第18章 終末
 沈黙する〈バベル〉。
 陽が昇ると同時に戦車が大砲を撃ち、戦いが幕を開けた。
 シキが調達してきた無人装甲戦闘車両の上に立つ炎麗夜。黄金の毛皮のマントを靡かせ、先陣を切った。
「喧嘩上等先手必勝!」
 炎麗夜が〈バベル〉を力強く指差した。
 再び大砲が撃たれる。
 砲撃を浴びる〈バベル〉だが、その外壁には傷一つ付かない。
 すでに〈ムシャ〉化しているシキが叫ぶ。
「姐さん無駄玉撃ちすぎだよ! 脆そうなところを狙って!」
「どこを狙えってのさ!」
「〈バベル〉がついに動き出した、眼だよあの開こうとしてる眼を狙って!」
 沈黙していた〈バベル〉だったが、巨大な眼がゆっくりと開こうとしている。あの眼は光線を放った眼だ。
《ゼクスは就寝中です。私が相手をします。現在のあなた方が〈バベル〉を撃破できる確立は、1パーセント未満です》
 〈バベル〉の眼が不気味に輝きを集めている。
 戦車が咆える。
「撃てーっ!」
 炎麗夜が勇ましく叫ぶと同時に、大砲が撃たれた。
 だが、砲弾は一歩届かないッ!
 〈バベル〉の眼が光線を放ち砲弾を呑み込んだ。そのまま戦車ごと炎麗夜を消し飛ばす気だ。
 炎麗夜に投げかけられた叫び声が、だれの声かわからぬまま轟音に呑み込まれた。
 激しい閃光が弾かれるように迸った。
 果たして炎麗夜は生きているのか!?
 炎麗夜は無傷だった!
 戦車ごと炎麗夜を包み込んでいた謎のバリア。
 猫耳の娘がそこに立っていた。
「風鈴!」
 歓喜した炎麗夜の叫び。
 炎麗夜を守ったのは風鈴のバリアだったのだ。
「ただいま戻りました炎麗夜さま。もちろん二人も」
 空駆けるペガサスと合体した颶鳴空が、伸びはじめた〈バベル〉のプラグを槍で蹴散らす。
「炎麗夜様、あなたというひとは、いつもひとりでどこかに行ってしまわれるのですから、まったく」
「颶鳴空!」
 さらに炎麗夜は歓喜した。
 地響きが聞こえた。
 大地を揺らしながら巨大な影が走ってくる――ベヒモスだ!
《風羅ただいま参上》
「風羅!」
 炎麗夜のボルテージは最高潮に達した。
 走ってきたベヒモスはそのまま〈バベル〉に突進した。
 グォォォォォォォン!
 巨塔が揺れた。大砲すら効かなかった〈バベル〉が、巨獣ベヒモスの一撃で激しく揺れたのだ。
《損傷ゼロ。戦力が増しても、まだ〈バベル〉を撃破できる確立は三パーセント未満です。無駄な抵抗は時間の無駄でしかありません――ッ!》
 さらにベヒモスは強靱な下顎から伸びる長い犬歯で、〈バベル〉に噛み付いた!
 鋭い牙は〈バベル〉の外壁を突き破ったのだ。
 シキは微笑んだ。
「よかった彼女たちが間に合って」
 つぶやいてシキは、武器となったプラグの群れに立ち向かっていった。
 戦いが繰り広げられる中、まだ二人は動いていなかった。
 真剣な眼差しでケイはアカツキを見つめた。
「あたしたちも早く戦おうアカツキ!」
「俺様に命令するな」
「いいから早く!」
「あと少し……氣は読んだ。〈ファルス〉合体!」
「ちょっいきなり!」
 宙に浮かんだケイの服が弾け飛び、巨大な翼を広げるように両手を伸ばし、優しくアカツキの躰を後ろから抱きしめる。
 自然とアカツキの服も滑り落ちるように脱げていた。
 紅い布が躰に巻き付き、その白い肌を紅く彩っていく。
 やがてそれは花魁衣装へ変貌する。
 紅で飾った淫らな口元が艶やかに微笑む。
 首筋は長く伸び、はだけた襟元から覗く鎖骨と肩。
 背中で輝く妖しい骨の翼から、夢うつつな光球が零れ落ちる。
 艶やかな黒髪が、湯気のように舞い上がりながら、燦然たる黄金に輝きはじめた。
 その髪はまるで菩薩の後光か光背か、金色(こんじき)の輪を描いた髪がかんざしで飾られ、さらに炎が渦巻くような二重の螺旋が天に伸びた。
 振り払われた刀に炎が宿る。
 紅い瞳が〈バベル〉を見据えた。
「斬る!」
 天翔るアカツキが〈バベル〉に向かった。
「飛天炎舞千手観音(ひてんえんぶせんじゅかんのん)!
