第2章 紅い月
 紅いビキニ鎧とマントを身に纏い、同じく紅い兜から垂れている髪も紅い。
 女はその瞳すらも紅かった。
 しかし、その背から生えている翼は漆黒。
 この女戦士を見てケイは驚いたが、もっと驚いたのは率いられていた部隊だ。
 人型に近い兵器。
 土色の全長三メートルほどの機体は、上半身は人型に近く、胴体、腕と人間のような構成になっているが、頭部はなく、下半身は脚がない替わりに戦車のような無限軌道で移動するようだ。
 この兵器が女戦士の後ろに三機並んでいる。
 女戦士はギラついた眼で辺りを見回しながら言う。
「隠してんなら承知しないよ。次の的は〝だれ〟にする?」
 はじめの的は人ではなく、すぐそこで倒壊している民家だろう。次は人間を狙うと脅しをかけているのだ。
 女戦士と話していた中年の男も物怖じして腰が引けている。
 そして、その中年男を見たケイの感想は?
「ちょんまげじゃないんだ」
 ケイの勝手な思い込みだった。
 その一言を発したために、ケイは女戦士に気づかれて視線を向けられた。
「そこの娘、出といで!」
「イヤです!」
 ケイはキッパリと断って家の中に逃げ込んだ。
 土間では心配そうな顔をした娘が立っていてケイを迎えた。
「なにがあったんですか?」
「聞かれても困るんだけど、変な真っ赤な怖い顔した女がロボットを引き連れて」
「そのひとって……?」
 娘がケイの肩越しに指差した紅い女戦士。家の中へ追って来たのだ。
「ちゃんといるじゃないか、胸のデカイ娘が二人も」
 言い終えて女戦士は舌舐りをした。獲物を狙う獣の眼をしている。
 慌てた様子で家に飛び込んできた中年男。形振り構わず女戦士の脚にしがみついた。
「やめてくれ、娘になにをするつもりだ!」
「お父さん!」
 娘が叫んだ。
 父親がこんなにも必死になっている状況に、自分も巻き込まれていることにケイは気づいた。
「まさかあたしも狙われてるの、巨乳だから?」
 そして、女戦士はひいき目に見ても貧乳だった。
 女戦士は父親を蹴り飛ばして払い退けた。
「百姓が役人の邪魔すんじゃないよ。公務執行妨害で殺るよ?」
 この女戦士は本気で殺る鬼気を出していた。その紅い姿は返り血で染まって、そうなったように見えてしまう。
 女戦士が一歩一歩、ケイたちににじり寄ってくる。
「大人しく連行されれば隔離施設入り。抵抗するならこの場で殺るよ?」
 目覚めてからなにもかもわからないまま、今度は理不尽にも捕まりそうになっている。ケイは納得なんてできなかった。
「なんで隔離施設なんか入れられなきゃいけないわけ、あたしがなにしたの!」
「まさか巨乳狩りを知らないわけじゃあるまい?」
「……は?」
 女戦士の言葉にケイは唖然とした。
 〝殺る〟とかいう物騒な言葉が出た同じ口から、〝巨乳狩り〟というマジとは思えない言葉が出た。〝巨乳〟を〝おっぱい〟に言い換えると、もはやギャグとしか思えない言葉だ。
 巨乳狩りの遂行者ということは、この女戦士は〝おっぱいハンター〟ということになるではないか――貧乳の。
 ケイは思わず失笑してしまった。
「なにそれ?」
「本当に知らないのか? やはり都から離れると、どこもとんだどド田舎だな」
 女戦士のほうも失笑した。
 おそらくこの場で巨乳狩りを知らないのはケイだけだろう。
 娘が恐る恐る口を開いた。
「一年ほど前、死に至る恐ろしい病気が発見されたそうです。代表的な発症者である前都智治(とちじ)の名前を取ってヒミカ病と名付けられました。その病気の症状のひとつに乳房の肥大があるんです」
「それで政府がアタイらに命じたのが巨乳狩りさ」
 と、女戦士が締めくくった。
 その説明を聞いても、ケイは大人しく連行されるつもりはない。その大きな理由は、娘が進んで連行される態度を見せていないことだった。
 そして、女戦士たちの強硬な態度。連行された先になにが待っているのか?
