宴の夜
 パララスの港を出て直ぐ、アリアは顔に付けていたヴェールを取った。この時初めてエノクとイリスはアリアの素顔を見たのだが、その気品漂う美しさは絶世の物で女性のイリスまでも魅了した。
「アリアさんってすごくお綺麗な方なんですね」
「あたしよりも、あたしの母上の方がもっと美人だったよ。国で一番の美女と言われてたくらいだからね」
母親の話をするアリアの顔は終始にこやかで、少し自慢げそうに話していた。
「アリアさんってご両親のことがお好きなんですね」
「父上と母上はあたしがこの世界で最も尊敬する人物だからな」
「アリアさんのご両親ってすごい人だったんですね」
「当たり前だ、なんたってあたしの……いや、いい。それよりもあたしのことを”さん”付けで呼ぶのは止めてくれないか、もっと話し方も気軽でいいから。なぁ、エノクも聞いてたか?」
アリアは後ろを振り向いた。その遠く視線の先には今にも倒れそうなエノクがふらふら歩きで二人のあとを付いて歩いていた。
「聞いてたよぉ〜……」
元気の無い返事を聞いて、初めてイリスはエノクが自分たちの後ろを歩いていることに気付いた。そして慌ててエノクの元へ駆け寄り声を掛けた。
「だいじょうぶですかエノクさん、どうかしましたか?」
イリスの言葉にエノクはお腹を押さえて擦った。
「お腹が痛いんですか?」
「お腹が……」
「お腹が?」
「空いた」
「…………」
イリスもお腹を押さえた。たしかに、昼食は騒動に巻き込まれ取り損ねてしまった。しかし、人が住む町や村はまだまだ見えてこない。
 エノクのお腹がきゅるる〜と鳴く。本当に哀しそうに泣いた。そして、地面に吸い込まれるようにバタン!
「え、エノクさんだいじょぶですかっ!!」
これにはアリアも驚きエノクに駆け寄り、身体を揺さぶる。
「腹空いて倒れた奴、あたしは初めて見たよ」
身体を揺さぶるも反応は無い。完全に意識を失ってしなったらしい。
 アリアはエノクの身体を軽々と持ち上げると背中に背負った。
「あたしが”これ”を背負っていくけど、村まではあと三〇キロメートルはあるよ」
「アリアさん、あれ見てください!」
イリスはビックリしたような顔付きで左方にあった森の先を指差した。
 夕暮れの空の下で、紅い光を浴びながら森の中にそびえ立つ古城。遠くからでも妖々雰囲気が伝わってくる。
 その城を見たアリアはあからさまに嫌な表情をした。
「あんな城さっきまで無かったような気がするけどねぇ」
「そうですか? もうすぐ日も暮れそうですし、あそこに止めてもらえないでしょうか?」
「でも、この辺りのモンスターは夜に活動するって言うから、外よりはマシかもね」
 ――森の中を切り開いて作られた街道を通り城へと向かう。森は静けさに満ち満ちていて、生物の気配が全くしない。それがアリアの警戒心を煽る。
 イリスは周りの雰囲気にも気付かず終始笑顔で歩いていた。
「古そうなお城ですね。アルティエル暦以前からここにあったような……そんなお城ですね」
「たしかに城の造りから見て、イリスの言うとおりなのは間違いないと思うんだけど……」
 城の外壁にはツルが巻き付き、所々壁が崩れ落ち、”何か”の出そうな古めかしい城だった。
 大きく口を開ける入り口を抜け城の中に入ると、暗い城内を幾本もの蝋燭が照らし二人の行く先を案内しているようだった。
「人がいらっしゃるんですね。良い人だといいんですけど……」
「誰がいるのはたしかみたいだね。けど変だと思わないかい?」
「何がですか?」
「地面は埃だらけで私たち以外歩いた形跡がないよ」
「魔法使いがいるんじゃないんですか?」
「あたしが言いたいのはそういうことじゃなくって、なんつーか生活感があるようで無いっていうか、自分でも何言ってるかわからないけど」
「どういうことですか?」
「だからあたしもわからないんだって」
歩くたびに埃の舞う薄暗い廊下を歩いている途中で、二人はカビ臭い匂いとは別に空気に乗っておいしそうな料理の匂いが鼻に届いたのに気が付いた。
 料理の匂いは三人目にも届き、ぱっちりと目を覚ましたエノクはアリアの背中から飛び降り匂いのする方向を探し求めた。
