第3話_魔導学院
 ソファーの上で昼寝を楽しむルーファスの腹にネコパンチが喰らわされた。
「うっ!(最近よく殴られる)」
「ルーファス起きて!!」
 目を擦りながらルーファスが自分の腹のところを見ると、そこには黒猫ハルカが乗っていた。
「起きた?」
「起きたよ(ネコのクセして、なんであんなにパンチ力があるの?)」
 少し怒った様子のハルカは、軽やかにルーファスのお腹からフローリングの床に飛び降り、ルーファスの顔を睨んだ。
「私が人間に戻る方法探してくれてたんじゃないの?(昼寝してるなんてヒドイ!!)」
「あ、うん(そうだったんだけど……いつの間にか寝てた)」
 だらんとソファーからはみ出たルーファスの片方の手の先には、床に開いた状態で落ちている魔導書が落ちていた。読んでいる途中で寝てしまったに違いない、決定的な証拠だった。
 白い目でルーファスはハルカに見られている。
「だから、さっきまでは一生懸命だったんだけど……(寝てた)」
「寝てたんでしょ?」
「だって……(眠かったんだもん)」
「ルーファスはいいよ、私の身になって考えてみてよ! 家には帰れないし、ネコにはなるし、私の人生返して!!」
「私だって、ハルカが家に帰る方法と人間に戻る方法を考えてるよ!!(でも見つからないんだからしょうがないだろ……)」
「ふん!(へっぽこ魔導士!!)」
 機嫌サイテーのハルカはさっさとどこかに行ってしまった。もちろんしっぽは立っていた。
「しっぽ立てるなんて……わかりやすいな」
「ホントにわかりやすいなあの娘は……」
「わっ!!(……カーシャか)」
 ソファーに腰を掛けている、ルーファスが横を見るとそこには、カーシャもソファーに何時の間にか腰を掛けて落ち着いていた。しかも、手にはティーカップが……落ち着き過ぎ。
「こんばんわ、この頃寒い日が続くな(ついでに私の心も猛吹雪……ふふ、寒い)」
「いつも思うんだけど、不法侵入だよね?」
「安心しろ、玄関から入っている(ノックはしてないがな)」
玄関から入っていても不法侵入は不法侵入だ。カーシャが一日で犯している罪は数知れず。
「玄関から入っても不法侵入は不法侵入でしょ?」
「不法滞在よりはマシだろ?」
「意味わかんないよ」
 カーシャの言い訳は意味がわからなかった。
「ところでルーファス暇か?(暇でなくとも強制だが)」
「まあ、暇って言ったら暇だけど……(それより、なんでカーシャは毎日毎日うちに来るの? 私より暇なんじゃないの?)」
 ホントにカーシャは毎日毎日何をしてるのでしょうか? 答えは簡単、店が営業停止にされてしまったのでルーファスをいびりに来てるのです。駄目じゃん。
 なんとも言いがたい悪魔の微笑を浮かべてルーファスを見つめるカーシャの瞳は凄く濁っていた。よからぬことを考えているのは明白だった。
「…………(嫌な予感がする)」
「戦争しに行くぞ」
「はっ!! どこに!?(戦争って何!?)」
 カーシャのビックリドッキリ仰天発言にルーファスは度肝を抜かれた。
「魔導学院に乗り込むぞ!!(ふふ……おもしろいことになるぞ)」
「乗り込むってどういうこと?(戦争って!?)」
「実際全面戦争になるかはわからんが、おまえと”私”があの学院に乗り込めば追い出されるの必然。最悪戦争だな」
「戦争っていうのは言い過ぎでしょ?(確かにカーシャが学院に戻ったら、追い返されるだろうけど)」
「わからんぞ、ファウストなら私に喧嘩を吹っかけてくると思うが?」
「確かに(ファスト先生ならありえるな、あの人そういうの好きだからな)」
 ファウストとは、以前ルーファスが通っていた魔導学院の教員で、悪魔系の術を得意としていた人物だ。学院ではカーシャに次ぐトンデモ系の狂師で、危ない実験や魔術が好きな先生だった。カーシャが学院をクビになった今は学院一のトンデモ狂師はファウストに違いなかった。
