第1章 夏凛
 今夜の帝都は熱帯夜だった。
 明かりの消えることのない街の中心にそびえ立つ時計台の針は、零時を過ぎてしまったというのに未だに気温は下がる見込みはない。確かに天気予報では『今夜の帝都は熱帯夜に見舞われ寝苦しい夜になるでしょう』と言っていた。天気予報もたまには当たるらしい。
 ビルの間の裏路地は風の流れがある為幾分か涼しかった。だが、今ここにいる男は別の意味で涼しい思いをしている真っ最中だ。
 似合わない気品のあるスーツを着た大男の額から汗が垂れる。暑さのせいではない。目の前に〝いる〟一輪の大輪の花のせいだ。
 近くで聴こえる終電の走る音が、人間が壁に叩きつけられた音を消してしまった
 壁を背にして男は地面にお尻を付き、怯えた表情で目の前に〝いる〟花を見上げた。そこにはビルの合間から零れる月光を背に受けた人物が立っていた。
 歳の頃は、十七、八ほど。小柄な身体に黒い生地に白いレースをあしらったドレスで身を包み、腰の辺りまで伸びた美しい黒髪が風になびいている。
 そして、なによりも印象的なのは顔であった。白く透き通る雪のような肌を持ち、どこか妖艶さを纏う中性的な美しい顔――。しかし、その人物は〝彼〟だった。
 彼はスーツの男を冷たい眼差しで見下ろしながら言った。
「口割らない場合は殺していいって言われてるんだ」
 彼の声は中性的で涼し気な声だった。
 その声を聞いたスーツの男の喉元から唾を呑み込む音が静かな裏路地に響いた。
「し、知るかんなもん!!」
 男の声は発言内容とは裏腹に震え怯えていた。
「ふ~ん、そっか知らないのか」
 美青年の手が動いたと思った刹那、スーツの男の頬に赤い筋が一本走った。
 スーツの男は声にならない悲鳴を上げた。
「ほんとに知らないの?」
「……知るか!」
 先ほどより男の声からは張りが失われていた。明らかに男は怯えた表情をしている。
 美青年は男の前で腰を屈めて、黒い手袋をはめた自分の指を男の顎に乗せて小さく、そして甘美に囁いた。
「ほんとに知らないの?」
 美青年の顔がスーツの男に近づく。男は一瞬、自分の置かれている立場を忘れ美青年に見とれてしまった。しかし、男は直ぐに我に返り美青年の身体を思いっきり突き飛ばそうとしたのだが……。男が手を伸ばした瞬間、美青年の姿が視界から消えた。
 いなかったはずの美青年は闇に同化して男の目の前に立っていた。そして、微笑を浮かべている。
「これが最後のチャンス、ほんとに知らないの?」
 美青年の声は夏の空気を一瞬にして〝キン〟と冷やした。
「し、知らねぇ、ホントに知ねぇんだよ」
 大量の汗をかき必死に訴える男を前にして美青年が、
「……そっか」
 と呟いた瞬間、男の首は地面に転がっていた。
 転がる首を見下げる美少年は武器らしいものは何も持っていない。しかし、男の首が刎ねられた瞬間、美少年の左手から何かが突然飛び出し煌いたことを夜空に輝く月と星々は魅ていた。
「知らない場合も殺れって言われてるんだよね」
 首を蹴り飛ばした美青年はどこからともなく折りたたみ式ケータイを取り出すと、手首のスナップを利かせケータイを開け、どこかに電話をかけた。
「もしもし真くん♪」
 美少年の声のトーンは明らかに先ほどとは違っていた。別人かと間違えるほどに明るく柔らかな口調をしている。
 しばらくの間を置いた後に、電話の向こう側から不機嫌そうな若い男の声が聞こえてきた。
《なんだ、夏凛か、今は忙しいから後にしろ》
「ま、待ってよ真くん。どうせまた妄想してるから忙しいとかって言うんでしょ~」
《……つ、ついにかぼちゃ男爵の魔の手がきゅうり婦人に!?》
 真は行き成り意味不明なことを言い出した。夏凛の顔は明らかに相手を小ばかにした冷めた表情をしている。
「真くぅ~ん?」
《……なんだと次回最終回だとぉぉぉ!!》
「……完全にトリップしてるよぉ」
 突然電話の向こう側から男のすすり泣く声が聞こえて来た。
「……ど、どうして……こんなことに……ぐすん」
 夏凛は目を丸くした。
「ど、どうしたの真くん、何かあったの!?」
《……なんだ、まだ電話切ってなかったのか?》
「はぁ?」
《で、用件は何だ?」
 真は一瞬にしてコッチの世界に帰還していた。切り替えが早いので大抵の人はこのノリに付いていけないだろう。しかし、夏凛はいつものことだとすぐに流して気を取り直した。
「え~とねぇ、真くんに教えて貰った人追い詰めて聞いてみたけど、知らないって言ってたよぉ~」
《……なんと、再来週からは新番組『大魔王ハルカ』がはじまるのか!?》
「……ちゃんと私の話聞いてるぅ?」
《聞いている。情報が間違っていたとしても料金は返さないぞ》
「ケチ!!」
 美少年は顔を膨らませて顔を赤らめた。その仕草はとても可愛らしく、まさに女の子だった。
《ケチとは失敬な!! ……仕方ない半額にしてやろう》
「いいよ、今度から別の情報屋に仕事頼むよ!」
《ふん、ならばコチラも君には仕事を回してやらんぞ》
「そーゆーこと言うんだ、ふんだ。真くんの端末の中にウィルス送ってやる!」
《私にネットの世界で刃向かうとは死を意味するぞ。それにだ、誰のお陰で〝ちょー〟一流のトラブルシューターになったと思っているのかね?》
「実力!!」
 そう言うと夏凛はケータイのスイッチを強く押して地面にケータイを投げる寸前までいったが、それは途中で中止された。
「買い換えたばっかりだった」
 美少年はふと上を見上げ何かを思い出しような、はっとした顔をして、もう一度どこかに電話をかけた。