「これって、料理の匂いだよね、すごくおいしそうな匂いだよ。どこからしてるのかな?」
料理の匂いで起きたエノクを見てアリアは呆れ笑いを浮かべている。イリスも少し呆れたような顔をしている。
 エノクは近くにあるドアの向こう側から料理の匂いが漏れ出していることをつきとめ、ドアを勢いよく両手で開けた。
 部屋から流れ出す料理の匂いに引き寄せられまま、何の警戒心も抱かずに部屋の中へ足を踏み込んだエノク。
「うわぁ〜、豪華な料理だよ。ね、二人とも見てよおいしそうだよね?」
「本当ですねぇ」
「あたしはこれを見て不信感が増したけどねえ」
アリアの言うことも正しいかもしれない。長方形の大きな食卓には湯気の立つ料理の数々が食卓の端まで並べられている。これだけの料理を食べるにはそれなりの何十もの人数がいるだろう……だが、先ほどからこの城の中には生物の気配がなかった。
 おいしそうな見た目と香りが食欲をそそり、誘惑へとエノクを誘(いざな)う。
「ちょっとだけなら……」
「駄目ですよエノクさん!」
イリスに止められなければエノクは食べ物に手を付けていたに違いない。それほどまでにエノクは空腹なのだ。
 食べ物にはまだ手を付けてはいないものの、その指先は皿に盛られた肉のスライスとほんの数センチしか離れていなかった。
 ぎゅるる〜とエノクのお腹は哀しそうに泣いた。そしてエノクの顔も泣き顔だった。倒れるほどの空腹時に食べ物を前にして、それに手を付けられないなど、なんと惨い仕打ちだろうか。
 だが、アリアときたら、何の気兼ねもなく料理のつまみ食いをエノクの真ん前で始めたではないか!?
「少しなら構いやしなよ。見つかったらそんときはそんときで謝れば済むことさ」
「アリアさん、駄目ですよ!」
「もう、食べちゃったよ」
アリアにつられてエノクも料理に手をそ〜っと手をつけようとしたが、
「エノクさんもまねしないでください!」
とイリスに言われて手を引っ込めた。
 その時突然、闇の中から人影がすぅーっと現れた。
「少しなら構いませんよ、どうせ食べきれないのですから」
長身でタキシードをきっちりと着こなした金髪のオールバックの男が三人に向かって恭しくお辞儀をした。
「私の名はリィ伯爵。この城の主です」
頭を上げた白く美しいその顔に付いた紅い唇はやさしく微笑んでいた。
 突然の城の主の出現に戸惑いを隠せない三人。中でも一番動揺していたのはイリスだった。
「も、申し訳御座いません、勝手に料理を食べてしまって……」
「別に構いませんよ、料理ならいくらでもあります。それに今宵は一〇〇年に一度の盛大な宴の夜なのですから」
この言葉とちょうど同時に部屋中が急に騒がしくなった。
 エノクは料理に手をつけながら辺りを見回すと、大勢の人々が部屋中にいた。これにはエノクも驚き食事をする手を止めた。
 突如現れた人々は料理を食べ、楽しそうなおしゃべりに華を咲かせていた。
 ここに集まった人々は、女性は華やかなドレスで盛装し、男性はタキシードや中には軍服らしい服を着ていた。
 リィ伯爵は舞台の上に上がり大きな声で話し始めた。
「三〇〇年の一度に行われる今宵の宴は、我々にとって、とても大切な宴であると共に、とても意味のある儀式でもある。遠島から遥々お出でになられた紳士淑女は長旅ご苦労であった。そして、今宵の宴にはゲストとして我らの偉大なる王クロノスのご子息で在らせられるヴァラージュ様もお出でになられている」
リィ伯爵のスラリと伸びた手の向こうには、黒衣に身を包んだ白蒼の髪を持つ若い男性が立っていた。
 名前を呼ばれたその若者――ヴァラージュが軽く会場全体の人々に会釈をすると、再びリィ伯爵はしゃべり始めた。
「今宵のゲストはヴァラージュ様だけではない。予定にはなかったが三人のおもしろい客人も来られている」
周りの雰囲気に飲まれて寄り添うように並んでいた三人にリィ伯爵の手が向けられた。
 紹介された三人は会場の人々に頭を下げた。そして、またリィ伯爵はしゃべり始める。
「まだ日も落ちたばかりで、時間はたっぷりある。今宵は存分に楽しもうではないか、さぁ我らの宴を始めよう!」
