第7章 兄さまがんばれ!
 数十分前――。
 時雨――彼は帝都で一番美しい。そして、今は帝都で一番臭かった。
「……死ぬぅ」
 帝都の駄天使は、帝都地下に棲む大海蛇リヴァイアサンと呼ばれる怪物との死闘の末、下水に引きずり込まれてしまった。
 下水に引きずり込まれた後、どうにか九死に一生を得た時雨は我が家に帰って来て、家の前で安堵感から立ち尽くしていた。
「……夏凛なんか助けるんじゃなかった」
 しばらく、ぼーっとした後、時雨は家の脇にある階段で二階へと上がった。一階はお店となっていて自宅の玄関は二階にあるのだ。
 コンコンと叩いてドアをノックする。ちなみにドアの脇にはインターフォンも付いている。
「ハルナちゃん開けてぇ~」
 ややあってドアは開けられ、チェーンロックの掛けられたドアの隙間から眼鏡をかけた女の子がこちらを覗いた。
「おかえりなさ~い、ふぁ~……っ!?」
いきなりドアが勢いよくバタンと閉められた。しかも、その後ガチャという鍵を閉める音もした。
 理由は明白だった。ドア越しで声が聞こえた。
「テンチョ、クサイですよぉ!」
 時雨は臭かった。それも今は帝都一臭い。
「臭いのは自覚あるから、開けて」
「イヤですよぉ~、鍵は開けておきますけど……あたし、寝室にこもりますから、少ししたら入ってくださいね。それから、シャワーとか浴びて綺麗になったら、部屋中にバケツで芳香剤まいといてくださいね」
 ガチャと鍵が開けられた。――しばらく待つ。――もう少し待つ。――そしてドアを開ける。
 ゆっくりと開かれるドアと共に異臭が家中に流れ込む。
 時雨急いでシャワールームに直行。そして、脱衣所で着ていたコートや服を脱ぎ、瞬間乾燥機付きの洗濯機に服を全部入れてスイッチオン。
 いつもどおりの行動をした時雨はお風呂に入った――。
 夏凛は店の裏に回り、音を立てながら階段を登ると玄関を激しく叩いた。
「兄さま、助けてぇ~!!」
 反応がない。
「兄さまぁ~っ」
 ややあってドアは開けられ、チェーンロックの掛けられたドアの隙間から眼鏡をかけた女の子がこちらを覗いた。
「夏凛さん、なんですかぁ、こんな夜更けにぃ~……ふぁ~」
 そう言って女の子はチェーンロックを外してドアを開けた。
 ドアの向こうに立っている女の子はネコしゃん柄パジャマ姿を着て、ぼさぼさ頭を片手で掻き揚げながら、もう一方の手は大きなあくびをしている口に当てていた。
「ハルナ姫、取りあえず中入れて」
「ふぁ~どうぞ~」
 ハルナによって中に通された夏凛は、辺りをきょろきょろ見回しながら居間へと歩いて行く。
 その後をドアの鍵を閉め終えたハルナがちょこちょこと付いて行く。
「いつ来てもこの家は奇麗に片付いててホコリ一つないよね、姫のお陰だね」
「そんなぁ~、照れますぅ」
 ハルナは時雨の本業である雑貨店の店員兼なまけもので、どうしようもない時雨の身の回りの世話役を住み込みでしている女の子で、歳のころは一〇代後半から二〇代前半らしいのだか顔立ちのせいかもっと若く見える。中学生、もしくは小学生と言っても通用するかもしれない。
 居間に着きゆったりと腰を下ろしている夏凛にハルナが紅茶を出そうと台所に行っている頃時雨は、もうもうと湯気を肌から上げお風呂場から出てきた。次に彼は身体を拭き、そのまま裸のままドライヤーで髪の毛を乾かす。
 髪の毛を乾かし終わると洗濯機に入れてあった衣服を取り出す。衣服はすでに瞬間乾燥機により乾いている。そして、着る。
 帝都の天使と呼ばれる時雨はいつも同じ格好をしている。同じ服をいっぱい持っているのではなかった。いつも同じ服を着ていたのだ。……洗っているだけマシと言ったほうがいいのだろうか?
