第22話_体育館浮上!?
 美獣が校長室を飛び出して行ってしまって数秒。
 華那汰が叫ぶ!
「逃げられた!」
 または『助かった!』とも言う。
 早く追わなければ、ミサやカーシャのことも聞けてない。
 いち早くヒイロが校長室を飛び出した。
「追うぞ!」
 暗い廊下に鳴り響いている足音。
 窓から差し込む月明かりが人影が映し出した。
 ヒイロを抜いて、夜目の利くハルカが美獣を追う。
 本気で走ったハルカは人間よりもしなやかに早く走る。だが、追いついたところで、猫のハルカになにができるのだろうか?
 なんてことは考えてはいけない。考えるより行動だ!
 逃げる美獣のスピードは速く、曲がり角で姿を消した。すぐにハルカがその場所にたどり着き、その先の廊下を見る。この高校に通っていたハルカは知っていた――体育館に続く連絡通路だ。
 その場に立ち尽くしていたハルカに華那汰が追いついた。
「体育館って舗装工事で使用禁止になってたはずだけど?」
 最後に追いついてきたのは一番最初に校長室を飛び出したヒイロだった。
「お前ら足早すぎ」
 三人揃ったところで、校舎を出て外にある屋根つきの連絡通路に駆け出した。
 だが、突如として起こった激しい揺れと唸るような地響きに行く手を阻まれてしまった。
 揺れでバランスを崩されて手をついたコンクリの床に亀裂が奔る。
 いったいなにが起こったのか?
 床についてしまった手の近くまで達している亀裂の先を、ヒイロは恐る恐る眼で追った。そこで起きようとしていた驚愕の事態。
 体育館が、体育館が宙に浮いたのだ!
 揺れは収まったが、あまりの事態に二人はその場に立ち尽くしてしまった。羽もない建物が空に向かって上がっていくのだ。
 連絡通路の先に巨大な穴ができ、大地まで根こそぎ奪った体育館が土塊を落としながら浮上していく。
 異世界帰りのハルカは多少は驚きはしたが、この手のことに慣れているのか、すぐに立ち直って浮上していく体育館を見つめていた。
「どんどん上がっていくよぉ。ヘリでもない限りあんな場所行けそうもないね(カーシャさんがいれば、箒で飛んでいきそうだけど)」
 もうすでに体育館は高度一〇〇メートルには達してしまっただろうか。ハルカのいうとおり、ヘリコプターでもない限りたどり着けそうもない。
 我に返った華那汰が叫ぶ。
「どうすんの? あんなとこ行けるわけないじゃん!」
 華那汰の声でヒイロも我に返った。
「どうするって、そんなこと聞かれてもわかんねえよ!」
「わかんないなんて言わないで考えてよ、あそこに月詠先輩とカーシャさんがいるかもしれないでしょ!」
「他のところにいるかもしんないし……(最悪の場合、もう殺されてるかもな)」
 途中まで覇気のあった声が途中で沈んだ。それは考えたくもないことだった。
 どうすることもできず、華那汰は唸って頭を抱えながらしゃがみこんでしまった。なにもできないことが、悔しくて悲しい。
 悩む妹の姿に眼差しを向けるハルカ。
「(……華那汰……パンツ見えてる)」
 猫の視線からはしゃがむ華那汰のパンツが丸見えだった。
 頭を抱えていた華那汰が怒りながら飛び上がって立ち上がった。
「もぉどうすればいいの!」
 あまりの怒鳴り声にヒイロは眼を丸くした。いや、違う。それで眼を丸くしたのではなかった。
「……華……浮いてるぞ」
 話しける相手の顔を見ないで、ヒイロの目線は華那汰の足元に向けられていた。
「浮いてる?」
 なんのことだかわからず、華那汰はヒイロの視線を追った。
 そこで華那汰が眼にしたものは!?
「ええっ浮いてる!? あたし浮いてる!?」
 社会から浮いてるなんて生易しいものじゃなかった。華那汰はほんとに浮いていた――地面から。
 その距離は二〇センチほど、華那汰の足は床から浮いていたのだ。
 ここにいる誰にもわからなかった。けれど、ここにミサがいたら教えてくれただろう。
 ――華ちゃんのクラスは〈子供は風の子〉。あのときは黙っていたけれど、そのクラスの持つスキルは空を飛ぶことよ……ふふっ。
 って教えてくれたに違いない、たぶん。
 宙に浮く華那汰を見て、ヒイロの頭の上で電球がピカーンと閃いた。
「それで行けるんじゃないか!」
 ヒイロは乗り気だが、華那汰は嫌そうな顔をしている。
「無理。たぶん無理」
「無理とか言うなよ、やってみなきゃわかんないだろ!(無理って思ったら負けなんだよ)」
 それでも乗り気じゃない華那汰の足元でハルカがしゃべる。
「ハルカが近づいたら、華那汰が浮いてるのがちょっとだけど上がったよ。ハルカが出してるエネルギーをうまく利用すれば、華那汰もっと高く飛べるかもよ?」
 ハルカが華那汰の足元に近づくと、五〇センチほど華那汰の高度が上がっていた。
 先日、カーシャが月詠邸で美獣と戦ったとき、魔法を使おうとしたカーシャが魔法をうまく使えなかったことがあった。あのときのカーシャのぼやき、『やはり近くにエネルギーソースのハルカがおらねば』。魔法を使うためのエネルギーであるマナを、実はハルカが体内に蓄積して溜め込んでいるのだ。
 少し考えた華那汰は、背負っていたリュックをヒイロに渡した。
「覇道くんがお姉ちゃんを背負ってあげて、覇道くんのことをあたしが背負うから(でもうまくいくのかなぁ)」
「おう、任せとけ!」
 リュックを受け取ったヒイロは、その中に入るようにハルカに促し、ハルカの入ったリュックを背負って深く頷いた。
「行こうぜ!」
「うん」
 華那汰は頷き、ヒイロを背負った。
 一歩足を引いて手を握り締め、息を吐いて気持ちを整える。
 華那汰ゴーダッシュ!