これを合図に厳かで豪華なパーティに相応しいクラシックの曲を楽団が奏で始めた。
 人々は一斉に華やかに踊り始め、エノクたちもここに集まった人々に強引に手を引かれ踊りへと借り出された。
 踊りなど踊ったことの無かったエノクとイリスは早々に抜け出し、エノクは料理を食べに、イリスは部屋の端から優雅に踊る人々を見ていた。
 イリスの目に映る美しく可憐な女性たちは、その容貌にあった煌びやかな衣装を身に纏い、優雅に踊っている。
 自分ももっと美しくて、あんな衣装を着ることが出来たらどんなに幸せだろうか? 目の前で繰り広げられる光景はイリスにとって夢のような光景だった。
 着飾った女性にも負けず劣らず、アリアの美しさはこの場でも際立って目立っていた。男の人と優雅に踊りを踊るアリア。彼女はベリーダンスだけでなく、こう言った社交界で踊るようなダンスも完璧にこなし、人々の目を惹いていた。
 イリスもそんなアリアのことをいつの間にか両手を合わせて熱い眼差しで魅入ってしまっていた。
 アリアは次から次へと男性のエスコートを受けてダンスへと誘われる。そして、笑顔でそれを受けて男性と楽しそうに踊っている。アリアはこういうことに慣れているみたいだった。
 ダンスは続き、今度はリィ伯爵がアリアの手を取った。
「私としたことがこんなにも美しい女性の名前を聞き忘れてたとはお恥ずかしい」
「わたくしの名前はアリアと申します伯爵様」
 アリアはこのような場合の礼儀も心得ていた。
「アリアというのですか、貴女に相応しい名ですね。そして、顔もこの身体も美しい」
そう言って伯爵はアリアの身体を自分の身体に密着させ、首筋に鼻を滑らせ匂いを嗅いだ。
「とてもいい香りだ、噛み付きたくなるくらいにね」
「伯爵様こそ、いい体つきをしていらっしゃるわ」
アリアは色気に満ちた大人の女性の笑顔をリィ伯爵に贈った。
 曲が一つ終わりアリアとリィ伯爵は惜しむように身体を徐々に離し、そして指の先が離れた。
「アリア、ダンスのお相手有り難う」
「私こそ、有意義な時間が過ごせましたわ」
 少し疲れたアリアは食卓へと足を運んだ――。
 イリスは小皿に料理を盛り、部屋の隅っこで独り優雅なダンスを見ながら食べていた。
 そこへひとりの若者が現れた。
「あなたは、たしか〜……ヴァラージュ様でしたよね」
イリスの前の現れたのは黒衣を纏った白蒼の髪を持つ青年ヴァラージュだった。
「君まで私のことを様付けで呼ぶのは、止めて欲しい」
「ですけど、お父様は王様なんですよね。そうしますと貴方は王子様なんですよね、な、なら、敬意を称して様とお呼びするのが……」
「私は王の息子などに生まれたことを悔やんでいる。私は私以外の何者でも無い、様と呼ばれるようなことなど私はしていない。私は様と呼ばれる器ではないよ」
ヴァラージュの瞳は優雅に踊る人々に向けられていたが、そこに何か別のモノを物悲しく想い観ているように思える。いったヴァラージュは何を観ているのか?
「あ、あの、ヴァラージュさんは踊らないんですか?」
「その質問をそのまま君にお返しするよ」
「わ、私は踊りなんて踊ったことがなくて……」
「私も踊りは不得意でね。人前で踊ったことなどないよ」
ヴァラージュがいきなりイリスの手を掴んだ。
「な、なにを!?」
「君となら上手く踊れそうな気がする」
イリスはヴァラージュに手を引かれるままにダンスの輪の中心に飛び込んだ。
「いいかい? 君は私に身を委ねればそれでいいから――」
「ちょ、ちょっと待ってください」
出だしは少しふら付いてしまったが、イリスはすぐにうまく踊ることができた。全てはヴァラージュのエスコートの上手さのお陰だった。踊りが不得意など真っ赤な嘘だったのだ。
 人々の視線が中央で華麗の踊る二人に集中する。イリスの今の踊りはここにいるどの女性よりも優っていたし、ヴァラージュの踊りもどの男性よりも優っていた。今や二人の息はぴったりでなに者も敵わなかった。
 優雅な夜のひと時はこうして過ぎ去って行った――。


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