ブルーマン
 エノクたちを乗せた船は青く澄んだ空の下を港町サルサラに向けて航海を続けていた。
 しかし、先ほどまで静かで穏やかだった海は荒れ始め、空もどんよりとした雲が太陽を覆い隠し、辺りが薄暗くなり空気全体が重々しいものへと転じた。
 エノクとアイオンはそんなこととも知らずにすやすやと寝息を立てて健やかに眠っている。
 甲板の上が急に慌ただしくなった。大勢の人々が大声で叫んでいる。
 エノクはその騒々しさで目を覚ました。そして、何事かと辺りを見回した。
 波はうねり、空は暗い、そして海の向こうで蒼白く輝く光。エノクはそれを眼を見開きしっかりと見た。
 誰かが叫んだ。
「ブルーマンだ、ブルーマンが出たぞ!!」
「!?」
その言葉を聞いたエノクは急いで甲板の先に走り出した。
 甲板の先には剣士らしい男が海の向こうで輝く蒼白い光を眺めていた。金髪を逆立てたツンツンヘアーが印象的な剣士だ。
 エノクはその男の横に行き、自分より背丈の高いその人物を見上げるようにして尋ねた。
「あれがブルーマンですか?」
「そうだ、あいつらは確実にこの船を狙っている」
エノクは蒼白く輝く光を見つめながら、昔読んだブルーマンについての書物を思い出した。
 ブルーマンとは海に巣食う亡霊で、海賊などが海で死んでブルーマンになるのだという。ブルーマンたちの目的は船を襲い沈めること。それだけのために海の上を永遠に成仏できないまま彷徨い続けているのだという。
 大きくゆれ船が止まった。何かの力によって強引に止められた感じだ。
 船乗りたちは慌てふためき、鳥人の夫婦は身を寄せ合いガタガタと振るえ、猫人の商人は船乗りに料金を返せと喚いている。
 剣士は海を眺めながら呟いた。
「もうすぐやつらはここに来る、お前も剣を持つ者なら少しは戦えるのだろ?」
「えっ、あの僕は実戦で剣で戦ったことがなくて……」
 エノクはシモンの里にいた時、サーベル型の魔法生物やシモンによって剣術の特訓をしていた。だが、シモンの里には平和主義者しか居らず、剣術をまともに使える者も居なかった。
 エノクはシモンに剣術なんかより魔法生物を作る方法や錬金術を教えてくれと頼んだことがあったのだが、『エノクには剣術の素質がありますから――』と言われて、結局剣を振り回すだけという酷い剣術の特訓を毎日やっていた。
 船乗りたちは、乗客たちを貨物室の中へと非難させている。
 剣士はここに残るつもりらしい。そして剣士はエノクの顔を見た。
 エノクは頷き、自分もここに残ることを決意した。
 エノクはアイオンも元へ駆け寄った。まだ彼は静かな吐息を立てながら寝ている。
「アイオン起きて!」
アイオンの肩がエノクによって揺さぶられるが、アイオンは起きるようすもない。
「アイオン、大変だよ」
アイオンは目を擦りながら眠たそうな声でぶつぶつと呟いた。
「ううん……あと五分、あと五分だけ眠らせて……」
――エノクは近くにいた船乗りに頼んで、さっさと”これ”を倉庫にブチ込んで置いて下さいと頼んだ。
 エノクが甲板の先に戻った時にはもう、蒼白い光は船の形へと変わっていた。
 ボロボロのマストや船体。乗組員たちもみなボロボロの格好を――格好だけではない身体もボロボロである。
 暗くどんよりとした曇り空の下、先ほどまで荒れ果てていた海が全く波を立てなくなり、静けさが辺りを包み込み、気温もぐっと下がったようだ。
 ブルーマンを乗せた船は音もなく近づいて来る。
 蒼白い光を放つ船の上には海賊たちの亡霊ブルーマンが三〇人ほど乗っていた。そいつらは皆生気の無い虚ろな顔をして、武器を手に持ち、口だけが不敵な笑みを浮かべている。
 ブルーマンの船とエノクたちを乗せる船との距離が五メートル程になった時、剣士は鞘から剣を抜きエノクにこう言った。
「私の名前はクラウン、覚えておけ!!」
そう言って彼は船から船へと跳躍し、ブルーマンたちに果敢にも向かって行った。
 エノクもそれに続こうと剣を鞘から抜こうとするが、抜けない!?
