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第3章 2411 |
娘は太陽が落ちぬその日の中に弔われた。 そこではじめてケイは娘の名を父親から聞いた。 ――ミライ。 村長だった父が娘に託した名前。 それを聞いたとき、ケイは返す言葉もなかった。 二人の紅い悪魔がこの村に現れ、娘の未来を奪い去ったのだ。 ケイは悲しみを抱くと共に、憎しみを覚えた。 巨乳というだけでなぜ――と理不尽さを覚えずにはいられなかった。病気にかかっていたかもどうかわからないのだ。それにあんな惨い殺され方。 ケイは自分の胸にそっと触れた。 ヒミカ病は死に至る病なのだと云う。その症状のひとつである乳房の肥大。 「まさか……ね」 つぶやいたケイに、囲炉裏越しのミライの父親が話かけてきた。 「どうかしたかい?」 「いえ、なんでもないです。それよりも本当に今日はここに泊まっていいんですか?」 「もう陽も暮れてしまったし、行く当てもないんだろう?」 「はい、記憶喪失なので」 クレーターで目を覚ます前の記憶が少し抜けているが、それ以外のことは覚えているとケイは思っていた。けれど、現実離れしたこの世界で不審がられないように、名前以外はなにもかも忘れてしまったと父親に説明したのだ。 ミライの弔いで時間が過ぎ去って、見知らぬこの世界を考えたり知る暇がなかった。今なら父親からゆっくり話が聞けるかもしれない。 「あの!」 「なんだね?」 「やっぱりいいです」 記憶喪失という設定でも、なんでもかんでも聞くのは不思議に思われてしまう。なにから話そうか、まだ整理ができていなかった。 「あの……」 「聞きたいことがあるんなら言ってごらん」 「……えっと……奥さんは?」 それは聞きたかったことではなく、気になっていたことだった。葬儀の際もその姿を見ていない。 「妻は娘を生んだあと……」 「ごめんなさい、変なこと聞いちゃって」 「家出をしたんですよ」 「い、家出ですか?」 予想していた答えよりはよかったが、聞かなければよかったとケイは後悔した。 それでも父親は話しはじめた。 「妻はあの子を生んで間もなくして、こんな生活より、もっと良い生活がしたいと、私たちを置いてエデンに行ってしまいました」 「エデン?」 「ああ、それもお忘れですか。本当になにもかも忘れてしまったんだね」 「すみません」 「謝ることはないよ。この国の首都、帝都エデン。今は帝都エデンじゃなくて、魔都エデンってみんな呼んでますがね。聞いた話じゃ、地上から首を痛めるほど見上げなきゃいけない建物が建ち並び、床は勝手に動き行きたい場所に連れて行ってくれる。欲しい物はどんな物でも手に入り、百姓だってひとりもいやしないって噂だよ」 「ビルにエレベーターかな……」 この村は農村だが、大都市に行けばケイの慣れ親しんだ物があるのかもしれない。 ただ、これまでのことでケイはあることを確信しつつだった。 「あたしの知ってる世界じゃない」 小声でケイはつぶやいた。 「どうかしたかい?」 「いえっ……この国の名前とか教えてもらってもいいですか?」 「ニホンだよ」 「はい?」 想像を裏切られたケイは気の抜けた変な声を出してしまった。 もう一度、父親がはっきりと言う。 「ニ・ホ・ン」 「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、ここって日本なんですか? 異世界とかじゃなくて、日本?」 「イセカイ?」 「それは置いといて、日本のどこなんですかここ?」 「ナゴヤ地区だよ」 「名古屋って名古屋県じゃなくって……え~っと、愛媛県?」 「エヒメケン?」 通じてない。 ちなみに愛媛ではなく愛知だ。 父親も戸惑っているようだが、もっと戸惑って混乱しているのはケイのほうだ。 この受け入れがたい世界を自分なりに納得するために、ケイは異世界というファンタジーな言葉で包括して無理矢理受け入れようとしていたのに――。 それがここで覆されようとしている。 「ええっと、あたし神奈川県出身なんですけど、聞いたことあります?」 「カナガワケン?」 「横浜で有名な。横浜中華街とかあるんですけど?」 「記憶を取り戻したのかい?」 「えっ……」 「どれも聞いたことないな」 やはり少し似た名前の地名があっただけなのか? 記憶喪失という設定を無視して、ケイはこの糸口を放さないように粘る。 「神奈川って東京の下なんですけど?」 「トウキョウ……トキオ聖戦があった古代都市の名前……なわけないか」 「トキオセイセン? 古代都市?」 また理解に苦しむキーワードが出てきた。目覚めてからずっとこの調子だ。 「トキオ聖戦は今から~っ、四〇〇年以上前の話さ。その神々の戦争で当時の首都だったトキオは一瞬にして焦土と化したそうだよ。そのあとにできたのが旧帝都エデンと云われている。