 残像を描いて見える幾つもの腕が〈バベル〉を斬って斬って斬りまくる!
 〈バベル〉の外壁に次々と斬撃は刻まれていく。
《機体損傷。装甲を切り離します》
《アハト! ボクに代わるんだ、ゲームはボクのほうが上手い!》
《了解しました》
 〈バベル〉の操縦者がアハトからゼクスに交代した。
《さあ、ここからはボクが相手だ。と言いたいところだケド、少々時間をもらいたい》
 沈黙する〈バベル〉。
 不気味な沈黙に先になにかがあることは間違いない。
 ヒビモスが再び〈バベル〉に噛み付いた。
 これを合図に総攻撃が開始された。
 黙する〈バベル〉が再び動き出す前に片を付ける!
 アカツキの刀が業火を噴き出した。
「喰らえ!」
「〈スペルプラス〉『な~んちゃって』」
「灼熱地獄斬(しゃくねつじごくぎ)りな~んちゃって!?」
 必殺剣を魅せようしていたアカツキが、思わずバランスを崩して宙を斬った。
 上空にいた颶鳴空がその影を地上に捉えた。
「バイブ・カハのネヴァンな~んちゃって!」
 自分の口をついて出た言葉に、颶鳴空は精神的なダメージを受けて、その隙を突かれ鞭のように撓るプラグに打たれた。
 地面に叩きつけられた颶鳴空に槍のようなプラグが襲い掛かる。
 その場に駆けつけた風鈴が叫ぶ。
「〈かばう〉な~んちゃって!」
 バリアが発動された次の瞬間に消えた。
「きゃあっ!」
 風鈴の肩を貫いたプラグはそのまま、颶鳴空の下半身であるペガサスの翼を貫いた。
「ぐあっ!」
 朱く彩られた戦場を見つめながら微笑むネヴァンの姿。
「〈スペルキャンセル〉、戦乱に乗じてアナタたちを殺しに来たわ。でも、一番殺したいのはア・カ・ツ・キ。〈スキルプラス〉『×××××』」
 口や文字にしてはイケナイ言葉が設定された。
 ネヴァンの〈ムゲン〉を知っている者は、口を開けず注意を喚起できない。だが、このままでは、だれかがおぞましい言葉を語尾に付けてしまう。
 上空から赤毛の凶鳥が滑空してきた。
「この×××××――」
 マッハの放ったフェザーアローがネヴァンの翼を撃ち抜き、〈ムシャ〉が強制解除されたネヴァンが紫の鳥と分離した。
「女がァッ!」
 〈スペルプラス〉も強制解除されたと同時に、マッハは最後のひと言を叫んだ!
 瀕死の重傷を負ったネヴァンはもう動くこともできない。
 マッハはネヴァンを見下しあざ笑った。
「アカツキを殺るのはこのアタイだ」
 敵がひとり減り、また敵がひとり増えた――と思われたが。
 マッハがアカツキに顔を向けた。
「オマエとの勝負はまた今度だ! 今日は魔都エデンの飲み屋が全部潰れた弔いだ。アタイは狩りと酒がなによりも好きなんだ……こんなところでデカイ面して押っ勃ったんじゃねェ糞野郎!」
 豪雨のように放たれたフェザーアロー!
 怒りの羽根は〈バベル〉の外壁に次々と穴をあけた。
 外壁が次々と崩れ落ちていくではないか!?
 マッハの攻撃が大打撃となったのか?
