第2話_我輩は猫である
 ハルカがこっちの世界に来て、2週間以上の月日が流れようとしていた。もう2週間と言うべきか、まだ2週間と言うべきなのかは微妙だ。
 2週間の間にハルカはいろいろなことを経験した。居住区を半径1kmに渡って吹っ飛ばしてみたり、国立博物館で写本を盗んだり、ルーファスを殺人未遂してみたり、大魔王に身体を奪われたり、ろくなことがなかった。こう考えると、まだ2週間ほどしか経っていないと思えるかもしれない。
 そして、今ハルカはネコである。
 ネコになって2日が過ぎたが、この身体にも少しずつ慣れてきた。
「(でも、早く人間に戻りたい)」
 そんなことを思いながらハルカはルーファス宅の縁側でひなたぼっこをしていた。
「ハルカ餌だよ~」
 遠くでしたルーファスの声がした。その声に誘われるままにルーファスの元へ四本の足で走って行く。
 ルーファスの足元まで来ると、ルーファスは手に持っていたお皿を床に置いた。お皿にはサラダとパンが少し乗っている。
「ハルカ、餌だよ」
「ネコ扱いしないでくれる?(餌って言い方ムカツク)」
「だってネコじゃん」
「身体はネコでも、中身は人間なんだから」
 これでも最初のルーファスの態度よりはマシになった。ネコになっての初めての食事でルーファスは、なんと、ハルカにペットフードを出したのだ。当然ハルカは激怒して引っ掻いてやったが、ルーファスは素でそれをやったらしいので、すぐにハルカは怒りを押えた。――そんこんなで今に至る。
 出された朝食を食べながらハルカは思う。
「(ネコじゃなくって、人間の身体に入れてくれればよかったのに……でも死んだ人間の身体に入るのはちょっと気が引けるかなぁ~、出目金よりはマシだけど)」
 ハルカと同じく朝食を食べているルーファスがハルカに声を掛けて来た。
「たまには外出かけてきたら? ネコになってから外出てないでしょ?(健康に悪いからね)」
「ネコだから外出たくないの(ネコじゃ、なにもできないもん)」
 出たくないとは言ったものの、ハルカはやっぱり外に出かけることにした。少しは気分転換になるかもしれない。そう考えたからだ。
 外は冬の冷たい風が吹いていて少し肌寒かった。
 石畳の上をどこに行くでもなく歩くハルカ。横を人や馬車が通り過ぎて行く、ハルカに気を止めてくれる人は誰もいない。
 前方から灰色の毛を持ったネコがこちらに向かってくる。明らかにハルカに向かって歩いてきていた。
 灰色のネコはハルカの前まで来て、『にゃ~ん』と鳴いた。もちろんハルカにはネコ語はわからない。
「(私に話し掛けてるみたいだけど……何言ってんだろ?)」
 灰色のネコは、また『にゃ~ん』と鳴いた。
「(だから、何言ってんだかわかんないんだって……とにかく、にゃ~んって鳴いてみようかな)……にゃ~ん♪」
 灰色のネコ沈黙。人間の『にゃ~ん』は所詮人間の声のようだ。
 灰色のネコしっぽ立てる。怒っているらしい。
 灰色のネコ『ふーっ』と鳴く。かなり怒っているらしい。
 灰色のネコ、ハルカに飛び掛る!
「(ま、マジで!?)」
 ハルカ逃げる。
「(なんで!? 何か悪いことした私!?)」
 ドリフトしながら人の間を抜けて、急カーブを見事に曲がり裏路地に逃げ込む。後ろを見ると灰色のネコがまだ追いかけて来ている。
「(しつこい!)」
 迷路のような裏路地を逃げ回るハルカ。そして、裏路地のお約束――行き止まりみたいな。
「(なんで、行き止まりなのぉ~!?)」
 ハルカ的ショック!
