第4章 炎麗夜見参
 記憶が戻るまでとは言わず、いつまでもここに居てもいいと言われたが、ケイはそれを断って村を出た。
 見知らぬ世界で独り、不安の大きさは計り知れなかったが、元の世界に還りたいという気持ちが勇気を生み出した。
 水と食料と服を分けてもらい、街道沿いに進めば少し大きな町に着くと教えられた。
 照り輝く太陽。
 村を出て一時間もしないうちに、ケイの心は折れそうだった。
「うぅ~、熱い」
 竹水筒の水をがぶ飲みする。すでに半分は飲んでしまっただろうか。町まで水が持つか心配だ。水は飲んだ矢先から汗に変わってしまう。
「こういう暑い日はクリームな感じじゃなくて、のどごしのいいガリガリちゃんとかおいしいんだよねぇ」
 余計にのどが渇いたような気がして、もう一口だけ水を飲んだ。
 街道とはいえ、地面を成らしただけの道で、アスファルトと違って微妙な凹凸があり、いつも歩いているより疲れてしまう。
 さらにこの熱さだ。
「あぁ~っつい、村の人たちとか見て思ってたんだけど、なんでみんなへーきな顔してたんだろ。暑さに慣れてんのかな」
 立ち止まってしまっていたケイは、ゆっくりと身体を一八〇度回転させた。
「やっぱり戻ろう」
 完全に心が折れた瞬間だった。
 しかし、すぐにその気も変わった。
 前方から馬に乗ってくる人影たちが見えたのだ。
「あっ、乗せてもらおう!」
 すぐにケイは馬に向かって駆け出した。
「ちょっと乗せてくれま……」
 急に青ざめたケイ。
 馬に乗った屈強な男たちは、蛮刀と銃を装備して、いかにもならず者っぽい悪そうな人相だったのだ。
 すぐにケイは逃げようとしたが、先回りされた馬の身体によって、道が塞がれた!
 戸惑っているうちに、ケイは三匹の馬の壁に囲まれてしまっていた。
「金目の物を出してもらおうか!」
 ドスの利いた雄々しい声が響き渡った。
「金目の物っていわれても困るんですけど。だって持ってるの水とおむすび三つなんですけど……具なし」
 決して嘘ではないのだが、悪漢どもがそれで満足するはずがない。
 カッパみたいな顔をした子分風の悪漢が、ゴリラみたいな親分風の悪漢に話しかける。
「この娘、かなりの爆乳ですぜ。政府に突き出せば、賞金をたんまりもらえるんじゃないですかい?」
「そうしよう。だがその前に、俺たちでたっぷり可愛がってやろうぜ」
 黄色い歯を見せて悪漢どもがニタニタと笑った。
 身震いしたケイは逃げようにも逃げられなかった。脚は震えてまともに走れないだろうし、こう囲まれていては振り切ることもできない。
 カッパ男とブタ男が馬から降りてきた。
 このままでは捕まってしまう。
 無理かもしれないと思いながらも、ケイは無我夢中で馬の間を抜けようとした。
 ヒヒーッン!
 嘶く馬が前脚を大きく上げた。
「きゃっ!」
 驚いたケイは地面に尻餅をついてしまった。
 そこへブタ男が飛び掛かってくる。
 ブタ男にのし掛かられてしまったケイ。圧迫されて動けないだけでなく、息も詰まりそうだった。
「くっさい息吐きかけないで!」
 ――相手の息が臭すぎて。
 まるで本物の豚のようにブヒブヒと鼻を鳴らして、ブタ男はケイの汗ばむ肢体の臭いを嗅いだ。
 ケイは脚をジタバタと振ったが、その脚はカッパによって捕まえられ、さらに悪寒の走る行為をされた。
 カッパ男はベトベトの舌で、ケイの足を舐めてきたのだ。
「ちょ……あはは……やめて気持ち悪い……足舐めるとか信じらんない!」
 そして、ついにゴリラ男も馬を降りてきた。
 ゴリラ男はいきなりの下半身露出で、ケイは心のモザイクを発動させた。
「なんで脱いでんの、トイレなら違う場所でしてよ! てゆか、あたし一八歳未満だし、そーゆーのイケないと思います!」
「俺の息子は伝説のトキオタワー並だぜ!」
 ゴリラ男は腰をブンブン振りながらニタニタと笑った。
 必死になってケイは暴れているのに、その全身は冷え切って寒気がするほどだった。
「やめて、お願いだれか助けて!」
 カッパ男とブタ男がニタリと笑った。
「泣いたって」
「喚いたって」
 そして、最後にゴリラ男が決め台詞!