「ねぇ、二人ともなんの話ししてるの?(ルーファスやけに顔蒼いけど?)」
 いつの間にかハルカが二人の前まで来ていた。ネコになったハルカはカーシャに次ぐ忍び足を手に入れたらしい。
「こんばんわハルカ。おまえも一緒に来い、元の世界に帰る方法と人間に戻る方法両方の手がかりが見つかるかもしれん」
「ほ、ホントですか!?(……カーシャさんの言うことは信用できないけど)」
 カーシャの信用はガタ落ちだった。当たり前と言ったらそれまでだが……。
「本当だ。優秀な魔導士たちがこの国で一番集まる所に行く(学院時代のルーファスはへっぽこだったがな……ふふ)」
「そんなところがあるんですか?(じゃあ、今まで何で連れて行ってくれなかったんだろ?)」
 ハルカがふとルーファスの顔を見ると、彼は今までハルカが見た中で一番うかない表情をしていた。魔導学院はルーファスにとってあまり行きたくないところだった。なぜならば、恥ずかしい思い出しかないからだ。
「ではさっそく魔導学院に行くとしよう。ハルカはこの中に入れ」
 カーシャはそう言うと、どこからか携帯用ペットハウスを出してドアを開けた。
「丁重に運んで下さいね(前にカーシャさんに運んでもらった時は酷かったからなぁ~)」
 ペットハウスに入る寸前ハルカはルーファスの顔を見た。ルーファスは以前うかない表情をしていた。
「なんでうかない表情してるの? ルーファスも早く準備してよ」
 ハルカに言われ、ルーファスは重たそうに腰を上げると、空気よりも重そうなため息を落とした。
「はぁ~……行くのヤダな」
 これは心からの本音、まさに心の叫び。ただでさえ行くの嫌なのにカーシャは殺る気満々。ルーファスはだんだん頭が痛くなってきた。
 誰が頭が痛くなろうとカーシャには関係ないことらしく、ハルカをペットハウスに入れたカーシャはルーファスに足蹴りを喰らわせて、ペットハウスを差し出した。
「これ」
「私が持つの?」
 と聞きながらもすでにルーファスはペットハウスを受け取っていた。ここにあるのは女王様と下僕の構図、長年カーシャに尻を敷かれているルーファスの悲しい習性だった。
「行くぞ」
 すでにカーシャは玄関を出る寸前だった。カーシャの移動速度は異様に速い。だが、カーシャが素早く動いているのを見た者はこの世に誰も居ない。まさにミステリー、カーシャは謎多き女性だった。

 ガイアと呼ばれるこの世界には魔法を使える者が普通に存在している。
 そして、このアステア王国には魔法を教える学校が存在する。
 この国には普通教育を9年間受けることが義務付けられているが、普通教育にプラスして魔法を学ぶこともできる。魔法教育を受けるかどうかは個人の自由だが、ほとんどの者はこの教育を受けている。
 9年間の義務教育を終えると、その上に専門各種の学校があり、試験などを受け授業料等を払い入ることができる。その中に魔導士と呼ばれる魔法を使い仕事をこなす職業に就く為の学校ある。人々の病気を治す魔導士もいれば、天候を自在に操る魔導士、中には工事現場で石畳みの道路を作っている魔導士もいる。魔導士が生活に根付いているだ。
 ルーファスも魔導学園で9年間勉強したのちに、滑り込みでクラウス魔導学院と呼ばれるエリート学校に進学することができた。恐らくルーファスは人生の運を全てここに注ぎ込んでしまったに違いない。
 ルーファスは今そのクラウス魔導学院の事務室にいた。
「あのぉ~、ここの卒業生のルーファスというものですが、ちょっと用事があって来たんですけど?(なんか意味も無くドキドキするなぁ)」
