残された伝言

《1》

「そんな……」
 悲惨な顔をしてセレンが呟き、そのまま立ち眩みがしてアレンに支えられた。
 ただただ無残な光景だった。
 黒こげになって倒れている屍体。
 トッシュは直感した。
「あの炎使いの仕業かッ!」
 火鬼との関係を結びつけるのは当然。
 ここは地下にあるジードのアジト入り口だった。おそらく死んでいるのは門番の男だろう。
 すぐにトッシュはアジトの中に入った。
「フローラ、フローラ無事か!」
 トッシュの頭の中にあるのはフローラのことだけだ。周りの屍体には目もくれずフローラを探した。
 残る三人、アレン、セレン、リリスは慎重に先へと進む。
 セレンは震えながらアレンの腕を掴んでいた。
「こんなの酷すぎます。人間の仕業とは思えません」
 トッシュが目もくれなかった屍体。
 門番と同じように丸こげにされた屍体。生きたまま焼かれたため苦しかったのだろう。関節という関節が力強く曲げられている――藻掻いた証拠だ。
 ほかの手口で殺された屍体もあった。
 消失した顔。消失というより、抉られたような顔面だ。抉ると言っても乱暴なものではなく、まるで巨大なスプーンでゼリーを掬ったように滑らかな傷痕。
 顔を抉られているせいで、辺り一面血の海だ。
 丸こげの屍体と、顔を抉られた屍体がこの場に散乱していた。
 これまで生きている者などひとりもしなかった。まさかアジトにいた者全員、皆殺しにされたのか。
 トッシュはアジト中を駆け回った。
 残っている部屋は二つ。
 作戦室には顔を失い壁にもたれている屍体があった。
 そこから奥の部屋へと進む。
 トッシュがドアを開けた瞬間――。
「ギャアアアアアアッ!」
 男の絶叫。部屋の中からだ。
 椅子に縛られ両足の太股と両腕を切断された仲間の男。脚と腕はすぐそこに転がっていた。
 トッシュはすぐさま男に駆け寄った。
「大丈夫か!」
「……か……めんの……男…と……見た…ことも……ない衣装……の……派手な女に……」
 がくりと男の首から力が抜けた。男は話の途中で事切れたのだ。
 遅れてやって来たリリスはその部屋の仕掛けに気づいた。
「細い糸がドアから伸びておる。それに血の付いた切れ味の良さそうなピンと張られた糸もあるのう」
 それ以上言われなくても、トッシュにはわかっていた。
「これまで数え切れないほど殺しはやってきた。だがな、こんな胸糞の悪い殺しははじめてだ」
 自分の意志ではない。何者かの思惑通り、操られるままに人を殺したのだ。
 トッシュの心にあるのは怒りだ。鋭い野獣の眼が怒りに燃えている。
 そんなトッシュにアレンはさらに火に油を注ぐような真似をした。
「あの炎を使う尻が軽そうな女が絡んでるのは間違いねえな。だとすると、狙いはあんただろ、あんたのせいでここの奴らが殺されたんじゃねえのか?」
 悲痛な顔をしたセレン。
「アレンさんなんてこと……あっ!」
 その瞳が拳を振り上げたトッシュを映した。
「糞餓鬼ッ!」
 アレンはトッシュに殴られた。床に手を付いたが、反撃はしなかった。なぜなら、自分の瞳に映っている者を弱者だと思ったからだ。
「殴る相手が違うだろ。カッカッしてんじゃねえよ、まだフローラって女見つかってねえんだろ?」
「おまえに言われなくても探すに決まってるだろう!」
 トッシュは部屋を飛び出した。
 リリスも隣の部屋に移動しようとしていた。
「わしは適当に休んでおるよ」
 まったくこの事態に動じていない。他人事だ。
 恐ろしさで独りではいられなかったが、かと言ってリリスのように、待っていることもできなかったセレンは、アレンと共にフローラを探すと共に生存者も探した。
 アジトの中をくまなく探した。部屋を見渡すだけではなく、ロッカーなど人が隠れられそうな場所も探した。
 しかし、生存者は見つからなかった。
 ベッドの下に隠れていた男すらベッドごと焼かれて死んでいた。
 生存者はない。
 再び四人が集合して、トッシュがまず口を開いた。
「フローラはいなかった。誰の屍体はわからない奴ばかりだが、おそらくアジトの外にいて助かった者も多いと思う」
 屍体の中には女の屍体もあり、丸こげにされているせいで誰か判別できない者もいた。もしかしたらその中にフローラが混ざっていたかもしれない。
「俺様はフローラを必ず探す。おそらく外にいて助かっている筈だ」
 確証はなくても信じることはできる。
「じゃ、ここでお別れってことで」
 アレンは冷たく言った。
 悲しい瞳でセレンはアレンを見つめている。
「アレンさん、ここまで首を突っ込んでも手伝ってあげないんですか?」
「そんな義理ねえよ」
 だが、トッシュはきっぱりと言う。
「ある。俺様はおまえの命の恩人だぞ、フローラもそうだ。借りくらいちゃんと返せ」
「その女が死んでたらチャラだろ?」
「糞餓鬼、ぶっ殺すぞ!」
「頭に血の昇った莫迦なオッサンには負けねえよ」
 挑発に乗ってトッシュは〈レッドドラゴン〉に手を掛けた。
 しかし、銃が抜かれる前にセレンの制止が入った。
「二人ともやめてください。アレンさん、フローラさんを探すのを手伝ってください。わたしの借りでいいですから、アレンさんに借りを作りますから手伝ってください」
 そして、トッシュはなんとアレンに頭を下げた。
「すまなかった。今はひとりでも力を借りたい。フローラを探してくれ、頼む」
 そう来るとは思わなかったアレンは少し戸惑った。
「お、おう……頭なんて下げんなよ、俺の命の恩人だろ。借りくらい返してやるよ」
 アレンはリリスに顔を向けて話を続ける。
「姐ちゃんはどうする?」
「わしは街の様子を少し見て帰らせてもらうよ」
 リリスは風のように消えた。
 これから三人はどうするべきか?
 アジトの中はもう探し終えた。そうなると、今度は外となるわけだが、探す当てはあるのだろうか?
