不気味な足音

《1》

 あなたは最後の希望。
 これをあなたが見ているとき、わたしの精神はすでに此の世にないでしょう。
 あの恐ろしい計画を止められるのはあなただけです。
 楽園に行きなさい。
 あの場所にすべてを隠しておきました。
 あなたにすべてを背負わせてしまって、本当にごめんなさい。

 その世界は優しい光に包まれていた。
 太陽光ではない、空を思わせる広大な天井が輝いているのだ。
 人工の空。大地は黒土だった。
 栄養の行き渡った土壌には豊富な植物が息づいている。
 色とりどりの花々が香り、生い茂る木々立ちが風に揺られている。そこには蜂や蝶も虫たちもいた。そして、手入れの行き届いた芝生が広がっている。
 人工的に作られた自然公園だ。
 公園の先には天井に届きそうな高い影が見える。
 鉄筋コンクリートのビルだった。
 街が広がっている。
 高層ビル群の間を縫うように張り巡らされた空に架かった透明な筒状のトンネル。その中をタイヤのない車が空を飛びながら行き交っている。
 ステーションから発車したのは、磁気浮上式鉄道だ。
 失われた時代。
 世界に住む者たちは、それをロストテクノロジーと呼んだ。
 広大な自然公園の中には湖と大河があった。
 増水があったのだろうか、乾いた大地に船が乗り上げ、木片などの細かいゴミも散らばっていた。
 その中に人影があった。
 まだ子供だろうか?
 それは少年だろうか?
 それとも……?
 微かに微かに歯車の音がするような気がする。
 空を飛んでいたスクーター型エアバイクが、旋回して川岸に下りてきた。
 エアバイクを止め、地面に降り立った人影は、ゆっくりと、まるで怯えるような足取りで、少しずつ近づいてくる。
 気を失っていたアレンの瞼が痙攣した。
 眩しすぎる光。
 目を開けたのはどれくらいぶりだろうか?
 どれほど意識を失っていたのだろうか?
 躰が動かない――まったく。
 いつまで経っても視界が完全に開かない。
 アレンは声を絞り出す。
「腹……減った」
 ピクニック日和だ。芝生の上でお弁当を食べたら、さぞかし美味しいだろう。
 なのに酷く寒く、躰が動かないのだ。
 アレンの視界の先でぼやけている人影は、驚いたように後退った。
「……ピーピーピー……ガガガ……」
 そして、人間とは思えない電子音を発したのだ。
「ガガ……アナタハ……ガガ……あなたはニンゲン……ガガガ……あなたは人間ですか?」
 抑揚には乏しかったが、それは紛れもなく人間の声だった。
 アレンは静かに瞳を閉じた。
「もうちょっと……寝かせろ……起きたら……飯食う……」
 それは眠りについたと言うより、意識がプッツリと切れた感じだった。
 急に辺りが騒がしくなる。
 パトランプをけたたましく点灯させたエアカーが、ぞくぞくと集まってきていたのだ。
 木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立った。
 それは事件だった。
 アレンの出現はこの都市にとって、何千年ぶりかの大事件だったのだ。
 失われた歴史の続きが、紡がれようとしていた。

 ベッドの上で目を覚ました。
 粗末なベッドだった。
 土壁の狭い部屋で、泥臭く、獣の臭いもする。
「……ううっ」
 頭を押さえながら少年はベッドから這い下りようとしたが、全身が酷く痛んで上体を起こすことすらできなかった。
「くっ……」
 自分の躰を観察する。
 着せられているのは麻の粗末な服だ。右上で包帯が巻かれ固定されている。左脚も同じように固定されている。どちらにも添え木が入っている。
 服をめくり上げると、肋骨のあたりが蒼く変色していた。
「……ここも折れているのか」
 ほかにも打撲や擦り傷、無数の傷が体中にあった。
 ドアの先から気配がした。
 少年は身構えるが、それ以上の行動は取れなかった。
 部屋に入ってきたのは15、6の娘。
「きゃっ」
 いきなり少年を見て小さく悲鳴をあげた。
 そして、すぐに頭を下げた。
「ごめんなさい、起きていると思っていなくて。体調は大丈夫ですか?」
「見ればわかるだろう」
 少年はぞんざいに言った。なまいきな感じがする。
 しかし、娘のことが嫌いなわけではないらしい。
「君の名前はなんと言う?」
「ラーレと言います。あなたは?」
「朕は……朕は……」
「チンさん? 珍しい名前ですね」
「いや……そうではない……名前が……思い出せないのだ」
 少年の顔から一気に血の気が失せた。
 ――記憶喪失。
 ラーレは戸惑ったようで、相手の言葉を理解するのに時間を要した。
「名前が思い出せないって……もしかして、ほかの記憶も?」
「ほかの記憶?」
「どこに住んでいたかとか、家族は?」
「……駄目だ。なにも思い出せない」
 力なく少年は首を横に振った。
 ラーレはタンスの中から服を取り出した。
「あなたが着ていたものです。とても高価そうなので、身分のある方では?」
 少年はその服を片手で受け取った。
 ところどころ痛んだり破けているが、肌触りの良い上等な布だ。金糸の刺繍が施され、煌びやかな色彩の服。この世界で数少ない貴族階級が着るような服だった。
「朕はなぜこんな怪我をしている?」
「ここ数日、川がずっと氾濫していて、漁もできず荷の運搬もできず困っていたんですが、きのうになってやっと水かさが減り、父が村に売りに行く荷を運ぼうと船を出そうとしたところ、川岸であなたを見つけたそうです。全身傷だらけで、家族の間では川の氾濫に巻き込まれたのだろうって……」
 開かれたままだったドアの向こうから、子供の声が聞えてくる。
「お姉ちゃん! 大変だよ、早く着て!」
 すぐに幼い少年が部屋に飛び込んできて、ビクッとして瞳を丸くして姉の後ろに隠れた。
 それが自分に向けられたものだと知って少年は、いかにも嫌そうに鼻で笑った。
「これだから子供は嫌いなんだ」
「な、なんだよ、おまえだって子供じゃないか! ぼくよりは年上みたいだけど」
 前半の威勢はよかったが、後半は尻すぼみして姉の後ろに隠れた。
 ラーレは弟の頭を撫でながら、
「弟のカイです。まだ幼いので村にもあまり連れて行ってもらえないので、他人が珍しいんです、勘弁してあげてください」
 急にカイが慌てた。
「そうだ、お姉ちゃん父さんが大変なんだ!」
「お父さんが?」
「死んじゃいそうなんだよ!」
「えっ、そんなまさか!?」
 大柄な男が部屋に入ってきた。
「おいおい、まだ俺は死なないぞ。ちょっと銃弾が当たっただけだ。あと顔面も殴られた」
 がたいも良く長身の男だが、顔は人なつっこい笑みを浮かべている。が、その片方の元は腫れて青あざになっている。さらに裸の上半身の腹には包帯が何重にも巻かれていた。少し包帯に血が滲んでいるのが伺える。
「だいじょうぶお父さん!?」
 ラーレは慌てて心配そうな顔で、父の腕にすがりついた。
「だからちょっとした怪我だ。大したことない、軍人だったころに比べればかすり傷だ。それより、坊主目ぇ覚ましたみたいだな、どうだ調子は?」
 顔を向けられた少年は無言だった。不愉快そうな顔だ。
 代わりにラーレが説明する。
「名前も思い出せない記憶喪失みたいなの」
 急に父親は少年に顔を近づけてきた。
「おまえさんの顔、どっかで見たことあるんだよなぁ? 村の坊主……にしては、高価な服着てやがったな。俺がお偉いさんの息子を見る機会があるとしたら、軍人だったころだが……」
 どんどん近づいてくるオヤジを嫌そうに少年は顔を背けた。
 急にカイがはしゃぐ。
「父さんは帝國の軍人だったんだ。すっごい強かったんだぞ!」
「出世はしなかったがな、する気もなかったんで引退して、今は人里を離れて農場を経営してるんだ」
 少し自慢そうに父親は鼻を高くした。農場経営が順調なのだろう。
 なにかが引っかかったのか、少年は難しい顔をして小さく呟く。
「……帝國」
 父親の耳にも届いたようだ。
「帝國っていったら、シュラ帝國に決まってるだろう。嫌われたり畏怖されたりしてたが、帝國のお陰でなんだかんだ言って国は豊かだったんだ。それが今じゃ……治安は悪くなる一方で、世界中で暴動やら戦争が起きてやがる。この怪我もそのせいで負わされたんだ、村にどっかの武装団が攻めてきてよ」
 世間では革命家トッシュの英雄譚と語られている。
 だれがあのシュラ帝國が滅亡することを予想しただろうか?
 あまりにも突然で、世界中のだれもが信じがたい出来事であった。
 鋼の要塞アスラ城が水に沈み、城にいた者で生存を確認された者は、今のところひとりもいない。
 独裁国家であるシュラ帝國にとって煌帝は絶対的な存在であった。さらに実質的な国内ナンバー2だった〝ライオンヘッド〟を失ったのも大きい。
 すぐにシュラ帝國は分裂し、国として維持ができなくなってしまった。そして、世界最強の軍事国家がなくなったことで、諸国のパワーバランスが崩れ、各地で戦乱が起きはじめたのだ。恐怖政治を敷き、他国から畏怖されていた帝國がなくなったことで、逆に世界が乱れるとは皮肉な話だ。
 部屋にクリーミーな匂いが漂ってきた。
 父親はクンクンと鼻を動かした。
「そういや、今日はシチューだとさ。うちのカミさんのシチューはうまいぞ、乳もウチで搾ったもんだ。たんまり食って早く怪我なんて治しまいな!」
「それはこっちのセリフだ」
 少年は鼻でクスりと笑った。悪意のない、純粋な笑みだった。

