第4章 マモンカンパニー
 マシーンに襲われた次の日は日曜で、〝清掃作業員〟の夏凛にとっての休日だった。
 その日の昼頃、ゴスロリ姿の夏凛は帝都の中心部から、やや東に位置する帝都公園にいた。
 この公園は日曜であるということとツインタワーの近くにあるということもあり、家族連れやカップルで賑わい、噴水のある広場ではストリートパフォーマーのグループがMDコンポから流れるポップな感じの曲に合わせてダンスを披露し、その周りには人々が集まり歓声を上げていた。
 そんな人々を後目に夏凛はスカートの裾を弾ませながら男の人と並んで歩いていた。
 夏凛と一緒に歩いている男の顔は美しかった。
 男の顔は中性的な妖艶さを放ち、背の高さは一七五~一八〇センチくらいだろうか。その男は夏だというのに、ボタンは全て閉めていないものの黒いロングコートを着ていた。
 彼の名は時雨。帝都の街で一番美しいと言われる彼は『帝都の天使』と人々に呼ばれている。その名前を帝都の街で知らない者はいないのではなかろうか?
 そんな彼は夏凛と同じトラブルシューターであり、そして、夏凛の兄でもあった。
 時雨と歩く夏凛の表情は喜びと嬉しさでいっぱいだ。夏凛は兄である時雨のことを溺愛していて、トラブルシューターになったのも時雨に対しての憧れからであった。
 公園を歩く二人の前方にアイスクリームの販売車が見えてきた。それを見た夏凛はその車を指差し、こう言った。
「兄さま、あれ食べたい」
 この光景を端から見たら、美男美女のカップルと間違えられるかもしれない。
 夏凛は浮かない顔をした時雨の腕をぎゅっと掴み、強引に販売車の前まで小走りで連れていった。
 アイスクリーム屋の前には数人の客がすでにいて、二人は順番待ちをした後、夏凛がチョコレート味と抹茶味のソフトクリームを注文した。
「チョコと抹茶一つずつね」
 注文を受けた男性店員の目は泳いでいた。それもだいぶ前からから――夏凛と時雨がこの場に来た時からだ。
 店員の目が泳いでしまっているその理由は、帝都でも三本の指に入る程の美人を二人も前にしているからだ。そして、この二人がなぜ一緒にいるかという疑問からだ。
 この二人が兄弟であることを知る者はあまりいないし、夏凛がトラブルシューターであることを知る者もあまりいない、つまり二人の接点を美しいということ意外見出せないのだ。
 ややあって店員が注文を繰り返した。
「チョコレートソフトと抹茶ソフトですね。畏まりました」
 ソフトクリームはすぐに作られ、夏凛に手渡された。
「合わせて五五〇円になります」
 と店員が言うと時雨はコートのポケットから硬貨を取り出し店員に手渡した。
 帝都では現金よりもカードが主流なのだが、時雨は年寄りと同じく現金の方が使いやすいと思っている。
 近くにあった白いベンチから丁度カップルが立ち上がり誰もいなくなったので、二人は自然とベンチに腰を掛け、そこで夏凛は時雨に抹茶ソフトを渡した。
 時雨はお茶が好きなのだ。そのことを知っている夏凛は迷わず抹茶ソフトを注文したのだが、手渡された時雨の表情は浮かない、むしろ怒っているようにも見える。そして、それを見た夏凛の表情が曇る。
「どうしたの兄さま?」
 首を傾げ時雨を見つめるが返事は返ってこない。別のソフトクリームが食べたかったのか?