 否――黙していた〈バベル〉が次の段階へと進んだのだ。
 外壁を落とした〈バベル〉が黒光りして、黒い箱の集合体となって宙に浮かんだ。
 〈バベル〉が分離して、独立していた無数の黒い箱が、再び積み木を積み上げるように形作っていく。
《不要な要素の排除と〈光の欠片〉の融合には、年単位の時間がかかる。女帝ヌルの意識が蘇り、その真の力を取り戻すまでには時間がかかるんだ。しかし、この〈バベル〉はすでに破壊神の力を得たのさ!》
 最後まで積み上げられた黒い箱は、白く輝き巨大な女の顔になった。
 巨大な塔から女へ。
 シキがつぶやく。
「女帝ヌル――〈光の子〉の顔」
「そして、〈闇の子〉の顔でもあるわ」
 突如として紅いベールに包まれた車椅子の女――マダム・ヴィーが現れた。
 その傍らにはモーリアンが仕えている。
「別つとも、我らがバイブ・カハである限り、再び集う運命にあるのか」
 しかし、目的は違う。
 ネヴァンは復讐のために。
 マッハは己の腹いせのために。
 そして、モーリアンはマダム・ヴィーと共になにをする?
「敵は私が引きつけておきます。〈死の荒野〉!」
 一瞬にしてフィールド内に閉じ込められた。
 外にいるのはマダム・ヴィー、ヒビモスを操る風羅、そしてアカツキだけだった。
 颶鳴空が蹄を立ててモーリアンに立ち向かう。
「借りを返すぞモーリアン!」
「望むところだ誇り高き騎士よ」
 フィールド内で戦いがはじまり、外ではベヒモスがフィールドの壁に激突するが、まったく効果がないようだ。
《まるで風鈴のバリアと同じだ!》
 舌を巻いた風羅。
 アカツキはフィールド内のことなど構いはしない。
「火剣突(ひけんづ)き!」
 〈バベル〉の眉間を刀で突く。
「ッ!」
 刀が刺さらない!
 刹那、〈バベル〉が放った覇気が輝く爆風となってアカツキを吹き飛ばした。
 戦いの陰でマダム・ヴィーは計画を進めていた。
「〈ファルス〉合体」
 マダム・ヴィーの肩から伸びる蠍の腕、臀部からは毒針のついた尾が生えた。
 〈ムシャ〉化したマダム・ヴィーは、車椅子ごと空に飛び、空中で車椅子を捨てて〈バベル〉の頭上に飛び乗った。
 そして、毒針を〈バベル〉の脳天に突き刺したのだ!
「〈寄生〉!」
 マダム・ヴィーと〈デーモン〉スコーピオンの〈ムゲン〉が発動された。
 嗚呼、マダム・ヴィーが溶けていく。
 溶けて〈バベル〉に吸いこまれ、融合を果たそうとしているのだ。
《制御が……あれっ……なに……ザザッザザザザ》
 ゼクスの声が途切れ、
《嗚呼ぁン絶倫……素晴らしいわ、この世の神に相応しい力だわ!》
 半ば喘ぐようなマダム・ヴィーの声が聞こえてきた。
 〈バベル〉の顔もいつしかベールに包まれていた。その先にある素顔は不明だ。けれど、もはやそれは〈バベル〉ではない。
 破壊神ヴィー。
《さあ、踊りなさい。嘆きの大地!》
 激震と共に大地を奔った巨大な亀裂。
 逃げ遅れたヒビモスの下半身が呑み込まれた。このままでは風羅まで深い裂け目に落ちてしまう。
《ヒビモスから離脱――》
 風羅の声が途切れ、ヒビモスは深い闇に呑み込まれていった。
 炎麗夜は拳を握り締めた。
「だいじょぶさ、おいらはおいらの道でまた帰りを待ってるさ!」
 決意を固めた拳で炎麗夜は、マッハに殴りかかった。
 マッハはフィールドに閉じ込められ、〈バベル〉と戦うことができなくなり、モーリアン側に付いたのだ。
 フィールドの外ではアカツキと破壊神ヴィーが対峙していた。
 しかし、破壊神ヴィーにとって、アカツキはあまりに小さき存在。
 眼中になどなかった。
《不条理な天罰!》
 もの凄い音と共に巨大な雷がフィールドを破壊した。
 モーリアンですら、もう仲間ではない。いや、マダム・ヴィーにとっては、はじめから仲間ですらなかったのだろう。
《清浄なる大洪水!》
 破壊神ヴィーによって召喚された大洪水が大地を洗い流す。
 あまりに一瞬のことで、空を飛べるモーリアンやマッハですら、津波に巻き込まれ大地の亀裂に呑み込まれてしまった。
 空を飛べない炎麗夜やシキや風鈴、翼が傷ついていた颶鳴空は、為す術もなく同じ運命を辿った。
 空高く舞い上がっていたアカツキだけが、ただ独り残ったのだ。
 いや、アカツキはケイと共にある。
「行くぞケイ!」
『行くよアカツキ!』
 アカツキの脳に直接響いたケイの声。
 業火を宿した刀が薙ぎ払われる。
「ウアアアアアアアッ!」
 アカツキの斬撃が破壊神ヴィーのベールに当たった。
 ガギィィィィィィン!