 連絡通路を駆け抜ける間も華那汰の身体は徐々に浮上していた。これならいけるかもしれない。
 体育館が浮上してできた穴が迫ってくる。
 華那汰がジャンプした――落ちた。
「あーーーーーっ!」
 穴に落ちそうになった華那汰が叫び、足をじたばたさせて再び浮上した。
 それはまるで見えない階段を駆け上がるように、加速しながら華那汰が天に昇っていく。
 ひと一人と猫一匹を背負って空を飛ぶ少女。ご近所さんに見られたら、明日から声をかけてもらえなくなりそうだ。
 体育館の近づいてくる。
 見えてきたのは来客用の正面玄関だった。
 あと少し、あと少し手を伸ばせば届きそうだ。
 体育館の正面玄関にあと少しで手が届くところまできていた。
 しかし、空を走ることは想像以上に華那太の体力を蝕んでいた。それに加え、まっすぐ空に昇ることができないらしく、螺旋階段を上るようにグルグル回っていたのも体力を消耗させてしまった要因だ。ヒイロを背負っているというものだいぶある。
 あと少しだというのに、華那太たちは緩やかに降下してしまっていた。
 華那太の耳元で悪魔が囁く。
「(覇道くんのこと落したら届くかも)」
 けれどそれは無理な話だ。華那太が空を走るためのエネルギーを供給しているのはハルカだ。そのハルカは空を走る前にヒイロに預けられていたのだ。ヒイロを落したらハルカまで落ち、結局は華那太も落ちることになってしまう。
「覇道くん、あたしの身体を登ってあそこに手をかけて!」
「おう、任せとけ!」
 華那太に背負われていたヒイロが、華那太の身体をよじ登ろうと手足を動かす。
 ふにゅっふにゅっと、二度ほどヒイロの足が華那太の柔らかなふくらみに当たったが、顔を赤くしながらも華那太はグッと怒りを堪えた。こんなところでヒイロに制裁を加えたら、地上にまっ逆さまで潰れたトマトになることぐらいわかっている。
「やったぞ!」
 ヒイロが歓喜の声をあげた。
 肩車状態になり、ついにヒイロの手が入り口の出っ張りに届いたのだ。
 ヒイロは懸垂の要領で上がろうとするが上がらない。腕がぷるぷるしてこのままでは落ちる危険がある。
「あたしが登るから、覇道くんはそのまま頑張って!」
 今度は華那太がヒイロの身体をよじ登る番だった。
 足をじたばたせ、空走りをしながら自分が落ちないように、華那汰は肩車をしているヒイロの股間から頭を抜いた。
 これからヒイロの身体をよじ登ろうとして、顔を上に向けた華那汰の目にリュックに入ったハルカが映った。
「お姉ちゃん邪魔、先に登って!」
「あぅ、ハルカ高所恐怖症なんだけどぉ(リュックの中から一歩も動けないよぉ)」
 リュックの中でハルカは身体をブルブル震わしながら小さくなっていた。
「お姉ちゃんが邪魔であたしが登れないでしょ!」
「華那汰はもう誰も背中に背負ってないんだから、空走りで簡単に登れるでしょ?」
「あ、そっか」
 華那汰のうっかりさん♪
 そうと気づけば華那汰はヒイロから手を離し、空走りを使って簡単に玄関にたどり着くことができた。
 自力で玄関の出っ張りに掴まっているヒイロは限界ギリギリだった。腕がプルプルして今にも落ちそうだ。早く引き上げなければ!
「早く俺様を……引っ張ってくれ……落ちる」
「今引き上げ――きゃっ!?」
 華那汰の目の前でヒイロの片手が滑り落ち、その衝撃でヒイロの身体が大きく傾いた。
 ヒイロが落ちる!
「覇道くん!」
 ガシッ!
 間一髪のところで華那汰がヒイロの手首を掴み、ヒイロも華那汰の手首を掴み交差させた。だが、悲劇は起きてしまった。
 ヒイロが体制を崩した衝撃で、背負われていたリュックの中にいたハルカが大きく揺れ、リュックのジッパーが大きく開きハルカの身体が住宅街に向かってダイビング!
「にゃぁぁぁっ!(なんでこーなるのぉぉぉぉぉん!)」
 キラリーンと輝き、ハルカは住宅街のど真ん中に落ちていった。
 落ちゆくハルカを見ながら二人は声もでなかった。
 サッと華那汰は自慢の運動能力でヒイロを引き上げ、二人で下の景色を覗き込んだ。
 ハルカの姿はとっくに見当たらない。今頃は住宅街のど真ん中に隕石っぽく落下して、お茶の間を騒がしているに違いない。
 顔を見合わせる二人。
 華那汰は目線を泳がせながら苦笑いを浮かる。
「あはは、えっとぉ、ああ見えてもお姉ちゃん不死身だから、へーきへーき(……たぶん)」
 関東周辺に張られた大結界の中にいる限り、ハルカは不死身だったりするのだ。何人たりともハルカに危害を加えることはできない。しかし、事故はどうなるのだろうか?
 華那汰は能天気に笑いながら考えないことにした。
「あはは、へーきへーき♪」
「……マジかよ」

 つづく


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