 後ろは壁、前からは灰色のネコがジリジリとハルカに詰め寄ってくる。
「(コレってピンチ!?)」
 確認するまでも無い。ピンチである。
 後ず去るハルカと壁との距離がほとんど無くなった。それに加えて灰色のネコとの距離も狭まっている。
「誰か助けてぇ~!!」
 悲痛の叫びをついつい上げてしまったハルカの横で、木でできたドアがギィィと鳴って中から人の顔が現れた。
「誰かいるの?」
 柔らかな声。ドアから覗いているのは小さな女の子だった。たぶん5歳~7歳くらいだと思われる。
 ハルカは女の子を見つめる。まさに仔猫の瞳で助けを請う。
 女の子は状況を理解したらしく、灰色のネコを追いやってハルカを助けてくれた。
「(はぁ……助かった……えっ!?)」
 ホッと胸を撫で下ろしていたハルカの身体が持ち上げられた。上を見ると女の子の顔が直ぐそこに迫っている。
「あなたどこから来たの?」
「(どうしよう? 人間の言葉でしゃべったらマズイよね。でも、ネコみたいにうまく『にゃ~ん』って鳴けないし)」
 女の子はあることに気付いた。ネコの首には首輪が付けられていて、それに付いているコインに何か文字が刻まれていた。
「ハルカ? ハルカって名前なんだね」
 首輪はカーシャがプレゼントしてくれた物だ。つまりカーシャもハルカのことをネコ扱いしているということになる。
 ニコニコが顔の女の子はハルカを抱きかかえたまま、家の中に入ってしまった。ハルカある意味軟禁?
 ハルカどうする? ハルカ頭猛スピード回転!
「(どうしたらいいの? 逃げなきゃ! 逃げた方がいいの? てゆーか逃げるべきなの!?)」
 ハルカ大混乱!?
 女の子はハルカをソファーの上に下ろすと、
「ミルク持ってきてあげるから待っていてね」 
 と言って姿を消した。逃げるチャンス到来!
「(逃げなきゃ!)」
 ソファーから飛び降りて玄関に向かう。廊下を走りぬけすぐに玄関まで来たが、そこである重大なことに気付いた。
「(ドア開けられない)」
 そう、ネコに玄関のドアを開けることはできない。しかも、玄関から律儀に出ようと思うなんてハルカらしい。
 引き返そうと後ろを振り返った時、手にミルクの入ったお皿を持った女の子と目が合った。
「(ヤバイ)」
「どうしたの? 待っててねって言ったでしょ?」
 ミルクを溢さないように女の子はゆっくりとハルカに近づいて来る。
「(ごめん)」
 ハルカはそう思いながら、女の子の横を猛ダッシュで擦り抜けて階段を駆け上がった。
 2階になぜ逃げたのかはハルカもわからない。だが、これだけは断言できる2階に逃げたのは失敗だった。
「(自ら逃げ場を無くしてどうするの!?)」
 ハルカの混乱は増していた。混乱が増してたついでにドアの開いていた部屋に逃げ込む。
「(どうしよう……そもそも、なんで私逃げてるの?)」
 そう、ハルカはなぜ逃げているのだろうか? ハルカもわかっていないことを他人はもっとわからない。
 階段を上ってくる音が聞こえる。ハルカにとってこの音は、死のカウントダウンに等しいくらいドキドキするものだった。
「どこ行っちゃったの?」
「(私のこと探してるよぉ~)」
 女の子の足音が近づいて来る。そして、止まった。
「こんなところにいたぁ」
「(……見つかった)」
 辺りを見回してハルカは逃げ場を探してみるが……窓が開いているくらい。言うまでもないがここは2階である。落ちたら大変なことになる。
 逃げ場を失ったハルカは軽やかなネコの動きで窓枠に飛び乗った。
「(うわぁ~、高いなぁ~)」
 下を見てしまったハルカは背筋が冷たくなった。ネコであるハルカにとっては人間以上に高く感じられる。
 ハルカの乗っている窓枠と隣りの家の屋根は1mほど、ジャンプして飛べない距離じゃない。
「(けど、落ちたらヤバイよね)」
 そう、落ちたらヤバイ。だが、ハルカは飛んだ。窓枠にしっかりと足を掛けて高く飛んだ。
 空を飛翔するハルカ。この日ハルカは鳥になった――。
 屋根にうまく着地して、ほっとしたハルカは、息をゆっくりと吐き出し肩を下げた。
「(よかった……落ちなくて……落ちなくて?)」
 ハルカ的大ショック!!
