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■ サイトトップ > ノベル > 魔導装甲アレン > 第2章 黄昏の帝國(4) | ノベルトップ |
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アレンの目の前でライザの形が変わっていく。 漆黒の不気味な仮面。 「だれだよあんた?」 「隠形鬼……ト名乗ッテ置コウ」 姿を現したのは隠形鬼だった。 ライザとは似ても似つかない姿。変装というレベルではなかった。声、姿、思考までもライザをコピーしていた。 「オンギョウ〝キ〟ってことは鬼兵団かよ?」 「ソウイウ事ニナル」 「俺をどうするつもり?」 「未ダ解ラナイ。くらいあんとノ依頼デハ、生ケ捕リニシロト命ジラレテイル」 命令があるにも関わらず、まだ解らないとはどういうことだ? 「少シ御喋リガ過ギタカラ、偽者ダト気ヅイテイタノカ?」 「いんや、はじめから気づいてたけど?」 「流石ダナあれん」 〝流石だな〟という言葉は、比較対象があっての言葉だ。アレンの情報は収集済みということだろうか。 「ところでさ、あんたここのことどうやって知ったわけ?」 「フフフッ」 不気味な笑いだった。仮面で何を考えているのか、表情からではわからない。 「なんだよ、なにがおかしいんだよ」 「其レヲ答エル義務ハ無イ。今ハ〈すいしゅ〉ヲ探ストシヨウ」 「俺といっしょに探す気かよ?」 「此処デハ御前ガ頼リダ」 「頼られてもなぁ。記憶が曖昧だし、たぶんそういうの知らずに暮らしてたし」 少しずつ蘇ってくる断片的な記憶。 ここでの生活は穏やかなものだった。 気候は常に安定しており、食べる物にも困らなかった。 アレンがまず向かったのは小屋だった。この家でアレンは暮らしていたのだが、今に思えば不思議な家だ。 《お帰りなさいアレン》 中に入ると声がした。 外観も内装も木や石など自然の素材で造られているが、置かれている物の中には〝失われし科学技術〟の品々も多い。台所などはなく、冷蔵庫などもない。食べ物は時間になると箱の中に置いてあった。 「なんで俺こんなとこにいたんだろうな?」 その問に答える者はいなかった。 謎の包まれた生活。 なんらかの研究目的だったのだろうか? それとも保護されていたのだろうか? アレンは必死になって思い出そうとした。 「疑問も抱かず、ただ生きていただけだった。同じような日々の繰り返し……それが終わったのは……思いだせねえ」 アレンは頭を抱えて蹲ってしまった。 「第五次世界大戦ガ起キタノガ、丁度一〇〇〇年前ノ話ダ。其ノ戦イニヨッテ此ノ都市モ滅ビノ道ヲ歩ンダ。アノ戦イデ滅ビタノハ此ノ都市ダケデハナイ。世界モ文明モ一度ハ滅ビタ。砂漠化ガ急激ニ始マッタノハ、アノ戦争ノセイダト云ウノガ通説ダナ、フフフフッ」 「詳しいな、あんた」 「砂漠化ト言エバ、其ノ要因ヲ魔導炉ノセイダト騒ギ立テテイル奴ラモ居ルナ。特ニじーどト名乗ル過激組織ハ、帝國ノ魔導炉ヲ破壊シタソウダ。ソノ報イヲ受ケテ、我ラガ帝國ニ代ワッテ制裁ヲ下シタ訳ダガ」 「俺を挑発してんの?」 「否、世間話ダ」 「惨い殺され方だったけど、俺が敵討ちをする話じゃない。挑発しても意味ないぜ」 お互いの間にまだ殺気はない。隙さえあれば仕掛けるという雰囲気もなかった。 家の中を探してみたが、〈スイシュ〉らしい物はなく、そのヒントも見つからなかった。 「あんた〈スイシュ〉がありそうな場所知らないの?」 「知ラナイナ」 「ここのこと知ってたのに?」 「存在ヲ知ッテイタト言ウ程度ノ記憶シカナイ。〈すいしゅ〉ニ関シテ言エバ、其レガ装置ノ核デアルトシカ知シラナイ」 水を生み出す装置。その核となる〈スイシュ〉。宝玉と云うのだから、その形をしているはずだ。 この地下世界には川が流れていた。 もしかしたらと思い、アレンは川の上流に向かった。 川の上流には湖があった。ここが水源らしい。 「この底にあるとかないよな?」 「水底カラ高度ノ魔力ヲ感ジル」 「マジかよ、俺泳げたっけか……昔は泳げた気がするなぁ」 と、言いながらアレンは熱い眼差しを隠形鬼に贈った。 「私ハ全ク泳ゲナイ」 「ちっ、俺が行くしかないのかよ」 頭を掻いたアレンは観念して服を脱ぎはじめた。 隠形鬼がすぐそこにいることなど気にせず、全裸になるアレンだったが、じっと見られているような視線には気になった。 「俺の躰ジロジロ見て、ロリコンかよ?」 「私ハろりこんデハ無イ」 隠形鬼の口から〝ロリコン〟という言葉が出ると不思議な感じだ。 「じゃ、こっちが気になるわけ?」 アレンは金属でできた右胸を叩いた。 「両方気ニナル」 「やっぱロリコンなのかよ!」 「否、人間ノ躰ト、機械ノ躰ノ両方ガ融合シテイル姿ガ、興味深イト言ウ事ダ。一度詳シク調ベテ診タイ」 「やだよ、ロリコンなんかに指一本でも触れられたくない」 「私ハろりこんデハ無イ」 ロリコン論争はおいといて、アレンは準備体操をはじめた。 枯れた大地で暮らしていると、泳ぐ機会なんてあまり訪れない。水泳は金持ちの道楽だ。 準備体操を終えたアレンは、頭から湖に飛び込んだ。 透明度の高い水中。水深もあまりなく、地の底まで見ることができた。 アレンの泳ぎはというと、はじめは少しぎこちなかったが、だんだんと調子を掴んできたようだ。 水底に輝きが見えた。 一度アレンは水面に向かって泳ぎだした。 水飛沫を上げて水面から顔を出したアレン。 「ぷはーっ!」 潜っていた時間は三分ほど。まだ余裕があった。 大きく息を吸いこんで再び湖に潜る。 湖の中心に向かって泳ぐ。 台座の上でそれは淡く輝いていた。 透き通ったブルーの輝き。 宝玉と云うが、その輝きは宝石の物ではない。 もう手を伸ばせば取れてしまいそうだ。 しかし、アレンは躊躇った。 これを取ってしまっていいものなのだろうか? 水を生み出す装置の核となる物。 湖に蓄えられた水。 アレンはその宝玉を手に取った。 そしてすぐに水面へ上がり、岸に向かって泳ぎだした。 陸に上がったアレンは宝玉を確かめた。水が出ているような感じはしない。台座から放したからだという可能性もあるが――。 「本当にこれが〈スイシュ〉なのか?」 「確証ハ無イガ、其ノ可能性ハ高イト思ワレル」 「だったらこれで俺の役割も終わったし、これ奪う気?」 「〈スイシュ〉ヲ手ニ入レル依頼ハ受ケテイナイ」 「でも俺のことは生け捕りなんだろ?」 「今ハ其ノツモリモ無イ」 「は?」 隠形鬼が何を企んでいるのかわからなかった。 〈スイシュ〉も奪わず、アレンも捕まえないとなると、何もせずにアレンを行かせるということなのか? 「依頼ハ受ケテイルガ、何時何処デトハ決メラレテイナイ」 「なんだよその屁理屈」 アレンは呆れた。 「其レヲ少シ貸シテクレナイカ?」 「やっぱ奪う気じゃんか」 「少シ調ベルダケダ」 相手は敵だ。しかも何か考えているのかわからない。 迷ったが、アレンは宝玉を手渡した。 受け取った隠形鬼は一秒とせずに返した。 「えっ、もういいの?」 「本物ダ」 「はっ?」 「其レガ〈すいしゅ〉デ間違イ無イ」 「今のでわかったわけ? そんなの信じられるかよぉ~」 「信ジル信ジナイハ御前ノ自由ダ」 違う物だという証拠もない。とりあえずはこれを持ち帰るしかないだろう。 アレンは〈スイシュ〉を地面に置いて着替えはじめた。 置かれている〈スイシュ〉を奪うような気配は見せなかった。本当に隠形鬼はなにもしないつもりなのだろうか? 濡れたまま着替えたので、服は少し湿ってしまった。それも外に出ればすぐに乾くだろう。この地下世界を出れば、世界は砂漠で覆われているのだから。 「私ハ行コウ。又何時カ会ウコトニナルダロウ」 隠形鬼がアレンの目の前で霞み消えた。まさにそれは消失だった。 そして、地面には〈グングニール〉が残されていた。 「……変な奴」 ボソッとアレンは呟いた。 セレンの前に現れたのは火鬼だった。 「探した探した、もうわちきはくたびれて、戦う気力も失せたでありんす」 トッシュは〈レッドドラゴン〉に手を掛けた。 「だったら帰ってくれないか、べっぴんさんよォ」 「わちきもそうしたいのは山々でありんすが、首の一つも持ち帰らないと、依頼主に面目が立たないでありんす」 「だったら自分の首でも持ち帰えんな!」 トッシュと共に〈レッドドラゴン〉が吼えた! この至近距離で火鬼は鉄扇により弾を弾き返した。 「おやおや、血の気の多いお兄さんだこと」 余裕の笑みを浮かべた火鬼。 