけどさ、なに言うつもりなんだよ?」
「それはアナタ次第ね」
「俺次第って言われても、なんもしんねえし」
「〈ノアの方舟〉は言わば隔離施設だった。すべては秘密裏に、アララトの研究者たちもほとんど知らなかったわ。アタクシもその存在に気づけなかった、今もその真の目的がわからないわ。ただ一つはっきりしていることは……そう、〈ノアの方舟〉はアナタが過ごした施設ってこと」
「ふ~ん」
 鼻を鳴らしただけのアレン。人を喰った態度だ。
 ライザは黙ったままアレンを見つめた。相手が口を開くまで待つつもりだ。
 沈黙の中、時間が過ぎ去っていく。
 こういう間にアレンは弱かった。
「話すよ、話せばいいんだろ。実はさ、記憶が曖昧なんだよ。ホント断片的にしかここのこと思い出せなくてさ、それもさっきやっと思い出したって感じで。入り口なら知ってるよ、たぶんだけどな」
「記憶が……そう……とにかく早く開けてもらおうじゃない。アナタの楽園への入り口を」
「はいはい」
 アレンは迷うことなく壁にある隠しパネルを見つけ、そこに両手を押し当てた。
《認証が完了しました》
 床からエレベーターがせり上がってきた。動力が生きていたのだ。
 エレベーターに乗り込んだ二人。
 問題なく稼働したエレベーターは、扉が閉まると同時に自動的に下へと向かった。
 ほどなくして止まり、扉が開かれた。
 なぜライザは楽園と称したのか、その答えは広がる光景にあった。
 地下施設にも関わらず、ここは人工太陽に照らされ、大地が広がり草木が育っている。ここにあるのは植物だけではなかった。動物の群れが遠くに見える――あれは羊だろうか、砂漠には珍しい長い毛に覆われた動物だ。
 ほかにも多くの動物たちと、鳥たち、昆虫や、流れる川には魚たちもいた。
 地下とは思えない広大な施設。
 どれだけ長い年月、幾星霜の年月をこの動植物たちはここで過ごしてきたのだろうか。
 ライザはこの世界を見回しながら言った。
「どう、ふるさとに帰ってきた気分は?」
「さあね、あんま覚えてねえし」
「そう、じゃあ感慨にふける必要はないわね。さっそく〈スイシュ〉を探しましょうか?」
「それはいいんだけどさ……一段落ついたから聞くけど――」
 アレンの瞳がライザを射貫いた。
 そして、こう言ったのだ。
「あんただれ?」

 ――数時間前のこと。
 玉座に座るルオの前に、ある女が姿を現した。
「どうしたライザ?」
 〝ライオンヘア〟は毛羽立って乱れ、後頭部を押さえて苦しそうな顔をしているライザ。
「何者かに襲われて、今までバスルームに監禁されていたのよ。この城の内部に敵が侵入していることは間違いないわ」
「ほう、客人とは珍しい。ほかに情報はあるかい?」
「鬼兵団との連絡がつかないわ。それと〝アタクシ〟がある場所に、兵を引き連れて向かったらしいわ」
「君が?」
「ええ、ここにいるのに」
「なかなか面白い話だ。どこに向かったかわかるかい?」
「それはすでに調べがついているのだけれど、問題は派遣された部隊とも連絡がつかないことだわ」
「ますます面白い」
 この状況を楽しむルオ。
 笑いながらルオは頬杖をついた。
「このまたとない面白い状況を愉しむには、ここに残るべきか、その場所とやらに行ってみるか」
「敵がまだ城の内部にいる可能性は十分あるわ。貴方には城を守る義務があるのではなくて?」
「それがつまらない、じつにつまらない。朕は城の中で退屈なのだ」
「わかりましたわ。ルオ様不在の指揮はアタクシが執りましょう」
「しかし、君の方が偽物だったらどうする?」
 それこそが敵の作戦かもしれないと考えるのは当然。ルオを厄介払いできれば、城を落とすのも容易くなるだろう。ルオはシュラ帝國の絶対者なのだから。
 ライザは頷いた。
「その可能性は十分に考慮するべきだわ。少なくともアタクシが二人は存在している以上、偽者が必ずいるということなのだから」
「君が本物だと証明できるかい?」
「それは難しいわ。偽者がどの程度アタクシを再現しているかわからないもの。DNA検査をするにしても、時間が掛かるわ」
「つまり君も信用できないわけだ」
「そういうことになりますわね」
 あっさりと認めた。
 ここにいるライザは本物か偽物か?
 一人の偽者がいるとしてら、二人目がいる可能性もある。
 ライザの偽者がいるのなら、ほかの者の偽者もいる可能性がある。
 疑えば切りがなくなる。
 ルオが玉座から立ち上がった。
「ならば二人でその場所に行くとするか」
「それでは侵入している敵に、どうぞ自由にしてください、と言っているようなものですわ」
「簡単に墜ちる城など敵にくれてやるよ」
「うふふふっ、貴方らしいお言葉ですわ」
 こうして二人を乗せた帝國の誇る空飛ぶ要塞――巨大飛空挺〈キュクロプス〉がアスラ城を飛び立った。