 甲高い衝突音。
 破壊神が妖しく微笑んだ。
《その程度でわたくしを感じさせられると思って。心の叫びを見せなさい。宴はまだまだこれからよ》
 ズォン!
 衝撃波によってアカツキの躰が吹っ飛ばされた。
「くっ!」
『きゃっ!』
 アカツキと合体しているケイにもダメージがある。
 すぐに体勢を整えたアカツキが刀を握り直して切り込もうとした。
 だが、破壊神ヴィーに異変が起きた!
 変形する、再び黒い箱が動きながら変形している。
 一つ一つの黒い箱が収縮して、つなぎ目もなく生物の形を成していく。
 恐怖を通り越し、崇高なほどの威光。
 荘厳の輝きを放つ六対の翼。
 中性的な裸体と顔立ち。
 造形の頂点を極めたその存在だったが、その者には片脚が無かった。
 亀裂から這い上がってきたシキが戦慄く。
「〈光の子〉に間違いない……けど脚がない。あれはマダム・ヴィーなのか」
 巨大なマダム・ヴィーの顔から、人の大きさになったその存在は、果たしてなにか?
 それを象徴するのは、ルージュが描くあの艶笑。
「これがわたくしの完全体よ。〈バベル〉とは魂の器、つまり〈光の子〉の肉体再生装置でもあったのよ。けれどこの肉体を操るのこのわたくしだけれど、うふふふふふ」
 破壊神マダム・ヴィー。
 亀裂から生還したのはシキだけではなかった。傷一つ、泥一つしていない炎麗夜。
「あんたがだれかなんて知ったこっちゃあないんだよ。早い話がぶっ飛ばせばいいんだろう!」
 猪突猛進!
「うおぉぉぉぉぉ、究極の美(アルティメットビューティー)!」
 炎麗夜は破壊神ヴィーの顔面を殴った。それはなんの装飾もないストレートパンチだった。
 眉間に拳を受けた破壊神ヴィーはびくともしない。
「貴女は美しさのなんたるかをわかっていないわ。美しいとはこの脚のようなことを言うのよ」
 それはミロのヴィーナスにしかり、サモトラケのニケにしかり、無限と夢幻の想像によって補完される美。
 無いはずの脚が大きく振られ、衝撃を受けた炎麗夜が大きく吹き飛ばされた。
 炎麗夜がやられたと同時に三つの影が飛び出した。
 槍による颶鳴空の正面からの攻撃。
「炎麗夜様によくも!」
 姉妹は両側から鉤爪と手裏剣で攻撃を仕掛けた。
「この風羅ちゃんが相手だよ!」
「後方支援はわたしが!」
 破壊神ヴィーは魔性の笑みを浮かべた。
「弱さは罪ね」
 柔肉を貫いた破壊神ヴィーの腕。
 颶鳴空と風羅が一瞬にして串刺しにされていた。
 腕に二人をぶら下げたまま、破壊神ヴィーは颶鳴空の槍を奪い風鈴の腹を突き刺した。
 炎麗夜の瞳から零れた熱い涙。
「よくも乳友をぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
 頭に血を昇らせた炎麗夜が破壊神ヴィーに突進する。
 だが、その身体は後方からの鎖によって制止させられた。
「ボクがやる――傀儡士の最高秘術、この召喚(コール)を見るがいい!」
 シキの手から輝線が奔った。それは妖糸(ようし)だった。妖糸が放たれた一瞬、エネルギーの奔流が視覚で捉えることができ、シキの四肢から伸びる幾本もの妖糸が見えた。
 妖糸は空間に一筋の傷をつくった。その傷は唸り、空気を吸い込みながら広がり、空間に裂け目をつくる。
 闇色の裂け目から悲鳴が聴こえる。泣き声が聴こえる。呻き声が聴こえる。どれも苦痛に満ちている。
 裂け目の〈向う側〉から〈それ〉の咆吼が聞こえた。
 世界を震撼させる咆吼は、得体の知れない黒い羽虫を呼び寄せ、それを一掃するかのごとく、裂け目から巨大な光線が放たれた。
 光線は破壊神ヴィーを呑み込んだ。
 しかし、無傷。
「今のは少し感じたわ」
 まだ終わらない。裂け目の向こうから赤く巨大な手が飛び出し、破壊神ヴィーの全身を握りつぶそうとした。
 グドボォン!
