ソードダンサー
 アトラス大陸の東に位置するパララスという港町は活気に満ち溢れ、船乗りたちが朝から酒を酌み交わし、人々の顔は誰も笑顔に満ち溢れていた。
「こんなに大勢の人間を見たの初めてだよ。それにあれとか、これとか……目が回りそうだ〜」
歩きながらきょろきょろと辺りを見回すエノクの目に映る物は何もかも新鮮で真新しい物だった。
 人の往来に目を回し、ふらふら歩き出したエノク。今にも人にぶつかりそうで見てられなくなったイリスは、
「あ、あのエノクさん、少し休みませんか? お昼ですし昼食にしませんか?」
「う、うん……」
かろうじて返事をしたエノクであったが、彼はすでに人酔いをしてしまっていて、石畳の道の上でうずくまってしまった。
「気持ち悪い……」
「だ、だいじょぶですか〜っ?」
慌ててエノクの背中を擦るイリス。だがエノクの具合は一向に良くはならなかった。
 そこへヴェールを顔に付けた踊り子風の若い黒髪の女性が現れ二人に声を掛けてきた。
「あんたたちだいじょぶか?」
その声は低くハスキー掛かった色っぽい声だった。
 エノクは渋い表情でヴェールの女性を見上げた。顔はヴェールで隠れていて見ることはできないが、スタイルもよく、どこか気品さえ漂わせていた。
 女性を見上げることまではできたものの、言葉を発することまではエノクにはできなかった。
 そんなエノクに変わってイリスが事情を説明する。
「え、えっと、ここにいるエノクさんが少し気分が悪くなってしまって、それで、それで、えっと……」
「見ればわかる。……仕方ない、うちにおいで、少しなら休ませてあげる」
「ほ、ほんとですか! 良かったですねエノクさん」
エノクは無言のままコクコクと頷いて見せた。
「ついといで家はすぐそこだから」
女性はエノクに手を貸そうともせずさっさと前を歩いて行ってしまった。
 置いていかれてまずいと、イリスはエノクに肩を貸し、エノクを引っ張るように女性のあとを一生懸命着いて行った。
 すぐに石でできた小さな家に着いた。ここが女性の家らしい。
 家の中は狭く、ゾウが三匹入れるくらいの大きさだが、ひとりで住んでいるのなら問題ない大きさだ。だが、家具が全くなく、生活感が全く感じられない。本当にここに人が住んでいるのかと思わせる。
 イリスはこの家に着いた時にはすでにくたくただった。エノクはほとんど自分で歩くことができず、イリスがここまで背負ってきたのに近い。
 そんな二人を見て女性は、エノクを軽々と背負い上げベッドの上まで運んで寝かせた。
「あんたの名前エノクってんだろ、名前はいいのに本人は情けないねぇ。少しベッドでおとなしく休んでな」
エノクを寝かしつけた女性はイリスのほうを振り向き、
「私の名前はアリア。あんたの名前は?」
「わ、私はイリスと申します」
「イリスって慈愛の女神の名前と同じだな……。ところで二人は恋人か何かかい?」
この発言に寝ていたエノクは飛び起き、イリスは顔を真っ赤にして声を荒げた。
「と、とんでもありません、私が、え、エノクさんの恋人なんて……」
「そ、そうですよ、ぼ、ぼくたちは、その、なんていうか……」
「なんだ恋人じゃないのか、つまらないな」
その言い方は心から本当につまらなそうな言い方だった。
「わ、私はエノクさんに島の外まで一緒に、その、えっと……」
「島?」
 ――このあと、イリスはアリアにことのあらましを簡単に話して説明した。
 アリアはイリスの話を聞き入った。そして、イリスは全てを話し終えると目にいっぱい涙を溜めていた。
「うぐぅ〜、それで、それで、ですね……」
「話はわかった。涙を拭け、顔がぐしゃぐしゃで可愛い顔が台無しだぞ」
「うぐぅ〜」
「泣くのは一向に構わないけど、あたしはもう出かけなきゃいけないんだよ。あんたたちは好きなだけここにいていいからね」
「そ、それはよくないですよね、エノクさん?」
「そうだね。昼食も摂らなきゃいけないし、ぼくらもここを出よう」
家の外に出てすぐにエノクたちはアリアに別れを告げようとしたが、それよりも先にアリアが口を開いた。
「あんたら昼食を食べに行くんだろ。だったら、いい店を紹介してあげるから着いといで」
何から何まで面倒を看てくれるアリアに恐縮しながらも、エノクとイリスはアリアに連れられるままに一軒の海の見えるレストランまで案内された。
 レストランの入り口まで来たところでアリアは立ち止まり後ろを付いて来た二人のほうを振り向いた。
「ここの料理はうまくて安いし、いい酒もあるよ。それにいい踊り子もいるからきっと満足するよ」
そう言ってアリアは軽く手を振ってどこかに行ってしまった。素っ気無い別れ方であったが、残されたエノクは『いい踊り子』という言葉に引っかかった。けれど、そのことはとりあえず頭の隅へ置いておきレストランの中へと入いることにした。
 店内は光をふんだんに取り込み、室内全体が明るいデザインが成されている。人々は日の高いうちから酒を飲み、歌を歌い、幸せそうな顔をしている。
 イリスは店内を見回し、空いている席を指差した。