「だれも助けに来ちゃくれねェよ!」
 しかし、真の決め台詞はヒーローのものだ!
 崖の上で黄金に輝く人影。
「その子を放しな!」
 その声はヒーローではなくヒロイン――凜とした女のものだった。
 ゴリラ男が叫ぶ。
「なにもんだてめェえ!」
 崖の上で輝く人影は、なんと黄金の巨大猪に跨る、野性味溢れるビキニ姿のナイスバディな金髪美女だった。
「地上災凶最速のヴァナディースのリーダー、炎麗夜(ふれいや)さまたぁ、おいらのことさ!」
 炎麗夜は猪に跨ったまま、急な崖を滑るように下りてきた。
 思わず悪漢三人も動きを止めてしまっている。
 ケイも唖然とした。
「……女版ターザン?」
 炎麗夜を乗せた猪はどんどん加速して、そのままゴリラ男を撥ね飛ばした!
「グボォッ!」
 巨漢のゴリラ男が五メートル以上吹っ飛んだ。衝撃の激しさを物語っている。まさに猪突猛進だった。
 カッパ男とブタ男が慌てる。
「親分!」
「しっかりしてくだせえ!」
 だが、ゴリラ男はピクリとも動かず、地面に倒れたままだった。
 パニックを起こしたブタ男が、鼻を鳴らしながら炎麗夜に襲い掛かった。
 だが一撃!
「ブヒッ!」
 猪の突進を喰らってゴリラ男のようにブッ飛んだ。
 独り残されたカッパ男は真っ青な顔をして、ケイのことを放り出して逃げてしまった。
 これで危機は去ったのだ。
 ケイは砂埃を払いながら立ち上がった。
「ありがとう……ございました」
 お礼を言うケイの視線は炎麗夜の胸に向けられていた。確実にケイよりも爆乳だ。いや、爆乳と言うより、超乳の域に達しているだろう。
「お礼なんてこそばゆいだけさ。同じ乳友(ちちとも)として放っておけなかっただけさ」
「チチトモ?」
「胸がデケェってだけで追い回される狂った世の中。同じ巨乳同士、出会ったときから友達さ。乳房の〝乳〟に、友達の〝友〟で乳友って仲間内じゃあ言ってるのさ」
「仲間ってどんな?」
「見ての通り走り屋さ」
「見ての通りって……」
 黄金の猪の乗っている女版ターザンというのが見たままの感想だ。
 炎麗夜は金髪の髪に指をいれて頭をかいた。
「仲間といっしょに旅してたんだけど、ちょっとかっ飛ばしちまって、恥ずかしい話はぐれちまったんだ。この近くで見なかったかい?」
「わかんないです」
「白い馬に乗ってるのと、猫に乗ってる二人の、三人娘なんだが?」
「ねこ……」
 ケイは猫に乗るという行為が想像できなかった。あの歌が思い出されてしまう。
「ところであんたひとりかい?」
「はい」
「巨乳の一人旅は危険だよ」
 今さら言われなくて、たった今実体験させられたところだ。
 炎麗夜はさらに言葉を続ける。
「近くの人里だったら乗せてってやるが、どうだい?」
「ありがとうござます! でも、本当は魔都エデンに行きたいんですけど」
「魔都エデンなんていくつも山を越えた先じゃあないか、さすがにそこまでは送っていけないよ」
「だから今はそこに行くんじゃなくて、とにかく大きな町を目指してるんです」