トッシュは驚きのあまり、すっかり次の行動を忘れた。 弾を受けたこともさることながら、鉄扇が弾を受けても破損しないことも驚きだった。 鉄扇と言っても、それは武器の総称であり、実際に鉄でできているとは限らない。 トッシュは振り返ってリリスを見た。 「リリス殿、少しばかり手を貸してはいただけないか?」 「断るよ。わしは性根の腐った女だろうと、どんな女だろうと、女として生きてる以上は其奴に手を出さん主義でな」 これを聞いて火鬼は狂気に侵された笑みを浮かべた。 「わちきとは真逆の考えを御持ちのようで」 刹那、鉄扇から炎が放たれた。 狙われたのは――セレン! 「きゃーーーっ!」 セレンの叫びは炎に包まれることはなかった。 炎はセレンの前に立った妖女リリスの前で消滅したのだ。 「妾は女に手は出さぬと言うたが、守らぬとは言うておらぬ」 妖女と化したリリスを見てしまった火鬼は息を呑んだ。 先ほどまではたしかに老婆だったはずだ。混乱する火鬼は眼を剥いたまま口をわなわなと振るわせた。 「許せない、許せない、許せない、こんな美しい女が存在しているなんて許せない、キィィィーッ!」 奇声をあげた火鬼は巨大な炎を撃ち放った。 「炎は美しい。じゃが、汝の心は醜いのぉ」 またも炎はリリスの目の前で消滅した。 火鬼は構わず炎を撃ちまくった。 嗚呼、虚しいだけだ。 決してリリスは傷つかない。 火鬼の中で何かが完全に切れた。 「ぶっ殺してやる糞尼ァッ!」 野太い男の声が木霊した。 炎を宿した鉄扇がリリスの首を狙う。 ついにリリスが動いた。 敵と同じく炎を宿す。 刹那、リリスは炎を宿した手で火鬼の顔半分を鷲掴みにした。 「ギャアアァァァッ!!」 耳を塞ぎたくなる絶叫。 肉の焼ける臭い。 火鬼は顔面を手で覆いながら後ろによろめいた。 「顔が……わちきの顔が……アアアアッ!」 地面に膝を付いた火鬼は戦意を喪失させた。周りすら見えていない。精神的な衝撃に耐えかね、喚くことしかできなかった。 リリスはすでに妖婆に戻っている。 「女のままでいれば手は出さぬつもりじゃったが……」 呟いたリリスを中心に強風が吹き荒れ、瞬く間にまたも妖女の姿に変貌した。 トッシュもそれを肌が痺れるほどの感じていた。 「だいぶ下がってろ」 トッシュはセレンを遠くに行かせた。 急いで逃げたセレンは物陰から二人を見守った。 そして、現れる黒い影。 そいつはトッシュの影から這い出してきたのだ。 驚きながらもトッシュは影に向かって銃弾を喰らわせた。 まさかの出来事にトッシュは眼を剥き、激しい激痛でその場に転倒した。 撃たれたのはトッシュだった。 刹那にして影と自分の場所が入れ替わり、自らで自らの腹を撃ち抜いてしまったのだ。 ――隠形鬼。 目にも留まらぬ早さで、リリスは隠形鬼の胸に掌底突きを喰らわせ吹っ飛ばした。 次の瞬間には、リリスはトッシュの傷口を見えない糸で縫合し、さらに氣による治療を施していた。 トッシュの傷は深い。肉をそのまま鷲掴みにされ、抉られたような穴が開いていたが、どうにか縫合と氣によって出血は抑えている。それでもまだ瀕死の重傷だ。 まだトッシュから手を離せないが、敵はすぐ目の前にいる。 隠形鬼が静かに近付いてくる。 「久シブリダナ……りりす」 「久しぶり……じゃと?」 リリスは眉をひそめ記憶を辿った。 漆黒の不気味な仮面の主。 その下に存在している顔は? 「林檎ヲ与エタノハ誰ダ?」 「だ、だれ……じゃ……いったい?」 妖女リリスともあろう者が言葉を詰まらせた。見開かれた瞳に浮かぶ驚愕。 「御前ハモウ解ッテイル筈ダ。シカシ、其レハ答エノ半分デシカナイ」 「誰であろうと構わぬ、世界の脅威は滅するのみ!」 リリスはトッシュから手を放し攻撃を仕掛けた。 しかし、まさかリリスが後ろを取られるとは!? 後ろを取られただけではない。隠形鬼は刹那うちにリリスを後ろから抱きしめていたのだ。 「答エヲ知リタイカ?」 「おのれぇッ!」 リリスは妖気を宿した手で隠形鬼の仮面を鷲掴みにしようとした。 その仮面は一瞬のうちに顔になっていた。 それを見てしまったリリスは攻撃を止めざるを得なかった。 「莫迦な……まやかしめ!」 「そう、たしかにこの顔はまやかしよ」 隠形鬼に声は玲瓏たる女の声になっていた。 すべてを見守っていたセレンの位置からでは、隠形鬼の顔は見ることはできなかった。 セレンが見たものは、隠形鬼の胸の中でリリスが一瞬にして消えたという事実。 「あっ……き、消えた!?」 もうリリスはいない。 残されたセレンはどうすることもできない。トッシュは瀕死のまま。 すでに漆黒の仮面に戻っていた隠形鬼が、セレンのほうを向いた。 「生ケ捕リガ命令ダ。無駄ナ抵抗ハスルナ」 逃げるという抵抗すら今のセレンにはできなかった。足が震えて立っているのもやったのだ。 隠形鬼はトッシュの横に膝をついて、その傷口に手を添えて何をしはじめた。 穿たれていた傷が見る見るうちに塞がっていく。肉が増殖しながら蠢き、血の痕だけを残して傷を完全に塞いだのだ。もう血を拭き取ればどこに傷があったのかわからない。 「シバシ待テ、客人ガ来ルヨウダ」 上空を飛んでやって来る一台のヘリコプター。 それはこの場にゆっくりと降りてきた。 地面に着陸したヘリから降りてきたのはライザだった。 そして、続いて威風堂々と姿を見せた皇帝ルオ。 隠形鬼は膝をついて頭[コウベ]を垂れた。 高い位置からライザは隠形鬼を見下した。 「アタクシの偽者がいると聞いて来てみたら、鬼兵団の二人がいた。どういうことか説明してくださる?」 「サテ、何ノ事カ?」 「惚けないで、なにを企んでいるの?」 「此ノ通リ、我々ハ依頼ヲ果タシテイタマデデ御座イマス」 気を失っているトッシュと物陰でこちらを見ているセレン。火鬼は蹲ったまま震えている。 ライザは一通り見回した。 「老婆と坊やがいないみたいだけれど?」 「サテ、りりすハ何処ニイルヤラ。あれんナラバ、未ダ此ノ遺跡ノ何処カニ居ル筈デ御座イマス」 話を聞いていたルオは笑っていた。 「君の偽者疑惑は晴れないようだ。まあよい、あの小僧との決着はまだついていなかったね。まだ残っているのなら、朕が直々に剣を交えよう。鬼兵団はこのまま仕事を続けるといいよ」 「ルオ様!」 ライザは口を挟んだ。 さらにライザが続ける。 「この者たちを信用するなんて、どうか考えを改めてちょうだい!」 「君だって本物か偽物かわからないんだ。ここは朕が指揮を執らせてもらうよ」 帝國を走る不和。 自分たちがかく乱されていることに怒りを覚え、ライザは唇を強く噛みしめた。 アレンは〈キュクロプス〉に侵入していた。 前回の侵入では、サーチライトに見つかってしまい、レーザーの一斉放射に見舞われたが、今回は無事に甲板まで辿り着いた。 連絡手段を持っていなかったアレンは、トッシュたちと合流することもできず、次を見越してここに侵入した。 〈スイシュ〉を手に入れ、次の目的は帝國のどこかにある〈ヴォータン〉だ。この飛空挺に身を潜めていれば、帝國に辿り着くことができるだろう。もっと強硬な手段を取るなら、この飛空挺を奪う選択肢もある。 「腹減ったなぁ」 その選択肢をアレンは選んだ。 これだけ巨大な飛空挺なら、大きな料理室がある筈だ。それに合わせて食料庫にも大量の食料が積まれているだろう。 アレンは辺りの匂いを嗅いだ。 「ここじゃわかんねえな。中に入ればわかるか」 艦内への入り口はすべて兵士によって守られている。甲板にも見張りが巡回に来る。アレンは急いで移動した。 そして、動いた途端に機会の眼によってサーチされたのだ。 鳴り響く警報。 「ヤバッ」 もう食料どころではない。 甲板に兵士たちが集まってくる。 どこかで〈歯車〉の音がしたような気がした。 天高くジャンプしたアレンは大砲の先に飛び乗った。 超巨大飛空挺の大砲はまるで橋のようだ。 アレンは大砲の上を駆けた。 さらにそこから大ジャンプを見せた。 船体から上に突き出た位置にある司令室まで飛び、そこにあった巨大な窓に強烈な拳を喰らわせた。 「イッ!」 歯を食いしばったアレン。 窓は対砲弾パネルだったため、アレンの一撃でもビクともしなかった。 アレンは拳を放った瞬間、中にいる人物たちと目が合っていた。 司令室にいたのはライザとルオだった。 ルオはアレンと目が合った瞬間、この上ない笑みを返してきたのだ。 窓への一撃が失敗したアレンは、何度も躰を打ち付けながら船体を転がり落ちた。 アレンの躰は船体から突き出た床に打ち付けられ止まった。