 三階に上って部屋に行こうとした時雨であったが、その足が不意に止まった。居間の電気が点いているということと誰かの会話が聴こえて来たのだ。だが、ハルナがTVを見ているのだろうと思ってそのまま階段を上った。が……、
「どうぞ」
「うん、ありがとぉ」
 ハルナの声とは別に聞き覚えのあるブリッ子した声が……聞こえた。
「ああ~っ!! どっ、どうしたんですか、こんな格好でしかも肩から血が出てるじゃないですかぁ~!!」
「気付くの遅いよ姫」
 時雨の頭にある名前が過ぎった、〝夏凛〟。その名前が頭に過ぎった瞬間、時雨は階段を急いで降りようとして階段から転げ落ちて腰を強く打ってしまった。
 腰を打ちつけながら時雨はふらふら歩きで居間のふすまを勢いよく開けた。そして叫ぶ
「なんで夏凛がいるの!?」
「兄さま、こんばんわ」
 バスローブ姿の夏凛はティーカップを持ち上げながらにっこりと微笑んだ。その姿はまるでお風呂上りのここの住人のようだ。
 この家の偽住人夏凛の顔をあからさまに嫌な顔で見る時雨の手は、まだ、ふすまを開けたままの斜め上30度の位置で止まっていた。
「だからなんで夏凛がいるの?」
 あからさまに嫌な表情をしている時雨に笑みを送り続ける夏凛。
「兄さま、だいじょぶだったあの後」
「だいじょぶなわけないでしょ、ボク泳げないんだから!」
 そう言いながら時雨は夏凛の前の席に腰を下ろしてテーブルに腕を乗せた。時雨の表情は未だ硬い。
 そんな時雨をワザと無視するかのように夏凛はハルナに話し掛けた。
「ああ、そうだ! 姫、メイド服貸してくれないかなぁ」
「いいですよ」
 そう言ってハルナはメイド服を取りに自分の部屋へ走って行った。夏凛は作戦ミスをしたことに気が付いた。
 二人っきりになって、時雨の視線が痛いくらいに夏凛に注がれる。このまま兄弟戦争勃発になってしまうのか?
「なんで夏凛がここにいるの?」
「やだぁ~兄さま、そんなに見つめないで」
 両手の平を頬に付け、顔を赤らめ叛ける夏凛。だが、それをやられた時雨はかなりキレていた。
「……怒るよ」
 あからさまに話の本題を言おうとしない夏凛に時雨が小さくキレた。
「ごめんなさい、言います。私がここに来た理由」
「よろしい」
「じつは……、暗殺タイプのA級キリングドールに追いかけられてて」
「……で?」
 そこへいつの間にか髪の毛をツインにまとめ、メイド服を着たハルナがメイド服を二つ持って現れた。早業だ。
「あのぉ、夏凛さん、どっちがいいですか?」
夏凛は迷わず自分から見て右のピンクの生地にフリルがひらひらしてるデザインの方を選んだ。
 そのメイド服を受け取った夏凛は着替えの為に家の奥へと姿を消してしまった。
「話が終わってない」
 そう呟くと時雨は台所にお茶を入れに行った。
 ややあって時雨が台所からお茶を持って戻って来ると、ハルナは深夜TVを観て楽しそうに笑っていた。
「テンチョ、これおもしろいですね、あはは」
 ハルナが観ていたTV番組は『まぐろのまんま』というトーク番組で、お笑い芸人のまぐろが毎週ゲストと楽しいトークを繰り広げるという番組で、今週のゲストは今売り出し中のアイドルらしく、いつも通りまぐろはゲストの女の子を口説いていた。