 巨大な手が爆発して肉片が四散した。
 耳にしただけ気が狂いそうな絶叫が木霊し、手を失った巨大な腕が裂け目の中に還っていく。
 シキが地面に膝をついた。
「このボディでは……操り切れない」
 糸が切れたように倒れそうになったシキに、さらなる追い打ちが!
 破壊神の手にエネルギーが集まる。
「カマイタチ」
 薙ぎ払われた手から風の刃が放たれ、シキの首を撥ね飛ばした。
 血は出なかった。
 転がったシキの頭部はアカツキの足下へ。
「このボディは義体だから心配ないでケイちゃん。でも本体へのダメージも大きくて、スペアの義体はもうない。あとは任せた……よ……アカツキとしっかりやってね」
 その頭部は眼を開けたまま、もう口も聞けなくなった。
 怒りに燃える炎麗夜が単身で破壊神ヴィーに殴りかかる。
 その姿を見ながらも、アカツキは別の方向へと急いでいた。
 地面に横たわる三人娘。まだ息はあるが、助かる見込みはなさそうだ。三人は朱い海に沈んでいた。
 アカツキは颶鳴空の躰を起こし、その唇に接吻をした。
 それはケイにも感じられた。温かいエネルギーがアカツキの躰に吸収されているのがわかる。
 そして、颶鳴空は完全に息絶えた。
 アカツキは急いで残りの二人とも接吻を交わし、その〈アニマ〉を自分の躰に取り入れたのだ。
「ごふっ」
 アカツキの口から赤い塊が出た。
『だいじょぶ!?』
「案ずるな。肉体は衰弱しようとも、彼女たちと共に戦える」
 刀を握り直したアカツキが炎麗夜を助けに翔た。
 炎麗夜はすでに両拳の骨を粉砕させていたが、それでも構わず破壊神ヴィーを殴り続けていた。
「みんなの仇だッ、オララララララララッ!」
「炎麗夜退け!」
 火炎渦巻く疾風突きを放ったアカツキ。
 炎麗夜が躱したと同時に破壊神ヴィーの胸を貫いた。
 人間であればそこにある心臓をひと突きにされて即死。
 それはもはや人間を越えた存在であることの証明。
「突き刺すところが違うのではなくて? うふふふ、わたくしの子宮はずっと疼いて待っているのよ」
 艶やかに笑った破壊神ヴィーは刀を胸に挿したまま、それを持つアカツキの腕を握って骨を粉砕させた。
「グ……アアアアッ!」
 痛みに耐えながらアカツキは瞬時に刀を持ち替えた。
「くたばれ!」
『アカツキいったん引いて!』
「うるさい!」
 渾身の込めたアカツキは、破壊神ヴィーの胸から腰まで切り開いた。
 こんなにも重傷を負わされながら、破壊神ヴィーはアカツキの腕を再び握り、骨を粉砕させたのだ。
「アアアアッ!」
 もはやこれで刀も握れぬ。
「嗚呼ぁン、人間の肉体とは儚く脆弱。だからこそ甚振り甲斐があるというもの。さあ、もっと嘆きなさい」
 膝をついたアカツキの頭上を飛び越え、炎麗夜が破壊神ヴィーに怒りの跳び蹴りを喰らわせた。
「脆弱な人間の蹴りの味はどうだい!」
 蹴りを喰らった破壊神ヴィーの上半身が地面に落ちた。先ほどのアカツキの一撃で、切り離される寸前で繋がっていた肉体が、炎麗夜の蹴りによって完全に分断されたのだ。
 アカツキと炎麗夜は息も体力も尽きそうで、動くことができない。
 目の前ではさらに重傷に見える破壊神ヴィー。だが、まだこの存在は妖しく艶やかで不気味な笑みを失っていないのだ。
「感じたわ、天に昇るほどイキそうになったわ。けど、まだイケない。破滅の流星」
 天から星々が墜ちてくる。
 世界全土に流星群が墜ちてきた。
 人口が密集している町や村が次々と隕石によって破壊される。
 ちっぽけなアカツキたちとの戦いは、戯れに過ぎなかったのだ。
 この力こそ破壊神。
 世界中から飛んできた光が破壊神ヴィーの躰に吸いこまれる。
 離れていた上半身と下半身の傷口から触手が伸び、結合しようとしている。