 女戦士が手招きをした。
「さっ、早くこっちへおいで」
 娘は首を横に振った。
「嫌です、行きたくありません。だって、今まで連行された人や、自ら進んで収容所に行った人、その中には病気じゃなかった人もいるはずなんです。なのに誰一人帰ってきたって聞いたことがありません!」
「そんなのアタイの知ったこっちゃないよ。ぶっちゃけ、アンタらが病気だろうが、そうじゃなかろうがアタイには関係なんだ。狩りがしたいんだよ、狩りがッ!」
 連行という選択肢などはじめから存在していなかったのだ。
 ケイは娘の腕を掴んで逃げようとした。
 この瞬間こそを、女戦士は待っていたに違いない。
 逃げる獲物を狩れる瞬間を――。
 瞳を真っ赤に燃やす女戦士から立ち昇る狂気。
「この場で胸の肉を削ぎ落としてやるよ!」
 玄関には女戦士がいる。
 ほかに逃げ場は!?
 開いていた雨戸に向かってケイと娘は走り出した。
 しかし、その先にはあのロボットが待ち構えていた!
 ズドォォォォォォン!
 次の瞬間、ケイたちは爆発に巻き込まれそうになって床に伏せた。
 いったいなにが起こったのか?
 床に伏せたまま恐る恐るケイが顔を上げると、ロボットが大破しているではないか!?
 事故か、それとも何者かの仕業か?
 なにが起きたのかわからなかったが、道は開かれた。
 ケイはすぐに立ち上がって、娘を引っ張って雨戸の外へ飛び出した。
 すぐに女戦士も追いかけてきた。
「AT零参型が大破だと!?」
 それは女戦士にとっても思わぬ事態だったに違いない。
 嗚呼、その紅(くれない)を目にしたら、女戦士などくすんで見える。
 外に出たケイたちを出迎えたのは、艶やかな紅い衣装を身に纏った花魁だった。
 白塗りをせずとも透き通った白い肌。
 柳眉と長いまつげの下で開かれた切れ長の瞳。
 筋の通った鼻梁の下では形の良い唇が艶やかに微笑んでいた。
 ケイは思わず逃げることも忘れ、その花魁の妖艶さに魅惚れてしまっていた。
 気づけばケイたちは、花魁と女戦士に板挟み。
 AT零参型と呼ばれた兵器もあと二機残っている。
 女戦士の視線はケイたちを通り越し、謎の花魁に向けられていた。
「アンタが噂の災難の暁(カラミティ・アカツキ)か? ネヴァンが獲物を捕られたって喚いてたよ」
「そういう貴様はバイブ・カハのひとり、〈赤毛のマッハ〉だな?」
 花魁――アカツキの発した声は女にしてはとても低い。そして、高下駄を履いているとはいえ、身長は一八〇センチ以上はあるだろう。
 まさかこの花魁!?
「オカマ!」
 ケイが叫んだ。
「たぶんオカマじゃなくて、女形だと思います」
 すぐに娘のツッコミが入った。
 女形とは演劇で女役に扮する男の役者を言うが、本当にアカツキがそうなのかわからない。少なくともケイはオカマ説を支持していた。
「絶対オカマだよ(もしかしたら工事済みかも)」
 その発言が気に障ったのか、アカツキは抜刀した切っ先をケイの心の臓に向けた。
「その魂魄、俺様が貰い受ける」
「えっ、マジ!?(殺される!?)」
 ケイは後ろに一歩下がったが、その先にはマッハがいる。
 アカツキとマッハ、仲間ではないが狙いは同じなのかもしれない。
 遙かなる女体の巨峰をもぎ取る者。
「このオカマもおっぱいハンターなの!?」
 ケイの大声が木霊した。
「フェザーアロー!」
 次の瞬間、マッハの翼からフェザーアローが発射された。
 翼の矢が狙ったのはアカツキ!