 炎麗夜は奔放な笑みを浮かべた。
「なら後ろに乗りな。おいらも今から大きな町を目指すところさ!」
 こうしてケイは乳友の旅仲間を見つけたのだった。

 まるで羽毛布団のような、温もりと柔らかさが顔を包み込む。
「アカツキったら、本当に甘えん坊さんなんだから」
 春の陽のように優しい女の声。
 アカツキは豊満な胸に顔を埋めていた。
「……紅華(こうか)、ずっといっしょだよ……紅華……紅華……紅華?」
 世界が闇に閉ざされ、アカツキを置いて、全裸の女性が吸いこまれるように、後ろへ消えて闇に溶けた。
「紅華ーッ!」
 闇の中に木霊する叫び声。
 そこでアカツキは目を覚ました。
「……夢か」
 納屋の片隅で壁により掛かり、座りながらアカツキは寝ていたのだ。
 どこからか電子的な音が聞こえる。
 アカツキは藁の中に埋もれていた、手のひらサイズの通信機を探し出した。
「こちらレッドムーン」
《おはようアカツキ君》
 通信相手の声は少女のような少年のような、幼い声の持ち主だった。
「用件を簡潔に言え、ゼクス」
《才色兼備の美女がせっかくモーニングコールしてあげたのに、なにその冷たい態度》
 ブチッとアカツキが通信を切った。
 すぐにまた通信機が鳴った。
「こちらレッドムーン」
《事故だよね? 事故で通信が切れたんだよねっ?》
「いや、俺様の意志で切った」
《ひどいよアカツキ君》
「用件を言え」
 早く言わなかったり、冗談を言えば、またすぐに切られそうだ。声にそういうプレッシャーが含まれていた。
《通信を傍受してわかったんだケド、ナゴヤ港で近々事件が起きるっぽいよ》
「すぐに向かう」
《詳細は――》
 話の途中でアカツキは通信を切った。
 再び通信機が鳴ることはなかった。
「行こう、紅華」
 アカツキはだれに声をかけたのか?
 納屋にはアカツキ以外だれもいなかった。

 乗心地は良いとは言えなかったが、二人を乗せた猪は自動車並みのスピードで、一路街道をひた走った。
「ううっ……ちょっと休憩してもらっても……」
 今にも吐きそうな顔をしてケイは、炎麗夜を後ろから抱きしめ必死につかまっていた。
「さっきも休んだばかりじゃあないか」
「すみません、さっき食べたおむすびが大地に還りたがってます」
 道が悪いことよりも、猪の走り方に問題がある。タイヤが回転して進むのと違い、脚を動かせばどうしても縦揺れしてしまう。
 炎麗夜の超乳も、ビキニから溢れそうなほど縦揺れしている。もうすでに、鴇色の輪郭が出ているような気がしないでもない。
 ケイはもう限界だった。
「……吐く」
 余裕のないか細い声を出してすぐ、
「うっ」
 ほっぺたを膨らませた。
 その気配を炎麗夜は背中で感じた。
「呑み込め! 無理なら後ろに吐け!」
 どっちも過酷な要求だった。
 口腔の容量限界を越えたケイは、涙を流しながら後ろを向いた。
 ブフォオオオオオオオォォォーーーッ!