それは巨大なエンジン部分だった。 〈キュクロプス〉には巨大な羽はない。エアバイクやリリスの車のように、重力に逆らって浮かぶことができるからだ。そのため、エンジンは飛行機のような、回転しながら空気を吸い込み吐き出す物ではない。代わりに鯨類の胸びれのような物がついており、それがエンジンの役割を果たしている。 アレンは再び甲板に向かった。 群がる兵士たちに向けて〈グングニール〉を放つ。 稲妻は容赦なく兵士たちを一網打尽する。 甲板を疾走するアレン。こうなれば強行突破だ! 艦内への入り口は開いている。そこから兵士たちが次々と溢れてくる。 再び放たれる〈グングニール〉の稲妻。 〝雷獣〟の通り名は伊達ではない。遣りたい放題だ。 しかし、敵は次から次へと湧いてくる。 数の前にアレンは追い詰められた。 アレンを取り囲んだ兵士たち。銃口は三六〇度からアレンを狙っている。 誰も動かずに時間が過ぎる。 アレンは視線だけを動かし活路を見いだそうとした。 まっすぐ強行突破をすれば良い的になってしまう。上へジャンプすれば、方向転換ができずに的になる。蛇行しながら駆ければ、それだけ移動速度が落ちて弾丸は躱しづらくなる。 浴びせられるであろう銃弾が多すぎて、回避確立が格段に落ちる。 アレンはゆっくり相手を刺激しないように動き、膝を曲げて〈グングニール〉を床に置いた。 「俺の負け。抵抗しないから撃つなよ」 兵士たちが輪を縮めてくる。 その輪が急に左右に開け、艦内への出入り口まで道をつくった。それはアレンの出口ではない。皇帝ルオの道だった。 「久しいなアレン。前回は邪魔の入った決着を、ここでつけようじゃないか」 「俺もあんたとはきっちりケリをつけたかったんだ」 威勢ではアレンは負けていない。 しかし、前回の一騎打ちでは、敗北寸前までアレンは追い詰められている。 〈黒の剣〉に〈グングニール〉は通用せず、右腕までも堕とされた。 アレンに勝ち目はあるのか? 〈黒の剣〉が宙に浮かびながら、ルオの周りを薙いだ。人払いだ。 「手出しは無用。これはシュラ帝國の誇りを賭けた一対一の決闘である!」 「なら俺はこれでも賭けようかな」 アレンは懐から〈スイシュ〉を取り出して掲げた。 その宝玉がなんであるか誰もわからないようだった。 ライザがハッとした。 「まさか〈スイシュ〉!?」 アレンが笑う。 「そーゆーこと」 そうと聞いてルオはすべてを理解したようだ。 「ほう、あれが〈スイシュ〉か。我が帝國を滅ぼすという魔導具」 想像していなかった言葉だった。それにアレンは首を傾げた。 「あんたの帝國を滅ぼす?」 「知らぬのか」 「これって水を生み出すためのオーパーツだろ?」 それを聞いたライザは腹を抱えて笑った。 「あはははっ、可愛い坊や。まあいいわ、とにかくそれはこちらに渡してもらいましょう」 「やだ」 アレンは短く断った。 〈スイシュ〉とは水を生み出す装置の核ではなかったのか? そうであるという証拠はなかった。情報を鵜呑みにして、手に入れたに過ぎない。 急にライザの顔つきが代わった。そして、近くにいた兵士に耳打ちをして、その兵士は急いでどこかに向かった。 急を要する自体が起きた――とするならば、〈スイシュ〉と関係のあることだろうか? さらに声を潜めてライザはルオに耳打ちした。 「〈スイシュ〉がここにあるということは、〈ヴォータン〉も狙われているはずよ。一刻も早く〈スイシュ〉を帝國の手に」 「賭には勝つ。下がって見ているといいよ」 ルオと共に〈黒の剣〉が前へ出る。 戦いがはじまる。 アレンは〈グングニール〉を懐にしまい両手を開けた。 「そっちから掛かって来いよ」 「言われずとも切り刻んでくれる!」 〈黒の剣〉の初手は薙ぎだった。 巨大な大剣はリーチも長く破壊力もあるが、長さの分、軸である柄から切っ先までが動くために一瞬のロスが生じる。 アレンは〈黒の剣〉を切っ先で躱し、剣が振られたのとは逆方向に逃げていた。 〈歯車〉が鳴り響いた。 「糞ったれ!!」 一気に踏み込んだアレンの拳はルオの腹を抉り上げた。 兵士たちが凍り付く。 ライザはにわかに笑みを浮かべた。 またこの場所に閉じ込められた。 今回は前回よりも待遇が悪かった。 牢屋の中にセレン溜息が響いた。 「神様、どうかわたしたちをお助けください」 〈キュクロプス〉内にある監獄。 床に寝かされているトッシュはまだ意識を取り戻さない。 やることがないと、頭ばかりが使われ、余計なことを考えてしまう。セレンは不安で仕方なかった。 トッシュはいつになったら目覚めるのか。リリスはどこへ消えたのか。アレンはどこにいるのか。そして、ワーズワースもトイレに行って帰ってこなかった。 まずはトッシュが目覚めなくて話にならない。それからここを逃げ出す方法を考えてくては。 セレンは独りではなにもできなかった。 時間だけが過ぎていく。 しばらくして。どこからか声が聞こえてきた。 「捕虜に食事を持ってきました」 「こんな時間にか?」 「ええっと、それは彼らはここ数日飲まず食わずだったそうで」 「そんな風には見えなかったがなぁ」 「それはきっとやせ我慢してるんですよ!」 「……おまえ、なんだか怪しくないか?」 「そんなことないですよ」 「今すぐIDを見せろ」 「え、いや……ちょっと……ああっ、わっ、やめてください!」 ドン! という何か殴りつけるような鈍い音が聞こえた。 そして、カートを押すような音が聞こえて、牢屋の前までその人物はやって来た。 「よかった、見張りが一人いなくて」 ほっと一息ついて見せたのはワーズワースだった。 「助けに来てくれたんですか!」 「お姫様を助けるのは王子に役目ですから」 と言われて、セレンは少し顔を赤くした。 ワーズワースは牢屋の鍵を開けた。 「あっ、これで良かったみたいですね。今気絶させた見張りが持ってたんですよ」 囚人に食事を運ぶ振りをして、見張りを倒し、牢屋の鍵まで手に入れたのだ。 セレンの瞳にワーズワースは天使のように映った。 「本当にありがとうございました」 「いえいえ、でもここからが問題ですよ。どうやら僕の顔は敵にばれていなかったらしく、堂々と食事を運びながら、すれ違う人に挨拶してたら、楽々ここまで来れましたけど、セレンちゃんとこの意識のない人といっしょに逃げるのは……」 困って黙り込む二人。 ここは蟻の巣のようなものだ。そこら中に帝國の兵士がいて、とてもトッシュは運んで逃げることはできない。 ワーズワースが耳を澄ませ、囁いた。 「だれか来ます」 そんなことを言われても、ここに逃げ道はない。こんな状況を見られたら言い逃れもできない。 曲がり角の向こうから声が聞こえた。 「見張りの時間だ……どういうこと?」 大変だ、気づかれた。 身構えるセレンとワーズワース。 フルフェイスマスクをした一人の兵士が姿を見せた。 もう駄目だと思ったとき、兵士がそのマスクを脱ぎ捨てて素顔を晒したのだ。 「警戒しないで、わたくしよセレン」 「あっ!?」 セレンは驚いた。まさかこんなところで会うとは思わなかった。失踪していたフローラだった。 「生きてたんですね!」 セレンは歓喜の声をあげた。トッシュは帝國の機密を手に入れた経由をだれにも話していなかったのだ。 フローラを見たワーズワースは目を丸くした。 「……な、なんて可憐で花のように美しい人なんだ。僕の名前はワーズワース、貴女の名前は?」 「えっ……わたくしはフローラと申します」 二人は間近で見つめ合いながら、ワーズワースのほうから固い握手をした。 フローラは苦笑いを浮かべてワーズワースの胸を押した。 「あまり近付きすぎないでくださる。今はこんなことをしている時間はありませんわ。まずは、トッシュを診なくては……」 意識のないトッシュの傍らに膝をついたフローラは、いつかアレンにしたように接吻をした。 トッシュの躰が跳ね上がった。 「うっ……うう……フローラ!」 間近にあったフローラの顔を見てトッシュは驚いた。 他人の接吻を見てセレンは顔を赤くして、ちらりとワースワースを見た。そのワーズワースは、真剣な眼差しでフローラを見つめていた。少し胸がもやっとしたセレンだった。 トッシュはフローラに耳打ちをする。 「メモリの中身を見た。ここにいる二人とアレンとリリスという魔導師に、機密情報なのに話しちまったんだが、本当にすまない」 「トッシュが選んだ仲間なら、べつに構わないわ」 ここにいるワーズワースは完全に不可抗力だったため、トッシュは苦い顔をして心が痛んだ。そして、フローラの信用を失わないために、あまり多くは語らないことにした。 