旧帝都エデンは一〇〇年の繁栄ののち、世界を崩壊させた〈ノアインパクト〉で他の国々といっしょに滅びたそうだ。そして、〈絶望の一〇〇年〉が過ぎ、第二のエデン――そう、今の魔都エデンができたんだ」 「うう……ぜんぜん話についてけない」 「ならこの話はやめよう」 「いえっ、続けてください」 わからない単語も多いが、現状を理解するためにも、この世界のことをもっと知る必要がある。 「なら続けよう。世界は〈ノアインパクト〉によって、大きな打撃受けた。その後の地殻変動や気候の悪化、食料不足やエネルギー不足によって、人類は衰退の一途を辿った。最期に止めを刺したのは人類自身だと云われている。食料や資源が不足すると、それを奪い合い戦争が起きたんだ」 「そんな状況でも戦争と起こるんですね」 「そういう状況だからこそ、人間の本質が現れるんだよ。生き残るために」 平和な環境の中で暮らしていたケイには、なかなか実感できないことだった。 「日本でもそういう争いが起きたんですか? ほかの国ならありそうだけど、日本でそんなこと信じられません」 「ニホン国内の混乱は少なかったらしい。情勢がほかの国とは違っていたんだ。旧帝都エデンがあったのは、この国だからね。〈ノアインパクト〉で流されずに残った遺跡を発掘して、そのテクノロジーを使ったんだ。ニホンはどの国よりも復興が早かった。今だってどの国よりも豊かな文明社会だよ……とは聞いているが、鎖国で外の情報なんてプロパガンダでしか聞いたことないけどね」 「や、やっぱりぜんぜん話についてけない」 「わからないところは質問してもらって結構だよ」 全部と言いたかった言葉を呑み込んで、ケイは今された話を自分なりに整理して、キーワードを絞り出すことにした。 トキオ聖戦、旧帝都エデン、魔都エデン、〈ノアインパクト〉、〈絶望の一〇〇年〉、鎖国。 「ちょくちょく出てくる〈ノアインパクト〉ってなんですか?」 「世界を滅ぼした大洪水だよ。原因は不明だが、言い伝えでは一五〇日間、その洪水は世界を呑み込み、なにもかも洗い流したらしい。そのために文明は失われしまった」 「じゃあ鎖国っていうのは?」 「ニホンは旧帝都エデンのもたらしてくれたロストテクノロジーによって復興を遂げた。〈ノアインパクト〉から一〇〇年目、そのハイテクノロジーの粋を集めてつくられた都市が魔都エデンなんだ。魔都エデンは復興の象徴として、そこで〈絶望の一〇〇年〉が明けたと言われている。科学技術面での復興の道筋が立ったと同時に、政府は国民総農民化計画を打ち出したんだ。それによってニホンは食料と科学の二本の柱で、時給自立のできる世界でもっとも裕福で優れた国になった。そうなってくると、貧困な海外からの移民も増え、国を脅かす大きな問題も増えてくる。政治的な問題や、治安の悪化、略奪や戦争、技術力などの海外流出を防ぐため、ニホンが取った政策が鎖国だったんだ」 古代都市を滅ぼしたトキオ聖戦。 その後、栄えた旧帝都エデン。 〈ノアインパクト〉による世界崩壊。 〈絶望の一〇〇〉年と呼ばれる時代が訪れる。 旧帝都エデンの遺跡から発掘したテクノロジーで魔都エデンの建設。 そして、豊かになったニホンは鎖国をした。 ケイの感覚からすると、この村の百姓暮らし裕福とは思えない。決して貧困に喘いでいるとまでは思えないが、物で溢れていた世界で暮らしていたせいでそう思えてしまう。 ほかの国の現状はどれほどまで酷いのか、ケイには想像できなかった。鎖国によって情報が規制されているのだから、ほかの国がこの国よりも裕福な可能性だってあるのだ。 魔都エデン――そこはいったいどんなところなのだろうか? 少なくとも、この国に大きな格差が存在していることは間違いない。 「今も鎖国って続いてるんですよね?」 ケイが尋ねた。 「今が二四一一年だから二三五九を引くと、五〇年ほど続いていることになるのか」 「二四一一年っ!? そっか、今さら驚くことじゃないのか……でも、もしかして……」 「なんだい?」 「〈ノアインパクト〉とか、トキオ聖戦っていつのことなんですか?」 「〈ノアインパクト〉は二一〇〇年、トキオ聖戦は一九九九年のことだと云われているよ」 「マジで……一九九九年って……ただの偶然……それとも……」 父親と話していることも忘れ、ケイは独り言をつぶやきながら考え込んでしまった。 ケイはこの世界がいったいどこなのか、いくつかの可能性を考えていた。 違う星である可能性。 異世界である可能性。 しかし、自分のいた世界との類似点も多く、なにより言語にも不自由していないことから、もっと有力だと考えついたのが――。 「未来」 ケイは自分のいた世界のことを思い出した。 夏休みがはじまる日に赤ペンで丸印をつけて心待ちにしていた。 一九九九年七月二一日。 その前日になにかが起きた。 この世界の一九九九年以前の歴史がわかれば、重要な手がかりになるかもしれない。 