 時雨はお茶をテーブルに置いて座ろうとしたのだが、彼の顔は突然何かを感じ取り、険しい表情へと変わった。
 銃声と共に道路に面している窓ガラスが弾け飛び部屋中に破片が散乱する。敵襲以外のなんでもない。
「ハルナちゃん逃げるよ!」
 そう言って時雨は瞬時にハルナを抱きかかえて家の奥へと走り出した。
 騒ぎを駆けつけた夏凛と時雨が鉢合わせになる。
「兄さま、どうしたの!?」
「夏凛は外で敵と時間稼ぎ、ボクは村雨を取って来る」
「OK」
 夏凛の返事を聞くと時雨はハルナを抱えたまま三階へと駆け上がって行った。
 残された夏凛は玄関へと走り出しハルナの靴を履くと急いで道路へと飛び出した。
 道路に飛び出した瞬間敵の発砲に遭い、月光照らすアスファルトの上をアクロバットで宙を舞いながら銃弾を避け敵に近づく。
 敵は、夏凛を追いかけて来たキリングドールだった。
 乱射される銃弾を避けているうちに弾が切れた。それを見計らって夏凛の回し蹴りがキリングドールの頭に炸裂される。
 キリングドールの身体は大きく吹き飛ばされ、時雨の店のシャッターにぶち当たり破壊した。
「さすがに普通の靴で蹴ると痛ったぁ~い」
 しゃがみ込み左足を押さえてうずくまる夏凛の視線の先の瓦礫の山が吹き飛んだその中から無表情のキリングドールが無傷で現われた。
「私のメガトンキックでもダメなのぉ~!?」
 夏凛は身体の強度と重さを一瞬だけ自由に変えることのできる特殊能力を持っている。今の蹴りは、三トン程の威力があったのだが、それでも無傷のマシーンを見て夏凛は愕然としてしまった。
「さすがにこの靴じゃあれ以上の蹴りは無理」
 夏凛の普段履いているブーツは有名な魔導士が製作する特注品で、特殊な素材で作られており、夏凛の蹴りに耐えられる強度と水鳥の羽根よりも軽い重さを誇っていた。いくら身体の強度を変えられるといってもそれには限界があり、いつもの靴を履いていない状態では本気を出すことはできない。
 夏凛に向かって歩いてくるキリングドールの後ろ――店の奥で何かが激しく閃光を煌かせた。
「ボクの店をどうしてくれるんだ!」
 妖刀村雨の代用品、妖刀殺羅を構える時雨の目は怒りで満ち溢れていた。村雨は下水の中に落として来てしまったらしい。
 黒いロングコートを風になびかせながら時雨は、キリングドールへと斬りかかった。
 真紅の光を放ち振り下ろされるソードからは光の粒が血の玉のように飛び散り、それを片手で受け止めようと手を出したキリングドールであったが、その行為は虚しく。出された手は腕ごと切断された。
 火花を飛ばしながら血の代わりの緑色の液体を出す腕には気にも止めず、キリングドールの蹴りが時雨のわき腹目掛けて繰り出される。
 蹴りはわき腹に喰い込み、苦痛の色を浮かべる時雨であったが、ソードの柄を強く握り締め相手の首目掛けて振った。
 マシーンの首が宙を舞い、地面を落ちた。虚しい金属音が夜の澄んだ空気に響き渡る――。
 戦いを終え、わき腹を押さえ道路に片膝を付く時雨は辺りを見回し呟いた
「……夏凛は?」
 もう、この場には夏凛の姿はどこにもなかった。夏凛いつの間にかこの場から逃げてしまっていたのだ。
 夜の闇にバイクの走る音が聴こえた。夏凛が戻って来たのかとその方向を見ると大型バイクに跨った女性がこちらに向かって来るではないか!?