 記憶喪失の少年が目を覚まして、数週間がの日数が経った。
 今でも記憶は戻らない。
 名前がないのでは不便だと言うことで、アレクサンダーと名付けられ、愛称はアレックスにされた。アレックスがなぜだと尋ねると、父親は昔飼ってた犬の名前だと答えた。それを聞いたアレックスは不満そうにしたが、その犬がとても優秀で家族から大層可愛がられていたことをラーレに聞かされると、とくに文句を口にすることもなくなった。
 アレックスは家族として、この家に迎え入れられたのだ。
 父親のアントン、母親のシモーネ、姉のラーレ、弟のカイ。アレックスの年齢はわからなかったが、とりあえずラーレの弟、カイの兄として扱われることになった。
 農場では多くの山羊を飼っていた。この毛色の黒い山羊たちから、毛を刈り取り、さまざまな材料とし、その乳は食用として飲むだけでなく、チーズやバターなどの加工品になる。
 晴天のもとで山羊の乳を搾っていたラーレのもとに、アレックスが松葉杖を突きながらやって来た。
「なにか手伝うことはないか?」
「無理しないで休んでいてください」
「世話になっている分は、なにかするよ」
 アレックスの言葉遣いは、時が経つにつれて当初よりも、くだけてきていた。
 怪我が治りはじめ、身体が動かせるようになってから、アレックスは積極的に身体を動かした。その中で農場の手伝いもするようになっていた。
 風が吹いた。
「いい匂いですね」
 ラーレの言葉にアレックスは、不思議そうな顔をする。
「なにがだい?」
「草の匂いです。見てください、川岸に草が生えはじめたんです。この辺りは乾燥地帯で、草木はあまり生えていなかったのに」
「なぜ生えるようになったんだい?」
「理由はわかりません。川の増水が治まって、水が引いた場所に草が生えはじめたんです。びっくりするくらい急激に成長して。村で話を聞いたんですけど、各地でそういうことが起きてるみたいで、場所によっては森が現れたとか……びっくりするけど、草木で大地が溢れるのはなんだかうれしいです」
 これまで世界は砂漠に被われていた。
 砂漠といっても、砂だけの世界や岩や連なる崖など、その深刻さは地域によってさまざまだった。
 シュラ帝國のアスラ城があった場所は、まさに灼熱の地獄であり、城以外は砂だけの世界だった。しかし、現在ではその周辺は巨大な湖となり、そこから各地に流れる河の周辺には草木が生い茂っている。人々はそれを奇跡と呼んだ。
 生きるのに必要な大切な水資源。だれもが手放しで喜んだ。些細な異変などだれもが目をつぶった。
 ミルクを湛えたバケツをラーレが持ち上げたのをアレックスが見た。
「持っていくよ」
「いいです、片手じゃ大変ですから」
 右腕はギブスで固定されている。左脚は松葉杖を必要とし、液体の入った重たいバケツを持つには不安が過ぎる。
「持つと言っているんだから、朕が持つ」
 少し強い口調で言われた。
「わかりました……しっかり持ってくださいね、気をつけて」
 ラーレはバケツを持った手を差し出した。そして、バケツを受け取ろうとしたアレックスの手を触れあった。
 ほのかに頬を赤くしたラーレ。それを見て、つられるようにアレックスも頬を赤くした。
「行くぞ」
 無愛想に行ってアレックスが、バケツを持って歩き出そうしたとき、大きくバランスを崩してしまった。バケツの中で飛び跳ねたミルクが地面に溢れる。
 やはり怪我をしたアレックスでは――違った。
「きゃっ!」
 叫び声をあげたラーレが倒れて地面に手を突く。
 大地が呻いた。
 轟々と激震が一撃大地に奔ったのだ。
 山羊の群れが逃げていく。
 鋭い眼をしたアレックスの視線の先には、大地を穿った大穴から硝煙が立ち上っている。それは天災などではなく、明かな人工的な攻撃だ。
 微かに足から伝わってくる振動。
 地平線の向こうから隊を成してやってくる。軍隊だ、武装した軍隊が進撃してきたのだ。
 叫ぶアレックス。
「家族に知らせろ、早く行け!」
「でも置いては……」
「だからこそ怪我のしてない君が行け、明かな敵意を持っていると家族に早く伝えるんだ!」
 ラーレは唇を噛みしめ、後ろ髪を引かれながら家に向かって駆け出した。
 軍隊の前衛は巨大な飛べない鳥――クェック鳥に跨った騎鳥部隊だ。兵士だけでなく、クェック鳥も軽鎧[けいがい]を装備している。兵士の装備は銃剣だ。
 その後ろからは戦車部隊。砲台をこちらに向けている。
 ひとり残されたアレックスはなぜか笑っていた。
「なぜだか……血が騒ぐ。この躰がなにかを覚えているとでもいうのか……?」
 少年とは思えない悪魔の笑み。
 波乱を予感させた。