 大事故から生還した二人は、呆然としながら壁にもたれて座っていた。
 天地がひっくり返り、大地震が起きたような気がした。そのあとの記憶はあまり覚えていない。セレンはまだ少し痛むおでこを押さえた。
「死ぬかと思いました。もしかしたら死んでいるのかもしれません」
「だったら僕も死んでることになっちゃうけど」
 横に座るワーズワースは側頭部を押さえていた。
 燦々と照り輝く日差しを避け、日陰で休んでどれくらいが経っただろうか?
 気を失っているトッシュはまだ目を覚まさない。
 リリスは死んだように目を閉じて、壁にもたれて座っている。
 唾を飲み込んだワーズワースが恐る恐るリリスの顔を覗き込む。
「お婆ちゃん死んでませんよねー?」
「おぬしらが死んでもわしは死なんよ」
「わっ、生きてたのか!?」
 驚いたワーズワースは再びぐったりして壁にもたれた。
 少し時間が流れ、セレンが口を開く。
「あのぉ、やっぱりアレンさんを探しに行ったほうが?」
 すぐにリリスが反論する。
「こやつをどうする?」
 トッシュのことだ。
 じつはさっきも似たような話をしたばかりだ。
 場所を移動するなら、この大柄で重そうなトッシュを誰が運ぶか?
 小柄な少女のセレンには無理だろう。
 ワーズワースも細身で筋力も体力もあるとは思えない。
 二人の前で怪力を見せつけたリリスだが、このお婆さんに運んでくれと、セレンもワーズワースもなんとなく言い出しづらかった。
 何かが起こらない限り、この場でこうして過ごしそうだ。
「わたしのどが渇いてしまったんですが……」
 申し訳なさそうにセレンが言った。
「あ、僕はトイレに行きたくなっちゃいました」
 立ち上がったワーズワースは小走りで姿を消した。
 リリスはセレンに顔を向けた。
「車から取ってくればあるよ」
「……さっき出すべきでしたね。あの、いっしょに……」
「こやつはどうする?」
「……そうですよね、我慢します」
 乾燥した暑さは口から水分を奪う。
 セレンの唇はもうガサガサだ。
 そんな唇にそっと指で触れたセレンは、急に沸騰しそうなほど顔を赤くした。
 指で触れると、あのときの事故が思い出される。
 車が大回転しながら建物に突っ込んだとき、セレンは思わずワーズワースに抱きついてしまい、その拍子に……。
 顔を赤くしたセレンを妖しく微笑みながらリリスが見つめた。
「暑さにやられたのかい?」
「いえっ、べつに!」
 なぜリリスは笑っているのだろうか?
 たぶん見られていないはずなのに……。
 セレンはさらに顔を赤くした。
 あの出来事は自分の胸にしまって置こうとセレンは誓った。
 けれど、ワーズワースもそうしてくれるだろうか。
 心配のせいかわからないが、セレンは胸が苦しくなった。
 悶々としているセレンに構わず、リリスはあの時の遠い空を眺めていた。
「またお客さんじゃな。今度のはおっきいよ」
 ハッとしてセレンも我に返り、上空に目をやった。
 瞳を丸くしたセレン。
「あれは……」
 雲一つない広大な空を我が物顔で飛行する〈キュクロプス〉がいた。
 この状況で、リリスはじつに愉しそうに笑っていた。
「あれが現れたということは、皇帝自らお出ましと言うことじゃろうな」
「そんな、なんで……」
 そして、このタイミングでトッシュは目覚めようとしていた。
「……あ~っ……糞熱い……」
 目覚めたトッシュの瞳に真っ先に映った物体。
「〈キュクロプス〉かッ!!」
 眠気を引きずることなくトッシュは飛び起きた。
 さらにトッシュは辺りを見回して、ほかの自体にも気づいた。
「アレンはどうした!? あの若造もいないぞ?」
 まずセレンが答える。
「アレンさんはわかりません」
 次にリリスが答える。
「若造なら便所に行ったよ。帰ってこない様子を見ると、迷ったか大便でもしとるんじゃろう」
 〈キュクロプス〉の登場にトッシュは頭を抱えた。
「とにかく便所に行った大便野郎を待って、そのあとアレンを探しに行く。もしかしたらあの場所にまだいるかもしれん」
 と、そのとき、この場に人が近寄ってきた気配がした。
 セレンが振り返った。
「お帰りなさ……ッ!?」
 現れたのは紅く艶やかな花魁衣装の女だった。

 つづく



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