 燦然と輝くシャンパンショット。
 ちょっと酸味が強いシャンパンだった。
 無言の二人。
 ケイは黙々と口をゆすぎ、何事もなかったように、再び炎麗夜に抱きついて揺られた。
 やがて海岸線が見えてきた。
 海辺の街道に合流し、そこからさらに町へと向かう。
 風が運んでくる磯の香り。
「あれ、海が臭くない」
 驚いたようにケイは言った。
「磯の香りはいい匂いに決まってんだろう」
「なんか海って臭いイメージあったんですけど」
「魔都近くの海は少し臭かったなあ」
「行ったことあるんですか?」
「ニホン全国走り回ってるからね」
 自称走り屋だが、まさかそれが職業ではあるまい。
「炎麗夜さんって職業なんなんですか?」
「走り屋だよ」
「え?」
「旅暮らししながら、その土地で仕事探すって感じかね。このスピード生かして荷物運びが多い……かな」
 そういう暮らしが成り立つんだと、ケイは驚きと感心を覚えた。
 猪のスピードが上がった。
「もうすぐナゴヤ港に着くよ!」
 炎麗夜の言葉通り、船が見えてきた。
 停泊している船はどれも帆がついている木造船だ。小型の船舶ばかりだが、一つだけあった大型の船を炎麗夜は指差した。
「あれは外国の貿易船だね」
「貿易って、鎖国してるから海外と外交ないんじゃないですか?」
「は?」
「なんか変なこといっちゃいました?」
「ごめんごめん、旅暮らししてなきゃ知らないってこともあるだろうね。鎖国って言っても、すべての資源を自国でまかなえるわけじゃないさ、特に貴金属はね。民間の貿易は禁じられてるが、政府はちゃあんと外とのパイプを持ってるさ」
 江戸時代の鎖国も、外交や貿易の権限を幕府が制限や管理していただけで、完全に閉ざされていたわけではない。
 レンガ造りの倉庫街が見えてきた。
 炎麗夜はなにやら倉庫を一つ一つ確認しているようだった。
「弐番倉庫ってどこなんだろうねえ」
「そこに行くんですか?」
「とりあえず仲間と合流しとかないと……あったあった参番、弐番、おっ!」
 炎麗夜の視線の先をケイも見た。
 ビキニ鎧を着た三人の娘が立っている。一人はこちらに手を振っているようだ。
 黄金の猪が倉庫と娘たちの前で止まった。
 外ハネのショートヘアの娘が炎麗夜に詰め寄ってきた。
「総長遅いですよぉ」
 今度は内ハネのショートヘアの娘が近寄ってきた。さっきの娘と顔が似ている。
「炎麗夜さま、心配したのですよ?」
 この顔の似ている二人は姉妹だろうか?
 歳はだいたいケイと同じくらいに見える。
 最後に近付いてきたのは、羽根飾りのついた西洋風の兜を被った凜とした女。
「炎麗夜様、あれほどはぐれないようにと、申し上げた筈でございますが?」
「はぐれたのは三人のほうだろう。おいらは先頭を走ってただけさ」
「ふ~れ~い~や~さ~ま~」
 女は呪詛でも吐くように炎麗夜の名前を呼んだ。怒っているのは明らかだ。
 すぐに炎麗夜は話題を逸らそうとした。
「紹介するよ、道すがら保護した乳友のケイだよ!」
 炎麗夜に背中を押されてケイが前に出た。
「はじめましてケイです。炎麗夜さんには野盗に襲われそうになったところを助けてもらって」
 ニッコリ笑顔の外ハネ娘が、ケイの両手を取って握手をしてきた。
「よろしくっ! ウチが風羅(ふうら)で、こっちが妹の風鈴(ふうりん)」
 名前を呼ばれた内ハネ娘が頭を下げた。
「はじめまして、風鈴と申します」
 姉とは対照的にお淑やかな雰囲気だった。
 最後に残った女は片手で握手を求めてきた。
「わたくしは颶鳴空(ぐうな)と申す。炎麗夜様の乳友ならば、我らとも乳友だ。今後ともよろしく頼むぞ」
「はい、よろしくお願いします」
 ケイはちょっぴり笑いを堪えるのが必死で、口の端が引きつってしまっていた。端正で真面目な顔をした颶鳴空が、平然と、しかも低音ボイスで〝乳友〟と言うのがツボにハマってしまったのだ。
 乳友ということで、やはりこの三人娘も豊満な胸の持ち主だった。炎麗夜には及ばない、ケイと同じくらいの爆乳レベルだ。
 颶鳴空が炎麗夜に耳打ちをする。
「この者もエクソダスさせるのですか?」
「その話はしてない。悪い奴じゃあないから、話しても平気だろうさ」
「悪人でないことと、信用できるというのは同義語ではありませぬ」
「おいらの見る目はたしかさ」
 目の前でヒソヒソ話をされると、どうしても気になってしまうものだ。
「あのぉ、あたし席外しましょうか?」
 ケイが言うと、炎麗夜は笑った。
「もう済んだから平気さ。ケイにも話してやるよ、ただ場所を変えよう」
 こうして四人は周りの目を気にしながら、参番倉庫の中へと入ったのだった。

 つづく


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