 ルーファスの応対に当たったのは20代後半くらいの綺麗な女性だった。ルーファス曰くだが。
「(ルーファス? ……ルーファスってもしかして、へっぽこ魔導士ルーファス?)ルーファス様ですね。学園内に入るには腕に腕章を付けて頂く決まりになっておりますがよろしいですか?」
 この腕章は、来客を識別する以外にも騒ぎを起こそうとした者に罰を与えるための秘密が隠されている。
「あ、はい(この腕章知ってるよぉ~、あんまり付けて欲しくないな)」
「では、腕を出して頂けますか?」
 ルーファスが腕を出すと、女性はルーファスの腕に魔法を架けて紅い腕章を作り出した。
「学院を出る際はここで腕章を解呪しますので、必ずここに戻ってきてください」
「は、はい、わかりました。それから、ペットのネコも学院内に入れても平気ですか?」
「構いませんよ、ペットはそのままお入りください」
 学院内に入って行くルーファスにお辞儀をする女性の後ろで静かな声がした。
「私にも腕章をしてもらおう」
 女性は思わずびくっとして後ろを振り向くとそこにいたのはカーシャが立っていた。
「カ、カーシャ先生!?(な、なんでこの人が!?)」
 カーシャは腕をさっと突き出した。
「早く」
「あ、あのカーシャ先生は学院内に入れるなと言われておりまして……(ブラックリストのトップに名前が載ってる人がわざわざ正面から尋ねてくるなんて)」
「……宣戦布告……宣戦布告だ。表向きにはクビではなくて依願退職となっているハズだが?(せっかく教員どもに私が来たことを教えてやろうという心遣いだったのだがな……しかたない)」
 カーシャの手のひらがさやしく女性の目元を多く隠した。ふっと女性の意識が飛び、床にゆっくりと倒れてしまった。
「勝手に上がらせてもらうぞ(ふふ……教員ども待ってろよ……特にヨハン・ファウスト!!)」

 魔導学院は今授業時間で廊下は静けさに満ち、時折教室から生徒の声が聞こえる程度だった。
 廊下を歩くルーファスは辺りをキョロキョロ見回しながら過去の思い出に浸っていた。
「懐かしいな……(そう言えばここでローゼンクロイツの毒電波攻撃を受けて、腹痛を起こしたんだった……いい思い出少ないな)」
「悠長なことをいっている暇は無い……私の不法侵入は既にバレている」
「!?(……いつの間にか横にいるよ)」
 ルーファスがビクっとして横を振り向くとカーシャがルーファスの歩調に合わせて歩いていた。
「事務の融通が利かなくてな、腕章を付けていない」
「……てことは?(教職員が侵入者を探してるってことか……侵入者がカーシャだって知ったら大変なことになるなぁ)」
 腕章を付けずに学院内に入ると、すぐさま学院内全体に張り巡らせれているセンサーの役割をしている魔法に引っかかり侵入がバレてしまう。
 廊下が急に騒がしくなった。怒号怒号怒号の足音。大勢が侵入者を探して走り回っているのだ。その足音を聞いた二人は近くにあった教室のドアを開けて乗り込んだ。
 急に扉を開けられた教師及び生徒一同は視線を一気にカーシャとその配下? に注がれた。
 カーシャは生徒たちに片手の手のひらを向けて魔力を貯めているのを見せ付けた。
「動くな!!」
 教室ジャックだった。生徒たちは動きを止め言葉を失う。だがこの場で一番唖然としてしまったのはルーファスだった。
「……な、なんてことするの!? 人質取ってどうするの、私たちはただハルカを元に戻すために来たんでしょ、騒ぎを起こしてどうすんの!?」
「ふふ……ハルカのことは二の次だ(まずは私の復讐からだ)」
 この会話を携帯用ペットハウスの中から聞いていたハルカの表情が曇る。中からは外の様子が見えないので余計に不安が募る。
「(……もしかして、外はすごいことになってるの?)」