《2》

 クーロンは今、軍隊に包囲されてから3日、小康状態に入ってから24時間以上経っていた。
 もともとシュラ帝國の領土内にあったクーロンは、自治は独立したものとして、自由の名の下に繁栄と陰を築き上げてきた。生活水準や科学水準もほかの都市に比べ飛躍して高く、スラム街ですら近隣の村よりもよい生活をしていた。
 シュラ帝國が自然解体された今、クーロンを我が手中に収めようとする者が出るのは必然。今まではシュラ帝國の報復を畏れていた新興国が、クーロンに攻め入ってきたのだ。
 武装には武装。
 新興国軍との緊迫状態が続いているのは、クーロンが軍事都市の顔を持っているからだ。
 都市を高い壁で囲むのは、古代から行われてきた防御策である。クーロンの市壁は強固な合金でつくられており、壁、見張り塔、市門から成り立っている。高さは3階建ての建物を優に越し、厚さも大人が手を広げたほどだ。
 見張り塔からには砲台も備え付けられている。火薬などではなく魔導砲である。1発で都市供給の電力を食いつぶし、辺りを焼き尽くすほどである。それが5機、都市の周りに備え付けられている。新興国軍がなかなか攻め入ってこないのこのためだ。
 しかし、すでに1機破壊されている。
 それによって敵は甚大な被害を被り、3千を越える多くの死傷者を出したが、クーロン側も大きな痛手となった。守りが薄くなった箇所をどう守るか。敵はまだ2万以上の師団を組んでいる。
 現在、クーロンの電力は完全にダウン。防衛に必要な最低限の電力は確保されているが、市民たちのライフラインは完全に停止させられている。
 ときは夕刻。日が暮れればクーロンは劣勢に追いやられる。
 シスター・セレンは聖堂にて祈りを捧げていた。
 普段は寂れた教会であるが、今日ばかりはひとが多かった。
 市内放送のラジオで状況を確認しながら、人々は疲弊して怯えている。
 シスター・セレンはそれらの人々を励ましながら、夜に向けて蝋燭の準備などを着々と進めてた。
 いつまでこの状況が続くのか?
 外壁都市は戦いが長く続けば続くほど、物資が枯渇していく。魔導炉によって、都市で自家発電はできるが、物資はそうもいかない。
 教会に集まって来た者はスラム街に住む者たちが多い。彼らは食料の蓄えもない者たちだ。シスター・セレンは教会ので蓄えていた食料を少しずつ分け与えているが、とてもじゃないがそれでは足りない。先ほどもひとりが食料を奪って独占しようとして、最終的には袋だたきになって、教会の外に身ぐるみ剥がされ放り出されたばかりだ。
 敵は外だけではなく、ひとの心の中にもいる。緊迫状態が続けば、ひとの心は乱れ、中には暴動を起こす者も出てくる。敵がいれば一致団結できるなんてことはない。危機的状況だからこそ、ひとは自分のために他を犠牲にすることもあるのだ。
 物資が枯渇し、都市内部で暴動が起きはじめ、今や電力供給のストップし、市壁の一部も守りが弱くなっている。そして、外には2万を越える軍隊。
 セレンは礼拝堂の外に出た。
 ひと気はない。
 都市は静まり返っているが、異様な空気感と緊張感が漂っている。
 そんな中にありながら、庭の花々は美しく咲き誇り、セレンの心を癒してくれた。
「シュラ帝國がなくなって平和になるなんて嘘だった……。はじめのうちはよかった。この教会を支えてくれるひとたちが増えて、とくにトッシュさんにはたくさんお金を寄付してもらっているし、物資だって定期的に届けてもらってる」
 花々は気高く咲いている。
「この庭が泥に埋まってしまったあと、だれかがこんなにもすばらしい庭園をつくってくれて、なんだか世界もこれからよい方向に変わっていくと……信じていたのに」
 世界の情勢は悪くなるばかり。
「どうして人間同士が争わなくてはいけないの」
 戦争の原因はさまざまであるが、今回は宗教や思想の対立によるものではない。シュラ帝國亡きあとの覇権と資源を巡っての戦いだ。
 進行国軍がクーロンに攻め入ってきたのは、その都市資源を奪うためだ。のどから手が出るほど敵が欲しているのは、ロストテクノロジーだろう。クーロンはロストテクノロジーによって、下支えされているが中でも飛び抜けているのが、魔導炉の存在である。
 この場所にロストテクノロジーの魔導炉があったからこそ。砂漠のど真ん中に存在するこの都市はここまで繁栄することができた。
 魔導炉の原理は現在の科学では解き明かせないが、おそらく半永久機関であると考えられている。絶え間なく供給されるエネルギー。このエネルギー資源を敵が放っておくわけがない。
 敵は都市ごと欲しいと思っている。そのために破壊は最低限に留めている思われる。そうでなければ、もっと戦いは激化して、空からの攻撃で都市が爆撃されて火の海に沈んでいただろう。
 目尻の涙を拭いたセレンは教会に戻ろうとした。
「食料も底をついてしまいそう。貯金を切り崩していっても、少量価格が信じられないほど高騰しているし……」
 肩を落として歩いていると、微かな気配を感じてセレンは振り返った。
 突然、目の前に現れた影。
 下着姿の男だ。変質者ではない。身ぐるみを剥がされた〝男〟だ。
「さっきはよくも!」
 〝男〟は怒鳴りながらセレンを押し倒した。
「きゃっ!」
 完全な逆恨みだ。
 セレンは平等に食料を分け与えていたし、この〝男〟が袋叩きにされているのですら止めに入ったのだ。
 怯えるセレンの頬が殴られた。
 血走った〝男〟の眼は狂気に駆られている。相手が女子供だろうが、聖人だろうが関係ない。この〝男〟はもう自ら止まることはなく堕ちるところまで堕ちていくのだ。
 〝男〟はセレンを羽交い締めにしながら、礼拝堂の中に入っていった。
 暗い面持ちをしていた人々が顔上げ、驚きと共に瞳を〝男〟とセレンに向ける。
 視線を注がれセレンは気丈に微笑んだ。
「だいじょうぶですから、なにも心配ありません」
 だが、〝男〟によって髪の毛を引っ張られた。
「うっ!」
「この偽善者がっ、うるせー黙ってろ!」
 この〝男〟を袋だたきにした奴らは、腰を浮かせて今にも飛び出しそうだ。けれど、それを抑えているのはセレンの存在だ。
 〝男〟は要求をする。
「食料を全部出せ、あと服もだ。おい、そこのあんた、服を脱いで俺に渡せ!」
 命令されて顔を伏せて椅子に座っていた若者が立ち上がった。青年だった。
「シスターには手は出さないでください。僕の服であればいくらでも差し上げますから」
 少し怯えた声で、青年は上着を一気に脱ぎはじめた。
 へそが見え、頭から服を抜こうと顔が隠れたとき、〝男〟は度肝を抜いた。ほかの者たちもそうだ。