フローラは通常の大きさの声で話しはじめる。 「じつはあのあと、いろいろ調べて見たのよ。渡した情報の中身についても断片的に解り、必要なオーパーツの一つ〈ヴァータン〉の在り処を特定したわ」 トッシュは機密情報を思い出す。 「たしか帝國のどこかという曖昧な情報だったが……?」 フローラは頷いた。 「ええ、たしかに帝國には違いないのだけれど、じつはこの〈キュクロプス〉の動力源が〈ヴォータン〉なのよ」 まさかこんな近くにあるとは、トッシュは驚きを隠せなかった。 「ここは〈キュクロプス〉の中か。まさかそっちから来てくれるとは、幸運……というべきだろうな。だが逃げるだけでも骨だというのに、動力源を盗み出すとなるというのは」 さらにフローラは過酷な要求を突き付けた。 「できれば、この船ごと制圧して盗めると良いわ。〈ヴォータン〉と〈スイシュ〉を手に入れたあとの目的地は、アスラ城なのだから」 トッシュはさらに機密情報を思い出す。 「たしかそう書いてあったな。装置は帝國の地下にあると……でもなんで帝國の地下なんだ?」 「古代遺跡があった場所の上に、帝國は意図的に立てられたのよ。〝失われし科学技術〟の恩恵を預かるために」 そうフローラは答えた。 次の目的は決まった。 超巨大飛空挺〈キュクロプス〉の動力源である〈ヴォータン〉を奪う! だが、セレンには気がかりなことがあった。 「アレンさんとリリスさんはどうしますか?」 この場に二人がいないことにはトッシュも気づいている。 「二人はどうした?」 「アレンさんはまったくわかりません。リリスはさんは怖ろしい仮面の人に……消されてしまいました」 その瞬間を思い出してセレンはゾッとした。 消された――という意味をトッシュは理解できなかった。 「まさかリリス殿が殺されたのか?」 すぐにセレンが首を何度も横に振った。 「違います。目の前でパッと消えてしまったんです」 二人の話にワーズワースも割り込んでくる。 「じつは僕も物陰から見てたんですけど、あっという間に姿が消えてしまって、生きているのか死んでいるのか、何が起きたのかもわかんないんえすよね。それからセレンちゃんとトッシュさんが連れ去られて、ついに僕の大冒険が幕を開けたのです!」 ここからが話の面白いところだと言わんばかりのワーズワース。 ――を無視して、トッシュは歩き出した。 「早く行くぞ、ここに敵が来たら袋の鼠だ」 フローラも先を急ぐ。 慌ててセレンもついていった。 独り残されたワーズワースは肩を落とした。 「おもしろい冒険活劇なのに……とくに料理長VS僕の死闘とか」 仕方がなくワーズワースも三人のあとを追った。 アレンは本気だった。 それは死闘だったからだ。 殺らなければ殺られる。 たしかに拳には手応えはあった。 そして、ルオは約一〇メートル後方まで吹っ飛ばされたのだ。 内臓は爆発し、骨は粉砕している筈だった。 即死でも可笑しくない。 ましては立ち上がることなど……。 ルオは一〇メートル先で嗤いながら立っていた。 それを確認したライザは呟いたのだ。 「素晴らしい研究成果だわ」 不気味な言葉だった。 〈黒の剣〉がアレンを襲う! それだけではない、ルオも自らの肉体を駆使して攻撃を仕掛けてきたのだ。 この怖ろしい〈黒の剣〉の切れ味を、アレンは嫌というほど知っている。 刃とルオの拳のどちらを躱すか? 片方しか躱せない状況に追い込まれたアレンは刃を躱した。 刹那、ルオの拳がアレンの胸を殴った。 宙を飛ばされながらアレンは驚愕していた。 金属の右胸が拳の形にへこんだのだ。 銃弾を弾き返す金属が、少年の拳でへこまされたのだ。 もはやそれは人間の力ではない。 アレンは甲板に叩きつけられ、二度跳ねた。 もう一発も喰らえない。 すぐに〈黒の剣〉が天空からアレンを串刺しにせんと降って来る。 瞬時にアレンは膝のバネを使って、立ち上がると同時にジャンプした。 その一刹那前までアレンが寝ていた場所を〈黒の剣〉が突き出す、深く深く、甲板を貫いてもなお深く貫いた。 〈黒の剣〉の弱点は、あまりにも切れ味が良すぎることだった。 この場から〈黒の剣〉が消えた。 アレンが〈グングニール〉を抜いた。 その稲妻、〈黒の剣〉に呑み込まれようと、ルオにはどうだ! 轟く雷鳴! 乱れ飛ぶ稲妻はルオの躰を貫いた。 眼を剥いたルオは一瞬止まった。 ゆっくりと床に引きつけられるようにルオの躰が後ろへ倒れる。 ドスン! それは人が倒れると言うより、荷が落ちたような衝撃と音だった。 兵士たちがアレンに銃口を向け、ルオに駆け寄ろうとした。 それを片手を伸ばしたライザが制す。 「ミンチにされて家畜の餌にされたくないのなら、黙って見てなさい」 そうだ、ライザは知っているのだ。これで終わりでないことを――。 ルオが上半身を起こした。 「躰の凝りが取れたようだ、感謝するよ。お返しをしよう」 平然としている。まさに化け物。 アレンは自分の真下から鬼気を感じた。 すぐさま飛び退いた。 〈黒の剣〉が甲板を貫き天に昇った。 アレンの頬に落ちてきた紅い血。 何処かで〈黒の剣〉は血を啜ってきたようだ。 そして今、〈黒の剣〉はアレンの血を欲している。 血に飢えているためか、先ほどより格段に疾い! 走るアレン。〈黒の剣〉は軌道を変えながら降って来る。 〈歯車〉が叫んだ。 躱しきれるか! 否、アレンが甲板を蹴り上げるよりも疾く、〈黒の剣〉はアレンの背中を串刺しに――。 「待て!」 ルオが叫んだ。 止まった。 〈黒の剣〉の切っ先はアレンの柔肌を数ミリ刺して止まっていた。 「試してみたいことがある」 そう言ったルオの元に〈黒の剣〉が戻っていく。 アレンは滝のような汗を流して膝から崩れた。 ――死。 死というものをあれほど間近に感じたのははじめてだった。 このときアレンは、真物の敗北を味わったのだ。 ルオがアレンを助けたのは情けではない。新たな愉しみを思い付いたのだ。 〈黒の剣〉がルオの手に握られた。 「我が一族に伝わる魔剣――歴代の中で真にこの剣を使いこなせた者は、初代皇帝のみであったと云う。剣は主が握ってこそ真価が発揮される。握れぬ剣なら、柄などいらぬ」 試しにルオは軽く薙いだ。 それは風の刃であった。 〈黒の剣〉が起こした風は遥か砂漠の砂を巻き上げ、風が通った真空の道に何人もの兵士が吸いこまれた。 ライザは満足そうに笑っていた。 「本気を出せばこの艦も真っ二つにできそうね」 それほどまでの威力だった。 兵士たちは唖然として棒立ち状態だ。 アレンは呟く。 「……冗談じゃねえ」 一撃でも喰らえば死ぬだけでは済まされない。屍体すらないだろう。そう、跡形も残らない。 正攻法で勝てる相手ではない。 どこかで〈歯車〉の音がしたような気がした。 逃げ場なら一つしかない、とアレンはそこを目指して一気に駆けた。 艦内だ、艦内ならあんな大技使える訳がないのだ。 だが、ルオはやる気だった。 〈キュクロプス〉ごとアレンを葬り去ろうと、〈黒の剣〉を薙ごうとしたのだ! さすがにライザが止めようとした。 「ルオ様!」 しかし、ルオは聞く耳を持たず、切っ先を後方に向けた。 あとは勢いを付けて振るだけだった。 ――異変。 眼を口を開けたルオの手から〈黒の剣〉が落ちた。 「く……ぐぐぐぐぐ……ぎぎぎ……あぁぁぁぁぁッ!!」 叫んだルオが急に床に転げ回って苦しみ藻掻いたのだ。 ライザは顔色一つ変えない。慌てふためくのは兵士たちのみ 「これが今の限界ね。これならまだ兵器のほうが実用的だわ」 ゆっくりと歩き出したライザは、ルオの前で止まり片膝をついた。 「アレンには逃げられてしまったわ」 「糞……まだ……まだ扱えぬというのか……あれほどまでの苦しみに耐えて、まだ朕は〈黒の剣〉を従えることができぬのかッ!!」 「ええ、そうのようね。そうであるならば、アタクシはいくらでも貴方に力を授けましょう」 「くくくっ……面白い。修羅の道、極めようではないか」 ルオは立ち上がった。 だが、その躰はすぐにバランスを崩して片膝をついた。 バランスを崩したのはルオだけではない。甲板にいた全員が一斉に体勢を崩したのだ。 ライザは遠ざかる地表を見た。 「動いているわ、〈キュクロプス〉が動いている!!」 ルオの命令も、ライザの命令もないまま〈キュクロプス〉が飛び立った。 帝國の絶対者であるルオの知らぬところで、起こるはずのないことであった。 警報が鳴り響く廊下を全速力で駆ける。 その警報はアレンが鳴らしたものだった。その事を知らない四人は、自分たちの脱走がばれたのだと警戒した。 