 世界中の人々を殺し、その〈アニマ〉を手に入れた破壊神ヴィーは、さらなる力を得て復活しようとしているのだ。
「再生なんてさせてたまるかッ!」
 炎麗夜が最後の力を振り絞って破壊神ヴィーの躰に飛び乗った。結合しようとしている触手を引き裂き、どうにか食い止めようとするが間に合わない。
 両腕を粉砕され、だらりと腕が地面に垂れているアカツキが立ち上がった。
「そいつの弱点は見切った。一族の炎で核ごと消滅させてやる!」
 それを聞いて炎麗夜は破壊神ヴィーの躰を雁字搦めにした。
「絶対に外すんじゃあないよアカツキ!」
「そのまま押さえてろ」
「言われなくてもそうしてるさ!」
 炎麗夜は命を捨てる覚悟だった。
 それに気づいてしまったケイ。
『やめてアカツキ!』
「だれの命も無駄にはしない……地獄炎舞必中剣(じごくえんぶひっちゅうけん)!」
 炎を使う一瞬、アカツキの肉体は活性化し、地面に落ちた刀を一時的に再生した腕で拾い、そのまま全身から炎を発しながら刀で突いた。
 切っ先は炎麗夜の背中から腹を貫通し、さらに破壊神ヴィーの下腹部を突いた。
 炎麗夜の捨て身――だが、破壊神ヴィーはまだ嗤うのだ。
「残念だったわね。気の迷いかしら、わたくしの深いところまで届かなかったわ」
 破壊神ヴィーの巻き起こした爆風で、炎麗夜とアカツキの躰が吹き飛ばされた。
 腹を押さえた炎麗夜が天を仰いだ。
「しくじりやがって……これだから男は……」
「俺様のせいじゃない、ケイが邪魔したんだ。貴様を巻き添えにすることを嫌がって」
「ケイか……なら仕方ない……ねえ……乳友だから」
 炎麗夜の首がガクッと力を失った。まだ微かな息はあるが助からないだろう。
『あたし……』
「あんたがこの女の気持ちを無駄にしたんだ」
『だって、ほかに方法があったはずなのに、どうして……あたしのせいじゃない……あたしのせいじゃ』
「あんたのせいだ」
 アカツキはそう冷たく言い放って、息絶えようとしている炎麗夜には優しい口づけをした。
 肉体はその命を失い、炎麗夜はアカツキに宿った。
「戦うぞ」
『もう戦えない』
「うるさい。あんたの気持ちなんてどうでもいい。俺様の邪魔だけはするな」
『だってもうみんな……』
「うるさい!」
 構わずアカツキは破壊神ヴィーに立ち向かおうとした。
 だが、躰が一歩も動かない。
 ケイと共にあるアカツキは自らの意志だけでは肉体を動かせないのだ。
 拒否するケイの気持ちが上回れば、アカツキはこの場から動くことができない。
「俺様は戦う……戦うんだ……なにがあろうとも!」
 一歩足が前に出た。
 そして、また一歩、また一歩と進んでいく。
『なんのために戦うの……もう守る人なんていないのに』
「あんたは感じないのか、常に傍にいる彼女たちの魂を!」
 ――アカツキはこんな子だけれど、力を貸してあげてケイちゃん。
 その声はアカツキには聞こえなかった。ケイの心にだけ聞こえたのだ。そう、ケイの心にいる者の声――紅華の声だった。
『アカツキは独りで戦ってたんじゃないんだね。あたしもみんなと一緒に戦わせて』
「行くぞケイ!」
『うん、アカツキ!』
 今のケイは湧き上がる魂の奔流を感じていた。
 アカツキの肉体はすでに限界だった。
 しかし、その魂はみんなによって守られている。
 一つの道しるべに向かって、成し遂げようとする意志。
 アカツキは一筋の光となる。
 その全身を輝かせ、夜の終わりを告げる光となる。
 紅華がケイとアカツキと結びつけ、ケイが炎麗夜たちとアカツキを結びつけ、すべてが一つの輪となる。燦然と輝く夜明けの輪――太陽になるのだ。
 花魁衣装がさらなる変形を魅せる!