「ここ以外に隠れ家あんの?」
 アレンがトッシュに尋ねた。
「よく知らん。まだ仕事を手伝うようになって日が浅いんだ、新参に組織の秘密をベラベラしゃべるわけないだろう。だがおそらくある筈だ、こないだの作戦の時、知らない顔も多かったからな」
 セレンが話に加わる。
「ならほかのお仲間さんに連絡を取るのが先決じゃないでしょうか?」
「だから俺様は新参だったから、連絡系統とかほかの仲間とか詳しくないんだ」
 ほかの仲間と連絡を取ることが、フローラを探す手がかりにもなるだろう。これが当面の目的になりそうだ。
 三人いるのだから、三手に分かれたいところだが、セレンを一人にするのは危険だ。それにフローラがここに戻ってくる可能性も考えなくてはならない。
 トッシュはアレンとセレンに顔を向けた。
「おまえら二人でほかの仲間とフローラが探しに行ってくれないか?」
「は? なんで俺ら二人なんだよ、あんたは?」
「俺様はここに残る。フローラが帰ってくるかもしれない」
「なら俺がここに残るよ。一番楽そうだし」
「フローラとおまえ面識ないんだぞ? 屍体だらけの場所に見知らぬ奴がいたら、俺様の名前を出したとしても警戒されるに決まってるだろう?」
「そりゃそうだけど、ほかの仲間を捜すならあんたがいたほうがいいだろ?」
「俺様が持ってる情報なんておまえらといっしょだ。仲間捜しは俺様でもおまえらでもどっちでもできる仕事だ。仲間を見つけたら、そこから俺様に仕事を変わればいい。だが、ここでフローラを待って話をスムーズに進められるのは俺様なんだ。はっきり言って、こんなところでただ待ってるなんてごめんだが、これが良い策なんだ」
「はいはい、わかったよ。行くぞセレン」
 この場をあとにしようとしたアレンたちに、トッシュはトランシーバーを投げて渡した。
「二キロ弱くらいが圏内だ。無駄な通信と、重要な内容は話すなよ、傍受なんて簡単にできるからな。あと俺様や自分たちの名前も言うんじゃないぞ」
「はいはい」
 軽い返事をしてアレンはセレンと立ち去った。
 残ったトッシュは屍体の片付けをはじめた。
 短い間でも、仲間は仲間だ。この仕事をアレンとセレンに任せないという理由もあって、じつはトッシュはここに残ると決めたのだった。
 大部屋である作戦室に屍体を一体ずつ運ぶことにした。
 顔を失った血みどろの屍体の足を持って引きずると、廊下に血の痕が伸びる。余計に無残な光景になるが、手短な運ぶ道具もないので仕方がない。
 黒こげの屍体は今にも崩れそうで、かなり慎重に運んだ。
 一体一体重ならないように部屋に並べていく。
 すべての屍体を並べ終わり、トッシュは仕事終わりの一服をすることにした。
 屍体たちに背を向けて煙草を吸っていると、どこかから足音が聞こえた。
 静かな足音。
 気配は感じられない。なぜなら気配の〝気〟がそれにはなかったからだ。
 動いていたのは屍体だった。
 顔のない屍体がゆっくりと起き上がりトッシュに迫ってきたのだ。
 躊躇なくトッシュは〈レッドドラゴン〉を撃った。
 死肉を貫通した銃弾。
 血は出ない。
 苦痛すら発しない。
 身動きすら止めなかった。
 ――相手は屍体なのだ。
「屍体が起き上がるなんて悪い夢でも見てるのか?」
 トッシュは逃げることにした。
 撃っても死なない――いや、はじめから死んでいる相手は二度も殺せない。
 弱点はどこだ!?
 部屋を飛び出したトッシュは辺りにある物に目をやった。使えそうな物を探す。
 銃弾の殺傷方法は、出血、臓器破壊、脳に損傷を与えるなど、一部の機能を奪うことによって、生命活動のすべてを停止させる。相手に与える傷事態は小さな物だ。つまり、生きている人間には絶大でも、死んでいる人間には微少な攻撃になってしまう。
 死んでいる人間に有効な攻撃は、大きな物理的破壊だ。
 床にサーベルが落ちていた。血が一滴も付いておらず抜かれている剣は、敵とに一太刀も浴びせらなかった証拠。
 サーベルを拾い上げたトッシュは、その刃を顔のない屍体――ゾンビの太股に振るった。
 刃は硬い物に当たって止まった。骨までは断てない。太股にある大腿骨は人間の躰でもっとも太い骨だ、この程度の武器では歯が立たない。
 サーベルは太股に刺さったままだが、トッシュはそれを残して再び走って逃げた。
 敵の脚さえ潰せば、滅することはできなくても、機動力は奪える筈だった。
 一体ですらこんなに手こずっているのに、後ろからは続々とゾンビが追いかけてくる。
 追いかけてくるゾンビはすべて顔がなく焦げていない者。こちらの屍体だけになんらかの処置がしてあるに違いない。
 魔導師でもないトッシュにその検討がつくわけもなく、物理的な大打撃を与えるか、逃げることしかできなかった。
 幸いだったのはゾンビたちが人間ほどの敏捷性を持ってないことだった。おそらくその要因は死後硬直によるものだろう。
 逃げて逃げ切れない相手ではないが、問題はどこまで追いかけてくるのか。たとえ姿が見えないところまで逃げ切っても、いつかはやって来てしまったらどう立ち回る?
「トッシュ、こちらです」
 女の声がした。
 取っ手もないなにもない壁が開いていた。隠し扉だ。
 闇の奥に立っている女の姿。
「フローラ!」
 驚きながらトッシュは声をあげた。
「早く入って」
 フローラに促され、トッシュは隠し扉の中に入った。
 すぐさまフローラは扉を閉めた。
 扉の向う側から突撃するような音と振動が伝わってくる。
「大丈夫です、彼らには開けられませんから」
 そのフローラの物腰も声も動じていない。あんな動く屍体を目の当たりにしても動じていないのだ。
 暗い廊下をほのかに灯すランプの光。細い廊下は人がやっと二人並んで立てるほどの幅だ。
「ここを通れば繁華街の裏に出ることができます」
 廊下を進む。
 ゾンビたちが追ってくる物音などは聞こえない。
「心配したんだぞ、大丈夫だったのかフローラ?」
「ええ、なんとか。襲撃されてすぐに仲間がわたくしのことを逃がしてくれたの。リーダーを失ったばかりで、わたくしまで失えないと……」
 フローラもあの場にいたのだ。
「仲間をやった奴は見たか?」
「いいえ、わたくしはすぐに逃げたから。あの場所で何が起こったのかわからないわ。だから時間を置いて様子を見に行ったら、あなたがちょうど襲われているところに遭遇して」
「あの場には屍体しかなかった。その屍体がいきなり動き出したんだ」
「やはりあれは……顔を見なくてもそうだと思ったわ」
 しばらく歩いて下水道に出ると、そこから地上に上がった。
 繁華街の裏通りだ。
 フローラはトッシュを見つめた。
「ここでお別れよ」
「なに!?」
「わたくしは大勢の敵に狙われているの。だから姿を隠さなくては」
「なら俺様がいっしょにいて守ってやる」
「それは駄目よ」
「巻き込みたくないとでも言うのか?」
「違うわ、頼れるあなただからこそ、頼みたいことがあるのよ」
 そう言ってフローラは銀色の小箱を取り出した。
 箱を開けると中にはクッションに包まれた四角く薄い物が入っていた。
「これはミクロSDカードと呼ばれるもの。大容量の記憶媒体よ」
「これが記憶媒体だと? こんな小さな物になにかを記憶できるっていうのか!?」
「帝國の科学力は世界最高水準ですもの。一般に流通していなくても、こういう物が存在しても不思議ではないわ」
「ということは、帝國の情報がこの中に入っていると言うことか?」
「ええ、最高機密が」
 フローラは箱を閉めて、その箱をトッシュに握らせた。
「あなたに託すわ」
「わかった」
 一つ返事でトッシュは受け取った。
 フローラは躰をトッシュに向けたまま、一歩後ろ下がった。
「どうやって中身を見るのかわからないの。その方法をあなたに探して欲しいのよ。帝國はそれを狙って襲ってくる、今はまだわたくしの手にあると思ってわたくしを襲ってくるでしょう。けれど、わたくしの手にないとわかれば、あなたが襲われる。そうなる前に、なんとしても中身を見て、それを役立ててちょうだい。さようなら、トッシュ」
 フローラは背を向けて走り出した。
「フローラ!」
 追いかけることはできた。
 しかし、トッシュは願いを託されたのだ。
 フローラを追うことはできない。

《2》

 トランシーバーで連絡を取り合い、飯屋に集合することになった。
 トッシュが店に入り奥の個室に着くと、すでにほかのアレンとセレン、そしてリリスまで席について食事をしていた。
 帰らずにリリスが残っていたことは、トッシュにとって好都合だった。
「リリス殿に見てもらいたいものがあるんだが?」
「なんじゃな?」
「これなんだが……なにかわかるか?」
 フローラから託された小箱を開けた。
 たるんだ皺で隠れていたリリスの目が見開かれた。
「小型の記憶媒体のようだね」
「やはりすぐにわかったか……さすが〝失われし科学技術〟に精通しているだけのことはある。この中身が見たいんだが、どうにかならんか?」
「道具さえ用意してくれればどうにかしてやるよ」
「道具とは?」
「わしのうちに一通り揃っておる。もっと早く中身が見たいのなら、この近くにも道具が揃って折る場所があるが?」
 聞かずともそれがどこだかトッシュにはわかった。
 クーロンの地下にある遺跡だ。あの人型エネルギープラントが眠っていた場所に違いない。
 一度はリリスによって解放されたあの場所だが、事件後に再び扉は閉じられた。おろらく閉じたのはリリスだと思われる。シュラ帝國は扉を開けようと手を尽くしたが開かず、現在は少数の兵隊によって警護されている。
 リスクを避けるか、それとも時間を取るか?