「な、なんで!?」
 エノクを乗せた船がガタンと揺れた。ブルーマンの乗せた船がエノクを乗せた船に接触したのだ。そして、エノクが気づいたときにはブルーマンが大剣を振り上げエノクを殺そうとしていた。
「!?」
エノクはもうだめだと思い、目をぎゅっと固く閉じた。
「戦わないなら邪魔だ退いてろ!!」
エノクに罵声が飛ばされた。
 エノクがゆっくりと目を開けるとそこには船乗たちが武器を片手に立っていた。そして、エノクの傍らには切断されたブルーマンの身体がぴくぴくと痙攣しながら床の上を動いている。
 ブルーマンというのはゾンビの一種なので物理的な攻撃で倒すことができる。
 船乗りたちは自分たちの船を守るために果敢にブルーマンに立ち向かって行く。エノクはそんな船乗りたちに邪魔だと言わんばかりに突き飛ばされてしまった。
「……僕だって、戦える」
エノクはブルーマンと戦う船乗りたちを見て唇を噛み締めた。
「だったら、早くその剣を抜けば?」
エノクが振り向くとそこにはアイオンが遠く彼方を見つめ立っていた。
「エノクはなぜ戦うんだい? 私は取り合えずこの船に乗ってる人たちを助けブルーマンを成仏させてあげるために戦うけど」
アイオンはこの言葉を言った時もエノクのほうを見てはいなかった。彼は遠く彼方にある何かを見つめていた。
 アイオンはハープの弦をしなやかな指先で軽く弾いた。すると、見えない何かが空気を伝いブルーマンに直撃した。そして、何かの直撃を喰らったブルーマンの身体は後方に吹き飛び、後ろにいたブルーマンたちを倒し、まるでドミノ倒しのように次々とブルーマンの身体を倒していった。
 エノクは剣を鞘から抜いた。
「僕は誰かを守るために戦う」
 鞘から抜かれた剣は眩い光を放ちながら、女の子の声でしゃべった!?
「ふぁ〜、よく寝たぁ〜」
「!?」
これにエノクは持ってる剣が手から滑り落ち、近くにいたアイオンは大事なハープを自分の足に落とした。
「痛〜い!」&「痛ーっ!!」
前者はエノクの剣で後者はアイオンだ。
 エノクの剣はまだしゃべり続けていた。
「あの〜エノク、早く拾ってくれるかなぁ?」
エノクはこの言葉に慌てて剣を拾い上げた。そして、剣に向かって話しかけてみた。
「えっと、何?」
「あたしの名前はティンカーベル、シモン様によって命を吹き込まれた剣だったりします。そーゆーこと」
 エノクの身体が剣に引っ張られるようにして動いたかと思うと、そのままブルーマンへと突進して行き串刺しにした。その後もエノクは剣に引っ張られながらブルーマンたちを次々となぎ倒していき、ついにはブルーマンすべてをエノクひとりで倒してしまった。
 船乗りたちの口から感嘆の声が漏れる。
 アイオンは足を押さえながら安堵のため息を漏らした。
「戦いは終わったようだね」
「まだだ!!」
剣士クラウンの声が木霊した。
 なんとクラウンは、ブルーマンの乗ってきた船の甲板から飛び出している白い触手に持ち上げられ身体の自由を奪われていた。
「なんだあれは!?」
船乗りたちがざわめき始めた。
 ブルーマンを乗せていた船の中から何本もの白くて吸盤の付いた触手が甲板などを突き破り、船を粉々にしていった。そして、船は完全に崩壊され、中から海の魔物クラーケンがその姿現した。
 鼻を覆いたくなる異臭がクラーケンの身体から放たれ辺りに充満する。
 鼻を押さえたアイオンはハープを構えすでに戦闘態勢に入っている。
 エノクも鼻を押さえ剣を構えた。
 海の魔物クラーケン、その姿は巨大なイカそのものである。全長は身体だけで五メートルから七メートル、足の先まで含めると三〇メートルは優に超えているだろう。 