「(どうやって降りたらいいの!?)」
 とにかく下に降りる方法を見つけようと道路沿いの屋根に移動して、下を見てみる。
「(誰か気付いてくれないかなぁ~)」
 この辺りは商店が多く建ち並ぶ道で、この先をずーっと行くとお城の前に出る。そのため人通りは多い、だが誰もハルカに気付いてくれない。
「(誰か気付いて……気付いて……気付いて……)」
 念じてみる。
 道路を歩いていた剣士風の女の人が上を見上げた。その先には黒猫が自分を見ている。ハルカの念が通じたのか? エスパーハルカ!?
「(なんだあの猫は……降りれなくなったのか?)」
「(あの人私のこと見てる……助けてくれないかなぁ?)」
 剣士は屋根の下まで近づいて来て何かを抱きかかえるような腕の形をした。
「(降りて来いってことなのかな?)」
「気をつけて降りてくるのだぞ」
「(降りて来いって言われても、ちょっと恐いな)」
「しっかり受けて止めてやるから、安心して降りてくるといい」
 ハルカは女剣士の言葉を信じて、屋根から飛び降りた。小さなネコの身体はやさしく抱きかかえられ、怪我をしないで済んだ。
「(よかった)」
 ほっとした表情をしているネコの顔を女剣士は不思議そうな顔して覗き込んでいる。
「おまえ、本当に猫か?」
「(ビクッ……す、鋭い)」
「マナの波動がおまえのことを猫ではないと言っている(人間の波動が感じられる……しかもこの波動はどこかで感じたことがあるぞ)」
「(逃げなきゃ!)」
 危険を察知したハルカは女剣士の隙を突いて逃げ出した。だが、女剣士は女剣士に在らず、女魔法剣士だった。
「逃がしはしないよ」
 魔法剣士の指から光のチェーンが放たれハルカの首輪に巻き付いた。
「うぐっ!」
 魔法剣士の指とハルカの首輪が繋がれ、そのままハルカは魔法剣士の足元まで引きづられてしまった。
「仔猫ちゃん、あなたが誰なのかわかったよ。でもここで話すのはまずいね。ルーファスの家に行こう」
「(えっ? ルーファスの家?)」
 この魔法剣士はどうやらネコの正体を見破ったらしい。しかも、ルーファスのことまで知っているらしい。この女性はいったい何者なのか?

 数分後、ルーファス宅に黒猫を抱きかかえた一人の魔法剣士が尋ねてきた。
「ルーファス、届け物だ」
 この声を聞いたルーファスは血相を変えてすっ飛んでドアを開けた。
「な、なんで?(なんで、なんで、何しに来たの?)」
「怪我の調子はどうだ?」
「何しに来たの?」
「これを届けに来た」
 魔法剣士の腕には黒猫が抱きかかえれていた。
「……ハルカ!?」
 名前を呼ばれたハルカは無言でルーファスを見つめた。
「(ルーファス、この人誰なの?)」
「や、やあ、よく来たねエルザ……この間は大変だったよね」
 魔法剣士エルザ。ハルカをここまで連れてきたのはこの国始まって以来の女性元帥エルザであった。
 エルザはハルカの首輪に付けていたチェーンを解呪して、床に下ろした。
「大魔王の次は猫か……この娘も大変だな」
「ハルカ、しゃべってもいいよ。この人知り合いだから」
「ルーファスこの人誰なの?(私のことも知ってるみたいだけど?)」
「この人はエルザ元帥、ハルカが大魔王になってたときにいろいろお世話になった人。ハルカがこの世界に来た経緯からネコになった経緯まで、私の知ってることは洗いざらししゃべらされた(この人のお陰で、いろいろと事件のこともみ消してもらってるんだよね)」
 ルーファスとエルザは魔導学院時代の後輩と先輩の中で、昔からルーファスが騒ぎを起こすたびにエルザがそのあと処理に当たってくれている。
「あのエルザ、お茶でも飲んでいく?」
「いや、結構。仕事があるので今日はこれで失礼する」
 エルザは帰ろうとドアノブに手を掛けようとした瞬間、ドアは後ろに引かれた。開かれたドアの先を見た彼女はある人物と目が合った。