「アタイの獲物を横取りしようなんて一億光年早いんだよ!(誘導弾のこの技を避けられるはずがない!)」
 高下駄という悪条件にも関わらず、アカツキはすべてを見切ったように、舞いながらフェザーアローを躱した。
 しかし、外れたフェザーアローはアカツキを通り越し、そこからUターンして再び襲ってきた。
 アカツキはフェザーアローに背を向けていた。
 マッハは妖しく微笑んだ。だが、その表情が一転して驚愕へと変わる。
 なんとアカツキは一瞥もせず、その攻撃をはらりと躱したのだ。
 そして、刹那。
 輝線を引く一刀が羽根を斬った。
 二人が獲物の取り合いをしている間に、当の獲物は逃げようとした。
「今の内です!」
 先に駆け出したのは娘だった。
 もしも先に飛び出していたのがケイだったら、その運命を辿っていたに違いない。
 娘は叫び声すら上げられなかった。
 心臓を刀でひと突きにされたこともあるが、それ以前にアカツキの美麗な双花に接吻を奪われていたのである。
 重なり合う唇が離されると同時に、柔肉から刀が抜かれた。
 ブシュゥゥゥゥゥッ!!
 鯨が潮を噴いたように勢いよく、煮えたぎる紅い奔流が傷口から迸った。
「人殺しッ!」
 心からのケイの叫び。
 そこにいたのは人殺しなどという生やさしい者ではなかった。
 殺人の鬼。
 白かった顔は今や紅く彩られている。
 マッハはその通り名を思い出した。
「そういや、カラミティのほかにも〈紅い月〉なんて呼ばれてたな」
 月のように清ましたアカツキの表情。
 自然とケイの瞳からは涙が零れていた。次に殺されるのは自分だと恐怖したのではない。まだ名前すら聞いていなかった娘は、もう口も聞けない。
 しかし、ケイはあることに気づいた。
 嗚呼、なんて娘は至福の表情をしているのだろうか……。
「次は貴様だ」
 アカツキは紅い雫が滴り落ちる切っ先をケイに向けた。
「これ以上、獲物の横取りは許さないよ。この変態野郎を殺っちまいな!」
 二人の間に割って入ったのはマッハだ。
 さらに二機のAT零参型がアカツキに襲い掛かってきた。
 アカツキの刀が風を切り、唸り声をあげた。
「貧乳の貴様に用はない。機械など眼中にない。俺様の両眼には爆乳しか映らぬ!」
 刀が情熱を帯びたように炎を上げた。
「火炎突き!」
 叫んだアカツキはAT零参型の胴を突いた。
「ギャアアアァァァァァッ!」
 刀が突いたのはコックピットだった。有人機体に乗っていた男を突き刺し、その躰を業火によって燃やし尽くしたのだ。
 操縦者を失ったAT零参型は、暴走しながらもう一機に突っ込んだ。
 仲間の突撃を喰らった機体はぐらつき、そのまま地面に倒れてしまった。すぐにアームを使って起き上がろうとするが、アカツキの追撃は容赦ない。
 天高く飛び上がっていたアカツキが、切っ先をコックピットに向けて飛来する。
「火炎突き!」
「ギョアアアァァァァァッ!」
 またもあがった悲鳴。
 生きながら焼かれ、死の灰と化す。
 部下の死をマッハは動じずに、むしろ楽しそうに笑っていた。
「噂通りの強さで嬉しいよ。ネヴァンが獲物を掻っ攫われたわけだ。その炎がアンタの〈ムゲン〉か?」
「違う」
 と、アカツキは短く。
 〈ムゲン〉とはいったいなにか?