 青年だと思っていた者の躰に豊満な胸があったのだ。
 いや、服の上からはそんなものなどなかった。だからみな驚いたのだ。
 服を脱ぎ捨てた青年。そこにあったのは青年の顔ではなく、金髪の女の艶笑であった。
「この躰はタダじゃないわよ」
 女が言った刹那、〝男〟は後頭部から脳漿を噴き出して倒れていた。
 遅れてセレンが叫ぶ。
「きゃぁぁぁっ!」
 目の前でひとが死んだ。
 〝ライオンヘッド〟は銃を構えて微笑んでいた。
 男を殺し、セレンを救ったのはライザだったのだ。どういう技術を使ったのかわからないが、ライザは青年の躰に変装していたらしい。よくリリスも同じことをしていた。
 ライザは何事もなかったように、床に落ちていた服を再び着る。
 場は完全に凍り付いていた。
 ライザは辺りを見回した。
「だれか屍体を片づけておいてちょうだい。アタクシはシスターとおしゃべりがあるから、それでは失礼するわ」
 呆然と立ち尽くすセレンの腕を強引に引っ張ってライザが歩き出す。
 教会の奥へと進み、適当なドアを開けて、部屋の中に入った。
 セレンはパニック状態でなにがなんだかわからなかった。
 一方、落ち着き払っているライザは、ベッドに腰掛けて座って足組をした。
「久しぶりね、元気にしていたかしら?」
「え……あっ……助けてくれてありがとうございました」
 お礼を言う顔は暗い。自分を救ってくれたとはいえ、目の前でひとが死んだ。自分のせいで死んだとセレンは心を痛めていた。
「暗い顔しちゃって、アタクシがシスターになにかすると思って?」
「いえ……そういうわけでは……」
「過去にいろいろあったことは認めるわ。今回は取り引きなしに、アナタに協力して欲しいことがあるの」
「なんでしょうか?」
「単刀直入に言うわ。一匹狼さんと連絡を取りたいの」
「トッシュさんのことですか?」
「ええ」
 これまでライザとトッシュの間には因縁がある。反乱分子だったトッシュは、帝國のライザイに何度も命を狙われていた。それは本気だったかどうかはさておき。
 セレンは口を結んだ。
 それを見取ってライザは微笑む。
「教えたくないってわけね。しかし、トッシュに危害を加えるつもりはないわ。と言っても信じてもらえるかはわからないけれど」
 セレンは口を開かない。
 自虐気味にライザは鼻で笑った。
「ぜんせん信用されていないのね。べつにいいけれど嘘つきなのは認めるわ。最近も大きな嘘をついたもの。ねえ、帝國が水に沈んだあと、アタクシがどうなったか噂を耳にしたかしら?」
「死んだもの噂されていました。だから大臣も今では好き勝手に軍を率いて侵略行為を……。私はライザさんが生きているような……ほかのひとたちもそうだと思っていましたが」
「そう、生存者はひとりも確認されていないものね。だから、アタクシもそれに便乗して死んだことにして身を隠していたのよ。なのに、どうやら最近生きていることがバレてしまったらしく、いろんな敵に追われ命を狙われて、人生でもっとも最悪だわ」
 溜息を落としてライザは前髪をかき上げると、さらに話を続けた。
「どうして身を隠していたかわかる?」
「どうしてですか?」
「帝國が滅亡すれば、煌帝がいなくなれば、世間が荒れるのは目に見えていたわ。当然、アタクシを邪魔だと思う輩が狙ってくることは容易に想像できたわ。でもね、そんな奴らは小者よ、小者。あっという間にアスラ城が水の底に沈んだとはいえ、生存者が確認できないっておかしいと思わない?」
 陰謀を予感させる言葉だった。
 ライザは妖しげな笑みを浮かべつつ、その眼は鋭くなった。
「最終的には水責めで溺れ死んだ者が大半だけれど、その前に多くの兵士たちが何者かに殺され、退路という退路も断たれ破壊されていたのよ。逃げ場を失い右往左往している間に水の底」
「ライザさんはどうやって生き延びたんですか?」
「手の内はあまり明かさない主義なの。言えるのは自分一人で精一杯だったということ」
 苦虫を噛み潰したような顔をライザはした。すべて捨てて逃げたのだ。
 多くを失ったライザは新天地を求めた。
「最近、トッシュは英雄として貧困層から絶大な支持があるみたいね。彼を支えようと革命軍も戦力を伸ばしているみたいだけれど、まだまだ弱い。けれど支持する人数は多い。アタクシはべつに世界平和を願ったり、自分がトップに立って世界を支配する気なんてないわ。ナンバー2くらいが自由に動けて良いもの。だからアタクシは今後誰に付こうかと考えて、トッシュに決めたのよ。アタクシの身の安全を確保してもらう代わりに、アタクシの頭脳を革命軍に提供するわ。素敵な取り引きだと思わない?」
「本当にトッシュさんがどこにいるか知りません。連絡はたまにありますけど、各地を転々として逃げ回ってるみたいで」
「各地を転々としているらしいのは知っているわ。でも逃げ回るというのはなぜ?」
「英雄なんて祭り上げられるのは嫌なんだそうです。革命軍のリーダーになってくれとも言われているみたいですが、一匹狼が自分の性分に合っているって」
「まだリーダーではなかったのね。声明で彼の功績が伝えられているけれど、実際は各地で彼の名前が勝手に使われているだけなのね。そうだとは思っていたけれど」
 噂に尾ひれがつき、やがて英雄は神格化される。革命軍の思惑は、いかにトッシュを祭り上げ、人々を引き込んでいこうというのがあるのだろう。
「革命軍に名前を使われるだけではなくて、悪いことにも自分の名前が使われるってトッシュさんが憤っていました。ある村で自分の名前を語った偽物が、金品を要求したり、女に言い寄ったりして、腹が立ったから自ら出向いてボコボコにしてやったと、こないだの手紙には書かれていました」
「居場所がわからなくても、こちらから連絡はできるのでしょう?」
「いいえ、それがいつも一方的な連絡で」
「最近、どのあたりにいるかも見当つかない?」
 セレンは首を横に振った。
 ――突然の爆音!
 小康状態が破られ敵が攻めてきたのか!?
 急いでセレンは礼拝堂に走った。
 そして、思わずセレンは絶句した。
 燃えていた。礼拝堂が燃えていたのだ。天井には攻撃を受けた穴が空いていた。
 逃げ惑う人々。瓦礫の下敷きになった者。床に転んでいる少年。
 セレンは少年に手を貸そうとした。だが、その手はライザによって引かれ、強引に礼拝堂の外に出されたのだ。
 都市は騒然としていた。
 夕焼けよりも赤く染まる都市。
 空から次々と炎が降り注いでくる地獄絵図。
 クーロンは一瞬にして戦渦に沈んだのだった。