「ねぇ?」
「…………」
「怒ってるの?」
 この言葉にやっと時雨が口を開いた。
「もしかして、これだけの為にニ日前の深夜に電話してきたの?」
 二日前の電話とは夏凛が路地裏で男を追い詰めて、真に電話をかけた後にもう一度誰かに電話をかけたあの時のことだ。つまり誰かとは時雨だったのだ。
 夏凛は屈託のない愛らしい笑顔を浮かべて頷いた。
「うん!」
 少し沈黙を置いた後、時雨はベンチから立ち上がり無言で夏凛を置いて帰ろうといた。
 夏凛は慌てて時雨のコートの裾を引っ張って引き止めようとした。
「ま、待ってたら、さっきのはジョーダン、ホントは別の用件で呼び出したんだって!!」
 不機嫌顔の時雨は夏凛の身体を三メートル程引きずった所で肩越しに後ろを振り向き夏凛の顔を細い目をして見た。
「本当にちゃんとした用件があるの?」
「もちろんですともぉ~」
「本当に?」
 念を押して聞く時雨に対して、夏凛は何度もコクコクと頷いて見せた。
 それを見た時雨の表情は呆れ顔といった感じだ。そして、時雨は深いため息を付いた。
「はぁ、仕方ないなぁ、話だけは聞いてあげるよ」
「それでこそ兄さまぁ~!!」
 二人はベンチに戻り腰を掛け直した。
 時雨は未だ不服そうな顔をして夏凛を見て言った。
「それで、ボクに用事って何?」
 この言葉に夏凛は急に真剣モードに切り替えて答えた。
「単刀直入に聞くけど、兄さまに帝都政府直々にある絵画を探して欲しいって依頼があったでしょ?」
「さぁ、仕事の依頼についての情報は関係者以外に漏らすわけにはいかないから」
「真くんに頼んで調べはついてるんだけど」
「それでもダメ。ボクの口からは何も言えないよ」
 トラブルシューターが仕事の依頼内容を他言しないのは当たり前のことだった。夏凛もそれを承知の上で時雨に聞いているのだ。
 その時突然、二人の目の前に宙に浮かぶソフトボール程の大きさの金属でできた謎の球体が風を切りながら現われた。
 二人にはこれが何であるのかわかっている。そう、これは情報屋真の偵察用カメラだ。真はこのカメラを使ってオフィスにいながら外の映像を見ることができる。
 カメラに付属しているスピーカーからやや雑音交じりの声が聞こえて来た。
《二人のラヴラヴなデートの途中で悪いな》
 その言葉を耳にした時雨はややうつむき加減で呟いた。
「……違うから」
「兄さまったら照れちゃって」
 そう言いながら夏凛は笑顔を浮かべながら時雨の肩をバシッと叩いた。叩かれた時雨は憂鬱な表情を浮かべ、ため息をついている。
《二人ともなかなかのアツアツじゃないか。おぉそうだ、そんなことより、絵画を盗んだ男の所在がわかったぞ》
「どこどこぉ~?」
 夏凛はベンチから身を乗り出して宙に浮かぶカメラを覗き込むようにした。
 そして、真が夏凛に男の居場所を教えると夏凛はうんうんと頷き、真に言われた言葉を確認の為繰り返した。
「……つまりぃ~、絵画を盗んだ男は身を潜めて女と同居してるってことだよね?」
《そういうことだ。今も私の別の偵察カメラで男の部屋の前を監視してるが、男に目立った行動はないようだな》
 夏凛が何か言いたげな表情をして時雨を見つめた。見つめられた時雨は思わず夏凛に聞いた。
「どうしたの?」
「兄さまとのせっかくのデートだったのにぃ~」
「……仕事が入ったんでしょ、早く行って来なよ」
 時雨はそう言いながら、細い目をして夏凛に向かって小さく手を振った。
 それを見た夏凛は捨て台詞を叫んで走り出してしまった。
「兄さまのばかぁ……ぐすん」
 その走り去る姿は失恋をして走って行く女の子のそれによく似ていた。
「はぁ……」
 残された時雨が深くため息を付くと、スピーカーから真が時雨に声をかけて来た。
「二人とも同じ依頼をしたのに、時雨の方は行かなくていいのか?」
「……なんか疲れた」
 そう言って時雨は肩をガクンと落とした。
 澄んだ空には太陽がギラギラと輝き地面をジリジリと焦がしていた。暑さはまだまだ治まることはないらしい。

 帝都の南に位置する住宅街。そこは、車を一〇分も飛ばせば海に着くという、海水浴場から少し離れた位置にあった。
 その住宅街のとある一角にあるアパートに夏凛の探していた男は潜伏していた。
 タクシーをそのアパートの前に止め、中から出て来た夏凛は、アパートを一瞥すると歩き出し、金属でできた階段を一歩一歩ゆっくりと音も立てず羽根が空を舞うようにふわりと登った。
 階段を登りきった夏凛の表情は怒りに満ち満ちていた。しかし、歩き出す夏凛の足取りはやはり羽根のように軽く、スカートの裾は静かに波打ちふわりとしている。
 プレートに203と書かれたドアの前で夏凛の足は止まった。そう、この部屋に男が潜伏していると真は夏凛に伝えた。
 夏凛は左足でドアを勢いよく蹴破った。ドアはもの凄い音を立てながら部屋の中に吹っ飛び、床にドスンと言う音を立てながら落ちた。女の悲鳴と男の怒鳴り声が部屋の中から聴こえる。
 夏凛は構わず土足で家の中へ上がった。部屋の住人の目が予期せぬ訪問者に一心に注がれる。
 一瞬間を置いて男が窓から外へ逃げ出そうとした。夏凛は動こうとしない、ただ一言を囁いたのみだ。
「逃げても構わないよ、……でもね。地獄の果てまで追っかけてアゲルから、ね」
 アゲルからというところが妙に色っぽく、口元は笑っているが目はキレていた。