 リリスに家に向かうこともリスクがないわけではない。あの場所は敵に知られているため、襲撃を受ける可能性は大いにある。加えて時間を短縮して、機密情報を握れば帝國を牽制し、隠れているフローラの助けになるかもしれない。
 かと言って地下遺跡に乗り込めば帝國と騒ぎを起こすことになり、もしかしたら記憶媒体をトッシュが持っていることが露見するかもしれない。フローラが身を隠し時間を稼いでいる意味がなくなってしまう。
 しかし、トッシュは考えた。
 自らに刃が向けばフローラの安全を確保できるのではないか?
 たしかに記憶媒体はトッシュと共に危険に晒されるが、自らも記憶媒体も守り抜ければいい話だ。
 トッシュは決めた。
「リリス殿が言っている場所は検討がつく。人型エネルギープラントがいた場所は、現在帝國によって封鎖され守られている。リスクは考えたが、そこに向かおう」
 リリスも頷いた。
「あの場所の方がわしの家よりも設備が整っておる。それに中に入ってしまえば、あの場所ほど安全な場所はない」
 二人の話には入っていけないが真剣に聞いているセレン。
 二人の話に入っていく気もなく食べ続けているアレン。
 この二人を置いて話は進んでいく。
 トッシュが提案する。
「事はできる限り隠密に済ませたい。街のや奴らがあまり活動してない時間がいいだろう。深夜と言いたいところだが、あの場所は深夜になると警戒が厳重になる。前に調べたんだが、朝方に見張りが交替して警戒が少し緩くなる。そこを敵にばれずに狙えば、次のシフトまで時間が稼げるかもしれない。アレンちゃんと聞いてるか、おまえが勝手に暴れそうで心配なんだが?」
「なんか言った?」
 やはり聞いていなかった。目の前の食い物に夢中だ。
 繊細な作戦などアレンには向いていなさそうだ。トッシュは諦めた。
「おまえは何もするな。着いてくるだけいい」
「はいはい」
 気のない返事だ。今のトッシュの言葉も理解している怪しい。
 セレンは迷っていた。
 この作戦に参加しなければ、ひとり残されることになる。かと言って、参加すれば戦いに巻き込まれるかもしれない。
「わたしはどこかに隠れて皆さんを待っていますね。ついて行っても足手まといですから」
「そうだな、シスターはどこか安全な場所にいたほうがいい。俺様の隠れ家を紹介してやろう」
 次の目的は決まった。
 作戦開始は朝方だ。

 トッシュに隠れ家を紹介してもらい、セレンは三人と分かれた。三人はこれから別の場所で作戦の準備をするらしい。
 セレンが今いる場所は地下だった。
 トッシュのアジト、ジードのアジト、そしてこの隠れ家。地下には秘密の場所が多くあることをセレンは知った。ほかにも暗躍する者たちのアジトが地下にあるかもしれない。まさに地下は街の裏の顔だった。
 この場所は緊急的な隠れ家なのだろう。
 部屋は半分がベッドで埋まってしまっている。家具はそれ以外にはテレビと棚があるだけだ。棚には缶詰と武器類が並べられている。
 この地下にある狭い部屋に長くいたら息が詰まりそうだ。
 教会にはテレビがなく、あまり見慣れないで、興味で胸を躍らせながら見はじめてたが、話しについていけないものが多く、すぐに飽きてしまった。
「もしかしたら一日くらい、ここにいることになるのかな……」
 アレンたちのことも心配だが、ほかに気がかりなことがあった。
「このままだと3日も教会を開けることになりそう。戸締まりはしっかりしてきたけど、はぁ心配」
 だからと言って、この場を抜け出すことは危険に身を晒すことになる。
「でも……やっぱり!」
 教会は命に代えても大切なものだった。
 セレンは教会のこととなると冷静さを欠く。
 敵にセレンが見つかった場合、殺すよりも人質に使ったほうが利用価値がある。勝手な行動は自らの命を危険に晒すだけではなく、仲間まで危険に晒すことになる。そのことをセレンは判断できなかった。
 なによりも教会のことで頭がいっぱいだったのだ。
 セレンはアジトを出て、地下から地上へと出た。
 長年住んでいる街にも関わらず、セレンはあまり道などに詳しくない。神父が生きていた頃は、街のいろいろな場所に連れて行ってもらったが、それは安全な区域だけである。神父が死んでからは、あまり外に出ることもなくなり、生活圏は狭くなる一方でさらに街にうとくなってしまった。
 周りを見るとあまり柄の良い住人たちではないようだ。
「……舐められないようにしなきゃ」
 セレンは気合いを入れて歩きはじめた。
 歩いていると、前方にヤクザっぽい集団に出くわしてしまった。
 セレンは真面目な顔を頭を下げた。
「ご苦労様です」
 と挨拶をして、まったく動じない振りをしながら足早に通り抜けた。
 舐められないように、気を張って挨拶をしたのだろうが、おそらく挨拶をしたほうが危険だ。幸い今回はなにもなかったが、何度もやればいつかは絡まれる。
 またしばらく歩いていると、商店が増えてきて少し気が抜けた。
 ここなら道を聞いても大丈夫そうだ。
 なるべく優しそうな人を探してセレンは道を尋ねた。
 はじめは『教会』と言って尋ねたのだが、あまりにも通じないために近くにある道を尋ねると、すんなり道順を教えてもらえた。
 やっと教会の近くまで来ることができた。
 セレンは教会の少し手前の道で足を止めた。
 前の失敗を思い出したのだ。
 敵の待ち伏せだ。どうしても教会の様子が見たくて帰ったら、あのときはライザたちに待ち伏せされてた。
 警戒はしつつもセレンは大丈夫だろうと思った。
 その判断はある間違った事柄から導き出されたものだった。
 ――帝國じゃない。
 今回、命を狙われているのはトッシュであり、たまたま自分はそこに居合わせただけだとセレンは考えたのだ。鬼兵団が帝國の差し金でトッシュとジードを狙ったなど、結びつかなかったのだ。だから教会にまでは手が伸びていない――と。
 玄関に手を掛けた。鍵は閉まっている。それだけでセレンは安心してしまった。危険や危機感にうといのだ。
 鍵を開けて住み慣れた場所に入った。
 住み慣れた場所だからこそセレンは小さな違和感を覚えた。
 何が起きたのか、何が違うのか、そこまではっきりとわかる感覚ではなかった。
 しかし、それはセレンを警戒させるに足るものだった。
 バスルームから気配がした。
 セレンは武器になりそうな物を探した。モップでもなんでもいいが、なにもなかった。取りに行っている間に、気配を見失ってしまうかもしれない。
 昔はハンドガンを忍ばせていたが、自分には扱えないと痛感したときから、持ち歩くことをやめてしまった。
 ドアの前に立ったセレンは、聞き耳を立てて中の様子を探ろうとして、耳をドアに押しつけようとした。
 そのときドアが開いた!