《3》

 騎鳥部隊の中から、単独でアレックスのもとに近づいてくる男がいた。
「どこのガキだ? この農場のガキなら親のところに案内してもらおう。この農場はこの瞬間から我々の物になった」
 男の顔にはいくつもの傷があった。軽鎧で隠され見ないが、その躰にも傷がある。死んでいてもおかしくない傷の量である。幾多の戦いの中で先陣を切ってきた切込隊長だ。
 アレックスはまったく動じていない。少年がするとは思えないほど冷ややかな眼だ。
「軍を引け、そして立ち去れ。ここから先に進むことは決して許さんぞ」
「いい眼をする。俺の元で兵士にならないか? おまえと同い年くらいの奴らもけっこういるぞ?」
「断る」
 即答だった。
 切込隊長は見下して嗤う。
「ならおまえの首を手土産に、親御さんにあいさつでもするか」
 腰のサーベルを切込隊長が抜いた刹那だった。
 悲鳴があがった。
「ギェェェッ!」
 クェック鳥が奇声を発したようだった。人間がそんな声を出す事態とは?
 アレックスの指が切込隊長の両眼に突き刺さっていたのだ。
 そのまま眼窩[がんか]に指を突っ込んだまま、相手の顔面を自分に引き寄せて、アレックスは膝蹴りを喰らわせた。
 それらは刹那の出来事であった。
 クェック鳥から落ちた切込隊長は地面にうつ伏せになったまま動かない。
 少し先に見える隊列がざわめき立った。
 そして、軍隊は進撃してきた。
 勝てるかどうかなど関係ない。アレックスはひとりでその軍隊に立ち向かうつもりだった。ここを動かず迎え撃つ。
 しかし、思わぬ事態が起きた。
 遠くから聞こえた爆発音。家の方角からだ。
 アレックスは目を凝らした。
「まさか……挟み撃ちだったのか!」
 軍隊は一方向からではなく、二方向から攻めてきていたのだ。すでに向う側は家のすぐ傍まで攻め入っている。
 アレックスは前方の軍隊を無視して、松葉杖を捨てた代わりに切込隊長のサーベルとクェック鳥を奪い、すぐさま家に向かって全速力で駆け出した。
 家の土壁を穿つ砲撃の跡。家の前ではすでに長剣とサブマシンガンを構えた父アントンが、敵兵と一戦を交えていた。
 兵士を切り捨てたところで、現れたアレックスを見てアントンは微笑んだ。
「無事だったか」
「家族は?」
「地下に避難させた。その手についた血はおまえのじゃないな?」
「ひとり殺った」
「そうか」
 アントンは哀しげな瞳でアレックスを見つめた。
 軍勢をすべてちっぽけな家に向けてくることはないが、兵士たちが次々と近づいてくるのが見える。
 怒り含んだ溜め息を吐いた。
「くそっ、奴らの目的は農場だ、腹が空いては戦は出来ぬってな。だから俺たちの命を奪うことに躊躇いはないだろう。今からでも降伏すれば命だけは助かると思うか?」
「さあ」
「なら俺の命と交換で、家族と、そしておまえの命を助けてくれって交渉しても無理か?」
「朕の命は一度亡くしたも同然。拾ってくれた者のために使うなら、それもいい」
 銃声が鳴り響く。雨のような銃弾が飛んでくる。敵も本気を出してきた。
「地下室に取りあえず逃がしたが、相手の出方を見ると事態は最悪だ。ずっと隠れていても助からないだろう。俺が囮になって時間稼ぎするから、隙を見て家族を連れて船で逃げろ。頼んだぞ!」
 アントンはアレックスからクェック鳥を奪い、家から離れるように、そして兵士たちの目を引きつけるように、サブマシンガンを乱射しながら、縦横無尽に駆け出した。命を犠牲にしようとしているのは明らかだった。
 銃弾を躱しながらアレックスは家の中に飛び込み、ギブスの脚を引きずりながら急いで地下室へ向かう階段を下りた。
 暗闇に包まれた地下で視界を閉ざされる。
「アレックス、こっち」
 どこかからラーレの声がした。
 ぼわっと微かに明かりが灯り床の下から顔を出すラーレが見えた。
 石床の一部が外され、その先に家族3人が身を潜めていた。アレックスが中に入り、石床のふたを閉め、空間の先を眺めると、そこは洞窟として奥深くまで続いていた。
「お父さんは?」
 尋ねたラーレにアレックスは沈痛な面持ちで顔を横に振った。
 急に泣き崩れたラーレが母シモーネにすがりつく。それで弟のカイも理解したようだ。カイがアレックスに掴みかかる。
「父さんが……ウソだ!」
「船を使って逃げるように言い付かってきた」
 あえて生死については言わなかった。変に期待を持たせ、家族がこの場を離れないと言い出すことは、アントンの望むところではなかったからだ。まずはこの場を逃げ切ること。
 母は気丈だった。
「この洞窟を抜けると地上に出るわ。早く行きましょう」
 ランプが照らす道を4人は進む。足音とすすり泣く音だけが聞こえた。
 やがて見えてくる地上の光。それは希望かそれとも……。
 川の音が聞こえた。
 連なる崖影のわかりづらい場所に出口はあった。
 遠くから戦乱の怒号が聞こえる。アレックスはまだアントンが生きていることを予感した。だが、それを口に出すことはしなかった。
 小走りで先に進むと、仕事で使っている小型の貨物船が見えてきた。
 しかし、その周りにはすでに兵士たちの姿。
 地面にうつ伏せになって4人は身を潜め、兵士たちのようすをうかがった。
 兵士の数は3人。船の上に2人と、川岸の見張りが1人。銃剣で武装している。
「ここにいろ」
 アレックスはサーベルを構えて立ち上がった。
 怯えた表情でラーレがアレックスの手首を掴んだ。そして、無言で首を横に振る。だが、アレックスはその手を振り切って、脚の怪我を無視して全速力で走り出した。
 最初に気づいたのは見張りの兵士だ。
「どこのガキだッ!」
 ガキだからといって容赦ない。サーベルを構えているアレックスに銃剣を向けられた。
 ほかの兵士2人もアレックスの存在に気づいた。
 斬撃が奔る。
 2人の兵士が気づいたときには、見張りの首が地面に落ちたあとだった。
 アレックスはギブスをしていない脚を蹴り上げ、船の甲板まで跳躍して見せた。その距離じつに5メートル以上。怪我をしていなくても、常人が片足で踏み切れる距離ではなかった。
 尋常でない発汗をするアレックス。彼の躰に異変が起きはじめていた。
 怯えた兵士が銃を乱射する。
 銃弾がアレックスの頬を掠め、赤い筋を奔らせる。その肩にも、その腹にも銃弾を受けた。
 しかし、アレックスは修羅のごとき鬼気を発して怯まない。一歩たりとも引かなかった。
 突き立てられた銃剣の刃を片腕のギブスで受け止め、アレックスはサーベルを薙いだ。
 兵士の胴が真っ二つに割られた。
 それだけではない。金属のサーベルが砂のように崩れ、斬撃が起こした風の刃が残るひとりの兵士の躰を細切れにしたのだ。武器がアレックスの力に耐えられない――そんなことがありえようか?
 血に染まる甲板。
「朕はいったい何者だ?」
 自問自答するアレックス。
「きゃーっ!」
 遠くから悲鳴が聞こえた。
 家族3人が敵に兵に捕まっている!
 アレックスはすぐに駆けつけた。
 そして、辺りが大勢の兵士たちに取り囲まれていることに気づいた。家族を捕らえている数人の兵士と、その頭上の崖の上に隊を成している兵士の列。
 人質を取られたアレックスは身動きが取れない。3人は羽交い締めにされ、自力ではとても逃げられそうもない。たとえ逃げても、すぐに周りの兵士たちにまた捕まるだろう。
 兵士のひとりがなにかをラーレたちの足下に投げた。
 絶句。
 悲鳴すらあげられなかった。
 それは首であった。見るも無惨に傷つけられた生首。ぐしゃにされた顔に面影が残っている。
 世界を震撼させる鬼気をアレックスが放った。
「おのれぇぇぇぇッ、下賤な者どもがァァァァッ!!」
 武器も持たずアレックスが敵のど真ん中に突っ込む。
 雨のような銃弾が発射される。
 どんな強靱な肉体を持っていようと、この銃弾を浴びせられては死ぬだろう。
 突然、シモーネが兵士の腕を噛み、どうにか振り切ってアレックスの元に駆け寄った。
 シモーネによって押し倒されたアレックス。二人は地面に倒れ込んだ。
 瞳を丸くするアレックスの頬に、血の雨が降ってきた。
「朕を庇ったのか……莫迦な……ことを……」
「命を無駄に……ぐふっ……しないで……」
「それは朕の台詞だ」
 子供らの悲鳴があがる。
「お母さん!」
「母さん!」
 シモーネは力なくアレックスに被さり、耳元でなにかを囁く。
「夫が言っていたわ……もしかしたら……あなたの正体は…………」
 最後まで言わずに事切れた。
 幽鬼のようにゆらりと立ち上がったアレックス。
「……母が死んだ」
 脳裏にフラッシュバックする光景。
 ――目の前で貴婦人が護衛の兵士に刺されて死んだ。
「また朕を庇って……母が……」
 急に空が曇りはじめ、稲妻が泣き叫んだ。
 そして、黒い雲よりもさらに黒きものが、稲妻を帯ながら雲を断ち切り天から降ってきたのだ。
 不気味に輝く漆黒の大剣。
 一撃で地面に亀裂を奔らせたその剣は――まさに煌帝の証〈黒の剣〉!
 少年とは思えぬ、まして人間とも思えぬ艶やかな笑みを浮かべたアレックス。
 兵士たちがざわめいた。
 〈黒の剣〉の柄を握ったアレックスは、その大剣をゆるりと優雅に薙いだ。
 風も起こさぬその所作。
 しかし、実際は撃風の刃が影の上にいた兵士たちを切り裂き、吹き飛ばし、一撃で一掃していた。
 天災に等しき破壊力。
 怪我を負って地面に這いつくばった兵士が呻く。
「ま……まさか……その黒い剣は……暴君が生きていた……だと」
 次々と兵士たちが叫びはじめる。
「煌帝ルオだ!」
「シュラ帝國の暴君だ!」
「恐ろしい〈黒の剣〉を持っているぞ!」
「怯むな、相手はただの小僧ひとりだぞ!」
 アレックス――ルオは不気味に嗤った。
「ルオか……そんな呼ばれ方をしていた気がする」
 まだ記憶が完全に戻ったわけではなかった。
 しかし、その手元には〈黒の剣〉が戻った。
 〈黒の剣〉がルオを主と認めたのだ。
 銃弾が浴びせられルオの躰に風穴が空く。
 流れ出した血が――なんと逆流するではないか!?
 傷痕が弾丸を吐き出し、見る見るうちに塞がっていく。
「うぉぉぉぉぉッ!」
 魔獣の叫びをあげたルオが兵士に切り込む。
 鬼気に肝を潰された兵士は身動きができなくなり、姉弟が自然と解放された。
 黒い血が舞う。
 ラーレの目の前で崩れ落ちる肉塊。瞳に焼き付く。この虐殺の光景を生涯忘れることはないだろう。
 〈黒の剣〉が兵士たちの四肢を切り飛ばす。ひとりひとりだ。まとめて薙ぐことができるにも関わらず、ひとりずつ細切れにしていくのだ。
 悪夢であった。
 乾いた大地が鮮血を吸う。
 やがてそこは緑に変わるだろう。多くの屍の上に、この大地は成り立っている。
 魔獣と化したルオはその姿さえも変貌させていた。
 足下まで伸びたざんばら髪。肌を稲妻のように奔る黒い文様。瞳は血のように真っ赤に染まっていた。
 兵士の数がひとり、ひとりと減っていく。
 まだ命のある者が地で呻き藻掻いているが、この大地に立っているのは3人だけ。
 ルオと姉弟の眼が合った。
 怯えきっている。
 魔獣に怯えているのだ。
 姉の前に立ったカイは拾った小石をルオに投げつけた。
 すぐさまラーレがカイを自分の後ろに隠す。
 頬に石を受けていたルオは何事もなかったように歩き出す。
「船に乗って早く逃げろ。もう二度と会うことはない……だから君たちを助けることも二度とない」
 言い残してルオが振り返りもせず歩き続ける。
 遠くにはまだ軍隊が見える。
 敵の主力である戦車の影。
 不気味に轟く曇天の空。
 修羅場はまだまだ先にある。
 この日、煌帝ルオの名が再び世界に響きはじめるのだった。