 男は窓の手すりに片足をかけた状態で動きを止めてしまった。女性は顔面蒼白になり、手に持っていたカップを床に落とした。
 カップの中に入っていた黒い液体がカーペットを侵食していく。その侵食の早さよりも夏凛の動きは速かった。
 夏凛は部屋の中央にあった背の低いテーブルを踏み台にしてジャンプし、男の首根っこを掴んでそのまま後ろに引きずり倒した。
 男は腰を打ち咳き込む、しかし、夏凛はそれに構うことなく男に馬乗りになり黒いマニュキュアをした長い爪がわざと食い込むように右手で首をぎゅっと絞めた。
「君が『反逆者』を盗んだマフィアの反逆者かい?」
 男の震えが夏凛の身体に伝わって来る。
「返事ができない子は好きになれないなぁ~。ねぇ?」
 夏凛は横で膝を付き震える女性に笑顔を向けた。普段ならばこの笑顔を見た女性は頬を紅く染めて、中には失神してしまう者もいるだろう。だが、今のこの笑顔を見ている女性は恐怖を感じずにいられなかった。
 女性は立ち上がり叫び声を上げながら逃げようと駆け出した。しかし、夏凛の左手が動いた瞬間に女性の動きが止まった。
 彼女の首筋には鋭い大鎌が突きつけられていた。少しでも動こうものなら命の保障はないだろう。
「逃げてもいいけど、その時は死ぬ覚悟でね。さてと、反逆者はどこかな?」
 男に視線を落とした夏凛のその表情は妖艶さを纏い、人をかどわかす美しさを持っていた。
 つめたい汗を流す男の目は視線が定まっていない。
「仕方ないなぁ~」
 と言って夏凛は首を絞めていた手の力を緩めた。すると直ぐに男はしゃべりはじめた。
「マ、マモンカンパニーに頼まれて……も、もう、俺の手元にはない……だから」
 しどろもどろにしゃべる男を見ている夏凛の表情は冷ややかだ。
「ふ~ん、マモンカンパニーねぇ~」
「マモンカンパニーに売っちまった。だから……」
「だから、だからなんだっていうのぉ~?」
 そう言いながら夏凛は男の腹にパンチを喰らわせ気絶させ、女性の首筋から大鎌を離し異空間にしまうと、女性は腰が砕けたように床にへたり込んだ。
 夏凛の口から甘いため息が零れる。
「はぁ、マモンカンパニーねぇ~」
 携帯電話を取り出した夏凛はマフィアのボスへと電話をかけた。
 一時間もしないうちに反逆者の男を高級スーツで身を包んだ男たちが車に乗せて連れて行ってしまった。
 夏凛は車を見送ると、頭を抱えた。
「マモンカンパニーねぇ~」
 さっきからこればかりである。
 マモンカンパニーとは、貿易を主にしている大会社の名前で、パンデモニウムというありとあらゆる事業に幅広く手を出している大企業の子会社である。
 マモンカンパニーは主に電気機械などのルートに強く、裏社会に通じていて、武器や生物兵器の輸出販売をしているというのは公然の秘密であるほどの悪名高き会社だ。
 パンデモニウムの子会社の中にはルシフェルという遺伝子や生物に関する研究をしている会社があり、この会社が生物兵器を作っているのではないかという噂があるが、パンデモニウムの裏には大物政治家などが多数付いているらしく捜査の手が回ることはない。
 夏凛は大通りまで歩いて行くとそこで片手を挙げタクシーを捕まえ乗り込んだ。
「マモンカンパニーまでお願いね」
 夏凛が後部座席に落ち着くと、タクシーは街路樹に一度ぶつかった後に発進した。
 帝都の南、オフィスの立ち並ぶビル街から外れた場所にマモンカンパニーの本社ビルはある。港の近くにあるこのビルの周りにはこの建物以外の建物がない。
 ビルはさほど大きな物ではないが、この辺りに立ってる建物がこれしかないことから異様なまでに目立つ。それにこのビルは何か威圧感のようなものを放っている。
 タクシーから降りた夏凛の髪の毛を潮風がふわりと待ち上げる。そのまま彼は風に乗るように歩き、ビルの中へと入って行った。
 ビル入り口には守衛が二人立っていたが、取り合えずそこでは止められることはなかった。だが、やはりこれ以上は進めないらしい。
 受け付けロビーで夏凛は何度も受付嬢に社長に会わせて欲しいと懇願したが、アポイントメントがない方とは社長はお会いできないそうだ。夏凛のお願いに屈しないとはかなり出来のいい社員である。
 夏凛は仕方なく奥の手を使うことにした。
 彼の左手が舞い踊るかのようなしなやかな動きを魅せたかと思うと、辺りに強い薔薇の香が立ち込めた。するとどうだろう、受付嬢の瞳は虚ろになり、まるで魂の抜け殻のようになってしまったではないか――。
 それを確認した夏凛は何も言わずエレベーターに乗ろうとした。がしかし、当然のことながら異変に気が付いた守衛二人が夏凛を静止しようと近づいて来た。夏凛はそれに全く動じず、先ほどと同じように左手を動かした。すると守衛たちも受付嬢と同じく虚ろな目をして、肩を落として魂の抜け殻のようになってしまった。
 数人の社員が目を丸くするなか、夏凛を乗せたエレベーターはその扉をゆっくりと閉じた。
 エレベーターは十三階で止まった。開いたエレベーターから、薔薇の香がフロア全体に広がる。
 薔薇に香と共に夏凛がエレベーターの中から現われ世界の色を鮮やかに変える。そのまま彼は社長室へと足を運んだ。社長室の位置はすでに捜査済みだ。
 社長室に行く途中何度か夏凛は呼び止められたが、皆、夏凛の近くまで来ると魂の抜け殻のようになってしまう。それは何故か?