角を曲がればその都度、敵に出くわす。そして、セレンは涙ぐみながら十字を切るのだ。 セレンは頭ではわかっていた。 こうやってトッシュは、セレンの知らぬところで、数え切れない命を奪ってきたのだろう。 怖ろしく耐え難い。ましてやセレンは神に仕えるシスターだ。 ワーズワースがセレンの手を握った。 「眼を開かなければ走ることはできないよ。君に涙は似合わない」 「えっ?」 自分でも気づかないうちにセレンは泣いていたのだ。 「セレンちゃん……これが世界の現実なんだよ。目を背けて生きたいのなら、人の全くいないところで暮らすしかない。それが嫌なら、この時代を変えるしかないんだ」 まるでワーズワースも何かと戦っているような口ぶりだった。 シュラ帝國による恐怖政治。 砂漠化が進む大地。 人々の心も退廃していく。 フローラはジードの一員として帝國と戦っている。 トッシュも今はジードとして、それ以前からも帝國と多く対立してきた。 「わたしは……」 ずっと巻き込まれていただけ。限られた選択肢しか与えられず、巻き込まれてここまで来てしまった。 「でも、わたしは……武力で世界を変えたいとは思いません。わたしはわたしのできるやり方で、皆さんが笑顔になれるような世界をつくりたい」 優しい微笑みをセレンは浮かべた。 それにワーズワースは笑顔で答えた。 「やっぱり君には笑顔だね。ちょっとドキッとしたよ、その笑顔」 ドキッとさせられたのはセレンのほうだった。今の発言で顔は真っ赤だ。 銃弾が流れるように飛んだ。 「あっ」 短く呟いて目を丸くしたワーズワース。些細な事でも起きたような呟きだった。 しかし。 「撃たれちゃいました」 ワーズワースが床に倒れた。 銃弾はワーズワースの太股に刺さっていた。 すぐさま射手をトッシュが撃ち殺した。 セレンは血相を変えてワーズワースを抱きかかえた。 「大丈夫ですか!」 「大丈夫じゃないですよ。だってすご~く痛いですから。でもたぶん動脈は傷ついてないような気がしますから、死にはしませんよ。歩けませんけど」 「肩を貸しますから行きましょう!」 「足手まといなんで、置いてってください。トッシュさん、セレンちゃんを早く連れて行ってください」 その頼みを聞き入れてトッシュはセレンの腕を無理矢理引いた。 「行くぞ!」 「駄目です、彼を置いては行けません!」 「若造の望みなんだから叶えてやれ」 「嫌です!!」 抵抗するセレン。 ワーズワースは自分たちが来た道を指差した。 「ほら追っ手が来ちゃいましたよ。僕ならだいじょぶですよ、だって弱そうだし、すぐに降伏しちゃえば命までは取られませんよ、ね?」 ワーズワースは笑った。 それでもセレンはこの場を離れない。 「早くいっしょに!」 セレンの伸ばした手がワースワースからどんどん離れていく。 やはてセレンはトッシュに引きずられてこの場から消えた。 残されたワーズワースは、指で弾をえぐり出した。そんな行為を涼しげな顔でやってのけた。 そして、静かに立ち上がる。 「セレンちゃんとの別れは寂しいけど、別れた女といっしょにはいたくないもんね。あっちも嫌そうな顔してたし」 敵はすぐそこまで来ていた。 ワーズワースは敵を見向きもせず、そっと手を払っただけだった。 廊下に巻き起こった突風。 突風というより、それは見えない刃だった。 カマイタチ。 細切れにされた兵士たち。 ワーズワースの目つきが鋭くなった。 肉塊に囲まれながら、ただ独り兵士がまだ立っていたのだ。 「あらっ、切り損ねた?」 再びカマイタチを放った。 ワーズワースが目を丸くして〝しまった〟という顔をした。 放たれたカマイタチは兵士を――否、入れ替わるようにしてそこに立っていた、別の存在を切ろうとしていた。 しかし、リリスを倒したその者には、ほんのお遊び。 隠形鬼は斬れていなかった。 風は見えぬため、当たったかどうかもわからない。当たる以前に消されていたのかもしれない。 ワーズワースは前髪をかき上げた。 「まいったなぁ、そんなつもりじゃなかったんですけどー」 「気配ヲ感ジタノデ来テ見タ」 「もっと前から僕がいたこと知ってたクセにぃ。お久しぶりですね隠形鬼さん」 「風来坊ガ帰ッテ来タカ」 「いえいえ、ちょっとふらっと風のように立ち寄っただけ、すぐに消えますよ」 親しげに話すワーズワース。 まさかこの二人が顔見知りだったとは。 「で、どんな作戦なんですかこれ?」 「御前モ此ノ劇ノ演者ト成ルカ?」 「いえいえ、僕はただの吟遊詩人ですから、他人の物語を語るだけです」 「ナラバ邪魔スルナヨ」 「なにをしたら邪魔なのか、わからないんですけど?」 「風向キヲ変エナケレバ、其レデ良イ」 そう言い残して隠形鬼は消えた。 タイミング良くそれと入れ替わりで、アレンがこちらに駆けてきた。 ワーズワースはほくそ笑んだ。 「演者にはなるつもりはなんですけど、運命って女神は気まぐれだからなぁ」 走ってきたアレンもワーズワースに気づいたようだ。 「あっ、詩人!」 「どうも吟遊詩人のワーズワースですが何か?」 「逃げろ、敵が来るぞ!」 「足怪我してるんで担いでもらえません?」 「はぁ?」 「早くしないと敵来ますよ?」 「糞っ、あんたなんか見つけるんじゃなかった!」 アレンはワーズワースを背負って走り出した。 後ろからは兵士たちが追ってくる。艦内ということもあって銃の乱射はないが、ここぞというときには口径の小さな弾を撃ってくる。 「僕のこと弾除けにしないでくださいね」 「しねえよ!」 口径の小さな銃弾なら人間の躰を貫通せずに弾除けになってくれる。 じつはちょっぴりアレンは考えていたことだった。それを見透かされたような、さっきのワーズワースの一言だったのだ。 背負われながらワーズワースが話しかける。 「じつはさっきまで皆さんといっしょだったんでけど、はぐれてしまったんですよね。そうそう、フローラさんっていう人も合流しましたよ」 「フローラが!?」 「アレン君も知ってたんですか。あとそれから、皆さんはこの船の動力炉に向かってます」 「なんでだよ?」 「じつは〈ヴォータン〉がこの船の動力源らしくって、探す手間が省けてラッキーでしたね。まるで僕らに追い風が吹いてるみたいで」 だが追ってくるのは風ではなく兵士だった。 逃げれば逃げるほど、兵士の数が増えていく。 〈グングニール〉を使えば一網打尽にできるかもしれないが、万が一周りの機器を壊して爆発を誘発なんてことになったら……。アレンは〈グングニール〉を抜くに抜けなかった。 「でさ、その動力炉ってどこにあんだよ?」 「さあ僕に聞かないでくださいよ。吟遊詩人にも知らないことはあるんですよ」 「使えねえ奴」 アレンは闇雲に逃げ回るしかなかった。 敵と遭遇しながら何度も危機があったが、それらを掻い潜り、ついにトッシュたちは動力炉までやって来た。 連続的な振動音が鳴り響いている。 瞬時に溢れかえった気配。 物陰に隠れていた兵士たちが一斉に姿を見せた! トッシュは舌打ちをした。 「チッ……楽に済むわけないよな」 ここの兵士が集められていたのはライザの差し金だ。 大勢の兵士に取り囲まれたが、なぜか兵士たちは銃を構えずナイフを構えていた。 色の違うプロテクターをつけた部隊長が前で出た。 「我らに勝てる気があるのなら存分に抵抗したまえ。ただし銃などは使うな、動力炉が爆発したらみんな死ぬぞ」 フローラが微笑んだ。 「自爆テロだったらどうする?」 命を犠牲にして動力炉を爆発させる。そういう作戦も世の中にはあるだろう。けれど、フローラの言葉が、ただのはったりだと部隊長は知っていた。 「お前等の目的はわかっている。自爆テロなどするはずがない!」 目的は〈ヴォータン〉を奪うこと。それも見透かされていた。あの場でアレンが〈スイシュ〉を見せなければ、きっと状況は変わっていただろう。 気配が変わった。 部隊長が刹那のうちに隠形鬼に替わっていたのだ。 「牢屋カラ逃ゲ出サレテハ、我々ノ仕事ガ増エルデハナイカ」 状況はより最悪になった。 セレンが叫ぶ。 「リリスさんをどうしたんですか!」 「サテ、何処ニ飛バサレタノカ、私ニモ解ラヌ。辺境ノ地カ、海ノ底カ、遥カ宇宙ノ彼方カ、ソレトモ別ノ次元カ」 その言葉を信じるなら、殺したわけではないらしい。 トッシュは苦虫を噛みしめていた。 「おぼろげだが、おまえの面……覚えてるぜ」 あれはあまりにも一瞬の出来事だった。影から何かが現れ、瞬時撃った刹那には瀕死の重傷を負って気絶した。 「借りは返させてもらう」 動力炉に構うことなくトッシュは〈レッドドラゴン〉を構えた。 