 それこそ魔導装甲機体の真の姿。
 破壊神ヴィーは歓喜する。
「嗚呼ぁン、わたくしの研究の成果がついに、機体性能的には可能だった第三段階〈クリストス〉への変形が実現しようとしているのね。わたくしにはわかるわ、だってこんなにも子宮が疼くのですもの!」
 大きく広がった花魁衣装は巨大な装甲となり、人型のシルエットを形作る。
 まるでそれは全身を甲冑で守られた巨人。
 荘厳たる不死鳥の翼を生やし、さらに背中には光輝を発する後光を備える。
 兜からは直接毛が生えており、それはアカツキと同じ黄金の後光二重螺旋!
 紅い魔装巨人――その名は自然とアカツキの頭に浮かんだ。
「行くぞ魔装姫神紅華(まそうきしんこうか)!」
 胎内のようなコックピットに中で、アカツキが叫んだ。
 全裸のアカツキは、その下半身を機体と融合させ埋もれている。両手は山なりの柔らかな操縦装置に置かれ、前方のモニターには外の画面が映し出されている。
『心で操縦するんだよ、わかってるアカツキ!』
「言われなくてもわかってる。ケイと俺様は一心同体なんだからな」
『そのセリフいってて恥ずかしくない?』
「うるさい、敵が来るぞ」
 空が妖しく輝いた。
 ルビー色のあの光は!
 破壊神ヴァーは両手を広げ歓喜した。
「さあ、〈メギドの火〉よ!」
 紅い光線が天から降り注いできた。
 あれが墜ちてくる前にアカツキは決着をつけるつもりだった。
「彼女たちの魂の想いを……姫神華艶不死鳥乱舞斬(きしんかえんふしちょうらんぶぎ)り!」
 巨大な炎の鳥になった魔装姫神紅華が破壊神ヴィーを呑み込んだ。
「アアアアァァァァァァン!」
 甲高い妖女の声が鳴り響いた。
 破壊神ヴィーに背を向けて立つ紅華の手には巨大な刀が握られていた。
「このわたくし……恐怖を与えるなんて……嗚呼ぁン、昇天するーっ!」
 そして、刀を振り払うと同時に、破壊神ヴィーの顔が真っ二つに割れ炎上したのだ。
 刹那、世界は紅い光に包まれた。
 〈メギドの火〉がすべてを呑み込んだのだ。

 目を覚ましたアカツキは辺りを見回した。
 地面に横たわる裸体の女。会ったことのない女だが、見覚えはなぜかある。
 洗い流された大地。
 そこに破壊神の姿はもうない。
 そして、魔装姫神紅華も見当たらなかった。
 だが、そこには数え切れないほど多くの人々がいた。
 大陸を埋め尽くす人々。
 炎麗夜や仲間たちの姿、アカツキが狩って来た女たちの姿、そして見知らぬ男女たち。だれも生まれたままの姿で、この場に溢れかえっていたのだ。
 この中でも飛び抜けて豊満な胸を持つ女性が、アカツキに優しく微笑みかけた。
「アカツキ……がんばったわね」
「紅華!」
 子供のようにアカツキは紅華の胸に飛び込んだ。
 紅華の肉体はすでに失われていたはず。ほかの者たちの肉体も同じ。なぜ彼らは復活したのか?