「…………(カーシャ先生)」
「こんばんわ、ひさしぶりだな(なんで、こいつがいる?)」
 エルザとカーシャは互いに目線を逸らそうとせず相手の目をじっと無言で見ている。微妙な緊迫感がこの辺り一帯に充満していく。
 黒猫であるハルカの毛が逆立った。
「(なんか、身体がビリビリする……もしかしてこの二人のせい?)」
 もしかしてではなかった。カーシャは以前魔導学院で教師をやっていたのだが、その時の生徒がエルザだったのだが、その頃から何故かこの二人は馬が合わない。つまり犬猿の仲というやつだ。
 いつの間にかこの場から二人を残して、ルーファスとハルカは後ず去っていた。本能がそうさせているのだ。
 カーシャとエルザはしゃべろうとしなければ、目を逸らそうともしない。この勝負、目を逸らした方が負けなのだ。まるで野生動物の戦い。
「カーシャ先生から大魔王の件について詳しい話をまだ聞いておりませんが、今日は話してもらえるのでしょうか?(絶対あの騒ぎの元凶は、この女にあると思うのだが……確かな証拠が掴めてない)」
「大魔王の件はルーファスに聞いただろう? それが全てだ(……出目金のことがバレたら、国を負われるだけでは済まんからな……ふふ)」
「ルーファスが知っているのは、ハルカが既に魔王になってあとからです。それ以前の話をお聞かせ願いたい(あの時、学校を辞めさせるだけじゃなくて、国を追放してやればよかった)」
「儀式の最中におまえのところの、へっぽこ兵士が乗り込んで来て儀式をめちゃくちゃにした挙句、魔王を呼び出してしまったのだ(この女だけは許さん、学校を辞めるハメになったのも、店を営業停止にさせられたのも、この女のせいだ)」
 カーシャは以前魔導学院で問題を起こした際、エルザの学生運動によって学院を首になっており、数日前に起こったハルカ居住区を半径1kmに渡って吹っ飛す事件でも重要参考人として、取調べを今も受けている最中で、カーシャの店は営業停止にさせられている。
「確かに儀式の邪魔をしたのは、こちらの不手際でした(あの部下はヴェガ将軍の部下で私には関係ないが)。ですが、あなたには数多くの疑惑があります。国立博物館でライラの写本が盗まれた時も現場にいたそうですが、それは本当ですか?(これだけ多くの疑惑がありながら、なぜいつもしっぽを掴めないんだこの女は……?)」
「1週間以上も前のことだから記憶にないな(……そんなことまで調査の手が及んでいるのか……ふふ、逃げるか?)」
「そうですか……記憶にないですか、仕方ありませんね。今度お会いするときは証拠を山のように持ってきますから、では(絶対しっぽを掴んでやる)」
 エルザは家を出て行く時、口元を少し歪めてバタンとドアを閉めて行ってしまった。
 エルザの出て行った室内は未だ緊迫した空気が流れていた。元凶はもちろんカーシャ。そのカーシャは、ゆっくりとルーファスとハルカの方を鋭い目つきで振り向いた。
「言うなよ絶対。私が捕まった時は、どうなるかわかるな?(あ~んなことやこ~んなことに加えて、そ~んなこともするぞ……ふふ)」
 ルーファスは首を横に振っているんだか、ぶるぶる震えているんだかわからないような動きをして、首をコクコクと何度も立てに振った。もう声すら出ないほどに怯えきっている。
「ハルカもだぞ!(もし何か言ったら、ミミズの中にマナを移してやるからな……ふふ、楽しみ)」
 ハルカの毛は全て逆立ち、身体がブルっと大きく震えた。
「わ、私はネコだから……人間の言葉しゃべれないから……に、にゃ~ん(触らぬ鬼神に祟りなし……逃げるにゃ~ん)」
 ネコになったハルカは、猫を被ってこの場から逃げ出した。

 つづく


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