第8章 魔導ショップ
 盗んだバイクで走り出し、自宅マンションへと服と武器を取りに帰った夏凛であったが、自宅マンションはすでに帝都警察と報道陣、そして野次馬でごった返していた。
 夏凛の部屋は完全封鎖され、その部屋のベランダの下に当たるコンクリートの路面には直径五メートル深さ三メートルの穴が空いていて、恐らくキリングドールがベランダから夏凛を追いかけて飛び降りた際に空いてしまった穴に違いない。
 遠くから集まる人々を見て考え込む夏凛――。そして、いいアイデアが頭に浮かんだ。
「なんだ、マナちゃんのとこ行こ」
 再度、盗んだバイクで走り出そうとした時、後ろから何者かに声を掛けられた。
 冷っとしながら後ろを振り向くとそこには警官が立っていた。
「あの、夏凛さんですよね」
「ち、違いますわ、おほほほ……」
 顔を両手で覆い無駄とも言える行動をする夏凛に対し、警官は尚も詰め寄り顔を覗き込むように言う。
「あなたの部屋が何者かに荒らされた形跡があるのですが、何かご存知ありませんか?」
「だ、だから、人違いですわ」
「嘘付かないで下さい」
「あら、もう家に帰らないとお父様に叱られてしまいますわ。じゃ、さよならぁ~」
 夏凛はバイクのアクセルを全快にして逃げようとしたが、警官がそれに気付き夏凛の身体に飛び掛かったが敢え無くバイクは逃走し、警官は鈍い音を立てながらコンクリートの地面に腹から落ちた。
 それを見ていた夏凛は小さく呟く。
「……痛そ」
 深夜の街を信じられない猛スピードでバイクを走らせる。ノーヘルなので漆黒の長い髪の毛がなびき、夜の闇と溶け合う。
 後ろから、喧しいサイレンの音を立てながら追いかけてくる一台の車。
 そんな物など気にも止めず、バイクをどんどん加速させていく夏凛。しかし、帝都警察の誇る最新鋭パトカーの性能はそこらの車とは比べ物にならない高性能車だった。
 帝都警察の誇る最新鋭高性能パトカー『TK-009H』は一台一〇〇億円以上するという馬鹿高い値段の車で、都民のバッシングを受けているという代物だ。
 銀色に輝くそのボディーはイルカを思わせる滑らかな曲線を描き、さながらそれは車というより戦闘機の機体に似ている。そして、そのボディーはあらゆる攻撃でも傷一つ付けることができないと言われていて、実験で行った核爆弾攻撃にもびくともしなかったらしい。スピードもマッハ一まで出せるらしいが、そんなスピードを帝都の街で出せば直ぐにビルに突っ込み大惨事を引き起こすことは目に見えている、無意味としか言えない機能だ。
 そんな車からたかが改造バイクが逃げ切れる筈もなく、直ぐに追いつかれてしまった。
 バイクの横に車体を寄せるパトカー。この時の時速はすでに三〇〇キロオーバーしていた。どちらも少しでもバランスを崩せばハンドルを取られて大事故を起こすスピードだ。
 パトカーに取り付けられたスピーカーから発せられる声。 
《直ちにバイクを停車させなさい!!》
その警告を聞いた夏凛は、パトカーの車体に顔を向け微笑を浮かべた。
 次の瞬間、夏凛の姿がバイクの上から消えていた。猛スピードのバイクはバランスを崩すことなく走り続けていたが、突然大きくバランスを崩し横転してビルの一角に突っ込み爆発を起こした。
 急ブレーキで地面にタイヤの跡をありありと残しパトカーは止まるが、夏凛の姿はどこにもない。
 パトカーから警官二人が降りてきて辺りを見回すが、やはり夏凛の姿はなかった。もし、あのスピードで落ちたのであったとしても、もう遥か後ろのことだ。 
 警官二人はパトカーに乗り込むと元来た道を逆走した――。
 夏凛は道路の上を全力で走り、パトカーを巻いてやったことに満足し悪戯な笑みを浮かべていた。
「うまくいって良かったぁ」
 夏凛はあの時バイクから飛び降りた。飛び降りたと言っても普通に飛び降りたわけではないのは当然なのだが、どのようにして飛び降りたかというと、まず夏凛は両手を離し、身体の重さを限りなくゼロにした。後は風圧に身体を任せながら後ろに吹き飛ばされだけ、それだけだった。
 高速で走る車からは夏凛の姿が突然消えたように見えたかもしれないが、それは車が高速で走っていた為だ。時速三〇〇キロメートルで走っている乗り物は一秒間に八〇メートル以上も進む。