《4》

 周りにビルが建ち並ぶスクランブル交差点を行き交う人々。
 雑踏は今日も賑やかに華やかに、街は活気づいていた。
 空に映し出されている巨大スクリーンには、生放送中のお昼のバラエティ番組が映し出されている。途中のコマーシャルでは、最新型の家庭用アンドロイドが映し出されていた。
 空では魔導式のエアカーが管状道路を行き交っている。
 さらに高い空を飛んでいるのは、羽のない魔導式の飛空挺だ。
 非常ベルが鳴った。
 覆面をした男がコンビニから飛び出してきた。手に持っているのはビーム銃だ。
 すぐ近くを巡回していたパトカーがサイレンを鳴らす。
 覆面男が人々を押し倒しながら逃げる。
 先回りしたパトカーから警官が降りてきた。人間ではなかった。メタリックのボディを持つロボット警官だ。
 人型のロボット警官は人間のように走り、覆面男に飛びかかった。
 動作は人間に似ているが、その脚力は遥か人間を凌駕し、腕力もゴリラ並みだ。さらに重量もあるため、押した倒されてのし掛かられた覆面男はひとたまりもない。
 肋骨の折れる音がした。
 苦痛で顔を歪ませた覆面男は逃げる気をそがれ連行されていく。
 高性能ロボットたちは、今や人間の生活と切っても切れない存在になった。先進国では危険な仕事のすべてをロボットにやらせている。ほかにも清掃業や肉体労働の分野でも多く活躍している。最近では、倫理の教師にアンドロイドが就任したというニュースが、話題になったばかりだ。
 ロボットですら仕事に就ける時代なのに、いや、ロボットが仕事を奪ったからこそ、失業者も多かった。街の繁栄の影にあるホームと呼ばれる地域。そこはホームレスで形成されている街だった。
 少女はいつも外の世界に憧れていた。向う側に見える華々しい街。人々がみんな輝いて見えた。
 しかし、現実は薄汚れた躰を包むボロのような服。髪の毛は硬くボサボサで、少し掻くだけでふけが落ちてくる。履き物は最近新しいのを見つけた――つま先に穴の開いた赤い靴だ。
 まだ少女は幼かった。歳は六か七か、厳しい現実に晒されながらも、強く逞しく生きていた。親はいない、兄弟もいない、身内はだれもいなかった。けれど、周りの〝男〟たちは優しかった。
 ホームでは争いが絶えない。だいたい食料か嗜好品の取り合いだ。少女は比較的食料を回してもらっていたが、それでも腹一杯に喰えることなんてなかった。
 腹が鳴る。
 今日も腹と背中がくっつきそうだ。
 食料を手に入れる方法は、もらうか、買うか、奪うかだ。
 少女はまだまだ自分でお金を稼ぐことができなかった。いつも大人たちの施しで生活していた。
 その日、少女はビルの隙間から街の様子を眺めていた。コンビニ強盗が警察に捕まった。奪うのに失敗したのだ。
 ――自分だったら、もっとうまくやれるのに。
 少女の心に芽生えた黒いモノ。
 街中で赤い林檎が少女の瞳に映った。目の前を通り過ぎたのは、おそらく女性だ。眼鏡をかけた女性だった気がする。
 この時代に眼鏡を珍しい。今はいくらでも手術で視力を回復することができるし、たとえ眼球を失っても再生するか、もしくはサイボーグ化することも可能だ。けれど、そんな時代だからこそ、たまに自然にこだわる者もいる。
 眼鏡の女はなぜか林檎を片手に持ち、それを上に投げてはキャッチして、また投げてはキャッチし、それを繰り返しながら歩いていた。まるで引力に取り憑かれたような行動だ。
 女のあとを白衣を着た男が追ってくる。
「レヴェナ博士! 学会のパーティーを抜け出すなんて、またスポンサーに叱られますよ!」
 まるで聞こえていないように、女は林檎を投げ続け歩いている。
 少女は白衣の男を押し飛ばして歩道を駆け抜けた。
 瞳に映る真っ赤な林檎。なぜだろう、まるで宝石のように見えた。
 林檎が上空に投げられた瞬間、少女は類い希なる運動神経で跳躍し、女から見事に奪い取ったのだ。
 女はぽかんと口を開け、
「……あ」
 と、だけ呟いた。
 代わりに叫んだのは白衣の男だった。
「泥棒だ! そこの子供泥棒です!」
 子供相手ではなく、殺人犯を相手にするような剣幕で叫んだ。
 それに怯えたのは少女だ。
 ただ林檎を奪っただけなのに、どうしてあの大人は恐い顔をするのだろう?
 次の瞬間、急に目の前に飛び出してきたパトカーに少女は撥ねられた。
 まさか地上でこんなスピードを出している車に撥ねられるなんて。
 パトカーを運転していたのは、覆面男だった。奪ったパトカーで逃走中だったのだ。管状道路に入ってしまっては逃げ場はない。逃げるなら地上だ。
「かわいそうに」
 呟いたのは眼鏡の女だった。
 雑踏が静まり返っていた。
 立ち止まる者、中には足早に逃げ出す者。
 紅い海に沈む幼い少女。
 右脚が股間からもがれ、右腕も同じもがれ、右の脇腹からは内蔵がはみ出してしまっている。パトカーがどれほどの時速が出ていたか想像するに恐ろしい。
 こんな重傷を負いながら、不幸なことにまだ意識があった。
 凄まじい苦痛。
 ――アレンは大量の汗を拭きながら眼を覚ました。
「夢……か?」
 ソファから上半身を起こしたアレンは周りを見た。
 白く無機質な部屋だ。ソファ以外にあるのは、目の前の壁に取り付けられているモニターだ。それと、ソファのすぐ傍に花を一輪挿した花瓶が置いてあった。
「……腹減った」
 どれくらい食べ物を口にしていないのか?
「これでよろしければ」
 アレンの目の前に差し出された手の上には、真っ赤な林檎が乗っていた。
 林檎を手に取りながらアレンはゆっくり顔を上げる。若い男が立っていた。髪の毛を七三にした細身の男だ。骨と皮だけの躰というほど痩せているが、不健康そうには見えない。ただし、少し表情は硬い気がする。
 男は微笑んだ。
「だれも食べたことがありませんから、味は保証できません」
「だれも食ったことないって……」
「心配はいりません。動物たちも食べていますから、毒はありません」
「あっそ……あんがと」
 アレンは林檎に牙を立てて、引き千切るように食らい付くと、頬いっぱいに口の中に入れた。
 見うる見るうちにアレンの表情が晴れやかになる。
「うまっ、これすげぇうまいな!」
「それはよかった」
 また男は微笑んだ。
 アレンは林檎を食いながらまじまじと男を観察するように見つめる。
「なあ、ところであんただれ?」
「わたくしはこの街で唯一、音声言語で会話ができる人型アンドロイド――ジャン・ジャック・ジョンソン。人間の共からはJ3(ジェスリー)と愛称で呼ばれていました」
「マジで、あんた人間じゃないの?」
「はい、この街には人間はひとりもいません。ようこそ、ロボットの楽園メカトピアへ」

 教会があっという間に炎に包まれた。
 空から次から次へと降り注いでくる焼夷弾(しょういだん)。
 クーロンの街全体が燃えている。
 直接炎に焼かれていなくても、熱風で火傷しそうなほど熱い。
「こんな非人道的な攻撃」
 セレンの顔を彩る赤い絶望。
 焼かれてるのは街だけではない。火だるまになった人間がのたうちまわっている。
 ライザは訝しげに眉間に眉を寄せていた。
「おかしいわ、こんな攻撃を仕掛けてくるなんて。魔導炉まで破壊するつもり?」
 科学財産まで破壊する道理はないはずだ。侵略者の目的は、都市をそのものを奪うことだったはず。
 炎の魔の手は瞬く間に広がり、すぐセレンたちの傍に迫っていた。
「早く逃げましょう、ここは熱風がすごくて。そうだ、川の中に逃げれば!」
 帝国水没後、各地を流れるようになった大河。そこから枝分かれした水脈が地下を通って、クーロンの街にも沸きだし川になっていた。
 すぐにライザがセレンの腕を力強く引いた。
「死にたいのなら止めないわ。あれを見ても川で泳ぎたいと思う?」
 その光景を見てしまったセレンは吐き気に襲われ、思わず目を伏せてしまった。
 暑さに堪えかね逃げ惑う人々が川に飛び込む。中には火だるまになっていた者もいた。だが、川は天国でもなんでもない。
 ――川は煮えたぎっていたのだ。
 地獄の鍋で生きたまま煮られる人間。
 悲鳴が耳の奥にこびりついて離れない。
 ライザは辺りを見回して頭を猛回転させていた。
「これはただの炎じゃない。地下に逃げたくらいじゃ蒸し焼きにされるかもしれないわね。この街でもっとも安全な場所は魔導炉よ、あの場所がもっともどんな災害にも耐えられるようにつくられているわ」
 逃げ惑う人々の間を縫って街を駆ける。
 ライザはセレンの手首を掴んで引っ張りながら、セレンも決して離さないように必死についていった。混乱の中ではぐれてしまったら絶望的だ。
 逃げる途中で子供の泣き声がした。けれど、ライザは待ってくれない。セレンは耳を塞いで戦火の中を駆け抜けた。
 空から再びなにかが降り注いできた。今度は焼夷弾ではない。金属の塊だ。
 それは機械だった。骨組みだけの人間のようなロボットだった。機械の兵士だった。
 ロボット兵団がクーロンに攻め込んできたのだ。
 人々にとってそれは未知の存在だった。失われた時代の科学兵器。街の混乱はさらに高まった。
 機械兵が次々と素手で人間を屠[ほふ]っていく。武器など必要ない。大人が赤子相手に武器など使うだろうか?
 攻められていたのはクーロンだけではなかった。周りを囲んでいた新興国軍もロボットの襲撃を受けていた。
 だれもが予想していなかった、人類が予想もしていなかった敵が出現したのだ。
 ライザとセレンの前にも機械兵が立ちはだかった。
 ロストテクロノジーにはロストテクノロジーで対抗する。
 魔導銃〈ピナカ〉をライザが抜いた。
 銃口は1つであった。
 しかし、発射された激光は三本の矢となり咆哮をあげ、大地を穿ちながら機械兵を八つ裂きにしたのだ。まばゆい光で目が眩む。
 〈ピナカ〉が通った道は、まるで巨大な悪魔の爪で引っ掻いたように、建物もすべて三本線で引き裂かれていた。
 それで終わらなかった。
 次々と現れた機械兵の列を〈ピナカ〉が薙ぎ倒したのだ。
 光線は放たれただけでは終わらず10メートル以上の三つ叉の槍となり、ライザが躰ごと回転させて横に振り回すと、機械兵や建物を切断しながら薙ぎ倒したのだった。
 セレンが悲鳴をあげる。
「なんてこと、まだ建物の中にひとがいたかもしれないのに!」
「燃えて崩れそうな建物の中にいたって助からないわよ」
 瓦礫の荒野が広がった。
「さあ、行くわよ」
 開かれた道をライザが進む。
 先に見えてきたのは合金のドーム型の建物。あれが魔導炉の施設だ。
 施設は壁で囲まれ、入り口は正面ゲートのみ。逃げ場を求めた人々は壁を登って中に侵入しようと懸命だ。だが、壁の上には高圧線が張り巡らされ、それに触れたものが黒こげになって死んだ。
 ライザは正面ゲートにカードキーを差し込み、暗証番号を打ち込んだ。
 すぐにスライドしながら開かれた重厚な金属の扉。人々が流れ込んでこようとした。
 扉の前に立ちはだかるライザは、容赦なく〈ピナカ〉を放とうとした。それを必死に腕にしがみついて止めたのはセレンだ。
「やめてください」
 構わずライザは放った。ただし、天に向けて。
 咆哮をあげながら天に三つ叉の光が昇る。人々は畏怖した。艶笑するライザ。
「それではごきげんよう」
 敷地内に入ったライザとセレン。正面ゲートは静かに閉められた。
「あのひとたちを中にいれてあげてください!」
 セレンは涙目でライザに訴えたが、
「ここがどのような施設かわかっていないようね。100人、1000人の命なんかよりも重要な施設なのよ。だれかひとりが施設で事故でも起こしてみなさい。それこそクーロンだけでなく、周辺地域まで汚染されて死の荒野に化すのよ」
「だからって目の前のひとを見捨てるなんて!」
「そういうの綺麗事っていうのよ、シスター・セレン」
 空が紅く燃え上がった。
 この施設にまで炎の塊が降ってきた。
「中に入れば安全よ!」
 ライザはドーム施設に急ごうとした。
 しかし、その目の前に炎の塊が――違う、炎のような花魁衣装を着た女が舞い降りたのだ。
 炎の車輪に乗り、現れたのは火鬼だった。
「お久しぶりでありんす」
 艶やかに狂気を孕んだ表情。火鬼の顔半分を覆うメタリック。機械の片眼が紅く輝いていた。