 炎麗夜が寝起きのような顔をして、辺りを見回した。
「なんだい天国に来ちまったのかい?」
 大地を走る亀裂から巨大な鳥の影が飛び出してきた。
 気絶しているモーリアンとネヴァンを抱きかかえたのマッハ姿。彼女はなにも言わずこの場から飛び去った。だれもそのあとを追うことはない。追うこともないのだろう。
 それを見た炎麗夜がつぶやく。
「どうやら天国じゃあなさそうだねえ。やつらは確実に地獄行きだからね」
 ここは破壊神ヴィーとの戦いを繰り広げられた場所に間違いない。その傷痕も大地に残っている。
 しかし、復活した彼らは自分たちになにが起こったのわかっていない。
 ここにいるのは、巨乳狩りから続く戦い――破壊神ヴィーの糧となったすべての人々だった。
 何千、何万、何百万という人々がここにはいたのだ。
 上空から巨鳥の足にぶら下がって、やって来た一六歳くらいの少女。活発そうな短い髪を靡かせながら、少女はさきほどアカツキの近くにいて、すでに目を覚ましていた女に抱きついた。
「お母さん!」
「しゅう……いえ、今はつかさちゃんかしら?」
「愁斗でいいよ、お母さん。急いで非戦闘用の傀儡(くぐつ)で駆けつけたけど、なにがあったの?」
「すべて終わったのです。支配者を失った〈バベル〉は、新たな生命を生み出したのです。〈バベル〉は〈光の子〉の肉体を復活させるためのものではなく、私たちの肉体も再生させたのですよ。そう、火は生命のエレメンツ――〈メギドの火〉の膨大なエネルギーを使って、奇跡という名の化学反応を起こしたのです」
 それを成し遂げたのは想いだ。
 切っ掛けは偶然だとしても、奇跡は強い想いが引き寄せたのだ。
 炎麗夜は三人娘との再会を喜んだが、その顔は少し晴れない。
「ケイのやつ、どこにいるんだい?」
 この人の群れの中から探すのは、砂場で落とした砂金を探すようなもの。
 炎麗夜たちのところへアカツキがやって来た。
「ケイは……もうこの世界にいない」
 炎麗夜たちはケイを探そうと、走り出そうとした矢先だったが、その足を止めてアカツキの顔を見つめた。
「なぜなら、パートナーの俺様が言うんだ」
 哀しそうな顔してうつむいたアカツキは背を向けた。
 ――その背中からは契約の刻印が消えていたのだ。
 だが、炎麗夜はアカツキに掴みかかって訴えた。
「あんたも生きてたんだ、ケイも必ず生きてる! 乳友のおいらが言うんだ間違いないさ。あんたもさっさと捜しな!」
 その後、ケイの捜索が行われたが、日が暮れても見つかることはなかった。
 明くる日も、明くる日も、ケイは見つからない。
 数日後になんでも屋に復帰したシキも捜索に加わったが、なんでも屋の力を持ってしてもケイは見つからなかった。
 炎麗夜はニホン全国を駆け巡ったが、やはりケイは見つからなかった。
 そして、炎麗夜は海外を目指した――。

 その日の夜も彼女は寝る前に日記をつけていた。
 あの時から、ずっと習慣になっていた。
 いつ世界が滅びるのか、脅えながら毎日毎日、日付を確認しながら、その日にあった出来事を書き記す。
 今日の日付は『二〇一二年七月二十日』と書かれている。
 日記の内容はこうだ。

 あれからもう何年が経ったのだろう。
 高校生だった私も、今では社会人として毎日満員電車で遠くの会社に勤める日々を送っている。
 今でもなぜ帰ってこられたのかわからない。
 もしかしたら、すべて夢だったのかとも思った。
 でも、今でも私の背中には刻印が残っている。このせいでビキニを着れないのはちょっと嫌だ。温泉にも行けない。
 だからあの出来事は本当にあったことなのだろう。
 そして、私がこの世界に帰ってきた一九九九年七月二〇日。
 その日はなにも起こらずに過ぎ去った。あの世界ではトキオ聖戦が起きたのに、この世界ではなにも起きなかった。その後も、なにも起きない日常が続く。
 けど私は怖い。
 もしかしたら、いつの日か何かが起こってしまうんじゃないかって。
 一九九九年の七月が過ぎ、世間ではノストラダムスの予言が外れたと騒がれた。外れてしまった予言はすぐに忘れられ、あれだけ加熱したブームもすぐに消えた。でも私は知っている。あの世界では予言が当たっていたんじゃないかって。
 あんな出来事があったせいで、私はオカルトなどに興味を持つようになった。
 二一一二年の今年、マヤ文明の暦が終わりを迎える。
 あの時のような過熱ぶりはないけど、ノストラダムスの予言に代わる終末論として、一部のオカルト関係者からは注目されている。
 マヤ文明の暦が終わったとき、『ひとつの時代が終わりを告げる』のだという。それはまさにトキオ聖戦後の世界みたいだ。
 私は怖い。
 今年がどうか無事に明けますように……。

 完


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