 帝都エデン――この街では凶悪犯罪が日常茶飯事、四六時中起きている。しかし、そんな危険なこの街を離れる者はあまりいない、その理由は誰にもわからない。今の科学では到底検討もつかない不思議な力が働いているに違いないと人々は首を傾げる。この世界では魔法というものが普通に存在するので大抵の怪奇現象などは全て魔法ということにされて片付けられてしまう。
 凶悪犯罪の件数は年々増加傾向にある。その犯罪が人間相手ならば帝都警察だけでも十分手に負えるだろう。しかし、相手は必ずしも人間だけではない。
 『妖物』と呼ばれるキメラ(合成生物)たちが街で暴れだすと、帝都警察は重武装をしてその妖物に立ち向かって行く。小物であれば大したことはないが大物ともなれば、その戦闘風景はさながら戦争のようだ。
 妖物たちがどこから来たのかのかは未だ謎とされている。一説にはどこかの生物兵器を扱う会社に雇われてマッドサイエンティストが創りだし、その会社が何らかの理由で倒産してしまい、キメラたちの処分に困った会社が街にそのまま放ったとも噂されるが、真意は定かではない。
 妖物は毎日のように新種が発見され、そして、消えていく。しかし、妖物の数は明らかに増えつづけている。
 そこで帝都はある政策を打ち出した。その政策とは凶悪犯罪者および妖物の駆除に懸賞金を賭けることであった。そしてこの街に〝ハンター〟が生まれることとなった。
 当初のハンターは帝都政府の依頼だけを受け賞金を受け取っていたが、今では一般人もハンターに依頼も頼むようになり、ハンターの仕事は日に日に広範囲に及ぶようになっていた。
 凶悪犯罪者の処理、遺跡調査、モノ探し、妖物退治まで報酬しだいでどんな仕事もこなすスペシャリストとなった彼らたちはハンターではなく〝トラブルシューター〟[問題処理屋]と徐々に呼ばれるようになっていった。
 夏凛もその一人である。彼の名はトラブルシューターとして一流の功績と実績を挙げていて、裏社会で彼の通り名である『氷の花』の伝説を知らない者はいないだろう。
 しかし、そんな彼だが、普段は清掃員の仕事に精を出している。裏の顔を知っている人物が清掃員の時の彼を見たら、きっと驚くに違いない、まるで別人なのである。氷の花の冷酷で無慈悲なイメージはそこにはない。そこにいるのは人当たりがよく、のほほんとした性格で仕事仲間のおばちゃんに人気があるただの美少年の姿だった。
 夏凛は帝都でも三本の指に入る美人である。そのことと彼の普段の出で立ちから〝夏凛〟の知名度は高い。しかし、彼が『氷の花』と同一人物であることを知る者はあまりいない。

 つづく


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