「エノクさん、あそこの席に座りましょう」
「海が見えるいい席だね」
 席に着いたエノクは吹き抜けになっている外の景色を眺めた。
 波が揺れ青く煌く海の上を飛び交うカモメ、汽笛を揚げる船やビーチで海水浴や日光浴をする人々。
 しばらくして、ウェイトレスが床を滑るような軽やかな歩き方で注文を取りに来た。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
メニューを見ながら考え込むエノクとイリス。いろいろなメニューが書いてあり、正直どれを頼んでいいのか迷っているのだ。
 そんな二人にウェイトレスは笑顔で今日のおすすめメニューを紹介してくれた。
「今日のおすすめは、魚介類をふんだんに使ったヘルシーなシーフードサラダと今朝上がったばかりの普段は決して食べる事のできない珍味クラーケンをふんだんに使ったスペシャルメニューもございますが?」
クラーケンという言葉にエノクはあからさまに嫌な顔をして、メニューから適当に選び指を差して注文をした。
「これと、これと、それからシーフードサラダを」
「私はクラーケンって食べてみたいなぁ」
特に何も考えずに言った一言であったのだろうが、エノクはそれに猛反対をした。
「駄目、絶対に駄目」
「どうしてですか? クラーケンなんか滅多に食べれませんから、興味あるんですけど」
「ぼく、クラーケンに襲われた経験があるんだ……それで船が沈没して、ぼくは海に投げ出されて……」
この切実な言葉にイリスは言葉を失い、ウェイトレスは苦笑いを浮かべた。
 やや長い沈黙が騒がしい店内の中ここだけ発生してしまった。その沈黙を破ったのは店内を流れる音楽とそれと一緒に現れた美しいひとりの踊り子だった。
 店内にいた男たちの視線が音楽に合わせて妖艶な踊りを始める美しい女性に一気に集中する。
 その女性を見ていたイリスはエノクよりも先に気付いた。
「あの人アリアさんじゃないですか?」
「えっ、ホントだ」
舞台の上で踊っていたのは紛れも無い、アリアだった。
 肌の露出の多い煌びやかな服で艶めかしい踊りをするアリア。だが、その踊りからは気高さと高貴さも感じられる。
 踊りを続けるアリアに誘われるかのように、片手にビールジョッキを持った船乗りの男がふらふら歩きで舞台の上に上がり、アリアの身体に飛びついた。
 アリアは声一つ上げなかった。直ぐに店員が酔った男を取り押さえようとするが、男は店員の顔面を殴り倒し気絶させ、アリアの身体をいやらしい手つきで触り始めた。
 それでも、アリアは声一つ上げる事は無い。その表情はヴェールに隠され見て取ることはできないが彼女は何を思っているのか?
 その時、アリアの腕が動いたかと思うと男は宙を舞い舞台の下へと投げ飛ばされていた。
 男の身体はテーブルの上に落ち、料理をぶちまけた。そのテーブルで料理を食べていた頑丈そうな男は持っていたジョッキを投げ飛ばすとアリアに飛び掛かった。
「何すんだテメェ!!」
猪突猛進で襲い掛かる男をアリアは難なく避け、男はそのまま舞台の後ろに頭から突っ込んだ。
 歓声を上げる人々に交じり、酒の入った男たちが暴れ出す。やがてどんちゃん騒ぎは飛び火して見せ中で殴り合いが始まった。
 もちろんエノクたちもその騒ぎに巻き込まれてしまった。
 酔った男がイリスのことを強引に抱き寄せ身体を触ろうとする。エノクはその男に殴りかかるが逆に殴られ床を滑り店内をめちゃくちゃにしてしまった。
 イリスは抵抗するが男の熊のような手からは逃げられない。そこへアリアが駆けつけ男を殴り倒してイリスを救出した。
「だいじょぶかい、あんた?」
「あ、ありがとうございます」
 暴れ出した男たちは次から次へと床に倒れていく。もう店にいた男の半分が床でうずくまっている。その男たちの大半を叩きのめしたのはアリアだった。
「あんたたち男のクセして弱いんだねぇ」
指で男たちを誘うように挑発するアリア。それに逆上した男たちの目は餓えた獣ようにアリアに狙いを定め一斉に襲い掛かる。
 アリアはそんな男たちを踊るようにして簡単にあしらっていく。アリアはここに集まる男たちよりも数段強かった。
 立っている男はもうほとんどいない。エノクはすでに頭を押さえてギブアップしているが、立っている男たちはまだまだやる気十分だ。誰かひとりを残して皆が床に倒れなければこの騒ぎは終わりそうもなかった。
 騒ぎはどんどん大きくなり、ついには男のひとりが腰から短刀を抜き、その切っ先をアリアへと向けた。
 短刀を持った男は少し酔っているようだが、そのナイフさばきは一流だった。
 アリアを鋭い刃が襲う。それを華麗に避けつつアリアは床で倒れていた男の腰にあった剣を拾い上げると、今まで以上に華麗に、そして舞うように動き、剣を優雅に振るい相手のナイフを弾き遠くに飛ばした。
 武器を失った男の首元にアリアの剣がすぐさま突きつけられる。
「す、すまなかった。謝るからゆる、ゆるしてくれ!」
「あたしは弱い男は嫌いだよ」
その時だった。大勢の足音と共に制服を着た男たちが乗り込んできたのは!