 月の光を浴びながらアスファルトの上を駆け抜ける夏凛の行き先とは――。
 走り続けた夏凛は程なくして、とある一軒の魔導ショップに辿り着いた。
 看板などはない、ただそこにあるのは莫迦デカイ洋館だけだ。だが、この街で魔導に関する者であるならば誰もが知っている店である。
 ツルの生い茂った鉄格子の門を潜るとそこには、白い女神の石像の置いてある噴水に出る。この噴水の水は聖水であり、魔物や悪魔などの類をこの一帯に寄せ付けない魔除けの力を持つ。
 夏凛はこの噴水の横を通る時、いつも何故か気分が悪くなる。
 早々に噴水の横を抜けた夏凛は洋館の玄関に立ち、ドアを強くノックした。
「マナちゃんいるぅ~?」
 しばらく待ったが返事がない。
 この洋館の主人は海外に出かけることが多く、家を空けることが多い。今も外出中なのかもしれない。
 ややあって、扉が軋む音を立てながら開き、中から蝋燭を手に持った小柄な少女が現れた。
 少女はゴシック調の黒いドレスに身を包み、長く美しい金髪の髪を腰まで垂らし、蒼く透き通る瞳を上目遣いにしながら夏凛をまじまじと見つめていた。
「夏凛様、深夜遅くの御訪問。何事でしょうか?」
「こんばんわアリスちゃん」
 機械人形アリス――。機械仕掛けである彼女は自称超美人天才魔導士マナの自宅である洋館に住み込んでいるメイドのような存在で、以前はマナの命を狙っていたこともあったが、今ではマナと和解しマナの身の回りの世話やマナが不在の時のお店の管理などを任されている。
「御話は中でお伺い致します。どうぞ中へ御上がり下さい」
 胸に手を当て軽く会釈をしながらアリスはもう片方の手で夏凛を洋館の中へと招き入れた。
 家の中は暗い、明かりは何も灯っていない。玄関ホールは天上が高く、目の前には上る所が二つ双方にある階段が交差しながら二階へと伸びている。下を見ると華をモチーフにした昏い色のじゅうたんが敷き詰められている。
「こちらへどうぞ」
 アリスはそう言って長い廊下を歩き出した。その後を夏凛は無言で付いて行く。
 しばらく歩き案内された部屋の中で夏凛はソファーに座らせれて待たされた
 ぼーっとしながら天上を仰ぎ夏凛が待っていると、そこにトレイにティーカップを乗せたアリスが現れた。
「御菓子は切らしてしまって申し訳御座いませんが、どうぞ、こちらだけでもお召し上がり下さい」
 透き通るように白く小さな手から、紅茶の入ったティーカップが夏凛のしなやかな手へと手渡された。
「ありがと」
 手渡された紅茶をひと口飲んだ夏凛は、ひと息付き肩の力を抜いた。そんな夏凛を透き通る蒼い瞳が覗き込む。
「夏凛様、今日の御訪問は何用で御座いましょうか?」
「マナちゃん居るぅ?」
「申し訳御座いません、先ほどマスターの所在を確かめようと御屋敷中を隈なく探したのですが、どうやら御出かけになられたようで御座います。壱時間程前には確かに御見かけ致したのですが……?」
「じゃあいいや」
「申し訳御座いません」
 深々と頭を下げるアリスに恐縮してしまう夏凛。
「別にアリスちゃんが謝らなくてもいいよ。居ないなら別にいいの、今日は私のセット一式が欲しかっただけだから」
「セット一式を御求めで御座いましょうか?」
「うん、上下一式とブーツと大鎌と、それから香水も忘れないでね」
「承りました」
 そう言うとアリスは会釈をして闇の奥へと消えて行った。
 しばらくして、ティーカップに入った紅茶があんくなった頃、たくさんの荷持つを抱えたアリスが音もなく姿を現した。
「大変御待たせ致しました」
 そう言ながら、アリスは荷物をテーブルの上に順々に広げて置いていった。
 テーブルの上に広げられたゴスロリのドレスを手に取り説明をはじめるアリス。
「こちらが新作のドレスで御座います。このドレスはマスターが」
「あ、あの説明はいいから」
「そうで御座いますか?」
 夏凛はテーブルの上に置かれたブーツを手に取り、アリスの手からドレスを奪うと、
「着替えてくるから」
 と言って別の部屋に駆け出した。
「あの御着替え御手伝い致しましょうか?」
「来ないでいいから」
 アリスの申し出を力強く断った夏凛はそそくさと別の部屋に移動して着替えをした。