 クラーケンはクラウンの身体を締め上げた。クラウンの口から苦痛の悲鳴が漏れ血が吐き出され、彼はそのまま気を失った。そして、クラウンはクラーケンの口に中へと運ばれ、硬いものを砕く音が辺りに鳴り響いた。
 アイオンが顔をしかめる。
「――あれが親玉ってわけだね」
 クラーケンはエノクたちの乗っている船を逃がさまいと触手で船を掴んだ。これでクラーケンを倒さない限り逃げることは不可能だろう。
 アイオンは突然うずくまり、足の先を押さえてエノクの顔を見つめた。
「あいたたた、さっきハープで打った足が急に痛み出した、駄目だ、一歩も動けない……」
「はぁ?」
エノクは思わず、口をあんぐりと空けてしまった。
「だから、足が動かないから、エノク後は任せた!!」
と言ってアイオンはクラーケンをビシッと指さした。
「僕ひとりで倒せっていうの!?」
アイオンは真剣な顔をして頷いた。
「だいじょぶさ、君ならできる」
「そうそう、あたしがついてるんですから」
ティンカーベルは自信満々に言い切った。
 エノクは剣を構え直した。
 船乗りたちは恐怖で誰も動こうとしない。当たり前だ、クラーケンと言えば海の魔物の中でも三本の指に入るほどの凶悪な魔物だ。クラーケンと出くわしたら最期、生きて帰れるなど稀なことだ。
 クラーケンの触手はそれ一本一本が生きているようにうねっている。
 エノクは意を決して、地面を蹴り上げクラーケンに向かって斬りかかった。
 クラーケンの触手が次々とエノクに襲い掛かる。エノクはそれを軽やかに避けていく、そして、地面を蹴り上げ高くジャンプした。がしかし、エノクの身体の自由が奪われた。
 クラーケンの触手がエノクの足を捕らえて甲板へと叩き付けた。
「ぐはっ……」
エノクの口から苦痛が漏れる。だがエノクはすぐさま足の絡みついた触手を断ち切ると再びクラーケンに向かって走り出した。
 クラーケンの触手がまるで槍のようにエノクの身体を突き刺そうとする。エノクはそれを剣でなぎ払いながら、前へ進んで行く。
 その光景を見ていたアイオンの表情が曇る。
「……おかしい、クラーケンの再生力が異様に早い。それにこの異臭……もしや!?」
 エノクは次から次へと襲い掛かって来る触手を相手に悪戦苦闘している。そこへアイオンが現れた。
「エノク、このクラーケンは少しタチが悪いようだよ」
 アイオンはエノクの横でクラーケンの攻撃を軽やかに交わしながら話している。
「アイオン、足はもう大丈夫なの? 歩いて平気なの?」
「まぁね」
エノクはアイオンの足のことを本気で信じて心配していた。
「それよりもエノク、このクラーケンはすでに死んでいる」
「えっ!? どういうこと?」
「エノク前を見て!!」
「!?」
エノクがアイオンとの会話に気を取られてしまった瞬間、クラーケンの触手がエノクに襲い掛かった。エノクは間一髪のところでそれを避けることができたが、エノクの頬には紅い筋が一本通ってしまった。
 今のエノクは彼自身が戦っているというより、剣であるティンカーベルが戦っているところが大きい、しかし、剣を持っているエノクが少しでも気を抜けば今のように相手の攻撃を受けてしまう。
 アイオンはハープを強く奏でた。するとアイオンを中心に見えない力が広がりクラーケンの触手をこっ端微塵にした。このクラーケンでも、この攻撃を受けては再生するまでには時間がかかるだろう。
 アイオンはうずくまり足を押さえた。
「無理したから足が……」
「だ、大丈夫アイオン!?」
エノクはアイオンの仮病を本気で心配している。
「エノク、もう私は動けない。だから、だから最期に私の言霊をしっかりと焼き付けてくれ」
「アイオン、わかったよ、わかったから」
エノクはしゃがみ込みアイオンを泣きそうな顔で見つめている。