 ドアが向こう側から引かれ、寄りかかる物を失ったセレンはバランスを崩してしまった。
 そして何かにぶつかった。
 セレンの頬がぶつかったものは人肌だった。
「きゃーーーっ!」
 叫んだセレンは慌てて飛び退いた。
 そして、見たのだ――。
「あ、あなた何者ですか!!」
 全裸の男を。
「そちらこそ何者ですか?」
「そ、そそそ、そんなの、そんなことよりソレ隠してください!」
 セレンは手で目元を多いながらソレを指した。
 空色の髪が印象的な青年は、少しはにかんでタオルを腰に巻いた。
「入浴後はいつも裸で過ごすクセあるんだ。ごめんよレディーの前で、すまないことしちゃったね」
 タオルが巻かれてもセレンは視線を合わせられずにいる。顔は真っ赤だ。
「そんなことより、あなた何者なんですか!」
「そんなことって言うなら、タオルもう一度外しましょうか?」
「あ~~~っもぉ、だからあなた何者か聞いてるんです!」
「それはこちらのセリフですよ。そちらこそ何者ですか?」
「ここに住んでいる者に決まってるじゃないですか!」
「あぁ~っ、どうりでそんな格好をしていると思いました、ここのシスターさんですか」
 青年は手のひらの上でポンと手を叩いた。
 すっかりこの青年のペースになってしまっている。
 セレンはパニックになりかけていた。
 緊張の糸を張り詰めて、もしかして危険があるのではないかと思っていたところに、こんな男が現れた。悪人には見えないが、明らかに不審人物だ。
「わたしのことなんていいですから、あなた誰なんですか!」
「申し遅れました、僕は愛の吟遊詩人です」
「はい?」
「正確には愛の吟遊詩人をしながら、各地でバイトして旅をしているトレジャーハンターです」
 トレジャーハンターという言葉にセレンは聞き覚えがあった。トッシュも同じ職業を自称していた。
「吟遊詩人とかトレジャーハンターとか、わかりません!」
「吟遊詩人というのはね」
「説明しなくていいですから早くここから出てって行ってください!」
「ここ教会ですよね?」
「そうですけど?」
「僕困ってるんです。旅暮らしをしていると、安全で清潔な寝場所を探すのが大変で。ここを見つけたときは、廃墟の教会を見つけてラッキーっと思ったんですけど、シスターがいるなら改めてお願いしたいと思います。何日かここに泊まりますから、よろしくお願いします」
 泊まらして欲しいのではなく、泊まるとすでに決めた発言だった。
 こんな強引な青年だが、〝困っている〟と聞いてしまっては、セレンはそれに弱かった。
「……わかりました、明日の朝までなら」
 見ず知らずに今出会ったばかりの、しかも勝手に上がり込んでシャワーを使うような男を、この場所に泊めることが危険だというのはセレンも承知だ。わかっていながらも、困っている人を見捨てられないのだ。
 青年はセレンの両手を掴んで固い握手をした。
「ありがとう女神様。あなたは僕の命の恩人です、ありがとうありがとう!」
 握手をしている最中、はらりと青年の腰のバイスタオルが落ちた。
「……きゃーっ変態!」
 セレンの平手打ちが青年の頬をぶった。
 頬を紅くした青年は笑っていた。
「ごめんごめん、取れちゃったみたい」
「わかってますから早く着替えてください!」
「それが……洗濯しちゃったんだよね」
「…………」
 セレンは返す言葉もなかった。
 タオルを直した青年は尋ねてきた。
「それでどの部屋使っていいの?」
 マイペースだ。
「じゃあ……こっちの部屋で。あと神父様の服しかありませんけど、貸してあげますけど、ちゃんとここを出て行くときに返してくださいね!」
「神父様もいるのか。まあ教会なんだから当然だね。それでその神父様はどちらに?」
「……亡くなりました」
「あ、ごめん」
「べつに気を遣わなくても大丈夫です。今はわたししかいないんです」
 言ってからセレンはハッとした。もしも青年が悪い奴だったら、独りと知れたら余計に危ないではないか。泊める時点で十分に危ないが。
 泊めると決めてからもセレンはずっと後悔している。
「……はぁ」
「どうしたの溜息ついちゃって? やっぱりさっきマズイこと聞いちゃった?」
「違うんです、あなたみたいな見ず知らずの人を泊めるなんて莫迦みたいだと思って」
「そんなことないって、シスターは女神様だよ。見ず知らずがダメなら、ちゃんと自己紹介しようよ。ほかにもお互いのこといっぱい話そう、そうすれば友達さ」
 悪い人には見えない……だけかもしれない。
 不安は尽きないが、セレンは青年の笑顔を見ていると少し心がほぐれた。
 その笑顔に亡くなった神父の面影を見いだしてしまったのだ。
 神父とこの青年は歳が離れていて、顔もぜんぜん違う。けれど、神父も同じように笑うときは本当に無邪気そうな顔をするのだ。
 ぼうっと自分の顔を眺めるセレンを、不思議そうな顔で青年は見つめた。
「どうしたの?」
「あっ、いえ……べつに……ええっと、なんの話をしてたんでしたっけ?」
「自己紹介しようよ。僕は自然を旅するのが大好きな愛の吟遊詩人――ワーズワース。君の名は?」
「わたしはセレンです」
「詩的な名前だね。歌がうまそうだ」
 褒められたセレンは少し頬を紅くした。
「べ、べつにうまくはありません。でも歌うのは……好き、かもしれません」
 急にセレンは早足で歩きはじめた。照れ隠しだ。
 セレンが案内した部屋は神父が使っていた部屋だった。
「ここを使ってください。あとお風呂と台所とトイレは自由に使っていいですけど、ほかはあまり勝手に使わないでくださいね」
「それだけ貸してもらえれば十分だよ」
「あと……わたしはまたしばらく教会を開けますから、明日になったら勝手に出てってくださいね、入ってきたときのように」
「僕ひとり残しちゃって平気かなぁ。僕が盗人だったらどうする気?」
「取られるような高価な物はありませんし、あなたのこと信用しますから」
 真面目な顔をしたセレンに青年は笑いかけた。
「ありがとうセレン」
 さっそく名前を呼ばれてセレンはなんだか気恥ずかしかった。
 出会ったばかりなのに、どんどん距離を縮めてくるワーズワーズに戸惑う。
「わ、わたし行きますから。くれぐれもよろしくお願いしますからね!」
 セレンは走り出した。
 このまますぐ教会を飛び出す勢いだったが、ちゃんと金品の蓄えは持ち出した。無闇に人を助けても、しっかりするところはしっかりしているらしい。

《3》

 まだ人々が眠っている早朝。
 速やかに密やかに作戦が遂行されていた。
 なによりも重宝したのがリリスの助援であった。
 見張りの男を立ったまま硬直させ、声を出せない状態にしたリリスの術。遠めから見る分には、見張りを続けているように見える。これによって少なからず、発覚までの時間が延ばせただろう。
 トッシュが活躍する機会など与えられぬほど、リリスは積極的に動いた。これも気まぐれだろうか?