 夏凛は普段から色々な香を身に纏っている。その香は時と場合によって使い分けられる。香の効果は周りの人たちの興奮を押える香や眠らせる香、そして、自白させる香など多種にわたる。だが香の匂いは全て薔薇の香の為一般人にはその違いがわからないだろう。
 今使っている香は嗅いだ者に起きたまま夢を魅させるという幻覚作用を起こさせる香だ。先ほど受付嬢に使った時は手から少量の香を出したが、今は全身からその香を出している。
 社長室と書かれたプレートの下に立つと夏凛はドアを勢いよく両手で開けた。それと同時に社長室の中に薔薇の香が一気に流れ込む。しかし、社長室にいた者たちは誰一人幻覚に堕ちることはなかった。
 部屋の中にはマモンカンパニーの社長である小さな男の子が椅子に座り、その右脇には秘書と思われる女性が一人立っていた。
 マモンカンパニーの社長の名はゲイツ、若干九歳という若さである。年齢は九歳と言っても、この国で一番入ることが困難とされ、変人の集まる大学として有名な帝都大学を七歳の時に首席で卒業したという人間離れした経歴の持ち主で、神童と言われていた大天才である。
 大学を卒業して直ぐにマモンカンパニーの親会社である『パンデモニウム』にヘッドハンティングされて、社長の座に付き、数多くの偉業を成し遂げている。
 彼はTVなどのメディアなどにも顔を出すことがしばしばあり、帝都でもその顔は有名だ。
 社長室は殺風景だった。デスク以外の家具は何もなかった。しかし、本当に何もないわけではない。部屋の各所には溝のようなものがあることが見て取れる。家具などは全て収納できるようになっているのだ。
 ゲイツは指を組んで肘をデスクに付いた。
「遅かったじゃないか夏凛くん」
「あのへっぽこマシーンに私を襲わせたのは君なんだろぉ~?」
 夏凛は昨晩自分を襲ったマシーンがマモンカンパニーの差し金だということを確信していた。
「まぁね」
 ゲイツはせせら笑った。この少年は全てを見越していたようだ。夏凛にはそれが気に食わなかった。
「あんなへっぽこマシーンを送りつけるなんて心外もいいところだね。それに私がここに来ることわかってたみたいじゃないか」
「夏凛くんがここに来るかどうかまではわからなかったけどね。絵画を探す以来を受けたのは僕が調べさせたところ三人、一人は第1ステージのマシーン殺されちゃったよ。残る二人のうちどちらかがここに来るんじゃないかなあ、と思ってただけさ。そんなとこ」
「第一ステージねぇ。だからあんなに弱い刺客を送って来たわけ?」
「これはゲームなんだから、最初っから強い敵が出てきたらゲームバランスが悪くなっちゃうだろ」
「じゃあこれはファイナルステージってところなの?」
 ゲイツ少年はまたせせら笑った。
「残念でした。先はまだまだ長いよ」
「!?」
 世界が揺れた。夏凛は身体のバランスが崩してしまったのだ。そして、彼はそのまま突然床に大きな口を開いた暗い穴の中に落ちてしまった。
 床に開いた闇に通じる穴はゆっくり閉じられた――。
「社長そろそろ、お約束の時間が――」
 秘書の言葉にゲイツはゆっくりと立ち上がり、社長室を後にして行った。
 社長室のドアが閉まる寸前ゲイツは小さな声でこう呟いた。
「生きてまたここに来られたら、その時が……」

 つづく


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