「理解ニ苦シム行為ダ。此処ガ何処ダカ解ッテイルノカ?」 「ああ、知っているとも。でもな、おまえだけを狙えば済むことだ」 「狂ッテ居ルナ。実ニ興味深イ男ダ。シカシ、私ニハ勝テン」 「そうだ、俺は狂っている」 トッシュは引き金を引こうとした。 しかし、引けなかった。 目と鼻の先に隠形鬼がいたのだ。 「私ハ御前ガ引キ金ガ引クト同時ニ、65歩以上ハ移動デキル」 六五とは、一弾指という指で弾く僅かな時の間にある刹那の数。 今度こそトッシュは引き金を引いた。 隠形鬼は手のひらを開いて見せた。その手から落ちた弾頭。 「私ノ言葉ガ理解出来ナカッタノカ?」 「ば、莫迦な……信じられるか……ありえん」 「理解セズトモ、現実ハ変ワラン。先ズ、御前ガ一人目ダ」 それはゆっくりとした動作だった。 しかし、トッシュは動くこともできなかった。 隠形鬼の指がトッシュの額を弾いた瞬間、消えたのだ。 そう、トッシュが跡形もなくその場から消えたのだ。 「二人目」 隠形鬼はすでにセレンの前にいた。 そして、同じく消された。 「御前デ最後ダ」 フローラも抵抗することなく消された。 漆黒の闇。 一点の光すらない世界。 そこでは己の肉体すら感じられなかった。 思考だけが存在する。 セレンは声を出そうとしたが、この世界には音すらなかった。 ――無。 思考さえ存在していなければ、ここは完全な無、だった。 躰を動かす。 いや、動かしているような気にはなっているが、動いているかどうかはわからない。 セレンは自分の胸に触れた。 胸の感じはなかった。 手の感じすらない。 五感のうち触覚が失われている。 ここは漆黒なのか、それとも視覚が失われているのか。 声が出せないのだけなのか、それとも聴覚が失われているのか。 嗅覚や味覚はどうだろう? 息をしている感覚や、口の感覚もないので、残る二つの感覚もよくわからない。 そして、時間の感覚もなかった。 長いようで短い時間。 躰の感覚はなかったが、セレンは歩き続けた。 出口を信じて足を止めなかった。 やがて、この無の世界に変化が訪れた。 一筋の光。 たった一筋でも、暗闇の中を照らせばとても眩い。 セレンは気づいた。 自分の躰がある。 「あっ」 声も出た。 光の存在によって、五感すべてが取り戻せた。 あの向こうの側にある光がどんどん強くなっている。 今にも闇は光に呑み込まれそうだった。 視界がぼやける。 「大丈夫セレン?」 「おい、しっかりしろシスター」 聞き覚えのある声。 セレンの視界が開けた。 目の前にあるフローラとトッシュの顔。 「わたし……助かったんですか?」 そこはあの動力炉だった。辺りに隠形鬼も兵士たちの姿もない。 セレンの頭はまだ少しぼーっとしていた。 「どう……なったんですか?」 尋ねられた二人は顔を見合わせ、トッシュは首を傾げた。 「俺様にもわからん。なにもない空間に閉じ込められたと思ったら、あっさり出てこられたな」 どれだけあの空間にいたのだろうか? 兵士たちはトッシュたちを葬ったと思って引き上げたのだろうか? セレンは床を見てハッとした。兵士が二人倒れていた。 「あれは!?」 兵士を一瞥したフローラ。 「あれはここに戻れた途端に、鉢合わせてしてしまって。一人はわたくしが」 「もう一人は俺様が気絶させた」 ということは、フローラとトッシュはほぼ同時に、ここに戻ったということだろうか? セレンも意識がはっきりしないだけで、同じときに戻っていたかも知れない。 気絶していた一人の兵士がむっくりと立ち上がった。 いや、違う。 それはすでに兵士ではなく――隠形鬼。 「オノレ、私ノ術ヲ破ッタト言ウノカ!」 〈レッドドラゴン〉の咆吼。 漆黒の仮面が砕かれ、隠形鬼が倒れた。 一瞬の出来事だった。 術を破られた衝撃を覚えていた隙を突くことができたのか、トッシュの撃った銃弾は見事隠形鬼を仕留めたのだ。 トッシュは仰向けに倒れている隠形鬼を見下ろした。 砕け散った漆黒の仮面。 半壊した顔面は中年の男のものだった。 「こんな顔だったのか……仮面がなきゃただのオッサンだな」 そして、トッシュはお返しとばかりに、中年の男の腹に銃弾を喰らわせた。 フローラはすでにコンピューターの前に立っていた。ここでの目的を忘れてはならない。 「トッシュ、入り口を見張っていて!」 そう言って動力炉のコンピューターを操作しはじめた。 操作の途中でフローラは手を止め、自分の懐中時計を見て不可思議そうな顔をした。 「コンピューターに表示されている時間と、わたくしの時計の時間が違うわ。二時間以上、わたくしの時計が遅れているわ」 言われてトッシュは自分の腕時計を見た。 「俺様の時計は一五時三六分だ」 「わたくしの時計もそれとほぼ同じよ」 二人の時計が合っていると言うことは、コンピューターの時計が狂っているのか? いや、この飛空挺でもっとも重要な、動力炉を預かるコンピューターの時間が狂っているということがあるのだろうか? 時計をしまったフローラは再びコンピューターを操作した。 「今考えるのはやめましょう。まずは〈ヴォータン〉を……ロックを解除したわ。見て、動き出したわ」 人が覆い隠せるほどの大きさの円柱の金属が、床へと収納されていき、金色に輝く槍――〈ヴォータン〉が姿を見せた。 床のコンセントに刺さっている〈ヴォータン〉をフローラが引き抜いた。 すべての動力が止まる。 警報が鳴り響く。 次の瞬間、ここにいた全員が壁に叩きつけられた。 飛空挺が大きく傾いている。 トッシュは壁に足を付けて立ち上がった。 「まさか飛んでいたのかっ!?」 おそらくそのまさかだろう。 フローラも立ち上がり、壁に落ちていた〈ヴォータン〉を拾い上げた。 「迂闊だったわ。中にいたせいで飛んでいることに気づけなかった。いえ、ちゃんと調べるべきだったわ。目の前にある〈ヴォータン〉を奪うことに気が逸ってしまって」 飛んでいる物体が動力を失えばどうなるか――考えるだけで身の毛がよだつ。残された時間はあまりないだろう。 セレンは身を強ばらせた。 「早くしないと落ちます……よね?」 墜落すればこの飛空挺にいる全員ただでは済まない。 トッシュがフローラを見て、〈ヴォータン〉が刺さっていたコンセントを指差した。 「それを元に戻せ、すぐに墜落するぞ!」 「駄目よ、登れないわ」 そう、すでに飛空挺は九〇度近く傾き、壁が床に、床が壁になっていた。 スピーカーからライザの声が響いてきた。 《各員に次ぐ、動力が失われ予備電源で飛行。最悪なことに何者かによって、操縦コントロールシステムが破壊されたわ。船の傾きも直せず、このままだとあと数秒で墜落よ」 放送はそのまま切られず、声が漏れてきていた。 《あれは……まさか、アスラ城に……計られた!?》 激しい衝撃が襲ってきた。 動力炉にいた全員の躰が浮かび上がり、壁に激しく叩きつけたれた。 鼓膜が破らそうほどの轟音が響いている。 何度も何度も大きく揺れる。 あまりの揺れに立つこともできず、その場にいることもできず、受け身も取れずに何度も床や壁に躰を打ち付けられる。 「うっ!」 セレンが短く声を漏らした。 強打された後頭部。 セレンの意識が遠のいた。 アレンは天井高くを見つめた。 そこに突き刺さっている〈キュクロプス〉の船首。 「よく爆発しなかったな」 ドーム状の屋根に突き刺さった〈キュクロプス〉からは、小さな煙が上がっているものの、今のところは大爆発をせずにその場に留まっている。 「きっと燃料を使って飛行していないからですよ。機器が爆発を起こしても、引火する物がなければ大爆発は起きませんから」 アレンに背負われているワーズワースはそう説明した。 何が起きたのかアレンにもよくわからなかった。 激しい衝撃のあと、飛空挺から逃げ出してきたら、こんな場所に来てしまった。 目の前にあるのは銀色の輝くピラミッド型の遺跡だった。 いったいここはどこなのか? ライザが墜落寸前に残した言葉は〝アスラ城〟、そして〝計られた〟という疑惑的な言葉。 少なくともここはアスラ城ではないらしい。 アレンは舌打ちをして溜息を吐いた。 「つーかさ、ここどこなんだよ。やっぱ下じゃなくて、上から出ればよかったんじゃね?」 「九〇度近く傾いてるあれを登るなんて無理ですよ」 あれとは〈キュクロプス〉のことだ。 「でもさ、下に来ても地上じゃなくてこんなとこに来ちゃったじゃねえか」 「たしかに地上ではないみたいですよね……ん?」 「なに?」 「ちょっと思い出したことがあるんですけど。