 なにもしなくていいと言われていたアレンだったが、実際に何か起これば働かなくてはならなかっただろう。けれど、その機会もついにやって来なかった。
 前にもこの場所に来た。
 何もない扉。何もないが故に、限られた者しか開けることができない。
 また再びリリスがこの扉を開いた。
 部屋の中は前となんら変わらない何もない部屋。
「おぬしらはここで待っておれ」
 そう言ってリリスはほかの部屋に移動した。
 トッシュは驚いた。
「ほかの部屋があったのか!?」
「知らなかったのかよ? なんかいろんな部屋があって、いろんなもんが収納されてるみたいだぜ」
 アレンが譲り受けたエアバイクもここで手に入れた。
 驚きと共にトッシュはショックを受けていた。
「だったらここはトレジャーハンターにとって夢の場所じゃねえか。こんな近くに宝の山があったのに、今まで俺様はなにをしていたんだ」
 後悔も押し寄せてきた。
 トッシュは床や壁を調べはじめた。
 だが、リリスのように開くことができない。
「なあ、これどうやって開けるんだ?」
「俺に聞くなよ。リリスに聞けばいいだろ」
「ここのもん勝手に持ち出すのに、あの婆さんに許可取るなんて莫迦か」
「おいおい、持ち出すなら許可取らないあんたのほうが莫迦だろ」
 アレンに構わずトッシュは開き方を調べ続けた。
 床、壁、天井、凹凸一つない。
 仕掛けらしき仕掛けがなく、どうやって開くべき扉すらどこにあるのかわからない。
 探せど探せど手がかりもなく時間だけが過ぎていく。それでも宝を目の前にしたトッシュは諦めることを知らなかった。
 そのうちアレンも暇になってきて、辺りを調べはじめた。
 リリスが扉を開けるのを前に何度も見たアレンは、それをよく思い出してみることにした。
 ――ただ触れただけ。
 そうとしか見えなかった。
 その動作だけで、亀裂のなかった場所から箱が出てきたり、次の部屋の扉が現れたりした。
 ためにしアレンもただ触れた。
 当然の反応であると言わんばかりに何も起きない。
 おそらくただ触れるだけは駄目なのだ。それでいいのならば、さきほどからトッシュがむやみやたらに触れており、下手な鉄砲も数を撃てばそのうち当たりそうなものだ。
 〝触れる〟とい動作は必要な動作なのだろう。〝触れる〟からには、触れた瞬間に何かをしているはずだ。
 アレンは考えた。
 考えた結果……わからなかった。
「糞ッ、わかるかんなもん。ぶっ壊してやる!」
 〈グングニール〉が抜かれた。
 それを見てトッシュは慌てアレンに飛び掛かろうとした。
「馬鹿野郎!」
 しかし、これ以上近付くのは危険だった。
 アレンが引き金を引いたのだ。
 稲妻が床に当たった瞬間、アレンの躰が海老反りになって飛び上がった。
 瞬時にトッシュは自らの意志で高くジャンプしていた。
 一瞬にして電流が部屋中を駆け巡った。
 倒れたアレン。
 着地したトッシュ。
 すぐにトッシュはアレンの様子を見るのではなく、自分の靴の裏を調べた。
「なんだよ、ちょっと溶けてるじゃねえか」
 ジャンプは間に合わなかったらしい。けれど、ゴム底は電気を通さなかったようだ。
 靴を調べ終わると、トッシュはアレンの頬をぶった。
「おい、寝てないで起きろ。飯だぞ!」
「う……ううっ……ひでえ目に遭った……」
「自業自得だろ。おまえ本当に莫迦だな」
 アレンのブーツは、その機動力を生かすために頑丈な金属でできていたのだ。
 どこかで〈歯車〉の音がした。
「糞ッ……勝手に……」
 アレンは歯を食いしばりながら胸を押さえた。
「おいっ、どうした?」
 目を丸くしたトッシュはアレンの顔から汗が噴き出すのを見た。
 汗は尋常な量ではない。
 トッシュはアレンの頬に触れて見た。
 燃えるように熱い。
「おいっ、大丈夫なのか!?」
 どこかで〈歯車〉が激しく廻る音がした。
 部屋が動き出す。
 何もなかった壁や床に、直線で構成された迷路のような光の線が走った。
 大小様々な箱が次々と現れる。
 扉という扉が次々と開いていく。
 部屋にあったものがすべて解放されているのだ。
《認証完了しました》
 合成音が響いた。
 そして、最後の部屋の中心に現れた巨大な球体。
 それはシャボン玉のように、流動しながら七色に輝いていた。
 球体からホログラム映像が投影され、宙に映像が映し出された。
 映像は酷く乱れ、ノイズでかろうじて人が映っているのがわかる程度だった。
《……サイゴノ……キボウ……》
 音声も途切れ途切れだ。
《アナタガ……ワタシノセイシン……コノヨニ……》
 アレンは瞳を見開き驚いた顔をして硬直したまま。
 なにが起きているのかトッシュは理解に苦しんでいた。
「なんなんだ……なんのメッセージだ?」
 おろらくこれは今通信されているものではなく、残されていたメッセージだ。
 メッセージには必ず受け取るものがいる。
 このメッセージはいったいなんの目的で残されていたのか?