「あのっ、トキオ聖戦以前の世界って、歴史とかなんかそういうのわかりませんか?」 「さあ、それ以前のことは……大きな町に行けばわかるかもしれないが、たとえば魔都エデンとか」 「魔都エデンにはどうやって?」 「まさか行く気じゃないだろうね?」 「行きます」 「やめておきなさい。規制が厳しくて、行っても中に入れてもらえないよ。下手をしたら投獄や殺される可能性だってある」 「そうですか……」 と、言いながらも、ケイは腹を決めていた。 魔都エデンに行って多くの情報を得る。 それはもとの世界に還る方法の手がかりを、つかむことに繋がるかもしれない。 ここはいったいどこなのか? それがわからなければ、還る方法を考える起点も定まらない。 あぐらを掻いていた父親が腰を上げた。 「そろそろ夕食の準備をしよう」 「あたしも手伝います!」 「…………」 急に父親は黙り込んでしまい、ケイの顔をじっと見つめた。けれど、その視線はケイではなく、遠いなにかを見つめているようで、とても悲しそうな表情をしていた。 そして、父親は――。 「ありがとう」 と、ひと言ささやいた。 薄暗い部屋。 天蓋ベッドのカーテンに映る影絵。 長い髪の毛を振り乱し、狂い踊る人影がそこには映し出されていた。 「ヒヒッ……あううう……ああっ……きゃヒ……キャオオオオオ!」 少女の声のようであるが、それはまるで魑魅魍魎の叫び。 ドアが開き、部屋に光が差し込んだ。 逆光を浴びて部屋に入ってきたのは車椅子の人影。 それを出迎えたのはメイド服の侍女だった。 「先ほどからあの調子で、鎮静剤も効きません」 「すっかりあの子も人外ね」 真っ赤なルージュはそう言葉を紡ぎ出し、艶やかに笑った。 車椅子の人影はおそらく女だ。 真っ赤なドレスに身を包み、手袋やベールで素肌を隠す。ただ一箇所、見えているのはその真っ赤なルージュの口元。そして、この女には片脚がなかった。 侍女が尋ねる。 「マダム・ヴィー様、都智治をどうなさいますか?」 「まずはこの目で様態を診ましょう」 マダム・ヴィーは全自動車椅子を走らせ、天蓋ベッドに近付いた。 カーテンが捲られた。 はだけた法衣を着た一五、六の少女が、ベッドの上で跳ねて暴れ狂っている。その腕には手錠が嵌められ、ベッドの柱と繋がれていた。 「どうしたの、醜い醜いお姫様。今日も素敵な悪夢にうなされているかしら、うふふ」 ルージュを微笑ませたマダム・ヴィーに、夜叉の形相をした少女が襲い掛かってきた。 「キェエエエエエエエッ!」 ガシッ! 手錠の鎖がピンと張られ、少女の鷲のような手は、真っ赤なベールの目の前で止まっていた。 口元でしかその表情は伺えないが、マダム・ヴィーはまったく動じていない。 むしろ愉しんでいる。 「あぁン、とても素敵な狂った表情。口から垂れた涎れを舐めてあげたいけれど、今舌を絡めたら喰い千切られそうね」 「イイッ……グイイイイイ……ひひひ……」 「明日(あす)は大事な公務があるわ。今日はぐっすりと夢も見ない眠りに墜ちなさい」 ベッドの下から巨大な影が這い出てきた。 それは人間の大人ほどもある真っ赤な巨大サソリだった。 針のついた尾が振り下ろされる! 眼を剥いた少女の腹に突き刺さった巨大サソリの毒針。 毒の脅威よりも、これほどまで大きな尾だと、穿たれた傷口が致命傷になりそうだ。 しかし、針が抜かれた少女の腹は、血こそ滲んだが、傷口はすぐに塞がってしまったのだ。 少女は意識を失ってベッドに倒れた。 先ほどとは打って変わって、夜叉の形相から聖人のような顔つきをしていた。 安らかに眠る聖女ともいうべきか。 マダム・ヴィーが車椅子を反転させ、この場から去ろうとしたとき、異変は起きた。 ベッドからの気配。 優雅にマダム・ヴィーは再び車椅子を反転させ振り返った。 少女の躰が淡く黄金に輝き、足は宙に浮かんでいたのだ。 すぐにマダム・ヴィーは察した。 「〈M神託〉……久しぶりね」 そして、目をつぶったままの少女は、玲瓏な声音で御告げを詠みはじめたのだ。 「一九九九年、第七の月。空より恐怖の大王が至る。アンゴルモアの大王を蘇らせ、その前後、マルスは幸福な統治をするであろう」 マダム・ヴィーはしばらく考え込んだ。 「一九九九年……なぜ過去のこと? それに〝彼ら〟の存在を示すのであれば、空からという言葉は可笑しいわ。もしかして西暦ではないのかしら?」 すでに御告げを終えた少女は、ベッドに横たわって気を失っている。 「なにかが起ころうとしている。昨晩の爆発と関係あるのかしら。調査隊が道草をした挙げ句、失態をしたせいでなんの情報も得られていないわ。やはり近くにいたとはいえ、マッハを向かわせたのは失敗だったわね、うふふ」 マダム・ヴィーの艶笑は、まるで魔都の魔性を表しているようだった。 つづく エデン総合掲示板【別窓】 |
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