「武器を捨てておとなしくしろ! 全員連行する!」
レストランの中に乗り込んで来たのは街を守る治安官たちだった。
 それを見たアリアは武器を投げ捨てエノクとイリスに叫んだ。
「あんたたち逃げるよ、一緒に来な!」
エノクとイリスはなにが起きたのかわからないまま床から立ち上がると、アリアのあとをついて走っていた。
「こらー待て!!」
そんな声が後ろから聞こえるが、待てと言われて待つのだったら最初から逃げたりはしていない。
 アリアは店の厨房を抜け裏口から道路に出た。そのあとをエノクとイリスはわけのわからないまま着いていった。
 後ろからは治安官たちが大勢追いかけてきている。その治安官たちを巻くためにアリアたちは裏道を縫うように駆け抜け、物蔭に隠れた。
「あの、アリアさん……うぐっ」
エノクがしゃべろうとしたのをアリアが口を押さえた。
 大勢の足音が近くを通り過ぎ、離れて行き聞こえなくなった。それと同時にエノクの口からアリアの手が放された。
「……ぷは〜っ、苦しかった。あのアリアさんなんで逃げなくちゃいけなかったんですか?」
「あそこで捕まったら、少なくとも三日くらいは牢屋に拘留されちゃうからね。あんたたちも嫌だろ?」
たしかに牢屋でなんか三日間も拘留されるなんてとんでもない。だが逃げたのはまずかったのではないだろうかという考えがイリスの頭を過ぎる。
「あ、あの、逃げたのはまずかったのでないでしょうか? アリアさんだって、もうこの街に居られないんじゃ?」
「あたし、あたしなら平気さ。今回は三日間しか街にいられなかったけど、もともと暮らしでね。今住んでる家だって店が貸してくれてるもんだし」
だからあの家には生活感が全く感じられなかったのだ。
「それよりも、あんたたちはいいのかい、街を追われる形になちゃたけど?」
「ぼくは旅の途中だからいいけどイリスは?」
「私もこの街を一度追いやられた身ですから、別の街に行こうと思ってましたし」
「二人ともまだ旅の途中なのかい、だったらあたしも途中までだけど旅に同行させてもらってもいいかい?」
二人はこの申し出に少し驚いたが、直ぐにいい返事として二人同時に頷いた。
「よし、だったらこの街とも早くおさらばしなきゃね。って言いたいとこだけど、大事な荷持つをあの家に置いて来ちまったから取りに行っていいかい?」
 治安官たちに見つからないように家に戻ったエノクたちは、家の中に入った途端ホッと肩を撫で下ろした。
 アリアは家に入った途端直ぐにベッドに向かい、その前でしゃがみ込み、ベッドの下から何かを取り出した。それは二本の剣だった。
 剣の形は鞘から察するに三日月形の刃を描いているようだ。しかし、剣を二本も所有しているなんて普通ではない。
 二本の剣に目を取られている二人にアリアは自慢げに話した。
「あたし二刀流でね。あたしの父も二刀流で、その形見なのさ。あたしの父上は国で一番の剣の名手だった……けど、今はもう母上と一緒に天国で仲良く暮らしてるよ。さ、そろそろ街の外に出ようか」
 家を出て、そのまま三人は街の外に出た。ここまで来ればもう治安官たちも追っては来ない。
 街を背にして歩き出す三人――。
 エノクの旅は新たな仲間を加え、また進み始めた。


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