《……オソロシイケイカク……アナタダケ……ラクエン……スベテハソコニ……》
 ノイズがさらに酷くなっていく。
《……ホントウニ……ごめんなさい》
 最後の言葉だけ、はっきりと女性の声で聞こえた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 突然アレンが叫んだ。
「どうした!?」
 慌ててトッシュはアレンを押さえる。
 アレンは狂ったように床の上を転げ回りながら暴れた。
 艶やかな風が吹く。
 場を一転させるほどの存在感を持つ者がアレンの前に現れた。
 妖女リリス。
 世にも美し過ぎて怖ろしいリリスの顔が、半狂乱のアレンと向き合った。
 リリスの瞳が妖しく輝いた刹那――アレンは気を失った。
 すぐにトッシュがアレンを抱きかかえた。
「こいつに何があったんだ?」
 と、アレンに視線を向けてリリスから目を離し、再びリリスに視線を戻すと――すでにそこにいたのは妖婆だった。
「まったくとんだ邪魔が入ったね。この子のせいでシステムがちょいとイカれちまったよ。メモリの情報を取り出すのに二、三時間は掛かるから大人しく待ってな」
「二、三時間も掛かるのか? この糞餓鬼のせいでか!?」
「今は寝かせておやり。起きたらこっぴどく叱ってやるんだね」
 リリスは妖しく笑いながらまた部屋の奥へと消えてしまった。
 気がつくと箱も扉も投影機も、何もない部屋に戻っていた。
「……三時間もこの部屋で待っててか。おいっ、糞餓鬼起きやがれ!」
 トッシュはアレンを揺さぶってみたが反応はゼロだ。
 あきらめたトッシュは床に寝っ転がった。
「寝る!」
 朝方の作戦だったため、ろくな睡眠も取っていなかった。
 トッシュはすぐに眠りに就いた。

「お~き~ろ~よ、オッサン!」
 アレンがつま先でトッシュの脇腹を蹴ろうとした。
 殺気!
 瞬時に目を覚ましたトッシュはすでに銃口をアレンに突き付けていた。
「変な起こし方すると撃つぞ?」
「起きてたのかよ?」
「いや、寝てた。眠りが浅いんだ、いつ敵の襲撃があるかわからんからな」
 〝一匹狼〟だったトッシュは、常に自分の身は自分で守る必要があったのだ。
 この場にはリリスもいた。
「いつでも情報は見られるようにしといたよ。こいつの使い方がわかれば、の話だがね」
 ある物をリリスはトッシュに手渡した。
「パソコン……らしいが、今出回ってるもんじゃないだろこれ。こんな小型の見たことないぞ」
 A4サイズのノートパソコンだった。
 リリスは首を横に振った。
「いや、これは今の時代の物だよ。帝國がつくった最新型さ」
「さすが帝國だな。一〇〇年先行ってやがる」
 一〇〇年というのは言い過ぎだろうが、シュラ帝國が世界最高水準の科学技術を持っているのはたしかだ。
 しかし、着目するべき点はそこではないだろう。
 アレンは首を傾げていた。
「どこで手に入れたんだ?」
 この場所に来た理由は、帝國の力を借りずに記憶媒体から情報を取り出すため。帝國のノートパソコンがあるのなら、ここに来た理由がわからない。
「つくったんじゃよ、わしが。帝國の最新型と言ったが、正確にはそれを真似てつくったもんさ」
 そんなことが可能なのか?
 可能だとしても、帝國のノートパソコンの情報、設計図などは、いつどこで手に入れたのか?
 妖しく笑うリリス。
 トッシュたちが眠っている間に、リリスは外に出て帝國のノートパソコンを研究して来たのか?
 わざわざ外に出て、そんなことをするくらいなら、ノートパソコンごと盗んでくればいい。 それらを考えたトッシュは頭が混乱した。
「つくるったって、どうやって?」
「シュラ帝國の技術はすべて〝失われし科学技術〟が元になってるのさ。それに依存しすぎていることが仇となったね。まあここの技術を使える者じゃなきゃ、帝國の脅威にはならんじゃろうが」
「よくわからんのだが?」
「おぬしは知らんでいいことじゃよ」
 そう言われると余計に気になる。
 トッシュは宝の山を目の前にして手をこまねくことしかできないのか。
「リリス殿、折り入って話があるのだが?」
「おぬしにはなにもやらん」
「言う前から! そこをなんとならんか、エネルギープラントは手に余る物で諦めたが、なにかもっと手軽で便利な物を一つでいい!」
「さあ、用は済んだ。ゆくぞ」
 リリスはトッシュを置いて歩き出した。
 それでもまだトッシュは食い付こうとした。
「リリス殿! リリス殿!」
 リリスは完全に無視をした。
 その二人の姿を見ながらアレンは溜息を漏らした。
「オッサンのクセして子供みてえだな」
 こうして三人はこの場をあとにすることになった。トッシュは後ろ髪を引かれながら――。
 開かれる扉。
 坑道へと続く道。
 トッシュは銃を抜こうとしたが、向こうのほうが早かった。
「……だろうな」
 予想していたかのようなトッシュの呟きだった。
 遺跡を出てすぐに待ち構えていた兵の群れ。今から蜂の巣でもつくるかのように、向けられている数え切れない銃口。
 中で時間を食ってしまった結果だ。待ち伏せは当たり前と言えば当たり前だろう。
 そこまでの予想はできた。
 問題はさらにあった。
「ごめんなさぁ~い、また捕まっちゃいましたぉ~っ」
 捕まっているセレン。
 その横で艶やかに笑っているライザ。
「朝食でもご一緒にいかが?」
 その誘いにアレンが答える。
「なに喰わせてくれんだよ?」
「お腹いっぱいの銃弾なんていかが?」
「腹に穴開けられたら膨らむもんも膨らまねえよ」
 たったひとりの人質を取られただけで、窮地に追いやられた。人質さえいなければ、トッシュはいくらでも策を考えていた。追い詰められたときには、最後の手段としてリリスという駒もある。
 トッシュは頭を抱えた。
「なんで捕まっちまったんだよシスター」
「ちょっと教会の様子が気になって、その帰りに見つかってしまって……」
「大人しくしててくれよ。なんのために俺様が隠れ家を提供したと思ってるんだ」