《5》

 クーロンを包囲していた新興国軍の2万を超えていた兵は、機械兵の脅威を前にして為す術もなく撤退を余儀なくされた。だが、すでに退路は炎の壁によって阻まれ、本国との連絡は完全に途絶えたのだった。
 そして、クーロンもまた滅亡の危機を迎えていた。
 火鬼率いるロボット兵団。
「鬼械兵団[きかいへいだん]は気に入ってくれたでありんす?」
 自らの躰の一部をもサイボーグ化した火鬼は、なぜ鬼械兵団を率いてクーロンに攻め込んできたのか?
「この件の首謀者は隠形鬼かしら?」
 と、ライザは笑みを絶やさす尋ねた。眼は極寒のように冷たい。
「そうでありんす」
「やはり……。シュラ帝國を滅ぼし、次は世界でも狙っているのかしら? 人知れずこんなロストテクノロジーを保有しているなんて、隠形鬼とは何者なの? その真の目的は?」
「わちきには興味のないことでありんす。わちきの望みはこの世を炎で焼き尽くすこと。てめぇらも死にさらせや!」
 急に口調を変えて夜叉の表情で火鬼を襲い掛かってきた。
 扇から業火を操り渦巻く炎の鞭を放つ。
 ライザはセレンを抱き寄せて、防御フィールドを張った。楕円状の透明なカプセルのような形だ。
 フィールドに当たった炎は一瞬にして消えたかのように見えた。
「炎を無意味よ。この防御壁に少しでも触れてみなさい、たちまち分解するわ。つまり炎とて、酸素などと引き離され、燃焼現象すら起こさせない」
 ライザは余裕であった。
 キレた火鬼は炎球をいくつもいくつも投げつけてきた。
「キエーッ! わちきの炎で焼けないものなどあるもんかッ!」
 大量の炎は急激な空気の温度差を生み、あたりにうねるような風を巻き起こした。
 ライザとセレンの躰が、水に映る影のように揺れた。
 息を呑んだ火鬼がハッとして、すぐに辺りを見回した。
 ドーム施設に走っている二人の姿!
「わちきが出し抜かれた!?」
 そうだ、すでにライザとセレンはその場にいなかった。火鬼の炎の攻撃を受けていたのはホログラムだったのだ。
 息を切らせながらライザがセレンに説明する。
「あの防御壁は完全に外と遮断されるのよ。つまり密室になり、酸素の供給も止まる。もっと最悪なことに、あの場を動けなくなるのが最大の弱点。早めに逃げ出したのは正解だったわ」
 一撃目の炎は防御壁で防いだ。それからすぐに敵に気づかれないようにホログラムを発動させ、自分たちはその場から離れたのだ。
 地面が急に揺れた。
 その震動はドーム施設からだ。
 思わずセレンは足を止めた。
「あれを……」
「どうしたの速く走りなさい!」
 振り返ったライザが再び前に顔を向けて、その異変に気づいた。
 まるでそれは花のつぼみのようだった。
 ドーム施設の頂上から線が走り、花びらが剥けていくように、天井が開かれる。
「あんなシステム知らないわ!」
 ライザが叫んだ。
 たしかに魔導炉のシステムすべてが解明されているわけではない。だが、帝國はこれまで管理して使ってきたのだ。しかもライザは科学顧問であり、解明されている情報は把握しているはずだった。
 魔導炉は都市にエネルギーを供給するシステム。――以外の可能性があると、ライザは示唆した発言をしたのだ。
 火鬼は二人を追うことをやめ、うっとりとその光景を眺めていた。
 花が咲いた天井から、謎の塔がせり上がってきた。塔が花粉を飛ばす。
 数え切れない泡のような光球が天に放たれ、世界中の空へと流れていく。
「なにが起きて……いいえ、これからなにが起きようとしているの?」
 ライザは空から目が離せなかった。
 光球は空で拡散して、1個が弾け飛んだかと思うと、それはまた小さな光球となって空から雪のように舞い降りてきた。
 得体の知れないモノにセレンは怯え、後退って小さな光球を避けた。
 次の瞬間、女の悲鳴があがった。
「きゃぁぁぁっ!」
 ライザの悲鳴だった。
「どうしたんですかライザさん!?」
 セレンが顔を向けると、ライザは片腕を高く掲げて、仰向けに地面でのたうち回っていた。
 メタリックに輝くライザの片手。掲げられた片手から侵蝕されるように、手首から腕へと肌が金属に変化していく。なにが起きているかはっきりしないが、それは脅威であることに違いなかった。
 ライザが〈ピナカ〉を放った。自分の腕に向けてだ。
「ギャアアアアアアァァァァッ!」
 死線を彷徨う絶叫。
 金属に覆われた肘から先を狙ったが、肩から先が持って行かれ、肉片は跡形もなく消し飛んだ。
 目を血走らせながらライザが立ち上がった。片腕を失った傷口は高熱により焼かれたお陰で、大量の出血は奇跡的に抑えられているが、このままでは命に関わる。
「ハァ……ハァ……空から降ってくるアレに触れてはダメよ」
 蒼い顔をして脂汗を流すライザにセレンは言葉を失った。
 空からは光球がゆらゆらと降ってくる。
 ライザは天に向けて〈ピナカ〉を放ち銃口を振り回した。うねり狂う三つ叉の龍。
「一か八か逃げるわよ」
「もう少し遊んでくんなまし!」
 再び火鬼が追ってきていた。
 ライザは天で振り回していた〈ピナカ〉をそのまま地面に叩きつけ、大地を抉りながら火鬼を薙ごうとした。
 しかし、火鬼は人間と思えない跳躍で天に舞い上がり、〈ピナカ〉を足下に躱したのだ。
「おほほほほほ、炎に焼かれ悶え苦しみなんし!」
 火鬼から放たれた炎の渦がライザを呑み込もうとする。
 それを無視してライザは走った。敵の攻撃など構っていられなかった。周りでなにが起ころうと目的を変えない。一瞬たりとも躊躇せず立ち止まらない。
 ライザはセレンに手を伸ばした。
「なにが起きても恨みっこなしよ!」
「なにがですか!?」
「交換転送よ。行き先はわからない、よくて消滅、悪くて異空間に閉じ込められる。躰の一部でも失っても外に出られたら、ラッキーなほうかしらね。アナタの恋人の神様にでも祈りなさい!」
「そんな!」
 しかし、セレンは手を伸ばした。
 クーロンに逃げ場はない。
 炎が街中を包み込み、空からは謎の光球は降ってくる。
 ライザはセレンの手をがっしりと握り、自分の躰に引き寄せた。
「ちなみにこれ一人用だから、二人だとさらにリスクは高まるわよ」
「ええっ!」
 火鬼の放った炎の渦がセレンとライザを呑み込んだ。
 果たしてふたりは!?
 ――そして、クーロンは滅亡した。
 ここでの出来事を人々はいつか知ることになるだろう。
 シュラ帝國亡きあと、人間同士の争いが戦乱の世に変えた。それが終わりを迎え、新たな構図へと急速に変わっていくだろう。人間に対するのは――。
 戦いの火ぶたが切り落とされた。