たしかフローラさんが、装置は帝國の地下にあるとかなんとか」 もう一度思い出されるライザの言葉――〝アスラ城〟。 アレンは眼を細めて疑惑の視線をした。 「うっそだー。ここがアスラ城の地下って言いたいわけ?」 「べつに嘘をつこうと言ったわけじゃないんですけど。可能性ですよ、か・の・う・せ・い」 「もしそうだとしても俺〈スイシュ〉しか持ってねえし。またあそこに戻るの嫌だぜ?」 アレンたちはトッシュたちが〈ヴォータン〉を手に入れたことを知らない。 「やっぱり戻ったほうがいいんじゃないですかねー。ほら、ここが地下なら、やっぱりあそこから登っていくしか出口ありそうもないですよね?」 「無理。あの高さは飛び降りることはできても、ジャンプじゃ届かねえし。あんたを背負ってなんて絶対無理」 「それって僕を置いていこうとしてます?」 「さあな。でもあんたを下ろしても無理だろうな。俺の最高記録四八メートルくらいだし」 「ええっ、そんなに高くジャンプできるんですか!? 僕を背負いながらあそこから飛び降りたときもすごいと思いましたけど、何者なんですかアレン君?」 「……いいだろそんなこと。つかさ、戻れないなら進むしかないんだから行くぞ」 話を切り止めて、アレンはピラミッド遺跡に向かって歩き出した。 ピラミッドまでの道は舗装された石畳で一直線に続いている。 「大きいですね」 とワーズワースは感嘆した。 ピラミッドの高さは約五〇メートル以上。およそ底辺の横幅も同じくらいありそうだ。 やがてピラミッドの入り口らしき扉が見えてきた。そして、そこにいた人影。大柄な男とそれに背負われている少女。トッシュとセレンだった。 アレンたちを確認したトッシュが口を開く。 「無事だったか」 無事と言うほど無事ではないが、生きてここまでやって来た。だが、トッシュたちのほうは? ワーズワースは二つのことに気づいた。 「セレンちゃんどうかしたんですか? あと、フローラさんっていうあの人がいないみたいですけど?」 「シスターは気を失っている。あれが落ちるときに頭を打ったらしい。フローラは……いつの間にかはぐれてた、これを残してな」 トッシュは片手に持っていた黄金に輝く〈ヴォータン〉を見せた。 それを一目で〈ヴォータン〉だと察したアレンは、自分が持っていた〈スイシュ〉を取り出した。 「こっちもちゃんと手に入れてるぜ」 淡いブルーに輝く〈スイシュ〉。 トッシュは扉に向かって顎をしゃくった。 「そこに鍵穴らしい物がある。おそらくこの〈ヴォータン〉を挿せば扉が開く筈だ」 「ならさっさとやろうぜ」 アレンに促されてトッシュは〈ヴォータン〉を鍵穴に突き刺した。 駆動音が地響き共に鳴り響いた。 ピラミッドの外壁を奔る電流。 銀色だったピラミッドが金色に輝きはじめた。 そして、ピラミッドの頂上付近にあった〈眼〉が見開かれた! 嗚呼、扉が開く。 永い永い眠りから覚めた古代遺跡。 そこで待ち受けているものは……? 扉の先に広がっていた部屋にはただ一つ、台座があるだけだった。 そこに〈スイシュ〉を乗せろと言わんばかりだ。 アレンはワーズワースを床に下ろし、迷わずその台座に向かって歩き出した。 そして、台座の前で足を止めた。 「置くぞ?」 アレンに顔を見られたトッシュは無言でうなずき、ワーズワースは真剣な眼差しをしていた。 「待て!」 部屋に響き渡った少年の声。 この場に現れたルオの声だった。 しかし、〈スイシュ〉はすでにアレンの手の中にない。 「もう置いちゃったもんねー」 悪ガキのような顔をしてアレンは笑った。 〈スイシュ〉が設置された台座は床の底へと自動的に収納されていく。 「遅かった……か」 ルオは憎悪を浮かべながら歯を噛みしめた。 「ソウ、此デ何モカモ終ワリデ御座イマス」 この場にもうひとり――否、一人減ってもうひとり、ワーズワースに替わってその場に隠形鬼がいた。 驚くトッシュ。 「俺様が殺した筈!?」 「御前ガ殺シタノハ偽者ダ。私ハ御前ガ引キ金ヲ引ク間ニ65歩以上移動出来ルト言ッタ筈ダガ?」 あれは隠形鬼の最期にしては、やけに呆気ない終幕だった。それもすべて隠形鬼の罠だったのだ。 そして、もう一人最後にやって来た女がいた。 「ご苦労様トッシュ。とても良い働きだったわ、本当にありがとう」 「フローラ!」 叫んだトッシュの視線の先で、フローラは隠形鬼の横に立った。 信じたくない出来事ではあったが、トッシュの直感がそう訴えている。 「そうか……裏切ったのか俺様たちを」 「いいえ、はじめからこちら側のスパイだっただけよ。鬼兵団でのわたくしの名は木鬼[モクキ]」 この状況を見て、ルオを腹を抱えて笑い出した。 「あははははっ、じつに愉快だ。そうか、三つ巴という訳か。朕は隠形鬼に謀れ、君はその女に謀れたというわけか……くくくくくっ」 「其ノ通リデ御座イマス。此デ帝國ノ栄華ハ水ノ底ニ沈ム」 「我が帝國にどんな怨みがある? それとも金で雇われたのかい?」 「イエイエ、怨ミデモ無ケレバ、金デモ御座イマセン。次ノ世界ニハ不要ダカラ消エテ貰ウダケノ話」 「シュラ帝國が不要だと……後の世で世界のすべてを治めることになる、シュラ帝國が不要だとッ!!」 ルオの怒号と共に〈黒の剣〉が隠形鬼に向かって飛んだ。 「私ニトッテ、コノ剣ダケハ厄介ナ代物……ナア、れヴぇなヨ?」 〈黒の剣〉が隠形鬼を貫いた――と思ったが、そこに隠形鬼はいない。 しかし、〈黒の剣〉は獲物を見失わなかった。 だれもいない空間を〈黒の剣〉は突いた。 「クッ!」 突如姿を現した隠形鬼は、煌めく透明な魔導盾を手のひらの前に出し、〈黒の剣〉を受け止めていた。 二人が戦いに集中しているのを見計らって、トッシュはアレンに合図を送った。そして、セレンを背負ったまま出口に駆け出す。 戦いなら勝手にやらせてけばいい。 だが、アレンはその場をまだ動かない。 「まだ装置が動いてるかわかんねえぞ?」 台座と共に〈スイシュ〉が床に収納されてから、何の音沙汰もない。 出口に立ち塞がったフローラが答える。 「いえ、ちゃんと稼働しているわ。〈スイシュ〉を設置してから三〇分後、このピラミッドの頂上から一気に水が噴き出すわ。そして一瞬のうちに地上にある帝國は水に沈むでしょう」 トッシュは悲しい瞳でフローラを見つめた。 「帝國を滅ぼす目的のために、表の顔はジードとして、スパイまでして、そして俺様まで使ったのか?」 「いいえ、わたくしの目的ははじめから一貫しているわ。自然環境を守り、この星に緑を取り戻すこと、ジードは表の顔よ。帝國が滅びるのはその課程の一つに過ぎないわ」 少しだけトッシュは微笑んだ。 「……そうか。それならそれでいい、俺様たちはもう用済みだろう? 行かせてもらうぜ」 フローラの横を通り過ぎようとしたトッシュの前に茨の柵が現れた。フローラの生きているドレスから伸ばされた植物だ。 用が済んだら殺すのか? 「行カセテヤレ」 〈黒の剣〉との攻防を繰り広げながら隠形鬼が言った。 「朕との戦いで目を離すとは良い度胸だね!」 一気にルオが猛攻を仕掛ける。 隠形鬼はルオとの戦い続けながら、まだ半分の意識はトッシュたちに向けたいた。 「帝國ヲ討チ滅ボシタ英雄ガ必要ダ。其ノ為ニ選ランダ男ダ」 「すべて筋書き通り、俺様はおまえの手のひらの上で踊らされてたったわけか」 トッシュはそう言いながら開かれた茨の柵に先へと進んだ。逃がしてくれると言っているのだ。ここで無用な戦いをして危険に身を晒すこともない。 だが! 〈レッドドラゴン〉が一瞬のうちに抜かれ、銃弾が放たれた! 銃弾は隠形鬼を外れ、遥か天井へ。 「くッ……」 〈レッドドラゴン〉を握るトッシュの腕に巻き付いた茨。それによって弾丸は明後日の方向に飛んでいったのだ。 「さっさと消えなさい!」 フローラは茨のロープを操り、セレンもろともトッシュをピラミッドの外へと投げ飛ばした。 すでに扉は茨の柵によって閉じられた。中に入るにはフローラを倒すしかない。 トッシュは地面に放り出されていたセレンを背負い、片手を上げてフローラに別れを告げる。 「俺様はフェミニストじゃないが、おまえだけには手を出さない。じゃあな、達者でな」 寂しそうな背中をしてトッシュは歩き去った。 そして、アレンは――。 「ちょっと待てよ、俺を置いてく気かっ、どうして俺は閉じ込められなきゃいけないんだよ!」 アレンはフローラを倒す気だった 「俺はあんたをぶん殴ってでも帰るからな!」 「できるものならご自由に」 微笑んだフローラのドレスから、鞭のように蔓が攻撃を仕掛けてきた。 