「ごめんなさぁ~い」
 謝って解決する問題ではない。
 急に兵士たちが騒ぎ出した。
「そいつはおらの獲物だ。だれにも渡さねぇ」
 兵士たちの足下から土鬼の上半身がせり出してきたのだ。天井の低いこの場所では、足の先まで顕現することはできない。
 ライザが命ずる。
「全員殺さず捕らえなさい。抵抗するようなら手足くらいなら奪っても構わないわ」
 そんな声など土鬼は聞いていなかった。
 土塊である巨大な拳が狭い坑道で振り回された。
 壁が砕かれ、天井からも硬い土の破片が落ちてくる。
 巻き添えを食う兵士たち。
 ライザも後ろに引くしかできなかった。
「やめるのよ土鬼! この莫迦鬼!」
 罵る声も破壊音に掻き消されてしまった。
 土鬼はライザの命令を無視してトッシュに襲い掛かった。
 その混乱に乗じてアレンはセレンを救出しようと動く。
 セレンを捕らえている兵士は怯んでいる。暴れる土鬼に気を取られて、アレンたちどころではないようだ。
 どこかで〈歯車〉の音がしたような気がした。
 兵士が気づいたときには、拳が目と鼻にあった。
 アレンの強烈な一撃。顔面の骨を砕き、一発で兵士を倒すと、すぐにセレンの躰を抱えた。
「逃げるぞ!」
「どこにですか!」
 逃げ場などない。
 ただでさえ兵士で道が塞がれているというのに、土鬼の登場でさらに道は狭くなった。その土鬼はトッシュと交戦中で、こんな狭い場所で近付けば巻き添えを喰うのは避けられない。
 脱出できないのなら、戻るしかあるまい。
 アレンはセレンを抱きかかえたまま遺跡に飛び込んだ。
 すでにリリスは扉を閉める準備をしている。
 慌てるトッシュ。
「おいっ、俺様を見殺しにするつもりか!」
 土鬼を置いてトッシュが入り口に飛び込んだ瞬間、扉は閉まった。
 また遺跡の中に戻って来た三人とセレン。
 アレンはリリスに尋ねる。
「で、出口は?」
「さあ、そこ以外にあったかのぉ」
 外では敵が待ち構えているだろう。
 トッシュは愛銃の〈レッドドラゴン〉を握り締めた。
「今度は人質なしだ。どうにかなるだろう」
「ご、ごめんなさい」
 セレンはしゅんと肩を落とした。

《4》

 部下に命令はしたが、無駄だとわかっているライザは、ノートパソコンに向かって自分の研究を進めていた。
 ノートパソコンのディスプレに映し出されているのは、体重や身長などの身体測定のデータ。背の高さや体重から考えて、おそらく子供のものと思われる。
 作業をしていると、すぐ近くで対大型昆虫用のバズーカが扉に向かって放たれた。
 坑道に響く轟音。
 少し天井が崩れてきた。
 ライザはピタッと手を止めた。
「うるさいわよ、もっと静かにやりなさい!」
 ライザの怒号に兵士たちは背筋を伸ばした。
 フルフェイスで隠れている兵士たちの顔だが、その下ではさぞかし嫌な顔をしているだろう。どんな手段を使ってでも扉を壊せと命令したのはライザだ。
 どんな手も使えなくなった兵士たちは、打つ手がなくなり静かになった。
 アレンたちはいつになったら出てくるのか?
 持久戦が開始された。
 それも数分と持たなかった。すぐにライザが痺れを切らせたのだ。
「帰るわ。彼らが出てきたらすぐに捕らえて連絡なさい」
 帰ると歩き出したライザとは逆の方向から人影がやって来る。
 不気味な仮面の主――隠形鬼。
 ライザは眉をひそめた。
「なぜアナタがここにいるのかしら?」
「私ノ力ガ借リタイト呼バレテ参上イタシマシタ」
「アタクシは呼んでないけれど?」
 兵士の中から火鬼が割って出てきた。
「わちきが呼んだでありんす」
 さきほどは土鬼が暴れ回って出番がなかったが、じつはこの場に火鬼もすでにいたのだ。
 ライザは首を傾げる。
「なぜ?」
「隠形鬼のお頭様は、この手の物に精通しているのでありんす」
 それを聞いてライザは喜びもせず、あからさまに嫌な顔をした。
 ――自分に開けられなかった扉をこいつが開けるのか?
 鼻で笑ったライザ。
「どうぞ、できるものなら開けていただけるかしら?」
「御意」
 そう短く返事をして隠形鬼は扉に向かって歩き出した。
 扉の前に立った隠形鬼は首を縦に動かし観察しているようだった。
「フム、ゴク最近造ラレタ扉ノヨウデ……失ワレテイル筈ナノニ、珍妙ナ」
 仮面の奥から低い笑い声が響いた。
 ここは〝失われし科学技術〟の遺跡だ。新しい物がある筈がない――というのが当然だ。この扉を造り直したのはリリスだった。
 しかし、なぜ〝最近〟とわかったのか?
 隠形鬼は扉に触れた。ただそれだけだった。
《認証完了しました》
 扉が開く。
 ライザは驚きのあまり目を丸くしてしままま声も出なかった。
「……ッ!?」
 衝撃と共に悔しさが込み上げてくる。
 自分が開けられなった扉を開けた。それも何か大がかりなことをしたわけでもない。時間を掛けたわけでもないのだ。
 どうやって開けたのか聞くことすら、ライザのプライドが許さなかった。
 ライザはヒールを鳴らして遺跡の中に入った。
「行くわよ」
 その声には怒りがこもっていた。
 なにもない部屋。その部屋にはなにもなかった。アレンたちの姿すら――。
 さらにライザの怒りは増した。
「どういうこと?」
 空の箱と化している部屋。
 一見してなにもない部屋だが、ライザは仕掛けがあることを知っている。前にリリスが目の前で、エネルギープラントを目覚めさせたのを見ている。
 ライザは床や壁を調べはじめた。出口に繋がる仕掛けもあると考えたのだ。
 しかし、見つからない。
「触れるだけでは駄目なのね。呪文を唱えているようには見えなかったから、生体認証[バイオメトリクス]かしら」
 ライザはちらりと隠形鬼を見た。
「ここのギミックを動作させることはできて?」
 挑戦を突き付けた。
「ハテ、私ニハ不可能ナヨウデ」
「……そう」
 ライザは嫌な顔をした。
 隠形鬼の言葉が嘘か真かわからない。なにも調べもせず、不可能だといきなり言ったのだ。扉をいとも簡単に開けた者の言葉なのか?