 アリスが待っていると、漆黒のドレスに身を包んだ夏凛が軽やかなステップと共に現れた。
「とても御似合いで御座います夏凛様」
 そう言いながらアリスは、夏凛に大鎌を手渡した。
 この大鎌は魔導士マナの作り出した特注品でマナ自身もこの鎌を愛用していて、夏凛と同じように普段は異空間に何本ものストックを置いてある。
 大鎌を構えた夏凛の姿はとても美しい死神を連想させた。この死神にであれば魂を狩られても良いと思う者が何人もいるであろう、そういった感じの妖艶さと美しさを身に纏う容貌だっだ。
「まあ、夏凛様、素敵で御座います」
 機械人形であるアリスが声を荒げて絶賛するのを聞いて照れ笑いを浮かべる夏凛。
「ありがとぉ、代金は私の口座から引いて置いてね」
「承りました」
「え~と、あと。タクシー呼んで貰えるかなぁ」
「承りました」
「えっと、あともう一つ」
「何で御座いましょうか?」
 夏凛はさっきまで着ていたメイド服と靴をアリスに手渡した。
「あの、これ、ハルナちゃんに返しておいてくれるぅ?」
「承りました。責任を持って私が返しておきます」
「ありがとぉ~」
「タクシーが来るまでしばらく御待ちになっていて下さいませ」
 そう言ってアリスは空のティーカップをトレイに乗せて、また暗い闇の中へと姿を消して行った――。

 タクシーが屋敷の前へと到着し車を止めると、鉄格子の重い扉が音を立てながら開けられ、中からアリス、その後ろから夏凛が出てきた。
「夏凛様、またの御訪問を――」
「じゃあね」
 会釈をするアリスに軽く手を振ると夏凛は開けられたタクシーのドアから中へと乗り込み行き先を告げた。
「マモンカンパニーまでよろしく」
 タクシー運転手は無言でタクシーを走らせた。
 空はすでに東の空の方から、徐々に光が世界を照らしつつある。タクシーはその光に向かって走って行く。
 アリスは小さく消えて行くタクシーに会釈をすると屋敷へと足を運ばせた。
 まだ光の照らされない、噴水広場を明かり無しで無駄な動き一つせず抜けると、アリスは玄関を開け屋敷の中へと入り、足早にある部屋に向かった。
 屋敷の中は暗く、足元、ましてや長い廊下の先などは全く見通すことができない。しかし、アリスはその中を淡々と歩いて行く。
 そして、ある扉の前で足を止めると、ドアをニ回ノックした。
「どうぞ、お入り」
 中からの返事を待ってアリスは扉を開けた。
 部屋の中にはテーブルに片肘を付き、長い足を組みながら椅子に座り、紅茶を飲んでいる長く銀色に輝く髪を持った男がいた。
 その男は煌びやかな装飾の施された法衣に身を包み、その顔は神々しいまでの美しさを放ち、全身を何か強大な力によって包まれているようだった。
 アリスはその人物に軽く会釈をした。
「夏凛様が御帰りになられました」
「どこに行くか聞いたかい?」
「マモンカンパニーに行くとおっしゃって御座いました」
「やはり絵画はそこにあるのか。そんなことより、クッキーが切れてしまったんだけど」
 無表情な顔に付いている二つの澄んだ蒼い目が男を無言で見つめる。
「…………」
「なんだい、何か言いたいのかい?」
「御菓子は、もうファウスト様が全て御召し上がりになられて、この屋敷にはクッキー一枚たりとも残っておりませんが」
「そんなに食べたかい、私は?」
「ええ、クッキーは一〇〇〇枚以上、ケーキは三〇〇個ほど、紅茶も四〇〇杯ほど御代わりになられました」
「そんなに食べたかねぇ~、いろいろなものを身体の中に養っていてね、仕様がない。さて、御菓子がないのなら出かけるとするか」
「そうして頂けると助かります、愚痴や言い訳を聞かなくて済みますので」
 飲み干したティーカップをテーブルの上の置くとファウストは勢いよく立ち上がった。
「ところでアリス、マナの姿が先程から消えてしまったんだが?」
「マスターはどこかに御出かけになられたようで御座います。きっとファウスト様のことが……いえ、何でも御座いません」
「そうかい、ありがとう。マナには今度会った時に御説教を聞かせてあげよう」
そう言って、ファウストは悪戯な笑みを浮かべた。

 つづく


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