 『もしかして』ではなかった。すごいことになっていた。
 この教室にいた女教師は新米らしく、カーシャとの直接の面識はなかった。だが、この学院ではカーシャとそのオプションのことは有名で、この新米教師にも二人の侵入者が誰なのかがわかった。
「カーシャさん……あの物騒な真似はよしていただけません?(な、なんでよりによってこの教室に……(泣)」
 新米教師就任以来最大の危機だった。
 カーシャが新米教師に視線をふと向け、生徒から気をそらした瞬間、生徒の一人がカーシャに向けて魔法で作ったエネルギー弾を発射した。だが、この場においての勇気ある行動は全体の命を危険にさらす。
 エネルギー弾はカーシャの手の甲によって軽く弾かれ教室の天井に穴を開けた。穴の空いた天井から見える青い空を見上げるカーシャの口元は歪んでいる。
「ふふ、私に撃ったのはおまえか?(ピンクのブタの刑だな……ふふ)」
 氷のように冷たい目をしたカーシャは、彼女に魔法を放った生徒の瞳を見つめてあることを念じた。すると見つめられた生徒の身体は見る見るうちに縮んでいき、その身体はピンクの短い毛で覆われて、周りの者たちが声を上げた時には、ピンクのブタに変身してしまっていた。
「他にブタにしてほしいものはいるか?」
 生徒たちは一斉に横に首を振った。そして、なぜかルーファスもおびえた表情で首を横に振っていた。
 ちなみにネコになったハルカに人間になる魔法をかけることも可能だが、それは根本的な解決にはならない。カーシャのこの魔法は時間制限があり、時間が経てば元の姿に戻ってしまうのだ。それに見た目はピンクのブタでも中身は人間であって、ハルカに魔法をかけた場合は、中身が猫で見た目が人間となる。着ぐるみを着ているのと変わらない。
 壁の砕ける爆発音を聞きつけた男の教師が教室に乗り込んできた。この男全身黒尽くめである。
「うるさい! 私の授業を妨害するのは誰だ!!(……カーシャ?)」
 教室に怒鳴り込んできたのは隣りの教室で悪魔召喚の実習授業を行っていた、ヨハン・ファウストだった。
 カーシャとファウストの間でピリピリした空気が流れている。しかも運の悪いことにルーファスは二人のちょうど真ん中に立っていた。
「(……ついてない)」
 そうルーファスはついてない。
 ファウストの身体からは目でもわかる黒いオーラが悶々と出ていた。カーシャからも目には見えないが肌で感じられる冷たいオーラが出ていた。まさに只今一色触発中だった。
 本能で今までに無いほどの危険を察知した新米教師及び生徒たちは、そーっと、できる限りにそーっと、音を立てずに教室を出て行った。だが、この場に取り残された人物がいる。言うまでも無いルーファスだ。
「(……な、なんで私を置いてみんな逃げるのぉ~!?)」
 可哀想なことに二人のトンデモさんに挟まれたルーファスは身動き一つ許されなかった。
 不幸なことにルーファスが動けないということは、ペットハウスの中にいるハルカも動くことができない。しかもハルカには外の状況がわからない。
「(な、なに、この嵐の前の静けさみたいなのは!? やな雰囲気がするんだけど……)」
 不安でいっぱいになるハルカ。だが彼女は無力だった……ネコだからね。
 ネコでなくとも、この場では誰もが無力だった。
 沈黙を続けていたファウストが口を開いた。
「ひさしぶりですね(まさか、ここで再びこの人に出会うとは)」
「ファウスト先生も相変わらず黒でシックに決め込んでいるな……(腹の中身も真っ黒だ)」
 再び沈黙が始まる――。

 つづく


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