 向かってくるというのは、〝近づいて来る〟ではない。時雨をひき殺す勢いでこちらに向かって来ているのだ。
 それに気付いた時雨は間一髪のところでアスファルトの地面の上を転がり、向かって来たバイクを避けた。
 時雨をひき殺すことに失敗したバイクは激しい音を立てて急ブレーキで止まると、特殊部隊のような重装備をした女性がバイクを降りて時雨に近づいて来た。
 女性は明らかな殺気を放っている。だが、感情がない静かな殺気だった。このような殺気は先程のキリングドールからも感じられた。つまり……。
「また、キリングドールか……はぁ」
 妖刀を構え立ち上がる時雨であったが、腹に痛みを覚え顔しかめる。だが、キリングドールには相手の事情など構うわけもない。
 瞬時に抜かれた銃から九ミリの銃弾が秒速三〇〇キロメートルの速さで発射された。時雨との距離は一〇メートルを切っている。だが、時雨はそれを防いだ。
 まさに目にも止まらぬ速さで時雨は剣を振るい、銃弾を叩き斬り消滅させた。人間の技とは思えぬ神の成せる業であった。
 銃弾を叩き斬った時雨の身体はわなわなと震えていた。
「この妖刀はボクの手には余るな……ボクの身体の限界以上の力を引き出してくれる……」
 限界以上の力を引き出す。それは身体に過度の負担をかけることを意味していた。
 再び銃弾を発射される前に時雨は相手の銃を構える手を腕ごと切断しようとした。だが、相手は並の人間ではなかった、キリングドールだった。腕は瞬時に引かれて腕を切断することはできなかった。だが銃は切断できた。
 目的の根本を達成した時雨は敵に背を向けて走り出した。つまり逃げたのだ。
 自分の店を構えている商店街を黒いロングコートをなびかせながら走り抜ける。時雨はこの商店街で騒ぎを起こしたら追い出され店の営業ができなくなると考えたのだ。
 キリングドールは時雨の真後ろを走っている。もう少しで手が届いてしまう距離だ。そして手が伸ばされた。
 それに気付いた時雨は回転しながら妖刀を振るった。キリングドールは後ろに飛び退き間一髪のところでそれを避けた。
「惜しかった、もう少しで斬れたのに……でも、ここなら思う存分に戦えるかも?」
 ここは商店街を抜けた先にある神威神社。変わったしゃべり方をする美人の巫女がいることで有名な神社だ。
「ここの境内広いから……少しくらい暴れても平気だよね?」
 気兼ねをする時雨だが、キリングドールは命令以外のことに構いもしない。
 襲い掛かってくるキリングドールを交わし、時雨は相手の股から頭上にかけて一刀両断を試みたが、キリングドールは状態をひねり腕でそれを受けた。もちろん一刀を受けた腕は斬り飛ばされた。
 斬り飛ばされた腕は遠くまで飛び、しめ縄の架けられた御神木の横を掠めるようにして落ちた。
 冷や汗を一滴流し、顔を蒼くした時雨の身体は固まってしまっている。そこにすぐさま巫女装束を着た人物が現れた。命だ。
「神社で暴れるなど不届き千番。時雨、わらわの寝起きが悪いことはお主も知っておろう? 説教は後でしてやるのでな覚悟せいよ。じゃがな、今は人の形をしたまがい物を滅するのが先じゃ」
固まり何も言えない時雨を無視して命は空に印を描く。
「汝らは全てを滅する力なり、〝招〟!」
 命は右手の中指と人差し指で空を突き刺した。すると、空間が裂け、中から二人の鬼神が現れた。
 おぞましい怒りの形相をしている赤色の肌を持つ鬼神は、二体同時に手に持っていた鞘から剛剣を抜き、キリングドールに襲い掛かった。
 鬼神を敵と判断したキリングドールは鬼神を倒すべく挑むが力の差は明らかだった。キリングドールは三〇秒もしないうちに残骸と化してスクラップにされていた。
 命の視線が時雨に向けられた。
「さて、時雨よ。言い訳は聞くがの、仕置きは覚悟せいよ」
「あのね……夏凛がキリングドールに追いかけられてさ……それでボクにそいつを押し付けて……」
「だからと言うて、この神社に逃げ込む理由はかるのかえ?」
「そ、それは商店街で暴れると商店街を追い出されて営業が……」
「ふむ、時雨の言うことはわかった。じゃがな、わらわの怒りを買うことになるとは考えなかったのかえ?」
「…………」
 言葉が詰まり無言になった時雨を見た後、命は二人の鬼神を見てこう言った
「仕置きをしてやれ」
 二人の鬼神は時雨の腕を掴み羽交い絞めにした。そして、命はもう用は済んだと帰ろうとした。
「ま、待ってよ命!!」
「わらわはもう寝る」
 命は時雨の顔を見ずにさっさと帰ってしまった。
 残された時雨は一人の鬼神に抱きかかえられ、もう一人の鬼神は鞘を握り締め構えた。時雨のお尻は鞘を構えた鬼神に向けられていた。まさか……!?
 この日の夜中、静かな境内から男の悲痛な叫び声が聴こえたのは言うまでも無い。その声は商店街まで響き、何事かと家から飛び出して来た近隣住民は二人の鬼神を見て腰を抜かし大騒ぎをしたという。

 つづく


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