 兵士が慌てて部屋に飛び込んできた。
「連絡します! 不審な乗り物を目撃したとの情報があり、調べさせたところ、すでにトッシュ一味は町を出た模様です」
 報告を受けたライザは床を調べるのをやめて立ち上がった。
「やはり抜け道が……まあその件はあとでじっくりと調べましょう。まずは彼らの捜索を第一に、全員生け捕りにするのよ。鬼兵団にもちゃんと仕事をして欲しいものだわ、前回は彼らを前にしてなぜか引き上げたらしいけれど?」
 火鬼が持っている壺を指差して訴える。
「それはこの莫迦が命令を聞かずに!」
「私ノ命令デ御座イマス。土鬼ガ無礼ヲ働イタ為、日ヲ改メル事ニ致シマシタ」
 隠形鬼の話を聞いて、ライザは睨みを利かせた。
「騎士道か何かのつもりかしら、そんなの求めてないわ。こちらがが望んでいる仕事をしてくださらない?」
「わちきはちゃ~んと自分のお勤めはしたでありんす」
「それはアナタ方内部の役割分担の話で、こちらは鬼兵団という組織に依頼をしているのよ。果たせなければ連帯責任よ」
「私達ハ自由意志デ集マッタ寄セ集メ、連帯責任ナド誰モ取リタガリマセン」
「ならトップであるアナタが責任を取りなさい」
 ライザはそう言って微笑んだ。完全に隠形鬼を目の敵にしていた。
「ソレハ分カッテオリマス」
 依頼内容をライザは再度確認する。はじめの依頼から、ここまでの間に追加された内容もある。
「まずトッシュ一味を生け捕りにすること。そして、ジードの残党を見つけ出して始末、リーダーも早く見つけ出してルオ様の前に突き出してくれないかしら?」
「ソノ件デ御座イマスガ、じーどノりーだーハ既ニ死亡シテイル模様」
「なら新しいリーダーかその候補、サブリーダーとかいるでしょう。気が利かないのね、まったく。とにかくリーダーの代わりになる奴を捕らえなさい」
「御意」
 隠形鬼は頭を下げて出口へ歩き出した。
「行イクゾ火鬼」
「あいよ」
 鬼兵団がこの場から去ったあと、ライザはつぶやく。
「隠形鬼……信用できない奴ね。いつかあの仮面を剥がしてやりたいわ」
 ライザは艶やかに笑った。

 砂漠を走るタイヤのない自動車。
 楕円形のその車は、少し地面から浮きながら走行している。
 運転席のリリスが横の助手席にいるトッシュに尋ねる。
「どこか行く当てはあるのかい?」
「ない。近くの町も村も帝國の追っ手が現れるだろうな」
 鬼兵団だけではなく帝國まで絡んできた事実を彼らは知った。坑道で土鬼とライザがいっしょにいたのが証拠だ。
 後部座席からアレンが前の席に身を乗り出してきた。
「なあなあ、そんなことより取り出した情報見ようぜ」
「お前らには見せん」
 きっぱりとトッシュが言った。
 さらにアレンが身を乗り出してきた。
「え~っ、なんでだよ~!」
 フローラがトッシュに託した帝國の機密情報。シュラ帝國の機密となれば、世界を揺るがすだけの価値はある。そんなものを易々と広めるわけにはいかない。
「わしはもう見たが?」
 リリスが妖しく微笑みながら言った。
 それに関しては、トッシュも許容しているようだ。
「あなたに頼んだ時点でそれは承知だ。リリス殿は世俗にあまり関心がないようなので、むやみやたらと他言することもないだろうし、なんでも自分の力でできるあなたに帝國の情報なんて価値もないだろう」
「さて、それは時と場合によるがね」
 含みのあるリリスの言い方だ。リリスはいったいどんな情報を見たのか?
 情報の入ったノートパソコンはトッシュの膝の上に置かれている。
「お前らもむやみやたらと他言するような奴らじゃないことは、短い付き合いだがわかっている。この中身が知りたいなら、その情報を使って俺様がやることに協力しろ。それが条件だ」
 アレンは身を乗り出していた躰を引いて、座席に深く腰掛けた。
「俺パス。めんどくさいことに巻き込まれたくないし」
 セレンも首を横に振った。
「わたしもこれ以上は……」
 これ以上は付き合いたくないが、トッシュたちと分かれれば、独りで帝國に追われるハメになる。
 トッシュと共に行動して、より深みにはまっていくのか。
 アレンと放浪の旅をして、帝國の影に怯えて逃げ続けるのか。
 リリスと共にという選択肢はないのだろうか?
 申し訳なさそうにセレンはリリスに声をかける。
「あのぉ、リリスさん?」
「なんじゃな?」
「リリスさんのところでわたしを匿ってもらうわけには~……家事とかならなんでもできますから!」
「わしは自分の世話くらい自分でできるよ」
 やんわりと断られたのだろうか。
 リリスは話を続けた。けれど、それは今の続きではなかった。
「おぬしら本当に情報を聞かなくていいのかい? たとえおぬしら、いや、すべての人々に関わるような重要なことでもかい?」
 中身を知っているリリスの揺さぶりだ。
 しかし、その程度の揺さぶりではアレンは落ちない。
「勝手にすべての人々に入れられてたまるかよ。俺は自由だから、そーゆー枠組みに囚われないで生きてるしカンケーないね」
 一方セレンは悩んでいた。
「すべての人々……ここで聞かなくても、巻き込まれるってことですか?」
 リリスが答える。
「巻き込まれるって言い方は正しくないね。もしそれが実現したら、人々も恩恵に預かれるってことさ」
 小出しにされるヒント。
 ここでトッシュが止めに入った。
「あまり中身について言わないでもらいたいんだが。言ってもいいのは、こいつらが協力すると誓ってからだ。俺様の中身を見てないから、どういう協力になるかはわからんが」
 アレンは窓の外を眺めている。セレンはまだ迷っているようだ。
 少し無言の時間が流れた。
「あっ!」
 急にアレンが声をあげた。
 横にいたセレンが驚く。
「どうしたんですか!?」
 アレンは窓の外を指差した。
「あれってこっちに向かって手振ってんのか?」
 窓の外に見たモノは人影だった。
 セレンが前の席へ身を乗り出した。
「トッシュさん止めてください!」
「放っておけ」
「そんなことできません、早く止めてください!」
「ったく、シスターはお人好しだなぁ」
 トッシュはハンドルを切ってその人影に向かって走り出した。
 どんどんとその人影がはっきりと見えてくると、セレンは驚いた顔をした。
「あの人!?」
 横のアレンが尋ねる。
「知り合いかよ?」
「はい……まあ、そのようなものです」
 そして、車は人影の前で止まった。
 手を振っていたのは青年だった。
 空色の髪をした無邪気な笑みを浮かべる青年だ。
「よかったぁ。やっぱり車だったんだ、変な形だから心配だったんですよ」
 セレンが見覚えのある人物――ワーズワースだった。
 ワーズワースはドアを叩いた。
「ちょっと乗せてもらえません? クェックに乗って旅をしていたら、なんと盗賊に襲われてしまって、命はこのとおり助かったんですけど、クェックはどっか行っちゃうし、食料もお金も全部落としてしまって。あの、聞こえてますこっちの声?」
 それが砂漠の真ん中でぽつんといた理由らしい。
 トッシュがつぶやく。
「これ四人乗りだぞ?」
「詰めれば後ろにもうひとり座れます!」
 人助けになると強気なセレンだ。
 アレンは無言で詰めて座った。
 それに気づいたセレンはちょっぴり笑顔になった。
 トッシュは頭を掻いて溜息を漏らした。
「ったく、シスターの知り合いじゃ仕方ない……か。ツイてる旅人だな」
 後部座席のドアが開かれた。
 乗り込んできたワーズワースは驚いた顔をした。
「あっ、セレンちゃん。奇遇だね、運命だね、神のお導きだねぇ~」
 嬉しそうな顔をしてワーズワースはセレンの横に座った。狭いせいなのか、かなり密着してくる。
 リリスがつぶやく。
「旅は道連れ世は情け……古き良き時代の懐かしい昔の言葉だね」
 こうして思わぬ人物を加え、旅人は五人となった。
 車は何もない砂漠を再び走り出した。

 つづく



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