 ソファに座りながら立体映像テレビを見るアレン。
「……ヒマすぎ」
 テレビの内容は動物のドキュメントだ。サバンナに暮らす動物たち。今は絶滅してしまったチーターというネコ科の動物が映っている。ほかにもアレンは見たこともない動物ばかりだ。
 この映像には音声が流れなかった。
「なあ、これさあ音とかでないわけ?」
「すみません、音での伝達は非効率なので、電波信号で情報が流されているのです。わたくしには聞くことができます」
 ジェスリーはそう教えてくれた。
「たしか音声言語で会話できるのあんただけとか言ってたよな?」
「はい、ほかのものには必要のない機能ですから」
「なんども聞いて悪いんだけど、あんたマジで人間じゃないわけ? てゆか、本当に人間いないの?」
「はい」
「外出て確かめたいんだけど?」
「それはできません。あなたは侵入者なのです、自由に動かれて困ります。それにあなたは怪我人なのですから、無理をせずに躰を休めていてください」
 アレンの片腕は布で固定されていた。折れているのだ。さらに布は頭に斜めがけされ、片眼にも巻かれていた。
 加えて機械の半身も調子が悪いとアレンは感じていた。
「こっちの腕に違和感がある。自分の意思と誤差があるっていうか、なんていうか……」
「それはありえません。生身の躰を治すことはこの街ではできませんが、機械は完璧に修理させていただきました」
 アレンは布が巻かれた片眼を押さえた。
 それを見てジェスリーは悲痛そうな顔をつくった。
「その眼は残念でした。せめてサイボーグ化の技術さえ残っていれば、機械の眼に取り替えることができたのですが」
「べつにいいよ、片眼が残ってるし」
 負傷した片眼は完全に視力を失っていた。
 どうやってあの場から生き残ったのか?
 シュラ帝國の地下遺跡で激流に巻き込まれ、完全にそのときの記憶を失った。
 あの状況から助かっただけでも奇跡。負傷したのが片腕の骨折と片眼を失ったくらいで安いものだ。
 突然、ジェスリーが言う。
「外に出る許可がおりました」
 誰かと会話していた雰囲気もなかった。というか、この部屋にはアレンと二人きりだ。おそらく電波かなにかを受信したのだろう。彼らのいうところの音声以外の会話だ。
「外出れんの? やった、鈍った躰を動かしたかったんだよなぁー」
「しかし、自由に行動されては困ります。わたくしが同行して監視させていただきます」
「うん、ぜんぜんオッケ。外の空気が吸えるだけでいいよ」
 今までいた場所はジェスリーの自宅だった。マンションの一室だ。つまり、ほかの部屋にも暮らしているものがいるということ。
 ジェスリーに連れられ廊下を歩いていると、デッサン人形のような人型ロボットが歩いてきた。ジェスリーと違って肉感や肌がない。まるで骨のようだ。
 人型ロボットはすれ違い様に頭を下げて挨拶をしてきた。まるで人間の挨拶だ。
 ジェスリーも頭を下げるのを見て、アレンも慌てて頭を下げた。
「こんちは」
 人型ロボットには頭はあるが、顔はなかった。眼の辺りは左右のレンズが繋がった長方形のサングラスみたいな形になっている。そのため表情はなかったが、アレンに手を振ってくれた。そして去っていく。
 アレンは不思議そうな顔をしてジェスリーに顔を向けた。
「侵入者って言われたから、てっきり敵視されてんのかと思ったけど、友好的なのな」
「はい、この街に住むものは平和を愛しています」
「愛するか……」
 〝愛〟というのは、彼らに感情があるような言い方だ。
 マンションを出て街並みを歩く。街は異様なまでに静かだ。
 人型ロボットたちが歩いている――犬の散歩をしながら。
 街路樹の落とした葉を清掃しているのは、ドラム缶のようなものから腕が伸びているロボットだ。その腕はどうやら掃除機になっているらしい。
 アレンは立ち止まって高層ビルを見上げた。
「なんかさぁ、こんな街の光景見たことあるような気がすんだよね」
「それはありえません。この街は人間に知られていません。我々は人間に忘れられた存在なのです。人間にとっては長い年月でしょう、我々は人間の眼に晒されないこの場所で、平和に暮らしてきたのです。ですからあなたがこの街に現れたのは、非常に重大な事件なのです」
「俺殺されちゃうわけ?」
「そのような野蛮な真似をするのは人間だけです。しかし、殺しはしませんが、あなたの処遇について議会が揉めています。その根本にある問題は、あなたの定義を〝人間〟とするか〝機械人〟とするかです」
「俺人間だけど」
 街を抜けて二人は自然の広がる公園までやってきた。
 芝生が見渡せるベンチに腰掛ける。
「機械も疲れんの?」
「疲れませんが、雰囲気は楽しみます。それに緊急時のエネルギー補給もここで行うことができます」
 ベンチに取り付けられていたふたを外して、ジェスリーは中からプラグコードを引っ張り出した。
「我々の多くは光エネルギーで動いていますが、その供給が間に合わない場合があります。そこで街の各所に補給装置が備えられているのです」
 目の前の芝生には動物がいた。脚がすらっと長く、角が生えているのといないのが2種類。
「あれなんて動物?」
「シカです。ほ乳類、鯨偶蹄目、シカ科に属する草食動物です。普段はおとなしい動物ですから、近づいても平気です」
「なんか平和だよなぁ」
「はい、人間がいませんから」
「……やっぱ俺嫌われてる?」
「いいえ」
 ジェスリーの見た目はほとんど人間であり、表情もそれに即しているが、どうも自然な表情というのがないので、感情のようなものを読みづらい。
「人間は敵ではありませんが、脅威です」
 遠くを眺めながらジェスリーがつぶやいた。
「俺とは普通に話してるじゃん? やっぱイヤイヤなわけ?」
「この街に住む機械人や機械たちの多くは、機械から生み出されたものたちがほとんどです。しかし、わたくしのような例外もいます。わたくしをつくったのは3人の人間でした。彼らとわたくしは友人です。ですから、あなたとも仲良くなれるでしょう」
「ロボットの友達なんてはじめてだな……」
 と言いつつも、アレンの心にはなにかが引っかかっていた。
 ジェスリーは話を続けている。
「我々はこれまで秘密裏に人間の世界を監視してきました。そして、今のところ人間という種とはわかりあえないという結論に至っています。個人レベルでは仲良くできても、機械対人間となれば話はべつなのです。我々の存在を知った人間たちは、我々をどうするでしょうか? 人間たちは忘れているでしょうが、大戦の傷も癒えていなのです」
「大戦?」
「その話は機会があればしましょう。議会はあなたにここで暮らすことを望んでいます」
「やだよ」
 即答した。
 ジェスリーは疲れたような笑みを浮かべた。それはとても人間味を帯びていた。
「そうでしょう。あなたは外の世界を知っているのですから、こんな窮屈な場所にいたくないのは理解できます。わたくしもそうです。変化の緩やかなこの街で、もう何千年という月日を過ごしました。人間の友たちと世界中を旅した日々が懐かしい」
「あんた人間っぽいよな」
「わたくしは特にそのようにつくられましたから。あの時代、高性能なプログラムが次々と競い合うように生まれていました。人間よりも頭のいいプログラムは簡単につくれます。しかし、彼らが目指したものは、自分たちの友となるものでした」
 この街はまるで人間の街のようだ。暮らしもそのような気がする。テレビという娯楽を楽しみ、ペットの散歩をして、きっとほかにも人間味のある生活が各所にあるはずだ。
 しかし、この街は静かすぎる。
 無機質な静けさ。
 まるでゴーストタウン。
 死んだように静かなのだ。
 動物たちもいる。
 草木も息づいている。
 ふとアレンは空を眺めた。
 青空に似ているが、生命力を感じない。
「なんで太陽ないわけ?」
 生命力を感じないのは、地上の生きとし生けるものを照らす太陽がないからだ。
「それはここが陽の光の届かない場所だからです」
「つまりどこ?」
「それは言えません」
「人間の俺には秘密ってわけね。機械と人間のどっちに定義するかなんて言って、どうせ人間としか見てないんだろ? 俺人間だし、それで合ってるけど」
「人間たちも我々を差別してきましたが、我々も人間を差別した。だからわかり合えなかったのです。人間は最後まで我々をじ――」
 最後まで言い切る前に爆発音が聞こえてきた。
 街からだ。
 さらに爆発音が聞こえた。2つ、3つ、4つ、次々と響いてくる爆発音。
 街から煙が立ち昇っている。
 アレンはベンチから立ち上がった。
「事故?」
「事故など滅多に起きません。それにあんな――新たな侵入者が街に現れたそうです。その者は明らかな敵意をもって我々に攻撃をしかけています」
「行くぞ!」
「はい」
 二人は急いで街に戻った。

 つづく



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