軽やかにアレンはそれを躱し、〈グングニール〉を懐から抜いた。 しかし、蔓のほうが早かった。 茨が〈グングニール〉を握る腕に巻き付く! 「こんなもの!」 どこかで〈歯車〉の音がしたような気がした。 アレンが蔓を引き千切るよりも早く、真っ赤な蕾が花開いて芳しい匂いを放った。 匂いを嗅いでしまった途端、アレンの躰が痺れだした。 「糞ッ……躰が……」 「神経毒よ。本来なら完全に動きを封じられるのだけれど、さすが半分機械の躰ね」 左半身が痺れて動かない。右半身は問題なく動く。 しかし、〈グングニール〉を握っていたのは左手だった。 〈グングニール〉がアレンの手から滑り落ちた。 すぐに拾い上げようとしたが、蔓はアレンの右足首をも捉えていた。 蔓が力強くアレンの足首を引っ張る。 「うおっ!」 足を掬われたアレンが転倒してしまった。 そして〈グングニール〉も蔦に拾われてしまっていた。 隠形鬼とルオの戦いも決着がついていた。 床に倒れて動かないルオの姿。〈黒の剣〉も微動だにせず床に突き刺さったまま。 隠形鬼がアレンに近付いてくる。 アレンは必死になって蔓を引き千切ろうとしたが、蔓はアレンの動きに合わせて常に一定の弛みを持たせられ、引いても引いても引き千切ることができない。 「サテ、御前ヲドウスルカ、未ダ決メカネテイル」 「俺なんかどうでもいいだろ、ほっとけよ!」 「企ミガ解ラヌ以上、放ッテ置ク訳ニモイクマイ」 「企みなんかねえよ!」 「御前ノ企ミデハ無イ。御前ヲ創ッタ者ノ企ミダ。何故御前ハ創ラレタ?」 「知るかっ、俺が聞きてえよ!」 その問はこれまで何度もアレンの頭で渦巻いてきた謎だった。 半身は人間として、半身は機械として、なぜ創造主はアレンをこのような躰にした? 自分に何があったのか? それをアレンは思い出せなかった。 フローラが隠形鬼に言う。 「不安材料は消去しておくべきだわ」 「未ダ解ラヌ。敵ニ成ルカ、味方ニ成ルカ、此奴ハ両方ノ資質ヲ兼ネ備エテイル」 すぐにアレンが口を出した。 「はぁ? あんたらの仲間になるわけねえだろ。仲間になったら、アレンキとか変な名前で呼ばれなきゃいけねえのかよ?」 隠形鬼はアレンの言葉を無視して話し続ける。 「知ラヌ事ハ知リタクナル。智ヘノ探求心ヲ私ハ優先スル。あれんハ此処ニ残シテ行ク」 もうフローラは口を挟まなかった。 アレンに巻かれたいた蔓がドレスに戻っていく。 「シスター・セレンに宜しくと伝えておいて頂戴」 「自分で言えよ!」 「そう。ならさようなら」 フローラはアレンに別れを告げた。 そして、隠形鬼は何も言わずフローラの躰を触って、共に霞み消えた。 二人の気配は完全に消失した。 まだ躰の痺れているアレンは立てもしなかった。 「マジやべえ。水が噴き出すとか言ってたけど、まさかここも沈むんじゃないだろうな」 「ああ、沈む」 そう小さな声で言ったのはルオだった。 床に這いつくばりながら生きた眼でアレンを見ている。 「なんだよ、生きてたのかよ」 「朕は死なぬ。死など超越して見せる」 「……あっそ。なら頑張って生きろよ、俺は先に行かせてもらうけどな」 アレンは動く右半身を使って這いながら出口に向かいはじめた。 「行かせると思うかい?」 少年の容姿でありながら、ルオは重厚な声を響かせた。 帝國の滅びを目前にしながらも、いまだ皇帝。 〈黒の剣〉がアレンに襲い掛かる。だが、いつのも強烈な切れがない。 どこかで〈歯車〉の音がぎこちなくしたような気がした。 アレンは今出せる全力で手で床を叩き、宙に舞って〈黒の剣〉の一撃を躱した。 見た目では半身だけが機械だが、中身まではどうなっているのか、アレンも知らないことだった。中で完全に分離して機能しているのか、それすらもわからない。 ただ、今わかることは、機械の半身も調子が悪いということだ。 着地に失敗したアレンが床を転がった。 その隙を〈黒の剣〉が過ごすわけがない! 切っ先はすぐ目前まで迫っていた。アレンは躱そうとしたが、焦って踏み込んだ足は痺れている左足だった。 「糞ッ!」 転倒するアレン。 〈黒の剣〉が頬を掠めた。 アレンは動きを止めた。 頬を奔った一筋の紅い血。 〈黒の剣〉は狙いを外れて床に突き刺さっていた。 ルオはアレンに手を伸ばしながら、床に頬をつけて動けなくなった。 「もう一寸たりとも〈黒の剣〉を操れぬというのか……これほどまで悔しいことがあるか……朕は君に負けたのではない……自分の力の無さに負けたのだ」 「はいはい」 そう言ったアレンも動けなかった。 機械の半身まで動かない。 まさか神経毒が機械の半身にも効いたというのか? 本当にそうなのか、アレンにもわからない。 「腹減ったなぁ……動けるようになるのが先か、水浸しになるのが先か。もう水でもいいから腹いっぱいにしてえな。ああ、疲れた」 ゆっくりとアレンは眼を閉じた。 やがてピラミッドの頂上から大量の水が噴き出した。 ピラミッドを流れ落ちた水は遺跡を沈め、扉の開かれたままのこの部屋も、一瞬にして水に呑み込まれた。 ヘリの中でセレンは目を覚ましていた。 「みんなは! まだみんながあそこに!!」 窓の外に見える光景。 帝國が沈む。 激流に呑み込まれてシュラ帝國が跡形もなく消えた。 砂漠一帯が瞬く間に海と化す。 水の勢いは留まることを知らない。 やがて海からはいくつもの川ができるだろう。 川は各地を巡りながら生命を潤す。 セレンは涙を流した。 「こんなことになるなんて……」 水を生み出す装置は、ただ水を生み出すだけではなく、帝國と共に多くの命を藻屑にした。 どれだけの人が逃げ出すことができただろうか? 兵士の多くはわけもわからないうちに水に呑み込まれていっただろう。 〈キュクロプス〉がアスラ城に墜落したとき、もうパニックは最高潮に達しており、統率など取れない状況だった。 ヘリを操縦していたトッシュは不味い煙草の火を消した。 「運が良ければ生きてるさ」 「なんなんですか、わたしが気絶している間になにがあったんですか!」 世界は勝手に進んでいく。そのことがセレンは居た堪らなかった。 ――また、巻き込まれて終わってしまった。 「シスター、あんたは普通の暮らしに戻りな」 こんな出来事に巻き込まれたのに、トッシュの言葉で酷く突き放されたようにセレンは感じた。 「なにも説明してくれないなんて無責任です!」 「たしかに多くの命が失われただろうよ。だがな、帝國が滅びたんだ。きっとこれから世界は良くなる……そう祈ったらどうだ?」 「悲しすぎて祈れません。あんな多くの命の冥福をわたし一人じゃ祈れません。ワーズワースさんも、アレンさんも、フローラさんも、リリスさんだって……どうなったかわからないんですよ」 トッシュはセレンに何も聞かせていなかった。特にフローラのことは、このまま何も語らぬままだろう。 「アレンは簡単に死ぬタマじゃないだろう。婆さんだってまだまだ長生きしそうだ。ほかの二人も……あの若造だけは、ひょろいから死んじまってるかもな」 冗談のつもりで笑って見せたが、セレンは大粒の涙を浮かべて笑える状況じゃなかった。 「ワーズワースさんのことを悪く言わないでください!」 「……すまんな」 その一瞬、トッシュの脳裏を過ぎったのはフローラの顔だった。 トッシュは呟く。 「帰ったら酒でも呷[アオ]って女でも引っかけて寝るか」 空に昇りはじめた夕日。 砂漠に出来た海を朱色に染める。 大量の水は多くのものを流して呑み込んだが、流せないものを多く残ってしまった。 数日のうちに帝国滅亡の噂は世界を駆け巡った。 はじめのうちは誰も信じようとしなかったが、広がる海を目の当たりにして疑う者はいなくなった。 帝國にいったい何が起きたのか? あの海はいったいどこから湧いて現れたのか? それを語るのは一人の吟遊詩人。 トッシュの名を人々に知らしめた英雄譚を、吟遊詩人は今日も謳い旅をする。 その吟遊詩人の噂を聞いたセレンは、歌を口ずさみながら教会の裏庭に咲く花々に水をやった。 あの出来事のあと、教会に帰ってきたセレンは驚いた。 水と泥に流された花壇が元通り――いや、それ以上に美しい花々が咲き誇る庭園に生まれ変わっていたのだ。 だれがいったい? それを考えながらセレンは、嬉しそうな顔をして今日も花の世話をするのだった。 水に育まれた世界はこれからどう変わっていくのだろうか……? 第2章 完 そして、第3章へ つづく 魔導装甲アレン専用掲示板【別窓】 |
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