「ならアンタ、〈ムゲン〉に関係なく炎術士ってわけか?」
「さて……な」
「言いたくないってことか。けど炎は〈ムゲン〉じゃないんだろ。アンタの〈ムゲン〉見せてみなよ」
「貴様が見せてくれたら、な」
 先に妖しく笑ったのはアカツキか、それともマッハか?
 ほぼ同時に二人は動いていた。
 しかし、マッハのほうが疾い!
 それは驚くべきことに、目にも止まらぬ速さだった。まさに音速(マッハ)。
 が、速さこそ劣るアカツキの刀は、漆黒の翼を切り裂いていた。
「キャアアアアアアアッ!!」
 凶鳥のような甲高い悲鳴をあげてマッハが地面に倒れた。
 アカツキはまるでそこにマッハが現れるの知っていたかのように、視界からマッハが消えた刹那にその場所に刀を振るっていたのだ。
「翼が……あああっ、人間の動体視力じゃアタイの動きは……痛い、痛ヒィィィィ!」
 地面でのたうち回るマッハを、アカツキは冷たい視線で見下していた。
「いくら疾く移動できたとしても、思考も同じ速さで働かなくては意味がない。足りないのは胸だけないようだ」
 皮肉を吐かれたマッハは反撃どころか、痛みで躰の自由すら効かない。
「おのれ……ああっ……ああぁン……カ……〈カイジュ〉!」
 力を振り絞って叫んだマッハの翼が蠢き出す。
 それはまるで肉の塊が蠢くように、翼だったものが変形していくのだ。
 腰が抜けてその場から動けなくなっていたケイも、尻餅を突きながらその一部始終を見ていた。
 蠢いた翼はいったん、小さな黒い肉の塊になったあと、そこから小さな翼を生やし、クチバシを伸ばし、最後に紅いカンムリのような羽根を頭に生やした。
「鳥?(なんなのいったい?)」
 と、ケイはつぶやいた。
 マッハの翼だったモノは、四五センチ前後の鳥に変貌したのだ。
 それを見たアカツキが、だれに聞かれるでもなく説明をはじめた。
「これがこいつの〈ヨーニ〉だ。キツツキの仲間か……空を飛べる鳥類は戦術的に〈デーモン〉に適しているな」
「ヨーニとかデーモンとか(デーモンって悪魔って意味?)」
 アカツキの言っていることをケイは理解できなかった。
「〈ヨーニ〉は魔導装甲機体――通称〈デーモン〉の契約体の総称、または通常の状態を言う。それからデーモンとデビルは意味が異なるから覚えておけ」
「え?(意味わかんない……もぉヤダ!)」
「説明するだけ無駄のようだな」
 切っ先がケイに向けられた。
「あたしのこと殺す気?(どうせ殺すから説明しても無駄って意味?)」
「華は散る運命にある。しかしまた蕾をつけ、華咲くものだ」
 死を目前に感じたケイは、娘の顔を思い出した。
 なぜ、あんなにも至福の顔をしていたのだろうか?
「(あたしもこのひとに殺されたらわかるかな……)」
 最期の覚悟をしてケイが目をつぶろうとしたとき、アカツキの刀を持つ手が震えた。
「くっ……限界にはまだ……早い筈……」
 急にアカツキがケイに背を向けて走り出した。
 死を覚悟していたケイの躰から一気に力が抜けた。
「な、なんなの?」
 アカツキは消えた。
 不可解な逃亡だった。
 マッハも弱っているキツツキを抱きかかえて立ち上がった。
「今はやむなく引くが、オマエはアタイだけの獲物だからな爆乳女!」
 そして、マッハもこの場から走り去って姿を消した。
 嵐のような出来事だった。
 その嵐が残した爪痕は……?
 紅い海に沈んで横たわる娘の傍でむせび泣く父の姿。
 過ごした時間の長さは関係なかった。
 ケイは失った悲しみが蘇り、その場に蹲って動けなくなってしまった。

 つづく


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