「エノク、あのクラーケンはゾンビだと私は推測した。そして、あの再生力、核がどこかにあるってわけさ(恐らくだけど)。というわけだ、エノクがんばってくれたまえ」
そう言ってアイオンは足を押さえてながら甲板の上を転がりどこかに行ってしまった。
 エノクが再び剣を構えるとティンカーベルは少し呆れた様子でエノクに話しかけた。
「よくあんなのと旅してるね〜」
「あんなのってアイオンのこと?」
「そうだよ、あいつ意外に誰がいるの?」
「でも、あんなのって」
「強いクセしていざってなると仮病使ってどこかに行っちゃうなんてサイテーじゃない?」
「えっ!? あれって仮病だったの?」
「……(今まで気づいてなかったのか)まあ、いいか。でエノクはクラーケンの核は《視る》ことできるの?」
「見るってどうやって?」
「そんなのも知らないの(はぁ、先が思いやられるなぁ〜)」
ティンカーベルは思わず落胆して、全身の力を抜くと剣の重さが急に重たくなった。
「わぁっ!」
エノクは急に重たくなった剣を支えきれずに床に剣ごと倒れそうになってしまった。
「ああ、ごめんごめん」
ティンカーベルは謝ると再び力を込めた。すると、剣の重さは空気のように軽くなった。
「……今の何?」
エノクはきょとんとした表情でティンカーベルを見つめた。
「この剣の重さをあたしが力を入れて軽くしてるんだけど、今ちょっと力が抜けちゃって」
「ふ〜ん」
本来剣というものは凄く重たいもので普通の人が振り回せるものではない。だがこの剣はティンカーベルの意志によって空気のような軽さにすることが可能だった。これで力のない人でも軽々と剣を振り回すことができる。
 いつの間にかクラーケンの触手は完全に再生した。そして再びエノクに襲い掛かる。
 エノクはティンカーベルの力を借りてクラーケンの触手を斬り、本体へと詰め寄って行く。
「ティンカーベル、核を見るってどうやるの?」
「いわゆる、心の目で《視る》ってやつね。やり方は精神を集中させて、ここだってとこを剣でブッ刺してみる。簡単でしょ?」
「簡単じゃないよ」
「取り合えずやってみて」
エノクは言われたままに精神を集中させてクラーケンの核を探した。
「あった、あったよ」
エノクは《視た》。クラーケンの身体の中央に光り輝く何かを心の目で《視た》。そして、エノクはそこに向かって剣を一直線に突き刺した。
「これで終わりだーーーっ!!」
「ギャオーーーッ!!」
クラーケンの最期の咆哮が辺りに鳴り響き、その場にいた人々はその奇怪な声に耳を塞いだ。
 エノクがクラーケンの身体からゆっくり剣を抜くと、それと同時に触手たちが急に海の中へ水しぶきを立てながら沈んで逝った。そして、本体も直ぐにそれを追うように海の底へと深く沈んで逝ってしまった。
 船が大きく揺れ、斜めに傾いた。
「エノクあれ見て」
ティンカーベルの剣先がぐいっとエノクの手を引っ張り向けたその先にはクラーケンの触手が船をがっしりと掴んでいた。
「まずい、早く切り離さないと……」
エノクが行動に移ろうとした時にはもう遅く、船は傾き海の底に沈もうとしていた。
 船乗りたちや乗客たちは既に救命ボートに乗り込んでいる。
 エノクも救命ボートに乗ろうとしたが、船内に水の入ってしまった船は傾くのが早い。エノクは九〇°に傾いた船から転げ落ち、海の中へと投げ出されてしまった。それを見ていたアイオンは救命ボートから海の中へと飛び込んだ。
 エノクは泳ぐことができない。
 息が苦しくなって意識は薄れていき、エノクの身体は海の底へと沈んでいった――。


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